2022年6月25日掲載
ワンポイント:1987年、製薬企業のブーツ医薬社はカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のベティ・ドン(Betty Dong)にレボチロキシン(Levothyroxine)の臨床試験を依頼した。1990年、結果は自社製品に不利だったので、発表を遅らせた。ベティ・ドンの論文は「1997年4月のJAMA」論文として7年後に発表された。臨床試験結果の発表を遅らせたことで、ブーツ医薬社は消費者をだましていたと非難され、数十件の訴訟が起こされた。1997年11月、ブーツ医薬社(当時はクノール医薬社(Knoll Pharmaceuticals))は、この訴訟の解決に約1億ドル(約100億円)を支払った。とはいえ、臨床試験の結果発表を7年間遅らせた間に、同社はこの薬で30億ドル(約300億円)の利益を上げていた。国民の損害額(推定)は300億円(大雑把)。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.日本語の解説
3.事件の経過と内容
4.白楽の感想
5.主要情報源
6.コメント
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●1.【概略】
1987年、甲状腺機能低下症の医薬品を製造販売するブーツ医薬社(Boots Pharmaceuticals Inc.)は、自社ブランドのシンスロイド(Synthroid、写真は他社の製品です。出典)を他社製品と比較する臨床試験をカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の研究者であるベティ・ドン(Betty Dong、写真出典)に25万ドル(約2500万円)で依頼した。
シンスロイド(Synthroid)はレボチロキシン(Levothyroxine)の商品名である。
1990年、ベティ・ドンの研究チームは臨床試験を終えた。結果は、4つの医薬品の効果はほぼ同じという結果だった。
ブーツ医薬社は、この臨床試験の結果の発表に待ったを掛けた。
この事件では、関係したカリフォルニア大学サンフランシスコ校、アメリカ甲状腺協会(American Thyroid Association)、食品医薬品局は、すべて、この時、研究公正に背く言動をした。
1996年4月25日、上記の異常な状況を「Wall Street Journal」新聞のラルフ・キング・ジュニア記者(Ralph T. King Jr.)が事件として詳細に報道した。
1997年4月 、翌年、ようやく、ベティ・ドンの論文が「1997年4月のJAMA」論文として発表された。
1997年11月、ブーツ医薬社(当時はクノール医薬社(Knoll Pharmaceuticals))は、同社が消費者をだましたと非難する数十件の訴訟を解決するために約1億ドル(約100億円)を支払うことになった。
とはいえ、臨床試験の正しい結果を7年間遅らせた間に、同社はシンスロイド(Synthroid)の販売で30億ドル(約300億円)の利益を上げていた。会社の幹部は起訴されなかった。
「ワルが勝った」腹立たしい事例である。
ブーツ医薬社(Boots Pharmaceuticals Inc.)。写真出典:https://www.boots-uk.com/about-boots-uk/company-information/
- 国:米国。本社は英国だが、米国のカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の研究者であるベティ・ドン(Betty Dong)絡みの事件なので、米国の事件とした
- 集団名:ブーツ医薬社
- 集団名(英語):Boots Pharmaceuticals Inc.
- ウェブサイト(英語):https://www.boots.com/boots-pharmaceuticals
- 集団の概要:カーター・エッカート(Carter Eckert、経歴)が1986年~2001年の社長だった。
- 分野:医薬品製造
- 不正年:1990~1997年の7年間
- 発覚年:1996年
- ステップ1(発覚):第一次追及者は明確ではないが、「Wall Street Journal」新聞のラルフ・キング・ジュニア記者(Ralph T. King Jr.)と思われる
- ステップ2(メディア):「Wall Street Journal」、「Science」、「New York Times」、「Los Angeles Times」など多数
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ): ①カリフォルニア大学サンフランシスコ校。② 米国の裁判所
- 不正:データ発表抑制
- 不正回数:1回
- 被害(者):ベティ・ドン(Betty Dong)。また、シンスロイド(Synthroid)は、毎日、約800万人の甲状腺患者に摂取されていた。その患者たちはダマされて高い医薬品を購入していたので被害者といえる。死亡者、健康被害者はいない
- 国民の損害額:総額(推定)は300億円(大雑把)
- 結末:100億円の示談金支払い
●2.【日本語の解説】
日本語の解説は、ウェブ検索では全くヒットしなかった。
●3.【事件の経過と内容】
★レボチロキシン(Levothyroxine)
シンスロイド(Synthroid)は、レボチロキシンの商品名である。
レボチロキシン(Levothyroxine)またはL-チロキシンは、甲状腺ホルモンの1つであり、T4との略称を持つ。医薬品としては甲状腺機能低下症の治療に用いられたり、甲状腺癌の予防に用いられる事もある。不斉炭素を1つ持つ化合物であり、自然に存在するチロキシンと同じくL-型である。(レボチロキシン – Wikipedia)
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「甲状腺機能低下症」とはどのような病気ですか
甲状腺はのどぼとけの下にある蝶(チョウ)が羽を広げた形をした臓器で、甲状腺ホルモンというホルモンを作っています。このホルモンは、血液の流れに乗って心臓や肝臓、腎臓、脳など体のいろいろな臓器に運ばれて、身体の新陳代謝を盛んにするなど大切な働きをしています。甲状腺ホルモンが少なすぎると、代謝が落ちた症状がでてきます。甲状腺機能低下症|一般の皆様へ|日本内分泌学会
米国では、シンスロイド(Synthroid)は、毎日、約800万人の甲状腺患者に摂取されていた。米国の市場規模は約6億ドル(約600億円)だった。 → 1996年4月25日のラルフ・キング・ジュニア記者(Ralph T. King Jr.)の「Wall Street Journal」記事・保存版:Stephen Loeschner Red_pen7
摂取方法の動画がいくつもある。以下はその1つ。
日本の甲状腺ホルモン摂取者は約45万人(以下)。
本邦における甲状腺疾患の罹患数は500~700万人で、そのうち治療が必要な患者は約240万人と推計されます1)。しかしながら、実際に治療を受けているのは厚生労働省平成26年患者調査(平成26年10月単月)で約45万人と報告されており、未治療の患者が多く存在しているのが現状です。(甲状腺疾患啓発・検査推進運動|日本甲状腺学会、保存版)
★事件の概略
1987年、チロキシン(thyroxine)のジェネリック代替品であるシンスロイド(Synthroid)を製造していたブーツ医薬社(Boots Pharmaceuticals Inc.)は、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の研究者であるベティ・ドン(Betty Dong、写真出典)に25万ドル(約2500万円)の研究助成金で製品比較の臨床試験を依頼した。
シンスロイド(Synthroid)が他社製品より優れているという結果を期待していたブーツ医薬社とベティ・ドンの両方にとって、臨床試験の結果は驚くべき結果だった。
当時入手可能な3つの安価な競合品と比べ、ブーツ医薬社のシンスロイド(Synthroid)は同じ効能だったのだ。
ベティ・ドンが臨床試験の結果を論文として発表しようと権威ある医学・学術誌「JAMA(Journal of American Medical Association)」に投稿した。
論文投稿に話を聞いたブーツ医薬社は、結果が発表されると自社製品の売り上げが落ちるので、ベティ・ドンに論文原稿を撤回するよう伝え、論文を発表したら、法的に訴えると脅した。
ベティ・ドンは、脅迫を受けて、投稿原稿を撤回した。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)は状況を伝えられていたにもかかわらず、この時、ベティ・ドンを支援せず、研究公正を保つことをしなかった。
その後、ブーツ医薬社の幹部は、法的措置と脅かしながら、ベティ・ドンを除外した論文を1995年に発表した(以下)。この論文は、臨床結果の不正確なバージョンである。
- Limitations of Levothyroxine Bioequivalence Evaluation: Analysis of An Attempted Study.
Mayor GH, Orlando T, Kurtz NM.
Am J Ther. 1995 Jun;2(6):417-432.
それでも、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)は沈黙していた。
1996年4月25日、上記の異常な状況を「Wall Street Journal」新聞のラルフ・キング・ジュニア記者(Ralph T. King Jr.)が事件として詳細に報道した。
臨床試験が終了してから7年後、ベティ・ドンの論文は発表された。以下の「1997年4月のJAMA」論文である。
- Bioequivalence of generic and brand-name levothyroxine products in the treatment of hypothyroidism.
Dong BJ, Hauck WW, Gambertoglio JG, Gee L, White JR, Bubp JL, Greenspan FS.
JAMA. 1997 Apr 16;277(15):1205-13.
1997年11月、ブーツ医薬社(当時はクノール医薬社(Knoll Pharmaceuticals))は、同社が消費者をだましたと非難する数十件の訴訟を解決するために約1億ドル(約100億円)を支払うことになった。
一方、臨床試験の正しい結果発表を7年間遅らせた間に、同社はシンスロイド(Synthroid)の販売で30億ドル(約300億円)の利益を上げていた。
ブーツ医薬社(当時はクノール医薬社(Knoll Pharmaceuticals))の1986年~2001年の社長はカーター・エッカート(Carter Eckert、写真・経歴出典)だったが、エッカートはこの事件で起訴されることはなかった。
★重複するが、少し詳しく
1987年、ベティ・ドンはレボチロキシン(Levothyroxine)の臨床研究を始めた。
米国の約800万人の甲状腺機能低下症患者に、ホルモン補充療法で投与するレボチロキシンの4つの製品を比較した。
4つの製品のうちの1つは、シンスロイド(Synthroid)(商品名)だった。シンスロイド(Synthroid)は、米国で3番目に広く処方されていた。
ベティ・ドンはシンスロイド(Synthroid)の当時の製造元であったフリント研究所(Flint Laboratories)と契約を結び、甲状腺機能低下症の22人の女性患者を対象にシンスロイド(Synthroid)と他の3つのレボチロキシンを比較する臨床試験を行なった。
ベティ・ドンが研究費を受け取ったとき、彼女は製薬会社の明示的な許可なしに調査結果を公表しないという書類に署名していた。この契約は当時、普通だった。
1990年、ベティ・ドンのチームは臨床試験を終えた。試験の結果では、4つの医薬品の効果はほぼ同じだった。つまり、より安価なジェネリック医薬品が、シンスロイド(Synthroid)や別のブランドであるレボキシン(Levoxine)と同じ薬効だったのだ。
その結果をフリント研究所(Flint Laboratories)の後続会社であるブーツ医薬社(Boots Pharmaceuticals)に送信した。
ブーツ医薬社は、ベティ・ドンの臨床試験結果が発表されると自社製品の売り上げが落ちるので、ベティ・ドンの論文発表を阻止する方策を練った。
単純に「発表するな」では筋が通らない。
それで、ベティ・ドンの臨床試験研究に欠陥があると主張する戦略にでた。
ブーツ医薬社は、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)・学部長に研究の欠陥を指摘した。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)は、調査委員会を設けて調査した。
調査委員会は、ベティ・ドンの臨床試験研究は契約に完全に準拠した方法で厳密に実施されていたと結論した。
しかし、ブーツ医薬社は、他にも、さまざまな妨害工作を続けた。
ブーツ医薬社の欠陥指摘と妨害工作は、臨床試験結果の発表を遅らせる戦術だと、ベティ・ドンは理解した。
1994年4月、それで、ベティ・ドンは臨床結果をまとめ、論文原稿を権威ある医学・学術誌「JAMA(Journal of American Medical Association)」に投稿した。
5人の専門家による徹底的な査読を経て、学術誌「JAMA」は1995年1月25日号にベティ・ドンの論文を掲載するとベティ・ドンに伝えてきた。
1995年1月、ベティ・ドンの論文が印刷業者に送られる前の夜、しかし、ベティ・ドンはカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの電話で、論文を撤回するよう命じられた。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校の弁護士は、ベティ・ドンが署名した契約で、論文出版が妨げられることは決してないと、以前は保証していた。
しかし、その時と状況が変わり、カリフォルニア大学サンフランシスコ校は、この時、財政的な危機に瀕していた。また、上記の保証をしてくれた弁護士の解雇が検討されていた。
それで、ブーツ医薬社に訴訟を起こされた場合、カリフォルニア大学サンフランシスコ校は、ベティ・ドンを擁護しきれないと伝えてきたのだ。
それでベティ・ドンは論文掲載を断念した。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校・教授で学術誌「JAMA」の副編集長のドラモンド・レニー(Drummond Rennie – Wikipedia、写真 By Edmond J. Safra Center for Ethics – 2.16.12, CC BY 2.0, 出典)は、「アメリカ甲状腺協会(American Thyroid Association)はこの事件で、研究公正について何も役割を果たさなかった。製薬会社からカネをもらっているために、不正に目をつぶったという悲しい印象を残しました。カリフォルニア大学サンフランシスコ校、ブーツ医薬社(Boots Pharmaceuticals)、食品医薬品局は、すべて、この時、研究公正に背く言動をしたのです」と批判した。
状況を知った学術誌「JAMA」は、後に、適切に論文出版しなかったことをベティ・ドンに謝罪した。
レボチロキシンのブランドであるシンスロイド(Synthroid)やレボキシン(Levoxine)の代わりにジェネリック薬を処方した場合、米国は、毎年3億5000万ドル(約350億円)以上が節約されていた。
ただ、一部の患者にとっては、ブランド医薬品がジェネリック医薬品よりも優れている可能性はある。
●4.【白楽の感想】
《1》ネカトした方が得
臨床研究の結果、自社製品に不利な結果が出たらどうするか?
ブーツ医薬社事件では、ブーツ医薬社(Boots Pharmaceuticals Inc.)は隠蔽工作に走った。
そして、結局、1997年11月、ブーツ医薬社(当時はクノール医薬社(Knoll Pharmaceuticals))は、数十件の訴訟を解決するために約1億ドル(約100億円)を支払った。
しかし、自社製品に不利な臨床研究の発表を7年間を遅らせた間に、シンスロイド(Synthroid)の販売で30億ドル(約300億円)の利益を上げていた。
会社の幹部は起訴されなかった。
「ワルが勝った」事例である。
このような事例が前例になり、前例が次の前例を作り、積み重なってきた黒歴史がある。
「不正してでも儲かればよい」というビジネス・モデルだ。
「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」(鄧小平)
日本の企業は検査データ改ざんや産地偽装が発覚すると陳謝し、二度としませんと頭を下げるが、実際は、それで儲かっている。
結局、不正行為の処罰を、本当に損をさせる仕組みに変えなければ、黒歴史が続く。この問題は解決しない。
不正行為と糾弾するだけではなく、実質的に大損する処罰にしないと、ネカトは減らないだろう。
今後、「ワルが勝った」事例を作ってはならない。
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日本がスポーツ、観光、娯楽を過度に追及する現状は日本の衰退を早め、ギリシャ化を促進する。日本は、40年後に現人口の22%が減少し、今後、飛躍的な経済の発展はない。科学技術と教育を基幹にした堅実・健全で成熟した人間社会をめざすべきだ。科学技術と教育の基本は信頼である。信頼の条件は公正・誠実(integrity)である。人はズルをする。人は過ちを犯す。人は間違える。その前提で、公正・誠実(integrity)を高め維持すべきだ。
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●5.【主要情報源】
① :Boots Pharmaceuticals – Boots
② ○1996年4月25日のラルフ・キングJr.(Ralph T. King Jr.)記者の「Wall Street Journal」記事・保存版:Stephen Loeschner Red_pen7
③ 1996年7月26日のドロシー・ジンバーグ(Dorothy S. Zinberg)記者の「Science」記事:Scifraud-1996: A Cautionary Tale
④ 1997年4月16日のトーマス・モーII(Thomas H. Maugh II)記者の「Los Angeles Times」記事:Drug Firm Suppressed Test Data for Years, Doctors Say – Los Angeles Times 、(保存版)
⑤ 1997年4月16日のトーマス・モーII(Thomas H. Maugh II)記者の「New York Times」記事:Drug Firm, Relenting, Allows Unflattering Study to Appear – The New York Times
⑥ ○1998年xx月xx日のアレックス・チェルナフスキー(Alex Chernavsky)記者のブログ記事:1998年の『Blaming the Brain: The Truth About Drugs and Mental Health』の276-279頁の抜粋:The Betty Dong Affair
⑦ 2008年9月10日のオーブリー・ブルムソン(Aubrey Blumsohn)記者の「Scientific Misconduct Blog」記事:Scientific Misconduct Blog: Betty Dong Redux (from Boots to GlaxoSmithKline)
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