ウィリアム・マクブライド(William McBride)(豪)改訂

2018年9月1日掲載

ワンポイント:【長文注意】。1961年、マクブライド(34歳)は、オーストラリア・シドニーのクラウン・ストリート女性病院(Crown Street Women’s Hospital)の産科医の時、催眠鎮静薬・サリドマイドが奇形形成を引き起こすことを世界で最初に警告し、一躍、世界で有名になった。しかし、1982年(55歳)、「41財団研究所(Foundation 41)」・医学部門長の時、ネカト論文(「1982年のAust J Biol Sci.」論文)を発表してしまった。1988年11月(61歳)、財団41研究所・調査委員会は、データ改ざんと結論し、マクブライドを解雇した。1993年(66歳)、ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所は、マクブライドの医師登録を5年間停止した。2018年6月27日、栄光と挫折の研究人生を終え、永眠した(享年91歳)。国民の損害額(推定)は100億円(大雑把)。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】

141128 164624-174532bc-ec51-11e3-82c4-4cab92387936[1]

ウィリアム・マクブライド(William McBride、写真出典)は、オーストラリア・シドニーのクラウン・ストリート女性病院(Crown Street Women’s Hospital)の産科医だった。

1961年(34歳)、サリドマイド(thalidomide)は、自然な眠りが得られ、安全性が高いと宣伝され、つわりの時に飲む催眠鎮静薬とされていた。マクブライドは、サリドマイド(thalidomide)による奇形形成を見つけ、世界で最初に警告し、オーストラリア、そして世界のサリドマイド被害の増大を防いだ。オーストラリアのヒーロ-医師で、世界的に有名な医師になった。

1962年(35歳)、オーストラリア賞(Australian of the Year)を受賞した。

1971年(44歳)、医療団体「41財団研究所(Foundation 41)」を創設し、そこで医療と研究を行なった。

1982年(55歳)、ヒーロ-医師として称賛されてから21年後、なんと、ネカト論文(「1982年のAust J Biol Sci. 」論文)を発表してしまった。

1982年(55歳)、研究ネカトは直ぐに発覚したが、財団41研究所・調査委員会はシロと結論した。

1987年(60歳)、しかし、メディアが研究ネカトを報道し、財団41研究所は調査委員会を再度発足させた。

1988年11月(61歳)、財団41研究所・調査委員会は、結局、マクブライドの「1982年のAust J Biol Sci. 」論文にデータ改ざんがあったと結論し、マクブライドを解雇した。

1993年(66歳)、ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所はマクブライドがデータ改ざんしたと結論し、医師登録を停止した。なお、5年後の1998年(71歳)、医師登録は回復した。

このように、30代前半でオーストラリア及び世界のヒーロ-医師になり、21年後の50代、一転して、クズ研究者に落ちぶれた。オーストラリアは困惑したに違いない。

2001年(74歳)、それでも、30代前半の大発見で、「20世紀に最も影響力のあった100人のオーストラリア人」に選ばれた(The most influential Australians – smh.com.au)。

2018年6月27日、永眠。享年91歳。
→ ①:Dr William McBride obituary | Register | The Times、②:William McBride, doctor who exposed dangers of thalidomide, dies – ABC News (Australian Broadcasting Corporation)

141128 Womens_hospital_albion_street[1]シドニーのクラウン・ストリート女性病院(Crown Street Women’s Hospital)。1893年創立、1983年閉鎖。写真出典

  • 国:オーストラリア
  • 成長国:オーストラリア
  • 医師免許(MD)取得:オーストラリア・シドニー大学
  • 研究博士号(PhD)取得:なし
  • 男女:男性
  • 生年月日:1927年5月25日
  • 没年月日:2018年6月27日、享年91 歳
  • 分野:産科学
  • 最初の不正論文発表:1982年(55歳)
  • 発覚年:1982年(55歳)
  • 発覚時地位:オーストラリアの財団41研究所・医学部門長
  • ステップ1(発覚):第一次追及者は研究助手のフィリップ・バーディ(Vardy PH、男性)とジル・フレンチ(French J、女性)で、財団41研究所に内部通報した。財団41研究所は最初、シロと結論した。4年後、オーストラリア放送協会(ABC)の医科学記者・ノーマン・スワン(Norman Swan)に訴えた
  • ステップ2(メディア): オーストラリア放送協会(ABC)の医科学記者・ノーマン・スワン(Norman Swan)
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①財団41研究所・研究諮問委員会・1回目調査。1982年の調査では不正なしと結論。②財団41研究所・研究諮問委員会・2回目調査。1988年7月~1988年11月。調査期間は4か月間。③ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所。
  • 研究所・調査報告書のウェブ上での公表:なし
  • 所属機関の事件への透明性:実名報道だが機関のウェブ公表なし(△)
  • 不正:改ざん。著者在順
  • 不正論文数:1報。撤回なし
  • 時期:研究キャリアの後期
  • 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)をやめた・続けられなかった(Ⅹ)。
  • 処分:研究所解雇。医師免許の登録取り消し5年間
  • 日本人の弟子・友人:不明

【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は100億円。内訳 ↓

  • ⑩損害額(大雑把):サリドマイドが奇形形成を引き起こすことを世界で最初に警告した。オーストラリアでのサリドマイド被害の増大を防いだヒーロ-医師で、世界的に有名な医師だった。その国民的ヒーロ-医師がネカトをした。そのことで、オーストラリアだけでなく、世界の学術界の権威・公正・信頼を失墜させた損害は大きい。損害額は100億円(大雑把)。

●2.【経歴と経過】

  • 1927年5月25日:オーストラリアで生まれる
  • 1949年(22歳):オーストラリア・シドニー大学・医学部卒業、医師免許
  • 1949年(22歳):英国のロンドン大学(University of London)・研修医(?)
  • 1955年(28歳):オーストラリア・シドニーのクラウン・ストリート女性病院(Crown Street Women’s Hospital)、産科医に就職
  • 1961年(34歳):サリドマイドによる催奇形性を世界で最初に警告・報告
  • 1971年(44歳):医療団体「41財団研究所(Foundation 41)」を創設
  • 1982年(55歳):不正研究論文を発表
  • 1982年(55歳):不正研究が発覚するが、調査委員会はシロと結論した
  • 1987年(60歳):不正研究がメディアで報道される
  • 1988年7月(61歳):財団41研究所は調査委員会を再度発足させる
  • 1988年11月(61歳):財団41研究所の調査委員会がマクブライドの1982年論文にデータ改ざんがあったと結論した
  • 1988年11月(61歳):財団41研究所はマクブライドを解雇
  • 1993年(66歳):ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所がマクブライドがデータ改ざんしたと結論し、医師登録を停止
  • 1998年(71歳):医師登録が回復
  • 2001年(74歳):「20世紀に最も影響力のあった100人のオーストラリア人」に選ばれた
  • 2018年6月27日(91歳):死亡

●3.【動画】

【動画1】
2018年6月29日、2018年6月27日に死亡したのを受けたニュース:「7 News Melbourne」記事に動画がある(英語)1分24秒。
以下のサイトの動画画面をクリックする。
→ William McBride, the Australian doctor… – 7 News Melbourne

【動画2】
2018年6月29日、「ABC News」記事に動画がある(英語)3分37秒。
2018年6月27日に死亡したのを受け、ノーマン・スワン(Norman Swan)が解説した(辛口)。以下のサイトの動画画面をクリックする。
→ Dr William McBride: The flawed character credited with linking thalidomide to birth defects – Health – ABC News

●4.【日本語の解説】

★2015年xx月xx日:長崎大学医学部・創薬科学・池田正行・教授(Masayuki Ikeda M.D.):サリドマイド問題における報道の検証
ー医薬品副作用被害の「原点」の本質ー

出典 → ココ

秀逸である。少し長いが、関連部分を引用した。リンク切れもあるが、そのままにした。

マクブライドの警告も黙殺された

オーストラリアの産科医ウィリアム・マクブライド(William McBride)は,1961年12月16日,世界で最初に公開学術文書(ランセット論文)でサリドマイドの催奇形性を報告したが,実は口頭による企業の警告でも,レンツよりもさらに早く,1961年6月に,オーストラリア・ニュージーランドでサリドマイドを販売していたDistillersの当時の幹部William Pooleに対し電話で警告したのだが,その警告は黙殺され,Distillersはその後半年以上にわたって,サリドマイドを有効で安全な薬として売りまくり,政府に対して保険償還を働きかけてさえいたのである.(Company knew risk of thalidomide six months before it was pulled, says book 2015.5.24 The Guardian

マクブライドの名前が消えたわけ

サリドマイドの副作用被害が語られる時、必ず出てくるのがケルシーとレンツである。もう一人の功績者、レンツとは独立して、ほぼ同時期にサリドマイドの副作用を報告したウィリアム・マクブライド(McBride, W.G.: Thalidomide and congenital abnormalities, Lancet 2:1358 (Dec. 16) 1961)の名前が消えてしまった理由をご存じの方は、ケルシーの名前をご存じの方よりも,もっと少ないだろう。

ランセットのレター1本で一躍ヒーローとなったマクブライドは、1962年、オーストラリア賞(Australian of the Year)を受賞し、その賞金と寄付金で、小児疾患を研究するFoundation 41という財団を創設した。しかし、その後の財団の業績ははかばかしくなかった。その中でも、とびきりはかばかしくなかった というか、結局10年後にマクブライドを転落させることになったのが、1982年にマクブライドが筆頭著者となってスコポラミンの催奇形性を報告した論文である(McBride WG, Vardy PH, French J. Effects of scopolamine hydrobromide on the development of the chick and rabbit embryo. Aust J Biol Sci. 1982;35(2):173-8)。マクブライドはこの論文も根拠にして、Bendectinに対する大規模な訴訟で原告側の証人となった.

Bendictin(後の米国での商品名はDiclegis。英国での商品名はDebendox)は,pyridoxineつまりビタミンB6と抗ヒスタミン剤であるdoxylamineの配合剤であり,1956年にFDAによって承認されていた.その効能効果はなんと,「つわり止め」! 1956年といえば,グリュネンタールがサリドマイドをドイツで販売開始する1年前,MerellがサリドマイドをFDAに承認申請する4年も前である。に催奇形性があるとして,Merrell Dowを相手取って起こされた膨大な数の訴訟の原告側の証人になったのである。

結局マクブライドの上記論文以外には、催奇形性の明確な科学的根拠がなかったのだが、Bendectin/Debendoxの製造販売企業であるMerrell Dowは、300以上の訴訟と、年間1000万ドルもの損失を抱え込むことになり、Bendectin/Debendoxは1983年に市場から一旦撤退に追い込まれた(Jane E. Brody SHADOW OF DOUBT WIPES OUT BENDECTIN New York Times June 19, 1983)。

マクブライドが筆頭著者となった上記論文がFoundation41の調査委員会からデータ改ざんと認定され、彼が財団から解雇されたのは、Bendectin/Debendoxの市場撤退から5年後の1988年11月だった。そして、ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所が、やはりデータ改ざんがあったとして、マクブライドの医師免許登録を停止したのは Bendectin/Debendoxの市場撤退から10年後の1993年だった(Nature. 1993 Feb 25;361(6414):673)(Thalidomide doctor’ guilty of medical fraud)。

このようなマクブライドの転落は,その後のオーストラリアのサリドマイド被害訴訟に重大な影響を与えたと思われる.というのは,サリドマイド被害訴訟が始まったのは,サリドマイド問題発生後,50年も経った2010年に始まり,2013年にようやく決着を見たからである.

私が彼の事績を検討して最も疑問に思ったのは以下の点である.後に捏造があると認定されたマクブライドの論文は,スコポラミンの催奇形性についてであった.一方,Bendectinの有効成分はpyridoxineつまりビタミンB6と抗ヒスタミン剤(H1ブロッカー)であるdoxylamineであって,スコポラミンとは全く違っている.そもそも,この根本的な点からしてマクブライドの主張は見当違い,今から考えるとどう見ても言いがかりとしか言えないような証人だったのだが,当時もそして今も,この肝心の点について言及した記事,論考は私が検索した限りでは見あたらない.もし,このあたりの経緯をご存じの方がいらしたら教えて頂きたい.

なお,彼の転落の経緯を語った日本語の資料はきわめて乏しいか、あるい正確性を欠いたものが多いので、詳細を正確に知りたい方は英語の記事を参照されたい。ここでは特定の資料を挙げることはしない。なぜなら、William Mcbride thalidomide Bendectin Debendoxで検索すれば、いくらでも出てくるのだから。

●5.【不正発覚の経緯と内容】

【研究】

★サリドマイド事件

サリドマイド事件は、日本を含め世界の重大事件なので、状況を把握しておこう(参考:①サリドマイド事件 – 日本の薬害・公害(Akimasa Net)、②Thalidomide)。

サリドマイド(thalidomide)は、1957年、西ドイツのグリュネンタール社が開発した催眠鎮静薬で、西ドイツでは「コンテルガン(contergan)」という名称で発売された。

自然な眠りが得られ、安全性が高いと宣伝され、つわりの時に飲む薬として妊婦にも処方され、世界46か国で販売された。しかし、その頃から四肢が異常な赤ん坊が生まれる頻度が高くなった。写真出典

サリドマイド被害者の写真は暗澹たる気持ちになるので、上記一枚だけアップしたが、たくさんある。 → thalidomide victim, – Google 検索

サリドマイド児出生数は、世界で約12,000人で、オーストラリアでは数百人だった。

★サリドマイド事件:ヒーロー・ヒロイン

サリドマイド薬害の拡大を防いだことで有名な医学者が世界で3人いる。

1人目のヒーローは、欧州では、ドイツ・ハンブルグ大学小児科・講師のウィドゥキント・レンツ(Widukind Lenz、写真出典)である。レンツがサリドマイド被害を指摘したヒーローになった。

141128 contergan208_v-TeaserAufmacher[1]ウィドゥキント・レンツは、奇形の赤ん坊が生まれる原因をサリドマイドの服用だと突き止めた。

さらに、サリドマイド販売4年後の1961年11月15日、ウィドゥキント・レンツは、妊婦がサリドマイドを服用すると奇形の赤ん坊が生まれると、医薬品会社に警告した。マスコミが報道し、レンツの警告の10日後には欧州各地で販売停止と回収が行われた。

2人目のヒーローは(ヒロインですが)、米国連邦政府・FDA(食品医薬品局)の審査官・フランシス・ケルシー(Frances Kelsey、薬理学者、医師)だった。

彼女は、サリドマイドの安全性に疑問を抱き、米国での販売を認可しなかった。お蔭で、米国ではサリドマイド被害者は他国に比べとても少なかった。サリドマイドを個人輸入し使用した人たちの数名が、被害者になっただけだった。

1962年、この功績で、ケネディ大統領から「顕著な連邦文民功労への大統領賞(President’s Award for Distinguished Federal Civilian Service)」がケルシーに授与された。

US National Library of Medicine (Images from the History of Medicine, A018057)。https://www.bmj.com/content/351/bmj.h4809

なお、ケルシーを批判する人もいる。「ケルシーは単に怠惰で、サリドマイド認可の作業をせず放置していただけだった」という記述があったが、ゴメン、白楽、出典を失念した。

★サリドマイド事件:ウィリアム・マクブライド

3人目のヒーローとして、ここでようやく本記事の主人公の登場になる。はいはい、オーストラリア・シドニーの産科医・ウィリアム・マクブライドである。

1961年4月(33歳)、マクブライド医師は、患者の中に、奇形の赤ん坊が異常に増えたことから、その原因がサリドマイドだと独自に突き止め、オーストラリアでサリドマイドを販売していたディスティラー社(Distillers Company)に警告した。

「この8週間に4人の死産の赤ん坊がありました。 1人の赤ちゃんは6本指で、1人は指が互いに結合していて、1人はつま先が奇形でした」

ディスティラー社はマクブライド医師の警告を無視した。

それで、1961年7月にも再度、警告した。

それでも、ディスティラー社はマクブライド医師の警告を無視し、サリドマイドの販売をし続けた。

1961年7月(34歳)、薬害の拡大を防ぐため、マクブライドは著名な医学誌「ランセット」に、サリドマイドによる催奇形性の論文原稿を投稿した。しかし、論文は不採択になった。

仕方なしにレター(短い論文)で投稿した。

1961年12月16日(34歳)、医学誌「ランセット」は、マクブライドのサリドマイドによる催奇形性のレターを掲載した。

なお、サリドマイドで赤ちゃんの四肢が欠損することに最初に気が付いたのは、実際は、マクブライド医師と共に働いていたクラウン・ストリート女性病院の看護師・シスター・スパロウ(Sister Sparrow、スパロウ修道女?、スパロウ姉妹?)だと言われている(https://www.youtube.com/watch?v=TKCqMMEEboE)。シスター・スパロウは何ら顕彰をうけていない。

マクブライド医師の「ランセット」論文は、1961年12月16日発表である。ウィドゥキント・レンツが警告を発したのは、1961年11月15日なので、マクブライド医師の「ランセット」論文の出版日は、レンツの警告の翌月だった。

ところが、マクブライド医師がディスティラー社に警告したのは1961年4月で、レンツよりも早かった。

ウィドゥキント・レンツは、ウィリアム・マクブライドが世界で最初に警告したことを認めている。

ウィリアム・マクブライドは、この警告と「ランセット」論文で、翌1962年、オーストラリア賞(Australian of the Year)を受賞した。オーストラリアの、そして世界のサリドマイド被害の増大を防いだのである。

なお、マクブライド医師の警告を無視したディスティラー社は(本社は英国)、サリドマイド訴訟で、英国の被害者に1973年に2千万ポンド(約28億円)、2009年にも2千万ポンド(約28億円)支払うよう裁判所の判決を受けている。

そして、日本には、残念ながら、ヒーローもヒロインもいなかった。いたのは、悪役とかわいそうな被害者だけだった。

1958年1月、大日本製薬(株)がサリドマイドを製造販売していた。レンツの警告は日本にもすぐに伝わったが、厚生省は、レンツの警告に「科学的根拠がない」とし、薬の販売停止と回収を指示せず、製薬会社はサリドマイドを販売し続けた。

西ドイツでの販売停止と回収から10か月も遅れた1962年9月に、ようやく販売停止と回収が行なわれた。そして、日本での被害者は正式に認定された赤ん坊数で309人に及んだが、実際のサリドマイド被害者数は1,000~1,200人と推定されている。

1961年当時の日本の有力な産科医、産科の大学教授には責任がある、と白楽は思う。

話しをウィリアム・マクブライドに戻す。

1971年(44歳)、ウィリアム・マクブライドは、オーストラリア賞の賞金と篤志家の支援で、赤ん坊の心身障害の原因を研究する私設の研究所「41財団研究所(Foundation 41)」を創設した。「41」の名称はヒトの通常妊娠期間の40週に1週を足した数字である。

サリドマイド論文から21年後の1982年、ディベンドックス (Debendox)という医薬品に催奇形性があるという論文を発表した。サリドマイドの催奇形性を世界で最初に発見した成功体験が身に沁みついて、別の医薬品の催奇形性の発見をもたらしたのである。

しかし、論文発表直後から共著者に研究ネカトと指弾された。

調査委員会は一度、問題なしと結論したが、数年後、メディアに取り上げられ、再調査の結果、1988年11月、ウィリアム・マクブライドにデータ改ざんがあったと判定した。

また、論文発表の11年後の1993年、裁判所でも、データ改ざんがあったと判定された。

以下、ネカト事件を詳しく見ていこう。

ウィリアム・マクブライド(William McBride)https://www.theaustralian.com.au/news/inquirer/william-mcbride-paid-the-price-of-taking-on-pharmaceutical-giants/news-story/0a871168a10c163caeed93db96e9116e

【不正発覚の経緯と顛末】

★「財団41研究所(Foundation 41)」

1961年(33歳)、ウィリアム・マクブライド(William McBride)は、サリドマイドによる奇形形成を世界で最初に発表し、世界的に有名になった。

33歳でオーストラリアのヒーローで、世界的に有名になった。医師としての経験も少なく、研究の訓練は受けていなかった。しかし、サリドマイドの催奇形性を世界で最初に発見した成功体験が、逆に、その後の研究人生を暗転させたのである。

1971年(44歳)、ウィリアム・マクブライドは、オーストラリア賞の賞金と篤志家の支援で、赤ん坊の心身障害の原因を研究する私設の研究所「財団41研究所(Foundation 41)」を創設した。

★スコポラミンの先天的欠損症

ウィリアム・マクブライド(William McBride)https://alchetron.com/William-McBride-(doctor)

1980年(53歳)、マクブライドは、財団41研究所の2人の若い研究助手であるフィリップ・バーディとジル・フレンチに研究の指導をしていた。研究課題は、ウサギの胚発生でのスコポラミンの影響だった。

スコポラミン臭化水素(scopolamine hydrobromide、別名、ピリドキシン、ビタミンB6)は、妊婦がつわりで吐き気がする時に飲む薬のディベンドックスと化学的に類似の物質である。ディベンドックス (Debendox、米国では当時ベンデクティンBendectin、現在Diclegis)は、米国のメリル・ダウ社(Merrell Dow)が開発販売している医薬品だった。

1982年(55歳)、マクブライドは、スコポラミン(=ディベンドックス)がウサギ胎児に先天的欠損症を引き起こすという「1982年のAust J Biol Sci.」論文を発表した。

論文は25ページからなり、24羽のウサギが実験に使用された。8羽は普通に飼育され、8羽はスコポラミンが注射され、残りの8羽は飲料水にスコポラミンを入れる方法で摂取させた(主要情報源⑤を参考にした)。

妊娠22週目にウサギを殺し、胎児に奇形形成が起こっているかどうかを検査した。

注射した8羽は奇形がなかったが、飲ませた8羽の内、1羽の胎児の眼、そして、もう1羽の胎児の脳が奇形だった。

★ネカト発覚

「1982年のAust J Biol Sci.」論文の共著者であるフィリップ・バーディ(Vardy PH、男性)とジル・フレンチ(French J、女性)は、論文別刷りを受け取り、自分たちが共著者になっていることを初めて知って、驚いた。共著者になることの打診もなく論文の共著者になっていたからである。

また、論文のデータが自分たち出したデータとは異なっていたから、さらに、驚いた。

データは改ざんされ、スコポラミンがウサギの胎児形成に悪い影響を及ぶすという内容になっていたのである。

フィリップ・バーディ(男性)とジル・フレンチ(女性)の元データでは、スコポラミンを飲ませたウサギは8羽ではなく6羽だった。しかも、胎児は奇形ではなく正常だった。

1982年9月(55歳)、フィリップ・バーディはマクブライドに抗議したが無視された。ジル・フレンチは、嫌気がさして、財団41研究所を辞めてしまった。

1982年11月(55歳)、フィリップ・バーディから相談を受けた財団41研究所の7人の研究員は、バーディの申し立て内容が重要だと考え、財団41研究所の研究諮問委員会に公益通報した。

研究諮問委員会の最初の会合で、マクブライドはフィリップ・バーディとジル・フレンチに、共著者になることの了解をとらなかったことを認めた。また、8羽の内の2羽は実験中に死んだのを加えたと説明した。改ざんと指摘されたスコポラミンの濃度は、飲み水容器から水漏れがあって、医薬品の濃度を濃い目に計算したので、スコポラミンの濃度を「再計算」したと説明した。

以上の説明を受け、研究諮問委員会は、マクブライドにデータ改ざんはなかったと結論した。

マクブライドに問題なしとした日、フィリップ・バーディは財団41研究所を辞職した。

そして、「マクブライドに問題はなかったと結論した」翌日、公益通報した財団41研究所の7人の研究員は、財団41研究所から解雇された。マクブライドの報復人事だが、汚いことに、解雇の理由は、「研究所の財政難」とされた。

1983年7月(56歳)、フィリップ・バーディとジル・フレンチは、論文の出版元「Aust J Biol Sci.」の編集長に「論文内容は私たちの実験ノートと異なります。自分たちの名前を共著者から外してほしい」と手紙を書いた。

しかし、学術誌「Aust J Biol Sci.」はその要望を無視した。

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★ノーマン・スワン(Norman Swan)

月日が経ち、「マクブライドにデータ改ざんはなかったと結論」された4年後の1987年暮れ、フィリップ・バーディとジル・フレンチは、オーストラリア放送協会(ABC)の医科学記者・ノーマン・スワン(Norman Swan、写真出典)に事の顛末を聞いてもらった。

ノーマン・スワンは、小児科医からジャーナリストに転身した人で、後にオーストラリアの傑出した医科学ジャーナリストとして認められた人である。

1987年12月7日(60歳)、ノーマン・スワンは事件を掘り起こし、マクブライドを糾弾するキャンペーンを開始した。スワンはこの報道で、1988年ベストドキュメンタリー賞を受賞した(Australian Writers’ Guild Award for best documentary and a Gold Walkley)。
(①:Norman Swan, “The Man Who Stopped Thalidomide Accused of Fraud”, Sydney Morning Herald, 14 December 1987, pp. 1, 4; 、②:Bernard Lagan, Malcolm Brown and Wanda Jamrozik, “Dr McBride’s Rise and Falter: From Fame to Controversy”, Sydney Morning Herald, 19 December 1987, pp. 8-9.)

スワンの報道に対して、最初、財団41研究所とマクブライドはスワンの報道内容を否定した。

1988年7月(61歳)、しかし、財団41研究所は、メディアの圧力に負け、調査委員会を再度、発足させた。

1988年11月2日(61歳)、財団41研究所は、結局、マクブライドは「1982年のAust J Biol Sci.」論文でデータ改ざんしたと結論した(Harry Gibbs, Robert Porter and Roger Short, Report of Committee of Inquiry concerning Dr. McBride (Sydney: Foundation 41, 1988))。

そして、財団41研究所は、マクブライドのすべての地位・職を解いた。

寄付で成り立っていた財団41研究所は、この不祥事で寄付が集められなくなり、組織を縮小し、間もなく閉鎖に追い込まれた。なお、1999年のマクブライドの論文では所属が財団41研究所となっているので、1999年時点では、財団41研究所は存在していた。

★泣きっ面にハチ

オーストラリア奇形学会(Australian Teratology Association)・会長のビル・ウェブスター(Bill Webster)はマクブライドを批判している。

「私が知っている限り、財団41研究所はロクな研究成果をあげていなかった。… 率直に言えば、財団41研究所の実績は非常に期待外れだった。彼らは莫大な政府の資金とサポートを得たにもかかわらず、先天的障害の研究ではロクな研究成果をあげていなかった」(出典:主要情報源⑦)

多数の患者が訴訟を起こし、ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所が調査を開始した。

1993年(66歳)、ニュー・サウス・ウェールズ医療裁判所の裁判官・ブライアン・ウォール(Brian Wall)は、調査の結果、マクブライドがデータを改ざんしたと結論し、オーストラリアの医師登録を停止した。

5年後の1998年 医師登録は回復された。

★名誉棄損と裁判

1989年8月12日(62歳)、シドニーの新聞「Sydney Morning Herald」の記者・ノーマン・スワンが、「マクブライドは他の研究も自分の研究だと主張(McBride claimed another’s research as his own)」という記事を書いた。

この記事を含め、ノーマン・スワンの一連の記事で、マクブライドは、記者のノーマン・スワンを名誉棄損と裁判に訴えた。

この裁判は、20年後の2009年3月27日 ニュー・サウス・ウェールス州最高裁判所のヘンリック・ニコラス裁判官(Henric Nicholas)のアドバイスに従い、ようやく示談が成立した。時に、ウィリアム・マクブライドは81歳だった。
→ 2009年3月28日のMichael Pellyの記事:William McBride hails end of affair | The Australian

●6.【論文数と撤回論文とパブピア】

2018年8月31日現在、パブメド(PubMed)で、ウィリアム・マクブライド(William McBride)の論文を「McBride WG[Author]」で検索した。1958年~1999年の42年間の52論文がヒットした。著名な研究者なのに論文数は少ない。

1961年12月16日のサリドマイドによる催奇形性の「ランセット」誌のレターは、レターのためかパブメドのリストに入ってこない。

2018年8月31日現在、「McBride WG[Author] AND retracted 」でパブメドの論文撤回リストを検索すると、0論文が撤回されていた。

★パブピア(PubPeer)

2018年8月31日現在、「パブピア(PubPeer)」ではウィリアム・マクブライド(William McBride)の論文にコメントがないPubPeer – Search publications and join the conversation.

ウィリアム・マクブライド(William McBride)https://www.thetimes.co.uk/article/william-mcbride-obituary-kwhfflh80

●7.【白楽の感想】

《1》ヒーローは危険

ウィリアム・マクブライドはオーストラリアのヒーローだった。

そういうヒーローは不正をしやすい傾向にある。というのは、周囲がヒーローをあがめるので、周囲も本人も「自分は全知全能で失敗しない」と思いこみやすい。謙虚になれない。誰もが糾弾しにくい。

ところが、一般的に、成功は、本人の能力というよりも、タイミングやウンが良かったという要素が大きい。「サリドマイドによる奇形形成」の発見はごく少数の研究者にしか訪れないタイミングやウンである。1960年代前半の産科医だったら、遅かれ早かれ、サリドマイドの薬害に気が付いただろう。マクブライドは早く気が付く場所にいたというウンの良さがあったのである。まあ、ウンも実力の内という見方もあるが・・・。

大発見はタイミングやウンよりも、本人の能力が大きく寄与するというなら、ノーベル賞受賞者は、研究費も人材もすべて、受賞前の条件より格段と良いのに、再度、ノーベル賞級の研究をすることはマズない(2度受賞者は少しいる)。つまり、ノーベル賞を受賞した大発見も本人の能力よりタイミングやウンが大きいのである。

幸運の女神は何度も微笑んでくれない。

ところが人間は、かつての成功経験と同じパターンを狙い、固執する。柳の下にドジョウが何匹もいない。墓穴を大きく掘ってしまうのである。人間は、自分の研究スタイルを変えられないのである。

本当のところ、人間は、同じ路線でガンバっても大きくは伸びない。別の方向へと変えなければ進歩はない。

同じ路線でガンバって失速した著名な研究者は、野口英世、アレクサンダー・フレミング(ペニシリンの発見者)、江橋節郎(トロポニンの発見者)など、枚挙にいとまがない。

ウィリアム・マクブライドも、同じ路線で失速した。

しかも、ウィリアム・マクブライドの場合、能力は人並みだった。人並みは褒め過ぎかもしれない。論文出版数とオーストラリア奇形学会・会長のビル・ウェブスター(Bill Webster)の批判から判断すると、人並み「以下」だったようでもある。

と批判したが、白楽は、ウィリアム・マクブライドの「サリドマイドによる奇形形成」の発見を素晴らしいと思う。ネカトで困惑したとはいえ、オーストラリアは自国の科学者をもっと顕彰すべきだ。

白楽は、2005年ノーベル生理学・医学賞受賞を受賞したバリー・マーシャル(Barry Marshall)の生まれ育った西オーストラリア州・カルグーリー(Kalgoorlie)を訪問したことがある。カルグーリーはさびれた田舎町だが、バリー・マーシャルのバの字もない。

町営の博物館(Kalgoorlie Museum、以下の写真は入口、2011年3月、白楽撮影)を訪問したが、バリー・マーシャルの功績を1つも展示していない。博物館員にバリー・マーシャルのことを聞いたが、「誰その人?」との返事だった。

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141128 nla[1]ウィリアム・マクブライド(William McBride)。絵画出典

●8.【主要情報源】

① ウィキペディア英語版:William McBride (doctor) – Wikipedia
② 国立オーストラリア図書館の「ウィリアム・マクブライド(William McBride)」の記録:McBride, William (1927-) – People and organisations – Trove
③ ◎1989年のブライアン・マーチン(Brian Martin)の「Thought and Action (The NEA Higher Education Journal), Vol. 5, No. 2, Fall 1989, pp. 95-102」への投稿原稿:Fraud and Australian academics
④ ◎1993年2月20日のロバート・ミリケン(Robert Milliken)の「The Independent」記事:‘Thalidomide doctor’ guilty of medical fraud: William McBride, who exposed the danger of one anti-nausea drug, has been disgraced by experiments with another, writes Robert Milliken in Sydney – World – News – The Independent
⑤ ◎1988年11月12日のジェーン・フォード(Jane Ford)とフランク・レッサー(Frank Lesser)の「New Scientists」記事『Senior drugs researcher resigns in disgrace』:New Scientist – Google ブックス
141128 71k3SJjtTQL[1] ⑥ 未読の書籍(邦訳なし)。1989年出版、ビル・ニコル(Bill Nicol)著『マクブライド:伝説の裏側(McBride: Behind the myth)』:McBride: Behind the myth: Bill Nicol: 9780642129925: Amazon.com: Books
⑦ 上記書籍⑥の要約:\Nicol, Bill. McBride: Behind the Legend. Crows Nest, NSW: Australian Broadcasting
⑧ 2018年6月28日、マクブライド死亡の「ABC News」記事:William McBride, doctor who exposed dangers of thalidomide, dies – ABC News (Australian Broadcasting Corporation)
⑨ サリドマイド事件:No Limits – is a film about Thalidomide, a drug made by Grunenthal which severely disabled thousands of babies in the 60’s and caused the worst pharmaceutical scandal in history.
⑩ 2018年7月2日、チャーリー・ピール(Charlie Peel)記者の「Australian」記事:William McBride paid the price of taking on pharmaceutical giants
⑪ ◎2018年7月18日、エイミー・リプリー(Amy Ripley)記者の「Sydney Morning Herald」記事:Doctor who alerted the world to the dangers of thalidomide(保存版)
⑫ 2018年7月15日、ニール・ジェンジンガー(Neil Genzlinger)記者の「New York Times」記事:William McBride, Who Warned About Thalidomide, Dies at 91 – The New York Times(保存版)
⑬ 旧版:2014年12月9日

★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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