1‐2‐2.なぜいけないのか? 研究ネカト

「研究ネカト」=「ねつ造」「改ざん」「盗用」=研究不正(Research Misconduct)」である。

序論

研究倫理(規範)に違反してなぜいけないのか?

ヒトとしての道にハズれ、不道徳だから。

イヤイヤ、研究倫理の「倫理」は、英語の「モラル(moral)」の意味の「道徳」「善悪」「良心」ではない。研究倫理の「倫理」は、英語の「エシッス(ethics)」で、「エシッス(ethics)」は特定の組織の規範という意味だから、研究倫理は、研究という職業をこなすにあたっての考え方・規則・対処法だ。

そういう研究規範に違反すると、どういう「コマったこと」が生じるのだろう。「コマったこと」が生じるために「いけない」だが、このあたりをしっかり考えている人は、不思議なことに、とても少ない。

多くの人は、「当然、いけない」と決めつけ、正面から理由を考えない。「不正」だから「いけない」というおかしな記述も多い。日本人の好きな(統治者に都合の良い)、「規則は守らなくていはいけない」論理である。

実のところ、「なぜいけないのか?」をしっかり考えないために、「何がいけないか?」「何をどうすべきか?」の具体策が的ハズレになっている。

「なぜいけないのか?」「何がいけないか?」「何をどうすべきか?」は3点セットなのである。

★「どのくらいの悪影響があるのか?」の大枠を、前章のを再掲する

  1. 悪い奴(個人・組織)ほど偉くなる、悪い奴ほど得をする
  2. 研究文書・発表の信頼性を下げる
  3. 研究者がお互いの信頼性を下げる
  4. 国・企業・国民が研究・研究者を信頼しなくなる
  5. カネ、モノ、ヒトの無駄が生じる
  6. 社会や個人に有害となる
  7. 特定の国だけでなく、悪影響は世界全体が平均的にこうむる

項目1~7の大半は研究ネカトに当てはまるが、以下、因果関係を追いながら、詰めていこう。

「ねつ造・改ざん」:なぜいけないのか?

★A. 「ねつ造・改ざん」で、悪い奴(個人・組織)ほど偉くなる、悪い奴ほど得をする

前章で記述したので省略する。

★B. 「ねつ造・改ざん」で、経済が減速する

「ねつ造・改ざん」すると → ①研究結果が再現できない。研究は、過去の成果に次の研究を積み上げることが多いが、積み上げられない → 研究文書・発表のデータの信頼性が下がる

①の結果→ ②研究者は、他人の研究文書・発表を信頼しにくくなる。積み上げ式の研究システムが非効率になる。カネ、モノ、ヒト(研究エネルギー、研究人材)の無駄が増える

②の結果→ ③知の蓄積速度が減速する。研究開発が減速し、関連産業が減速し、経済が減速する。学術出版業は衰退する

③の結果→ ④研究者・企業・国民の研究への信頼度を下げる。国・企業の研究投資が減額する。研究者になろうとする若者が減る。高等教育での研究者育成を縮小する。

③と④の循環。

この場合、どのくらい「ねつ造・改ざん」があると、どのくらい「③と④」が起こるのだろう? 「③と④」は対象が大きすぎるので、仮に「経済が減速する」だけに絞ろう。「経済が減速する」実測値あるいはシミュレ-ション値はあるのか? 白楽は見たことがない。

例えば、現在、深刻な「ねつ造・改ざん」が1%あるとしよう。これが1%増えて、2%になったら、どのくらい「経済が減速する」のだろう? 年間1兆円? それなら、1兆円未満の経費を投入して、2%まで増やさないようにしよう、という計画(動機、正当性)が成り立つ。

上記で、論文数の1%に深刻な「ねつ造・改ざん」があるとしたが、論文の70%が再現不能だったという報告がある(原典:M. Wadman(2013年7月31日):「NIH mulls rules for validating key results」 : Nature News & Comment、Nature 500, 14–16, 2013  doi:10.1038/500014a)。最大値として、論文数の70%に深刻な「ねつ造・改ざん」があると考えるのが現実的かもしれない。

仮に、深刻な「ねつ造・改ざん」が70%あったとして、これが10%増えて80%、あるいは10%減って60%に減ったら、どのくらい「経済が減速(加速)する」のだろう? 白楽はシミュレ-ション値を見たことがない。

★C. 「ねつ造・改ざん」で、個人に有害、関連企業は損得あり

「ねつ造・改ざん」すると → ①個人に有害となる。

例えば、医薬品・手術で「ねつ造・改ざん」があったとする。

(1)治療効果がないのに「ある」と「ねつ造・改ざん」されると、あるいは、その逆に、治療効果があるのに、「ない」と「ねつ造・改ざん」されると、治療された患者に健康被害、無駄な出費が起こる。一方、関連企業は不当に儲かる、あるいは、その逆に、損をする。

(2)治療に医薬品1mgが適量のところ10mgが適量と「ねつ造・改ざん」されたとすると、服薬した患者に死亡率や副作用が上昇するという健康被害が出る。適量が10倍多くなっても、医薬品が10倍の値段になるとは思えないが、仮に5倍としても、不必要な4倍の出費が起こる。逆に0.1mgが適量と「ねつ造・改ざん」されると、治療効果がなく、病気が治らないという健康被害が出る。無駄な出費にもなる。一方、いずれにせよ、使用医薬品を販売する製薬会社は不当に儲かる。

①の結果→ ②被害者がでるので、関連企業は評判を落とし、場合によると、健康被害に対する賠償金支払いの必要が生じる。

Aと同じようにBの悪影響度合いの実測値あるいはシミュレ-ション値はあるのか? 全体的な数値はないが、個々の例はある。一例をあげる。

英国の医師・ウェイクフィールド(Wakefield)が1998年「予防接種で自閉症になる」というとんでもない「ねつ造」論文を発表したことで、人々は予防接種を避けた。その為、2011年までに数万人の欧米人が麻疹(ましん、はしか)に感染した。例えば、フランスでは、2007年まで麻疹はほぼ根絶状態だったが、2008年から2011年の間に2万人が罹患した。(李啓充(り・けいじゅう)、2011年7月4日の「週刊医学界新聞」「第201回」)。

★D.なし
ABC以外に、「ねつ造・改ざん」で大きな悪影響をうける項目はないだろう。

「盗用」:なぜいけないのか?

★悪影響での「ねつ造・改ざん」と「盗用」の違い

「ねつ造・改ざん」はデータや結果の信頼性を著しく損なうが、「盗用」は、データや結果の信頼性を損なわない。もともとどこかの研究文書・発表に記載されたデータや結果を盗用してくるので、内容の信頼性はもともとの研究文書・発表と同じである。

「盗用」は、知的所有権の問題で、データや結果の所有者が本来得られる利益を横取りするという問題だ。所有者に対価を払わずに他人が取る。この場合、自分の研究文書・発表を「再発表(self-plagiarism)」は該当しない論理になるが、「再発表(self-plagiarism)」も「盗用」の1つのタイプと分類される場合が多いが、この「再発表(self-plagiarism)」では、所有者は同じなので、問題は少し異なる。

★A. 「盗用」で、悪い奴(個人・組織)ほど偉くなる、悪い奴ほど得をする

前章で記述したので省略する。

★B. 「盗用」で、カネ、モノ、ヒト(エネルギー、手間)が少し無駄になる

①研究文書・発表の大部分が「盗用」された場合、文書(論文や申請書)を審査するカネ、モノ、ヒト(エネルギー、手間)が無駄になる。論文なら、論文出版するカネ、モノ、ヒト(エネルギー、手間)、論文を読む方も、カネ、モノ、エネルギー、手間が無駄になる。ただし、この論理は、論文を読む側の人間がかなり重複しているという前提である。

②研究文書・発表の1部分が「盗用」された場合、研究のポイント部分が大きく盗用されれば、①と同じである。

①②の場合、どのくらい「盗用」があると、どのくらい悪影響があるのだろう? 悪影響度合いの実測値あるいはシミュレ-ション値はあるのか? 白楽は見たことがない。

研究論文の大部分を盗用する場合、1980年に発覚した有名な盗用事件のエリアス・アルサブティは、50~60論文をまるまる盗用したとされている。論文1報あたり50万円のカネ、モノ、ヒト(エネルギー、手間)が無断なったとして、被害額は2,500~3,000万円である。ただし、大部分を盗用する論文はマレである(1年に数報?)。

③研究文書・発表の1部分が「盗用」された場合、研究のポイント部分でなければ、カネ、モノ、エネルギー、手間はほとんど無駄にならない。

研究文書・発表の1部分が「盗用」された場合、元の論文が売れなくなる被害はないし、被害額はほぼゼロである。

★C. 「盗用」で、個人・社会に有害

①現在の知的財産システムを損なう。ただし、著作権法に違反する場合は、著作権法があるので、そこで処理できる。著作権法の不備はあるが、ここでは論じない。

②研究アイデアを不当に使用されると、優れた創意工夫をする意欲を増強させる環境が低下する。

③素人が、商品・サービスの販売に専門家の研究文書・発表の1部を盗用し、誤解を与える記述をすれば、それを信じた国民が損害を受ける。しかし、この場合、問題は、「盗用」行為そのものではない。

Cの「個人・社会に有害」の被害額をシミュレ-トしにくいが、こうみると、被害の度合いはかなり小さい。

★D.なし
ABC以外に、「盗用」で大きな悪影響をうける項目はないだろう。

【白楽の提言】

《1》基礎研究での「ねつ造・改ざん」はある程度認めるべき

「ねつ造・改ざん」は研究不正で単純に「悪」とされているが、「1‐3.ねつ造・改ざん」の部で述べるようにグレイ部分が大きく、実際の行為を的確に線引きするのは不可能である。

そして、基礎研究での「ねつ造・改ざん」は、応用開発研究での「ねつ造・改ざん」に比べ、個人への有害度は小さい。産業界での損失も小さい。

白楽の独自見解もあるが、研究における革新的な発見は「ねつ造・改ざん」の特性を内蔵している。なにか大きな新発見をするということは、「ねつ造・改ざん」と本質的に同じ作業過程を含む。そのような革新的な発見は基礎研究に多い。だから、基礎研究での「ねつ造・改ざん」はある程度認めたらどうだろう。

各学術団体は、自分の研究領域での「ねつ造・改ざん」の悪影響をシミュレ-トし、基準を設けて認めたらどうだろう。そうしないと、画期的な研究は出てこない。詳細の一部を拙著に書いたので再掲しない(白楽ロックビル(2011):『科学研究者の事件と倫理』、講談社)。

《2》 研究文書・発表で、「序論」、「材料と方法」は、他人の文章の多量コピペで良し。「盗用」の基準を変える

「盗用」は「盗む」とあり、いかにも「悪い」イメージを与える。小説、短歌などの文学では、表現や文章そのものが命なので、他人の文章を自分の作品のように発表・提出するのはマズイ。創造的価値を「盗む」行為で、小説、短歌など創作活動を破壊し、知的所有権を侵害している。

しかし、研究文書・発表は文学などの芸術とは異なるので、他人の文章や表現を盗用しても、データや結果を盗用しなければ、深刻な問題ではない。これは程度問題なのだが、基準を設けて認めるべきだ。

生命科学論文を例に具体的に考えよう。論文は、①論文タイトル、著者名、所属、②要約、③序論、④材料と方法、⑤結果、⑥考察、⑦参考文献、⑧図・表からなるのが一般的である。

このうち、「①論文タイトル、著者名、所属」は当然ながら、「③序論」「④材料と方法」「⑦参考文献」でさえ、表現としての創造的価値はどれほどあるだろうか?

生命科学の例を挙げれば、ウシの血液タンパク質Aの構造を世界で初めて決定し、論文を書いたとしよう。次に、マウスの同じ血液タンパク質Aの構造を決めて論文を書く時、「①論文タイトル、著者名、所属」「③序論」「④材料と方法」「⑥考察」「⑦参考文献」はほぼ同じだ。「②要約」「⑤結果」もほぼ同じ文脈でデータだけが少し違うことになる。

ウシ、マウスの次にヒトを材料に、別の研究者がヒト・血液タンパク質Aの構造を決定しても、「③序論」「④材料と方法」「⑥考察」「⑦参考文献」はほぼ同じで、「②要約」「⑤結果」もほぼ同じ文脈でデータだけが少し違う。こうやって人類社会の知が蓄積されるが、研究のアイデアも手法も同じで、文章も基本的に同じだ。そこには個性を反映した表現は、むしろ、ないことが科学論文としては推奨されている。研究者ごとに表現を変えなさいとするのには無理がある。

生命科学と限らず、科学・技術・学術の全分野でもいい。科学・技術・学術の研究発表(論文、特許、口頭発表など)では、大事なのは発見・発明であって、「新しい」「重要な」「役立つ」発見・発明が1、2、3であり、その他は4、5である。だから、研究発表では、「新しい」「重要な」「役立つ」かどうかで勝負してもらう。文章の類似性はどうでもいい。

「新しい」「重要な」「役立つ」発見・発明はどこに記述するか? 「⑤結果」「⑥考察」である。だから、ここに、「新しい」「重要な」「役立つ」発見・発明の記述がされる。「新しい」部分は、他人の文章の多量コピペでは書けない。その他の部分は、極端なハナシ、「新しい」「重要な」「役立つ」発見・発明の記述とさほど関係ない。だから、「③序論」、「④材料と方法」は、他人の文章を多量コピペ(100%近く利用)しても良いと考える。

例えば、「タンパク質の定量はローリー法で行ないました」という「④方法」の記載は、数パターンの書き方があるだけで、自分の言葉で書こうが、他人の文章を100%利用しようが、利用された先行論文には何も損害はない。その文章には、もともと創造的価値や生産的価値がないからだ。「盗られて」も何も損害がなければ、問題視する状況が異常である。なお、多量コピペ(100%近く利用)してもいいと書いたが、引用はする。行為は「盗用」行為でも、現在のルールでは、引用すれば「盗用」に該当しない。だから、少し長い文章なら引用すればよい(生命科学論文で現在その慣習がない)。

「①論文タイトル」は看板なので、全く同じタイトルだと識別できないので、全く同じにしてはいけない。短いので、盗用でなくても、たまたま偶然一致する可能性はある。しかし、過去に例があれば、避けるべきだ。査読者がわかれば注意すべきだ。「①論文タイトル」、全く同じでなければ、「盗用」でもかまわない。

発見・発明の記述では、「「③序論」、「④材料と方法」では、他人の文章を多量コピペ(100%近く利用)しても良い。但し、引用する」というルールに科学・技術・学術界がすればよかったのだ。「盗用」してはいけないのは論文の「⑤結果」「⑥考察」だけである。

科学・技術・学術界が、そういうルールを議論・検討しないから、文学での文章の盗用と同じ盗用のルールのママで現在に至っている。科学・技術・学術の研究成果の発表・提出では、白楽の提唱する盗用基準を適用しよう。

《3》研究での「再発表(self-plagiarism)」は、基準を設けて認める

基本的には「1‐2.盗用の部」の「再発表(self-plagiarism)」の章で論じるので、以下は要点のみ。

研究成果は、研究者個人の財産というより、発表した時点で、人類共通の財産になる。個人の権利を確保しておきたい場合は特許を申請する。特許を申請する・しないのいずれにしろ、研究者は、なるべく多くの機会を作り、新しい有益な知である自分の研究成果を多くの人々に活用してもらいたい。

だから、同じ研究成果をいろいろな学会で発表する。また、研究の1次情報(原著論文)を、2次情報(研究者向け解説記事)、3次情報(一般人向け啓蒙記事)にする。自分の研究文書・発表を同じ言語および異なる言語で「再発表(self-plagiarism)」でも発表する。

研究文書・発表を読む・聞く側の人間は、インターネット普及前はほとんど重複しなかった。特に、英語発表と日本語発表では重複はとても少なかった。インターネットが普及した現在、情報があふれていて、検索することができるが、それでも、メディアを変えることで自分の研究成果が多くの人々に伝わりやすい。

だから、研究での「再発表(self-plagiarism)」は、基準を設けて、もっと認めよう。「どのくらいの悪影響があるのか?」という視点で考えると、悪影響より良影響の方がズット大きい。

《4》教育での「盗用」は、基準を設けて認める

学部生・院生の実習レポート・授業レポート・卒業論文・修士論文、場合によると多くの博士論文も、学内文書・発表である。非営利であるし、学外で発表する研究ジャーナル論文などの学術出版とは異質である。教育で何かを学ぶ過程は以下の面がある。

学部生・院生の実習レポート・授業レポート・卒業論文・修士論文は習作である。現状の規則よりも緩やかにし、実質的に、‟盗用”を認めてよいと考えている。その理由は、これらの行為が、知的財産システムを破壊するとは思えないからだ。それに、‟盗用”的行為(つまり、「真似る」行為)は、学習上の必要なスキルだと考えている。「学ぶ=真似ぶ」であり、「習う=倣う」である。師は弟子にいちいち教えることをしていない。弟子は、師の考え・技・スタイルを‟盗ん”で育つのだ。(白楽ロックビル(2011):『科学研究者の事件と倫理』、講談社)

これら、学内文書・発表での「盗用」は、基準を設けて認めるべきだろう。基準は、
①上記《2》の適用。主要な部分が盗用されなければ良しとする。判断はカンニングと同じ。
②引用は必須とする。なお、引用すれば盗用ではないので、引用スキルを、卒業までに身につけさせる。
③間違えても数回(3回?)までは許容する。これは、一度で言われてもすぐに習得できない生徒・学生は多いからだ。