2015年1月30日掲載、2024年1月20日更新
ワンポイント:【長文注意】。2010年3月18日(50歳?)、研究公正局は、シアトルのワシントン大学(University of Washington)・助教授だったブロディが、9件の研究費申請書、数本の発表論文・投稿原稿・研究会発表、で15件のねつ造・改ざんをしていたと発表した。2110年3月18日から7年間の締め出し処分を科した。撤回論文は2報。ブロディは処分に納得せず、行政不服審査(Departmental Appeals Board)を申立てたが、却下された。今度は、米国・健康福祉省を被告として裁判所に訴えた。結局、2010年4月2日~2017年12月9日(50~57歳?)の7年間に3回も裁判所に訴え、3回とも敗訴した。国民の損害額(推定)は10億円(大雑把)。この事件は、白楽指定の重要ネカト事件である:ネカト者が、行政不服審査、その後、3回の訴訟で戦った珍しい例である。推定だが、まず、「大学のネカト調査不正」があった。それを、司法が大学に味方し、「司法がヘン」だったと思う。
ーーーーーーー 目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
9.主要情報源
10.コメント
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●1.【概略】
スコット・ブロディ(Scott Brodie、Scott J. Brodie)は、米国・シアトルのワシントン大学(University of Washington)・助教授で、エイズ研究者だった。
ブロディは、写真出典(リンク切れ)の右から2人目、または4人目である。他は、右からDavid Kolle、1人おいてAnna Wald、1人おいてCorey Casper。
2002年8月(42歳?)、データねつ造・改ざんが発覚した。
2010年3月18日(50歳?)、研究公正局は、発覚から8年後(とても遅いですね)、ブロディが、9件の研究費申請書、数本の発表論文・投稿原稿・研究会発表、で15件のねつ造・改ざんをしていたと発表した。
2010年3月18日から7年間の締め出し処分を科した。7年間はかなり重い処分である。
研究ネカト事件として見ると、ねつ造・改ざんは普通のありふれた内容だった。
しかし、ブロディはネカト調査に協力しないばかりか、以下のように、調査結果に対しても強く反発した。
- ワシントン大学の調査結果に異議を唱えた
- そして、研究公正局の調査結果にも納得せず、健康福祉省(HHS)に上訴し、行政不服審査(Departmental Appeals Board)に持ち込んだ
- さらには、合衆国連邦地方裁判所(United States District Court)でも争った。しかも、2010年4月2日~2017年12月9日(50~57歳?)の7年間に3度も訴訟を起こした。
ここまで抵抗するのは、かなり珍しい。
ブロディは、ネカト発覚後、ネカト調査、クロ判定、その後、行政不服審査、3回の裁判で敗訴、と人生の後半の15年間を苦渋の中で生きた。
しかし、これだけ抵抗したのには理由があるハズだ。
白楽の推定だが、まず、最初に行なわれたワシントン大学のネカト調査に不正(間違い?)があったと思う。調査で押収した証拠の保全や利用がいい加減だったと指摘されている。
白楽は、「大学のネカト調査不正」があったと推察した。それなのに、司法は大学に味方し、ブロディの訴えをまともに取り合わなかった。日本はハッキリそうだが、米国も「司法は大学の味方」の傾向がある。つまり「司法もヘン」だったと思う。
2022年1月15日(62歳)、ネカトとは関係ないが、ブロディはワシントン州の州間高速道路(Interstate Highway)を走行中、道路に侵入してきたヘラジカと衝突し、病院に運ばれたが、死亡した。 → 2022年1月18日記事 | Local News | kxly.com
ワシントン大学(University of Washington)・シアトル・キャンパス 写真出典(保存版)
- 国:米国
- 成長国:米国
- 医師免許(MD)取得:なし
- 獣医師免許(DVM)取得:ワシントン州立大学
- 研究博士号(PhD)取得:コロラド州立大学
- 男女:男性
- 生年月日:不明。仮に、1960年1月1日生まれとする
- 没年:2022年1月15日自動車事故で死亡。享年62歳
- 分野:ウイルス学
- 不正論文発表:1999年~2001年(39~41歳?)
- 不正論文発表時の地位:シアトルのワシントン大学・助教授
- 発覚年:2002年(42歳?)
- 発覚時地位:シアトルのワシントン大学・助教授
- 発覚:論文査読者が研究公正局へ公益通報
- ステップ1(発覚):第一次追及者は論文査読者(姓名確認できず)で、研究公正局へ公益通報
- ステップ2(メディア):
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①ワシントン大学調査委員会(3人、委員長は同大学・比較医学科長のデニー・リギット(Denny Liggitt))。期間:2002年8月~2003年12月。1年4か月間。②研究公正局。2010年3月18日、結果発表。③合衆国連邦地方裁判所(United States District Court)。3回も訴訟。3回目は、2017年12月9日に結審。
- 不正:ねつ造・改ざん
- 不正点:グラント関連書類と論文で、ねつ造・改ざんは15か所
- 不正論文数:撤回論文2報
- 時期:研究キャリアの中期
- 結末:辞職
- 処分:ワシントン大学は、将来にわたって、ブロディとの雇用や委嘱契約を禁止した
- 特徴:行政不服審査(Departmental Appeals Board)、その後、3度も訴訟。」ネカト発覚後15年間も、調査を受け、裁判をし、結局、敗訴という人生になった
- 日本人の弟子・友人:不明
【国民の損害額】 国民の損害額:総額(推定)は10億円(大雑把)。
●2.【経歴と経過】
経歴出典:不明
- 生年月日:不明。仮に、1960年1月1日生まれとする
- 1982年(22歳?):米国のワシントン大学(University of Washington)を卒業
- 1989年(29歳?):ワシントン州立大学(Washington State University)・獣医師免許(DVM)取得
- 19xx年(xx歳):コロラド州立大学(Colorado State University)で研究博士号(Ph.D.)取得
- 1996年(36歳?):ワシントン大学(University of Washington)のローレンス・コーリー(Lawrence Corey 、写真出典、保存版)教授・研究室の助教授になる
- 1999年~2001年(39~41歳?):データねつ造・改ざんをしていた
- 2002年8月(42歳?):不正研究が発覚する
- 2003年6月(43歳?):ワシントン大学・助教授を辞職
- 200x年(4x歳):シェリング・プラウ(Schering-Plough)社研究所・研究員(2006年論文あり、2007年11月30日時点在職 Banned scientist now at Schering-Plough | The Scientist Magazine®)
- 2003年12月:ワシントン大学はネカト調査を終え、ブロディをクロとして、研究公正局に報告
- 2008年9月17日(48歳?):研究公正局は、ブロディをクロとして、健康福祉省(HHS)に行政処置をするよう依頼
- 2008年10月16日(48歳?)、ブロディは、上記内容を不服として、健康福祉省(HHS)に行政不服審査(Departmental Appeals Board)申請
- 2010年1月12日(50歳?)、行政法判事(ALJ)は、行政不服審査の結果、ブロディの訴えを却下
- 2010年3月18日(50歳?):研究公正局がネカトと発表
- 2010年4月2日~2017年12月9日(50~57歳?):研究公正局 の決定に不服で、3度も訴訟を起こしたが、すべて却下された
- 2022年1月15日(62歳):自動車事故で死亡:2022年1月18日記事 | Local News | kxly.com
●5.【不正発覚の経緯と内容】
★獲得研究費
スコット・ブロディ(Scott Brodie、Scott J. Brodie)は、NIHから2001年に1件、2002年に2件の研究費を獲得していた。受領額は計920,644ドル(約9200万円)だった。 → RePORT ⟩ Scott J. Brodie
以下に全3件を示す(出典は上記)
★発覚
2002年8月(42歳?)、ブロディの投稿論文の査読者が、投稿論文のデータが研究ネカトだと確信し、研究公正局に公益通報した。
★ワシントン大学・調査委員会
研究公正局から連絡を受けたワシントン大学は、医学研究科・比較医学長のデニー・リギット(Denny Liggitt、写真出展)を委員長とし、計3人の委員からなる調査委員会を設け、調査を始めた。
2002年9月(42歳?)、調査委員会は、異常なほどの「押収」作業を行なった。警備員と一緒に、研究室から9つのコンピュータ・ハードディスク、実験ノート群、ファイル群を押収した。さらに、調査委員はブロディの自宅から彼のコンピュータを押収した。
2002年12月(42歳?)、ブロディは、家で働くように命じられた。実験室への入室キー・読み取りカードは没収された。
2003年1月(43歳?)、すべての証拠品をキャンパスの別の「安全な場所」に保管したので、ブロディは、大学に来ることが許された。
2003年6月(43歳)、ブロディは、ワシントン大学(University of Washington)を辞任した。
2003年12月(43歳?)、調査委員会は、調査を終えた。リギット調査委員長は、「それは、忘れられないほど衝撃的な調査だった。科学の恥部を正視しなければならなかったからだ」と、述べている。
リギット調査委員長は、さらに、「ブロディに対して公平で、しかも完全に調査したかった。しかし、事件を調べれば調べるほど、問題が噴出してきた。時間が過ぎるにつれ、ブロディがコンピュータで画像を加工し、データを改ざんしていたことが、ますます明白になった。しかも、その改ざんを検出するのはとても困難だった」と、述べている。
調査委員会の報告書によると、ブロディは、投稿論文原稿の中の図を、故意に、意図的にいろいろと改ざんしていた。それらは、誠実な間違いとは次元が異なっていた。結論として、ブロディは研究ネカトを行なったとした。
ある論文では、1つの細胞の画像を2つに加工して、2つの別の細胞として示していた。
しかし、ブロディは、研究ネカトを否定し、画像については、「不注意に、ラベルを貼り間違えただけです」と弁解している。
また、私が間違えたのではなく、実験室のテクニシャンが間違えたのですとも弁解した。
さらに、いくつかの元データがなくなった理由として、研究室の引っ越しの時になくしたと答えた。つまり、意図的に証拠隠滅したのではないと主張した。
調査委員は、ブロディのこれらの返答を、「不正直」および「調査に対する非難」と受け止めた。
報告書は、ブロディのテクニシャンや共同研究者が研究ネカトに加担した証拠はなく、ブロディの単独犯と結論した。
調査委員会が最終報告書をまとめた時、ブロディはワシントン大学を既に退職していた。大学との雇用関係がないので、懲戒免職などのペナルティを課せない。処分は、「ワシントン大学は、将来にわたって、ブロディとの雇用や委嘱契約を禁止する」 だけとなった。
2003年12月、ワシントン大学は米国・研究公正局に資料を渡し、1年4か月にわたる調査を終えた。
★米国・研究公正局の調査
2003年12月(43歳?)、ワシントン大学の調査が終了し、研究公正局としての調査が始まった。
途中の詳細を省くが、調査結果は6年数か月後に発表された(とても遅いですね)。
6年後の2010年3月18日(50歳?)、米国・研究公正局は調査結果を公表した。グラント関連書類と論文で、ねつ造・改ざんは15か所あったとした。
9件のグラントで研究ネカトがあった。研究公正局の発表を以下に貼り付けた。
- 1 P01 HD40540-01 (National Institute of Child Health and Human Development [NICHD], National Institutes of Health [NIH])
- 5 P01 HD40540-02 (NICHD, NIH)
- 1 P01 AI057005-01 (National Institute of Allergy and Infectious Diseases [NIAID], NIH)
- 1 R01 DE014149-01 (National Institute of Dental and Craniofacial Research [NIDCR], NIH)
- 2 U01 AI41535-05 (NIAID, NIH)
- 1 R01 HL072631-01 (National Heart, Lung, and Blood Institute [NHLBI], NIH)
- 1 R01 (U01) AI054334-01 (NIAID, NIH)
- 1 R01 DE014827-01 (NIDCR, NIH)
- 1 R01 AI051954-01 (NIAID, NIH)
以下に4論文にねつ造・改ざんがあった。
- 図1N、 American Journal of Pathology 54:1453-1464, 1999
- 図 5A、Journal of Clinical Investigations 105:1407, 2000
- 図 2DIと図 2DII、Journal of Leukocyte Biology 68:351-359, 2000.
- 組織病理の図、Journal of Infectious Diseases 83:1466, 2001
1本の投稿原稿にねつ造・改ざんがあった。
- 「Science」への投稿原稿。タイトルは「A persistent reservoir of HIV-1 in pulmonary macrophages」
2003年12月の調査開始から2010年3月18日の調査終了まで6年数か月もかかったのは、ブロディと米国・研究公正局の間に、次のやり取りがあったことが主な理由ある。
★行政不服審査
2008年9月17日(48歳?)、米国・研究公正局は、上記の研究ネカトを列挙し健康福祉省(HHS)に行政処置をするよう依頼した。
2008年10月16日(48歳?)、ブロディは、上記内容を行政不服審査(Departmental Appeals Board)の行政法判事(Administrative Law Judge:ALJ)が審問する前に、聴聞会を開いてほしいと要求した(参考。抄録無料、本文有料:CiNii 論文 – ミスコンダクトの調査における手続保障 : アメリカ合衆国における議論の歴史から)。
米国・研究公正局は、ブロディの要求を拒否した。また、研究公正局の調査に、ブロディは全く協力しないし、資料も提出しなかったと非難した。
2009年1月(49歳?)、行政法判事(ALJ)は次の判決を出した。
ブロディの論文、グラント、発表において、研究公正局の記述、画像、他データの不正の発見に関して、公判に付すべき問題は何もない。しかし、「ブロディが意図的に不正をしたとする点」とペナルティとして「7年間の政府関連業務の停止」の妥当性については検討の余地があるとした。
それで、行政法判事(ALJ)は、検討を開始した。
2010年1月12日(50歳?)、行政法判事(ALJ)は、検討の結果、ブロディが、、「ブロディが意図的に複数回の研究ネカトをした」こと、および、「7年間の政府関連業務の停止」は妥当だとした。この結論を健康福祉省次官補(HHS Assistant Secretary for Health:ASH)に伝えた。
以下は健康福祉省の行政不服審査の文書(2010年1月12日付け)の冒頭部分(出典:同)。全文(28ページ)は → https://www.hhs.gov/sites/default/files/static/dab/decisions/alj-decisions/2010/cr2056ok.pdf
2010年2月1日(50歳?)、ブロディは、行政法判事(ALJ)の決定をすべて拒絶するようにと、健康福祉省の業務停止担当官(HHS Debarring Official)に手紙を書いた。
2010年2月26日(50歳?)、ブロディは、拒絶するようにと要求した理由を口頭で説明したいと、業務停止担当官(HHS Debarring Official)との会見を求めた。
しかし、業務停止担当官(HHS Debarring Official)は、研究公正局の結論について議論する機会がブロディに既に与えられていたので、会見を断った。
なお、業務停止担当官が、ブロディに会って、話を聞いても、研究公正局の結論をくつがえすことはできない。政府関連業務停止期間は、2010年3月18日から2017年3月17日までの7年間となった。
2010年3月23日(50歳?)、ブロディは、業務停止期間の発効日の延期を要求する手紙をだした。
2010年4月6日(50歳?)、業務停止担当官は、要求を却下した。
★合衆国地方裁判所の裁判
2010年4月2日(50歳?)、ブロディは、米国・研究公正局の決定に不満を抱き、次の手段として、米国・健康福祉省(被告)を合衆国コロンビア地区連邦地方裁判所(United States District Court for the District of Columbia)に訴えた。
日本に例えると、ソコソコの大学の理系の助教が、厚生労働省の決定がおかしいと、厚生労働省を被告にして、東京地裁に訴えるようなものである。無謀というか、大胆というか・・・。
2010年6月4日(50歳?)、担当の裁判官・ポール・L・フリードマン(Paul Friedman、写真出典)は、ブロディ(原告)が自分の主張の正当性や被害に関して適切に提示しないとして、原告の仮差し止め請求を却下した(Case 1:10-cv-00544-JEB Document 12 Filed 06/04/10)。
以下はその法廷文書(2010年6月4日付け)の冒頭部分(出典:同)。全文(19ページ)は → https://www.govinfo.gov/content/pkg/USCOURTS-dcd-1_10-cv-00544/pdf/USCOURTS-dcd-1_10-cv-00544-1.pdf
ブロディは、再度、米国・健康福祉省(被告)を合衆国コロンビア地区連邦地方裁判所(United States District Court for the District of Columbia)に訴えた。
2011年7月12日(51歳?)、担当の裁判官は別の裁判官で、ジェームス・E・ボアズバーグ(James E. Boasberg、写真出典)だったが、ボアズバーグ裁判官は、ブロディ(原告)の申し立てを却下した。米国・健康福祉省(被告)が再度、勝訴した(Case 1:10-cv-00544-JEB Document 26 Filed 07/13/11)。
以下はその法廷文書(2011年7月13日付け)の冒頭部分(出典:同)。全文(17ページ)は → https://www.govinfo.gov/content/pkg/USCOURTS-dcd-1_10-cv-00544/pdf/USCOURTS-dcd-1_10-cv-00544-2.pdf
更に、 ローズマリー・コリアー判事(Rosemary M. Collyer)がサインした法廷文書(2013年6月27日付け)もある。その冒頭部分(出典:同)。全文(20ページ)は → https://law.justia.com/cases/federal/district-courts/district-of-columbia/dcdce/1:2012cv01136/155134/23/
2017年12月9日。合衆国コロンビア地区連邦地方裁判所はブロディの3回目の訴訟を却下した。2017年12月8日の「撤回監視」記事:US court denies virus researcher’s latest appeal challenging 7-year funding ban – Retraction Watch at Retraction Watch
★反論と訴訟のむつかしさ
ブロディは3回目の訴訟を却下された時、「撤回監視」に、研究公正局の行政法判事(ALJ)の判決を覆すためにできることはなかったので、敗訴を予想していた、と述べている。
そして、ブロディは最高裁判所に控訴するかもしれないと述べた。
実際は控訴しなかったが、ネカト事件でネカト疑惑者の弁護士として有名なポール・ターラー(Paul Thaler)は、控訴しても、ブロディの訴訟を最高裁判所が審理するとは思わない、と述べている。
ポール・ターラー(Paul Thaler、写真出典)の紹介はココ → 1‐6‐2.研究ネカトと告発されたらどうする? | 白楽の研究者倫理
ブロディは研究公正局の結論に不服で、行政不服審査(Departmental Appeals Board)を申立て、その後、3回の訴訟を起こすという、あらゆる可能な限りの戦いをしてきた。
ブロディにとっての問題は、レベルが上がるごとに、克服しなければならない法的基準がますます難しくなるということだが、それが、現実ということだ。
★「大学のネカト調査不正」「司法がヘン」
ブロディは、ネカト発覚後、ネカト調査、クロ判定、その後、行政不服審査、3回の裁判で敗訴と人生の後半の15年間を苦渋の中で生きた。
しかし、これだけ抵抗したのには理由があるハズだ。
白楽の推定だが、まず、最初に行なわれたワシントン大学のネカト調査が強引だったことだ。調査委員会は、警備員と一緒に、研究室から9つのコンピュータ・ハードディスク、実験ノート群、ファイル群を押収した。さらに、調査委員はブロディの自宅から彼のコンピュータを押収した。
また、調査員が横柄で傲慢だったのかもしれない。ブロディはそれで強く反発する恨みの感情に支配されたのかもしれない。
そして、感情的な面だけでなく、ワシントン大学のネカト調査に不正(間違い?)があったのだと思う。調査では押収した証拠の保全や利用がいい加減だったようだ。
ブロディ事件で、「大学のネカト調査不正」があった、と白楽は思う。その調査不正を、司法が上塗りし、大学に味方した「司法がヘンな例」だったのと思う。
ブロディが米国控訴裁判所に2017年4月14日に提出した法廷文書には、ワシントン大学が2003年に行なったネカト調査記録を公文書開示請求で得て検討したことが記載されている。
その中に、2003年のワシントン大学のネカト調査に問題があったのを、ブロディは、 10年後の2013年に発見したと述べている。
以下は、米国控訴裁判所に2017年4月14日に提出した法廷文書面(2017年4月14日付け)の冒頭部分(出典:同)。全文(93ページ)は → https://retractionwatch.com/wp-content/uploads/2017/12/COPY-of-BRIEF-AS-FILED-ON-2017-04-14.pdf
ワシントン大学はブロディのコンピュータを押収したが、ネカト調査ではその押収したコンピュータのファイルを利用していなかった。
つまり、予備調査委員会(UW inquiry panel)も本調査委員会(UW investigative committee)も、ブロディの コンピュータ・ファイルを見ていなかった。
ブロディのコンピュータ・ファイルを見ないで、ブロディをクロと判定した根拠のデータ、画像、証拠を得たということは、不十分な資料に基づいてクロの結論を固めた調査だったことになる。つまり、「ブロディはクロ」ありきで調査を進めたと思われる。
ネカト事件でネカト疑惑者の弁護をするリチャード・ゴールドスタイン弁護士(Richard Goldstein、写真出典)は、ブロディ事件の状況を次のように語った。
私の考えでは、ブロディ事件は、プロセスのできるだけ早い段階ですべての関連証拠を適切に収集し、押収することが非常に重要であることを示しています。
私は、いくつもの大学が被疑者のすべての文書とコンピューター・ファイルを、適切に収集・保護しない状況を何度も見てきました。
ブロディ事件では、ワシントン大学が、関連証拠となるコンピュター・ファイル、ノートパソコン、実験データを適切に押収しなかったため、その後の調査に利用できる状況ではなかった可能性があります。
大学もネカト調査委員会も間違いを犯します。
ネカト被疑者は、自分の正当性・権利を積極的に主張しないと、時間が経つにつれて、大学はその間違いを強固に認めず、正当と固定します。そうなると、それらを修正するのは非常に困難です。
●【ねつ造・改ざんの具体例】
スコット・ブロディ(Scott J. Brodie)の論文は「2000年5月のJ Clin Invest.」論文 と「2000年9月のJ Leukoc Biol.」論文の2論文が撤回されていた。
研究公正局もこの2論文のネカトを指摘している。
この2 撤回論文を見ていこう。
★「2000年5月のJ Clin Invest.」論文
以下の「2000年5月のJ Clin Invest.」論文は、2010年9月1日に撤回された。
- HIV-specific cytotoxic T lymphocytes traffic to lymph nodes and localize at sites of HIV replication and cell death.
Brodie SJ, Patterson BK, Lewinsohn DA, Diem K, Spach D, Greenberg PD, Riddell SR, Corey L.
J Clin Invest. 2000 May;105(10):1407-17.
Retraction in: J Clin Invest. 2010 Sep;120(9):3401
研究公正局が指摘したのは図 5Aである。以下に図 5Aを示す(出典、原著論文)。しかし、どこがねつ造・改ざんなのか、白楽はわからなかった。
★「2000年9月のJ Leukoc Biol.」論文
以下の「2000年9月のJ Leukoc Biol.」論文は、2005年10月4日に撤回された。
- Nonlymphoid reservoirs of HIV replication in children with chronic-progressive disease.
Brodie SJ.
J Leukoc Biol. 2000 Sep;68(3):351-9.
Retraction in: J Leukoc Biol. 2008 Mar;83(3):797.
研究公正局が指摘したのは図 2DIと図 2DIIである。以下に図 2DIと図 2DIIを示す(出典、原著論文)。しかし、どこがねつ造・改ざんなのか、白楽はわからなかった。
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ネカト発覚は、投稿論文の査読者が、投稿論文のデータが研究ネカトだと見破ったのだが、以上のような画像のネカトだったとすると、よく見破ったなあ、と感心する。
●6.【論文数と撤回論文とパブピア】
★パブメド(PubMed)
2024年1月19日現在、パブメド(PubMed)で、スコット・ブロディ(Scott J. Brodie)の論文を「Scott J. Brodie[Author]」で検索すると、2002年~2010年の9年間の8論文がヒットした。
「Brodie SJ」 で検索すると、1958年~2010年の53年間の50論文 論文がヒットした。本記事のスコット・ブロディ(Scott J. Brodie)と異なる「Brodie SJ」の論文が多数含まれていると思われる。
2024年1月19日現在、「Retracted Publication」のフィルターでパブメドの論文撤回リストを検索すると、「2000年5月のJ Clin Invest.」論文 と「2000年9月のJ Leukoc Biol.」論文の2論文が撤回されていた。
★撤回監視データベース
2024年1月19日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでスコット・ブロディ(Scott J. Brodie)を「Scott J. Brodie」で検索すると、上記と同じ2論文が撤回されていた。
「2000年5月のJ Clin Invest.」論文は2010年9月1日に、「2000年9月のJ Leukoc Biol.」論文は2005年10月4日に撤回されていた。
★パブピア(PubPeer)
2024年1月19日現在、「パブピア(PubPeer)」では、スコット・ブロディ(Scott J. Brodie)の論文のコメントを「”Scott J. Brodie”」で検索すると、0論文にコメントがあった。
●7.【白楽の感想】
《1》写真がない
ブロディの写真をウェブ上で探すのはとても困難だった。唯一見つけたの写真の、2人のどちらなのかを特定できなかった。
ブロディは、かなり積極的・強力にウェブ上の記録と写真を抹消したと思われる。
また、ブロディは、事件が決着つく前に西海岸のワシントン大学を辞職し、東海岸のニュージャージー州に移住した。そのため、決着がついた時、新聞記者はブロディの写真を入手できなかったのだろう。
以下は1つだけ見つけた写真で、2人のうちのどちらかを特定できていない。それに、2024年1月19日現在、リンク切れで、元写真の出典が不明になってしまった。スコット・ブロディ(Scott Brodie、Scott J. Brodie)は、写真出典(リンク切れ)の左の人か右の人である。
《2》ペナルティは世界全体に
スコット・ブロディ(Scott Brodie、Scott J. Brodie)は、事件が決着つく前にワシントン大学を辞職したので、大学としては、ブロディにペナルティを課す方策がほとんどなかった。
実際にワシントン大学が課したペナルティは、「将来にわたって、ブロディとの雇用や委嘱契約を禁止する」 だけだ。
これは、規則を改善すべきだろう。
所属機関が課せるペナルティには限界がある。通常、大学・研究機関は、所属者に給与、研究費、スペース、教育権(大学のみ)を与えているが、ペナルティは、これらをはく奪することが主である。しかし、退職者は既にこれらを受けていない。この仕組みでは、退職者には、実質なペナルティ(ダメージとなる)を与えられない。
研究者は移動するので、合衆国全体に及ぶペナルティが必要だ。そうでないから、ブロディは西海岸のワシントン大学を辞職し、東海岸のニュージャージー州に移住し、チャッカリ、有力な医薬品企業・シェリング・プラウ(Schering-Plough)社研究所の研究員に転職してしまった。
研究者は他国に移動することも充分にあり得る。合衆国全体では片手落ちになる。研究者が世界のどこに行っても通用する国際的なペナルティが必要だ。
米国で研究ネカトし、クロと判定されても、日本に帰国して、チャッカリ、大学教授に就いている日本人は10人近くいる。
日本の所属大学は承知しているのだろうか? 事情はわからないが、今のところ日本で処分された人は1人だけだ。その他の研究者は公式な処分の発表はない。実質上何もペナルティがない。「逃げ勝ち」である。
《3》「大学のネカト調査不正」「司法のヘン」
ブロディは自分は研究ネカトしていないと主張し、調査に協力しないばかりか、さまざまな抵抗をした。
冒頭部分に書いたが、ブロディの抵抗はすさまじかった。
①ワシントン大学の結論に異議を唱えた。
②さらに、研究公正局の結論にも異議を唱え、健康福祉省(HHS)の行政不服審査(Departmental Appeals Board)に持ち込んだ。
③そして、さらには、合衆国連邦地方裁判所(United States District Court)で2度も裁判をしている。
ここまで抵抗するのは、かなり珍しい。
しかし、これだけ抵抗したのには理由があるハズだ。
白楽の推定だが、まず、最初に行なわれたワシントン大学のネカト調査に不正(間違い?)があったのだと思う。調査では押収した証拠の保全や利用がいい加減だった。
つまり、「大学のネカト調査不正」があったのだと、白楽は推察した。それなのに、司法は大学に味方し、ブロディの訴えをまともに取り合わなかったという「司法のヘン」があったと思う。
勿論、「大学のネカト調査不正」「司法のヘン」は世界各国で起こっている。しかし、米国では比較的少ない。
一方、日本には、「大学のネカト調査不正」が蔓延している。
日本では、大学の信用度が高いので、まさか、大学が「ネカト調査不正」をしていると、多くの日本人は(研究者たちでさえ)、なかなか信じない。それで、「大学のネカト調査不正」を批判する人(一般社会人・研究者)はとても少ない。
でも、嘘だと思うなら、どの大学でもいいから、自分で、一度、ネカト告発をしてみたらわかる。強烈に実感できる。
世界変動展望のブログでは、「大学のネカト調査不正」が何度も起こっていると、痛烈に批判している。最近の記事を以下に2つ示す。
- 2023年12月8日記事:研究機関の組織的な不正行為について – 世界変動展望
- 2024年1月17日記事:山口大学医学系講師が捏造、改ざんで懲戒解雇!中井彰の件は不正を認定せず!事態はもっと酷い!! – 世界変動展望
白楽も、「大学のネカト調査不正」に何度も直面している。以下は公表したケースだが、未公表のケースも数件経験している。
《4》ヘラジカに衝突
ネカトとは関係ない。
2022年1月15日(62歳)、ブロディはワシントン州の州間高速道路(Interstate Highway)を走行中、道路に侵入してきたヘラジカと衝突し、病院に運ばれたが死亡した。 → 2022年1月18日記事 | Local News | kxly.com
以下はブロディの事故の映像ではないが、ユタ州でヘラジカ(moose)に衝突し大けがをしたドライバーのニュース。米国北部ではヘラジカに衝突はソコソコある。
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日本の人口は、移民を受け入れなければ、試算では、2100年に現在の7~8割減の3000万人になるとの話だ。国・社会を動かす人間も7~8割減る。現状の日本は、科学技術が衰退し、かつ人間の質が劣化している。スポーツ、観光、娯楽を過度に追及する日本の現状は衰退を早め、ギリシャ化を促進する。今、科学技術と教育を基幹にし、人口減少に見合う堅実・健全で成熟した良質の人間社会を再構築するよう転換すべきだ。公正・誠実(integrity)・透明・説明責任も徹底する。そういう人物を昇進させ、社会のリーダーに据える。また、人類福祉の協力もあり、人口過多の発展途上国から、適度な人数の移民を受け入れる。
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●9.【主要情報源】
① 2010年3月18日、米国・研究公正局:Case Summary: Brodie, Scott J. | ORI – The Office of Research Integrity(リンク切れ)。保存版
② ◎2007年11月28日、ニック・ペリー(Nick Perry)とキャロル・オストロム(Carol M. Ostrom)の「Seattle Times」記事: Education | UW: Researcher faked AIDS data, altered images | Seattle Times Newspaper
③ 2007年12月5日、アリア・シェパード(Arla Shephard)の「The Daily」記事: Case closed: UW researcher found guilty of falsifying AIDS data | The Daily
④ 2011年7月13日、ブロディ(原告)と米国・健康福祉省(被告)との裁判記録
⑤ 2016年6月13日のアリソン・マクック(Alison McCook)記者の「撤回監視」記事:Fraudster loses third attempt to remove 7-year debarment – Retraction Watch
⑥ 2017年12月8日のアンドリュー・ハン(Andrew P. Han)記者の「撤回監視」記事:US court denies virus researcher’s latest appeal challenging 7-year funding ban – Retraction Watch
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
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