2017年10月15日掲載。
ワンポイント:パンジャブ大学・教授(男性)で、1964年、22歳の時、「Nature」論文を発表したインドの天才。20年間に渡りヒマラヤから珍しい化石を発見し、400報以上も論文を出版していた。1989年(46歳)、オーストラリアのマッコーリー大学のジョン・タレント・教授がグプタの化石のねつ造を暴いた。グプタは大学から解雇されたが裁判の結果復職し、2004年(61歳?)通常の退職をした。この事件は、20世紀最大の研究不正事件であるピルトダウン人頭蓋骨事件に次ぐ大事件とされている。損害額の総額(推定)は21億2千万円。
【追記】
・2023年6月9日記事:Recalling the Gupta Scandal | Evolution News
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】
ヴィシュワジット・グプタ(Vishwa Jit Gupta、またはVishwajit Gupta、写真出典)は、1964年、22歳でNature論文を発表したインドの天才。インドのパンジャブ大学(Panjab University)・教授で、専門は考古学(ヒマラヤの化石)だった。20年間以上にわたり、400報以上の研究論文を出版していた。
1989年(46歳)、オーストラリアのマッコーリー大学(Macquarie University)のジョン・タレント・教授(John A. Talent)が「1989年のNature」論文で、グプタの長年にわたる膨大な化石のねつ造を暴いた。
グプタは大学から解雇されたが裁判の結果復職し、2004年(61歳?)通常の退職をした。
なお、脚光を浴びた考古学のねつ造事件がいくつもある。
古くはヨハン・ベリンガー(Johann Beringer)(ドイツ)の贋化石:1725年
1912年、英国で発見されたピルトダウン人の頭蓋骨は、1949年に真っ赤なニセモノであることが証明され、近代科学史上最大のスキャンダルとされた。このグプタ事件は、その事件に次ぐ大事件とされている。
日本でも2000年11月、藤村新一の化石ねつ造が大事件になった(毎日新聞のスクープ)。
パンジャブ大学(Panjab University)は、「4icu.org」の大学ランキング(信頼度は?)でインド第28位の名門大学である(Top Universities in India | 2017 Indian University Ranking(保存済))。
パンジャブ大学(Panjab University)。写真出典
- 国:インド
- 成長国:インド
- 研究博士号(PhD)取得:パンジャブ大学
- 男女:男性
- 生年月日:1942年11月14日
- 現在の年齢:81 歳
- 分野:考古学
- 最初の不正論文発表:1964年(22歳)
- 発覚年:1989年(46歳)
- 発覚時地位:パンジャブ大学・教授
- ステップ1(発覚):第一次追及者はオーストラリアのマッコーリー大学のジョン・タレント・教授でネイチャー誌に論文発表した
- ステップ2(メディア): 「ネイチャー」誌、多数のメディア
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①多くの考古学研究者。②パンジャブ大学・調査委員会。③裁判所
- 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
- 不正:ねつ造
- 不正論文数:400報のほぼ全部?
- 時期:研究キャリアの初期から
- 損害額:総額(推定)は21億2千万円。内訳 → ①研究者になるまで5千万円。②研究者の給与・研究費など年間2000万円が40年間=8億円。③院生の損害は不明。ゼロ円とする。④外部研究費の獲得額は不明だが、②に含まれるとする。⑤調査経費(大学と学術誌出版局)が5千万円。⑥裁判経費が2千万円。⑦論文出版・撤回作業が1報につき100万円、撤回論文の共著者の損害が1報につき100万円。撤回論文数が不明だが100報として、2億円。⑧考古学、研究界、大学、インドの学術界への不信観の損害額を10億円(あてずっぽう)
- 結末:解雇されたが裁判で勝訴し復職
●2.【経歴と経過】
主な出典:Vishwa Jit Gupta (born November 14, 1942), Indian consultant, researcher, geology educator | Prabook 。
出典が異なると数字が異なるので、数年(数歳)の違いは、無視してください。
- 1942年11月14日:インドで生まれる
- 1963年(20歳):インドのパンジャブ大学(Panjab University)で修士号(Master of Science in Geology)取得。専攻:地質学。20歳で修士号は何かの間違い? 間違いではなく、正しいようだ
- 1964-1969年(21-26歳):パンジャブ大学・準教授(reader, curator)。21歳で準教授は何かの間違い? 間違いではなく、正しいようだ
- 1966年(25歳):パンジャブ大学で研究博士号(Doctor of Philosophy in Geology)取得。専攻:地質学。25歳で博士号取得は何かの間違い? 間違いではなく、正しいようだ
- 1969-1977年(26-34歳):パンジャブ大学・教授。専攻:地質学
- 1974年(30歳):パンジャブ大学で研究博士号(Doctor of Science in Geology)取得。専攻:地質学
- 1977-2004年(34-61歳):パンジャブ大学・学生部長
- 1980-1986年(37-43歳):パンジャブ大学・理学部長
- 1989年(46歳):化石のねつ造・改ざんが発覚
- 1994年(51歳)?:パンジャブ大学から解雇
- xxxx年(xx歳):裁判で勝訴し、パンジャブ大学に復職
- 2004年(61歳):パンジャブ大学から通常の退職
●5.【不正発覚の経緯と内容】
★ヴィシュワジット・グプタは天才?
ヴィシュワジット・グプタ(Vishwajit Gupta)は、パンジャブ大学のインドの古生物学者で、20年以上にわたり、400報以上の研究論文を出版していた。
しかも、米国、欧州、インド、オーストラリアの数十人の著名な考古学者と共著で論文を出版していた。20年で400報の論文出版は、18日ごとに1報出版というペースである。この出版ペースはかなり異常な早さである。
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グプタの研究キャリアーの初期から話を進めよう。出典が異なると数字が異なるので、数年(数歳)の違いは、無視してください。
1964年(22歳)、グプタは、わずか22歳で世界で超一流の学術誌「Nature」に論文を発表した(共著)。
- Sahni, M.R. & Gupta, V.J. Graptolites in the Indian Sub-continent Nature 201, 385−386 (1964).
1964年(22歳)から1967年(25歳)の間に、グプタは、ヒマラヤのフデイシ(グラプトライト、graptolites)を最初に発見し、上記以外に「Nature」に4つの論文を発表した。
- Sahni, M.R. & Gupta, V.J. Graptolites from the Kashmir Himalayas, also a Note on the Discovery of Fossils in the Muth Quartzite Nature 204, 1081−1082 (1964).
- Gupta, V.J., & Denison, R.H.. Devonian Fishes from Kashmir, India. Nature 211, 177–178 (1966)
- Gupta, V.J., Rhodes, F.H.T. & Austin, R.L. Devonian conodonts from Kashmir. Nature 216, 468−469 (1967).
- Berry, WBN, & Gupta, V.J. Ordovician graptolites from the Kashmir Himalayas Nature, 216, 1097 (1967)
1966年(25歳)、パンジャブ大学で研究博士号(Doctor of Philosophy in Geology)を取得し、世界中の学会で定期的に研究発表するようになった。
1969年(26歳)、26歳でパンジャブ大学の最年少の教授に就任した。
その後、25年間に450報の論文を発表した。
これらの論文で、グプタは、誰も見つけられなかったたくさんの化石をヒマラヤで発見したと報告している。
論文の多くはあまり学術的インパクトのない雑誌で発表した。しかし、論文数が多いので、累積すると、ヒマラヤ地域の化石に関して大きな影響力を持うようになった。
彼はまた数冊の著書も出版した。その中のいくつかは学生を教えるためのテキストとして使った。
★ジョン・タレント教授の告発
オーストラリアのマッコーリー大学(Macquarie University)・教授で地質学者のジョン・タレント(John A. Talent、写真出典) が、グプタの化石ねつ造を暴いた。
★コノドント(conodont)化石
1970年代初頭、タレント教授は、ヒマラヤを訪問した。この時、詳細は不明だが、いくつかの事象を合わせ、グプタが化石をねつ造していると確信した。
グプタが化石を発見した地域は、軍事的に敏感な地域なので、外国の科学者がその地域に出入りするのは難しかった。それで、グプタが化石を発見したと主張する場所を外国の科学者が実地検証することは難しかった。
タレント教授は、グプタが化石を見つけたと発表したネパールの遺跡発掘サイトも訪れた。グプタがデボン紀のコノドント(conodont)化石を数多く見つけたと発表した場所である。
タレント教授は、グプタがカリフォルニア大学バークレー校の古生物学教授であったビル・ベリー(Bill Berry)と共著の「1967年のNature」論文で フデイシ(グラプトライト、graptolites)を発見したと主張している地域にも行った。
そして、タレント教授は、上記の場所を含め、グプタが化石を見つけたとする20サイトに行ったが、そのほぼすべてでフデイシは見つからなかった。
グプタが1975年の2つの論文で、600km以上離れた2つの異なる場所で、同じコノドント(conodont)標本を見つけ報告していた。これも異常である。
なお、コノドント(conodont)は、古代の海洋魚に属する化石のような小さな歯である。
カンブリア紀から三畳紀(6億年前から1億8千万年前)の地層から発見される歯状の微化石である。一般に大きさは0.2ミリ~1ミリ程度。(図も:コノドント – Wikipedia)
グプタが発見したコノドントは、ニューヨーク近郊のアムスデル渓谷(Amsdell Creek)の石灰岩に独占的に見つかった化石と同じ特徴を示していた。
タレント教授は、グプタの見つけたとする化石の写真を詳しく調べると、グプタが発見したコノドントは、1879年にジョージ・ヒンデ(George Hinde)がアムスデル渓谷で収集した化石とよく似ていることに気が付いた。
アイオワ大学のギルバート・クリッパー(Gilbert Klopper)は、1989年、グプタが発見したヒマラヤのコノドント化石は実際はニューヨークのアムスデル渓谷で見つかったものと同一だと確信していると述べている。
★アンモナイト(ammonoids)化石
グプタはヒマラヤ周辺の様々な地点でアンモナイト化石(ammonoids)を発見したと報告していた。アンモナイト化石はコノドント化石と年代が1500万年離れているのだが、グプタはコノドント化石と同じ場所、同じ岩石層から発見したと発表していた。
アンモナイト化石。タレント教授が購入した化石ではない(出典)。
1986年8月、ジョン・タレント教授(John A. Talent)は、フランスのバルジュモンにある化石鉱物博物館(Musée Fossiles et Minéraux、写真出典)を訪れた。
タレント教授は、化石鉱物博物館でいくつかの化石を購入した。モロッコ産のアンモナイト化石(ammonoids)も購入した。
タレント教授は、帰国後、購入したアンモナイト化石の特徴を詳しく調べてビックリした。というのは、グプタがヒマヤラで見つけたと発表していたアンモナイト化石は、タレント教授がフランスの化石鉱物博物館で購入したモロッコ産のアンモナイト化石の特徴とよく似ていたからである。鉄含量が多いため、光沢のある赤みを帯びた黒色の外観だった。この外観は、ヒマラヤの化石に見られる霜の影響がなく、熱帯気候の特徴を示していた。なお、グプタのその論文は、当時アンモナイトの研究で著名なドイツのハインツ・エルベン(Heinz Erben)と共著だった。
フランスの古生物学者であるフィリップ・ジャンヴィエ(Philippe Janvier、写真出典)は、グプタと3つの論文で共著者になっていた。
1989年、グプタがパリでジャンヴィエを訪ねてきたとき、グプタはヒマラヤで見つけたと主張した魚の頭蓋骨の化石をジャンヴィエに示した。それで、ジャンヴィエはグプタと共著で新種を発見したという論文を発表したのだ。
ジャンヴィエはその後、中国人科学者がジャンヴィエを訪ねた時、中国人科学者が同じ化石を持っているのに気が付いた。
それで、どこで入手したかと尋ねると、驚いたことに、中国人科学者は、「この種の化石は中国ではかなり一般的で、しばしば訪問者への贈り物として与えられる」と述べた。
そういえば、グプタがジャンヴィエを訪ねてパリにくる直前、グプタは中国を訪問していた。ジャンヴィエはグプタと共著で新種を発見したと論文発表した化石は、グプタが中国で手に入れた化石だと99%確信した。
★タレント教授の公表:1987年
1987年8月、タレント教授は、カナダのカルガリーの地質学会で、グプタの化石はねつ造された化石だと、公式の場で初めて発表した。その学会にはグプタも出席していた。
グプタは激怒した。
少数の研究者は初めて、グプタの化石の異常性を認識した。
例えば、ワシントン州立大学 (プルマン)(Washington State University)のゲイリー・ウェブスター教授(Gary Webster、写真出典) は、グプタと共著の論文が9報もあった。
ウェブスター教授はグプタがヒマラヤの化石と示した化石は、米国、英国、チェコ、ティモールなどの化石とよく似ていると思っていた。論文にもそう書いたのだが、1987年8月カナダのカルガリーの学会でタレント教授の発表を聞いてビックリしたが、グプタが化石をねつ造していたことを確信した。
しかし、多くの研究者は、グプタを疑うこともなく、その後も、グプタのねつ造化石の研究に巻き込まれていった。
1989年、それで、ジョン・タレント(John Talent)は、それまで研究したグプタの化石の異常性を57ページの論文にして学術誌「Courier Forschungsinstitut Senckenberg」に発表した。
しかし、いかんせん、「Courier Forschungsinstitut Senckenberg」論文では考古学界全体に与えるインパクトが小さかった。
1989年、それで、タレント教授は「ネイチャー」誌に発表した。この論文は考古学界全体に与えるインパクトが大きく、事態は決定的に変化した。
- Talent, J. A. (1989). The case of the peripatetic fossils. Nature, 338(6217), 613-615.
タレント教授は「ネイチャー」誌で、「グプタは世界の別の場所で見つかった化石をヒマラヤで見つけたと報告した。化石を組み合わせたり、写真を組み合わせたりしてデータをねつ造した」と指摘した。
「ネイチャー」誌はこのねつ造化石シリーズの主張や反論をパート5まで報道した(以下)。グプタの主張も掲載された。
- Jit Gupta, Vishwa (1989). “The peripatetic fossils: Part 2”. Nature. 341 (6237): 11.
- Ahluwalia, A.D. (1989). The peripatetic fossils: part 3 Nature 341, 13−15
- Waterhouse, J. B. (1990). “The peripatetic fossils: Part 4”. Nature. 343 (6256): 305.
- Talent, J. A. (1990). The peripatetic fossils: part 5. Nature, 343:405–406.
★その後
グプタは化石ねつ造が指摘され、「申し訳ありませんでした」と素直に罪を認めたか?
いいや、異常と思える反発をしている。
グプタ研究室のテクニシャン(名前は不明)は、グプタの化石ねつ造の詳細を明らかにするとグプタに伝えた。すると、このテクニシャンは、ヒット・アンド・ランの交通事故で殺害されたのだ。犯人は不明だが、グプタが関与していたと推測されている。
また、グプタの化石ねつ造を正面から告発したタレント教授を、殺し屋にお金を払って殺すよう依頼したと言われている。
さらに、タレント教授と共著の論文を出版したインド人がいる。その母親は交通事故で肋骨を折る重傷をおった。犯人は不明だが、グプタが関与していたと推測される。
1991年(46歳)、パンジャブ大学は調査を開始し、グプタをクロと結論し、古生物学研究所所長のグプタを停職処分にした。しかし、数か月後、裁判の結果、グプタはパンジャブ大学に復職したのである。裁判は、ネカトかどうかを問う訴訟ではなく、雇用関係での法的処分の妥当性が問う訴訟だった。
1995年(50歳)、3つの調査委員会が設けられたが、3つとも、グプタが化石をねつ造したと結論した。調査報告書は公表されなかったが、1つの報告書には「グプタ博士はネカトを犯し、すべての罪はグプタにある」(“All the charges have been established against him and Dr Gupta is guilty of scientific malpractices”)と記載された。
グプタは、明白で、膨大なデータねつ造の複数の有罪判決を受けたにもかかわらず、しかし、定年退職の歳までパンジャブ大学・教授職を維持できた。ただ、管理職に就くことは禁じられ、昇給も停止され、学生・院生への教育は禁止された。博士論文もデータねつ造だったにもかかわらず、博士号ははく奪されなかった。
グプタと共著論文を出版した多数の研究者は、いい加減な態度で共著者になり、ネカトを助長したので、各大学が調査し処分すべきだとする意見もでたが、共著者たちはネカト調査をされなかった。
2004年(61歳)(2002年?)、グプタは、退職年金(super-annuation benefits)を得て「通常」の退職をした
グプタの化石ねつ造事件は書籍にもなっている(表紙出典)。
- Himalayan Fossil Fraud: A View from the Galleries
By: SK Shah(Author)
Paperback | Jan 2013 | #215625 | ISBN-13: 9788192603315
●6.【論文数と撤回論文】
ヴィシュワジット・グプタ(Vishwa Jit Gupta)の出版論文や撤回論文をウェブで検索したが、白楽はうまく検索できなかった。それで、論文リストはわかりません。
不正確なデータを示すのはマズいので、出版論文と撤回論文を記載しません。
●7.【白楽の感想】
《1》「撤回論文数」ランキング
現在、「撤回論文数」ランキングの世界第1位は撤回論文数が183報の日本の藤井善隆(東邦大学) Yoshitaka Fujii(日本)である。
→ 「撤回論文数」ランキング | 研究倫理(ネカト)
グプタは20年間に渡り400報の論文を発表していた。
ほぼ全部がデータねつ造論文だと言われている。だから、当局がチャンと調査すれば、400報の撤回論文数になり、一躍、「撤回論文数」ランキングの世界第1位になる。
ところが、チャンと調査されていない。残念!
《2》考古学
序論に書いたが、考古学(古生物学)でのデータねつ造事件は、嘘のような本当のあきれた事件がいくつもある。
古くは、ヨハン・ベリンガー(Johann Beringer)(ドイツ)の贋化石:1725年
ジョージ・ハル(George Hull )(米)のカーディフの巨人 :1869年
1912年に英国で発見されたピルトダウン人の頭蓋骨が1949年に真っ赤なニセモノであることが証明され、近代科学史上最大のスキャンダルとされた。
無名の農夫(中国)の恐竜アーカエオラプトル(archaeoraptor)化石:1999年
日本でも2000年11月、藤村新一の化石ねつ造が大事件になった(毎日新聞のスクープ)。
グプタ事件は、考古学分野ではピルトダウン人事件に次ぐ大事件とされている。
完全に意図的に他人をダマそうとしたデータねつ造事件である。しかし、どうして、人は騙されるのだろうか? それも、一流の学者たちがコロッと騙されている。
分野の特徴は、
①基本的に追試できない。だから再現性実験は要求されない。
②化石発見の経済効果が大きい。観光地となり、文化遺産となる(かもしれない)。
③否定する確証が得にくい。
④しかし、証拠としての物体(化石)は必要である。現在なら、その物体(化石)の成分を化学分析すれば、年代や埋没していた場所も証明できるだろうが、当時はできなかった(しなかった? しても不都合な真実は無視された?)。
《3》動機
グプタは、化石をねつ造して面白いかったのだろうか? しかし、遊びやおふざけのレベルなら面白いだろうが、学問で論文として発表するレベルではどうだろう?
グプタの化石のねつ造は、人類の知的財産を積み上げる行為とは全く逆の行為である。科学者をダマし、学問を混乱させた。データねつ造では、知的体系は構築できない。人間をダマせても、自然法則はダマせない。
トクすることが動機だったのだろうが、異常である。
22歳で「Nature」論文を発表し、天才とあがめられた。しかし、そもそも、この論文からデータねつ造なのである。
その後、博士号取得は25歳、大学教授就任が26歳と、天才扱いされた。データねつ造を見つからないようにすることが研究だと思い込んだようだ。
最初からネカトまみれで、20数年も大学者として世界で活躍してしまった。ねつ造を検出できなかった周囲や共著者にも責任がある。「超優秀で人柄が良い若い研究者が研究ネカトする」典型例である。
①超優秀、
②人柄が良い、
③若い、
④地位の高い庇護者がいて、
⑤研究の初期から不正をする。
→ 美貌と研究ネカトで名声を得た女性研究者、超優秀で人柄が良い若い研究者が研究ネカトする | 研究倫理(ネカト)
《4》反発が異常
グプタの化石ねつ造が発覚したのち、化石ねつ造の詳細を伝えるハズのテクニシャンが交通事故で死亡した。もう1人の関係者の母親も交通事故で大けがをしている。両方とも犯人は不明だが、グプタが関与していたと推測される。
さらに、グプタは殺し屋にお金を払ってジョン・タレントを殺すように依頼したと言われている。
グプタの反発は異常である。
しかし、激しく反発する人は珍しくない。
- スパチェー・ロロワカーン(Supachai Lorlowhakarn)(タイ) | 研究倫理(ネカト)
- ヘンジュン・チャオ(Hengjung Chao)(米):ネカトと指摘され解雇された。数年後の2015年、当時のボスを銃で撃った。
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●8.【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Vishwa Jit Gupta – Wikipedia
② 1989年4月23日、ウィリアム・スティーブンス(William K. Stevens)の「NYTimes」記事:Scientist Accused of Faking Findings – NYTimes.com、(保存版)
③ 2017年5月24日、ジェフ博士(Dr Geoff)の記事:Viswa Jit Gupta – multiple acts of research fraud and misconduct in the Himalayas | Dr Geoff、(保存版)
④ 2015年12月19日の「Deposits Magazine」記事:Fossil fakes and their recognition – Deposits Magazine、(保存版)
⑤ 1989年のレウィン(Lewin, R.)記者の「Science」記事.:The Case of the “Misplaced” Fossils | Science.
⑥ 1998年10月8日のバジャンダー・パル・シン(Bajinder Pal Singh)記者の「Indian Express」記事:Skeleton that won’t fossilise、(保存済)
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
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