犯罪「殺人」:心理学:ジェームス・セントジェームス(James St James)(米)

2017年8月30日掲載。

ワンポイント:ネカトではない。1967年、15歳の時、両親と17歳の姉を殺害したが、精神異常で無罪となった男性。姓を変え、大学・大学院と進み、ミリキン大学の心理学の教授・学科長になった。2013年(61歳)、46年前に殺人事件を犯した人だとメディアに暴露されたが、大学は解雇しなかった。匿名性、名前変更、大学教員に許容されない行為を論じたい。損害額の総額(推定)は0円。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】

ジェームス・セントジェームス(James St James、写真出典)は、米国のミリキン大学(Millikin University)の教授・学科長で、専門は心理学である。

1967年8月4日(15歳)、両親と17歳の姉をライフルで射殺したが、精神異常での殺人とされ、裁判で無罪となった。精神が正常に戻るまでの7年間、施設で保護された

1974年(22歳)、殺人事件から7年後、精神は正常と診断され、施設を退所し、2年後、戸籍名の姓「Wolcott」を「St James」に変更した。

1986年(34歳)、ミリキン大学(Millikin University)の心理学の教員に採用された。その後、研究博士号(PhD)も取得した。

2013年8月3日(61歳)、46年前に殺人事件を犯した人だとメディアで暴露された。大学は少年時代のトラウマを乗り越えて研究・教育の人生を構築したことは素晴らしいと、セントジェームス教授を解雇しなかった。

興味の中心は以下の点だ。

  • 若い時(今回は15歳)に殺人事件を犯した人が、どうして、大学・教授になれたのか? 発覚しても、どうして、解雇されなかったのか?

大学教員に許容される行為・されない行為は、どのような行為なのか? また、その考え・哲学・法規はどのようなものか? そして、ネカトは大学教員に許容される行為なのか、されない行為なのか?

ミリキン大学(Millikin University)。写真出典

  • 国:米国
  • 成長国:米国
  • 研究博士号(PhD)取得:米国・シカゴのデポール大学(DePaul University)
  • 男女:男性
  • 生年月日:不明。仮に1952年1月1日とする。1967年8月4日の犯行時、15歳とあったので
  • 現在の年齢:65 歳?
  • 分野:心理学
  • 事件:1967年(15歳)
  • 犯行暴露年:2013年(61歳)
  • 犯行暴露時地位:米国のミリキン大学・教授・学科長
  • ステップ1(発覚):第一次追及者は地元紙「ジョージタウン・アドヴォケイト(Georgetown Advocate)」の記者・アン・ガードナー(Ann Marie Gardner)
  • ステップ2(メディア):多数の新聞・テレビ
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①ミリキン大学
  • 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
  • 不正:殺人
  • 殺人数:3人
  • 時期:研究キャリアを積む前
  • 損害額:総額(推定)は0円
  • 結末:解雇なし

●2.【経歴と経過】

  • 生年月日:不明。仮に1952年1月1日とする。1967年8月4日の犯行時、15歳とあったので
  • 1967年8月4日(15歳):両親と17歳の姉をライフルで射殺
  • 1968年2月2日(16歳):精神異常での殺人とされ、裁判で無罪。ただ精神が正常に戻るまで施設で保護
  • 1974年(22歳):殺人事件から7年後、精神は正常と診断され、施設を退所
  • 1976年(24歳):戸籍名の姓「Wolcott」を「St James」に正式に変更した
  • 19xx年(xx歳):テキサス大学で学士号、修士号を取得。心理学
  • 1986年(34歳):ミリキン大学(Millikin University)の心理学の教員
  • 1988年(36歳):イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(University of Illinois at Urbana–Champaign)で、研究博士号(PhD)を取得。専攻は心理学
  • 1997年(45歳):心理学の教育で教育賞を受賞
  • xxxx年(xx歳):ミリキン大学・行動科学科の学科長
  • 2013年8月3日(61歳):46年前に殺人事件を犯した人だとメディアで暴露される。大学は少年時代のトラウマを乗り越えて研究・教育の人生を構築したことは素晴らしいと、解雇しなかった
  • 2017年8月29日(65歳):辞職していない

●3.【動画】

【動画】
事件ニュース:「大学は家族を殺した教授を支持している(University stands by professor who killed his family) 」(英語)4分12秒
CNN が2013/08/02 に公開
以下のリンクが切れた時 → 保存版

【動画】
事件ニュース:「グレッグ・グットフェルド、ミリキン大学のジェームス・セントジェームス教授に怒りをぶつける(Greg Gutfeld Goes Off on Milikin University Professor James St James Killed Whole Family) 」(英語)5分42秒
MichaelSavage4Prez が2013/08/07 に公開
以下のリンクが切れた時 → 保存版

●5.【不正発覚の経緯と内容】

【殺人事件】

米国・テキサス州オースティン郊外の小さな町・ジョージタウン(Georgetown)に住む15歳のジェームズ・ウォルコット(James Wolcott、写真右下、出典)は、優秀な高校生で熟練したミュージシャンだった。

父親のゴードン・ウォルコット(Gordon Wolcott)はジョージタウンにあるサウスウェスタン大学(Southwestern University)の生物学教授で、母親のエリザベス(Elizabeth)、17歳の姉のリビー(Libby)と一緒に住んでいた。

★1967年8月:殺人

1967年8月4日(15歳)、ジェームズ・ウォルコットは接着剤をかいでハイになり、22口径のライフルを持ち出し、居間にいた父親を射殺した。姉のリビー、母親のエリザベスも射殺した。

家族全員を射殺してから、ウォルコットはライフルを隠して家の外に飛び出し、泣き叫んで通行人に助けを求めた。

警察がウォルコット家に到着した時、ジェームスはヒステリックに暴れてたが、警察官の尋問に殺人事件を告白し、各殺人について詳しく説明した。殺人は1週間前からの計画的犯行だった。

以下、凶器のライフル。血痕のついたベッド。2枚の写真出典

★1968年2月:裁判で無罪

1967年10月(16歳)、16歳になったジェームスは妄想性統合失調症と診断された。

ジェームスは家族を憎んでいた。母親が食事の時、音を立てて噛むのが嫌だった。姉のリビーの話し言葉のアクセントが嫌だった。父親に長髪の文句を言われ頭にきた。また、父親はベトナム反戦平和集会に参加させてくれなかった。

1968年2月2日(16歳)、6か月間にわたる裁判の最後に陪審員は、狂気のための犯行だったと、ジェームスを無罪にした。

しかし、ジェームスが正気になったと医者に宣言されるまで、ラスク州立病院(Rusk State Hospital)施設に6年間、保護された。

★1974年:自由

1974年(22歳)、殺人事件から7年後、ジェームスは医者に正気と判定され、施設を退所し、自由になった。父親のゴードン・ウォルコットの遺産と年金をすべて受け取り、金銭的には生活も安定した。

1976年(24歳)、ジェームズ・ウォルコット(James Wolcott)は戸籍名を正式にジェームス・セントジェームス(James St James)に変えた。この記事では、以後、彼をセントジェームスと呼ぶ。

セントジェームスは知能指数(IQ)が134以上と高く、大学に進学し、学士号、修士号を取得した。

1986年(34歳)、セントジェームスは、イリノイ州ディケーター市(Decatur, Illinois)にあるミリキン大学(Millikin University)・行動科学科の教員になった。心理学の講義を受け持った。

1988年(36歳)、セントジェームスはイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(University of Illinois at Urbana–Champaign)で研究博士号(PhD)を取得した。専攻は心理学である。

1997年(45歳)、心理学の教育で教育賞を受賞し、その後、ミリキン大学・行動科学科の学科長になった。

【発覚】

どういう経緯で発覚したのかは不明である。

2013年8月3日(61歳)、殺人事件が起こったテキサス州・ジョージタウン(Georgetown)の地元紙「ジョージタウン・アドヴォケイト(Georgetown Advocate)」の女性記者・アン・ガードナー(Ann Marie Gardner)がミリキン大学・教授のセントジェームスに取材し、46年前の殺人事件の記事を書いた。

大センセーションである。多くの人にショックを与えた。

ジェームス・セントジェームス(James St James)の15歳と61歳。写真出典

女性記者・アン・ガードナーが、赤い服のセントジェームス教授を取材している。写真出典 http://chicagoargus.blogspot.jp/2013/08/a-day-in-life-of-chicago-should.html

★大学は教授に授業を続けさせた

ミリキン大学のあるイリノイ州ディケーター市の市長は、ミリキン大学がセントジェームス教授を解雇すべきだと表明した。

しかし、ミリキン大学はセントジェームス教授の過去を知っても、少年時代のトラウマを乗り越えて研究・教育の人生を構築したことは素晴らしいと、教授に授業を続けさせる決断をした。

大学が教授を解雇せず、授業を続けさせると決断したことに、白楽は感動した。

ただ、全米のメディアは賛否両論である。

否定的意見は、当然だろう。

一方、たくさんの賛成も表明された。

若い時の過ちを克服できずに残念な一生を送る人がたくさんいる。でも、セントジェームスは若い時の過ちを克服し、自分自身を律し、自分の人生を豊かにし、かつ、社会に役立つ人生を構築したことは素晴らしい。多くの人が見習ってほしい。というのが大方の賛成意見である。

大学でのセントジェームスの評判はとてもいい。教員と大学上層部から信望を得ていることは学科長に選ばれたことからも明白である。

教育賞を受賞していることから教育のスキルは高く、学生からも尊敬され慕われている。ソーシャルメディアサイトでも優れた評価を得ている。

テレビ局「ABC7」の女性レポーターのトシャ・ドゥザン(Tosha Duzan)は、セントジェームスの元学生で、十代の時に殺人事件を犯したことを聞いてとてもビックりし、悲しんだ。でも、「セントジェームス教授からたくさんのことを学んだ。これからも、セントジェームス教授の授業を受けることを学生に勧める」と述べている。
→ Millikin University stands behind professor who killed family as teen | abc7chicago.com

セントジェームスの元学生で、現在、テレビ局「CBSシカゴ」で働く、ラナ・クラン(Lana Hinshaw Klan)は、セントジェームス先生が昔、家族を殺したとは信じられない。「セントジェームス先生は本当にいい人間です。先生との本当に楽しい思い出がたくさんあります。先生の人生がひっくり返るのはとても悲しい」と話している。
→  2013年8月8日のステファニー・スレイファー(Stephanie Slifer)記者の「CBS News」記事:Millikin University stands behind James St. James, psych professor who allegedly killed family in 1967 – CBS News

この時のミリキン大学の学長は2011年9月17日に就任したハロルド・G・ジェフコート(Harold G. “Hal” Jeffcoat、写真出典)である。ジェフコート学長がセントジェームス教授を解雇せず、授業を続けさせると決断したのだ。
→ Jeffcoat inaugurated as 14th president of Millikin University | Local | herald-review.com

2013年10月9日、セントジェームス事件がメディアで騒がれてから2か月後、しかし、ミリキン大学・学長がジェフコートからパトリック・E・ホワイト(Patrick E. White)に変わった。
→ Dr. Patrick E. White named 15th president of Millikin University | Millikin University

セントジェームス事件と関係ありそうだが、裏事情はどこにも書かれていない。

★授業を受ける学生

多くの学生はセントジェームズ教授の授業継続に好意的である。
→ 2013 年8月27日の「CBS Chicago」記事:Millikin Students ‘Creeped Out,’ Curious About Professor Who Killed Family « CBS Chicago

46年前の事件が暴露された後のセントジェームズ教授の最初の授業を、1年生のアレックス・アロチャ(Alex Arocha、女性)が次のように述べている。

授業は、月曜日の午後だった。「セントジェームズ教授は黒板に自分の名前を書いて、「あなたがアフリカで夏を過ごしていない限り、おそらく皆さんはこの名前を知っているでしょう」と言いました」。授業は、不自然な形で始まったが、50分の講義「心理学入門」はすぐに本格的に始まった。

同じく1年生のフランク・ジョーンズ(Frank Jones 、18歳)は、セントジェームズ教授の過去を知った時、「最初は気味が悪い」と思ったことを認めたが、「事件はずっと前に起こっていて、今は関係ないですね」と述べている。

もう1人の1年生ブリアナ・パットン(Brianna Patton、18歳、女性)の母親は、セントジェームズ教授の過去が暴露された後、娘のパットンに大学に行くのを禁止し、大学がセントジェームズ教授の授業を続ける決定に憤慨していた。

しかし、パットンは、セントジェームズ教授の過去を知って、彼の講義がさらに刺激的になると感じた。「私は彼から学ぶのが大好きだ!」とパットンは言った。

●6.【論文数と撤回論文】

省略

●7.【白楽の感想】

《1》興味

このネカト・ブログでは、セントジェームスの殺人事件には興味はない。

興味の中心は以下の点だ。

  • 若い時(今回は15歳)に殺人事件を犯した人が、どうして、大学・教授になれたのか? 発覚しても、どうして、解雇されなかったのか?

大学(米国のテキサス大学)、大学院(米国・シカゴのイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校)は殺人事件を犯した人と知らなかったので入学拒否をしなかったし、通常の学生・院生と同じように卒業させた。研究博士号(PhD)を授与した。

大学(ミリキン大学)はセントジェームスが少年時代に殺人事件を犯したことを知らずに教員に採用した。

そして、46年後に知らされても、少年時代のトラウマを乗り越えて研究・教育の人生を構築したことは素晴らしいと、解雇しなかった。

《2》大学教員に許容できない行為・許容できる行為

セントジェームス事件では、殺人犯が大学教員に在職することが許容された。

では、大学教員に許容できない行為・許容できる行為とはどんな行為だろう?

このような仕分けは日本社会でコンセンサスが得られていないと思うが、2つの事件種を例に示す。

  • 「大学教授に許容できない行為」
    わいせつ・セクハラ・・・性犯罪は再犯度が高いと思われている。大学では被害対象となる若者(男女)が多くいる。教育・研究の支障になる。
  • 「大学教授に許容できる行為」
    自動車事故・・・事故は誰にも起こる。本人の不注意が原因というケースも多いが、許容されるだろう。ただ、飲酒運転は事故予見可能(ある意味、意図的)なので事故を起こした場合、微妙だ。しかし、自動車事故を起こしたこと自体は、教育・研究の支障にはならない。

つまり、根本は、「教育・研究の支障」になるか・ならないかである。

セントジェームス事件では、46年前の15歳の時の殺人事件は、61歳の教授の「教育・研究の支障」にならないと、ミリキン大学は判断した。

では、ネカトは「教育・研究の支障になるか・ならないか?」

「ネカト行為は学問研究の根本的な規範の侵害で、罪を償ったらリセットできるという種類の行為ではない。一度、崩れた信頼は取り戻せない。そして、学問、研究、教育では信頼は必須である」。

だから、ネカト行為は教育・研究の支障になる。それで、「ネカト者は学術界から追放!」が基本である。

《3》名前

セントジェームス事件の教訓の1つは、過去に殺人事件を犯しても「名前を変えれば別人になれる」ということだ。

現代では、犯罪記録や資格・免許登録は名前で行なっている。

だから、過去に殺人事件を犯しても名前を変えれば、他人にはわからない。大学教員になれる。

ネカトで言えば、過去にネカトで大事件を犯しても名前を変えれば、大学教員になれる。講義し、学生・院生の指導ができる。研究費を申請し、得られた研究成果を論文に出版できる。

実名で論文出版しにくい場合、実名を変えずに論文ネームを変えれば、論文出版できる。実例もある。
→ 気象学:ネッド・ニコロフ(Ned Nikolov)(米) | 研究倫理(ネカト)

一般的に、婚姻、離婚、養子縁組をすれば、正式に姓を変更できる。なお、それほど深刻な姓ではなかったのに、知り合いの米国人は姓を変えた。米国では日本より容易に姓の変更ができると思う。

セントジェームス事件では、無罪とはいえ殺人事件の犯人が姓を変えることができた。同じような事件を起こした場合、日本では姓を変えられるのか、白楽は調べていないが、難しいだろう。

ネカト事件で名前の問題を議論したいのだが、ネカト事件ではピンとこない人が多いだろう。

わいせつ教員で話を進めよう。

2013年に26歳の時、児童買春・児童ポルノ禁止法違反で停職6か月の懲戒処分を受けた埼玉県の小学校教諭が、教員免許状の「名前を変え」(簡単に変えられるとは思えないが・・・)、愛知県の臨時講師になった。最初の事件から4年後の2017年、今度は、強制わいせつ容疑で再び逮捕された。
→ 児童性愛者が学校勤務、知る権利か?忘れられる権利か?:朝日新聞デジタル

日本の小中高のわいせつ教員の一部が、他校に再雇用されていたため、15億円かけてシステムを作り、2020年度から教員免許失効を検索できるようにするそうだ。なお、このシステムができても上記の「名前を変えた」人の再雇用を防げない。

一般的に、わいせつ教員を匿名で報道するから、世間が認識できない。

わいせつ教員を匿名で報道するのは被害者を保護するためと建前は言うが、しかし、被害者の保護とは思えない場合でも匿名で報道する。学校・大学が騒がれたくないから、事件を隠したいから、場合によっては加害者をかばおうとして、匿名にしている。

大学・研究機関の教員・研究者の「セクハラ」犯もほとんどが匿名で報道される。従って、世間は「セクハラ」教員・研究者を認識できない。自分の娘がセクハラ教員の指導下にいても、娘本人も娘の親もわからない。

「セクハラ」で懲戒処分(例えば停職処分)を受けた教員・研究者とは知らずに、学生は指導教員として選んでしまう。

大学は「セクハラ」教員を解雇しないし、匿名で秘匿するから、かわいそうに、同じ大学の別の学生が犠牲になる(東京芸大セクハラ50代教授はE氏?2007年の再犯? | 楽天Social News)。

この場合、大学に責任があると思うが、大学の責任を追及した裁判はまだ起こっていない。

また、「セクハラ」で懲戒解雇の処分を受けた教員・研究者とは知らずに、他の大学・研究機関が教員・研究者として採用してしまう。

「ネカト」も同じである。

大学は「ネカト」教員を解雇しないし、時によると匿名で秘匿するから、かわいそうに、知らない学生はネカト教員を指導教員に選んでしまう。

つまり、人道的配慮をしつつも、基本的に、実名報道し、解雇することを徹底すべきである。

なおかつ、姓名を変えても追跡できるシステムを構築する。

そうでないと、「ネカト」者が学術界に居残ることになる。「ネカト」者が学術界に居残れば、ネカトは減らない。学術汚染は除けない。

《4》若い時の重大犯罪

セントジェームス事件のように、若い時に殺人事件を起こしたケースは、最近の日本にもある。

2014年、高校1年の女性が同級生を殺害した。佐世保女子高生殺害事件である。裕福な家庭に育ち、本人は頭が良い。セントジェームス事件を知った時、すぐ、似てるなあと思った事件である。

2014年、19歳の名古屋大学女子学生の殺人事件もある。名古屋大学に入学できるのだから、優秀な頭脳の持ち主に違いない。

名前を変えて、将来、大学教授になるのだろうか?

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●8.【主要情報源】

① 2013年8月3日のスニーハナ・ファーベロフ(Snejana Farberov)記者の「Daily Mail Online」記事:Award-winning university psychology professor, 61, unmasked as man who killed his entire family as a teenager… but was found not guilty by reason of INSANITY | Daily Mail Online、(保存済)
② 2013年8月8日のステファニー・スレイファー(Stephanie Slifer)記者の「CBS News」記事:Millikin University stands behind James St. James, psych professor who allegedly killed family in 1967 – CBS News(保存版)
③ 記事はたくさんある。james st. james millikin university – Google 検索
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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