ベルナー・セレ(Bernard Séret)、ローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)、ジョルジュ・セル(Georges Serre)(仏)

2020年11月20日改訂 

ワンポイント:米国の大学院生・マーク・エルドマン(Mark V. Erdmann)がインドネシアに新婚旅行中、生きたシーラカンス(coelacanth)を発見し、1998年、写真付きでネイチャー誌に発表した。ところが、その2年後の2000年、セレらは、自分たちが1995年に既にシーラカンスを発見していた主張し、ネイチャー誌に論文を投稿した。ネイチャー誌編集部は賢く、セレらが、エルドマンがネイチャー誌に発表したシーラカンスの写真を盗用して、自分たちの発見だと主張したことを見破った。結局、セレは盗用を認めた。盗用者3人は処罰されていない。その後、セレとプユウは研究者として著名になった。国民の損害額(推定)は10億円(大雑把)。この事件は、白楽指定の重要ネカト事件である:単なる論文の盗用ではなく、世紀の大発見をゴッソリ横取りしようとした驚くべき不正である。現在の大発見者の何人かはこのような盗用に成功した人かもしれない。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
7.白楽の感想
9.主要情報源
10.コメント
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●1.【概略】

141205 mini_1358162575[1]ベルナー・セレ(Bernard Séret、右の写真、出典、リンク切れ)は、フランス・パリにある国立自然史博物館の学芸員で魚類学者。 

141205 Inviteローラン・プユウ(Laurent Pouyaud、左の写真、出典、リンク切れ)は、インドネシアのジャカルタにあるフランス国立の研究開発研究所(IRD:Institut de Recherche pour le Developpement)の研究員で遺伝学者。

ジョルジュ・セル(Georges Serre、写真見つからない)は、詳細不明だが、プユウと同じ研究開発研究所の研究員らしい。

1998年、米国のマーク・エルドマン(Mark V. Erdmann)が生きたシーラカンス(coelacanth)を捕獲し、写真付きでネイチャー誌に発表した。

2000年、上記3人のフランス人科学者(ベルナー・セレ、ローラン・プユウ、ジョルジュ・セル)は、エルドマンの発見より3年前の1995年に生きたシーラカンスを捕獲していたので、発見の優先権は自分たちにあると、ネイチャー誌に写真付きの論文原稿を投稿した。

しかし、スグに、その写真は、エルドマンの1998年のネイチャー論文の写真を盗用したものだと発覚した。

フランスの3人の科学者ベルナー・セレ(Bernard Séret)、ローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)、ジョルジュ・セル(Georges Serre)の誰が「盗用」犯なのか? 

ジョルジュ・セル(Georges Serre)が犯人と思われるが、以下、3人まとめて書く。

141205 Latimeria_Chalumnae_-_Coelacanth_-_NHMW[1]シーラカンス写真(ネイチャー誌の写真ではない)出典CC BY-SA 3.0

  • 国:フランス
  • 成長国:
  • 博士号取得:
  • 男女:男性3人
  • 生年月日:
  • 現在の年齢:
  • 分野:博物学
  • 最初の不正論文原稿:2000年
  • 発覚年:2000年
  • 発覚:ネイチャー編集部
  • ステップ1(発覚):第一次追及者(詳細不明)の研究公正局への公益通報
  • ステップ2(メディア):「サイエンス(Science)」
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①学術誌・編集部。②研究開発研究所。③フランス政府が詐欺罪で調査
  • 研究所・調査報告書のウェブ上での公表:なし
  • 所属機関の事件への透明性:機関はウェブ公表なし(含・調査時点で削除されている)。つまり、隠蔽の意図あり(✖)
  • 不正:盗用
  • 不正論文数:原稿1報
  • 時期:研究キャリアの中期
  • 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)を続けた(〇)
  • 処分: 懲罰なし
  • 日本人の弟子・友人:不明

【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は10億円(大雑把)。

●2.【経歴と経過】

フランスの3人の科学者ベルナー・セレ(Bernard Séret)、ローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)、ジョルジュ・セル(Georges Serre)の個人の経歴を省略した。

●3.【動画】

以下は事件の動画ではない。

【動画1】
ベルナー・セレ(Bernard Séret)の説明動画:「TV Nausicaa – 3 questions à Bernard Seret sur les requins – YouTube」(フランス語)2分33秒。
Nausicaa Centre National de la Merが 2014/09/12に公開

【動画2】
ローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)の説明動画:「Découvrez le portrait de Laurent Pouyaud, explorateur de l’expédition Lengguru 2014 – YouTube」(フランス語)2分55秒。
Planet Ocean Montpellierが 2014/11/19  に公開

●4.【日本語の解説】

★2018年09月16日:山田海人:「シーラカンス 発見のドラマ !!」

出典 → ココ、(保存版

1.1938年の発見

マージョリー・コートニー・ラティマー(Marjorie Courtenay-Latimer)女史 は、南アフリカのイーストロンドン博物館の若い学芸員でした。彼女は、魚類のコレクションを担当しており、標本の入手について地元の漁師と幾度も相談したり、入手についての詰めを行っていました。

そんな折り、1938年12月22日、ラティマー女史はグーセン氏のトロール船を見に行ったのでした。

そこで、ラティマー女史は変わった魚を見つけた。

彼女はその魚を博物館関係者に見せたところ「”変わったロックコッド”ではないか」と、ことの偉大さに気が付いてくれません。ラティマー女史は奮起して、グレアムズタウンのロードス大学でJ.L.B.スミス教授、そして魚類の専門家などのもとへスケッチと記述を送りその魚を照会したのです。

それを受け取ったスミス教授は、絶滅したシーラカンスの姿を正確に記載している絵をみて驚愕し、凄い!直ぐに内蔵を保存するように電報を打ったのでした。そして急いで、スミス教授はニューロンドンへ行き、シーラカンスであると告げたのです。それは1939年2月16日のことでした。

ここまでは、シーラカンスを最初に発見した時の話で、以下が本記事と関係する部分。

2.1998年インドネシアでの発見

インドネシアでの発見にはアメリカ人の若い科学者 Mark Erdman とその妻 Amaz の活躍がありました。その出会いは新婚旅行の時でした。9月のある日インドネシアのマナド(Manado)の市場で水揚げされた魚が木箱で運ばれている様子を見ていた妻は奇妙なシーンに身体がこわばりました。木箱から数本の太くて短い鰭を出していて、身体が重装備のような魚を見つけたのです。そして急ぎ夫に変わった魚がいると伝えたのでした。

夫の科学者マークは、インドネシアでシャコ類に関する研究でカリフォルニア大学バークレー校において最近PhDを取った海洋生物学者でした。彼は、直ぐにシーラカンスと分かり、流暢な現地語で話しかけ、写真を撮りました。旅先のことでもあり、買い取れない金額ではなかったのでしょうがその時は漁師の名前を聞いたり、その魚についての聞き取りで終わったのでした。

●5.【不正発覚の経緯と内容】

【シーラカンスの発見】

絶滅したシーラカンス(coelacanth)

幻の魚・シーラカンス(coelacanth)はウィキペディアによると以下のようだ。(シーラカンス – Wikipedia

シーラカンス目は多くの化石種によって存在が知られており、古生代デボン紀に出現して広く世界の水域に栄えたが、約6500万年前(中生代白亜紀末)の絶滅イベント(K-T境界)を境にほとんど全ての種が絶滅した。

1938年、長らくシーラカンス目は全て絶滅したものと考えられていたが、南アフリカの北東海岸のチャルムナ川(Chalumna River)沖(マダガスカル沖)にて現生種の存在が確認され、学会および世界を騒然とさせた。この現生種はシーラカンスの代名詞的存在となっているが、生物学上の名称は ラティメリア・カルムナエ (Latimeria chalumnae) である。

その後、1952年にはインド洋コモロ諸島で、1997年にはインドネシアのスラウェシ島近海で別種のラティメリア・メナドエンシス (Latimeria menadoensis) の現生が確認されている。これは日本語では生息地域の名を採って「インドネシア・シーラカンス」とも呼ばれるようになる。

★生きたシーラカンス

1998年、米国・カリフォルニア大学・バークレー校の海洋生物学者・マーク・エルドマン(Mark V. Erdmann)は、インドネシアのスラウェシ島近海で生きたシーラカンスを捕獲し、写真付きで、ネイチャー誌に発表した。

その裏話を、エッセイスト・甲斐 晶の文章を基本に少し改訂して理解しよう(甲斐 晶(エッセイスト):「インドネシアにて: SERVUS!」、保存版)。改訂資料(①Sulawesi Coelacanth保存版、②PandaMail June 2011(リンク切れ)、③Smithsonian Institution – The Coelacanth: More Living than Fossil保存版)。

141205 day_15_pic_1[1]1997年9月18日、当時、米国・カリフォルニア大学・バークレイ校の大学院生(間もなく博士号取得)で、インドネシアの珊瑚礁を研究していた海洋生物学者マーク・エルドマン(Mark V. Erdmann)は、結婚したばかりの妻・アーナズと、インドネシアのバリ島からスラウェシ島を新婚旅行していた。

二人でスラウェシ島の北部のモナド・ツア(Manado Tua)の青空市場を歩いている時、妻・アーナズが不思議な魚が木製の荷車に載せられて引かれて行くのを見かけ、夫・マークの注意を引く。彼は、すぐにそれがシーラカンスだと気付いて写真を撮り、漁師に現地産であることを確認したが、それが大発見だと、その時は、分かっていなかった。

米国に戻って初めて、生きたシーラカンスは南アフリカの北東海岸のマダガスカル沖でも見つかっておらず、まして10,000km(白楽訂正、原文は1000km)も離れたインドネシアに生息している訳が無いと考えられていることを知る(白楽が下の写真加えた。出典)。CoelacanthDist

2か月後の1997年11月、インドネシアのスラウェシ島に戻ったマーク・エルドマンは、200人ほどの漁師の聞き取り調査をした。あの漁師の他にも3人からシーラカンスを捕まえたことがあるとの証言を得た。地元では「海の王様(Raja Laut)」と呼ばれ、年に数尾捕まえられていた。

141205 naturecover[1]彼らに報奨金を約束して果報を待つ。ついに1998年7月30日の朝、シーラカンスが生きたまま隣島の博士の家まで運ばれて来た。スラウェシの北、モナド・ツアの近海で鮫の網に掛かったシーラカンスである。そのシーラカンスはその後数時間生きており、博士はシーラカンスの泳ぐ姿を妻と一緒に写すことに成功した。この生きているシーラカンスの発見が2か月後の1998年9月24日号の「ネイチャー」誌に報告され、世界を驚かせた。

141205 indonesia_coelacanth_2[1]海面下で妻・アーナズ・エルドマン(Arnaz M. Erdmann)と泳ぐシーラカンス(1998年7月)。撮影:マーク・エルドマン(Mark V. Erdmann)。.写真出典(Smithsonian Institution – The Coelacanth: More Living than Fossil

★シーラカンス新種の命名

マーク・エルドマン(Mark V. Erdmann)は、シーラカンスの組織の一部をサンプルとして採取した後、シーラカンスを、インドネシアのチビノン(Cibinong)にあるインドネシア科学研究所(Indonesian Institute of Sciences:LIPI)に寄贈した。

彼とインドネシア科学研究所は、「米国・テキサス大学のチームが世界で最初にシーラカンスのDNA分析をし、論文として出版する。その分析で、インドネシアのシーラカンスが新種と判明したら、インドネシア科学研究所の科学者が新しい生物種名を名付ける」ことに合意した。

ところが、インドネシア科学研究所の科学者は、シーラカンスの寄贈を受けた後すぐに、インドネシアのジャカルタにあるフランスの研究開発研究所(IRD)のローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)にシーラカンスの試料を提供した。

1999年1月、米国・テキサス大学のチームがモタモタしている間、ローラン・プユウは論文原稿をネイチャー誌に送付した。

1999年2月、ネイチャー誌はローラン・プユウの原稿を不採択にした(不採択の理由は白楽には不明)。

ローラン・プユウは原稿を改訂し、すぐに、フランス科学アカデミーの学術誌「Comptes Rendus de L’Academie de Sciences」に投稿した。論文は、間もなく出版された(1999年4月号)。

  • Pouyaud, L., S. Wirjoatmodjo, I. Rachmatika, A. Tjakrawidjaja, R. Hadiaty, and W. Hadie (1999).
    “Une nouvelle espece de coelacanthe: preuves genetiques et morphologiques”.
    Comptes Rendus de l’Academie des sciences Paris, Sciences de la vie / Life Sciences 322 (4): 261-267. doi:10.1016/S0764-4469(99)80061-4. PMID 10216801.

141205 LaurentPouyaudつまり、ローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)(写真出典)は、インドネシアのシーラカンスの身体の一部をもらい、南アフリカのシーラカンスであるラティメリア・カルムナエ (Latimeria chalumnae)とDNAを比較した。その結果、インドネシアのシーラカンスを新種と結論したのである。

ローラン・プユウは、上記の論文で、インドネシアのシーラカンスをラティメリア・メナドエンシス (Latimeria menadoensis)と命名した。種名の「menadoensis」は、シーラカンスが発見された場所であるモナド・ツア(Manado Tua)に因んでいる。

ご覧のように、この論文の共著者に、シーラカンスを生きたまま捕獲したマーク・エルドマン(Mark V. Erdmann)やアーナズ・エルドマン(Arnaz M. Erdmann)が入っていない。

エルドマンがシーラカンスを発見したことが重要で、その試料提供を受ければDNA分析は容易である、と多くの研究者は思うだろう。

この時に実際に何が起こったのかを知らなくても、論文の著者名から考えて、ローラン・プユウが成果を横取りしたか、何かズルをしたに違いない、と多くの研究者は思う。

事実、マーク・エルドマン(Mark V. Erdmann)は、ローラン・プユウが、新種名の命名という、学者として「いちばんオイシイ部分」「大きな分け前(the lion’s share)」を取るという甘い汁を吸ったことに、とても憤慨した。「この男がしたのは測定機に魚肉を差し込んだだけだ」と、彼は吐き捨てた。

【不正発覚の経緯】

シーラカンスの発見と命名に関する上記の抗争が下敷きになって次のことが起こった。

シーラカンスを新種とし命名した翌年の2000年春、フランスの3人の科学者は、エルドマンの「1998年のネイチャー誌」論文に異議を唱える論文をネイチャー誌に投稿した。

自分たちは、1995年に既に、インドネシアの海で生きたシーラカンスを捕獲していたので、シーラカンス発見の優先権はエルドマンではなく、自分たちにあると、シーラカンスの写真付きで主張した。

3人の著者は、ベルナー・セレ(Bernard Séret)、ローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)、ジョルジュ・セル(Georges Serre)である。著者の2番目は、シーラカンスの命名で汚いことをしたと思われるローラン・プユウその人だった。

3人の著者。

  • ベルナー・セレ(Bernard Séret)は、フランス・パリにある国立自然史博物館の学芸員で魚類学者。
  • ローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)は、インドネシアのジャカルタにあるフランス国立の研究開発研究所(Institut de Recherche pour le Developpement:IRD)の研究員で、上記のような論争はあるが、別の視点では、シーラカンスの新種・ラティメリア・メナドエンシスの命名者なので、「シーラカンスの父」でもある。
  • ジョルジュ・セル(Georges Serre)は、プユウと同じ研究開発研究所(Institut de Recherche pour le Developpement)の研究員らしいが、この人の素性や顔写真はわからない。

しかし、エルドマンが1998年に捕獲した3年前の1995年に、彼らが本当にシーラカンスを捕獲していたのなら、大きな疑問が起こる。

1995年に、どうして発表しなかったのか?

フランスチームは、捕獲したシーラカンスの標本を博物館に輸送するのに失敗し、標本として登録できなかったと弁解した。ただ、捕獲した時、写真を撮ったので、今回の論文原稿に示したが、その写真は、自宅の引っ越しの時に紛失し、2000年に見つかったというのだ。(白楽注:とても嘘くさい弁解である)

それでも、フランスチームの発見が本当なら、シーラカンスの生息域に関しての知見は学術的に重要だった。

1938年に発見された南アフリカのシーラカンス、1998年にエルドマンが捕獲したインドネシアのシーラカンスの両方とも、深海に棲む魚だった。しかし、フランスチームは、インドネシア・ジャワ島のパンガンダラン(Pangandaran)湾の浅い海域で発見したと記載していた。

浅瀬に生息するのが本当なら、深海のシーラカンスが陸上生活に移行する途上のシーラカンスの生物種を捕獲したことになる。進化の過程で、生物が海から陸に棲むようになるポイントの生物種かもしれないのだ。

ネイチャー誌は、フランスチームの原稿をエルドマン・チームに検討してもらった。すると、エルドマン論文の共著者の1人・ロイ・キャルドウェル(Roy Caldwell、2020年10月現在・カリフォルニア大学バークレー校・教授、写真出典)は、「フランスチームの写真は、100%確実に、私たちの論文の写真を盗用したものだ」と伝えてきた。

ネイチャー誌編集部も、フランスチームのシーラカンスの写真と2年前に出版したエルドマンのシーラカンスの写真を比べ、実質的に同じだと結論した。それで、フランスチームの原稿を採択しないと通知した。

盗用した写真ではないかと追及され、フランスチームのベルナー・セレ(Bernard Séret)は、結局、2つの写真は同じ魚の写真だと認めた。「とても恥ずかしい」と述べている。

写真の実際の入手責任者はフランスチームのジョルジュ・セル(Georges Serre)だった。ジョルジュ・セルは、最初、「自分で写真を撮った」と言っていたが、追及されると、前言をひるがえし、「写真は、後に亡くなった友人が撮影したもので、未亡人がフランス国外に移住する際、私にくれた」と弁解した。(Photo fraud & the coelacanth – Geoff Read – edu.ku.nhm.mailman.taxacom – MarkMail

2000年7月13日号のネイチャー誌は、両者の写真を並べてある。(McCabe H, Wright J;「Tangled tale of a lost, stolen and disputed coelacanth」、Nature. 2000 Jul 13;406(6792):114.)。

141205 406114aa.0[1]左図の左黒枠が1998年のエルドマンの論文のシーラカンスの写真である。右が、フランスチームの写真だが、シーラカンスが3匹並んでいる、その一番下の魚と酷似している。この小さな写真でも、良く見れば、エルドマンのシーラカンスとフランスチームのシーラカンスは、形(全体・頭・ひれ・尾の形)が全く同じだとわかる。つまり、写真を盗用したことは明白である。 写真出典

エルドマンの論文の写真をスキャナーでスキャンし、パソコンに取り込み、電子的に加工し、他の魚と並べて、あたかもこれらの魚を一緒に捕獲したと主張した。証拠画像のねつ造である。

そのねつ造写真を証拠に、自分たちが先に発見したと、ネイチャー誌に論文原稿を投稿したのだ。

2000年、彼らはフランス国立研究所に所属していたので、フランス政府は、詐欺罪で、2人の研究者が所属する研究開発研究所(Institut de Recherche pour le Developpement)を公式に捜査した(News in Brief (2000), “French Agency Seeks Inquiry into ‘Forged’ Coelacanth Photo” Nature, 406:554, August 10.)。ただ、その結果、誰がどのような罪に問われたのか、白楽は、情報を入手できていない。

●7.【白楽の感想】

《1》事件の深堀 

1987年、米国の若い大学院生(マーク・エルドマン)が生きたシーラカンスを発見した。

フランス人研究者のローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)は、エルドマンが捕獲したシーラカンスの試料を入手し、DNA分析し、1999年に新種と論文発表した。この時、エルドマンを論文の共著者に入れていない。

プユウは、自分たちが捕獲したシーラカンスじゃないのに、分析だけして、新種命名といういちばん大きな分け前(the lion’s share)を取るという甘い汁を吸った。この行為に、プユウは味を占めたのだろう。

それに、若い大学院生のエルドマンはインドネシアを新婚旅行中に街を歩いていて、歴史に残る魚を発見した。

一方、プユウは、長年、インドネシアのジャカルタにあるフランス国立の研究開発研究所(Institut de Recherche pour le Developpement)に勤務し、インドネシアの海洋生物を熟知している研究者である。

そういえば、自分も、市場でシーラカンスと同じ魚を見ていたと思っただろう。どうして、それをシーラカンスだと気がつかなかったのか、とジクジたる思いがあったのではないだろうか?

それで、ジョルジュ・セル(Georges Serre)が写真を見せてくれた時、盗用かもしれないと思いつつ、作り話に乗ったのではないだろうか。

この事件は、ベルナー・セレに悪意の魂胆があったと白楽はみている。

ジョルジュ・セル(Georges Serre)が持ってきたシーラカンスの写真を見て、ベルナー・セレ(Bernard Séret)とローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)は、エルドマンの世紀の大発見をゴッソリ横取りしようとしたと解釈している。

まず、セルが持ってきた写真とプユウの話を資料として、ベルナー・セレは自分でシーラカンスの実物を見ずに、自分たちがシーラカンスの発見者だとするネイチャーへの投稿論文を書いたのだ。これは、発見を横取りする意図があったとしか思えない。

次に、セルが持ってきた写真をネイチャー論文の写真と比べれば、博物学者なのだから、ベルナー・セレは盗用だと簡単に気がついたハズだ。

だから、盗用と知りつつ、それでもうまくやれば、大発見をゴッソリ横取りできる。失敗すれば、後を引かないようにセルのせいにしようとベルナー・セレはたくらんだと、白楽は読んでいる。つまり、驚くような盗用である。そもそも前述したようにプユウは横取り前科者である。

《2》珍しい? 

《1》で述べたような発見全体の盗用は珍しい、と思うのは間違いで、実は、かなり頻繁に起こっている。

歴史は勝者が書いている。科学の歴史も同じである。他を圧倒的に引き離して発見・発明する場合もあるが、競合している場合の方が多い。特にアイデア段階ではそうである。

英米など研究先進国の研究者は、他国の研究者が端緒をつけたアイデアを自分の研究室で発展させるのは比較的容易である。国際会議や国際共同研究も「よい」ことと推奨されている。また研究成果は英語で発表することが推奨されている。

これらのシステムで、英米の研究者はアイデアを横取りが容易なシステムを築き上げた。正当な競争という正当な論理で、研究の横取りは常習的に行われている。「富める国はますます富む」というマタイ効果である。

そして、世間から栄誉を与えられた人が科学の歴史を書いている。

現在の大発見者の何人かはこういう大きな盗用に成功した人かもしれない。結構多いのではないだろうか?

ある程度成功を収めた研究者は周囲が支援するので、バレても強情を張り、栄誉を得ている例はいくつもある。例えば以下である(2番目は本人が非を認めた)。

《3》功労者 

この事件の重要な役割を演じたのは、ネイチャー誌編集部の行動と判断である。

フランスチームの原稿の不正に気がつき、論文として掲載しなかった。

さらに、盗用の顛末を記事にした。これで、フランスの「世紀の発見を横取りする陰謀」を阻止することができたのである。

《4》盗用写真 

フランスチームのシーラカンス画像は、エルドマンのとチョッと比較すれば、スキャナーで画像をパソコンに取り込み、画像をねつ造したと簡単にわかる。つまり、簡単に発覚するレベルの画像操作である。

それなのに、ベルナー・セレ(Bernard Séret)は、どうしてねつ造論文を投稿したのだろう? そして、共著者は、ねつ造画像だと分からなかったのだろうか? 

この答えは《1》で書いたように、3人で組んで、大発見ごとゴッソリ横取りする計画だったと推察したことで納得できる。

ところが、第一著者のベルナー・セレ(Bernard Séret)、そして、第二著者のローラン・プユウ(Laurent Pouyaud)は、事件の責任を取っていない。所属機関から処罰されていない。

3人は、厳罰を受けるべきだった。

2014年時点で、ベルナー・セレはフランス・パリにある国立自然史博物館の学芸員として働いている。サメの研究で著名である(写真出典、リンク切れ)。 

bernard-seret-171936[1]

一方、マーク・エルドマン(Mark V. Erdmann)は2014年時点で、環境問題の国際NGOであるコンサベーション・インターナショナル (Conservation International)のインドネシア海洋プログラムの上級アドバイザーである(出典。写真も。リンク切れ)。141205 ci_51115351

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日本がスポーツ、観光、娯楽を過度に追及する現状は日本の衰退を早め、ギリシャ化を促進する。日本は、40年後に現人口の22%が減少し、今後、飛躍的な経済の発展はない。科学技術と教育を基幹にした堅実・健全で成熟した人間社会をめざすべきだ。科学技術と教育の基本は信頼である。信頼の条件は公正・誠実(integrity)である。人はズルをする。人は過ちを犯す。人は間違える。その前提で、公正・誠実(integrity)を高め維持すべきだ。
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●9.【主要情報源】

① ダン・アギン(Dan Agin)の2007年11月27日出版の著書『Junk Science: How Politicians, Corporations, and Other Hucksters Betray Us』、Macmillan社、336 ページ:一部無料閲覧可能だった(リンク切れ)。アマゾンで可(Junk Science: How Politicians, Corporations, and Other Hucksters Betray Us: Agin, Dan: 9780312352417: Amazon.com: Books
② 1999年3月30日のコンスタンス・ホールデン(Constance Holden)の「サイエンス(Science)」記事:Dispute Over a Legendary Fish | Science/AAAS | News
③ 2000年7月13日のヘザー・マッケイブ(Heather McCabe )とジャネット・ライト(Janet Wright)の「Nature」記事:Tangled tale of a lost, stolen and disputed coelacanth | Nature 
④ 2000年7月20日のヘザー・マッケイブ(Heather McCabe )の「Nature」記事:Recriminations and confusion over ‘fake’ coelacanth photo | Nature
⑤ ウィキペディア英語版:Indonesian coelacanth – Wikipedia, the free encyclopedia
⑥ ウィキペディア・フランス語版:Bernard Séret — Wikipédia
⑦ 記事:Institut Virtuel de Cryptozoologie、(保存版
⑧ 2001年x月xx日のブラッド・ハーラブ(Brad Harrub)の「Apologetics Press」記事:Apologetics Press – Missing Links, Living Fossils, and Trick Photography、(保存版
⑨  2014年12月18日版:()、(
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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