ワンポイント:イラン出身のイスラム教徒の教授の盗用だが冤罪の可能性あり
●【概略】
モハンマド・ノウリ(Mohamad Nouri、本人写真未発見)は、米国・ペンシルベニア州立大学(Pennsylvania State University)のペン・ステート・ウィルケス=バーレ・キャンパス(Penn State Wilkes-Barre)・教授で、専門は数学だった。
2004年4月15日(46歳?)、大学側の弁護士の指摘で盗用が発覚し、解雇された。
なお、この事件は、以下の理由で、盗用指摘と解雇は、報復措置の可能性が高く、冤罪の可能性がある(高い)。
(1)ノウリ教授はイラン出身のイスラム教徒である。(2)公民権問題で大学を訴えていた(2回目)。(3)大学の調査委員会は盗用の証拠を提示していない。(4)盗用された人からの指摘がない。
米国・ペンシルベニア州立大学(Pennsylvania State University)のペン・ステート・ウィルケス=バーレ・キャンパス(Penn State Wilkes-Barre)・地図
米国・ペンシルベニア州立大学(Pennsylvania State University)のペン・ステート・ウィルケス=バーレ・キャンパス(Penn State Wilkes-Barre)・図書館。写真出典
- 国:米国
- 成長国:イラン?
- 研究博士号(PhD)取得:
- 男女:不明
- 生年月日:不明。仮に、1958年1月1日生まれとする。
- 現在の年齢:66歳?
- 分野:数学
- 最初の不正論文発表:2001年(43歳?)
- 発覚年:2004年(46歳?)
- 発覚時地位:ペンシルベニア州立大学(Pennsylvania State University)のペン・ステート・ウィルケス=バーレ・キャンパス(Penn State Wilkes-Barre)・教授
- 発覚:大学側の弁護士の指摘
- 調査:①ペンシルベニア州立大学・調査委員会
- 不正:盗用
- 不正論文数:2回。研究会での発表と著書。
- 時期:研究キャリアの後期?
- 結末:解雇
●【経歴と経過】
不明点多い
- 生年月日:不明。仮に、1958年1月1日生まれとする。イラン生まれのイスラム
- 19xx年(xx歳):xx大学を卒業
- 1988年(30歳?):米国・ペンシルベニア州立大学(Pennsylvania State University)・教員
- 1991年(33歳?):米国・ペンシルベニア州立大学・正教授。テニュア取得
- 2004年4月15日(46歳?):盗用とされ、解雇
●【不正発覚の経緯と内容】
2004年4月15日、ペンシルベニア州立大学(Pennsylvania State University)の学長グラハム・スパニア(Graham Spanier、写真出典)は、ノウリ教授を盗用で解雇したと発表した。
盗用の内容は、2点ある。
(1)2001年の研究会で他の教授の研究をあたかも自分のように発表した。
(2)学部生2人の卒業論文を一字一句、彼の著書に盗用した。
●【論文数と撤回論文】
2015年12月21日現在、「arXiv.org 」で、モハンマド・ノウリ(Mohamad Nouri)の「数学(Mathematics)」論文を検索すると、論文はヒットしなかった。
グーグル・スカラー(http://scholar.google.co.jp/schhp?hl=ja)で、モハンマド・ノウリ(Mohamad Nouri)論文を検索すると、665件ヒットしたが、、当該のモハンマド・ノウリの論文はないようだった。
●【事件の深堀】
★背景・疑念
単純な盗用事件には思えない。盗用された学生・研究者の誰一人も大学に訴えていない。問題視したのは、大学側の弁護士・ジェームス・ホーン(James Horne)1人だけである。
実は、1999年、大学は公民権訴訟でノウリ教授に敗訴し、$16,135を支払っていた。ノウリ教授はその仕返しだと訴えている。
2001年(2003年?)、ノウリ教授は公民権問題で、大学に対して2回目の訴訟を起こしていた。
大学側の弁護士・ジェームス・ホーンは、ノウリ教授との訴訟の準備をしているときに、ノウリ教授の盗用を見つけたと述べている。(白楽の感想:ノウリ教授を追い出すためにアラ探しをしたのだろう)
ノウリ教授を盗用としたペンシルベニア州立大学の委員会は、匿名で投票し、ノウリ教授が研究ネカトの「盗用」をしたと判定し、解雇を決めた。審議も短く、不審点が多い。
通常、盗用の証拠は盗用された文書と盗用した文書を並列すれば、専門知識とは無関係に盗用が明白である。ところが、ペンシルベニア州立大学はこの証拠を提示・公表していない。
ノウリ教授は盗用を否定している。盗用とした証拠文書は、自分が渡したものではなく、大学側が改ざんしたものだろうと主張している。つまり、ノウリ教授にも証拠文書を示していない。
ノウリ教授は、大学側の盗用との判定に以下のように反論している。
(1)他の教授の研究をワシントンDCの研究会で発表したのが盗用にあたると大学は述べている。しかし、ノウリ教授は、「それは、ワシントンDCの研究会ではないし、利用したのは研究成果のごく一部で、そもそも発表の時に引用しています」と述べている。これでは、どう考えても盗用にあたらない。
(2)学部生2人の卒業論文を一字一句、彼の著書に盗用したと大学は述べている。しかし、ノウリ教授は、「学生の文章を決して印刷、発表、配布しておりません(published, presented or circulated)」と述べている。学部生から盗用の訴えはない。むしろ、学部生から慕われている様子を新聞が報道している。
大学とノウリ教授のどちらが正しいのか、白楽には知る由もないが、どうやら、異常なことが起こっている印象だ。
★裁判(2015年)
裁判記録に以下のことが記述されている。
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1995年、ノウリ教授は機会均等雇用委員会(Equal Employment Opportunity Commission)とペンシルベニア人間関係委員会(Pennsylvania Human Relations Commission)の協力を得て、差別されていると大学に不満を表明していた。
1997年、ノウリ教授は、差別に対し大学を裁判所に訴え、勝訴した。
2001年(2003年?)、ノウリ教授は、イラン出身でイスラム教徒だから昇給を認めてもらえない。これは、年齢、国、宗教のために昇給を認めてもらえない差別だと、2回目の裁判をペンシルベニア州連邦地方裁判所(U.S. Middle District)に訴えた。
Discrimination suit filed by terminated professor dismissed against Penn State | Centre Daily Times
ノウリ教授は、実は、1975-1991年に16報の論文を出版し、1991年にテニュアを得て正教授になったが、1991年以降は論文を1報しか出版していなかった。
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2015年7月2日、裁判所の陪審員は大学側が正当だと結論し、マシュー・ブラン(Matthew W. Brann)裁判長はノウリ教授の訴えを棄却した。
●【白楽の感想】
《1》冤罪?
【事件の深堀】でも述べたが、この事件は冤罪ではないのか?
それにしても、ノウリ教授がまともとは思えないことも事実だ。
1975-1991年に16報の論文を出版し、1991年にテニュア(終身在職権)を得て正教授になったが、1991年以降は論文を1報しか出版していない。これは、どういうことだ。
2004年に盗用とされたのだから、1991-2004年の14年間に論文発表が1報である。数学は論文が多くはないが、それでも、これは少なすぎだろう。テニュア(終身在職権)を与えても、人種と宗教に関係なく、大学は首にしたくなるだろう。
数学は、1人で紙と鉛筆があれば研究できるのだろうか? とすると、外部研究費も設備もポスドクも不要で、テニュア(終身在職権)をとれば、セッセトと研究しなくなるかもしれない。
とはいえ、それでも、盗用は冤罪の気がする。
●【主要情報源】
① 2004年4月9日のポーラ・ワード(Paula Reed Ward)の「Pittsburgh Post」記事:PSU panel urges firing tenured professor
② 2004年4月16日のポーラ・ワード(Paula Reed Ward)の「Pittsburgh Post」記事:PSU math professor fired for plagiarism | Pittsburgh Post-Gazette
③ 2013年10月11日のジョン・カンピシ(Jon Campisi)の「Pennsylvania Record」記事:Penn State professor fired for plagiarism loses appeal in defamation case against university | Pennsylvania Record
④ 2015年7月5日の「Centre Daily Times」記事:Discrimination suit filed by terminated professor dismissed against Penn State | Centre Daily Times
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