ワンポイント:ハーバード大学教授でカリスマ的知識人の研究ネカト
旧版:2014年10月7日
●【概略】
マーク・ハウザー(Marc D. Hauser、写真出典)は、米国・ハーバード大学(Harvard University)の心理学・正教授に38歳で就任した。医師免許は持っていない。専門は進化生物学で、人間や類人猿に特有と思われていた認識能力がサルにもあることを発見し、進化生物学、認知神経科学のカリスマ的学者だった。
2007年(47歳)、ハーバード大学は研究ネカトの嫌疑でハウザーを内部調査していると発表した。
2010年8月20日(50歳)、ハーバード大学は、調査の結果、ハウザーに研究ネカトがあったと発表した。
2011年(51歳)、ハーバード大学を辞職した。
2012年9月10日(52歳)、研究公正局はハウザーに研究ネカトがあったと結論した。
分野は心理学なので、本ブログでは「人文・社会科学・他」で扱ったが、研究公正局が調査し結論したので「生命科学(米国)」の一覧表にもリストした。
- 国:米国
- 成長国:米国
- 研究博士号(PhD)取得:カリフォルニア大学ロサンゼルス校
- 男女:男性
- 生年月日:1959年11月25日
- 現在の年齢:65 歳
- 分野:進化生物学
- 最初の不正論文発表:1995年(35歳)
- 発覚年:2007年(47歳)?
- 発覚時地位:ハーバード大学・教授
- 発覚:他大学の同じ分野の研究者
- 調査:①ハーバード大学・調査委員会。~2010年8月20日。調査期間は3年間。②研究公正局。~2012年9月10日
- 不正:ねつ造・改ざん
- 不正論文数:撤回論文1報、訂正論文1報。多分、もっとある(推定)。
- 時期:研究キャリアの初期から
- 結末:辞職
写真出典:Monkey business? | The Economist
●【経歴と経過】
- 生年月日:1959年11月25日
- 19xx年(xx歳):ペンシルベニア州のバックネル大学(Bucknell University)を卒業
- 19xx年(xx歳):カリフォルニア大学ロサンゼルス校で研究博士号(PhD)取得。指導教員はドロシー・チーニー(Dorothy Cheney)とロバート・セイファー(Robert Seyfarth)。
- 19xx年(xx歳):ミシガン大学のリチャード・ランガム(Richard Wrangham)の元でポスドク
- 1992年(32歳):米国・ハーバード大学(Harvard University)・助教授
- 1995年(35歳):米国・ハーバード大学(Harvard University)・準教授
- 1998年(38歳):米国・ハーバード大学(Harvard University)・教授
- 2007年(47歳):ハーバード大学は研究ネカトの嫌疑でハウザーを内部調査していると発表した
- 2010年8月20日(50歳):ハーバード大学は、調査の結果、ハウザーに研究ネカトがあったと発表した
- 2011年(51歳):ハーバード大学を辞職
- 2012年9月(52歳):研究公正局は、ハウザーの研究ネカトと事件報告書を公表した
●【研究内容】
一般知識人向けの分厚い著書がある。
- 『The Evolution of Communication』 (1996)(36歳) :ISBN-13: 9780262581554、771ページ。日本語訳はない。
- 『ワイルド・マインド:動物が本当に考えていること(Wild Minds: What Animals Really Think)』 (2000) (40歳) :ISBN-13: 978-0805056693、:315ページ。日本語訳はない。
- 『モラル・マインド:どのようにして自然は善や悪の普遍的な感覚をデザインしたのか(Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong)』(2006) (46歳)::ISBN-13:9780060780708、:512ページ。日本語訳はない。
★【動画】
マーク・ハウザー(Marc Hauser)本人が「Moral Minds」について語っている。「Moral Minds Marc Hauser 1 – YouTube」。(英語)3分39秒。、シリーズ7巻の第1巻。
2008年6月22日 にアップロード
●【不正発覚の経緯】
1960年代、米国・チューレン大学(Tulane University)のゴードン・ギャラップ(Gordon G. Gallup、写真出典)は、鏡に映った自分を自分と認識できる能力で動物の知能を測る方法を考案した。
これは「鏡像認知」「自己鏡映像認知能力」(Mirror test)と呼ばれている。ちなみに、ヒト乳幼児では2歳前後に鏡や写真に写った自分を自分と認識できる[Amsterdam, Beulah (1972). “Mirror self-image reactions before age two”. Developmental Psychobiology 5 (4): 297-305. doi:10.1002/dev.420050403. ISSN 0012-1630]。
1970年、ギャラップは、チンパンジーに鏡像認知能力があるが、サルにはないと報告した[Gordon G. Gallup, Jr. (1970年1月2日). “Chimpanzees:self-recognition”. Science 167 (3914): 86-87. http://www.radicalanthropologygroup.org/old/class_text_023.pdf.]。
その後、2016年1月現在まで、チンパンジーなどの類人猿のほか、イルカ、ゾウ、カササギなども鏡像認知能力があるとされている。しかし、類人猿以外の動物での結果は、追試実験が不十分と考えられる面もあり、専門家の間では論争になっている。
サルではどうだろうか?
1995年、1995年(35歳)、準教授に昇進したばかりのハウザーは、サルの1種であるワタボウシタマリン(Cotton-top tamarin)に鏡像認知能力があると発表した[Hauser, M; J. Kralik; C. Borro-Mahan; M. Garret; J. Oser (November 1995). “Self-recognition in primates: Phylogeny and the salience of species-typical features”. ProNAS 92 (23): 10811-10814. doi:10.1073/pnas.92.23.10811. PMC 40702. PMID 7479889]。
ワタボウシタマリン(Cotton-top tamarin写真出典)
ニューヨーク州立大学オールバニ校の心理学教授に移籍していたゴードン・ギャラップは、ハウザーの論文に疑問を抱き、実験過程をチェックしたいと考え、ハウザーが実験で撮影したビデオ録画の一部を入手し調査した。
その結果、「ハウザーの実験ビデオを観ても、そこには、科学的であろうとなかろうと、とにかく、鏡に映ったワタボウシタマリンがワタボウシタマリン自身を認識しているという彼の結論に納得できる映像は、どのワタボウシタマリンにも見出せなかった」、とギャラップは述べている。
ギャラップが、「残りのビデオ録画見せて下さい」とハウザーに依頼すると、ハウザーの返事は、「残りのビデオは盗まれてしまって、もうありません」だった。
1997年(37歳)、ギャラップは、アンダーソン(Anderson JR)と共著で、ハウザー論文に批判的な論文を書いた[Anderson JR, Gallup jr GG (1997) Self-recognition in Saguinus? A critical essay Anim Behav 54 (6):1563-7. PMID: 9521801]。
その論文には、「ハウザーの論文では、“認識”の基準が不十分である。自分たちの評価では、チンパンジーや他の大型類人猿が、鏡像認知を示すときに見られるようには、ワタボウシタマリンは、鏡像認知を示す行動をしていない」と述べた。
1997年(37歳)、ハウザーはギャラップに反論している[Hauser, MD; J. Kralik (December 1997). “Life beyond the mirror: a reply to Anderson & Gallup”. Animal Behaviour 54 (6): 1568-1571. doi:10.1006/anbe.1997.0549. PMID 9521802.]。
2001年(41歳)、しかし、ハーバード大学の正教授になって3年が経過したハウザーは、自分たちの実験が追試できないと発表した。過去論文に記載した結論の証拠が得られないと発表した[Hauser, Marc; Cory Thomas Miller; Katie Liu; Renu Gupta (March 2001). “Cotton-top tamarins (Saguinus oedipus) fail to show mirror-guided self-exploration”. American Journal of Primatology 53 (3): 131-137. doi:10.1002/1098-2345(200103)53:3<131::AID-AJP4>3.0.CO;2-X. PMID 11253848.]
写真出典
2007年(47歳)、ハーバード大学はハウザーを科学における不正行為の嫌疑で内部調査していると発表した[Marc Hauser’s Fall From Grace | News | The Harvard Crimson]。
2010年8月20日(50歳)、ハーバード大学のマイケル・スミス(Michael Smith)人文科学部長は、3年間の調査の結果、ハウザーの研究で8件の研究ネカトを見つけ、その責任はハウザー単独だと発表した。3件は出版した論文、5件は未発表の研究だった[FAS dean details Hauser scientific misconduct | Harvard Magazine]。
2011年7月(51歳)、ハウザーはハーバード大学を2011年8月1日付けで辞職すると発表した[Embattled Professor Marc Hauser Will Resign from Harvard | News | The Harvard Crimson]。
2012年9月(52歳)、米国政府機関の研究公正局も、「ハウザーの研究には不正があり、1つの研究でねつ造、複数の実験で改ざんが見つかりました。それらの研究は、以下の政府研究費の援助を受けていました」、と発表した[NOT-OD-12-149: Findings of Research Misconduct]。
- National Center for Research Resources (NCRR)
- National Institutes of Health (NIH), grants P51 RR00168-37 and CM-5-P40 RR003640-13
- National Institute on Deafness and Other Communication Disorders (NIDCD), NIH, grant 5 R01 DC005863
- National Institute of Mental Health (NIMH), NIH, grant 5 F31 MH075298
●【不正の内容】
ボストン・グローブ紙の2012年9月5日の記事 Harvard professor who resigned fabricated, manipulated data, US says – White Coat Notes – Boston.com]と2014年5月30日の記事 [Internal Harvard report shines light on misconduct by star psychology researcher, Marc Hauser – The Boston Globe]、研究公正局の2012年9月10日の通達 [NOT-OD-12-149: Findings of Research Misconduct] を中心に、英語版ウィキペディアなどの情報を加味すると、以下のようだ 。
ハウザーは6件の研究ネカトを単独で行なった。その内の主要な部分を以下に示す。
- ハウザーは、2002年の「Cognition」誌の論文でデータをねつ造した「Hauser, M.D., Weiss, D., & Marcus, G. “Rule learning by cotton-top tamarins.’ Cognition 86:B15-B22, 2002」。その論文は、音節パターンを学習するサル(ワタボウシタマリン)の認識能力を研究したものである。彼はサルに特別な音節パターンを聞かせる実験をし、結果を図2にまとめた。音節パターンは、3連の音節で、例えば、「いろは」に慣らせた14匹のサルに、今度は「いはろ」を聞かせ「いろは」と区別できるかという実験である。しかし、実際には、後半の「いはろ」を聞かせていないにもかかわらず、聞かせたとするデータをねつ造し、ねつ造した結果を図2として発表した。この論文は2010年に撤回された。
- 2005年の論文では、元データでは測定値がバラバラだったが、統計的に有意な数値となるようにハウザーが5点のうち4点を改ざんした。
- 2007年の論文「Hauser, M.D., Glynn, D., Wood, J. “Rhesus monkeys correctly read the goal-relevant gestures of a human agent.’ Proceedings of the Royal Society B 274:1913-1918, 2007」は、アカゲザルが人間のジェスチャーを理解できるかどうかの実験を行なったが、7つの実験のうちの1つの「実験方法」と「結果」を改ざんをした。人間がエサ箱(エサは入っていない)を指でさすと、サルが近づくかどうかの実験である。
「実験方法」の改ざんは、全部、ビデオ撮影したとあるが、実際には、30匹分しか撮影していなかった。
「結果」の改ざんは、43匹の内31匹が近づいたと書いたが、実験記録には27匹しか近づいていなかった。
改ざん前の元データでも統計的有意性はあるのにどうして改ざんしたのだろうか。2011年に訂正論文を「Proceedings Royal Society B 278(1702):58-159, 2011」に発表した。
★ハウザーの対応とその後
ハウザー自身は、上記の研究ネカトを認めていないが、否定もしていない。
ただし、研究公正局が提示した調停合意(Voluntary Settlement Agreement)を受入れ、2012年8月9日から3年間、米国政府・保健福祉省公衆衛生局(PHS)関連の諸事業(研究費申請・受給など)に一切関与できない締め出し処分(debarment)を了承している。 このことから、実質的には研究ネカトを“認めた”とされている。
2013年に著書『Evilicious: Cruelty = Desire + Denial』 を出版している。ISBN-13:9781484015438、316ページ。日本語訳はない。
●【論文数と撤回論文】
2016年1月6日現在、パブメドで、マーク・ハウザー(Marc D. Hauser)の論文を「Marc D. Hauser [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2002年~2014年の71論文がヒットした。
「Hauser MD[Author]」で検索すると、1997~2014年の137論文がヒットした。
2016年1月6日現在、パブメドでの撤回論文はない。
個別にチェックすると、2002年の「Cognition」誌の論文でデータをねつ造した「Hauser, M.D., Weiss, D., & Marcus, G. “Rule learning by cotton-top tamarins.’ Cognition 86:B15-B22, 2002」は撤回されていた(ココ)。上記パブメドではリストされなかった。
2007年の論文「Hauser, M.D., Glynn, D., Wood, J. “Rhesus monkeys correctly read the goal-relevant gestures of a human agent.’ Proceedings of the Royal Society B 274:1913-1918, 2007」は、撤回されていないが、訂正されていた(ココ)。
●【白楽の感想】
《1》研究ネカト者を早期に排除すべし
ハウザーは、多数の論文を出版し、著書も書き、38歳でハーバード大学の正教授に就任し、多額の研究費を獲得した。これらはカンニングで良い成績を得たのと同じで、論文多作・昇進・多額の研究費は、ズルして得たのである。研究もうまかったかもしれないが、ズルもかなり上手かったのである。
こういう根っからの研究ネカト者は、早い時期に見つけ、学術界から放逐しないと、本人にとっても学術界にとっても不幸だ。
研究室の室員は気が付いていたという記述もある。内部からの公益通報をもっとしっかり育成する仕組みを作るべきだろう。
●【主要情報源】
② 2012年9月10日、研究公正局の事件報告書:NOT-OD-12-149: Findings of Research Misconduct
③ 2010年1月8日、ハーバード大学が2010年1月に研究公正局に送付したマーク・ハウザー不正研究の最終調査報告書。2014年5月まで非公開だった。“Report of Investigating Committee”
④ 2010年8月10日のキャロライン・ジョンソン(Carolyn Y Johnson.)の「Boston Globe」記事:Author on leave after Harvard inquiry – The Boston Globe
⑤ 2010年8月26日の「Economist」記事:Monkey business? | The Economist
⑥ 2010年8月20日のニコラス・ウェイド(Nicholas Wade.)の「New York Times」記事: Harvard Finds Marc Hauser Guilty of Scientific Misconduct – The New York Times
⑦ 日本語:2010年9月2日の記事:マーク・ハウザー事件:動物の道徳、研究の倫理 – みずもり亭日誌2.0
⑧ 日本語:2013年8月8日の下條信輔の「WEBRONZA」記事(全部閲覧は有料):続・科学の本質と論文不正の微妙な関係 – 下條信輔|WEBRONZA – 朝日新聞社
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