化学:ジョセフ・コート(Joseph Cort)(米)

ワンポイント:ハーバード卒がマッカーシズムで22年間もチェコスロバキアに逃亡し、米国に帰国後、データねつ造した約35年前の事件

【概略】
vega-biotechnologies-73454162 ジョセフ・コート(Joseph H. Cort、本人写真未発見)は、米国・ハーバード大学の学生時代に共産党活動をしたため、身の危険を感じ22年間チェコスロバキアで過ごし、1975年(50歳?)に米国に帰国した。

マウントサイナイ医科大学で研究したのち、米国・アリゾナ州のヴェガ研究所(Vega Biotechnologies)に移籍した。医師だが、専門は有機化学(生理活性物質の有機合成)だった。

1980年12月(55歳)、コートは、1976年(51歳)から1980年(55歳)までの5年間勤めたマウントサイナイ医科大学での研究成果はデータねつ造だったと、ヴェガ研究所の社長に自発的に告白した。

1280px-SinaiMedマウントサイナイ医科大学。”SinaiMed” by Homieg340 – Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Commons –  写真出典

  • 国:米国
  • 成長国:米国
  • 研究博士号(PhD)取得:なし
  • 男女:男性
  • 生年月日:1925年頃生まれた。仮に、1925年1月1日生まれとする
  • 現在の年齢:生きていれば、92 (+1)歳
  • 分野:有機化学
  • 最初の不正論文発表:1976年?(51歳?)
  • 発覚年:1980年(55歳)
  • 発覚時地位:ヴェガ研究所・研究員
  • 発覚:本人が告白
  • 調査:なし
  • 不正:ねつ造・改ざん
  • 不正論文数:不明
  • 時期:研究キャリアの後期から
  • 結末:辞職

【経歴と経過】

  • 1925年頃生まれ:仮に、1925年1月1日生まれとする
  • 1947年?(22歳?):米国のハーバード大学(Harvard University)を卒業。学生時代に共産党員として政治活動をした
  • 1951年?(26歳?):米国のイェール大学医科大学院(Yale University’s Medical School)を卒業。医師免許取得
  • 1951年(26歳?):英国留学したが、数か月後、在英米国大使館に米国に帰るよう命令された。しかし、拒否し、英国にとどまった
  • 1954年(29歳?):チェコスロバキアに逃亡。その後22年間、チェコスロバキアに滞在
  • 1975年(50歳?):米国に帰国
  • 1976年(51歳?):米国のマウントサイナイ医科大学(Mount Sinai School of Medicine)で研究する
  • 1980年12月(55歳):アリゾナ州ツーソン(Tucson)のヴェガ研究所(Vega Biotechnologies)に移籍する
  • 1980年12月(55歳):データねつ造を自分で告白した

revobookstore-img600x450-1439515634disxcv21008-1【不正発覚の経緯と内容】

事件の顛末は、アレクサンダー・コーン(酒井シズ、三浦雅弘訳):『科学の罠』、工作舎、1990年に記述されている。興味のある人は、是非、『科学の罠』を読んでください。

全体像を、著書『科学の罠』から引用しよう。
Joseph Cort1-1コートはチェコスロバキアで22年間過ごし、1975年(48歳)に米国に帰国した。チェコスロバキアではホルモンの化学構造を変えることでアルコール中毒を治す薬剤を作る研究をしていた。例えば、1965年、バソプレシン(vasopressin)類似物質のDDAVPというを薬物を合成し、ビジネスとしても成功た。市中のアルコールの売り上げが落ちるほど、アルコール中毒患者に効いたそうだ。

チェコスロバキアで有機合成の研究をしているとき、国際会議で、米国・マウントサイナイ医科大学・生理学/生物物理学・学科長のアービング・シュワルツ(Irving L. Schwartz)と知り合った。

1976年(51歳)、米国に帰国したコートは、アービング・シュワルツの助力で、マウントサイナイ医科大学で研究・教育をすることができた。その時、アービング・シュワルツはヴェガ研究所(Vega Biotechnologies)から財政的支援が得られるように手配してくれた。

1980年12月(55歳)、コートは、マウントサイナイ医科大学を辞め、アリゾナ州のヴェガ研究所(Vega Biotechnologies)に移籍した。

1980年(55歳)、12月のある朝、コートは、ヴェガ研究所の社長室に行った。

社長のレオン・バーストウ(Leon Barstow)は、「彼が非常に混乱していて、何日も寝ていないようで、放心状態のように見えました。そして、私に1976年(49歳)から1980年までの5年間勤めたマウントサイナイ医科大学での研究成果はデータねつ造だったと、告白したのです。私は驚きました。その告白は破滅的だと、直ちに思いました」。

どうして、データねつ造したのかと問われ、コートは次のように答えている。

「データねつ造するようにと誰にも命じられたわけではありません。私は愚かでした。私はたくさんのストレスがあり、精神的に少し混乱していました。私は研究費が欲しかったのです。研究費が得られなければ生きる道はありませんでした。」

ヴェガ研究所は、マウントサイナイ医科大学のコートの研究にすでに25万ドル(約2,500万円)以上投資していた。そして、ヴェガ研究所に移籍してからは、1千万ドル(約10億円)を投資する予定だった。

マウントサイナイ医科大学・評議会委員長(学長?)のアルフレッド・スターン(Alfred R. Stern)は、「まるで、山のような煉瓦が降ってきたように感じました。私は、2つの委員会を立ち上げました。1つは6人の教授からなる調査委員会です。もう1つは2人の評議員と2人の外部有識者からなる評価委員会です」。

調査委員会は、調査の結果、この件に関し、コート以外の教員・研究者が研究ネカトに関与していないと結論した。

コートは、「ヴェガ研究所は財政的に苦しいので、自分で外部から研究費を獲得しないと研究を続けられないと思っていました。そのためには、この分野で、他の研究者より優れた成果を発表しなければならないと考えました。それで、データねつ造・改ざんをしてしまったのです。しかし、その時、私は、データねつ造・改ざんで生じる研究規範問題に気が回りませんでした。他の研究所で発生している同類のスキャンダルにも関心を持っていませんでした。米国に帰国してからずっと、研究費を獲得できない不安を抱えていました」と述べている。

Joseph Cortコート事件の「New Scientist 1983年1月6日」記事、顔写真はコートではありません。出典

【論文数と撤回論文】
2015年10月17日、パブメドhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedで、ジョセフ・コート(Joseph Cort)の論文を「Joseph Cort [Author]」で検索すると、0論文がヒットした。

「Cort J[Author]」で検索すると、1948年~2015年の170論文がヒットした。この記事の当該者とは別人の論文が入っていると思われる。

上記170論文を、マウントサイナイ医科大学に所属として検索すると、つまり、「(Cort J[Author]) AND Mount Sinai School of Medicine[Affiliation]」で検索すると、0論文がヒット した。

2015年10月17日現在、撤回論文はない。

【白楽の感想】

《1》今昔物語

ハーバードとイェール卒の超エリート医師が、思想的理由で米国を追われ、22年間もチェコスロバキアに逃亡していた。2015年の現代の日本の若者には、現在の米国とは異質な印象を受けるが、かつての米国は「自由の国」でも「人権擁護の国」でもなかったのだ。

米国で「赤狩り」活動、つまりマッカーシズム旋風が吹き荒れていた時代があったのだ。

マッカーシズムは、第二次世界大戦後の冷戦初期、1948年頃より1950年代前半にかけて行われたアメリカにおける共産党員、および共産党シンパと見られる人々の排除の動きを指す(出典:赤狩り – Wikipedia)。

ジョセフ・コート(Joseph Cort)はそういう不運な時代の米国で青春時代を過ごしたのである。ハーバード卒でイェール卒の医師なのだから、超優秀だったのだろう。しかし、22年もチェコスロバキアにくすぶっていて、鈍したのだろう。折角米国に帰国したのに、ねつ造・改ざんに走ってしまったのだ。

そして、現代の日本の若者にはチェコスロバキアという国もなじみがないかもしれない。チェコスロバキアという国は1992年までヨーロッパに実在していた。1993年に現在のチェコとスロバキアの2つの国に分離したのである。

そういう古い時代の古い研究ネカト事件だが、研究者がより良い研究を目指して研究費を獲得しようと、もがいた末、事件を起こしてしまった。悲しい。

しかし、告発される気配もなく、調査される気配もないのに、自発的にデータねつ造・改ざんを自白した研究者は珍しい。今まで100件以上の事件を調べたが、このような研究者は唯一ではないだろうか。55歳のジョセフ・コートは、研究ネカト者ではあるものの、ある面、誠実でまっとうな善悪観をもっていたともいええる。

【主要情報源】
① 書籍: アレクサンダー・コーン(酒井シズ、三浦雅弘訳):『科学の罠』、工作舎、1990年。文章はウェブ上にない
② 1982年12月27日、ファーバー(M.A. Farber)の「ニューヨーク・タイムズ」記事::RESEARCHER FAKED DATA AT MT. SINAI MEDICAL SCHOOL – NYTimes.com保存版
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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