ワンポイント:約30年前のデータねつ造事件で、2年間の締め出し処分を受けたが、その後、研究者として活躍した
●【概略】
チャールズ・グルック(Charles J. Glueck、写真出典)は、米国・シンシナティ大学医科大学院(University of Cincinnati College of Medicine)・教授・医師で、専門は心臓内科(心臓病のおけるコレステロールの役割)だった。
1986年7月(46歳)、NIH(エヌアイエッチ)にデータねつ造・改ざんとの公益通報があり、NIHは直ちに調査を開始した。
1987年2月(47歳)、ねつ造・改ざんの調査の途中で、グルックはシンシナティ大学医科大学院・教授を辞職し、ジューイッシュ病院(Jewish Hospital of Cincinnati)の臨床医に移籍した。
1987年7月(47歳)、NIHは、グルックにねつ造・改ざんがあったと発表した。グルックは、1972年(32歳)以来15年間で、数百万ドル(数億円)の研究費をNIHから受給していたこともあり、NIHは、2年間の締め出し処分を科した。
締め出し処分は、当時、研究者に対する処分としては厳しい部類で、それ以前には3人しかいなかった。2016年3月18日現在では、約300人(推定)に上る。
締め出し処分を受けた研究者が研究を続けるのは難しいが、グルックは例外的に、その後も研究者として活躍した。2016年3月18日現在(76歳)も現役医師で、2016年にも研究論文を発表している。
この事件の無料・日本語解説はウェブ上に見つからなかったが、アレクサンダー・コーン(酒井シズ、三浦雅弘訳)の著書『科学の罠』(工作舎、1990年)に記述されている。本文に引用した。
シンシナティ大学医科大学院(University of Cincinnati College of Medicine)。写真出典
- 国:米国
- 成長国:米国
- 研究博士号(PhD)取得:ない?
- 男女:男性
- 生年月日:不明。仮に1940年1月1日とする
- 現在の年齢:84歳?
- 分野:心臓内科
- 最初の不正論文発表:1986年8月(46歳)
- 発覚年:1986年7月(46歳)
- 発覚時地位:シンシナティ大学医科大学院・教授
- 発覚:公益通報
- 調査:①シンシナティ大学医科大学院・調査委員会。②NIH・調査委員会。1986年7月~1987年8月。.
- 不正:ねつ造
- 不正論文数:1報。撤回論文は1報
- 時期:研究キャリアの中期
- 結末:転職
- 生年月日:不明。仮に1940年1月1日とする
- 1964年(24歳):米国・ケース・ウェスタン・リザーブ大学医科大学院(Case Western Reserve University College of Medicine)で医師免許取得
- 1964-1966年(24-26歳):マサチューセッツ総合病院(Massachusetts General Hospital)で研修医(Internship/Residency)
- 1966-69年(26-29歳):NIHのNHLBIの分子病研究室(Molecular Disease Branch)でポスドク
- 1969-71年(29-31歳):米国・シンシナティ大学医科大学院・助教授。シンシナティ総合病院(Cincinnati General Hospital、シンシナティ大学附属病院)・医師
- 1972-74年(32-34歳):同・準教授
- 1974-87年(34-47歳):同・教授
- 1986年7月(46歳):不正研究が発覚する
- 1987年2月(47歳):シンシナティ大学医科大学院・教授を辞職
- 1987年2月 (47歳):米国・シンシナティのジューイッシュ病院(Jewish Hospital of Cincinnati)のコレステロール研究センター長
- 1987年7月(47歳):NIHは、グルックにねつ造・改ざんがあったと発表した
- 2016年3月18日現在(76歳):米国のジューイッシュ病院で医師として勤務。研究論文も発表している
●【日本語の既解説】
★アレクサンダー・コーン『科学の罠』
出典 →アレクサンダー・コーン(酒井シズ、三浦雅弘訳)の著書『科学の罠』(工作舎、1990年)
アレクサンダー・コーン『科学の罠』(工作舎、1990年)にこの事件のことが記述されている。以下に引用する。
●【不正発覚の経緯】
上記のアレクサンダー・コーン『科学の罠』に主要な点が記載されている。以下は補佐である。
発覚の発端は1986年6月(または7月)、名前を伏せられたままだが、2人の人からグルックの論文原稿にデータ不正があるとNIHに公益通報があった。それで、NIHは公式な委員会を設置し調査をした。
NIH副所長のウィリアム・ラウブ(William Raub、写真出典)が研究ネカトの撲滅に熱心で、グルックの調査をまとめた人物である。ラウブは、「研究界は以前より研究ネカトに対して注意を怠りません」と述べている。
1987年7月(47歳)、NIHは、グルックにねつ造・改ざんがあったと発表した。
NIHは、1972年(32歳)以来15年間で、数百万ドル(数億円)の研究費をグルックに助成していたこともあり、NIHは、グルックに2年間の締め出し処分を科した。
締め出し処分は、当時、研究者に対する処分としては厳しい部類で、それ以前には3人しかいなかった。2016年3月18日現在では、約300人(推定)いる。
●【論文数と撤回論文】
2016年3月18日現在、パブメド(PubMed)で、チャールズ・グルック(Charles J. Glueck)の論文を「Glueck CJ [Author]」で検索すると、1968~2016年の49年間の481論文がヒット(保存版)した。
さらに所属をジューイッシュ病院(Jewish Hospital)に限定した「(Glueck CJ [Author]) AND Jewish Hospital[Affiliation] 」で検索すると、1988~2016年の29年間の143論文がヒット(保存版)した。
2016年3月18日現在、「1986年のPediatrics誌」論文 が1987年に撤回されている。本記事で問題にした論文である。
- Safety and efficacy of long-term diet and diet plus bile acid-binding resin cholesterol-lowering therapy in 73 children heterozygous for familial hypercholesterolemia.
Glueck CJ, Mellies MJ, Dine M, Perry T, Laskarzewski P.
Pediatrics. 1986 Aug;78(2):338-48.
Retraction in: Glueck CJ, Laskarzewski P, Mellies MJ, Perry T. Pediatrics. 1987 Nov;80(5):766.
★締め出し処分後、数年間の論文発表
1987年に2年間の締め出し処分を受けたが、締め出し処分後の論文数と出版年は以下の通りだ。
1988年 1報
1989年 2報
1990年 3報
1991年 5報
1990年 3報
1991年 4報
締め出し処分期間中の2年間にも出版し、その後も、多く出版している。
●【白楽の感想】
《1》1転び1起
論文数と撤回論文の結果から、1報の論文撤回で、グルックはしっかり更生し、慎重に研究を発展させたことがうかがえる。
出世にはどれだけマイナスだったか計りかねるが、研究遂行上は、ある意味、プラスに働いたのではないだろうか。
アレクサンダー・コーン『科学の罠』の記述にあるように、当時の若いグルックは研究ネカトだったのにもかかわらず、態度が尊大で自尊心が高く、相当なイヤナヤツだったようだ。研究ネカトの調査に怒り、感情的に教授を辞職したのだろう。
しかし、このことを契機に深く反省し、研究態度を改め、ジューイッシュ病院に転籍した1988年から2016年の29年間に143報の論文を発表した。研究者として大成功の人生を送った1人だ。イヤイヤ、「人生を送った」のではない。まだ現役で、76歳の2016年現在も研究を続け、「人生を送って」いる。
●【主要情報源】
① 1987年8月10日のチャールズ・マーヴィック(Charles Marwick)の「The Scientist」記事:Fast Censure for Glueck | The Scientist Magazine®(保存版)
② 1987年7月18日のローレンス・アルトマン(Lawrence K. Altman)の「NYTimes」記事:Cholesterol Researcher Is Censured For Misrepresenting Data in Article – NYTimes.com(保存版)
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