匿名ケー・イー(K.E.)(米)

【概略】
Texas_State[1]法的に匿名でケー・イー(K.E.)と特定される人物なので、ここでは匿名イーと呼ぶ。匿名イー(K.E.、当然ながら写真未発見)は、米国・テキサス州立大学(Texas State University、写真出典)・大学院修了者(女性)で、専門は植物生態学だった。

2014年9月、指導教員の公益通報により博士論文でのデータ改ざんが発覚し、授与されていた研究博士号(PhD)が取り消された。

匿名で処理されていることからもわかるように、データ改ざんの経過や内容、それに、匿名イーの研究人生はほとんどわからない。

本記事では、「研究上の不正行為」者を匿名で扱う点と博士号取消の点に焦点を絞って記述する。

  • 国:米国
  • 成長国:
  • 研究博士号(PhD)取得:テキサス州立大学(Texas State University)
  • 男女:女性
  • 生年月日:不明。仮に、1985年1月1日生まれとする
  • 現在の年齢:39歳?
  • 分野:植物生態学
  • 最初の不正論文発表:2014年(29歳?)(推定)
  • 発覚年:2014年(29歳?)
  • 発覚時地位:
  • 発覚:指導教員の内部公益通報
  • 調査:テキサス州立大学・調査委員会
  • 不正:改ざん
  • 不正論文数:博士論文だから1報(推定)。
  • 時期:研究キャリアの初期から
  • 結末:研究博士号(PhD)の取消

【経歴と経過】
不明点が多い

  • 生年月日:不明。仮に、1985年1月1日生まれとする
  • 20xx年(xx歳):テキサス州立大学で研究博士号(PhD)取得
  • 20xx年(xx歳):指導教員の公益通報によりデータ改ざんが発覚
  • 2014年9月(29歳?):テキサス州立大学から研究博士号(PhD)が取消された
  • 2015年1月16日の数日前(30歳?):地方裁判所にテキサス州立大学を訴えた

【不正発覚・調査の経緯】

プライバシー保護のため、該当者は米国では法的に「K.E.」と呼ばれているので、本記事では匿名イーと呼ぶ。

★改ざん

150215 Susan2011b2014年前半(?)、テキサス州立大学(Texas State University)生物学科のスーザン・シュワイニング(Susan Schwinning、写真出典)準教授は、彼女の大学院生だった匿名イーが博士論文でデータ改ざんしていたとテキサス州立大学に公益通報した。

テキサス州立大学は調査委員会を設け調査した。その結果、調査委員会、学長、評議員会のすべてが研究博士号(PhD)の取り消しに同意した。

2014年9月、テキサス州立大学(Texas State University)は匿名イーの研究博士号(PhD)を取り消した。

★裁判

2015年1月16日の数日前(30歳?)、匿名イーは、地方裁判所にテキサス州立大学を訴えた。

匿名イーは、研究データが改ざんだと考えていない。改ざんとされたのは、彼女が研究で使用した植物の葉のガス分析機が彼女の知らない間に誤動作したために、データの不一致が起こり、あたかもデータが改ざんされたかのように受け取られた、と主張している。

データの不一致は、指導教員のスーザン・シュワイニング準教授が、論文に出版するために研究成果を整理している時、データに矛盾があることに気が付いて、明るみに出た。

また、匿名イーは、大学の調査委員会が公平ではなかったことも問題にしている。調査委員会の3人の委員のうちの2人は、事件を議論していた人、あるいは、事件関係者に個人的に関係していた人である。従って、調査は公正とは思えない。

【論文数と撤回論文】

パブメドhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedで、匿名イーの論文を検索できない。代わりにスーザン・シュワイニング(Susan Schwinning)の論文を「Schwinning S[Author]」で検索した。すると、2003年~2014年の12年間の9論文がヒットした。

2015年2月9日現在、撤回論文はゼロである。また9論文の共著者にK.E.というイニシャルの人はいない。

150215 Schwinning_2[1]
指導教員のスーザン・シュワイニング(Susan Schwinning)準教授。写真出典

【事件の深堀】

★学位取消

論文の内容に不正があれば、つまり、研究ネカトや重大な間違いがあれば、論文は取り消されるか訂正されるべきだ、と白楽は思っている。この処置に時効はない、と白楽は思っている。

そして、論文が卒業論文、修士論文、博士論文でも、該当論文は取り消されるか訂正される。

取り消される場合、該当の学位も同時に取り消される。学位が卒業要件なら、卒業も取り消される。べきだ、と白楽は思っている。この処置に時効はない。

これが正論で、日本も米国も世界も同一の基準で扱べきだ。と白楽は思っている。

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米国教育協議会(The American Council on Education)の相談役・アダ・メロイ(Ada Meloy)によると、米国で学位の取り消しは、毎年、全体で100件以下あり、1つの大学では多くても1ケタ台だそうだ。取消の理由は、研究ネカトと虚偽入学である。

研究ネカトの理由で学位が取消された場合、匿名イーのように、訴訟に持ち込まれるケースは米国ではめったにない(白楽の推定)。ドイツでは、しばしばある。

日本では、学位の取り消し件数がどのくらいあるのだろうか? 菊地重秋 (2013年5月)は、「我が国における重大な研究不正の傾向・特徴を探る -研究倫理促進のために-」 で、1999~2013年に研究ネカトが98件起こり、学位取り消しは10件あったと集計している。つまり、ラフに計算すると、毎年、日本全体で約1件、学位が取り消されていた。

日本では、訴訟に持ち込まれたケースはない(と思う)。

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150215 suzuki話しは変わるが、東京農工大学・助教の鈴木絵里子(Eriko Suzuki、写真出典)のケースもある。

鈴木絵里子は、2005~2007年に米国・UCLAで行なった研究成果を2007年に「Oncogene」誌に論文発表した。その「Oncogene」論文で、2008年、慶應義塾大学(梅澤一夫研究室)の研究博士号(PhD)を取得した。

2014年4月、「Oncogene」論文のデータがねつ造・改ざんではないかと非難された(①PubPeer – Rituximab inhibits the constitutively activated PI3K-Akt pathway in B-NHL cell lines: involvement in chemosensitization to drug-induced apoptosis、②慶應義塾大学およびUCLAの論文の疑惑まとめ: 鈴木 絵里子)。

2014年4月、鈴木絵里子は、「Oncogene」論文のデータを「間違えました」と、論文撤回の手続きをした。と同時に、学位も取り消されるだろうと述べている(Brutal honesty: Author takes to PubPeer to announce retraction – and tells us she’ll lose PhD, professorship – Retraction Watch at Retraction Watch)。

【匿名性を考える】

どういう場合、匿名扱いなのか、白楽は十分理解できていない。例えば、裁判一般ではどういう法律で、どう決まっているか? 欧米日ではどう異なるのか? メディア報道では?

ここでは、研究者の事件に絞って、匿名性を考えよう。

このサイトでは、2015年2月15日現在、日本を除く世界の研究者の事件を約210件リストしている。それらは匿名イー以外は全部実名である。今回、初めて匿名の事件を解説している。

今まで、事件を犯す研究者はどうして生命科学者が多いのかと漠然に感じていた。その理由の一部が、匿名性を調べて判明した。米国の生命科学者の研究ネカトは米国・研究公正局が調査する。その場合、クロと判定されると実名で発表される。しかし、以下に示すように他分野は匿名がほとんどである。

★米国の研究ネカト

生命科学担当の研究公正局は、調査の結果、クロなら実名、シロなら匿名で発表する。

ところが、工学、自然科学、人文社会学は科学庁(NSF)の研究助成(NSF OIG – FOIA Information)、農学は農務省(USDA)の研究助成(USDA Science Policies | USDA)、軍がらみの新技術開発および研究はアメリカ国防総省の研究助成(ダーパ、DARPA:Defense Advanced Research Projects Agency)が担当している。

それらの研究助成で行なわれた研究に研究ネカトが見つかると、匿名で発表される。

さらに、食品医薬品局(FDA)は匿名どころか事件そのものが公表されずに隠されていた(①JAMA Network | JAMA Internal Medicine | Research Misconduct Identified by the US Food and Drug Administration: Out of Sight, Out of Mind, Out of the Peer-Reviewed Literature、②FDA Let Drugs Approved on Fraudulent Research Stay on the Market – ProPublica)。

実名で発表されれば、新聞記者は取材し、記事にしやすい。それで、世間が周知し、白楽も探知できる。ところが、匿名で発表されれば、新聞記者は取材しにく、記事にしにくい。それで、世間は知らず、白楽も探知しにくい。

事件を犯す研究者に生命科学者が多いのは、こういう匿名・実名システムが大きく影響しているのである。

★英国の研究ネカト

英国・学術出版規範委員会「COPE」 は、1997年以来500件の事件を扱っているが、事件が特定できないように、犯人や研究機関は全部匿名である。主旨は、事件の詳細を述べるというより、さまざまな事態にどのように対処すればよいかというアドバイスのための事例集だからだ。それはそれで良いのかもしれない。(Cases search | Committee on Publication Ethics: COPE)。

★米国の学生は匿名

米国・教育省には「家族の教育上の権利及びプライバシー法」(FERPA)がある。(①Family Educational Rights and Privacy Act (FERPA)、②Family Educational Rights and Privacy Act – Wikipedia, the free encyclopedia

子供の情報を保護するために部外者がそれらの記録にアクセスすることを制限している。FERPAが対象としているのは、教育機関に保有されるすべての教育上の記録である。多くの教育委員会は生徒の「名前、住所、電話番号、出生日、出生地等」が含まれるディレクトリ情報を保有している。学校関係者が在籍中の生徒のこれらの情報を開示する際には、事前に開示される記録の種類を親に告知し、資料の開示の諾否について親が判断する適切な時間を与えなければならない。(出典:内閣府、2009年10月23日、www8.cao.go.jpshougaisuishintyosah20kokusaipdfall2-1usa-2 の85ページの脚注)

「家族の教育上の権利及びプライバシー法」では、18歳未満の生徒の情報は書面による親の承諾が必要であると定めている。一方、18歳以上の学生の情報は書面による本人の承諾が必要である。

従って、研究ネカトを犯した人が学生・大学院生だった場合、教育省から助成金を受領している大学は、学生・大学院生本人の承諾なしに教育上の記録を外部に提供できない。

なお、「大学教育省から助成金を受領している」大学がどの程度あるのか、チャンと調べていない。

日本では、研究ネカトを犯した大学院生の実名が公表されるが、法的に問題はないのだろう。しかし、「べきだ」論としてはどうあるべきなのか? 「独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律」や「実名報道 – Wikipedia」を参考にしたけど、白楽としては、答えがでない。

スウェーデンでは、事件報道において一般市民は原則匿名で、政治家・上級公務員・警察幹部・大企業経営者・労働組合幹部など社会的に大きな影響力のある「公人」が事件に関与したとされる場合に限って、実名で報道される(匿名 – Wikipedia)。

★匿名の長所

  • メディアによる「報道刑」が科されないので、本人への不当な攻撃が少ない。
  • 社会の過剰反応がない。

★匿名の短所

  • 事件の容疑者・犯人を特定できないので、事件の検証が困難で信憑性が疑われる
  • 事件の現実感が乏しい
  • 社会的制裁が加えられず、事件報道の予防効果が減る
  • 犯人が別の研究機関に移籍しやすく、過去を清算しやすい
  • 事件を知らない他省庁・組織への研究費申請ができる
  • 再犯率が高いと仮定すると被害者が増える。大学院生・ポスドクが当該犯人と知らずに研究室に入ってしまう
  • 事件の統計が取りにくいので、防止策の策定がより困難になる

【白楽の感想】

《1》 機器が誤動作

匿名イーの事件は、裁判の判決前なので、憶測は控えたいが、機器が誤動作したから自分のデータが改ざんとみなされたなんて、なんという言い草だ。

実験では機器の誤動作の可能性が常にある、としてデータを見るのが常識だ。それは、(注意深い)研究の一部だ。

《2》 指導教員の役割

メラニー・ココニスの事件で述べたが、大学の指導教員が研究室の大学院生の研究ネカトに遭遇した時、そのまま大学に公益通報するはどう考えてもおかしいと感じる。日米文化の差なのか、白楽が特殊なのか?

研究室の大学院生の不始末は、指導教員が、まずは、教育的指導をすべきだ。大学院生の大半の研究ネカトは、基本的に、指導教員の責任ではないのだろうか?

どうしても、大学院生が言うことを聞かないなら、研究室外に問題を持ちだすことはやむを得ない。この場合、初めて、指導教員の責任が免責される。

白楽の場合、研究室の学生・院生がおかしいデータを持ってきたら、そのまま、学会発表や論文発表させたことはない。少しでも疑念があれば、生データをもってこさせ、逐一操作過程を聞き、白楽が納得するまで実験のすべての詳細をきく。その時、学生・院生がヘンに嫌がれば、追求は中断するけど、疑念が残ったまま、学会発表や論文発表させることはない。博士論文も同じだ。卒論・修士論文は徹底できない面もあったが・・・。

大学院生の不始末は、基本的に、指導教員に責任がある。それを、ワザワザ、大学に不正研究だと伝えて、博士号を取り消させるのは、白楽には異常な気がする。

学生運動が華やかだった頃の昔の話。ある研究室の大学院生がデモで警察に捕まった。警察から研究室に連絡があり、研究室の教授がもらい下げに行ったそうだ。

《3》 前例を真似て訴訟?

匿名イーの博士号取消の停止を要請する裁判は以下の例を参考にした印象だ。

スービ・オーア(Suvi Orr、女性)は、6年前の2008年に授与された研究博士号(PhD)が2014年、データ改ざんなどで、テキサス大学(University of Texas-Austin)から取り消された。それを裁判に訴えた。(①UT graduate accused of falsifying data sues to keep her degree | www.mystatesman.com、②Scientist found to have falsified data in thesis sues to keep her PhD – Retraction Watch at Retraction Watch

【主要情報源】
① 2015年1月16日、ラルフ・ホルビッツ(Ralph K.M. Haurwitz)の「Statesman」の記事:Texas State’s revocation of a doctoral degree challenged in court | The Lowdown on Higher Education