ワンポイント:約38年前のデータねつ造事件で、米国史上最初に締め出し処分を受けた
●【概略】
マーク・シュトラウス(Marc J. Straus、写真出典)は、米国・ボストン大学(Boston University)・医師で、専門は癌(小細胞肺癌の化学療法)だった。
1978年(34歳)、ボストン大学病院の自分の研究スタッフから、治験データに不正があると大学に訴えられ、結局、ボストン大学はシュトラウスにねつ造・改ざんがあったと結論した。
1982年(38歳)、NIH・国立癌研究所も、シュトラウスをねつ造・改ざんと結論した。実は、ねつ造・改ざんしたのは実験助手だったが、シュトラウスが主宰研究者(PI:Principal Investigator)だったので責任を取らされたのだ。
NIH・国立癌研究所は、また、シュトラウスを1980年に制定した「連邦政府研究費の締め出し処分規則」の適用者第一号とした。締め出し処分年数を調べたが、わからなかった。なお、この時、研究公正局はまだ発足していなかった。
1982年(38歳)、シュトラウスは、大学を辞職し、その後、研究活動をしていない。
シュトラウスは、その後、医療関係の会社運営で大成功を収め、詩作でも活躍し、ハドソン・ヴァレー現代美術館を開設した。
ボストン大学(Boston University)。写真出典
- 国:米国
- 成長国:米国
- 研究博士号(PhD)取得:ない?
- 男女:男性
- 生年月日:不明。仮に1944年1月1日とする
- 現在の年齢:80歳?
- 分野:癌
- 最初の不正発表:1976年(32歳)
- 発覚年:1978年(34歳)
- 発覚時地位:ボストン大学・医師。教授?
- 発覚:内部公益通報
- 調査:①ボストン大学・調査委員会。②NIH・国立癌研究所・調査委員会。当時、研究公正局は発足していない。
- 不正:ねつ造・改ざん。実行者は実験助手なので、冤罪ともいえる
- 不正論文数:論文ではなく臨床研究データ。実行者は実験助手なので、冤罪ともいえる
- 時期:研究キャリアの初期から
- 結末:辞職。研究廃業
●【経歴と経過】
- 生年月日:不明。仮に1944年1月1日とする
- 1968年(24歳):米国・ニューヨークのサニー・ダウンステート・メディカル・センター大学(SUNY Downstate Medical Center)を卒業。医師免許
- 19xx年(xx歳):NIH・国立癌研究所
- 1974年(30歳):ボストン大学病院・医師
- 1978年(34歳):不正研究が発覚し、ボストン大学病院が調査する
- 1978年6月30日(34歳):ボストン大学病院を辞任し、ニューヨーク医科大学(New York Medical College)、関連病院のウェストチェスター病院(Westchester County Medical Center)・医師に移籍した
- 1980年6月(36歳): NIHが調査開始
- 1982年(38歳): NIHが処分発表
- 1982年(38歳):ニューヨーク医科大学を辞任
- 1982年(38歳):医師として開業。また、輸液用器具会社設立など、その後、医療関係の会社設立
- 2004年(60歳):ハドソン・ヴァレー現代美術館を設立(Hudson Valley Center for Contemporary Art in Peekskill, NY)
- 2006年(60歳):医師は退職
●【不正発覚の経緯と内容】
1974年(30歳)、シュトラウス(写真出典)は、NIHからボストン大学病院に移籍した。
ボストン大学病院で、小細胞肺癌の新しい化学療法を考案し、93%もの成功を収めるという、華々しい研究業績を上げた。
1977年(33歳)、ボストン青年商工会議所(Boston Junior Chamber of Commerce)は「大ボストンの著名な若手リーダー10人(Ten Outstanding Young Leaders of Greater Boston)」にシュトラウスを選んでいる。
シュトラウスは、ボストン大学病院の癌研究チームの責任者として、NIH・国立癌研究所の研究費助成で実施されていた東部癌研究プロジェクト(ECOG:Eastern Cooperative Oncology Group)のボストン大学の代表者だった。
1978年(34歳)、ところが、ECOG癌研究プロジェクトのシュトラウス・チームのスタッフは、シュトラウス・チームの治験データに不正があると、ボストン大学・医学科長のノーマン・レヴィンスキー(Norman Levinsky、写真出典)に訴えた。
シュトラウス・チームの5人のスタッフ・看護師・ポスドクの話では、患者の生年月日を改ざんしたという軽度な不正から、患者には癌がないのに、癌があったとして治療と実験データをねつ造したという重度の不正を、シュトラウに命じられて行なったと述べた。
1978年(34歳)、ボストン大学病院は調査をはじめ、結局、1976~1978年にボストン大学病院で彼が責任者だったECOGプロジェクトの15%がねつ造・改ざんだったと結論した。また、資格のない患者を治験に参加させ、計画外の医薬品容量を与え、インフォームドコンセント規約にも違反したと結論した。
シュトラウスはデータに重大な欠陥があったことは認めたが、自分は不正をしていないと主張した。スタッフの陰謀で、ねつ造・改ざんは別人が行なったと述べた。
1978年6月30日、しかし、ボストン大学病院を辞めさせられた。シュトラウスは、ボストン大学病院を辞任し、ニューヨーク医科大学(New York Medical College)に移籍した。
なお、15%がねつ造・改ざんだった治験データ、つまり、85%は有効だった治験データ、をECOGプロジェクトはどうしたか?
当時、ボストン大学病院の癌研究者だったマリアン・プラウト(Marianne Prout、写真出典)の話では、ECOGプロジェクトはボストン大学病院の治験データを全部捨て、ボストン大学病院をその後のプロジェクトから排除したそうだ。
1978年時点では、NIH・国立癌研究所はシュトラウスのねつ造・改ざん事件を調査しなかった。
1980年3月、ニューヨーク医科大学に移籍していたシュトラウスは、NIH・国立癌研究所から91万ドル(約9,100万円)の研究費助成を得た。
1980年6月29日 ‐ 7月3日、ボストン・グローブ紙がシュトラウス事件を記事にした。そのことで、NIH・国立癌研究所はようやくシュトラウス事件を調査した。
1982年(38歳)、NIH・国立癌研究所は、シュトラウスをねつ造・改ざんと結論した。3年間交付された研究助成費の2年分はすでに消化されていたが、3年目の助成を中止した。
しかし、上院議員オリン・ハッチ(Orrin G. Hatch、ユタ州選出・共和党、写真出典)は、研究ネカト者に研究助成するとは何事だとNIH・国立癌研究所長に激怒した。
NIH・国立癌研究所長のヴィンセント・デヴィータ(Vincent T. DeVita、 写真出典 )は、「1978年のシュトラウス事件の調査がまだ終了していませんでした。有罪と証明されるまでは無罪です。そして、実際にねつ造・改ざんしたのはシュトラウスではなく、実験助手でした」と答えている。
健康福祉省は、1980年に研究ネカト者に対して連邦政府研究費の締め出し処分規則を制定していた。但し、実際にねつ造・改ざんした者だけが処分対象者なのか、主宰研究者(PI:Principal Investigator)の責任はどうするのか、当時、明確なルールはなかった。
しかし、シュトラウスが締め出し処分規則の適用第一号になった。シュトラウスは、ニューヨーク医科大学を辞職した。
上記は1982年2月18日の「New Scientist」記事:New Scientist – Google ブックス
●【論文数と撤回論文】
2016年3月21日現在、パブメド(PubMed)で、マーク・シュトラウス(Marc J. Straus)の論文を「Straus MJ [Author]」で検索すると、1971~1984年の30論文と1992年の2論文(研究論文ではない。次節で理解するでしょうが、詩です)がヒットした。
2016年3月21日現在、撤回論文も訂正論文もない。
●【事件後の人生】
事件後の人生は研究ネカトの問題や改善に役立つことはないだろうが、シュトラウスは事件後にユニークな人生を送っている。
1982年(38歳)、締め出し処分を受けて、ニューヨーク医科大学を辞任し、その後、研究を続けていない。続けられていないと書くべきもしれない。
医師免許を持っていたので、2006年(62歳)に退職するまで、臨床医師をした。一方、いろいろな事業を始めた。
1982年(38歳)、輸液用器具会社を設立した。この事業が当たったのかどうかわからないが次の事業の土台になっただろう。
途中省く。
1996年?(52歳)、学術的臨床医療及び開業医の医療へのサービス会社「MDx Medical Management」社(のちのMedmatics社)を設立した。
Medmatics社では事業収入がだくさんあったようだ。
また、全く別の分野でも活動し、著名になってきた。詩作活動をしたのである。以下の3冊の詩集を出版していた。
詩でイェール大学の「Robert Penn Warren Award」賞を受賞している。
そして、2004年、なんと、さらに、別の分野でも活躍した。ニューヨークのピークスキル(Peekskill)にハドソン・ヴァレー現代美術館を設立したのである(Hudson Valley Center for Contemporary Art)。HVCCA: Hudson Valley Center for Contemporary Art
出典:After The Fall – Hudson Valley Center for Contemporary Art – Paul Clay DesignPaul Clay Design
●【白楽の感想】
《1》研究者としては珍しい人生
38歳で、NIH・国立癌研究所からねつ造・改ざんと判定された。当時、研究公正局はまだ発足していない。
ところが、実際にねつ造・改ざんしたのは実験助手だったが、シュトラウスが主宰研究者(PI:Principal Investigator)だったので責任を取らされた。
それで、1980年に制定された連邦政府研究費の締め出し処分規則の適用者第一号となった。
随分、不条理だとシュトラウスは思ったに違いない。
しかし、シュトラウスは、その後、医療関係の会社で大成功を収め、詩作でも活躍し、現代美術館を開設した。研究者としては珍しい。
能力の高い人はどの分野でも能力を発揮する典型のようだ。
33歳で、「大ボストンの著名な若手リーダー10人」に選ばれるほど医学研究に才能を発揮し、38歳で研究を絶たれてからは、起業で才能を発揮し、その後、詩作、美術館運営でも才能を発揮した。天は4物を与えたようだ。
《2》主宰研究者
研究ネカトをした時、主宰研究者(PI:Principal Investigator)の責任をどうするとよいのだろうか。欧米のその後の事件では、実行者だけが処分され、原則的に主宰研究者は処分されていない。
教授(主宰研究者)と院生・ポスドク(訓練生)の関係でもそうである。
教授(主宰研究者)に監督責任があると思える事件でも、院生・ポスドクに責任を取らせて、自分は逃げ切っている気がする。大学・調査委員会も、それに加担し、教授(主宰研究者)を処分しない傾向が強い。
●【主要情報源】
① 1982年5月20日の「NYTimes」記事:DOCTOR ADMITS FILING FALSE DATA AND IS BARRED FROM U.S. SUPPORT – NYTimes.com(保存版)
② 2007年6月号のテッド・コルトン(Ted Colton)の「Clinical Research Times」記事:A Statistician Reflects on Fraud in Clinical Research Clinical Research Newsletter from Boston University Medical Center(保存版)
③ 1981年。Warren Schmaus:「Fraud and Sloppiness in. Science」. Perspectives on the Professions 1, No. 3/4. Sept./Dec. 1981。http://ethics.iit.edu/perspective/v1n3-4%20perspective.pdf
(保存版)
④ 1980年の締め出し処分などの法律は「Executive Order 12549–Debarment and suspension」らしいのだが、解読するのがメンドウです。ごめん。 → Executive Orders
「FAR 521.209-5」も関連法規らしいが、ごめん → PART 52 Solicitation Provisions and Contract Clauses
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
妻(Livia Straus)とマーク・シュトラウス(Marc Straus)。出典:A Collectors’ Afternoon with Marc & Livia Straus – Marc Straus