ワンポイント:著名な社会心理学者の10年間のデータねつ造
●【概略】 ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel、写真出典)は、オランダのティルブルフ大学(Tilburg University)・教授で、専門は社会心理学である。その学説は、「肉好きの人間は自己中心的である」という類いの世間受けする学説だった。
ネイチャー誌の「今年の10人(Nature’s 10)」は、その年、学術界で最も重要な役割を果たした世界の10人を選んでいるが、スターペルは2011年に選ばれた。それほど著名な研究者だった。
「Times Higher Education」の大学ランキングでは、ティルブルフ大学はオランダ第13位、欧州第276~300位の大学である(World University Rankings 2014-15: Europe – Times Higher Education)。
2011年8月27日(44歳)、ティルブルフ大学・研究担当副学長フィリップ・エイジランダー(Philip Eijlander)は、「スターペルのデータはねつ造・改ざんだ」と通報してきた若者に直接会って話を聞いた。
2011年9月初旬(44歳)、フィリップ・エイジランダーがスターペルに直接会って問いただすと、スターペルはあっさり、ねつ造・改ざんを認めた。
2011年9月7日、ティルブルフ大学は、スターペルを停職にした。
2012年11月28日、ティルブルフ大学・フローニンゲン大学・アムステル大学の3大学合同調査委員会が調査の結果を公表した。スターペルは10年間にわたり、少なくとも55論文にデータねつ造・改ざんをしていた。
「The Scientist」誌の選んだ「2011年の大事件」の第1位である(2011年ランキング | 研究倫理、Top Science Scandals of 2011 | The Scientist MagazineR)。2012年2月27日の「大学の10大研究不正」ランキングの第1位でもある(2012年ランキング | 研究倫理)。 。
- 国:オランダ
- 成長国:オランダ
- 研究博士号(PhD)取得:オランダのアムステル大学(University of Amsterdam)
- 男女:男性
- 生年月日:1966年10月19日
- 現在の年齢:58歳
- 分野:社会心理学
- 最初の不正論文発表:2002年(35歳)
- 発覚年:2011年(44歳)
- 発覚時地位:ティルブルフ大学・教授、学部長
- 発覚:公益通報
- 調査:①ティルブルフ大学・フローニンゲン大学・アムステル大学の3大学合同調査委員会。2011年10月31日~2012年11月28日
- 不正:ねつ造・改ざん
- 不正論文数:少なくとも55報。24論文が論文撤回
- 時期:研究キャリアの初期から
- 結末:解雇、研究博士号(PhD)返却
写真出典
●【経歴と経過】
- 1966年10月19日:オランダのウフストヘーストで生まれる
- 1991年(24歳):オランダのアムステル大学(University of Amsterdam)で文学修士号取得した。心理学とコミュニケーション
- 1997年(30歳):オランダのアムステル大学(University of Amsterdam)で研究博士号(PhD)を取得した。社会心理学
- 2000年(33歳):オランダのフローニンゲン大学(University of Groningen)・教授
- 2006年9月1日(39歳):オランダのティルブルフ大学(Tilburg University)・正教授に移籍。TiBER(Tilburg Institute for Behavioral Economics Research)創設
- 2010年9月1日(43歳):ティルブルフ大学・社会行動科学部・部長
- 2011年8月(44歳):データねつ造・改ざんが発覚
- 2011年9月(44歳):ティルブルフ大学を停職(その後、解雇になったハズ)
- 2011年12月(45歳):ネイチャー誌の「今年の10人(Nature’s 10)」に選ばれる
●【研究内容】
スターペルの研究ネカト事件が発覚すると、それまでスターペルの研究を紹介していたサイトがバタバタ削除された(推定)。サイトの執筆者は、スターペルの研究結果を称賛していたから、そのまま残しておくと、自分の眼力のなさが露呈してしまうからである。
スターペルほどの著名学者なら、たくさんの称賛者がいたに違いないが、ほぼ全部が削除されている。ということで、ココでは写真のみ。
●【不正発覚・調査の経緯】
2011年8月27日(44歳)、ティルブルフ大学の「Rector Magnificus」(研究担当副学長のような役職)のフィリップ・エイジランダー(Philip Eijlander、写真出典)は、「スターペルのデータはねつ造・改ざんだ」と通報してきた若者に直接会って話を聞いた。
2011年9月初旬(44歳)、エイジランダー副学長がスターペルに直接会って問いただすと、スターペルはあっさり、ねつ造・改ざんを認めた。
2011年10月31日(45歳)、エイジランダー副学長は、オランダの心理学の重鎮・ウィレム・レヴェルト(Willem J.M. Levelt)を委員長とする調査委員会に調査を託した。
2012年11月28日(46歳)、ウィレム・レヴェルト(Willem J.M. Levelt、写真出典)が3大学合同調査委員会代表してまとめた調査報告書(Flawed science: The fraudulent research practices of social psychologist Diederik Stapel)を発表した(①Stapel Investigation、①になければ → Tilburg University – Documenten betreffende Levelt-rapporten)。
調査報告書に記載されているように、エイジランダー副学長は、最初から調査を公開にすると決めたことと、ウィレム・レヴェルトの調査が優れていたことで、事件全体は理解しやすい。
とはいえ、以下に日本語の解説が既にあるので、そちらを修正引用する。
2011年11月05日の「スラド サイエンス」記事(オランダの有名な社会心理学者、長期間にわたるデータねつ造を認める | スラド サイエンス)。
オランダのティルブルフ大学は、社会心理学者・ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)元教授のデータねつ造疑惑に関する報告書を発表した(Science Insiderの記事、 Reutersの記事、 本家)。
データねつ造疑惑が持ち上がったのは2011年の8月。研究者3名による告発を受けて調査を開始した大学に対し、データねつ造を認めたスターペル氏は2011年9月7日に停職処分となっていた。大学側がスターペル氏の元勤務先であるアムステルダム大学およびフローニンゲン大学にも問い合わせを行い、150報以上の論文を調査した結果、データのねつ造は過去10年近くにわたり繰り返し行なわれていたことが判明した。ねつ造されたデータは、2011年4月にScience誌で発表された「Coping with Chaos: How Disordered Contexts Promote Stereotyping and Discrimination」を含む30報以上の論文で見つかったという。スターペル氏は、「科学者として道を踏み外してしまった」などとする謝罪文をオランダのBrabants Dagblad紙に発表している。
●【スターペル自身が語る「どうして?」】
★動画。
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)が自分の研究ネカトを語る「Diederik Stapel on the BrainTrain — What I Lost And The Importance Of Being Connected」、(英語)14分9秒、TEDxMaastrichtが2013/09/10 に公開
以下のリンクが切れた時 → 保存版
オランダ語の書名“ONTSPORING” (英語で“DERAILMENT”、日本語で「脱線」)を、ディーデリク・スターペル自身が2012年に書いている。そこには、自身の記述によるねつ造・改ざんの動機が書かれている。
ニコラス・ブラウン(Nicholas J. L. Brown)の英語訳PDF(「Faking Science: A True Story of Academic Fraud」)が以下のサイトで無料で入手できる。 → http://nick.brown.free.fr/stapel/
デニー・ボースブーン(Denny Borsboom)と エリック=ジャン・ワーゲンメイカーズ(Eric-Jan Wagenmakers)の文章に、スターペル自身が「どうしてしたのか?」答えている(Derailed: The Rise and Fall of Diederik Stapel – Association for Psychological Science)。
私(スターペル)はフローニンゲン大学の優雅なオフィスに一人いる。研究データを入力したファイルを開く。そのデータの予想外だった数値である「2」を「4」に変えた。ヒョッとしてと思い、念のため、オフィスのドアを見たが、閉まっていて誰にも見つからなかった。データのたくさんの数値が並んだマトリックスを統計分析ソフトにかけるために、マウスをカチッと鳴らした。私が変更した新しい結果を見た時、世界は論理的状態に戻った。(ページ145)
最初は、論文の中のほんの少しのデータを見栄えよくしようとした、小さな改ざんから始まった。しかし、最後は、1つの論文のほぼ全部のデータをねつ造するまでに至った。まるで、麻薬におぼれるようにねつ造・改ざんの麻薬におぼれていった。研究ネカトの動機はいろいろあるとスターペルは認めているが、次のような心理状態だった。
「高評価の必要、野心、怠惰、ニヒリズム、権力への欲求、ステータスを失う心配、問題を解決したい欲望、一貫性、出版プレッシャー、傲慢、情緒的孤立、寂しさ、失望、ADD(注意力欠如障害)、解答中毒 」(ページ226)。
長年、ねつ造・改ざんが発覚しなかったのは、丁寧に、慎重に数値を変更したからである。
私は、誰もが眠っている夜遅く、自宅でそれをすることを好んだ。自分で自分用のお茶をたて、コンピュータをテーブルに置き、私の研究ノートをバッグから取り出し、万年筆で、研究プロジェクトのまだ真っ白な数値表に数値を記入していく。
ここで、私は数値の分析の結果、「効果」がでてくる必要があった。まず、私自身が想像したデータを3、4、6、7、8、4、5、3、5、6、7、8、5、4、3、3、2などと行から行へと記入した。数値を記入して、最初の分析をする。しばしば、この分析は自分の望む「効果」をもたらさない。データを記入した行に戻り、4、6、7、5、4、7、8、2、4、4、6、5、6、7、8、5、4と数値を変更する。この数値記入と変更を繰り返し、計画したすべての分析結果が自分の望む「効果」をもたらすまで、繰り返した。(ページ167)
しかし、どんな犯罪も方法と動機だけでは成り立たない。そこには犯罪ができるチャンスが必要だ。社会心理学の研究環境には研究をコントロールする学術体制が全くできていなかった。だから誘惑に打ち勝つのが難しかった。
今まで誰も私の研究過程をチェックしたことがない。彼らは、私を信頼し、私は、すべてのデータを自分自身で作ったのである。あたかも、私の隣にクッキーが入った大きなジャーがあり、母はいない、鍵は掛かっていない、ジャーには蓋もない状況だった。
手を伸ばせばすぐ届く範囲に、甘いお菓子が一杯に詰まったクッキーの大きなジャーがあった、その場所で私は毎日、研究をしていた。クッキーの大きなジャーの近くには誰もいなかったし、監視もチェックもされなかった。私がする必要なことのすべては、手を伸ばしてクッキーを取るだけだった。(ページ164)
社会心理学という学問自体がいい加減な研究環境にあった(ある)ようだ。欧州社会心理学会がスターペル事件に関して出した反応も間が抜けている。 → http://www.easp.eu/news/Statement%20EASP%20on%20Levelt_December_%202012.pdf
●【事件のその後】
スターペルは、データねつ造・改ざんの指摘を受け、すぐに認めた。また、事件後、事件の概要を自分で執筆している。このように、事件に対し自分の非を認め、協力的だった。
しかし、ペナルティは大学解雇だけではない。
2009年に実験社会心理学会(Society of Experimental Social Psychology)から授与された「Career Trajectory Award」は取り消された。
2011年11月、博士として無責任な行為をしてきたため、アムステルダム大学に研究博士号(PhD)を返却した。
多くの人は、学術界や高等教育界でのスターペルの再起はあり得ないと思っていたが、2014年10月、スターペルが Fontys Academy for Creative Industries in Tilburgで社会哲学の講義をし始めたと報じられた(Diederik Stapel’s Audacious Academic Fraud – NYTimes.com)。社会は多様だったのだ。
●【論文数と撤回論文】
パブメドhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedで、ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)の論文を「Diederik Stapel[Author]」で検索すると、2002年以降の論文がヒットするが、2011年までの10年間の36論文がヒットした。パブメドは生命科学系論文データベースなので、スターペルの全論文はヒットしていないだろう。
2015年6月1日現在、36論文中の23論文が撤回されている。最古は2002年の論文である。 2002年以前の論文を含めて知りたいので、「Stapel DA[Author]」で検索した。1997年~2011年の15年間の46論文がヒットした。 46論文のうち25論文が撤回されていた。
最古は2002年の以下の論文で、2013年に撤回されている。
- The effects of diffuse and distinct affect.
Stapel DA, Koomen W, Ruys KI.
J Pers Soc Psychol. 2002 Jul;83(1):60-74.
Retraction in: J Pers Soc Psychol. 2013 Feb;104(2):235
●【白楽の感想】
《1》心理学に事件多発
【スターペル自身が語る「どうして?」】に書いたが、心理学という学問自体に問題があるように思われる。
心理学分野のねつ造・改ざん事件は、ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)が最初ではない。 著名なハーバード大学教授のマーク・ハウザー(米)なども、ねつ造・改ざんで辞職した。
そして、統計的に心理学分野に事件は多く、増加傾向にある。早急に、有効な手を打つべきだろう。 Psychology retractions have quadrupled since 1989: study – Retraction Watch at Retraction Watch
《2》心理学の研究ネカトは生命科学のそれと同じ
ウェブの情報を分析する限り、心理学の研究ネカトは生命科学の研究ネカトと同じである。研究分野による特性は、ほとんどない。従って、生命科学分野の基準や対策を心理学分野にも適用できるだろう。逆に、心理学分野の事件から生命科学分野での基準や対策を学ぶこともできるだろう。
《3》人間は魅力的
スターペルは研究ネカトをした学者だが、写真、動画を眺め、文章を読むと、人間は魅力的である。表現が矛盾しヘンだが、理知的で、心が歪んでいない、と感じる。トークも上手で、さすが世界的学者である。ファンになりそうだ。
●【主要情報源】
① 「論文撤回監視(Retraction Watch)」記事群:diederik stapel Archives – Retraction Watch at Retraction Watch
② 2013年4月26日のユディジット・バタキャルジー(Yudhijit Bhattacharjee)の「ニューヨーク・タイムズ」記事:Diederik Stapel’s Audacious Academic Fraud – NYTimes.com
③ ウィキペディア英語版:Diederik Stapel – Wikipedia, the free encyclopedia
④ 2012年11月28日、ウィレム・レヴェルト(Willem J.M. Levelt)が代表の3大学合同調査委員会の調査報告書:Flawed science: The fraudulent research practices of social psychologist Diederik Stapel、https://www.commissielevelt.nl/wp-content/uploads_per_blog/commissielevelt/2013/01/finalreportLevelt1.pdf
⑤ 記事中の写真は、出典を記載していない場合もありますが、ウェブ上の写真で、白楽に所有権はありません。