ワンポイント:本音の失言が物議をかもしたが、失言メールは他人に改ざんされたものだった
●【概略】
アネット・ベック=ジッキンガー(Annette Beck-Sickinger、写真出典)は、ドイツのライプツィヒ大学(University of Leipzig)・生化学・教授で、専門は生化学(Gたんぱく質関連リセプター)である。
2015年3月(54歳)、ベック=ジッキンガーは、インド人・院生(推定)からインターンシップ(実務研修)受け入れの問い合わせに、「レイプ文化のインド人男性を受け入れない」と返事した。この電子メールがネットにアップされ、人種差別発言として大きく非難された。
しかし、インド人・院生(推定)からの挑発的なメールに、勢いで「インドのレイプ文化」と書いたと謝罪した。しかし、ネットにアップされた電子メールの文章は、実は、インド人が原文を改ざんしたものだった。
本記事ではベック=ジッキンガーの事件を契機に、国別レイプ事件数・キャンパスのレイプ頻度と研究者の失言を扱う。
写真出典
2015年2月9日、インド・ニューデリーの女性に対する暴力反対のデモ(Tsering Topgyal/AP)。出典
- 国:ドイツ
- 成長国:ドイツ
- 研究博士号(PhD)取得:テュービンゲン大学
- 男女:女性
- 生年月日:1960年10月28日
- 現在の年齢:63歳
- 分野:生化学
- 最初の失言?:2014年(53歳)
- 発覚年:2015年(54歳)
- 発覚時地位:ライプツィヒ大学・教授
- 発覚:失言(?)がネットにアップ
- 調査:
- 問題:失言?
- 問題数:失言2回?
- 時期:研究キャリアの後期
- 結末:謝罪。辞職なし
●【経歴と経過】
教授オフィスで学生・院生と研究データの討論をするアネット・ベック=ジッキンガー教授(Annette Beck-Sickinger、左から2人目)。2010年。(写真:Jens Meiler)。写真出典
- 1960年10月28日:ドイツのアーレンで生まれる
- 1989年(28歳):ドイツのテュービンゲン大学(University of Tubingen)で研究博士号(PhD)を取得
- 1990 – 1991年(29 – 30歳):スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH Zurich)・生化学のポスドク。教授(E. Carafoli)
- 1992年(29 – 30歳):デンマークのコペンハーゲン大学病院(Rigshospitalet)の研究員(Research Fellow)。教授(T. W. Schwartz)
- 1996 – 1999年(35 – 38歳):スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH Zurich)・生化学の助教授
- 1999年(38歳):ドイツのライプツィヒ大学(University of Leipzig)・生化学/生体有機化学(Biochemistry and Bioorganic Chemistry)・教授
- 2015年3月(33歳):失言した
★受賞
- Leonidas Zervas Award of the European Peptide Society (1998)
- Gold Medal of the Max Bergmann Society (2009)
●【研究内容】
ベック=ジッキンガーの研究内容は、「失言」とは無関係だが、学問的にはかなり高い評価を受けている。概略をつかもう。
★Gたんぱく質関連リセプター:リガンド結合の同定
Gたんぱく質関連リセプターは、神経ペプチドやホルモンなど生理学的に異なるいくつものリガンドに結合する。このプロジェクトは、・・・。
やはり研究内容は「失言」とは関係ないですね。知識を無理強いしてはいけませんでした。
●【失言の経緯と内容】
★2015年3月の失言
2015年3月初旬(54歳)、ベック=ジッキンガーはインド人・院生(推定)からインターンシップ(実務研修)受け入れの問い合わせを電子メールで受け取った。その返事で、「私はインド人男性を研修に受け入れません。インドには多くのレイプ事件があると聞いています。私の研究室には女子学生がたくさんいます。そういう性向のインド人男性に私は協力いたしかねます」と返事した。
その電子メールが質問と回答を集めたウェブサイト「クオーラ(Quora)」に掲載された。 → ココ
上の電子メールは、以下のように誇張され、ネットで炎上していく。
2015年3月8日(日)2:37AM(ドイツ時間)、2回目のメールのやり取りで、ベック=ジッキンガーは、以下のメールを送付した。
要するに、「インド人男性はレイプ性向があるので、ドイツの多くの教授はインド人男性を受け入れない」と書いた。これらの電子メールがネットにアップされ、ベック=ジッキンガーは、人種差別発言者として激しく非難された。
顕著な批判は、在インド・ドイツ国大使マイケル・シュタイナー(Michael Steiner、写真出典)の批判である。
2015年3月9日、ドイツ国大使マイケル・シュタイナーは、ベック=ジッキンガーに以下の抗議の手紙を送付した。最後に「あなたは教授や教師に不適格です」と結んでいる。相当強い抗議である。
公式の手紙にどうして2つのバージョンがあるのか不思議だが、同じ手紙の別バージョンもある。以下の出典
これらの批判に対して、ベック=ジッキンガーとライプツィヒ大学の対応は素早かった。
2015年3月9日(騒動になった翌日)、ベック=ジッキンガーは、「私はミスを犯しました」と大学のプレスリリースとして公式に謝罪した(Universität Leipzig: Press Releases)。
★2014年の失言
2015年3月12日(騒動になった4日後)、上記の失言騒動で、2014年にも同様の失言していたことがウェブサイト「クオーラ(Quora)」で暴露された。
Second Indian student ‘rejected by German professor because of India’s rape problem’ – Europe – World – The Independent
ポスドク受け入れの問い合わせに対して、ベック=ジッキンガーは、「インドのひどいレイプ問題のために、インド男性の客員、訓練生、博士院生、ポスドクを、もはや受け入れません(“no longer accepts any male Indian guests, trainees, doctorial students or PostDocs due to the severe rape problem in India”)」と答えたというものだ。
★失言レターはねつ造・改ざんされていた
ウェブサイト「クオーラ(Quora)」に掲載された電子メールのインド側の人物は匿名のままである。
そして、ライプツィヒ大学でこの問題に対応したのは、学長のビアーテ・シュキング(Beate Schücking、写真出典)だった。
シュキング学長の動きは素早かった。問題が発生してすぐに、ベック=ジッキンガー教授と相談した。
驚いたことに、ベック=ジッキンガーがインド人・院生とやり取りした電子メールの実際と、ウェブサイト「クオーラ(Quora)」に掲載された電子メールとは異なっていたのである。つまり、ベック=ジッキンガーのメール原文をインド人・院生が改ざんし、人種差別的発言を過激にし、あたかも、ベック=ジッキンガー自身が書いたままのメールに偽装しウェブサイトにアップした。すくなくとも、シュキング学長はそう判断したのである。
ベック=ジッキンガーは最初、インド人・院生に、研究室にスペースがないから研修を受け入れられないと返事した。しかし、インド人・院生はこのことに不満を持ち、挑発的なメールを送った。
何度かのメールのやり取りで、ベック=ジッキンガーは、その頃インドで問題視されマスメディアが盛んに報道していたレイプ文化について非難した(“the problem of rape of women in India”)。インド人・院生はその文章を継ぎはぎして、「インド人男性はレイプ性向があるので、ドイツの教授はインド人男性を受け入れない」という趣旨の文章に改ざんしたのだ。
シュキング学長は、ベック=ジッキンガーのオリジナルの電子メールのやり取りを見て、ベック=ジッキンガーにも非はあるが、人種差別的な意図はなかったと判断した。ただ、「ベック=ジッキンガーのオリジナルの電子メールのやり取り」は個人情報の問題があるという理由で公表されていない。
それで、細かいことに触れずに、ベック=ジッキンガーが「私はミスを犯しました」と公式に謝罪したことで、ライプツィヒ大学は事件を終わりにしたのである。
なお、インド人・院生が正しいか、ベック=ジッキンガーの言い分が正しいのか、資料が公表されていないので第3者は判断しにくい。ただ、インド人・院生は匿名を保ったままである。シュキング学長の判断に分がある。
また、2014年のベック=ジッキンガーの失言メールも、ベック=ジッキンガーはそのようなメールを送っていないと否定している。そして、インド人・院生がベック=ジッキンガーのメールのようにねつ造したとされた。
●【レイプ文化:レイプ事件の国別比較】
インドのレイプ文化に触れたついでに、世界のレイプ事件を概観しておこう。
一般に、「インドのレイプ事件はひどい」、と報道されている。レイプ事件がセンセーショナルに報道される。その報道例を、このブログがまとめている。 → 【インド】惨劇に歯止めを:レイプ事件多発のありえない状況… – NAVER まとめ
しかし、統計値(2011年)では、異なる局面が見える。
レイプ事件数はドイツに比べ、確かにインドの方が多い。しかし、10万人当たりのレイプ事件割合でみると、インドの2.0に比べドイツは9.1と、ドイツの方が約5倍の高頻度である。もっとも、米国はレイプ事件数が世界で最も高く、頻度も26.7と、とても高い(Is India the Rape Capital of the World? | MORE Magazine、UNODC Statistics Online – Rape)。
1位 米国・・・83,425レイプ事件。人口約3億人。26.7件/10万人
3位 インド・・・24,206レイプ事件。人口約12億人。2.0件/10万人
?位 ドイツ・・・7,539レイプ事件。人口約8,000万人。9.1件/10万人
米国が人口比でみたレイプ事件割合の世界最高と誤解してはいけません。世界各国で比べよう(国連の2012年統計)。
なんと、1位スウェーデン、7位米国、15位日本だった。そしてこの表で、インドは18位以内に入っていない。2010年のデータを調べると、インドは46位だった(Countries Compared by Crime > Rape rate. International Statistics at NationMaster.com)
以上が社会全体のレイプ事件である。
しかし、学術界や大学に限るとさらに別の面が見えてくる。
「「セクハラ」:クラウディオ・ソアレス(Claudio Soares)(カナダ)」で書いたように、米国の大学でのレイプ事件は極めて高頻度である。
米国では、女子学生の5人に1人がキャンパスでレイプされている。ハーバード大学では4人に1人だそうだ(At Harvard And Brown: 1 In 4 Coeds Say They Were Victimized By Sexual Misconduct | WGBH News)。信じられない数字である。
規律の厳しい軍でも女性兵士の3人に1人が米軍内でレイプされている。アゼンとしてしまう。
日本の数字は知らないが(統計値はない?)、日本の女子学生の5人に1人がキャンパスでレイプされているとは、とても思えない。
米国には、女子大学がもっとたくさん必要ではないでしょうか?
●【他の研究者の失言】
研究者の失言集を探したが見つからなかった。以下は、白楽が知っている数例である。網羅的ではない。どなたかが、網羅的に調べてくれると、研究者の失言の特徴がつかめるのだが・・・・・・。
以下の4例では、2例が男女差別発言、2例が人種差別発言である。
★ティモシー・ハント(英国、ノーベル賞):2015年
「女性が研究室にいると、三つのことが起きる。(周囲の男性が)女性に恋をする、女性が恋をする、女性を批判すると泣かれる」と発言。これがツイッターを通じて世界中に広がり、批判が起きた。英BBCの取材に「軽い気持ちだった」などと謝罪して釈明したが、さらなる批判を招いた。(2015年6月13日、編集委員・高橋真理子:「女性が研究室にいると…」 ノーベル受賞者発言が炎上:朝日新聞デジタル)
しかし、この発言、そんなに批判されるようなことだろうか? 男女を置き換えても、軽い冗談で通用すると思う。
★ジェームズ・ワトソン(米国、ノーベル賞):2007年
ジェームズ・ワトソンは、DNA2重らせんの発見者。
以下は、2007年10月20日の新聞記事による:米ノーベル賞科学者が人種差別発言、所属研究所から職務停止処分 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
ワトソン博士は、同紙とのインタビューで「アフリカの先行きは暗い」と述べ、その理由を「すべての社会政策は、われわれの知性が等しいとの事実を基礎としている。しかし、さまざまな研究結果はそれを必ずしも肯定していない」と発言した。
ワトソン博士が勤めるコールドスプリングハーバー研究所(Cold Spring Harbor Laboratory)の評議委員会は18日に声明で、「14日のサンデー・タイムズ紙に掲載されたワトソン博士の発言に異議を唱える」とし、同博士の職務停止処分を決定した。博士は同研究所でナンバー2の地位にあった。
★ローレンス・サマーズ(米国、ハーバード大学学長):2005年
ハーバード大学学長を務めていたが、2005年に女性が統計的にみて数学と科学の最高レベルでの研究に適していないとした発言が引き起こした論争によって、学長を辞任した(ローレンス・サマーズ – Wikipedia)。
★ウィリアム・ショックレー(米国、ノーベル賞):1970年代
ショックレーは、知的レベルの低い者ほど生殖率が高い現状は種族の退化をもたらすとし、知的レベルの低下は文明の衰退をもたらすとした。ショックレーは自分が正しいと証明されたならば、科学界は遺伝・知能・人口統計の傾向などを真剣に研究し、政策転換を促すべきだと主張した。
ショックレーは白人にも黒人にも同様の問題が起きているとしたが、特に黒人の方が状況が悪いとした。ショックレーは1970年の国勢調査の結果から、白人の単純労働者は平均で3.7人の子をもうけるが、白人の熟練労働者では平均で2.3人の子をもうけ、黒人ではその値がそれぞれ5.4人と1.9人になるとした(ウィリアム・ショックレー – Wikipedia)
●【論文数と撤回論文】
本記事の研究ネカトが主眼ではないので、研究論文の出版状況、撤回状況は調べていない。
●【事件の深堀】
★「本音と建前は日本的」の誤解
本音と建前は、日本人特有の思考形態のように概説されている(例:本音と建前 – Wikipedia)。
しかし、白楽の経験でも、今回の記事でも、欧米社会にも本音と建前は、はっきりある。むしろ、欧米社会人の方が建前をわきまえて、科学者と限らず、政治家、一般人は、問題となる本音失言をしない。日本人は甘えがあるのか、故意犯的な本音失言をしがちである。
●【白楽の感想】
《1》ネット情報の真偽
電子メールのやり取りがネットにアップされたとき、ねつ造・改ざんと疑う人がどれほどいるだろうか?
白楽は研究ネカトの専門家である。長年、研究者の事件を調べてきて、世の中には100%近く信用できる人・事象はないと思っている。なんでも疑う心境になっている。
それでも、ベック=ジッキンガー事件を調べ始めた初期は、インド人がネットにアップした電子メールを本物と思いこんでいた。イヤー、まだまだ、白楽も未熟だ。
では、ネット情報の真偽はどのようにチェックできるのだろうか?
どうやら、事実確認はほとんど不可能なようだ。
シュキング学長は、ウェブサイト「クオーラ(Quora)」に掲載された電子メールは原文を改ざんしたものと信じ、ベック=ジッキンガー教授を擁護する側に回った。
シュキング学長は、ベック=ジッキンガー教授がインド人・院生とやり取りした電子メールの実際を確認したと述べている。しかし、まさかとは思うが、このことは虚偽ではないのでしょうね?
ベック=ジッキンガー教授が書いた原文は示されていない。やり取りを知っているのは、正確にはベック=ジッキンガーとインド人・院生の2人しかいない。シュキング学長は、原文を確認したことになっている。
しかし、こういう情報の真偽をどのようにチェックできるのだろうか?
世の中のすべての事象は100%ということはなく、あいまいな部分を含んで、人間社会は、約束事で進行するということだろう。
《2》研究者の暴言・失言
研究者の暴言・失言は、研究内容と関係する場合としない場合の2種類がある。
ショックレー(半導体)、サマーズ(経済学)、ハント(発生生物学)は、彼らの発言失言が研究内容とは関係しない。だから、いい加減な内容と切り捨ててもいい。
しかし、ワトソンの場合、遺伝学者のワトソンが遺伝のことについて発言するのは、研究と関係している。切り捨てていいとは思えない。
ただ、優生学思想が世間ではタブー視されている。優生学に加担することを述べてはいけないという社会文化(建前)がある。
しかし、原則(本音)を言えば、タブーは人間社会として、特に科学研究にとって、挑戦すべき問題ではないのか?
なお、研究と関係している暴言は、多くの場合、「ジル=エリック・セラリーニ(Gilles-Eric Seralini)(仏)」の「遺伝子組換え生物」反対論のように、「錯誤」と分類されることが多い。この場合、政治的排除は基本的権利である「学問の自由」に抵触するので、社会的制裁はマイルドになる。
《3》優生学思想
優生学思想をもった科学者はたくさんいた(いる)(Category:優生学者 – Wikipedia)。
生物学的にみれば、人間、そしてその集団の人種には優劣がある。
国際的な陸上競技会などでは黒人選手が多く、黒人は身体的能力が高いのだろうと感じる。人間の背丈は個人個人異なるが、明らかに人種によっても異なる。人間の知能も個人個人異なるが、生物学的にみて、人種による優劣が・・・・・・。人間社会では、これを言ってはいけない。白楽も、ここでは、建前を何とか守る。
●【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Annette Beck-Sickinger – Wikipedia, the free encyclopedia
② ウィキペディア英語版:Leipzig University internship controversy – Wikipedia, the free encyclopedia
③ 2015年3月9日、アビー・フィリップ(Abby Phillip)の「ワシントン・ポスト」記事:German professor cites India’s ‘rape problem’ in rejection of Indian applicant – The Washington Post
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。