7-165 ネカトを違法とすべき?

2025年1月30日掲載 

白楽の意図:オランダのポルダーマンス教授のデータねつ造・改ざんで、欧州と米国では80万人が亡くなったと言われている。10数年前の出来事である。それなのに、ポルダーマンスに刑罰は下されていない。単に大学を辞職しただけだ。ネカト者に対する刑事事件化の議論をしたケルシー・パイパー(Kelsey Piper)の「2024年8月のVox」論文を読んだので、紹介しよう。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
2.パイパーの「2024年8月のVox」論文
7.白楽の感想
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【注意】

学術論文ではなくウェブ記事なども、本ブログでは統一的な名称にするために、「論文」と書いている。

「論文を読んで」は、全文翻訳ではありません。

記事では、「論文」のポイントのみを紹介し、白楽の色に染め直し、さらに、理解しやすいように白楽が写真・解説を加えるなど、色々と加工している。

研究者レベルの人が本記事に興味を持ち、研究論文で引用するなら、元論文を読んで元論文を引用した方が良いと思います。ただ、白楽が加えた部分を引用するなら、本記事を引用するしかないですね。

●2.【パイパーの「2024年8月のVox」論文】

★読んだ論文

  • 論文名:The staggering death toll of scientific lies. Scientific fraud kills people. Should it be illegal?
    日本語訳:科学の嘘による驚くべき死者数。科学詐欺は人を殺す。違法とすべきか?
  • 著者:Kelsey Piper
  • 掲載誌・巻・ページ:Vox
  • 発行年月日: 2024年8月27日
  • ウェブサイト:https://www.vox.com/future-perfect/368350/scientific-research-fraud-crime-jail-time
  • 著者の紹介:ケルシー・パイパー(Kelsey Piper、写真出典、経歴出典)。Kelsey Piper(@KelseyTuoc)/ X
  • 学歴:2016年に米国のスタンフォード大学(Stanford University)で学士号(計算言語学)取得
  • 分野:科学ジャーナリズム
  • 論文出版時の所属・地位:ボックス社の上級記者(Senior writer at Vox’s Future Perfect)

●【論文内容】

★1人のネカトで80万人が死亡

141105 kim-eagle1[1]皆さんは、ドン・ポルダーマンス(Don Poldermans、1956年~、写真出典)の名前を聞いたことがありますか?

ポルダーマンスはオランダのエラスムス医療センターの心臓専門医でした。

彼のネカトで80万人が亡くなったと言われている。 → 2014年1月15日記事:Medicine Or Mass Murder? Guideline Based on Discredited Research May Have Caused 800,000 Deaths In Europe Over The Last 5 Years
 → ドン・ポルダーマンス(Don Poldermans)(オランダ) | 白楽の研究者倫理

1人の研究者のネカトで80万人が死亡とはどういうことか? 以下、見ていこう。

オランダのポルダーマンスは、1999年から2010年代初頭まで、心臓手術の際、血圧を下げるベータ遮断薬を患者に投与すべきだという論文を発表し続けた。

ヨーロッパの医療ガイドライン(米国のガイドラインも少し)は、ポルダーマンスの提案に応じてそれを推奨した。 → 「2010年2月のEur J Anaesthesiol」論文:Guidelines for pre-operative cardiac risk assessment and perioperative cardiac management in non-cardiac surgery: the Task Force for Preoperative Cardiac Risk Assessment and Perioperative Cardiac Management in Non-cardiac Surgery of the European Society of Cardiology (ESC) and endorsed by the European Society of Anaesthesiology (ESA) – PubMed

問題は何か?

ポルダーマンスのデータが、ねつ造だったのだ。

2012年のエラスムス医科大学(Erasmus Medical School)の調査では、ポルダーマンスは「架空データを使用し、・・・故意に信頼性の低いデータを含む報告書を提出した」。 → 2012年調査報告書:Report on the 2012 follow-up investigation of possible breaches of academic integrity

ポルダーマンスは疑惑を認め、謝罪したが、架空データの使用は偶然(accidental)だったと弁解した。 → 2011年11月17日記事:Breaking news: Prolific Dutch heart researcher fired over misconduct concerns – Retraction Watch

ネカト発覚後、ポルダーマンスの学説は再検討された。

その結果、ベータ遮断薬を投与すると、手術後30日以内に死亡する可能性は、27%高くなることがわかった。 → 「2013年7月のHeart」論文:Meta-analysis of secure randomised controlled trials of β-blockade to prevent perioperative death in non-cardiac surgery – PMC

つまり、ポルダーマンスの研究に基づいてヨーロッパで採用した医療基準は、実際には人々が手術で死亡する確率を劇的に(27%も)増加させていた。

2009~2013年の5年間、米国とヨーロッパ全体で何百万人もの患者がこのデタラメ医療基準下で心臓の手術がされた。

心臓専門医のグラハム・コール(Graham Cole)とダレル・フランシス(Darrel Francis)は、ポルダーマンスのねつ造データのために死亡した患者は80万人に上ると算出した。 → Don Poldermans | Dr. Malcolm Kendrick

死亡患者数の数字の正確さは議論されているが、一般的に、手術の死亡率が何年にもわたって27%増加したままなら、膨大な数の患者が不当に死亡するのは容易に想像できる。

★ネカトは珍しくない

多くの人は、研究における詐欺や不正行為は滅多に起こらない。起こる場合でも、名声・金銭を強く求めた極悪非道の研究者か、異常な狂人的研究者が起こすだけだ、と思っている。

しかし、残念ながら、研究者の研究上の詐欺や不正行為は珍しいことではない。しかも、ごく普通のありふれた研究者が研究不正をする。

そして、研究不正が発覚しても、間違いはすぐには修正されず、デタラメ論文の撤回には何年もかかる。

時には、データねつ造・改ざんした研究者が、逆切れし、不正を指摘した同僚に対し、名誉棄損や損害賠償の訴訟を起こす。つまり、デタラメ研究者が、まともな研究者を脅し、沈黙させる。 → 2024年3月22日記事:Francesca Gino lawsuit: Harvard University’s scandal-ridden dishonesty researcher has a baffling defense. | Vox

で、80万人を殺した可能性の高いポルダーマンスにはどのような処罰が科されたのか?

ポルダーマンスはエラスムス大学を解雇されただけで、逮捕も罰金も刑務所刑も、もちろんムチ打ち刑も財産没収も、何も科されていない。

社会規則としておかしくないか?

研究不正が多数の人を殺している場合、刑事罰を科すのが適切ではないだろうか?

★研究詐欺を犯罪とすべきか?

研究詐欺(研究不正)を犯罪とすべきかどうかを検討しよう。

難しいポイントの1つは、研究不正(research misconduct)と不注意(carelessness)を区別するのが難しい場合があるということだ。

例えば、得られたデータを適切に統計処理しなかった場合、おそらく間違った結果が得られる。

この場合、「研究不正」なのか「不注意」なのか?

統計の不適切さを、研究詐欺(研究不正)として犯罪化するのは、私(著者のケルシー・パイパー)は、賛成できない。

これを犯罪としたら、研究者は怖くて研究できない。萎縮して自由に研究しなくなるだろう。結果として、科学の進歩は遅れる。周りまわって、科学が順調に進んでいれば避けられるはずだった病人や死者を増やすことになる。

それで、研究詐欺を犯罪化するかどうかの議論は、最も明確なケース、つまりデータの意図的なねつ造・改ざんに焦点を当てることになる。

研究詐欺を摘発しているエリザベス・ビック(Elisabeth Bik)は、多くの医学論文をチェックし、実験結果の画像が明らかにねつ造・改ざんされていたことを実証し、名を馳せた。 → 2020年5月13日のNature論文:Meet this super-spotter of duplicated images in science papers

エリザベス・ビックが指摘した不正画像は意図的に操作された画像で、「無邪気な間違い(innocent mistake)」ではない。 → 2023年11月8日記事:How to catch scientific misconduct and fraud | Vox

研究詐欺は、助成金申請書の虚偽記載を禁じる既存の法律に抵触する可能性はあるが、実際には、既存の法律で研究詐欺を起訴した例はとても少ない。

ポルダーマンスは、最終的に2011年に大学・教授の職を失ったが、それ以上の処罰は科されていない。その上、彼の論文のほとんどは撤回さえされていない。

研究詐欺の頻度は多く、かつ、その害に対する認識が高まってきて、一部の研究者やネカト監視組織は、ネカトの犯罪化を提案している。 → 2024年6月17日記事:The case for criminalizing scientific misconduct · Chris Said →この論文の解説:7-157 ネカトを犯罪とする | 白楽の研究者倫理

研究詐欺を犯罪とする新しい法律を制定するなら、研究不正(research misconduct)と不注意(carelessness)の間のどこに線を引くかを明確にする必要がある。

ただし、犯罪化し法的な対処をすることが、実際に、研究詐欺の減少に役立つかどうかという問題はある。

★エリザベス・ビック(Elisabeth Bik)

エリザベス・ビック(Elisabeth Bik、写真出典)に、研究不正を犯罪化する提案についてどう思うかを尋ねた。

ビックは、犯罪化が正しいアプローチであるかどうかは明らかではないが、現在、研究不正者に対する罰則がほとんどないことを、人々はまず理解すべきだと答えた。

「研究不正する研究者がいるのは、非常に腹立たしいです。NIHから助成された数億円の研究費(原資は税金)で研究不正をしていても、罰則はほとんどありません。研究不正でクロと認定された研究者でも、とても軽い処分しかされません。1年間(場合によっては3年間)、新しい助成金を申請する資格がないだけです。それが原因で人々が研究職を失うことは非常にまれです」。

処罰が軽いはのどうしてですか。

それは動機の問題です。

自分の大学に所属する研究者が不正行為を犯すことは大学にとって恥ずかしいことで、収入減になるので、大学はなるべく軽く処分するだけで済ませたいのです。

大学には研究不正の真相を突き止め、再発を防ぐ動機はほとんどありません。

それで、結局、「運転手がスピード違反した時、最も深刻な処分が、警察官に『二度とするなよ!』と言われるだけだったら、誰もスピード違反を止めないでしょう。これが研究界で起こっている現実です。やりたいなら、研究不正でも何でもやってください。ただ、もし捕まったら、調査に何年もかかるけど、というだけです」、とビックは答えた。

ただ、現状でも、ある意味、法的対処は理想的な解決策とは言えない。

というのは、裁判所は、研究不正事件の判決を下すのに何年もかけるという罪を犯している上、裁判所は、学術上の複雑な問題に答えるのは苦手で、ほぼ確実に調査を行なった大学・研究所に頼っているからだ。

裁判所は問題を起こした大学・研究所に頼ってはいけない。非営利団体、またはNIHに頼るべきなのだ。

そして、研究不正がかなり深刻なケースでは、真相を究明するために、学術界以外の機関が取り組む方が優れている。

もし外部機関(検察官など)が捜査に参入すれば、大学が研究不正を隠蔽し、大学の評判を維持することは難しくなる。

なお、外部機関は実際には検察官である必要はありません。独立した研究不正調査委員会で十分でしょう、とビックは述べた。

犯罪化は強力な武器、ネカト防止策です。

犯罪化すれば、説明責任を果たす気がなくても、説明責任を果たす義務が法的に生じます。

数人~何千人もの死者につながる研究不正の場合、それは社会正義の問題です。

犯罪化が研究詐欺の問題を解決する唯一の方法ではないし、必ずしも最善の方法ではないかもしれないが、しかし、これまでのところ、大学および学術界が研究詐欺を調査したケース、つまり内部の調査では、限られた成功しか収められていません。

学術界の外部の機関が研究詐欺を取り締まることになれば、研究詐欺の解決と防止にとても効果的だと思います。

●7.【白楽の感想】

《1》ネカトは犯罪 

ネカトを犯罪とする意見は他にもある。

《2》大学運営者・教授が悪 

研究不正の対処で、多くの人が気づいていない根本問題は、大学運営者・教授が研究不正を減らすことに抵抗しているという現実である。

7-160 米国・研究公正局の規則改訂:その6、最終規則 | 白楽の研究者倫理」でも示したが、研究不正を減らす規則に対し、以下の対立がある。

  • 多くの批評家・・・規制の強化を望む → 研究不正を減らせる
  • 大学運営者・教授・・・規制を緩めるよう主張する → 研究不正は増える

日本も米国もそうだが、政府が諮問する研究不正問題・検討委員会では、主導権は大学教授が握る。

だから、研究詐欺の解決策は大学運営者・教授側に都合の良い制度設計になる。

20年ぶりに改訂した米国・研究公正局の規則でも、改訂原案は優れていたのに、大学運営者・教授側が寄ってたかって骨抜きにしてしまった。
 → 7-160 米国・研究公正局の規則改訂:その6、最終規則 | 白楽の研究者倫理

研究不正を減らすことに抵抗しているのは大学運営者・教授だという現実を、米国のネカト・ウオッチャーたちは指摘しているが、日本で指摘する人は誰もいない。日本社会で理解してもらうにはどうしたら良いのだろう?

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日本の人口は、移民を受け入れなければ、試算では、2100年に現在の7~8割減の3000万人になるとの話だ。国・社会を動かす人間も7~8割減る。現状の日本は、科学技術が衰退し、かつ人間の質が劣化している。スポーツ、観光、娯楽を過度に追及する日本の現状は衰退を早め、ギリシャ化を促進する。今、科学技術と教育を基幹にし、人口減少に見合う堅実・健全で成熟した良質の人間社会を再構築するよう転換すべきだ。公正・誠実(integrity)・透明・説明責任も徹底する。そういう人物を昇進させ、社会のリーダーに据える。また、人類福祉の観点から、人口過多の発展途上国から、適度な人数の移民を受け入れる。
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★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
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