企業:バイオテスト工業試験会社(Industrial Bio-Test Laboratories Inc.)(米)

ワンポイント:約40年前の農薬、医薬品、食品、化粧品の毒性試験の大規模なデータねつ造・改ざん事件で、事件後、非臨床試験の法律が制定された

【概略】
Industrial_Bio-Test_Laboratories

バイオテスト工業試験会社(Industrial Bio-Test Laboratories Inc.、IBT Labs、IBT社、ロゴの写真出典)は、米国イリノイ州に1953 年設立された農薬、医薬品、食品、化粧品の毒性試験(安全性試験)の企業である。1960年代・1970年代、毒性試験では米国最大の企業で、米国政府および企業の毒性試験の35%~40%を請け負っていた。

1976年、食品医薬品局(FDA)に提出したデータに多数のねつ造・改ざんが発覚した。

1983年10月、裁判の結果、IBT社の毒性部長、室長、グループリーダーの3人に有罪の判決が下った。毒性部長は1年の刑務所刑と4年の保護観察、他の2人は、半年の刑務所刑と2年の保護観察となった。

なお、国立保健医療科学院・政策技術評価研究部・部長の佐藤元(さとう はじめ)は、2015年の総説で「Industrial Bio-Test Laboratories」を「バイオテスト工業試験場」と訳している。しかし、「・・・試験場」では公立機関の印象を与える。また正式な英語名には最後に「Inc.」が付いている。そこで、白楽は「・・・試験会社」とした。

この事件は、2013年の「世界最悪の科学スキャンダル」の第4位になった(2013年ランキング | 研究倫理)。

lec05-glp-2007-7-638バージニア工科大学のジーン・コブ(Jean Cobb)のスライド。写真出典

  • 国:米国
  • 集団名:バイオテスト工業試験会社
  • 集団名(英語):Industrial Bio-Test Laboratories Inc.
  • 事件人数:4人
  • 分野:生命科学(毒性試験)
  • 不正年:1973(?)-1976年
  • 発覚年:1976年
  • 発覚:公益通報、食品医薬品局(FDA)
  • 調査:①食品医薬品局(FDA)、1976年、②環境保護庁(EPA)、③議会、1977年3月、④裁判所、1983年4月4日~1983年10月21日
  • 不正:農薬、医薬品、食品、化粧品の毒性試験データのねつ造・改ざん
  • 不正試験数:数千件
  • 被害(者): 米国とカナダの政府と企業
  • 結末:裁判で有罪3人

【事件の内容】

★バイオテスト工業試験会社(IBT社)の創業

ジョセフ・カランドラ(Joseph C. Calandra)はイタリア系米国人で、1946年にノースウェスタン大学医科大学院(Northwestern University School of Medicine)で医師免許取得、1951年に研究博士号(PhD)を取得し、ノースウェスタン大学(Northwestern University)・病理・生化学教授だった。

1953年、35歳の大学教授・ジョセフ・カランドラは、米国イリノイ州に、医薬品・食品・化合物の毒性試験(安全性試験)をするバイオテスト工業試験会社(IBT社)を設立した。

カランドラの知人は「カランドラの毒性試験のレベルは高く、しかも、彼は金儲けの術を知っていた」と述べている。

食品にX線、ガンマ線などの放射線を照射して殺菌・殺虫をする食品照射の安全性試験を創業1年目に国防省から委託されたのをはじめ、カランドラは、政府や企業から次々と安全性試験の契約に成功した。

★バイオテスト工業試験会社(IBT社)の発展

1960年頃、IBT社の各分野の専門家スタッフは、生物学12人、化学5人、数学1人、物理学4人、獣医学1人の計23人、それに16人のテクニシャンを雇用するまで成長した。

仕事は質が高く、コストは安い、という評判を得て、1960年中頃の年商は200万ドル(約2億円)に達した。

1966年、ナルコ・ケミカル社(Nalco Chemical)がIBT社を450万ドル(約4億5千万円)で買収したが、カランドラはIBT社の社長に留まった。

1970年、カランドラは約200万ドルの毒性試験棟を新たに建設し、モレノ・ケプリンガー(Moreno L. Keplinger、医師)を毒性部長に、ジェームズ・プランク(James B. Plank)をラット毒性室長に採用した。

1971年3月、 モンサント社の毒物学者だったポール・ライト(Paul Wright、医師)を引き抜き、PCB試験の監督をさせた。

1971年8月に病理学者のドノバン・ゴードン(Donovan E. Gordon、医師)も採用し、IBT社は、1971年11月にポリ塩化ビフェニル(PCB)の安全性試験の体制を整えた。

1960年代・1970年代、最盛期には、従業員350人を擁し、農薬、医薬品、食品、化粧品の毒性試験では米国最大の企業に成長した。米国政府および企業の毒性試験の35%~40%を請け負っていた。

★データ異常の発覚

1976年4月、食品医薬品局(FDA:Food and Drug Administration)のエイドリアン・グロス(Adrian Gross)がIBT社のデータに異常を見つけた。丁度その頃、公益通報者がシンテックス社(Syntex)の医薬品・ナプロキセン(naproxen)のIBT社の毒性試験のデータに不正があると暴露していた。

グロスはIBT社のデータを分析し続けた。

グロスは、1976年4月11日と同年7月12日に研究所の設備を個人的に検査した。その時、グロスは毒性試験の生データを入手した。その生データには、「TBD/TDA 」という略語が頻繁に書いてあったが、この略語の意味は不明だった。

その後、グロスはようやく「TBD/TDA 」の「TBD」の意味を知ることができた。その意味は、実験動物が「ひどく悪く腐敗した(too badly decomposed)」の意味だと知って、グロスは困惑した。

good-laboratory-practices-11-638-1IBT社は、生活用品の投与で死んだ実験動物のラット(英語ではマウスとあるが、写真はラット)のデータを捨て、生活用品は安全ですと報告した。写真出典 スライドの11枚目

★捜査と議会聴聞会

1977年3月25日、データねつ造事件を受け、創業者のジョセフ・カランドラ(Joseph C. Calandra)は、社長を辞任した。代わりに、ナルコ・ケミカル社(Nalco Chemical)からフリスク(A. J. Frisque)が社長に就いた。

1977年3月、上院議員エドワード・ケネディ(Edward Kennedy、テッド・ケネディ (D-MA))が設けた上院の「健康・科学研究小委員会」でIBT社の不正が審議された。その小委員会で、IBT社のデータとサール社(G. D. Searle & Company)とバイオメトリック試験会社(Biometric Testing, Inc.)に依頼したデータが比較された。

IBT社は、ねつ造・改ざんした毒性試験のデータを報告するという不正を犯していたとされた。

具体的には、ネマクール(Nemacur)、センコール(Sencor), ナプロシン(Naprosyn)、トリクロロカーバニリド(trichlorocarbanilide)などの家庭用品や工業用品の毒性試験でデータねつ造・改ざんを行なっていた。

IBT社は、1952年から閉鎖する1978年までの27年間に、医薬品、殺虫剤、食品添加物、他の化合物の合計2万2千件の毒性試験(安全性試験)を行なった。その半分は、政府の依頼だった。安全性試験をパスした報告を受け、それらの多くは現在(1983年)も市場に出回っている。

不正行為は広範に及び、食品医薬品局が監査した867件のうち618件(71%)は不正だった。

「食品医薬品局と環境保護庁(EPA、Environmental Protection Agency)の調査の結果、IBT社は、数千件の毒性試験のデータねつ造・改ざんしていたことが判明した。IBT社は、現代科学技術のスキャンダルの中の代表的な不正の例である」、と、現在、一般的に評されている。

fda2食品医薬品局(FDA:Food and Drug Administration)。写真出典

★裁判

1983年4月4日、イリノイ州のシカゴで裁判が始まった。

データねつ造・改ざんで告発されたのは、前・社長のジョセフ・カランドラ(65歳)、前・毒物学部長モレノ・ケプリンガー(Moreno L. Keplinger、53歳、医師)、前・ラット毒物室長のポール・ライト(Paul Wright、48歳、医師)、前・ラット毒物室グループリーダーのジェームズ・プランク(James B. Plank, 40歳、医師)だった。

1971-74年にIBT社でテクニシャンとして働いたコーネリアス・ギャレット(Cornelius Garrett)は、「毒性試験をして生き残った実験動物は一匹もいませんでした。そして、上司のフィリップ・スミス(Philip Smith、当時25歳)から、いつもしていることだからと、データを改ざんするように指示された」と証言している(CREDIBILITY OF A KEY WITNESS ASSAILED AT TRIAL ON LAB TESTS – NYTimes.com保存版)。

改ざんを指示したとギャレットに証言されたテクニシャンのフィリップ・スミス(Philip Smith)は、「上司でラット毒物室長のポール・ライト(Paul Wright)にデータ改ざんするよう指示された」と証言した(EX-AIDE IN LABORATORY SAYS DATA ON SOAP INGREDIENT WERE FALSIFIED – NYTimes.com保存版)。

1983年7月11日、ジョセフ・カランドラは心臓病の悪化のため、裁判の欠席を申請していた。それが認められた。被告から外された(ようです?)

ナルコ・ケミカル社(Nalco Chemical)の弁護士でIBT社を弁護する立場のメリル・トンプソン(Merrill Thompson)は、「私がこの事件を担当し、事態を調べれば調べるほど、状況を知れば知るほど、IBT社の人々と働けば働くほど、この企業の他の行為の証拠を得れば得るほど、私は、IBT社を擁護できないという思い至りました」と証言している(TRIAL ENDING FOR 3 OVER LAB SAFETY RESEARCH – NYTimes.com保存版)。

実験動物舎は寒く湿っていて、テクニシャンの間では「湿地」と呼ばれていた。給水システムが故障していて、いつも、水しぶきが実験動物のラットとマウスにかかっていた。この悪い飼育条件は、実験動物の死亡の原因にもなっていただろう。被告の毒物学部長モレノ・ケプリンガー(Moreno L. Keplinger)は、この実験動物舎のひどい飼育環境が「実験動物の生存率に影響することを知っていた」と証言している。

1983年10月21日、6人の男性、6人の女性の陪審員は、3人のIBT社の元・役員に有罪と結論した(3-EX OFFICIALS OF MAJOR LABORATORY CONVICTED OF FALSIFYING DRUG TESTS – NYTimes.com保存版)。

前・毒物学部長モレノ・ケプリンガーは最長30年の刑務所刑で、罰金は4万2千ドル(約420万円)。前・ラット毒物室長のポール・ライトは、最長15年の刑務所刑で、罰金は2万1千ドル(約210万円)。前・ラット毒物室グループリーダーのジェームズ・プランク(James B. Plank)は、最長25年の刑務所刑で、罰金は3万2千ドル(約320万円)、という求刑だった。3人とも前科はなかった。3人とも無実を主張した。

米国歴史上の最も長い刑事裁判のうちの1つになった。

6か月の審問の結果、前・毒物学部長モレノ・ケプリンガーは1年の刑務所刑と4年の保護観察、他の2人は、半年の刑務所刑と2年の保護観察という刑が言い渡された。

【事件のその後】

★グッド・ラボラトリー・プラクティス(GLP:優良試験所規範)

IBT社データねつ造事件の最も大きな副産物は、グッド・ラボラトリー・プラクティス(GLP:優良試験所規範)の米国での制定とその後の世界的な普及である。

1972年、ニュージーランドとデンマークがグッド・ラボラトリー・プラクティス(GLP)を最初に導入した。1978年、米国は、IBT社データねつ造事件を受けて、導入を検討し、1979年に米国・食品医薬品局(FDA)が制定した。1981年には経済協力開発機構(OECD)も制定した。その後、日本も同様な法律を制定した。

以下、ウィキペディア日本語版を引用しよう。

グッド・ラボラトリー・プラクティス(GLP)は、1970年代に製薬・化学業界においてアメリカでデータの改竄・誤認事件が相次いだことへの対策として、1979年6月に世界で最初にアメリカで実施された試験検査の精度確保確認のため標準作業手順法である。1981年には経済協力開発機構(OECD)がGLP基準を策定し、これを元にしたGLPの導入を各国に求めた。これを契機として各国において各種のGLPが制定された。

日本では薬事法による新医薬品等の開発のために行われる非臨床試験(動物試験等、特に安全性試験)のデータの信頼性を確保するための実施基準としてはじめて導入された。日本語では「優良試験所規範」や「優良試験所基準」などと訳される。以後食品衛生法などの公定法による検査等においても適用された。(出典:Good Laboratory Practice – Wikipedia

★ジョセフ・カランドラ

1953年、米国イリノイ州に35歳でバイオテスト工業試験会社(IBT社)を創業したジョセフ・カランドラ(Joseph C. Calandra)は、データねつ造事件を受け、1977年3月25日、社長を辞任した。2002年3月3日、亡くなった。享年84歳。

【白楽の感想】

《1》米国の報道は優れている

2016年2月17日現在、インターネットで「Industrial Bio-Test Laboratories」を検索すると、英語ではかなりの数の記事がヒットした。

この事件では、米国のニューヨーク・タイムズ紙が優れた報道を続けている。そして、約40年前の事件の記事なのに、インターネット上で無料で閲覧できる。素晴らしい。

フリー記者(?)のキース・シュナイダー(Keith Schneider)の優れた記事もインターネット上で無料で閲覧できる。ウィキペディア英語版の記事も内容が優れている。

研究者の事件を詳細に報道することは、研究倫理の改善に大きくつながる。素晴らしい。

《2》日本は報道なし

一方、2016年2月17日現在、インターネットで「Industrial Bio-Test Laboratories」を日本語指定で検索、または「バイオテスト工業試験」で検索してもこの事件の日本語解説はヒットしなかった。このような大きな事件でも、日本では報道されていない。科学系の雑誌でも記事になっていない(推定)。

ということは、日本のほとんどの科学技術者は、バイオテスト工業試験会社(Industrial Bio-Test Laboratories)の事件を知らない。白楽もIBT社の事件を知らなかった。

このような鎖国的状況はとてもまずい。科学研究のあり方を考えるときに、必要な栄養が与えられていない栄養失調状態である。

研究者として、研究倫理問題に関して、偏った見方をしない姿勢を保ちたい。しかし、日本語の情報だけでは、インプット自体がすでに偏っているのだ。

《3》日本の毒性試験・製薬企業のデータ不正

他国の毒性試験でのデータ不正操作事件を調べると、日本の毒性試験でもデータ不正操作が行われているハズだ。そう思って少し調べると、以下が見つかった(網羅的ではありません)。新聞記事になるのは氷山の一角だろう。実際はかなり頻発に不正操作が行われているのかもしれない。

2010年4月、田辺三菱製薬の子会社・バイファ(北海道千歳市)の試験データ不正が報じられている( 田辺三菱製薬子会社、社長が試験データ不正の指摘を放置 ( その他環境問題 ) – 混沌の時代のなかで、真実の光を求めて – Yahoo!ブログ保存版)。

大鵬薬品の北野静雄が、製薬企業のデータ不正を追及した。(2015年1月21日中日新聞、出典キャプチャ3

下は、北野静雄のスライドだが、1981年~1994年の日本の製薬企業のデータ不正である。IBT社データねつ造事件は1976年に発覚しているので、その後に起こった事件である。日本は学んでいないのですね。
キャプチャ2北野静雄のスライド。出典の14枚目

そして、性懲りもなく繰り返し起こしている。監督官庁は何もしなかったのか? 何かしたのなら、有効ではなかったということだ。なんということだ。

1994年以降も同種の事件が頻発している。例えば、ディオバン事件が2007年に起こっている。

【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Industrial Bio-Test Laboratories – Wikipedia, the free encyclopedia
② 1983年6月10日のエリオット・マーシャル(Eliot Marshall)の「Science」記事:Eliot Marshall: The murky world of toxicity testing. Science, 220(4602), 1130–1132, 1983. doi=10.1126/science.6857237、PDF
③ 1983年のキース・シュナイダー(Keith Schneider)の「The Amicus Journal, Spring」記事:PlanetWaves.net :: Faking it The Case against Industrial Bio-Test Laboratories | By Keith SchneiderPlanetWaves.net :: IBT – Guilty How many studies are no good? | By Keith Schneider、(保存版前編後編)。
④ 1983年9月25日の「NYTimes」記事:TRIAL ENDING FOR 3 OVER LAB SAFETY RESEARCH – NYTimes.com保存版
⑤佐藤元、「医薬品の研究開発にかかる規制:倫理,ガイドライン,法令の基礎」、保健医療科学 2015 Vol.64 No.4 p.382-391
⑥ 裁判記録:①1983-05-03、United States of America, Plaintiff-appellee, v. Joseph C. Calandra, Moreno Keplinger, Paul L. Wright, and James B. Plank, Defendants-appellants, 706 F.2d 225 (7th Cir. 1983-05-03)、②1985-10-29、United States of America, Plaintiff-appellee, v. Moreno L. Keplinger, Paul L. Wright, and James B. Plank, Defendants-appellants, 776 F.2d 678 (7th Cir. 1985-10-29).
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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