2017年4月12日掲載。
ワンポイント:1909年(32歳)の「防御酵素理論」が大インチキのねつ造/錯誤だった。しかし、科学界の権力者で、攻撃する学者を排除し、生前は権勢をふるったマルティン・ルター大学・生化学教授(男性)。100年以上前の事件から何を学べるのやら? 「「Listverse」誌の「フィクションを事実として発表した面汚し科学者10人」:2015年12月17日の第1位である。
ーーーーーーー
目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
ーーーーーーー
●1.【概略】
エミール・アブデルハルデン(Emil Abderhalden、写真出典)は、スイスで博士号を取得し、ドイツのマルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク(Universität Halle/ Saale)・教授になった。医師ではない。専門は生理化学で、1910-1930年代にドイツの生化学界を牛耳り、ドイツ生化学の創始者と称された。
1909年(32歳)、アブデルハルデンは「防御酵素理論(Abwehrfermente (“defensive enzymes”) theory)」を提唱したが、この理論が大インチキだったのである。
1914年(37歳)、レオノール・ミカエリス (Leonor Michaelis)は、アブデルハルデンの学説は間違いだと発表した。ところが、アブデルハルデンはその時すでに、ドイツ学術界で強い権力を持っていたので、ミカエリスはドイツ科学界から放逐された。なお、レオノール・ミカエリスは、有名なミカエリス・メンテン式を提唱し、酵素の反応速度論で重要な貢献をした。
1910年代、多くの研究者は、アブデルハルデンの学説が間違いだと理解していたが、権力者である彼の報復を恐れ、公式に否定しなかった。
公式に正面から否定するようになったのは、アブデルハルデンの没後50年近く経った1998年だった。
アブデルハルデン事件は、「全期間ランキング」に記述した「「Listverse」誌の「フィクションを事実として発表した面汚し科学者10人」:2015年12月17日の第1位である。
- 国:ドイツ
- 成長国:スイス
- 医師免許(MD)取得:なし
- 研究博士号(PhD)取得:スイスのバーゼル大学
- 男女:男性
- 生年月日:1877年3月9日
- 没:1950年8月5日(78歳)
- 分野:生理化学
- 最初の不正論文発表:1909年(32歳)
- 発覚年:1914年(37歳)
- 発覚時地位:マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルクの教授
- ステップ1(発覚):
- ステップ2(メディア):
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):
- 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
- 不正:ねつ造、または錯誤
- 不正論文数:数百報
- 時期:研究キャリアの初期から
- 研究費:
- 結末:処分なし
●2.【経歴と経過】
- 1877年3月9日:スイスで生まれる
- 1902年(25歳):スイスのバーゼル大学(University of Basel)で研究博士号(PhD)を取得
- 1904年(27歳):ドイツのフンボルト大学ベルリン(Friedrich-WIlhelms-Universität, Berlin)で生理化学の教授資格(Habilitation)を取得した
- 1904-11年(27-34歳):ドイツのフンボルト大学ベルリン・講師
- 1908年(31歳):ドイツのベルリン獣医大学(Berliner Tierärztlichen Hochschule)・生理学の教授
- 1909年(32歳):後に問題視される「防御酵素理論(Abwehrfermente (“defensive enzymes”) theory)」論文を発表した
- 1911年(34歳):ドイツのマルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク(Universität Halle/ Saale)・生理学の教授
- 1931 – 1950年(54 – 78歳):ドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ(German Academy of Natural Scientists Leopoldina)の会長
- 1950年8月5日(78歳):スイス チューリッヒで死没
●4.【日本語の解説】
★2005年5月1日:ウォルター・グラットザー著(訳:安藤喬志, 井山弘幸)『ヘウレーカ! ひらめきの瞬間:誰も知らなかった科学者の逸話集』の306ページ、Kagaku-Dojin Publishing Co社
出典 → ココ:一部無料閲覧可能
★ウィキペディア:「エミール・アブデルハルデン」
→ エミール・アブデルハルデン – Wikipedia
「防御酵素理論(Abwehrfermente (“defensive enzymes”) theory)」
以下は修正引用。背景がシロの部分は白楽が修正した。
1920年には防御酵素理論はアメリカではすっかり忘れられていたが、アブデルハルデンはドイツでは評価され続けた。何故ならドイツの共同研究者たちは、単純に成功するまで試験を繰り返したり、あるいは否定的な結果を除外したりすることで、彼の試験結果の「再現」をマネジメントしたからである。彼はドイツの科学的生化学の創始者と見られたため、彼の仕事に疑問を呈することはその人のキャリアに傷をつける可能性があった。
オットー・ウェストファール (Otto Westphal) は後年、アブデルハルデンの防御酵素理論を「最初から最後まで捏造」と呼んだ。
アブデルハルデンの理論は1910年代半ばには早くも部分的に否定されていたにもかかわらず、彼はドイツ科学界の一部では「父親像」を演じ続け、1998年のドイツの科学史家ウーテ・ダイヒマン (Ute Deichmann、1951年- ) と生物学者ベンノ・ミューラー=ヒル (Benno Muller-Hill、1933年- )による痛烈な評論によって初めて、その否定の全体像が明らかとなった。
アブデルハルデンは単純に大きく間違っていたのか、あるいは継続的に意図された不正行為なのかに関する包括的な分析は、ミカエル・カーシュ (Michael Kaasch) の2000年の著作で試みられているが、その答えは未だ明らかになっていない。
●5.【不正発覚の経緯と内容】
アブデルハルデン事件は、100年以上前の事件だし、4章【日本語の解説】で状況は把握できる。
ネカト事件の研究対象としてさらに解説するのは、なんか無用な気がしてきた。
【不正発覚の経緯と内容】の記述はヤメます。
●7.【白楽の感想】
《1》権力と科学的真実
アブデルハルデン事件は、エミール・アブデルハルデン(Emil Abderhalden、写真出典)が1909年に発表した研究論文の真偽である。100年以上前の事件は、現代のネカト価値観とは大きく異なり、研究倫理を学ぶケーススタディとして不適当な印象である。
アブデルハルデンが提唱した「防御酵素理論(Abwehrfermente (“defensive enzymes”) theory)」は、現代の生命科学の常識から大きく逸脱してる。大間違いなのは誰の目から見ても明らかである。しかし、酵素や免疫の100年前の概念・知識は、現代ではもう異質に近いほど貧弱で間違いだらけである。
一方、防御酵素に関する研究で、アブデルハルデン自身は数百の論文を発表し、1914年までにドイツで500報余りが、世界では数千報の論文が発表された。つまり、当時、防御酵素に関する研究は生理化学の王道の研究テーマだったのだ。
アブデルハルデン事件から、ネカトを防御するシステムを学ぶことは難しい。
《2》権力と科学的真実
科学界の権力者がまともでない学説を主張する時、科学者は、どう対処できるのか? 往々にして、ズルい学者、間違った学説の提唱者が出世し、権力を握ってしまう。
アブデルハルデン事件では、彼の報復に恐れて、多くの科学者は口をつぐんだ。
1930年代にソビエト連邦で強大な権力を握ったルイセンコの「獲得形質が遺伝するという」学説も、反対した学者は逮捕され、獄死している。
権力を持つ科学者の学説に異を唱える王道はない。異を唱えれば、不当な扱いを受ける。それでも、真実を訴え続ける人は尊敬する。せめての慰みは、それが、研究者としてマットウであるという矜持であろう。
現代の日本では、アブデルハルデン事件やルイセンコ事件とは無縁だと思う人が多いかもしれないが、白楽は、そうは思わない。
ネカトを公益通報した通報者(不正な事実を、事実と言葉に発した人)が、依然として、“堂々と”迫害されている。現代日本のアブデルハルデン、現代日本のルイセンコが、大手を振って、のうのうと、大学・学術界の要職についている。
なんとか、ならないものか?
ドイツのマルティン・ルター大学近くのエミール・アブデルハルデン(Emil Abderhalden)通り。http://www.mz-web.de/mitteldeutschland/streit-um-die-emil-abderhalden-strasse-in-halle-der-schweizer-patient-3040946
ーーーーーーーーーーーーーー
ブログランキング参加しています。
1日1回、押してネ。↓
ーーーーーーー
●8.【主要情報源】
① ウィキペディア:エミール・アブデルハルデン – Wikipedia
② ダン・アギン(Dan Agin)の2007年11月27日出版の著書『Junk Science: How Politicians, Corporations, and Other Hucksters Betray Us』、Macmillan社、336 ページ:一部無料閲覧可能 2006/05/01 https://my.sehir.edu.tr/UNI103/Documents/da06-ch2.pdf
③ ウォルター・グラットザー著(訳:安藤喬志, 井山弘幸)の2005年5月1日出版の著書『ヘウレーカ! ひらめきの瞬間:誰も知らなかった科学者の逸話集』、Kagaku-Dojin Publishing Co社、376 ページ:一部無料閲覧可能
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
●コメント