ワンポイント:改ざん量の多さで3位以内。
●【概略】
クリスティン・ルーヴァーズ (Kristin Roovers、写真出典)は、カナダで生まれ、米国・ペンシルヴァニア大学で博士号を取得し、人柄も良く超優秀という評判の研究者だった。専門は細胞生物学(細胞周期ダイナミックス)である。
不正発覚時(2005年(29歳?))は米国・ペンシルヴァニア大学のポスドクだったが、不正がまだ公表されていない時、不正発覚を伏せて、カナダ・オタワのオタワ健康研究所(Ottawa Health Research Institute、現・オタワ病院研究所 Ottawa Hospital Research Institute)のポスドクに移籍した。
2007年7月(31歳?)、米国・ペンシルヴァニア大学の大学院生・ポスドクだった時の論文(2001~2006年)にデータ改ざんあった、と米国・研究公正局が発表した。
データ改ざん量がとても多いのがこの事件の特徴で、米国・研究公正局の調査監督部門長・ジョン・ダールバーグ(John Dahlberg)は、「量の多さで、3番以内に入る」と述べている。
- 国:米国
- 成長国:カナダ・米国
- 研究博士号(PhD)取得:米国・ペンシルヴァニア大学
- 男女:女性
- 生年月日:不明。仮に、1976年1月1日生まれとする
- 現在の年齢:47歳?
- 分野:細胞生物学
- 最初の不正論文発表:2003年(27歳?)
- 発覚年:2005年(29歳?)
- 発覚時地位:米国・ペンシルヴァニア大学のポスドク
- 発覚:雑誌編集者・ウシュマ・ネイル(Ushma S. Neill)の公益通報
- 調査:①ペンシルヴァニア大学・調査委員会。期間:2005年7月~不明。②研究公正局。期間:2005年12月~2007年7月。1年8か月
- 不正:改ざん
- 不正論文数:撤回論文2報、撤回原稿1報、訂正論文1報。
- 時期:研究キャリアの初期から
- 結末:オタワ健康研究所の解雇
●【経歴と経過】
- 生年月日:不明。仮に、1976年1月1日生まれとする。カナダで生まれ育ったらしい
- 19xx年(xx歳):xx大学を卒業
- 19xx年(xx歳):米国・マイアミ大学の大学院生。リチャード・アソイアン(Richard K. Assoian)研究室
- xxxx年(xx歳):指導教授・アソイアンの米国・ペンシルヴァニア大学への移籍に伴い、ペンシルヴァニア大学の大学院生
- 2002年(23歳):米国・ペンシルヴァニア大学のリチャード・アソイアン(Richard K. Assoian)研究室で研究博士号(PhD)を取得し、その後、そこでポスドク
2003年(23歳):米国・ペンシルヴァニア大学・薬学科のモリス・バーンバウム教授(Morris Birnbaum写真出典)のポスドクに移籍
- 2005年(29歳?):カナダ・オタワのオタワ健康研究所(Ottawa Health Research Institute、現・オタワ病院研究所 Ottawa Hospital Research Institute)のポスドクに移籍
- 2007年7月(31歳?):米国・研究公正局は、ルーヴァーズがデータ改ざんをしたと報告(①NOT-OD-07-075: Findings of Misconduct in Science、②2007年9月号のニュースレターの11~12頁にも公表)
- 2008年6月(32歳?):カナダ・オタワのオタワ健康研究所・解雇
- 20xx年(xx歳):カナダで研究とは無縁の職に就いている
●【不正発覚・調査の経緯】
2000年前後、ルーヴァーズは、米国・マイアミ大学(University of Miami)のリチャード・アソイアン(Richard K. Assoian 写真出典)研究室の大学院生だった。指導教授のアソイアンが米国・ペンシルヴァニア大学・薬学科に移籍するのに随伴した。
2002年、米国・ペンシルヴァニア大学・薬学科のアソイアン研究室で研究博士号(PhD)を取得した。
2003年、米国・ペンシルヴァニア大学・薬学科のモリス・バーンバウム教授(Morris Birnbaum)のポスドクになる。
2005年、ルーヴァーズは「Journal of Clinical Investigation (JCI)」誌に「Akt1 promotes physiologic, but antagonizes pathologic, cardiac growth」というタイトルの論文原稿を投稿した。
2005年春、論文原稿をチェックしていた「Journal of Clinical Investigation (JCI)」誌の編集委員・ウシュマ・ネイル(Ushma S. Neill、写真出典)が、ルーヴァーズの論文原稿の図の異常に気が付いた。ネイルは、次のように述べている。
「ウェスタンブロットのパネルの1つのバンドが暗く、このバンドは異なる条件下で得たタンパク質のバンドだと思った。そう思って原稿の図全体を良く見ると、同じバンドが切り貼り(カット・アンド・ペースト)されて繰り返し使われていることに気がついた。時には、バンドの上下を逆にしたり、表裏を反転したり細工していて、細工したバンドを新しいバンドのように見せかけていた。データを見れば見るほど、論文の結論を支持するためにデータをねつ造・改ざんしたに違いないと確信した」。
2005年7月、米国・ペンシルヴァニア大学は調査を開始した。
2005年12月、米国・ペンシルヴァニア大学は調査の結果を研究公正局に伝えた。
2005年秋、ルーヴァーズは、事件の調査が進行中であることを伏せて、米国・ペンシルヴァニア大学のポスドクからカナダ・オタワのオタワ健康研究所(Ottawa Health Research Institute、現・オタワ病院研究所 Ottawa Hospital Research Institute)のポスドクに移籍した。
2007年7月(31歳?)、研究公正局は、ルーヴァーズが米国・ペンシルヴァニア大学の大学院生・ポスドクだった時の論文(2003~2006年)にデータ改ざんがあったと発表した。
2008年6月(32歳?)、カナダ・オタワのオタワ健康研究所(Ottawa Health Research Institute)は3週間前にルーヴァーズの研究ネカトをようやく知り、ポスドクを解雇した。
●【データ改ざんの内容】
★全体像
ルーヴァーズのデータ改ざん量はとても多い。研究公正局の報告によると以下のようだ。
大学院と最初のポスドク時代に発表した3論文中の11個の図の計19パネルのウェスタンブロット像に改ざんがあった。さらに、未発表原稿中の8個の図の計9パネルのウェスタンブロット像に改ざんがあった。ウェスタンブロット像の使いまわしも見られた。
具体的には、以下の1原稿と3論文の各図である。
- 2005年原稿、「Journal of Clinical Investigation (JCI)」誌に投稿した“Akt1 promotes physiologic, but antagonizes pathologic, cardiac growth.”の図2C, 3C, 4D, 4E, 6C, 7B, 補足図1, 2B, 3B。
- 2001年論文、「Nature Cell Biology 3(11):950-957, 2001」誌に発表したWelsh, C.F., Roovers, K., Villanueva, J., Liu, Y., Schwartz, M.A., & Assoian, R.K. “Timing of cyclin D1 expression within G1 phase is controlled by Rho.”の図3A, 3C, 4A
- 2003年論文、「Mol. Cell Biol. 23(12):4283-4294, 2003」誌に発表したRoovers, K., & Assoian, R.K. “Effects of rho kinase and actin stress fibers on sustained extracellular signal-regulated kinase activity and activation of G(1) phase cyclindependent kinases.”の図1, 2A, 2B, 3A, 3C, 4A, 4B, 6C, 6D, 6E
- 2003年論文、「Developmental Cell 5 (2):273-284, 2003」誌に発表したRoovers, K., Klein, E.A., Castagnino, P., & Assoian, R.K. “Nuclear translocation of LIM kinase mediates Rho-Rho kinase regulation of cyclin D1 expression.”の図1C, 2C, 5B, 5D, 6B, 6D
★具体例:論文
3番目の論文(Mol. Cell Biol. 23(12):4283-4294, 2003)の改ざん図1を以下に示す。研究者でないとわかりにくいが、同じ細胞を2つの色素で染めた細胞像である。左の列が蛍光ファロイジン(緑)でアクチン(actin)を染めた像、右の列が蛍光抗体(赤)でビンキュリン(vinculin)を染めた像だ。
皆さん、どこが改ざんされたのか? わかります?
わかりません?
白楽もわかりません。ゴメン。
調査委員はスゴイ! 多分、電子ファイルの原図を見たり、検出ソフトで検出したのでしょう。それにしても、図を見て、「ウン? なんかヘンだ」と思える能力は必要です。白楽が無理に「ヘン」と思うとすれば、この像が「きれいすぎる」ところです。背景にゴミや不要物がない。
次、行きましょう。
以下の改ざんされた図2Aと図2Bはどうでしょう?
ウェスタンブロット像です。どのバンドが操作されたバンド、あるいは、使い回したバンドか、わかります?
わかりません?
同じウェスタンブロット像の以下の図3のAとCも不正と判定されました。
どうでしょう? わかります? 不正は文字ではなく、バンドです。
なお、上の図3のBとDは不正ではありません。BDとACを比較すると、不正の部分とそうでない部分の区別がつきますか?
眼がチカチカしてきました?
どのバンドが不正か、わかりました?
わかりません?
白楽もわかりません。
バンドは単なる黒い棒で、濃淡はあるけど、形はどれも似ている。
不正な細工がどこなのか、わかりません。
というか、こんなバンドの像が重要なデータに思えなくなってきた。
●【論文数と撤回論文】
パブメドhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedで、クリスティン・ルーヴァーズ (Kristin Roovers)の論文を「Roovers K[Author]」で検索すると、1999年~2009年の11年間の10論文がヒットした。
2015年2月20日現在、2003~2006年の2論文が撤回されている。
2つの撤回論文を含め7論文はリチャード・アソイアン(Richard K. Assoian)と共著である。
- Nuclear translocation of LIM kinase mediates Rho-Rho kinase regulation of cyclin D1 expression.
Roovers K, Klein EA, Castagnino P, Assoian RK.
Dev Cell. 2003 Aug;5(2):273-84.
Retraction in: Roovers K, Klein EA, Castagnino P, Assoian RK. Dev Cell. 2006 May;10(5):681. - Effects of rho kinase and actin stress fibers on sustained extracellular signal-regulated kinase activity and activation of G(1) phase cyclin-dependent kinases.
Roovers K, Assoian RK.
Mol Cell Biol. 2003 Jun;23(12):4283-94.
Retraction in: Roovers K, Assoian RK. Mol Cell Biol. 2006 Jul;26(13):5203.
なお、2001年の「N ature Cell Biology 3(11):950-957, 2001」論文は撤回ではなく、「訂正」された。
●【事件の深堀】
★超優秀で人柄が良い研究者が不正事件を起こす
ルク・ファン・パライス(Luk van Parijs)の記事で「超優秀で人柄が良い研究者が不正事件を起こす」と書いたが、ルーヴァーズも「超優秀で人柄が良い」との評価を得ていた。それに若く美人である。
ペンシルヴァニア大学・副医学部長で主任科学官(Chief Scientific Officer)のグレン・ゴールトン(Glen Gaulton 写真出典)は、ルーヴァーズを「完璧なポスドク」だと絶賛している。
ポスドク時代のボスであるペンシルヴァニア大学・薬学科のモリス・バーンバウム教授(Morris Birnbaum)は、「研究室では信じられないほど評判が良い人柄で、皮肉なことに、研究室では最も優秀だった」と、これもベタボメである。
●【防ぐ方法】
《1》 大学院・研究初期
大学院・研究初期で、研究のあり方を習得するときに、研究規範を習得させるべきだった。
ルーヴァーズの場合、研究博士号(PhD)の指導教員リチャード・アソイアン(Richard K. Assoian)に責任があるように思える。彼が規範をしっかり躾けていれば、「研究上の不正行為」をしない研究人生を過ごしたかもしれない。
●【白楽の感想】
《1》 不正検出法
投稿された原稿や発表論文の細胞像やウェスタンブロット像を、一見しただけで、「怪しい」と思うのはとても難しい。しかし、「怪しい」と思わなければ、精査しない。
どこを、どういう理由で、「怪しい」と思うのだろうか?
像が「きれいすぎる」のが「怪しい」なら、不正する人は、細工する時、少し汚い画像にねつ造するだろう。
さらに、細胞像やウェスタンブロット像を「怪しい」と思っても、それを不正だと断定するのはどうするのだろう?
詰問したとき、本人が「不正しました」と自白してくれれば簡単だが、「私は不正をしていません」と抗弁する研究者に、「恐れ入りやした」と観念させる証拠をどう示せるのだろう? とても難しい。
不正を一網打尽にできる方法ってあるのだろうか?
簡単な方法はないが、何とかしなくてはならない。
白楽の解決策は以下だ。
研究者は、現在、全部の研究過程・結果・解釈・写真・数値・データを電子化し、各研究者が保管している。
そこで提案する。
その保管を大学・研究機関のハードディスクで一括して行なう。研究者は、保管庫にないデータ以外で研究発表してはならない、と決める。さらに、大学・研究機関の特定の人(例えば、研究公正官)はいつでも保管庫のデータを見ることができる。
所属研究者が論文発表する時(した後)、所属研究者の論文データと保管庫データを照合する権限を研究公正官にもたせる。
保管庫データと論文データが異なるとき、研究公正官は研究者本人に問合せ、まともな回答がない時、不正とみなす。
どうです? これで、一網打尽にできるでしょう。
イヤ。一網打尽はできないだろうが、かなりの効果を期待できるに違いない。
●【主要情報源】
① 2007年9月号の研究公正局ニュースレター:2007年9月号のニュースレターの11~12頁
② ◎2007年8月7日、アラ・カッツネルソン(Alla Katsnelson)の「The Scientist」の記事:Former UPenn postdoc faked images | The Scientist Magazine®
③ 2008年6月20日、ローレンス・モラン(Laurence A. Moran)の記事:Sandwalk: Kristin Roovers Punished for Falsifying Data
④ 2008年6月19日、記事:Researcher’s tainted past leads Ottawa health facility to sever ties