「経歴詐称」:アンドリー・スリュサルチュク(Andriy Slyusarchuk)(ウクライナ)

2019年11月14日掲載 

ワンポイント:日本では知られていないが、1991年のウクライナ独立後28年間でウクライナ最大の詐欺事件である。スリュサルチュクは2011年に40歳でウクライナ国家賞(State Prize of Ukraine)を受賞し、ウクライナにノーべル賞をもたらす天才とあがめられた大学教授で脳外科医だった。ところが、2011年10月(40歳)以降、ウクライナの新聞「エクスプレス(Ekspres)」がスリュサルチュクの経歴詐称を含む悪行を次々と暴露し、医師免許がないどころか大学もろくに出ていないペテン師と糾弾した。治療を受けた数十人は障害を受け、3人が死亡した。結局、大統領と会談した国家的ヒーロー科学者は一転して犯罪者になり、2014年(42歳)、8年の刑が科された。2年後の2016年6月24日(45歳)、刑期が短縮され、釈放された。国民の損害額(推定)は50億円(大雑把)。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
9.主要情報源
10.コメント
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●1.【概略】

アンドリー・スリュサルチュク(Andriy Slyusarchuk、ウクライナ語ではАндрі́й Ти́хонович Слюсарчу́к、ORCID iD:、写真出典)は、ウクライナの大量記憶力者(ニーモニストmnemonist)で、精神科医、心理学者、脳神経外科医で、P.Lシュピク国立医学アカデミー(P.L. Shupyk National Medical Academy of Postgraduate Education)の脳神経外科・教授、ロモダノフ脳神経外科研究所(A. P. Romodanov Institute of Neurosurgery)・教授を経て、リヴィウ工科大学・情報システム・ネットワーク学科(Department of Information Systems and Networks at Lviv Polytechnic)・教授になった。また、航空パイロット、心理療法士、チェス選手でもある。但し、これらの経歴のいくつかはデタラメ(ねつ造)だと言われている。

テレビにも頻繁に出演し、新聞やテレビは「天才」、「超人」、「伝説的」と呼び、ウクライナ発のノーベル賞最有力候補とはやし立てた。ウクライナ政府の科学顧問も務めた。

2009年12月22日(38歳)、ウクライナ大統領ビクトル・ユシチェンコ(Viktor Yushchenko)と会談したことも写真付きでニュースになった。脳研究所の設立が布告され、その脳研究所の所長に就任した。

2011年9月30日(40歳)、スリュサルチュクは、「教育分野における科学的成果」に対して2011年のウクライナ国家賞(State Prize of Ukraine)を受賞した。60万ルーブル(約100万円)が授与された。

しかし、有名になればなるほど化けの皮は剥がれやすく、2011年(40歳)頃から、経歴や能力が疑問視されるようになった。

2011年6月9日(40歳)、ウクライナ国家賞受賞の3か月前、ウクライナの新聞「週刊2000(weekly 2000)」によってスリュサルチュクの欺瞞に満ちた経歴が最初に暴露された。

そして、2011年10月27日(40歳)以降、新聞「エクスプレス(Ekspres)」が、一連の記事で、スリュサルチュクの学歴詐称をセンセーショナルに暴露し始めた。

スリュサルチュクは医師免許がないどころか大学もろくに出ていないペテン師で、治療を受けた3人の患者は死亡していた。

2011年11月14日(40歳)、結局、大統領と会談した国家的ヒーロー科学者は一転して犯罪者になり、逮捕され起訴された。

2014年(42歳)、8年の刑が科された。

2年後の2016年6月24日(45歳)、刑期が短縮され、釈放された。

スリュサルチュク事件は日本では知られていないが、1991年にウクライナがソ連から独立した後、ウクライナ最大の詐欺事件と言われている。

リヴィウ工科大学(Lviv Polytechnic National University)。写真出典

  • 国:ウクライナ
  • 成長国:ウクライナ
  • 医師免許(MD)取得:なし
  • 研究博士号(PhD)取得:なし
  • 男女:男性
  • 生年月日:1971年5月10日
  • 現在の年齢:53 歳
  • 分野:脳神経外科
  • 不正論文発表:論文発表なし
  • 不正:経歴詐取
  • 発覚年:2011年(40歳)
  • 発覚時地位:リヴィウ工科大学(Lviv Polytechnic)・教授
  • ステップ1(発覚):第一次追及者は新聞「エクスプレス(Ekspres)」の記者たち
  • ステップ2(メディア):新聞「エクスプレス(Ekspres)」
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①警察
  • 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
  • 大学の透明性:発表なし(✖)。調査なし
  • 時期:研究キャリアの初期から
  • 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)を続けられなかった(Ⅹ)
  • 処分:8年間の刑務所刑。短縮され実質は2年4か月余
  • 日本人の弟子・友人:不明

【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は50億円(大雑把)。

●2.【経歴と経過】

経歴はスリュサルチュクの供述及び新聞「エクスプレス(Ekspres)」の記事による。両方とも信頼度に問題があるとされている。

  • 1971年5月10日:ソビエト連邦のウクライナで生まれる。21歳の母親に産院で捨てられ、父親は不明
  • 19xx-19xx年(xx-xx歳):ウクライナのフリシュキフツィ(Hryshkivtsi)にある知的障害児孤児学校で幼少期を過ごす
  • 1987-1989年(16-18歳):ウクライナのコジャーティン(Kozyatyn)にある鉄道高等職業学校
  • 1989年(18歳):この頃から医者の振る舞いを始める
  • 19xx-19xx年(xx-xx歳):ウクライナのチェルボノフラド(Chervonohrad)にある専門職業学校
  • 1991年12月(20歳):ソビエト連邦の崩壊で、ウクライナが独立
  • 1996年7月27日(25歳):1度目の刑事訴状:病気治療の失敗
  • 2000年7月17日(29歳):2度目の刑事訴状:病気治療の失敗
    ーーーー上記の期間、以下の履歴を詐称した。

  • 1983年(12歳):モスクワ医科大学(現在のロシア国立研究医科大学Russian National Research Medical University)に入学(【主要情報源】③)。別の情報では、1985年(14歳)に入学(【主要情報源】①)
  • 1989年(18歳):同大学で医師免許(MD)取得。別の情報では、1992年(21歳)に取得(【主要情報源】①)
  • 1992年(21歳):サンクトペテルブルク大学医学心理学部(St Petersburg University medical psychology faculty)に入学(【主要情報源】①)
  • 1998年(26歳):同大学で研究博士号(PhD)取得:医学博士号。(【主要情報源】①③)
  • 2003年(32歳):同大学で研究博士号(PhD)取得:教育学博士号。(【主要情報源】①③)
    ーーーーここまで
  • 2006年(34歳):117秒で5,100桁を大量記憶し世界記録を樹立。しかし、国際機関は認証せず。後に、インチキと指摘されている
  • 2006年3月(34歳):チョルノビルリヴィウ州立近代技術管理大学(Chornovil Lviv State Institute of Modern Technology and Management)・準教授、その年に同大学・法学部・教授
  • 2008年6月-2010年2月(37-38歳):P.Lシュピク国立医学アカデミー(P.L. Shupyk National Medical Academy of Postgraduate Education)・脳神経外科・教授
  • 2009年9月-2011年6月(38-40歳):リヴィウ工科大学・情報システム・ネットワーク学科(Department of Information Systems and Networks at Lviv Polytechnic National University)・教授
  • 2009年12月22日(38歳):ウクライナ大統領ビクトル・ユシチェンコ(Viktor Yushchenko)と会談
  • 2009年12月22日(38歳):脳研究所の所長に就任
  • 2011年4月27日(40歳):世界最強のチェスプログラム「Rybka 4」に最初に勝利
  • 2011年6月9日(40歳):ウクライナの新聞「週刊2000(weekly 2000)」が経歴詐称を暴露
  • 2011年9月30日(40歳):ウクライナ国家賞(State Prize of Ukraine)を受賞
  • 2011年10月6日(40歳)以降:ウクライナの新聞「エクスプレス(Ekspres)」がスリュサルチュクの悪行を次々と暴露
  • 2011年11月14日(40歳):逮捕され詐欺罪で起訴
  • 2014年2月14日(42歳):裁判で8年の刑。リヴネ地方のポリティイ刑務所第76号で刑期を務めた
  • 2016年6月24日(45歳):刑期が短縮され、釈放された

●3.【動画】

以下は事件の動画ではない。

【動画1】
動画:「驚異的なアンドリー・スリュサルチュク教授(紹介)(Phenomenal professor Andriy Slyusarchuk (Introduction)) – YouTube」(ウクライナ語またはロシア語(推定)、英語字幕付き)15分23秒。
Globa Vizが2011/02/15に公開

https://www.youtube.com/watch?v=r3VhICmDw2U

【動画2】
動画:「スリュサルチュク教授の世界記録:テレビニュース(World record of prof Slyusarchuk TV news) – YouTube」(ウクライナ語またはロシア語(推定)、英語字幕付き)2分32秒。
Globa Vizが2011/02/15に公開

https://www.youtube.com/watch?time_continue=65&v=yveerL8neDo

【動画3】
動画:「人間の可能性についての動画(Фильм о возможностях человека) – YouTube」(ウクライナ語(推定))1時間29分50秒。
15:00過ぎから登場する。
Globa Vizが2011/05/15に公開

https://www.youtube.com/watch?v=MMlJ57PAH_8&feature=related

●5.【不正発覚の経緯と内容】

アンドリー・スリュサルチュク(Andriy Slyusarchuk)の事件は、本ブログのネカト事件とは異質である。まともな大学で適正な医学教育を受けていないのに教授になり、脳外科手術をした。彼の人生のすべてが虚偽(ねつ造)まみれである。

以下、スリュサルチュクの人生を経時的に記述した。

ただ、内容はウィキペディアの記事(スリュサルチュクの供述及び新聞「エクスプレス(Ekspres)」の記事に依存)を主に使用した。なお、それらの記述の信頼度に問題がある、と指摘する人もいる。

★出生から青年期

1971年5月10日(0歳)、スリュサルチュクは、ソビエト連邦のウクライナで生まれた。

21歳の母親ナタリア・スリュサルチュク(Natalia Tykhonovna Slyusarchuk)は、産んで間もなく、赤ん坊のアンドリー・スリュサルチュクを置いて、産院を出ていってしまった。父親は不明。

子供時代は、ウクライナのフリシュキフツィ(Hryshkivtsi)にある知的障害児孤児学校で育った。

1987-1989年(16-18歳)、ウクライナのコジャーティン(Kozyatyn)にある鉄道高等職業学校で学んだ。

1989年(18歳)、この頃から医者のカバンを持ち、金を得るために、医療行為をするようになった。

その後、ウクライナのチェルボノフラド(Chervonohrad)にある専門職業学校(医学ではない)に通った。

1991年12月(20歳)、ソビエト連邦の崩壊で、ウクライナが独立した。

この激動の時代の混乱したウクライナ社会で知識・技術そして資格も経験もないのに、独学で医学書を読み、医師と自称し、医療活動を始めた。

1985年から1991年までロシア国立研究医科大学で学び、卒業し、医師免許を取得したと学歴詐称し、医療活動を続けた。

1993年(22歳)、ノボヤボリフスク(リヴィウ州)の病院に脳神経外科医の就任を打診するが、拒否された。

1996年7月27日(25歳)、リヴィウ州のジダチフ・レイオン警察に詐欺罪で告発された。最初の刑事訴状である。

訴状によると、スリュサルチュクは病気の女性を診断し、高価な薬で彼女を治すと約束し、彼女から665ドル(約7万円)を奪って姿を消した。なお、この時、スリュサルチュクは、M. I.ピロゴフ・ヴィンヌッツィア医科大学(M. I. Pirogov Vinnytsia Medical Institute)・卒業証書を示したと言われている。

★失敗と始動

1999年(28歳)、スリュサルチュクはリヴィウ工科大学・工学・教育訓練部門(departments of Engineering and Pedagogical Training at Lviv Polytechnic)で約6か月間教師として勤め、心理学を講義した。彼の講義は人気があったそうだ。

2000年7月17日(29歳)、2度目の刑事訴状が提出された。スリュサルチュクは申立人の2人の幼い子供を治療するために1,500ドル(約15万円)を受け取ったが、子供たちは彼の治療後に病状が悪化した。

2003-2006年(32-35歳)、リヴィウ工科大学(Lviv Polytechnic National University)の寮に住んでいた。そこで彼は学生を不正に診断し、向精神薬を投与する「治療」をした。アンプル当たり4,000ドル(約40万円)の未承認薬を使用したとし、両親に治療費を強要した。その際、子供に投薬しないと子供は自殺すると脅かした。

2006年2月28日(34歳)、スリュサルチュク(写真出典)は大量記憶の記録を樹立したと主張した。大量記憶の公開公演で、小さなイヤホンを耳に仕込み、会場のアシスタンにコンピューターから数字を知らせてもらった。というトリックだと、後に指摘されている。

2006年3月(34歳)、スリュサルチュクは、チョルノビルリヴィウ州立近代技術管理大学(Chornovil Lviv State Institute of Modern Technology and Management)の準教授に就任し、その年に同大学・法学部・教授になった。

https://vesti.ua/strana/289099-sljusarchuk-snova-zanimaetsja-naukoj-prezident-farmatsevticheskoj-kompanii-rasskazal-o-rabote-doktora-pi

2008年6月-2010年2月(37-38歳)、スリュサルチュクはP.Lシュピク国立医学アカデミー(P.L. Shupyk National Medical Academy of Postgraduate Education)の脳神経外科・教授になった。

部門長のミコラ・ポリッシュチュク(Mykola Polishchuk)によると、スリュサルチュクは医学書を読み、内容を記憶し、学生に講義した。

同僚がインターネットでスリュサルチュクの2002年の博士論文を見つけた。ポリッシュチュク部門長は、その博士論文はニコライ・エルショフ(Nikolai Ershov)の2000年の博士論文をタイトルを変えた完全盗用だと気が付いた。ポリッシュチュク部門長が学長に報告し、スリュサルチュクは解雇された。

この時、ポリッシュチュク部門長はロシア教育省学術行政局(Higher Attestation Commission of the Ministry of Education of Russia)にスリュサルチュクの経歴を問い合わせた。すると、ロシア国内の大学で教授だった記録、博士号を取得した記録はないとの返答だった。

★栄華

2009年9月-2011年6月(38-40歳)、リヴィウ工科大学の情報システム・ネットワーク学科(Department of Information Systems and Networks at Lviv Polytechnic National University)の教授だった。

ウクライナ政府の科学顧問も務めるようになった。

2009年12月22日(38歳)、ウクライナ大統領ビクトル・ユシチェンコ(Viktor Yushchenko)は脳研究所の設立を布告した。その脳研究所の所長にスリュサルチュクが就任し、ユシチェンコ大統領と会談したことが写真付きでニュースになった(写真)。

スリュサルチュク(左)とユシチェンコ大統領(右) 写真出典:https://archive.is/IOSH

2010年(39歳)、ウクライナ教育科学省は、スリュサルチュクをロモダノフ脳神経外科研究所(A. P. Romodanov Institute of Neurosurgery)・脳神経外科・教授に発令した。

ところが、ウクライナ高等資格審査委員会(Higher Attestation Commission of Ukraine、学位や教授職の認定を行なう機関)は、スリュサルチュクの教授就任を認めず、ロシアが彼に与えられたとされる教授職を無効にした。実のところ、ロシアでの教授職はウソだったことが証明されたのだ。

https://studopedia.org/2-160030.html

2010年(39歳)、スリュサルチュクはウクライナ全土で手術を行なった。この手術で数十人の人が障害を負い、少なくとも3人が死亡した。

2011年9月30日(40歳)、スリュサルチュクは、「教育分野における科学的成果」に対して2011年のウクライナ国家賞(State Prize of Ukraine)を受賞した。60万ルーブル(約100万円)が授与された。

http://www.classifieds.guardian.co.tt/sport/2011/05/05/oh-wonders-gullibility

なお、スリュサルチュクは自称チェス名人で、2011年4月27日(40歳)、世界最強のチェスプログラム「Rybka 4」に最初に勝った人とされている。

ただし、当時の著名なチェスプレイヤーとは試合していない。また、当時の著名なチェスプレイヤーはチェスプログラム「Rybka 4」にスリュサルチュクが勝ったことを認めていない。なにかトリックをして勝ったとされている。

【デタラメ(ねつ造)の発覚】

★新聞「エクスプレス(Ekspres)」の追求

2011年6月9日(40歳)、ウクライナの新聞「週刊2000(weekly 2000)」がスリュサルチュクの欺瞞に満ちた経歴を最初に暴露した。

2011年10月6日(40歳)、ウクライナの新聞「エクスプレス(Ekspres)」は、最初の記事「似非教授・大量記憶教授のセンセーショナルな秘密を暴露」を掲載しスリュサルチュクの経歴詐称を指摘した。

以後、新聞「エクスプレス(Ekspres)」は、スリュサルチュクの経歴詐称・悪行を批判する一連の記事を掲載し始めた。以下、記事の見出しだけ羅列する。

「似非教授・大量記憶教授の最初の犠牲者」
「疑似医師スリュサルチュクが人々を殺す」
「疑似教授の安価なトリック」
「疑似犠牲者の新しい犠牲者」
「偽医師スリュサルチュクはトラップされた」
「偽医師スリュサルチュクは母親を生きたまま埋めた」
「偽医師は新しい死を招く」
「ショック。擬似医師が司祭の子供を殺す」
「大量記憶記録は取り消される」
「大量記憶記録はねつ造だった」
「大量記憶医師の秘密保護者」
「偽医師が再びメスを拾い上げた」
「タバチニク大臣の変態」
「偽医師、性と薬物」
「タバチニク大臣の重大な罪」
「大量記憶医師の新しい態度」
「リヴァフ州の知性主義・大量記憶医師の付属品、彼の立場から解放されて」
「大量記憶医師のコンピューターオペレーターが発言します」
「偽医師に対する新しい対処」
「大量記憶医師事件の新しい死」
「大量記憶医師へ何百万人が新聞紙・エクスプレスに」
「大量記憶医師に対する調査」
「大量記憶医師は算術さえも知らない」
「大量記憶医師の治療は数万人に及んだ」。

2011年10月27日(40歳)、「スリュサルチュクはロシア国立医学大学に在籍していない」というロシア国立医学大学の手紙が新聞記事になった(実際の手紙は後述)。 → 2011年10月27日の「エクスプレス(Ekspres)」記事(ウクライナ語):ПСЕВДОЛIКАР СЛЮСАРЧУК У ПАСТЦI | Expres.online

★逮捕と8年の実刑

https://alchetron.com/Andriy-Slyusarchuk

2011年11月14日(40歳)、スリュサルチュクは逮捕され詐欺罪で起訴された。

2012年1月10日(40歳)、新聞「エクスプレス(Ekspres)」は「疑似医師の3人の新しい犠牲者」の記事を掲載し、スリュサルチュクが脳外科手術をしている以下のビデオを掲載した。この手術でスリュサルチュクはメスを綿で拭うというヘマをしている。

【動画4】
動画:「医学の秘密:誰が偽薬のスルサルチュクの後ろに?(Лікарські таємниці: Хто стоїть за псевдолікарем Слюсарчуком?) – YouTube」(ウクライナ語(推定))27分11秒。
Лікарські Таємниціが2016/09/29に公開

2012年2月2日-2012年7月2日(40-41歳)、スルサルチュクは精神医学的な検査を受けた。結果として、精神的に正常と診断された。

2014年2月14日(42歳)、シヒフレイオン裁判所はスリュサルチュクに8年の刑を言い渡した。

リヴネ地方のポリティイ刑務所第76号で刑期を務めた。

2016年6月24日(45歳)、刑期が短縮され、釈放された

★ウソの人生

時計の針を戻して、スリュサルチュクが述べた数々のウソの人生を以下にまとめよう。

スリュサルチュクは、9歳で中学校を卒業した。母親は小児科医で父親は心臓外科医だったが、中学校を卒業した年に両親は自動車事故で亡くなった。

1980年代、スリュサルチュクは、身体的虐待を受け、精神病院に送られた。

スリュサルチュクはソビエトの孤児院に入れられ、11歳の時、孤児院から逃げ出した。ジプシー・キャンプに入り、人々に金を請うことを教えられ、食べ物を与えられた。

その間、子供のときに診察を受けたソビエトの偉大な精神科医・アンドレイ・スネネフスキー(Andrei Snezhnevsky、写真出典)の著書『Your Abilities, Man』を読んで独学で勉強した。また、ジプシー催眠術の方法を習得した。

約1年間ジプシーと暮らした後、スリュサルチュクは第2モスクワ州立医科大学(現在のロシア国立研究医科大学Russian National Research Medical University)の職員に会い、友人になった。彼を通して、スリュサルチュクはソビエトの健康大臣・エフゲニー・チャゾフ(Yevgeniy Chazov)と会った。

なお、話しはそれるが、チャゾフは米国のバーナード・ラウン(Bernard Lown)と共に核戦争防止国際医師会議(International Physicians for the Prevention of Nuclear War: IPPNW)を創設した人物である。核戦争防止国際医師会議は、1985年にノーベル平和賞を受賞し、チャゾフはラウンと共にストックホルムでの授賞式に招待された。

1983年(12歳)、スリュサルチュクは、チャゾフの助力を得て、12歳でロシア国立研究医科大学に入学し、脳神経外科を専門とするグセフ教授(E. I. Gusev)の下で学んだ。

1989年(18歳)、スリュサルチュクはロシア国立研究医科大学を18歳で卒業し、卒業証書を受領した。そして、通常のインターンシップなしで大学院課程に進学した。

★学歴詐称

2011年5月27日(40歳)、ウクライナ文部科学大臣のドミトリー・タバチニク(Dmytro Tabachnyk、写真同、ウクライナ語でДмитро Володимирович Табачник)が、「スリュサルチュクが、1985年から1991年までロシア国立研究医科大学で学びました」というロシア国立研究医科大学の卒業を「合法化」した書類に署名していた(以下。ウクライナ語)。

文部科学大臣の証明書があれば、それは信用される。それで、いくつかの大学はスリュサルチュクを教授に迎えていたのだ。

ところが実は、このタバチニク文部科学大臣の証明書は、虚偽の情報に基づいた証明書だった。

2011年10月27日、新聞「エクスプレス(Ekspres)」が、スリュサルチュクの学歴詐称を暴露した。
 → ПСЕВДОЛIКАР СЛЮСАРЧУК У ПАСТЦI | Expres.online

そして、新聞「エクスプレス(Ekspres)」がロシア国立研究医科大学に問い合わせた。すると、「スルサルチュクは私たちの大学で勉強したことはありません。1984年でも1990年でも、他の年でもありません。そのような学生を育てていません」、という返信を得た(以下の文書)。

「スルサルチュクは当大学を卒業していません」:ロシア国立研究医科大学からの手紙

スルサルチュクはかなり大胆な学歴詐称をしていたのだ。

●6.【論文数と撤回論文とパブピア】

★パブメド(PubMed)

2019年11月13日現在、パブメド(PubMed)で、アンドリー・スリュサルチュク(Andriy Slyusarchuk)の論文を「Andriy Slyusarchuk [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、0論文がヒットした。

「Slyusarchuk A[Author]」で検索すると、2018年の1論文がヒットした。しかし、著者名は「Arsen Slyusarchuk」で、本記事で問題にしている研究者以外の論文だった。

つまり、アンドリー・スリュサルチュク(Andriy Slyusarchuk)は生命科学系のまともな学術論文を1報も出版していない。

★撤回論文データベース

省略

★パブピア(PubPeer)

省略

●7.【白楽の感想】

https://www.euromag.ru/articles/chelovek-nedeli-andrej-sljusarchuk/

《1》天才的な詐欺師 

アンドリー・スリュサルチュク(Andriy Slyusarchuk)は天才的な詐欺師と思われる。それにしても、まともな教育を受けずに、よく、大学教授になれたものだ。知識も経験もないのに、よく脳外科手術までしてしまったものだ。お陰で、数十人の患者が障害を受け、数人(3-4人?)が死亡した。

スリュサルチュクにダマされたウクライナ社会も問題だが、ダマシのテクニックがスゴイ! 教育大臣や首相までダマしてる!

本ブログで記載している多くのネカト行為がミミッチク感じてしまった。

ソビエト連邦が崩壊しウクライナが独立した1991年12月、スリュサルチュクは20歳だった。孤児院で育ったスリュサルチュクに失うものはない。激動の時代の混乱した社会で精いっぱい野心的に行動したのだろう。

だから、こんなトンデモナイ経歴詐称がまかり通ったのだ、

と感嘆していたら、ウクライナの科学系の教授の約90パーセントは正当な研究者ではないという、つい最近の2019年10月29日の記事があった。
 → 2019 年10月29日の「Scientist」記事:Academics in Ukraine Fighting Against Rampant Misconduct

現在でも、ウクライナの学術界では盗用や贈収賄は当たり前だそうだ。そして、ようやく最近、研究公正が叫び始められたとのことだ。

ウクライナ国立科学アカデミー(Ukrainian National Academy of Sciences)の分子・病態生理学部門の責任者であるビクター・ドセンコ(Victor Dosenko、写真出典)は「海外では、嘘が見つかれば研究者としては致命的だが、私たちの国では、不正行為(cheating)は問題と見なされていません」と、述べている。

どっひゃー! ですね。

なお、こういう経歴詐称事件はウクライナという未成熟国家だから起こったのだと決めつけるのは、ちと、マズイ。

ドイツでも最近起こっている。48歳の女性が、医師免許を偽造して2015-2018年に患者を治療し、4人を死亡させた。
 → 2019年11月6日記事:CNN.co.jp : 医師の資格偽った女を逮捕、病院で4人死亡 ドイツ

モチロン、と胸を張っては何ですが、日本でも最近(2019年)起こっている。医師免許を偽造して医療行為をし、逮捕された。 → 2019年6月17日記事:ニセ看護師はニセ医者も 医師法違反で再逮捕 – 産経ニュース

医療行為はしないし、医師免許も偽造していないけど、結婚詐欺で4回も逮捕された男性が現代の日本にいた。 → 2018年7月4日記事:「ニセ医師なりきり度ハンパない!」結婚詐欺で4回目の逮捕、懲りない45歳の素性は? – FNN.jpプライムオンライン

世界も日本も、どうして医師にダマされるんでしょう? 単なる専門技術者で、人格、知性、善悪観は普通の人と同じなんですけど。

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●9.【主要情報源】

①  ウィキペディア英語版:Andriy Slyusarchuk – Wikipedia
②  ウィキペディア・ロシア語版:Слюсарчук, Андрей Тихонович — Википедия
WORLD NEURO CENTER – About professor
④ 2011年10月6日の新聞「エクスプレス(Ekspres)」記事:Сенсаційне викриття псевдопрофесора Пі | Expres.online
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

●コメント

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