ワンポイント:事件決着まで12年もかかった約45年前の研究ネカト事件
●【概略】
ゾルタン・ルーカス(Zoltan Lucas、本人写真未発見)は、米国・スタンフォード大学医学大学院(Stanford University School of Medicine)・準教授・医師で、専門は腎移植の免疫学だった。
1970年(35歳?)、研究室の大学院生の指摘でデータ異常が発覚した。しかし、調査委員会はシロと判定した。その後、別の2つの調査委員会、NIH、上院議員、裁判所を巻き込んだが、長い間、シロ判定が続いていた。発覚から12年後の1981年、ようやく、クロと判定され、決着した。
事件の顛末は、アレクサンダー・コーン(酒井シズ、三浦雅弘訳):『科学の罠』、工作舎、1990年に詳しく記述されている。
2015年現在のスタンフォード大学医学大学院(Stanford University School of Medicine)。”Stanford School of Medicine Li Ka Shing Center” by LPS.1 – Own work. Licensed under CC0 via Commons – 写真出典
- 国:米国
- 成長国:米国
- 研究博士号(PhD)取得:マサチューセッツ工科大学
- 男女:男性
- 生年月日:不明。仮に、1935年1月1日とする
- 現在の年齢:89歳?
- 分野:腎移植の免疫学
- 最初の不正論文発表:19xx年(xx歳)
- 発覚年:1970年(35歳?)
- 発覚時地位:米国・スタンフォード大学医学大学院(Stanford University School of Medicine)・準教授
- 発覚:研究室の大学院生
- 調査:①スタンフォード大学・調査委員会。第3次調査委員会まであった。②裁判所
- 不正:ねつ造・改ざん
- 不正論文数:18報? 撤回論文なし
- 時期:研究キャリアの中期から
- 結末:辞職
●【経歴と経過】
- 生年月日:不明。仮に、1935年1月1日とする
- 19xx年(xx歳):米国・ジョンズ・ホプキンス大学医学大学院(Johns Hopkins School of Medicine)を卒業。医師免許取得
- 19xx年(xx歳):米国・マサチューセッツ工科大学で研究博士号(PhD)取得。生化学
- 19xx年(xx歳):米国・スタンフォード大学医学大学院(Stanford University School of Medicine)・準教授
- 1970年(35歳?):不正研究が発覚する
- 1981年10月(46歳?):スタンフォード大学を辞職
●【不正発覚の経緯と内容】
事件の顛末は、アレクサンダー・コーン(酒井シズ、三浦雅弘訳):『科学の罠』、工作舎、1990年に詳しく記述されている。興味のある人は、是非、『科学の罠』を読んでください。
1970年、ルーカス研究室の大学院生ランダール・モリス(Randall Morris)が、ルーカスのデータ異常を指摘した。その部分を著書『科学の罠』から引用しよう。
1~2年後、ラッフェル調査委員会は、結局、モリスの申し立てに証拠がないという理由で、ルーカスをシロと判定し、委員会を終了した。
ところが、別件の事態が発生した。ルーカスは研究室のバローニオ・マーチンス博士(Baronio Martins)を解雇したのだが、マーチンスは「ルーカスの期待する実験結果が得られなかったから解雇された」と、不当解雇だと大学に訴えた。この過程で、マーチンスはルーカスのデータ改ざんにも気が付いた。
1975年2月、マーチンスの件で、フェイン教授を委員長とする第2次調査委員会が発足した。
1975年10月2日、しかし、第2次調査委員会は、ルーカスをシロと判定し、委員会を終了した。
1975年、そこで、マーチンスは、上級裁判所にルーカスとスタンフォード大学医学大学院を名誉棄損と背信行為で訴えた。この裁判は1981年1月まで6年間も続いた。
この間、モリスを支持したスタンフォード大学医学大学院・準教授のユージン・ドンク(Eugene Dong、専門は心臓外科、法律家でもある。写真出典)は、1975年12月、厚生省・次官にルーカスの研究ネカトを訴える手紙を書いた。この返事は、NIHの副所長から返ってきたが、ルーカスをシロと判定したものだった。
返事に不満なドンク準教授は1976年3月、NIHにも直接、手紙を書いた。しかし、得られたのは、「この問題は終わりにすべきだ」という返事だった。しかし、ドンク準教授は終わりにしなかった。
その後、第3次の調査委員会が設けられた。
1980年、著書『科学の罠』の下記引用文のように、結局、ドンク準教授の粘り強い調査と訴えで、ルーカスのデータねつ造・改ざんの証拠が得られ、第3次の調査委員会に提出されたのだった。
1979年3月、スタンフォード大学医学大学院はルーカスに30回の虚偽引用があったとし、ルーカスはそのかなりの部分を認めた。
その結果、スタンフォード大学学長のリチャード・ライマン(Richard W. Lyman、写真出典)は、ルーカスに12週間の給与停止処分を科した。
1981年10月(46歳?)、ルーカスはスタンフォード大学医学大学院を辞職した。
●【論文数と撤回論文】
2015年6月17日、パブメドhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedで、ゾルタン・ルーカス(Zoltan J. Lucas)の論文を「Zoltan Lucas [Author]」で検索した。0論文がヒットした。
「Lucas ZJ[Author]」で検索すると、1967年~1980年の59論文がヒットした。
2015年10月10日現在、撤回論文はなかった。
最初に公益通報した研究室の大学院生ランダール・モリス(Randall Morris)との共著論文が1971年に出版されている。
- Immunologic enhancement of rat kidney grafts: evidence for peripheral action of homologous antiserum.
Morris R, Lucas ZJ.
Transplant Proc. 1971 Mar;3(1):697-700
●【事件の深堀】
★1970年代の事件
ルーカス事件は1970年に発覚し、1970年代の10年間に3つの調査委員会が設けられた。
この時代、研究公正局は設立されていなかった。データねつ造・改ざんを適正に処理する方策は確立されていなかった。科学者は正義の人とみなされていた。データねつ造・改ざんは、とても特殊で、特別に悪い科学者人が行なう行為とされていた。だから、調査委員会は最初からルーカスをシロとする姿勢であった。
米国で研究ネカトが議論されたのは1980年代で、研究公正局(の全身)が設置されたのは1989年である。
再び、『科学の罠』から味のある文章を以下に引用しよう。
上記の引用文章のように、『科学の罠』の著者・アレクサンダー・コーンは次の記述もした。
研究ネカトの調査で得られる答えを、「どろどろして、曖昧で車輪のきしむような音のようなものが真実の答え」とスタンフォード大学広報部次長に答えさせている。これは、現代でも同じだと思われる。
日本のマスメディアとインターネットの書き込みは、シロクロだけの表層的結論で事態を決着させる傾向が強い。そして、クロとされた研究者を扇情的に袋叩きにする風潮が強い。そして、それを抑止できる組織・メカニズムがない。これでは、研究ネカトの本質がおおわれ、改善されない。
2つ目の論点として、コーンは、すべての研究機関は研究ネカトを迅速に調査するシステム(白楽は、早期発見システムを含むと理解した)を構築すべきだと述べている。この部分は、現代では、欧米先進国はかなり発達したと思われる。
ただ、日本を含めアジアは旧態依然としていて、ひどく遅れている。撤回論文数の多い研究ネカト者は日本を筆頭にアジアに多いことがそのことを証明している(研究者の事件ランキング)。撤回論文数が多いということは、研究ネカトの初期に摘発できていない証拠である。
3つ目の論点として、コーンは、若い研究者が研究ネカトを犯した場合、共著者であった指導者・上司は同じ罪を負うべきだとも述べている。
この部分は、45年前から一向に変化はない。現在に至るまで、研究成果のおいしい部分は、若い研究者と指導者・上司は分かち合うが、研究ネカトの嫌疑がかかれば、罪は若い研究者だけが負い、共著者である指導者・上司に罪・責任を科さないシステムが続いている。
●【白楽の感想】
《1》古くて新しい問題
研究ネカトは古くて新しい問題である。約45年前の事件なのに、発生状況、関係者の対応、そして、調査委員会の対応も現代とほとんど同じである。
「現代とほとんど同じ」ということは、残念ながら、進歩していないということでもある。大きな進歩を導入したいものだ。
●【主要情報源】
① 書籍: アレクサンダー・コーン(酒井シズ、三浦雅弘訳):『科学の罠』、工作舎、1990年。文章はウェブ上にない
② 1981年8月23日、「ニューヨーク・タイムズ」記事:STANFORD DENIES COVER-UP OF RESEARCH FRAUD – NYTimes.com2012年
③ 46年前の新聞記事もインターネットで閲覧できる例としてここに挙げた。事件はまだ起こっていない。ルーカスの研究紹介記事。1969年12月5日、「Stanford Daily」記事:Kidney Treatment — The Stanford Daily
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。