化学:ピーター・チェン(Peter Chen)(スイス)

ワンポイント:研究室・院生のデータねつ造で副学長を辞職

【概略】
NEWS-p10-chen-180_tcm18-166063ピーター・チェン(Peter Chen、写真出典)は、米国生まれ育ちで、スイス連邦工科大学チューリヒ校に34歳で正教授に就任した。2007年からの副学長(研究・企業連携担当)で、専門は化学(物理有機化学)だった。

2000年(40歳)、この年に「Journal of Chemical Physics」誌に発表した論文は、発表直後からデータねつ造が指摘された。

2009年7月15日(49歳)、スイス連邦工科大学チューリヒ校・調査委員会はピーター・チェン本人ではなく、チェン研究室の院生トーマス・ギルバート(Thomas Gilbert)がデータねつ造をしたと結論した。

2009年9月末(49歳)、大学はチェンの処分をしなかったが、チェンは自発的に副学長(研究・企業連携担当)を辞職した。

2015年9月現在、物理有機化学(physical-organic chemistry)・教授として在職している。

スイス連邦工科大学チューリヒ校は、チューリッヒ工科大学とも呼ばれるが、ドイツ語では「Eidgenössische Technische Hochschule Zürich」で、これを略した「ETH Zürich」または「ETHZ」が多用されている。大学自身が「ETH Zürich」と表記している。英語では「Swiss Federal Institute of Technology Zurich」だが、一般的には、「ETH Zürich」の「ü」を「u」に変えた「ETH Zurich」が使われる。日本語の読み方は「イーティーエッチ、チューリッヒ」である。

スイス連邦工科大学チューリヒ校は、「Times Higher Education」の大学ランキングで世界第13位、欧州第4位(英国を除くと第1位)の名門大学である(World University Rankings 2014-15 | Times Higher Education)。

ETH_Zürich_-_Hauptgebäude_-_Polyterasse_2011-08-06_18-21-28_ShiftN2 スイス連邦工科大学チューリヒ校中央棟(Main building of ETH Zürich)
ETH-Hoenggerberg-2008スイス連邦工科大学チューリヒ校ヘンガーベルク・キャンパス(ETH Hönggerberg Campus)の全景。写真出典

  • 国:スイス
  • 成長国:米国
  • 研究博士号(PhD)取得:米国・イエール大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1960年。仮に、1960年1月1日生まれとする
  • 現在の年齢:64 (+1)歳
  • 分野:化学(物理有機化学)
  • 最初の不正論文発表:2000年(40歳)
  • 発覚年:2000年(40歳)
  • 発覚時地位:スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH Zürich)・正教授
  • 発覚:研究者仲間の指摘
  • 調査:①スイス連邦工科大学チューリヒ校・調査委員会
  • 不正:研究室・院生がデータねつ造した
  • 不正論文数:2報
  • 時期:研究キャリアの中期
  • 結末:副学長を辞職し、教授として在職

★【動画】
講演:産学連携の技術移転「Peter Chen – Hellenic Innovation Forum 1st Conference」、(英語)20分、
Hellenic Innovation Forumが2014/05/19 に公開。
一見リンク切れのように見えますが、生きてます。

【経歴と経過】
主な出典:Search | ETH Zurich

  • 1960年月日:米国のソルトレイクシティで生まれる。仮に、1960年1月1日生まれとする
  • 1982年(22歳):米国・シカゴ大学(University of Chicago)を卒業
  • 1987年(27歳):米国・イエール大学(Yale University)で研究博士号(PhD)を取得した
  • 1987 – 1988年(27 – 28歳):ハーバード大学(Harvard University)・ポスドク
  • 1988 – 1991年(28 – 31歳):ハーバード大学(Harvard University)・助教授
  • 1991 – 1994年(31 – 34歳):ハーバード大学(Harvard University)・準教授
  • 1994年(34歳):スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH Zürich)・正教授
  • 2000年(40歳):不正研究が発覚する
  • 2007年9月1日 – 2009年9月30日(47 -49歳):スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH Zürich)・副学長
  • 2009年7月15日(49歳):スイス連邦工科大学チューリヒ校・調査委員会が研究室院生のデータねつ造と判定した
  • 2009年9月末(49歳):自発的にスイス連邦工科大学チューリヒ校・副学長(研究・企業連携担当)を辞職した。教授に在職

称号・受賞
“National Science Foundation Presidential Young Investigator”
“Camille and Henry Dreyfus Distinguished New Faculty Fellow”
“David and Lucile Packard Fellow”
“Camille and Henry Dreyfus Teacher Scholar”
“Alfred P. Sloan Fellow”
“American Chemical Society Cope Scholar”.

【不正発覚の経緯と内容】

Peter Chen11998年(38歳)、ピーター・チェン研究室は、後に問題視された論文の実験を開始した。

1999年春、最初のZEKE(Zero‐Kinetic‐Energy)実験をした。データを出したのは院生のトーマス・ギルバート(Thomas Gilbert)だった。

1999年夏、ケンブリッジ大学の交換学生のPfabが7月から9月の4か月滞在し、ZEKE実験を手伝った。

1999年10月20日、チェン研究室は、「JCP1」論文を投稿した。2000年2月に出版された。著者は、Gilbert, T., Pfab, R., Fischer, I. & Chenだった。

Ingo_Fischer_web_011999年、チェン研究室でチェンの右腕であるインゴ・フィッシャー(Ingo Fischer、当時36歳、写真は現在、出典)は、教授資格(Habilitation)を取得した。

1999年11月-2000年1月、更なるZEKE実験をした。データを出したのは院生・ギルバートだった。

2000年2月25日、チェン研究室は、「JCP2」論文を投稿した。同年7月に出版された。著者は、Gilbert, T., Fischer, I. & Chenだった。

2000年4月14日、院生・ギルバートは博士論文を提出し、試験をパスした。

2000年6月30日、ギルバートはスイス連邦工科大学チューリヒ校を去った。

2000年11月(40歳)、台北大学のウーら(Wu et al.)が論文(JCP 113 (2000) 7286)を発表した。この論文は、チェン研究室の「JCP2」論文のデータと矛盾していた。「JCP2」論文は、データねつ造ではないかと指摘された。

それで、チェン研究室のチェンの右腕・フィッシャー(Ingo Fischer)は、研究室の実験ノートを見たが、「JCP2」論文の生データが見つからなかった。データを出したのはギルバートなので、ギルバートのデータファイルも見たが、生データが見つからなかった。それで、ギルバートに問い合わせた。しかし、ギルバートに指示された場所に生データはなかった。

2001年3月(41歳)、フィッシャーはドイツのブルツ大学(University of Wurzburg)・教授に転出した。

ETH Zuerich / Peter Chen
ETH Zuerich / Peter Chen

2001年夏(41歳)、チェン研究室は大規模な引っ越しを行なった。それで、生データの行方はますますわからなくなった(だろう)。

2003年初旬(43歳)、台北大学の研究データとの矛盾は依然として解決していないかった。しかし、ギルバートの生データが見つからないので検証が難しい。気にはなったが決め手がなかった。それに、「JCP2」論文は、研究テーマの主軸とはズレてきたいので、徐々に放置される状況になった。

2007年5月(47歳)、カリフォルニア大学デービス校のC. Y. Ng教授グループが自分たちのデータと「JCP2」論文のデータに矛盾があると報告した (JCP 126 (2007) 171101)。

それで、チェンは、論文データの疑惑を再度検証した。結局、自分たちでは解決がつかないと判断した。

2009年1月1日(49歳)、チェンは、大学評議会に独立した調査を依頼した。

pfaltz2009年2月3日(49歳)、大学評議会はバーゼル大学(University of Basel)の有機化学教授アンドレアス・プラッツ(Andreas Pfaltz、写真出典)を委員長とする5人の委員会を設置した。

2009年7月15日(49歳)、プラッツ調査委員会は調査報告書をまとめた。

委員会

調査対象としたのは2報の出版論文と1報の博士論文だった。どれも、院生のトーマス・ギルバート(Thomas Gilbert)が第1著者だった。

  • [JCP1]:The zero kinetic energy photoelectron spectrum of the propargyl radical, C3H3
    Gilbert, T., Pfab, R., Fischer, I. & Chen, P. J. Chem. Phys. 112, 2575-2579 (2000). | Article | ChemPort |
  • [JCP2]:Zero kinetic energy photoelectron spectra of the allyl radical, C 3 H 5
    Gilbert, T., Fischer, I. & Chen, P. J. Chem. Phys. 113, 561-566 (2000 ). | Article | ChemPort |
  • [博論]:Thomas GilbertのETH PhD thesis No 13629 (2000)

上の3論文の以下の図がデータねつ造と判定した。調査委員会は[JCP2]の撤回を推奨した。

  • [JCP1]の図1と図2
  • [JCP2]の図2、図3、図4
  • 博士論文の図2.4.8、図2.4.9、図2.5.5、図2.5.8、図2.5.8。なお、この5つの図は、[JCP1] と[JCP2]の5つの図と同一である。

調査委員会は、データねつ造の実行者を院生・トーマス・ギルバート(Thomas Gilbert)と判定した(ギルバート本人は否定)。そして、ギルバートに授与した博士号のはく奪を推奨した。

2009年9月末(49歳)、チェンは、自発的にスイス連邦工科大学チューリヒ校・副学長(研究・企業連携担当)を辞職した。教授に在職。

 

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【論文数と撤回論文】

以下に示すが、論文データベースからは、論文数と撤回論文が把握できなかった。

2015年9月21日現在、グーグル・スカラー(http://scholar.google.co.jp/schhp?hl=ja)で、ピーター・チェン(Peter Chen)の撤回論文を「(retraction OR retracted) author:” Peter Chen”」で検索すると、約14,600件がヒットした。

台湾で査読詐称した「計算学:ピーター・チェン(Peter Chen)(台湾)」と同姓同名なので、この検索方法では、スイスのピーター・チェンの撤回論文を特定できない。

スイス連邦工科大学チューリヒ校に限定し、「(retraction OR retracted) AND ”Peter Chen” AND ETH Zurich」で検索すると、2件しかヒットしない。ところが、この論文は撤回論文とは別物だった。

それで、論文を個別に探った。

2000年の[JCP1]論文は、2009年に撤回されていた。
Retraction: “The zero kinetic energy photoelectron spectra of the propargyl radical, C3H3” [J. Chem. Phys.112, 2575 (2000)]

また、2000年の[JCP2] 論文は、2009年に訂正されていた。
Erratum: “Zero kinetic energy photoelectron spectra of the allyl radical, C3H5” [J. Chem. Phys.113, 561 (2000)]

【白楽の感想】

《1》マル秘の調査報告書

この事件を扱ったメディアの見出しは、「データねつ造で研究長が降格」などとあり、ピーター・チェン副学長(研究・企業連携担当)が主対象である。ピーター・チェン副学長がねつ造したかのような印象を受ける。それで、本記事でも、ピーター・チェンの事件として書いた。

しかし、データねつ造の実行者はチェン研究室の院生である。

この事件に関する「マル秘(Confidential)」の調査報告書がネットで閲覧可能である(【主要情報源】②)。そして、そこでは、データねつ造の実行者を、院生のトーマス・ギルバート(Thomas Gilbert)と判定していた。

だから、スイス連邦工科大学チューリヒ校は、「マル秘(Confidential)」調査報告書を実質的に公開しているのだと理解した。そうすれば、ピーター・チェン副学長がねつ造したのではないと伝え続けることができるからだ。世の中には、いろいろなカラクリがあるというものだ。

とは言え、研究ネカト事件の調査報告書は、どの大学・研究機関もすべて公表してもらいたい。現代社会では「透明性」は健全さを維持する大きな手段である。

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【主要情報源】
① ウィキペディア・ドイツ語版:Peter Chen (Chemiker) – Wikipedia
② 2009年7月15日のスイス連邦工科大学チューリヒ校・調査報告書(マル秘):http://www.ethlife.ethz.ch/archive_articles/120123_Expertenbericht_tl/120123_Expertenbericht
③ 2009年9月22日のクイン・シアマイヤー(Quirin Schiermeier)の「ネイチャー」記事:Research chief steps down over fake data : Nature News
④ 2009年9月21日のスイス連邦工科大学チューリヒ校の記事: ETH Zurich’s head of research resigns
★ 記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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