特殊事件「論争」:ディック・スワーブ(Dick Swaab)(オランダ)

2023年1月15日掲載 

ワンポイント:スワーブはアムステルダム大学・元教授、オランダ神経科学研究所(Netherlands Institute for Neuroscience)・研究チームリーダー、オランダの神経科学の重鎮である。2021年(76歳)、母親が妊娠中に摂取した薬の影響で胎児の脳は同性愛者になると述べた「2021年12月のNeurosci Biobehav Rev.」論文(総説)を発表した。2022年12月15日(77歳)、スワーブは同意していないが、学術誌はこの論文を撤回した。撤回理由は明確に記載されていないが、ネカトではない。動物モデルを人間に適用した点が批判されている。間違いも指摘されている。国民の損害額(推定)は1億円(大雑把)。2022年ネカト世界ランキングの「2」の「7」である。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
9.主要情報源
10.コメント
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●1.【概略】

ディック・スワーブ(Dick Swaab、Dick F Swaab、ORCID iD:?、写真By Sxologist Wikipedia 出典, CC BY 2.0)は、アムステルダム大学(University of Amsterdam)・医学部・元教授で、オランダ神経科学研究所(Netherlands Institute for Neuroscience)・精神神経疾患(Neuropsychiatric Disorders)・研究チームリーダーである。医師免許を持っている。専門は脳科学である。

日本語に翻訳されていないが、著書『脳こそ人間のすべて(We Are Our Brains)』(2014年)、『私たちの脳は創造的(Ons creatieve brein)』(2017年)など8冊の著者がある(本の表紙出典はアマゾン)。

本事件はネカト事件ではない。特殊事件「論争」としたが、クログレイの「ズサン」でもある。それで、「「生命科学」(除・米国・日本)」にもリストした。

スワーブの主張は今までも論争になっているが、本記事で対象にしたのは、「2021年12月のNeurosci Biobehav Rev.」論文である。この論文は2021年12月1日(76歳)に懸念表明が付き、その1年後の2022年12月15日(77歳)に撤回された。このことを中心に記述する。

問題点は、論文が主張したその内容である。

妊娠中のホルモンと生化学的要因が胎児の脳の発達に影響すると主張している。生理学的に考えれば当然の主張だが、論争点は、胎児が生まれ育ち、大人になった時の性的指向に永続的に影響すると主張した点である。この点が論争になった。

複数人が批判したが、「間違い」を指摘したテキサス A&M大学(Texas A & M University)のスティーブン・マーレン殊勲教授(Stephen Maren)を、本記事では、第一次追及者とした。

オランダ神経科学研究所(Netherlands Institute for Neuroscience)。写真By Gerard J Boer – Own work, CC BY-SA 4.0, 出典

  • 国:オランダ
  • 成長国:オランダ
  • 医師免許(MD)取得:アムステルダム大学
  • 研究博士号(PhD)取得:アムステルダム大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1944年12月17日
  • 現在の年齢:80歳
  • 分野:脳科学
  • 「論争」論文発表:2021年(76歳)
  • 「論争」時の地位:オランダ神経科学研究所・研究チームリーダー
  • 「論争」発覚年:2021年(76歳)
  • 発覚時地位:オランダ神経科学研究所・研究チームリーダー
  • ステップ1(発覚):第一次追及者は複数人で、ツイッターで指摘したが、本記事ではティーブン・マーレン殊勲教授(Stephen Maren)を代表にした
  • ステップ2(メディア):「ツイッター」、「撤回監視(Retraction Watch)」
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①学術誌・編集部
  • 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
  • 大学の透明性:調査していない(✖)
  • 「論争」論文数:1報撤回
  • 時期:研究キャリアの後期
  • 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)を続けた(〇)
  • 処分:なし
  • 日本人の弟子・友人:不明

【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は1億円(大雑把)。

●2.【経歴と経過】

  • 1944年12月17日:オランダで生まれる
  • 1968年(23歳):アムステルダム大学(University of Amsterdam)で医師免許取得
  • 1970年(25歳):アムステルダム大学(University of Amsterdam)で研究博士号(PhD)を取得:医学。Prof. dr. J. Ariëns Kappers
  • 1978~2005年(33~60歳):オランダ脳研究所(Netherlands Institute for Brain Research)・所長
  • 1979~2009年(34~64歳):アムステルダム大学(University of Amsterdam)・医学部・神経生物学・教授
  • 1979~現(34~):オランダ神経科学研究所(Netherlands Institute for Neuroscience)・精神神経疾患(Neuropsychiatric Disorders)・研究チームリーダー
  • 1998年(43歳):「オランダ・ライオン勲章の騎士(Order of the Netherlands Lion – Wikipedia)」受章
  • 2021年(76歳):問題の「2021年12月のNeurosci Biobehav Rev.」論文を発表
  • 2021年12月1日(76歳):問題の「2021年12月のNeurosci Biobehav Rev.」論文に懸念表明
  • 2022年12月15日(77歳):問題の「2021年12月のNeurosci Biobehav Rev.」論文が撤回

●3.【動画】

以下は事件の動画ではない。

【動画1】
研究講演動画:「Prof. Dr. Dick Swaab – Art of Neuroscience 2013」(英語)21分37秒。
2013/05/15 に公開

【動画2】
研究インタビュー動画:「Dick Swaab: The Neuroscience of Gender Identity and Sexual Orientation – YouTube」(英語)47分3秒。
The Dissenter(チャンネル登録者数 1.16万人)が2020/04/17 に公開

●4.【日本語の解説】

★2014年01月21日:ヨムノ・トルグ(エキサイトニュース):「妊婦のストレスで同性愛者が生まれる!? 世界で議論沸騰中の新説とは?」

出典 → ココ、(保存版) 

議論に火をつけたのは、オランダ・アムステルダム大学の神経科学者、ディック・スワーブ教授(69)だ。彼は、最新の著作「脳こそ人間のすべて(We Are Our Brains)」において、「同性愛者となることは胎児期に決められる」という説を発表したのだ。

 スワーブ教授の長年の研究によると、妊娠中に様々なストレスにさらされた女性の子どもは、将来、同性愛者になる可能性が高いという。またストレス以外に、喫煙(ニコチン)やドラッグ(アンタフェタミン)の使用といった習慣も、生まれてくる子どもを同性愛者にする可能性を高めるという。

★2017年4月15日:著者不記載(TRUE-ARK):「同性愛者への希望― 本当の原因と、実体験に基づく聖書的克服方法」

出典 → ココ、(保存版) 

オランダ・アムステルダム大学の神経科学者、ディック・スワーブ教授(69)は、最新の著作「脳こそ人間のすべて(We Are Our Brains)」において、「同性愛者となることは胎児期に決められる」という説を発表しています。

スワーブ教授の長年の研究によれば、妊娠中に様々なストレスにさらされた女性の子どもは、将来、同性愛者になる可能性が高いといいます。そして、その原因として教授が提唱しているのが、人がストレスを受けた時に分泌する「コルチゾール」というストレスホルモンです。スワーブ博士は、この「コルチゾール」こそが、胎児の性ホルモンのレベルや、脳の形成に変化を及ぼすと考えているのです。

なお、博士の研究は、ストレスだけでなく、喫煙(ニコチン)やドラッグ(アンタフェタミン)の使用といった習慣についても同様に、生まれてくる子どもを同性愛者にする可能性を高めると報告しています。

続きは、原典をお読みください。

●5.【論争の経緯と内容】

★研究人生

ディック・スワーブ(Dick Swaab)はアムステルダム大学(University of Amsterdam)・医学部・神経生物学・元教授で、脳の解剖学と生理学を専門とする脳科学者である。

数多くの科学賞を受賞し、84人の博士院生を育て、うち16人は正教授になっている。このことからもわかるように、オランダの脳科学の重鎮である。

2020年時点でH-index は97、論文は34,000 回以上引用されている。

研究は、子宮内のさまざまなホルモンおよび生化学的要因が脳の発達に影響する研究成果が著名である。生理学的に考えれば当然の主張だが、注目を集めているのは、性的指向に関しても、胎児期のホルモンおよび生化学的要因で決まるとする生理学的な研究で、その主張は、何度か論争を引き起こしている。

脳の解剖学と生理学からの視点では同性愛は異常または障害だと判定するので、性的マイノリティ者は激怒し、スワーブを殺害すると脅迫してもいる。

自由意志や魂や精霊などの形而上学的実体は脳科学的には存在しないというスワーブの見解も、生理学的に考えれば納得できる見解だが、宗教団体はスワーブの見解に反発している。

★論文撤回

本記事で取り上げるのは、撤回された論文である。

2021年12月1日(76歳)、ディック・スワーブ(Dick Swaab)の「2021年12月のNeurosci Biobehav Rev.」論文に懸念表明が付いた。

その1年後の2022年12月15日(77歳)、上記論文は撤回された。

撤回公告」には、動物モデルの性的指向を人間の性的指向に適用する著者の主張を支持できないとある。著者は撤回に同意していない。

【論争点】

撤回されたディック・スワーブ(Dick Swaab)の「2021年12月のNeurosci Biobehav Rev.」論文を以下に再掲する。

論文は、性的マイノリティの生理学的研究の総説である。

問題点は、データねつ造・改ざんではない。盗用でもない。その内容が問題なのだが、撤回公告には具体的な記述がない。

論文内容は、以下のようだ。

神経ホルモン理論によると、人間の性的指向は、子宮内で性ホルモンの影響下で発達する。この総説では、性的指向に影響を与える神経伝達物質の役割の研究論文をまとめた。

動物モデルでは、胎児発育中の神経伝達物質の薬理作用と遺伝的な変化が、ホルモンを介して、脳の構造的・機能的な変化をもたらし、性的指向を変える可能性があることを示している。

私たちの仮説によると、人間では、このメカニズムが同性愛志向と神経精神障害の有病率の増加に寄与している。この仮説を支持するデータを評価する。

胎児発育中に神経伝達物質のレベルが変化すると、脳の同性愛志向と神経精神障害の両方の可能性が高まる。妊娠中の女性に投与した薬は、胎児の脳の発達を永続的に変化させる可能性があるため、この仮説は臨床的に重要な意味がある。

つまり、同性愛者は、母親が妊娠中に摂取した薬の影響で胎児の脳が永続的に変化したためだというわけだ。

これは、論争になりそうな主張である。

社交メディアで批判された。

「撤回監視(Retraction Watch)」のコメント欄には、スワーブの論文の主張には根拠となる適切なデータがないという指摘があった。

ノースウェスタン大学(Northwestern University)のジェームズ・ギブ・院生(James Gibb)は、アメリカ心理学会(APA)が否定し、論文撤回しようとしたリチャード・スピッツァー(Richard Spitzer )の 2001 年の転向療法の論文を引用している点をツイッターで問題視した。

なお、転向療法は、心理的または精神的介入を用いて、個人の性的指向を変更しようとする疑似科学的な試み(転向療法 – Wikipedia

テキサス A&M大学(Texas A & M University)のスティーブン・マーレン殊勲教授(Stephen Maren、写真出典)は次のように、論文の露骨な「間違い」も指摘している。その「間違い」は、ディック・スワーブの主張を補強する方向なので、意図的ではないと思うが、意図的だとすれば、改ざんに該当するかも知れない。

マーレン殊勲教授は、論文を撤回するよう学術誌にメールした。


●6.【論文数と撤回論文とパブピア】

★パブメド(PubMed)

2023年1月14日現在、パブメド(PubMed)で、ディック・スワーブ(Dick Swaab、Dick F Swaab)の論文を「Dick Swaab[Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2002~2023年の22年間の339論文がヒットした。

「Swaab DF」で検索すると、1967~2022年の56年間の655論文がヒットした。

2023年1月14日現在、「Retracted Publication」のフィルターでパブメドの論文撤回リストを検索すると、0論文が撤回されていた。

★撤回監視データベース

2023年1月14日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでディック・スワーブ(Dick Swaab、Dick F Swaab)を「Swaab」で検索すると、本記事で問題にした「2021年12月のNeurosci Biobehav Rev.」・1論文が2021年12月1日に懸念表明、2022年12月15日に撤回されていた。

★パブピア(PubPeer)

2023年1月14日現在、「パブピア(PubPeer)」では、ディック・スワーブ(Dick Swaab、Dick F Swaab)の論文のコメントを「Karin Dahlman-Wright」「authors:”m abdel-baset”」で検索すると、本記事で問題にした「2021年12月のNeurosci Biobehav Rev.」・1 論文にコメントがあった。

●7.【白楽の感想】

《1》論争 

同性愛者と異性愛者の脳の生物学的違いを、白楽は、そもそも、把握できていない。

解剖学的、生化学的、なんでもいいから、同性愛者と異性愛者の違いを、科学的手法で測定できるのだろうか? 性的指向は先天的性質とされているなら、測定できそうだが・・・。

ディック・スワーブ(Dick Swaab)が主張するように、妊娠中のホルモンと生化学的要因が胎児の脳の発達に影響するのは、生理学的に考えれば当然の主張である。

ただ、この時に胎児の脳が受けた影響が、大人になった時の性的指向に永続的に影響するかどうか? 

白楽は、「あり」「ない」を判定できない。

脳科学者が「あり」と言うなら「あり」なのだろう。

動物モデルを人間の生理機能に適用する論理は生物学では常套手段だ。ただ、脳科学だとどこまで共通原理があるのか、それも性的指向に関してどこまで適用していいのか、白楽は判断できない。

なお、スワーブ批判の中に、ディック・スワーブ(Dick Swaab)の上記の主張を裏付ける実験データがないと指摘する人もいる。

人を対象とした脳科学研究では、実験科学に限界があるので、性的指向の研究は証明するのが難しいだろう。

ディック・スワーブ(Dick Swaab)- foto Bob Bronshoff。https://www.newscientist.nl/blogs/waarom-de-nieuwe-swaab-een-bestseller-wordt-hint-het-is-niet-de-prinsessenjurkpolemiek/

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●9.【主要情報源】

① ウィキペディア英語版:Dick Swaab – Wikipedia
② 2021年12月6日のアダム・マーカス(Adam Marcus)記者の「撤回監視(Retraction Watch)」記事:Paper on sexual orientation and neuropsychiatric disorders earns an expression of concern – Retraction Watch
③ 2022年12月19日のエリー・キンケイド(Ellie Kincaid)記者の「撤回監視(Retraction Watch)」記事:Article on sexual orientation and psych disorders retracted – without the author’s knowledge, he says – Retraction Watch
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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