ウィリアム・サマリン(William Summerlin)(米)

2015年1月18日掲載、2023年9月20日更新

ワンポイント:49年前の1974年の事件。サマリンは、スローン・ケタリング記念癌研究所(Memorial Sloan Kettering Cancer Center)の研究員・医師で、ボスのロバート・グッド所長(Robert A. Good)はノーベル賞の有力候補だった。マウス皮膚移植で黒色のマウスの皮膚を白色のマウスに移植できた証拠として、サマリンは、白色のマウスの毛をフェルトペンで黒色に塗るという愚行をした。ねつ造は直ぐにバレ、研究所を辞職。後に、この事件を扱った本『パッチワーク・マウス (The patchwork mouse)』が出版されるほど有名なネカト事件。国民の損害額(推定)は20億円(大雑把)。この事件は、白楽指定の重要ネカト事件である:ネカト事件史の代表的なねつ造事件。政府・学術誌・学術界が主体となって、研究不正に対処する全米的運動をもたらす切っ掛けとなった事件。約15年後、研究公正局が設置された。

ーーーーーーー 目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
9.主要情報源
10.コメント 
ーーーーーーー 

●1.【概略】

140910 サマーリンsci_FRAUD_pic_06[1]ウィリアム・サマリン(ウィリアム・サマーリン、ビリー・サマリン、 William T. Summerlin、写真出典)は米国・スローン・ケタリング記念癌研究所(Memorial Sloan Kettering Cancer Center)の研究員・医師で、専門は免疫学(皮膚移植)だった。

なお、日本では「Summerlin」を「サマーリン」と表記することが多いが、英語ではサマリンと発音するので、ここでは、サマリンとした。

サマリンのボスのロバート・グッド(Robert A. Good)は、スローン・ケタリング研究所・所長で、ノーベル賞受賞候補者と噂され、タイム誌(1973年3月19日号)の表紙を飾る免疫学の著名な研究者だった。

1974年3月26日(34歳)、研究のことで相談があるとボスのグッドに呼ばれたサマリンは、マウスをケージに入れてボスのオフィスに向かった。途中で、サマリンは、白色のマウスの毛をフェルトペンで黒色に塗るという愚行をした。

140910 The_Patchwork_Mouse_2_by_MouseSneezes[1]というのは、サマリンは、黒色のマウスの皮膚を白色のマウスに移植できた証拠をハッキリ示したかったのだが、マウス皮膚移植の結果に疑惑がもたれていたからである。(写真はサマリンのマウスそのものではない。出典)。

実験助手のジェームス・マーチン(James Martin)は、サマリンが戻したマウスの皮膚に、ヘンな黒い色(キズ?)があること気がついた。なんだろうと思って、アルコール綿で拭うと黒い色は消えた。

白色のマウスの毛をフェルトペンで黒色に塗ったことがバレた瞬間である。

スローン・ケタリング研究所はネカト調査委員会を設けて調査した。

サマリンは辞職(実質は解雇)。

なお、当時、研究公正局は存在していなかったので、研究公正局の案件にはなっていない。

また、データねつ造と思われる論文が数報あるが、論文は1報も撤回されていない。当時、ネカト論文を撤回する慣行はなかった。

Memorial Sloan Kettering Research Buildingスローン・ケタリング記念癌研究センター(Memorial Sloan Kettering Cancer Center)、 写真出典

  • 国:米国
  • 成長国:米国
  • 医師免許(MD)取得:エモリー大学
  • 博士号取得:なし
  • 男女:男性
  • 生年月日:1938年x月xx日。仮に1938年12月31日生まれとした
  • 現在の年齢:85 歳
  • 分野:免疫学
  • ネカト行為:1974年(35歳)
  • ネカト行為時の地位:スローン・ケタリング記念癌研究所・研究員・医師
  • 発覚年:1974年(35歳)
  • 発覚時地位:スローン・ケタリング記念癌研究所・研究員・医師
  • ステップ1(発覚):第一次追及者は同じ研究室の実験助手のジェームス・マーチンが見つけ、研究所の別の研究者に相談した
  • ステップ2(メディア):「ニューヨーク・ポスト、「ニューヨーク・タイムズ『Betrayers of the Truth』、『False Prophets: Fraud and Error in Science and Medicine』など多数
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):① スローン・ケタリング記念癌研究所・調査委員会。②研究公正局はまだ設置されていない
  • 研究所・調査報告書のウェブ上での公表:なし。当時、ウェブはなかった
  • 研究所の透明性:研究所は調査報告書を公表しなかった。つまり、隠蔽の意図あり(✖)
  • 不正:ねつ造
  • 不正論文数:撤回論文はないが、少なくとも3報は撤回相当(?)。当時、ネカト論文をしっかり撤回する慣行はなかった
  • 時期:研究キャリアの初期
  • 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)をやめた・続けられなかった(Ⅹ)
  • 処分:辞職
  • 日本人の弟子・友人:不明

【国民の損害額】 国民の損害額:総額(推定)は20億円(大雑把)。

●2.【経歴と経過】

経歴:出典の1つ

  • 1938年x月xx日:米国で生まれる。仮に1938年12月31日生まれとした
  • 1961年(22歳)(推定):米国・ジョージア州アトランタのエモリー大学(Emory University)・学士号(哲学と生物学)
  • 1965年(26歳)(推定):米国・エモリー大学(Emory University)・医師免許取得
  • 1965‐1966年(26‐27歳):テキサス州のブルック陸軍医学センター(Brooke Army Medical Center in San Antonio)・火傷研究室で医療をする
  • 1966?‐1968年(27‐29歳):テキサス医科大学(University of Texas Medical Branch at Galveston)、Army Medical Corpsで医療をする
  • 1968年(29歳):スタンフォード大学医学センター(Stanford University Medical Center)・マーヴィン・カラセク(Marvin Karasek)研究室のフェローシップになり、皮膚科学、病理学、がん外科学を学ぶ。
  • 1971年(32歳):スタンフォード大学医学センター(Stanford University Medical Center)・皮膚科長(Director of the Dermatology Clinic)。
  • 1972年(33歳):スタンフォード大学関連病院のパロ・アルト・ヴェテラン管理病院(Palo Alto Veterans Administration Hospital)・皮膚科部長(Head of Dermatology)。
  • 1973年(34歳):ミネソタ大学(University of Minnesota)のロバート・グッド(Robert A. Good)教授のもとで研究フェローシップになる。
  • 1973年(34歳):ボスのロバート・グッドがミネソタ大学からスローン・ケタリング記念癌研究センター(Memorial Sloan Kettering Cancer Center)に移籍するのに伴い、移籍し研究員になる。
  • 1974年(35歳):不正研究が発覚
  • 19xx年(xx歳):スローン・ケタリング記念癌研究センターを辞職
  • 1987年(49歳)以降:アーカンソー州北西部で私設医院であるサマリン皮膚科医院・院長

●3.【動画】

かつて、以下の動画があった。2023年9月19日現在、リンク切れ。白楽が保存した版があった。

★動画1
メローラもニュースも「サマーリン」ではなく「サマリン」と紹介。
科学ライター・エリック・メローラ(Eric Merola)の語る「Summerlin Mouse Affair | Second Opinion by Eric Merola | Movie Clip」、(英語)3分20秒、 Eric Merola Documentary Filmsが2020/10/13 に公開:https://www.youtube.com/watch?v=7bOK5a9Wz-Y (2023年9月19日現在、リンク切れ)。以下白楽保存版。

画像をクリックすると動画サイトになる。それをクリック。

★動画2
科学ライター・ラルフ・W・モス(Ralph W. Moss, PhD)の語る「Summerlin Mouse Affair” – Clip from “Second Opinion: Laetrile At Sloan-Kettering」、(英語)3分20秒、Second Opinion Documentaryが2014/02/19 に公開:https://www.youtube.com/watch?v=6MCx0P-KPX8#t=13(2020年11月17日時点で削除されていた)

●4.【日本語の解説】

サマーリン事件 – Wikipedia(2015年1月18日以前の版)

サマーリン事件とは、1974年、ニューヨークのスローン・ケタリング記念癌研究所で勤務するウィリアム・サマーリン(William Summerlin、博士)が、自分が行なっている皮膚移植の実験がうまくいっていないにもかかわらず、白いネズミの体の一部を黒色のマーカーペンで塗り、あたかも黒い皮膚の移植がされ、それが成功したかのように見せかけたこと、およびそれが発覚し事件となったこと。(サマーリン事件 – Wikipedia

★古典的名著の1冊目:1982年の『Betrayers of the Truth』

米国の研究不正を解説した古典的名著が 2冊ある。その2冊 とも日本語訳が出版されている。

141211 71nAkax-AqL[1]

ウィリアム・ブロード(William J. Broad)、ニコラス・ウェイド(Nicholas Wade)が執筆した、1982年の書籍『真実を裏切る者たち(Betrayers of the Truth)』(写真出典)(ISBN-13: 978-0671447694)。

牧野 賢治が日本語に訳し、『背信の科学者たち』として、1988年1月20日、化学同人から初版を出版した。現在は、ブルーバックス版の方が入手しやすいだろう。『背信の科学者たち―論文捏造』、牧野 賢治 訳| Amazon(2006/11/21)

著者のウィリアム・ブロード(William J. Broad)、ニコラス・ウェイド(Nicholas Wade)は、1981年のネカト事件までリストしている。

牧野 賢治 訳のブルーバックス版では、サマリン事件は238~245ページと8ページに渡って記述されている。本文の文章部分が294ページなので、全体の2.7%が割かれている。238ページ目の大部分を以下に示す。

続きは、訳書をお読みください。

★古典的名著の2冊目:1986年の 『False Prophets: Fraud and Error in Science and Medicine』

米国の研究不正を解説した古典的名著の2冊目。

1986年出版の アレクサンダー・コーン(Alexander Kohn)著の『False Prophets: Fraud and Error in Science and Medicine』である。 → Amazon | False Prophets: Fraud and Error in Science and Medicine | Kohn, A. | Science
 → 日本語訳版:『科学の罠―過失と不正の科学史 』酒井シヅ、三浦雅弘訳(工作舎 、1990年6月30日発行)

酒井シヅ、三浦雅弘 訳の本では、サマリン事件は125~136ページと12ページに渡って記述されている。本文の文章部分が315ページなので、全体の3.8%が割かれている。125 ページ目を以下に示す。

続きは、訳書をお読みください。

●5.【不正発覚の経緯と内容】

★移植と免疫

皮膚や臓器の移植は、供与者と受容者が同じ個体なら可能だが、同じ動物種でも個体が違えば拒絶反応が起こる。免疫系が作動するからである。

だから、ヒトの臓器移植では、免疫的に近いヒトを選ぶ。さらに、免疫系の作動を抑える免疫抑制剤を使用する。

免疫抑制剤は、全部の免疫作用を弱める。それで、移植の大きなリスクは感染症にかかりやすくなることだ。

世界大百科事典【臓器移植】により

…移植には,臓器の供与者(提供者またはドナーdonor)と受容者(もらい手またはレシピエントrecipient)がいる。両者が同じ生体,たとえば自分の皮膚を自分の他の部に移植することを〈自家移植〉,両者の遺伝子が同じ場合,たとえば一卵性双生児や純系マウス間の移植を〈同系移植〉,同じ種間の移植,たとえばヒトとヒト,イヌとイヌ間の移植を〈同種移植〉,異種間,たとえばヒトとチンパンジー間の移植を〈異種移植〉という。 自家移植と同系移植は外科手技が成功すれば,移植も成功するが,同種移植や異種移植では,移植臓器に拒絶反応が生ずる。…(出典:異種移植(イシュイショク)とは – コトバンク

Dr. William Summerlin and Lab Ratウィリアム・サマリン( William T. Summerlin、写真出典不明)は、皮膚科医で、皮膚を用いて、同種移植や異種移植の研究をしていた。

難問は、上記のように、免疫系の拒絶反応により、移植した皮膚が生着せずに剥がれてしまうことだ。

それを抑えようと、強い免疫抑制剤を使用すれば、実験動物(ヒトなら患者)が感染症で死亡する。

1968年(29歳)、サマリンは、スタンフォード大学でこの点を克服する方法を発見した。

移植する皮膚を数週間、特殊な液で培養することで、免疫的な拒絶反応をする性質をなくすという方法である(実際は不可。現在もできていない)。

特殊な液で培養することから、サマリンの「器官培養理論」、あるいは、「サマリン理論」と呼ばれた。

サマリンが、スタンフォード大学の研究室で研究した時に実験が成功し、提唱した理論と言われている。関連論文を探ると、次の3論文がヒットした。

  1. Transplantation of organ cultures of adult human skin.
    Summerlin WT, Charlton E, Karasek M.
    J Invest Dermatol.1970 Nov;55(5):310-6. doi: 10.1111/1523-1747.ep12260178.
  2. Acceptance of phenotypically differing cultured skin in man and mice.
    Summerlin WT, Broutbar C, Foanes RB, Payne R, Stutman O, Hayflick L, Good RA.
    Transplant Proc. 1973 Mar;5(1):707-10.
  3. Allogeneic transplantation of organ cultures of adult human skin.
    Summerlin WT.
    Clin Immunol Immunopathol. 1973 Apr;1(3):372-84. doi: 10.1016/0090-1229(73)90054-8.

3番目の「1973年4月のClin Immunol Immunopathol.」論文の冒頭部分を以下に示す(出典

151012 viewImage[1]サマリンの「器官培養理論」は、サマリンが、スタンフォード大学の皮膚生化学者マーヴィン・カラセク(Marvin Karasek、写真同)研究室で研究した時に実験が成功し、提唱した理論である。

カラセクと共著の「1970年11月のJ Invest Dermatol.」論文を発表している。上記3論文の最初の論文である。

  1. Transplantation of organ cultures of adult human skin.
    Summerlin WT, Charlton E, Karasek M.
    J Invest Dermatol.1970 Nov;55(5):310-6. doi: 10.1111/1523-1747.ep12260178.

ただ、カラセクは実験の成功に対して、サマリンとは異なる解釈(以下)をしている。

移植する皮膚を数週間培養すると、生きた細胞が死滅し、抜け殻が残る。この抜け殻を皮膚として移植すると、受容者の皮膚細胞が抜け殻の中で繁殖し皮膚が再生される。抜け殻は受容者の免疫系を刺激しない。

これなら、現代の免疫学と矛盾しない。

★カリスマ学者・グッドの庇護下のサマリン

1974年(35歳)、ウィリアム・サマリン(William Summerlin)は、ニューヨークの著名な病院であるスローン・ケタリング記念癌研究センター(Memorial Sloan Kettering Cancer Center)の研究員だった。

151012 images[8]ボスのロバート・グッド(52歳、Robert A. Good, MD, PhD、ボブ・グッド 写真出典)は、センターの一部であるスローン・ケタリング研究所(Sloan Kettering Institute)の所長に就任したばかりだった(在位期間:1973–1980年)。

グッドは、既に、タイム誌(1973年3月19日号)の表紙を飾るなど、免疫学の分野で著名で、ノーベル賞受賞候補者の1人でもあった(出典)。

151012 1101730319_400サマリンは、人柄や容姿が人に好かれ、ハキハキと話す研究員である。

グッドのお気に入りで、皮膚移植での優れた業績があったので、研究員とは言え、教授レベルの待遇だった。

★実験助手がねつ造を発見

サマリンは、スタンフォード大学のカラセク研究室で研究した1968年(29歳)以来、移植する皮膚を数週間、特殊な液で培養することで、免疫拒絶反応をなくす「器官培養理論」を提唱していた。

1973年(34歳)頃には、しかし、多くの研究室で再現できないとクレームが寄せられていた。

政府の研究費審査委員も「器官培養理論」に懐疑的な状況だった。

それなりに対応しないとNIHへの申請研究費が採択されない恐れが生じていた。

151012 3959338_Xb5AFd写真:サマリン(右)、出典:The New York Times(リンク切れ)、Kodėl mokslininkai sukčiauja? – DELFI Gyvenimas

サマリンは、この危機を乗り切る方策を相談しようと、1974年3月26日、午前7:00にグッドのオフィスに来るように言われた。

サマリンは、その前夜、研究所に宿泊した。

サマリンは、朝5時、会議の2時間前に目を覚ました。朝食を済ませ、身だしなみを整えた。

午前7時の少し前、18匹のマウスを入れたケージを台車に載せ、グッドのオフィスに向かった。

移植実験で、ケージの中のマウスは、白いマウスに黒いマウスの皮膚を移植したマウスだった。ただ、器官培養に伴い皮膚の色素が落ちて、移植部分が黒色ではなく灰色になっていた。

エレベーターに乗り、その灰色の移植部分を眺めているうちに、衝動的に、白衣のポケットから黒のフェルトペンを取り出し、2匹のマウスの灰色の移植部分を黒く塗った。

後で、どうしてそんなことをしたのか、サマリンは説明できないと述べている。

グッドとの会談が始まった。皮膚移植に関しては、グッドはマウスをチラッと見ただけだった。

相談の中心は、グッド研究室の共同研究者だった微生物学者・ジョン・ニネマン(John L. Ninnemann)のレポートだった。

ニネマンのレポートはサマリンの「器官培養理論」を正面から否定し、サマリンの研究結果を再現できないと書いてあった。

ニネマンは、サマリンの研究結果を再現できず、1974年1月にサマリンとの共同研究を中止していた。

サマリンは、再現実験ができそうだったのにニネマンが完成しないで、途中で止めてしまったと不満を述べた。

途中で止めたので、1973年7月に出版した「Transplantation」誌の論文ではニネマンの名前を著者から外した。

グッドとの会談が終わり、サマリンは18匹のマウスを入れたケージを台車に載せて、研究室に戻った。

151012 summerlin2[1]

実験室で実験作業をしていたサマリンの実験助手・ジェームス・マーチン(James Martin)は、サマリンが戻したマウスの皮膚に、ヘンな黒い色(キズ?)があること気がついた。なんだろうと思って、アルコール綿で拭うと消えた。アルコール綿に黒いフェルトペンの色がついた(マウス写真出典)。

マーチンは、事の重大さに身が震えた。

マウスの皮膚移植が成功した証拠を、上司・サマリンがねつ造したかもしれない。

マーチンは、スローン・ケタリング研究所の別の研究者・ジョン・ラーフ(John H. Raaf)に相談した。

33歳のラーフは、ハーバード大学出身で、研究博士号(Ph.D.)と医師免許(M.D.)をもち、サマリンより基礎医学での研究経験が豊富だった。

ラーフも、サマリンの「器官培養理論」に基づいてラットの副甲状腺移植実験を試みていたが、失敗に終わっていた。

ラーフはマーチンの話を聞き、マウスを確かめ、それが事実だとわかると、事態をすぐにグッドに伝えた。

グッドは、すぐにサマリンを呼び、問いただした。

すると、サマリンはすぐに「やりました」と告白した。

というのは、サマリンは、自分がとてもヘンなことをしたと、急に思い至り、グッドに伝えようと戻るところだったと、後に、彼自身が述べている。

★事件後の処理

1974年3月末~4月初旬(35歳)、グッドは、スローン・ケタリング研究所に27年勤める64歳のチェスター・ストック(C. Chester Stock)を委員長とするネカト調査委員会を設け、サマリンの調査を始めた。

研究所は、事件を公式発表しなかったが、噂は広がり、話しが漏れた。

1974年4月15日(35歳)、事件の詳細が、ニューヨーク・ポスト紙の記事となり、世間に周知された。

世間とマスメディアは大騒ぎとなった。

右は1974年4月18日のニューヨーク・タイムズ記事(顔写真の上がサマリン、下がグッド:出典)。

スローン・ケタリング研究所は、当初、事態をさほど深刻にとらえていなかった。調査委員会の委員名も公表していた。

委員は全員、スローン・ケタリング研究所の職員だったので、後に、グッドを守りサマリンを解雇する委員会だと非難された。

調査委員会は、調査結果を発表し、グッドを完全にシロと結論した。但し、サマリンへの管理監督は不適切だったと、グッドをたしなめている。

サマリンのマウスを塗った行為が単発なら、調査委員会は、サマリンに辞職勧告をしなかったかもしれない。

しかし、調査を進めると、サマリンには別のデータねつ造が見つかった。

この年(1974年)の1月以降、サマリンの共同研究者は、「器官培養理論」に基づいてヒトの角膜をウサギの眼に移植することに成功していた。

スローン・ケタリング研究所の向かいにあるコーネル大学医学部・ニューヨーク病院の眼科が、「器官培養理論」に基づいた実験をしていたのである。

サマリンは、ウサギの透明な眼と濁った眼を見せて、「器官培養理論」が正しいと主張していた。透明な眼は器官培養の後に移植した例で、移植の成功例として示し、濁った眼は、器官培養しないで移植した例で、移植の失敗例としていた。

しかし、ここでも、実験証拠をねつ造していた。

1974年6月(35歳)、サマリンは、自分の正当性を主張し、自分に責任がないとするレポートを詳細に書く作業に追われた。しかし、いくつもの矛盾と説明できない事項が多数あった。

ニネマンとラーフがサマリンのウサギの眼の移植実験問題を追求した。

1974年7月(35歳)、サマリンは、ウサギの眼の移植実験に何らかの間違いがあったようだと認めた。

テクニシャンに器官培養してから移植、器官培養しないで移植、の両方をするようサマリンは指示していた。

それで、実験計画通り両眼に移植していたと思っていた。

ところが、実際は、テクニシャンはその通り実験していなかった。そのことを、サマリンに伝えていなかった。

1974年10月(35歳)、サマリンは、実際は、移植したのは濁った眼だけで、透明な眼にはなにも移植していなかった、と述べたのである。

結局、サマリンは、有給(年俸40,000ドル=約400万円)の病気休職扱いになった。コネチカット州デリエン(Darien)に妻と3人の息子とともに移住した。

サマリンは、この出来事で深く傷つき、メディアにはもう答えたくないとメディアに対応している。

スローン・ケタリング研究所を傘下におくスローン・ケタリング記念癌研究センターのセンター長・ルイス・トーマス(Lewis Thomas、写真出典)は、「サマリンは、深刻な情緒障害を患っている」と述べた。

★昔の悪評が露呈する

151012 header.header-amedd-whattoexpect-facilities-5[1]テキサス州のブルック陸軍医学センター(Brooke Army Medical Center in San Antonio)、写真出典

サマリンは、エモリー大学(Emory University)で医師免許を取得したあと、1965‐1966年(26‐27歳)にテキサス州のブルック陸軍医学センター(Brooke Army Medical Center)・火傷研究室で研究していた。

公式な不正記録はないが、ここで、サマリンのいくつかの問題行為をしていた。

著名な研究雑誌「JAMA(The Journal of the American Medical Association、ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション)」の1974年9月9日号(229(11):1391-1410. doi:10.1001/jama.1974.03230490001001)に、次のような記述があるそうだ(有料記事:白楽は原典を読んでいない)。

サマリンの同僚は「サマリンは、人物として未熟で、問題を抱えていた」と述べている。他の同僚は、「サマリンは、問題児で他のスタッフの邪魔だから、火傷・トラウマ班から出ていってもらった」と述べている。

サマリンは、成績が悪く、プロトコールを変え、しばしば自己矛盾に陥っていた。1人で仕事していればすべて上手くいくが、集団で仕事すると何も進まなかった。だから、信用されなかった。

皮肉なことに、同じJAMA誌は、1年8か月前の1973年1月(doi:10.1001/jama.1973.03220030003002)、「サマリンは移植研究で革命的なスバラシイ発見をした(the most significant— even revolutionary—advances )」と記述している。

★ジョン・ニネマン(John L. Ninnemann)

1974年頃、サマリンのねつ造を公益通報したジョン・ニネマン(John L. Ninnemann)は、その後、ユタ大学(~1983年)、カリフォルニア大学サンディエゴ校(1984~1988年)の教授(推定)になった。

20年後の1994年、驚いたことに、ニネマン自身が、米国・研究公正局の調査で不正研究(改ざん)で「クロ」と結論された(NIH Guide: FINDINGS OF SCIENTIFIC MISCONDUCT)。偶然なのか、必然なのか? かわっためぐりあわせだ。

1978~1987年の5論文を撤回し、4論文を訂正している。

20年前、若い時に過ごした研究室で研究不正に遭遇したことと関係があるのか・ないのか? ワカリマセン。

●6.【論文数と撤回論文とパブピア】

★パブメド(PubMed)

2023年9月19日現在、パブメド(PubMed)で、ウィリアム・サマリン(William T. Summerlin)の論文を「Summerlin WT[Author]」で検索すると、1966年~1979年の14年間の11論文がヒットした。

2023年9月19日現在、「Retracted Publication」のフィルターでパブメドの論文撤回リストを検索すると、0論文が撤回されていた。

本文で示した以下の3論文は、論文タイトルから推察してねつ造データ論文のように思える。どうして撤回しない・されないのだろう。

  1. Transplantation of organ cultures of adult human skin.
    Summerlin WT, Charlton E, Karasek M.
    J Invest Dermatol.1970 Nov;55(5):310-6. doi: 10.1111/1523-1747.ep12260178.
  2. Acceptance of phenotypically differing cultured skin in man and mice.
    Summerlin WT, Broutbar C, Foanes RB, Payne R, Stutman O, Hayflick L, Good RA.
    Transplant Proc. 1973 Mar;5(1):707-10.
  3.  Allogeneic transplantation of organ cultures of adult human skin.
    Summerlin WT.
    Clin Immunol Immunopathol. 1973 Apr;1(3):372-84. No abstract available.

★撤回監視データベース

2023年9月19日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでウィリアム・サマリン(William T. Summerlin)を「Summerlin」で検索すると、0論文が撤回されていた。

★パブピア(PubPeer)

2023年9月19日現在、「パブピア(PubPeer)」では、ウィリアム・サマリン(William T. Summerlin)の論文のコメントを「William T. Summerlin」で検索すると、1論文にコメントがあった。 

●7.【白楽の感想】

《1》弟子とボス 

マーク・スペクターにラッカー、シェーン(物理学)にバトログ、そして今回のサマリンにグッド、どれも後者は前者の上司(指導教員)であり、その分野のカリスマ研究者だ。ノーベル賞に手が届く人たちである。学術界の重鎮なので、周囲は異論をはさみにくい。 → 超優秀で人柄が良い若い研究者がネカトする | 白楽の研究者倫理

そういう環境で、ねつ造が起こる。

この場合、悪いのは必ず弟子とされてきた。行政機関、研究機関の上層部、調査員はボス側人間である。ボスを守ろうとする。

ボスの方が処世術がうまい。

ボスは弟子の研究をコントロールできるが、弟子はボスをコントロールできない。

実行犯が弟子としても、上記のような状況・環境要因を勘案すれば、ボスにも責任があるという議論は多い。

しかし、あくまでも実行犯のみを処分している。白楽は、この方式の方が基本的に優れていると考えている。

日本は欧米の文化・論理と異なる。日本政府は「日本は欧米先進国と価値観を共有している」と言う。共有している点はたくさんあるが、研究倫理に関しては、価値観を共有している、とは言い難い点がたくさんある。

日本は昔ながら集団責任体制の考えで、処分制度の設計をしてしまい、「不正行為に関与していない」人も処分している。

これはおかしい。別の機会に論じよう。

《2》過去は消える

サマリン事件は、当時大きく報道された。

しかし、49年前の1974年の事件なので、デジタル情報は少ない、と感じた。

「2015年1月18日掲載」の初版時でも、既に事件から31年が経過していた。

今回の記事更新は、初版から 8年8か月が経過している。デジタル情報はさらに少なくなっていた。

白楽ブログの古い記事の更新作業はデジタル情報の削除との競争でもある。

しかし、もちろん、人類社会は過去の情報をいつまでも保存できない。時代は進む。

白楽ブログはいづれ途絶える。白楽も死ぬ。

以下のサイトは、以前、生きていた。マンガ動画だったと思う。今回、動画は削除され、画像だけが残っていた。

https://www.secondopinionfilm.com/project/the-summerlin-mouse-affair/ 保存版

ーーーーーーー
日本の人口は、移民を受け入れなければ、試算では、2100年に現在の7~8割減の3000万人になるとの話だ。国・社会を動かす人間も7~8割減る。現状の日本は、科学技術が衰退し、かつ人間の質が劣化している。スポーツ、観光、娯楽を過度に追及する日本の現状は衰退を早め、ギリシャ化を促進する。今、科学技術と教育を基幹にし、人口減少に見合う堅実・健全で成熟した良質の人間社会を再構築するよう転換すべきだ。公正・誠実(integrity)・透明・説明責任も徹底する。そういう人物を昇進させ、社会のリーダーに据える。また、人類福祉の協力もあり、人口過多の発展途上国から、適度な人数の移民を受け入れる。
ーーーーーー
ブログランキング参加しています。
1日1回、押してネ。↓

ーーーーーー ーーーーーー 

●9.【主要情報源】

① 51VWAJhpz7L◎1974年11月30日のバーバラ・ユンカー(Barbara Yuncker)の記事「The Strange Case of the Painted Mice」:“The Strange Case of the Painted Mice”, by Barbara Yuncker, The Saturday Review, November 30, 1974, pp. 50-53
②  2006年のWeissmann, Gの「The FASEB Journal (Vol. 20, Issue 6, pp. 587–590)」記事: Science fraud: from patchwork mouse to patchwork data
③(未読)1976年の著書(日本語訳版なし)(右の表紙)。Joseph R Hixson著:『The patchwork mouse』、228 pages、 Anchor Press、ISBN-10:0385028520、ISBN-13:978-0385028523
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

●コメント

注意:お名前は記載されたまま表示されます。誹謗中傷的なコメントは削除します

Subscribe
更新通知を受け取る »
guest
0 コメント
Inline Feedbacks
View all comments