ヘンク・バック(Henk Buck)(オランダ)

2018年6月27日掲載。

ワンポイント:28年前の事件。1990年(60歳)、アイントホーフェン工科大学(University of Technology in Eindhoven)・教授だったバックは、エイズ・ウイルスの増殖を阻害するアンチセンスDNA(長鎖リン酸メチル化DNA)を合成したと「1990年のScience」に論文を発表した。発表後すぐにデータねつ造と指摘された。本人は現在もデータねつ造を否定しているが、現在でも、長鎖リン酸メチル化DNAは合成できていない。損害額の総額(推定)は5億円(当てずっぽう)。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説

5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】

ヘンク・バック(Henk M. Buck、写真出典)は、オランダのアイントホーフェン工科大学(University of Technology in Eindhoven)の有機化学の教授だった。

しかし、生化学分野でネカトを行なったので専門を生化学とし、本ブログの「生命科学」の枠に記事を分類した。なお、「自然科学・工学」の表にもリストした。

バックは、300報以上の科学論文を発表し、彼の指導下で43人が化学の研究博士号(PhD)を取得した。

1990年(60歳)、バックはエイズ・ウイルスの増殖を阻害するアンチ・センスDNA(長鎖リン酸メチル化DNA)を合成したと「1990年のScience」に論文を発表した。

発表後すぐにデータねつ造と指摘された。

この分野の専門家で同僚のスタン・ヴァン・ボェッケル教授(Constant Adriaan Anton van Boeckel、またはStan van Boeckel)が、「1990年のScience」論文の1年前から、長鎖リン酸メチル化DNAは合成できないとバックに警告していた。

1990年8月30日(60歳)、調査委員会はバックの試料中に長鎖リン酸メチル化DNAは存在しなかった、と結論した。

アイントホーフェン工科大学(University of Technology in Eindhoven)。写真By Arno van den Tillaart from Eindhoven, Netherlands – TU/e campus, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1972055

  • 国:オランダ
  • 成長国:オランダ
  • 研究博士号(PhD)取得:ライデン大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1930年。仮に1930年1月1日とした。
  • 現在の年齢:94歳
  • 分野:生化学
  • 最初の不正論文発表:1990年(60歳)
  • 発覚年:1990年(60歳)
  • 発覚時地位:アイントホーフェン工科大学・教授
  • ステップ1(発覚):第一次追及者は同僚のスタン・ヴァン・ボェッケル教授(Constant Adriaan Anton van Boeckel、またはStan van Boeckel)で大学に公益通報
  • ステップ2(メディア): オランダの多くのメディア
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①調査委員会(アイントホーフェン大学?)
  • 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
  • 大学の透明性:実名報道だが機関のウェブ公表なし(△)
  • 不正:ねつ造
  • 不正論文数:1報
  • 時期:研究キャリアの後期
  • 損害額:総額(推定)は5億円(当てずっぽう)。
  • 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)を続けられなかった(Ⅹ)
  • 処分:降格、そして早期退職勧告
  • 日本人の弟子・友人:不明

●2.【経歴と経過】

  • 1930年x月x日:オランダで生まれる。仮に1930年1月1日とした。
  • 1959年(29歳):オランダのライデン大学(University of Leiden)で研究博士号(PhD)を取得
  • 1964年(34歳):大学講義資格(教格)・取得
  • 1967年(37歳):オランダ化学会の金メダル(Golden Medal of the Royal Netherlands Chemical Society)・受賞
  • 1970年(40歳):アイントホーフェン工科大学(University of Technology in Eindhoven)・有機化学の教授
  • 1979年(49歳):ロイヤルオランダ芸術科学アカデミー・会員
  • 1988-1991年(58-61歳):アイントホーフェン工科大学・化学学部・学部長
  • 1990年(60歳):「1990年のScience」論文を発表
  • 1990年(60歳):すぐに「1990年のScience」論文が大論争になった
  • 1991年(61歳):アイントホーフェン工科大学・学部長・教授を辞職。事件の始末として早期退職

●5.【不正発覚の経緯と内容】

★「1990年のScience」論文の経緯

ヘンク・バック(Henk M. Buck)、https://www.knaw.nl/nl/leden/leden/3960

1980年代半ば、ヘンク・バック(Henk M. Buck)はウイルス複製の阻害剤としてのアンチセンスDNAの研究に焦点を当てていた。

ポール・S・ミラー(Paul S. Miller)は、この技術の創始者と一般的に考えられているが、1971年、短いリン酸メチル化DNA断片を作り、DNA複製に影響を及ぼすことを発見した。

バックは、このリン酸メチル化DNAの応用に焦点を当てた。

1980年代半ば当時、世界中でエイズ・ウイルスの感染が猛威をふるっていた。予防法と治療法の開発が科学者の喫緊の課題だった。

バックは、商業的関心と特許への強い関心があって、このリン酸メチル化DNAをアンチセンスDNAとしてアンチ・エイズ・ウイルス薬に応用できないかと考えた。そのためには長鎖リン酸メチル化DNAの合成が必要だった。

そこで、アムステルダム大学(Amsterdam University)のウイルス学者ジャップ・ゴーズミット(Jaap Goudsmit)と共同研究することにした。

アンチセンスDNAとしては長鎖のリン酸メチル化DNAが必要だったので、バックは新しい合成法を開発した。ゴーズミットは、バックの合成した長鎖リン酸メチル化DNAがエイズ・ウイルスの増殖を阻害するかどうか実験した。

そして、実験は成功した。

1990年4月13日(60歳)、結果を「1990年のScience」論文として発表した。

論文出版の前夜に、アイントホーフェン大学はこのニュースをマスメディアに公開したので、オランダのメディアは注目した。小保方晴子事件と似ていますね。

バックは、メディアに向かって、「数年後にはエイズは過去の疾患になるだろう」と公然と述べてしまった。すぐ後で、研究資金をもっと調達しようと、意図的に誇大に述べたと釈明した。そして、もっと後では、記者に誘導されて誇大に述べたと弁解している。

「1990年のScience」論文掲載の翌日、ライデン大学のDNA合成の専門家、バン・ブーム教授(Van Boom)は、主要なオランダの新聞に、純粋な長鎖リン酸メチル化DNAは合成が難しく、汚染されやすいと、「1990年のScience」論文への疑念を呈した。

★ヴァン・ボケッケル教授(Van Boeckel)の抗議と辞任

「1990年のScience」論文掲載の6日後、内部批判が表面化した。

この分野の専門家でバックの同僚のスタン・ヴァン・ボェッケル教授(Constant Adriaan Anton van Boeckel、またはStan van Boeckel、写真出典)が、バックは自分の批判と警告を真剣に受け止めなかったと抗議し、アイントホーフェン大学を辞任した。

以下がその経緯である。

ヴァン・ボェッケル教授は、バックと同じように長鎖リン酸メチル化DNAの合成を研究していた。そして、その合成はほぼ不可能であることを熟知していた。

ボェッケル教授と研究助手・クイパーズ(Kuijpers)は、短鎖リン酸メチル化DNAでさえも安定していないことを、バックの「1990年のScience」論文の1年前に論文として発表していた(論文は「1990年のNucleic Acids Res」論文)。

それで、バックの長鎖リン酸メチル化DNAは純粋ではないという結論に達していた。

1989年末(59歳)、ヴァン・ボェッケル教授は上記論文(「1990年のNucleic Acids Res」論文)の原稿をバックに示し、純粋な長鎖リン酸メチル化DNAは合成できないと警告したのだが、バックはそれを無視した。

さらに、ヴァン・ボェッケル教授はアイントホーフェン大学にバックの研究成果には疑念がある、と忠告した。しかし、アイントホーフェン大学はヴァン・ボェッケル教授の忠告を無視し、バックを選んだのである。そして、アイントホーフェン大学はボェッケル教授と研究助手・クイパーズ(Kuijpers) の研究は研究費がかかりすぎるという理由で、研究を中止するよう命じたのである。

また、1989年5月(59歳)、バックの研究助手の1人がバックの試料をオランダの製薬会社であるオルガノン社(Organon)のHPLC測定機で分析した。バックの長鎖リン酸メチル化DNAは不純物がたくさんあるという測定結果だったが、バックはこの事実を受け入れなかった。

それで、ヴァン・ボェッケル教授は自分の批判と警告を真剣に受け止めなかったと抗議し、アイントホーフェン大学を辞任した。

★1番目(1回目?)の調査委員会

「1990年のScience」論文への疑念は複数のオランダの新聞と科学誌に熾烈な論争を引き起こした。そして、結局、長鎖リン酸メチル化DNAの純度は依然として調査中ということになった。

調査委員会(アイントホーフェン大学の?)が結成された。

1990年8月30日(60歳)、調査委員会は長鎖リン酸メチル化DNAは存在しなかった、と結論した。また、調査委員会は、同僚であるヴァン・ボェッケル教授の批判と警告を真剣に受け止めなかったバックを非難した。その結果、バックは学部長を解任された。

ウイルス学者ジャップ・ゴーズミットは長鎖リン酸メチル化DNAをもう一度合成するよう要求されたが、ゴーズミットははもうすっかりヤル気をなくしていた。そして、バックは期限までに純粋な長鎖リン酸メチル化DNAを合成できなかった。

1990年10月(60歳)、「1990年のScience」論文は撤回された。

★2番目(2回目?)の調査委員会

1990年末(60歳)、2番目(2回目?)の調査委員会は、「1990年のScience」論文はデータねつ造・改ざんギリギリだと報告した。

報告書によると、研究室内でのバックの言動は、時には許されない程厳しいものだったという。調査委員会はバックには研究リーダーとしての資格がないと結論した。その結果、バックはアイントホーフェン大学を早期退職せざるをえなかった。

★3番目(3回目?)の調査委員会

ジャップ・ゴーズミット(Jaap Goudsmit)(2017)、CC BY 4.0, Link

1991年半ば、アムステルダム大学(Amsterdam University)のウイルス学者ジャップ・ゴーズミット(Jaap Goudsmit)は、一般的に事件の犠牲者とみなされていたが、大手新聞のジャーナリストが彼の役割を疑問視した。

ゴーズミットは、長鎖リン酸メチル化DNAが純粋ではないのにエイズ・ウイルスの増殖を阻害すると報告していた。

3番目(3回目?)の調査委員会はゴーズミットを調査した。

その結果、委員会はゴーズミットはバックの合成した長鎖リン酸メチル化DNAの品質をチェックしないで実験に使用したと結論した。また、ゴーズミットの結果の解釈と提示にいくつかの問題点を発見した。

委員会は、ゴーズミットの研究はズサンだったと結論したが、ゴーズミットは上訴しなかった。なお、ゴーズミットは辞職せず、研究を続けることができた。

★その後

ヘンク・バックはこの論争の結果を受け入れなかった。2018年6月26日・今日にいたるまで、彼は十分に純粋な長鎖リン酸メチル化DNAを合成できたと主張している。ただ、いくつかのインタビューでは、「”誠実な間違い”を犯したと感じている」とも述べている。

その後、バックは、学術誌「Nucleosides Nucleotides Nucleic Acids」に2004年、2007年、2011年、2015年と4つの論文を発表した。

ヘンク・バック(Henk M. Buck)、https://www.trouw.nl/home/henk-buck-kwam-hard-ten-val-na-aids-onderzoek-ik-kon-mij-nooit-verdedigen-~ad544af9/

そして、「2015年のJournal of Biophysical Chemistry」論文で、25年前の「1990年のScience」論文の事件で、何が起こったのかを調べ、調査委員会は間違っていたと主張した。

なおこの学術誌「Journal of Biophysical Chemistry」は捕食学術誌と認定されている。

そして、2018年6月26日現在にいたるまで、ゴーズミットが記載したレベルの純粋な長鎖リン酸メチル化DNA鎖を合成できた科学者はいない。

●6.【論文数と撤回論文とパブピア】

2018年6月26日現在、パブメドで、ヘンク・バック(Henk M. Buck)の論文を「Henk Buck[Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2004年-2015年の12年間の4論文がヒットした。

ヘンク・バック(Henk M. Buck)の論文を「Buck HM [Author]」で検索すると、1977年-2015年の32論文がヒットした。

2018年6月26日現在、「Buck HM [Author] AND Retracted」でパブメドの論文撤回リストを検索すると、1論文が撤回されていた。本記事で問題視している「1990年のScience」論文が1990年に撤回されていた。

  1. Phosphate-methylated DNA aimed at HIV-1 RNA loops and integrated DNA inhibits viral infectivity.
    Buck HM, Koole LH, van Genderen MH, Smit L, Geelen JL, Jurriaans S, Goudsmit J.
    Science. 1990 Apr 13;248(4952):208-12.
    Retraction in: Moody HM, Quaedflieg PJ, Koole LH, van Genderen MH, Buck HM, Smit L, Jurriaans S, Geelen JL, Goudsmit J. Science. 1990 Oct 5;250(4977):125-6

★パブピア(PubPeer)

省略

●7.【白楽の感想】

《1》28年前の事件

28年前の事件は味がある。

「1990年のScience」論文が出版されるとすぐに、同じ分野の研究者が「実名」で問題点を指摘した。

「論文が出版され、同じ分野の研究者が「実名」で問題点を指摘」という真っ当な科学界の規範が示されているのである。この頃は、ネカト者がいても、指摘する人やメディアの報道が健全な時代だった。調査委員会の結論も妥当に感じる。

ただ、アムステルダム大学(Amsterdam University)のウイルス学者ジャップ・ゴーズミット(Jaap Goudsmit)が処分されなかった点は、甘かったと感じる。

古いネカト事件は時代背景や研究室組織が異なるので、現代に適用できない面もあるが、ネカト行為をするという人間の性向は変わらない。20年以上前の古い事件は大きな事件しか記録に残っていないので、示唆に富む記事が多い。

ただ、バック事件は日本語の解説がウェブ上にはない。バック事件は日本語では今まで伝えられていなかったのだ。

白楽のブログ以外、外国のネカト事件が日本語で解説されたケースはほとんどない(多分、20件に1件程度)。

この現実に直面すると、日本の研究公正観・ネカト知識の貧弱さに納得する。こんな貧弱なネカト知識でネカト政策やネカト指針を決める日本の官僚は、大丈夫だろうかと、大きく心配もする。

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日本がもっと豊かに、そして研究界はもっと公正になって欲しい(富国公正)。正直者が得する社会に!
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●8.【主要情報源】

① ウィキペディア英語版:Henk Buck – Wikipedia
② 1991年3月22日の「Science」記事:Dutch AIDS researchers feel heat of publicity | Science
③ 論文(有料なので未読):1993年10月1日の「Public Understanding of Science」論文:Blind faith: fact, fiction and fraud in public controversy over science – Rob Hagendijk, Jan Meeus, 1993、(保存版)
④ 2005年11月30日のポール・ルイグロク(Paul Ruigrok)記者とハサン・エヴングレン(Hasan Evrengün)記者の「Andere Tijden」記事:De Affaire Buck – Andere Tijden。オランダ語で未読。
⑤ 2015年2月3日のキャット・ファーガソン(Alison Weir)記者の「撤回監視(Retraction Watch)」記事:After 25 years, AIDS fraud comes back swinging – Retraction Watch
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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