ランジート・チャンドラ (Ranjit Chandra)(カナダ)

【概略】
141022 chandra_ranjit_file[1]ランジート・チャンドラ(Ranjit Chandra)は1938年2月2日インドで生まれ、インドで医師免許取得後、英国に留学した。1974年(36歳)、カナダのニューファンドランド・メモリアル大学(Memorial University of Newfoundland)・教授に就任し、栄養免疫学で大活躍し、世界的権威になった。写真出典

2回もノーベル賞候補になり、200報以上の原著論文、22冊の著書、世界中から120以上の受賞。WHO、Health Canada、米国NIH、米国・科学アカデミー、インド医学研究カウンシルなどのコンサルタント、1997年モントリオールで開催の国際栄養学会の会長、など錚々たる研究業績・受賞歴・役職・肩書がある(出典:Dr. R.K. Chandra)。

141022 intro1[1]1989年(51歳)、カナダで最高位の勲章であるカナダ勲章・「Officer of the Order of Canada」を受賞した(毎年最大64名受賞)。

写真は、カナダ総督・レイ・ナティシン(Ramon John Hnatyshyn)(右)とチャンドラ(左)。カナダ勲章の授与式。出典

その栄光のさなかの1989年、屈辱的なことに、不正研究だと告発された。

ニューファンドランド・メモリアル大学はうやむやにしてくれた。

12年後の2001年、今度は、「Nutrition」誌に発表したばかりの論文がデータねつ造だと告発された。

翌2002年、チャンドラは危機を察し、ニューファンドランド・メモリアル大学を辞職し、インドに帰国した。インドで、ビタミン会社・Javaanを経営し、裕福な生活を送っている(2003年 Javaan: Making quality nutritional products based on years of medical research in nutrition and immunology)。

2005年、「2001年のNutrition論文」1報が撤回された。

2014年現在、疑惑をもたれている他の10論文はまともに調査されていない。現在、研究ネカトはうやむや状態である。カナダ勲章は取り消されていない。

【2016年1月30日追記】
①2015年12月3日、カナダ勲章は終了した(取り消された)。Canada Gazette – GOVERNMENT HOUSE
②2016年1月30日、「1992年のLancet論文」が撤回された。(Retraction—Effect of vitamin and trace-element supplementation on immune responses and infection in elderly subjects – The Lancet

141022 1写真、チャンドラ研究室で19~28年働いた部下たち。出典

  • 国:カナダ
  • 成長国:インド
  • 男女:男性
  • 生年月日:1938年2月2日
  • 現在の年齢: 79歳
  • 分野:栄養免疫学
  • 最初の不正論文発表:1989年
  • 発覚年:1989年(51歳)
  • 発覚時地位:ニューファンドランド・メモリアル大学・教授
  • 発覚:内部告発
  • 調査:ニューファンドランド・メモリアル大学・調査委員会。1回目・調査期間は1989年~1994年、5年間
  • 不正:データねつ造
  • 不正論文数:撤回論文は1報。他の10報が不審
  • 時期:キャリアの初期から(推定)
  • 結末:大学を辞職。インドに帰国

141022 IIC_MUN[1]写真:ニューファンドランド・メモリアル大学(Memorial University of Newfoundland)のBruneau Centre for Research and Innovation, 出典

【経歴】
著名人だが、ウェブサイト情報が削除され、基本的な経歴をつかむのに困難だったが、ようやく見つけた(Dr. R.K. Chandra)。

  • 1938年2月2日:インドで生まれる
  • 19xx年(歳):インドのパンジャブ大学(Punjab University)を首席で卒業
  • 19xx年(歳):インドの最優秀大学の1つである全インド医科大学(All-India Institute of Medical Sciences)(ニューデリー)を卒業し、医師免許取得
  • 1968年(30歳):英国・ロンドンの小児健康研究所(Institute of Child health)のポスドク。英国・ロンドンのグレート・オーモンド・ストリート病院(Great Ormond Street Hospital)のジョン・スットヒル(John Soothill)研究室のポスドク
  • 1974年(36歳):カナダのニューファンドランド・メモリアル大学・教授
  • 1980年代後半(50歳前後):栄養免疫学での世界的名声は確立していた。表面化した不正研究が始まる
  • 1989年(51歳):カナダ勲章・「Officer of the Order of Canada」を受賞
  • 1989年(51歳):不正が内部告発され、ニューファンドランド・メモリアル大学の調査委員会が調査を開始する
  • 1994年(56歳):ニューファンドランド・メモリアル大学の調査委員会はチャンドラに不正があるとしたが、それを公表しなかった。チャンドラは処分されなかった
  • 1997年(59歳):モントリオールで開催の国際栄養学会・会長
  • 2001年(63歳):データねつ造とされる論文を「Nutrition」誌に発表
  • 2002年夏(64歳):調査の切迫を感じ、ニューファンドランド・メモリアル大学・教授を辞職し、インドに帰る
  • 2003年(65歳):インドのJavaan Corporationの経営者(2003年 Javaan: Making quality nutritional products based on years of medical research in nutrition and immunology.
  • 2013年(75歳):インド在住

141022 photo1[1]
写真出典

【不正発覚の経緯】

ヘルケ・フェリー(Helke Ferrie)の記事と「The National」の記事(2006年1月30日)を主体に他を加えると以下のようだ。(Medical Research Fraud | Vitality Magazine | Toronto Canada alternative health, natural medicine and green livingThe Secret Life of Ranjit Chandra

発覚した不正をまとめると3つになる。

  •  ①アレルギーを低下させる粉ミルクの成分・製法が虚偽だった。その成分・製法で作った粉ミルクを赤ん坊に与えていた消費者を20年以上もだましていた。
  • ②架空データをねつ造し、いくつかの食品製薬企業から巨額のお金を得、挙句は、データねつ造が発覚しそうになると、そのカネをもってスイスに逃亡した。
  • ③マルチ・ビタミン(総合ビタミン剤)を摂ると老人は痴呆にならないという虚偽の論文を「Nutrition」誌に発表した。
    ―――――――――――

★粉ミルクのデータねつ造事件(①、②) 人物写真出典

141022 1305852300145[1]141022 isomil_2_400g[1]1980年代の食品・製薬企業は北米の粉ミルク市場の獲得で熾烈な競争をしていた。欧州のネスレ社(Nestlé、スイスの世界最大の食品・飲料会社)が製品「グッド・スタート(Good Start)」を作っていた。

141022 ROS57539_4[1]一方、米国のロス・ファーマシューティカルズ社(Ross Pharmaceuticals、現在は米国のアボット社)がアイソミル(Isomil)とシミラック(Similac)を作っていた。

両企業とも、それらの商品が北米の粉ミルク市場を2分する争いを始めるところだった。ともに、成分・製法が赤ん坊のアレルギー発症を引き起こさない(むしろ低下させる)ことを示す証拠が欲しかった。

141022 image002[1]1988年、ロス・ファーマシューティカルズ社の臨床研究担当のマーク・メイサー(Mark Masor)がチャンドラに研究を依頼した。マーク・メイサーは、「幼児期の免疫発達に及ぼす食品の研究で、チャンドラは世界的な名声を得ていて、仕事も早い」と述べている。

141022 nl-harvey-marilyn-200602b[1]チャンドラ研究室の主任助手マリリン・ハーヴェイ(Marylin Harvey、写真出典)は、新生児の両親がアレルギー持ちで、ロス・ファーマシューティカルズ社の研究に協力しても良い新生児を288人見つけなければならなかった。マリリン・ハーヴェイは、「セント・ジョンほどの小さな街で、それはとても困難でした。週40時間働き、さらに平日の夜も休日も探しました。2年間は、まるで、週7日、1日24時間働いていた気がします」と述べている。

そうこうするうちに、ネスレ社は北米市場に粉ミルクの「グッド・スタート(Good Start)」を進出させようと画策していた。

ロス・ファーマシューティカルズ社は、米国・食品医薬品局(FDA)から早く結果を提出するようにとの圧力が日増しに強くなるのを感じていた。

1988年暮れ、ネスレ社もチャンドラを雇い、北米での市場開拓を開始し始めた。チャンドラは両方の企業からお金をもらっていたことになる。しかし、その時点で、チャンドラがロス・ファーマシューティカルズ社から請け負った研究はほとんど進んでいなかった。

翌・1989年の夏、マリリン・ハーヴェイが臨床研究に必要な新生児の4分の1しか集められていなかった時点で、ナント、チャンドラはネスレ社用論文を発表したのである。マリリン・ハーヴェイは、その論文を知って、とても驚いた。というのは、ネスレ社用論文での新生児は集まっていなかったので、完全に架空データだからだ。「チャンドラは、データを集める前に、データを分析し発表していたのです」。

マーク・メイサー(Mark Masor)は、当然のことながらネスレ論文を詳細に読んだ。そして、ネスレ社がロス・ファーマシューティカルズ社の臨床研究結果と比較しているくだりに大きな疑問を抱いた。ロス・ファーマシューティカルズ社の担当者である自分は、ネスレ社から臨床研究結果を教えてほしいと依頼されたことがなかった。ネスレ社がロス・ファーマシューティカルズ社の臨床研究結果を知っているハズがない、と異常に感じた。

それだけではなかった。

驚いたことに、チャンドラは、第3の企業・ミード・ジョンソン社(Mead Johnson)の粉ミルク用の成分・製法の論文も発表した。そこには、さらに200人以上の赤ん坊の臨床研究が必要だった。3社の臨床研究を合わせると700人以上の赤ん坊である。そして、ミード・ジョンソン社用論文での赤ん坊はマリリン・ハーヴェイが集めたことになっていて、謝辞にマリリン・ハーヴェイの名前があった。

マリリン・ハーヴェイは、「自分は700人以上の赤ん坊を集めていない。研究室の他の人が集めたのだろうか? 謝辞にマリリン・ハーヴェイの名前があるし、それは、ない。あり得ない」と思った。

さらに、論文は、ネスレ社とミード・ジョンソン社の成分・製法は、赤ん坊のアレルギーを低下させるが、ロス・ファーマシューティカルズ社の成分・製法は、何の影響もないと報告していた。

ロス・ファーマシューティカルズ社のマーク・メイサーは、チャンドラに詰め寄った。

「チャンドラ博士、私たちはあなたと一緒に研究計画を立てました。あなたと一緒に計画したのだから、あなたは充分に研究できたハズです。どうしてわが社の粉ミルクは赤ん坊のアレルギーを低下させることができない成分・製法なのですか?」

チャンドラは、「さてと、実際には、あなたの会社から、充分な研究資金を、私はいただいておりませんでした。充分な研究を行うには、もっとお金を払ってください」と、お金を要求してきたのだ。

また、さらに驚くことに、データをねつ造したのに、チャンドラは、5年の追跡調査の研究費をネスレに要求した。

それを知るにおよんで、チャンドラ研究室の主任助手マリリン・ハーヴェイは、大学にデータねつ造を通報しようかどうか苦悶した。

141022 image005[1]悩んだ末、彼女は、上司・チャンドラを大学に告発した。

メモリアル大学は調査委員会を設置し、3か月調査をした。調査は極秘で行なわれ、関係者にはかん口令が敷かれ、報告書は公表されなかった。

それから何年も経った。

2006年1月30日、カナダのテレビ局CBCは「ランジート・チャンドラの秘密の人生(The Secret Life of Ranjit)」を放映した。

番組作成の過程でなんとか入手したメモリアル大学調査委員会報告書は、1994年の作成と記されていた。

その1994年の報告書に、「調査委員会は、チャンドラ論文の共著者は、実際は、ほとんど何も研究していないか、全く何も研究していなかった事実を見つけました。つまり、研究を実施した人を見つけられませんでした」とある。研究実施者がいないということは、つまり、研究しないで論文を書いたデータねつ造だということだ。調査委員会は「チャンドラ博士は不正研究をした」と結論していた。

141022 image006[1]しかし、そのことをメモリアル大学副学長・ジャック・ストロウブリッジ(Jack Strawbridge)に質問すると、逡巡しながら答えてくれた。

「大学は事件を放棄しました。というのは、チャンドラが大学の偏見を裁判に訴えると大学を脅したからです。大きな裁判になれば、大学は、評判を落とし、財政的に苦しくなると予想しました」と答えている。

結局、大学は頭を砂に突っ込んで何もしなかった。

★マルチ・ビタミンのデータねつ造事件(③) 人物写真出典

2000年秋、粉ミルクのデータねつ造事件とは別の事件が発生した。

チャンドラは、ニューファンドランドの96人の老人の記憶機能を研究し、マルチ・ビタミン(総合ビタミン剤、彼の製品)を毎日摂るだけで、96人の老人は、ひどい痴呆からに完全に正常な状態に1年以内で回復した、という論文原稿を作成した。

2000年10月、チャンドラはその原稿を英国の医学雑誌(「British Medical Journal」)に投稿した。原稿を査読した2人の審査員は、データの異常さに疑念を抱き、不正研究に違いないと、編集長に伝えた。「British Medical Journal」誌は、チャンドラが審査員の疑念に答える生データを提出しない限り、論文を出版しないと伝えた。

「British Medical Journal」編集長はチャンドラの不正行為を調査するようにメモリアル大学に正式に要求した。しかし、メモリアル大学はこの時も、何もしなかった。

2001年8月、ところが、ナント、チャンドラは、「British Medical Journal」誌に出版するのをあきらめ、同じ内容の論文を「Nutrition」誌の9月号、17巻:709-712ページに出版した。「Nutrition」誌のアホな審査員は不正研究を見抜けず、2001年4月13日、掲載を認めてしまったのだ。

2001年8月21日、チャンドラのマルチ・ビタミン(総合ビタミン剤)が、老人の記憶機能に劇的な改善をもたらしたという研究結果は、非常にセンセーショナルだったので、ニューヨーク・タイムス紙のジェーン・ブロディ記者(JANE E. BRODY)が新聞記事にした(PERSONAL HEALTH; Nutrition a Key to Better Health for Elderly – New York Times)。

同じように強い興味を持った人に、ペンシルバニア大学・心理学のソール・スターンバーグ(Saul Sternberg)教授のやカリフォルニア大学・バークレー校のセス・ロバーツ(Seth Roberts)教授がいた。2人の教授は、データを解析し、論文は、ありえないほどデータがそろった研究結果だと判定した。141022 image008[1]

写真:セス・ロバーツ(Seth Roberts)教授(左)、ソール・スターンバーグ(Saul Sternberg)教授(右)

チャンドラの論文をさらに綿密に分析すると、老人の記憶障害が回復したとの結果だが、実は、老人は、研究の最初から完全に健康だったことがわかってきた。

2001~2年、2回目の不正研究の調査が始まった。

2002年、すると、チャンドラは、危機を察して、スイスへ急いで立ち去り、インドに行った。

2005年、2001年9月の「Nutrition」誌の論文が撤回された。

2014年11月現在、チャンドラの1992年以降の全論文が疑惑の中にある。イヤ、もっと以前の論文も怪しいかもしれない。

【追記】

2015年7月31日、チャンドラは、2006年のCanadian Broadcasting Company (CBC)のドキュメンタリー番組の放映を訴えていたが、オンタリオ州高等裁判所(Ontario Superior Court of Justice)はチャンドラの訴えを棄却した(Nutrition researcher Chandra loses libel case against CBC – Retraction Watch at Retraction Watch)。

【撤回論文】
2014年11月2日現在、撤回されている論文は1報だけである。

Ranjit Kumar Chandra
Effect of vitamin and trace-element supplementation on cognitive function in elderly subjects, Nutrition, Volume 17, Issue 9, Pages 709-712, September 2001
DOI: http://dx.doi.org/10.1016/S0899-9007(01)00610-4

【白楽の感想】

《1》 動機

141022 mehfil1989年にチャンドラ研究室の主任助手マリリン・ハーヴェイがチャンドラの不正行為を大学に告発する前に、チャンドラは、すでに著名な研究成果をあげ、その分野の世界的権威だった。不正の動機はなんだったのだろうか?

伝えられるところによれば、チャンドラの動機はカネだったと言われている。彼はもらえるカネは誰からでも喜んで受け取ったといわれている。つまり、欲望が嘘をもたらしたと(ヘルケ・フェリーの記事)。

そうだろうか?

50歳前後で、すでのその分野の世界的権威となり、数々の賞ももらった。そういう研究者が、研究費でも私的にでも、本当にカネを欲しがるだろうか? カネは使い切れないほど手にしていたに違いない。では、特定の研究課題に、自分の時間・エネルギー・能力を使った対価として何をしてほしいか?

地位・賞・名声も手に入れていた。一方、自分の時間・エネルギー・能力を使ったことで、企業は莫大なカネが手に入る。それなら、私もカネを要求しよう、というように、金銭欲というより、単なる成り行きで要求したのではないか。

また、臨床研究対象者が288人必要なところ、数十人しか集まらない時、その分野の世界的権威がカネを目的に、架空の人をでっちあげて論文を書くだろうか? それは「ない」だろう。

研究者が自分の研究能力の高い評判を維持したいために、自分の矜持のために、「できませんでした」と言えずに、研究人生の成り行きでデータねつ造をしたのだろう。

ただ、この時期、離婚している。離婚理由はわからないが、不倫関係があったのだろうか? 色恋沙汰で旧悪が露呈したのだろうか?

いずれにせよ、離婚訴訟で、チャンドラは世界中の120銀行口座に200万ドル(約2億円)の預金を持っていることが表面化したとある(The 6 Ballsiest Scientific Frauds (People Actually Fell For) | Cracked.com)。

その200万ドル(約2億円)のカネは、ねつ造論文で得たカネだと非難されている。しかし、名声と地位を考えれば、正当な収入で、その程度の資産を築いても不思議はない。それに、研究費を自分の個人的資産にまわして2億円も蓄財するのは、現実には困難だと思う。

《2》 不正はいつから?

チャンドラの研究は、食品が小児の免疫発達に及ぼす影響の研究である。200人規模の臨床研究とはいえ、小児の健康は地域に依存するし、生活レベルの変化、社会変化、育てかたの変化など、時代とともにも変化する。結果の追試性を厳密に要求できない研究領域である。

また、データがイイカゲンでも、毒物が混入していなければ、患者が死ぬという分野ではない。ねつ造データでも、製品が造れないという分野でもない。粉ミルクの成分・製法の効能は、厳密性が問われない。

チャンドラは、1つの企業の臨床研究対象者が数十人しか集まらない時、架空の臨床研究対象者をでっちあげて論文を書いた。そして、他に2つの企業の研究計画も引き受けた。さらに、5年の追跡調査の研究費を要求する書類も書いた。チャンドラは、データねつ造に戸惑いがないように思われる。量的にみて、ねつ造はヤリスギだ。

2001年論文の不正の発覚は、データがきれいすぎるために、同じ分野の研究者が異常を感じている。つまり、質的にみても、ねつ造はヤリスギだったのだ。

撤回論文は1報だが、問題視されている論文は2桁の数ある。

チャンドラは、30歳の時、英国・ロンドンのグレート・オーモンド・ストリート病院(Great Ormond Street Hospital)のジョン・スットヒル教授(John Soothill)の研究室でポスドクをした。ジョン・スットヒル教授は小児免疫学という新しい領域の権威である。60歳で退職したが、弟子のうち30人以上が教授になっている。3人が大学学長まで出世した。

チャンドラの60歳の誕生日パーティで、ジョン・スットヒル教授は彼をとても優秀なポスドクだったと評している。こういう評価は社交辞令だから、あまりまともに受け取らない方が良いかもしれないが・・・、チャンドラは優秀だったのだろう。頭脳もさることながら、誕生日パーティの多数の著名人がお祝いにかけつけてくれるのだから、他人に好かれる社交性、好感度は抜群だったに違いない。

それで、白楽の推定である。

チャンドラは、研究キャリアの初期から「ねつ造・改ざん」をしていたに違いない。これで、論文の多作が理解できる。著名学者・ジョン・スットヒル教授の覚えめでたく、庇護の下にあり、社交性、好感度は抜群だった。これで、出世の早さも理解できる。また、50歳前後の世界的権威がためらいなく、データねつ造論文を発表したのは、彼が身につけた彼の研究スタイルだったと考えれば、それも理解できる。
141022 photo[1]

【主要情報源】

① ウィキペディア Ranjit Chandra – Wikipedia, the free encyclopedia
② ◎2006 年1月30日放映のカナダのテレビ「CBC News」:The Secret Life of Ranjit Chandra
③ カリフォルニア大学・バークレー校のセス・ロバーツ(Seth Roberts)教授のリスト:The Strange Case of Ranjit Chandra
④ ◎カナダ勲章・「Officer of the Order of Canada」の受賞人物サイト:Dr. R.K. Chandra