「錯誤」:ロイ・メドウ(Roy Meadow)(英)

2017年7月2日掲載。

ワンポイント:【長文注意】 ロイ・メドウは、リーズ大学・名誉教授で爵位(ナイト)の称号を持ち、小児医学・小児虐待の英国の権威だった。メドウの錯誤は「1人目の赤ちゃんの突然死は悲劇だが、2人目の突然死は怪しいし、3人目なら殺人だ」である。1993年(60歳)以降、裁判の専門家証人として、突然死の子供の母親に殺人罪を主張した。1999年のサリー・クラーク事件の裁判が有名だが、少なくとも4人が冤罪で刑務所に何年も拘留された。2000年(67歳)頃、証言に間違いがあるとされ、名誉・名声・信頼は地に落ちた。2005年(72歳)に英国の医事委員会から医師免許がはく奪されたが、2006年(73歳)に高等法院が医事委員会の裁定を無効とした。損害額:総額(推定)は61億5千万円(当てずっぽう)。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】

ロイ・メドウ(ロイ・メドー、Roy Meadow、Sir Samuel Roy Meadow、写真出典)は、英国のリーズ大学(University of Leeds)・教授で聖ジェームス大学付属病院(St James’s University Hospital)の臨床医だった。専門は小児科学である。

1998年(65歳)に退職し、リーズ大学・名誉教授になり、小児の健康に貢献したことで、爵位(ナイト)の称号が授与された。著書『小児虐待のABC(ABC of Child Abuse)』もあり、小児医学・小児虐待の英国の権威だった。

1977年(34歳)、ランセット誌に代理ミュンヒハウゼン症候群(Munchausen syndrome by proxy)の論文を発表し、一躍有名になった。

メドウの錯誤は「1人目の赤ちゃんの突然死は悲劇だが、2人目の突然死は怪しいし、3人目なら殺人だ」である。

1993年(60歳)以降、上記の信念に基づいて裁判で専門家証人として証言をし、赤ん坊の突然死の母親が何人も有罪になった。有名な裁判に1999年のサリー・クラーク事件がある。

2000年(67歳)頃、証言内容に間違いがあったことがハッキリする。

2005年(72歳)、英国の医事委員会(General Medical Council)は、いい加減な医学的データでもっともらしい科学的証言をしたことで、ロイ・メドウを有罪とし、医師免許をはく奪した。

2006年10月(73歳)、ロイ・メドウは英国の高等法院 (High Court of Justice) に訴えた。高等法院は、ロイ・メドウに対する医事委員会の裁定を無効とした。

聖ジェームス大学付属病院(St James’s University Hospital)。写真出典

  • 国:英国
  • 成長国:英国
  • 医師免許(MD)取得:ウースター大学
  • 研究博士号(PhD)取得:なし
  • 男女:男性
  • 生年月日:1933年6月3日
  • 現在の年齢:90 歳
  • 分野:小児科学
  • 最初の不正証言:1998年(65歳)
  • 発覚年:2000年?(67歳)
  • 発覚時地位:リーズ大学・名誉教授。爵位(ナイト)の称号の持ち主
  • ステップ1(発覚):複数の統計学者と王立統計学会(Royal Statistical Society)がメドウの統計値がおかしいと指摘
  • ステップ2(メディア): BBC、Guardianなど英国の多数のテレビ・新聞
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①英国の医事委員会(General Medical Council)。②高等法院 (High Court of Justice)
  • 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
  • 不正:間違った証言
  • 不正証言数:少なくとも5回
  • 時期:研究キャリアの後期
  • 損害額:総額(推定)は51億5千万円。内訳 → ①無実なのに有罪とされ刑務所刑に処されたドナ・アンソニー、サリー・クラーク、イアン・ゲイとアンジェラ・ゲイ夫妻の4人の人生が破滅し1人10億円(当てづっぽう)=40億円。②英国の法体系の信用失墜と対策に10億円(当てづっぽう)。③裁判経費。1件を2千万円。5件=1億円。④調査経費(医事委員会と高等法院)が5千万円。
  • 結末:辞職なし。処分なし

●2.【経歴と経過】

  • 1933年6月3日:英国に生まれる
  • 19xx年(xx歳):ウースター大学(Worcester College, Oxford)を卒業。医師免許取得
  • 1961年(28歳):結婚
  • 1970年(37歳):英国のリーズ大学(University of Leeds)・上級講師
  • 1977年(44歳):後に彼を著名にする「1977年のLancet」論文を発表。所属はシークロフト病院(Seacroft Hospital
  • 1980年(47歳):英国のリーズ大学・教授。聖ジェームス大学付属病院(St James’s University Hospital)で臨床医
  • 1993年(60歳):べヴァリー・アリット(Beverley Allitt)事件で専門家証人として証言し、アリットは終身刑の刑務所刑になる
  • 1998年(65歳):英国のリーズ大学・退職。名誉教授
  • 1998年(65歳):小児の健康に貢献したことで、爵位(ナイト)の称号が授与される
  • 1998年(65歳):ドナ・アンソニー(Donna Anthony)事件で証言し、アンソニーは刑務所刑になる。後で証言が間違いだったとわかる
  • 1999年(66歳):サリー・クラーク(Sally Clark)事件で証言し、クラークは刑務所刑になる。後で証言が間違いだったとわかる。その後、他の数人に間違った証言をする
  • 2005年(72歳):英国の医事委員会(General Medical Council)はロイ・メドウを有罪とし、医師免許をはく奪した
  • 2006年10月(73歳):英国の高等法院 (High Court of Justice) は、医事委員会の裁定を無効とし、ロイ・メドウの医師免許を回復した
  • 2009年(76歳):メドウは医師免許を放棄した

●3.【動画】

【動画】
事件解説「統計的間違いで刑務所に送られた無実の母親(Innocent Mother Sent To Prison over Statistical Error)」(英語)7分53秒
ミースター・エドワーズ(Meester Edwards) が2012/03/18 に公開
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時系列

ロイ・メドウが専門家証人をした事件がいくつもある。時系列で並べてみた。主な参考 → 2005年7月15日記事:Timeline: Sir Roy Meadow | Society | The Guardian

★1993年(60歳):べヴァリー・アリット事件

べヴァリー・アリット(Beverley Allitt、写真出典)は、英国のグランサム地区病院(Grantham and District Hospital)の看護師(女性)だった。

1991年2 ‐ 4月、22歳のアリット看護師は、入院中の7歳、11歳、生後2か月の他人の子供3人に高濃度のインシュリンを注射し3人を殺害した。他に1人殺害し、計4人を殺害した。さらに9人の殺害未遂をした。動機は不明である。

1993年(60歳)、ロイ・メドウはべヴァリー・アリット(Beverley Allitt)事件で専門家証人として証言をした。

1993年5月、裁判でアリットに終身刑が科された。

2007年12月6日、刑期30年になり、2022年に54歳で刑期を終える計算になった。2017年7月1日現在、服役中である。

http://www.mirror.co.uk/news/uk-news/crimes-shook-britain-beverley-allitt-822277

★1998年11月(65歳):ドナ・アンソニー事件

ブリストル・クラウン裁判所は、ドナ・アンソニー(Donna Anthony)が11歳の娘・ヨルダンと4歳の息子・マイケルを殺害した罪で刑務所刑を科した。メドウ教授が、事故で2人の子供が死ぬ確率は100万人に1人だと証言したのである。

★1999年11月(66歳):サリー・クラーク事件(上記)

事件の状況は上記の通りである。経時的な事項を繰り返し記載すると以下の通りである。

2003年1月、検視を担当した内務省の病理学者がサリー・クラークの子供・ハリーの微生物検査を開示しなかったことが判明し、控訴裁判所は、ハリーは虐待ではなく、自然死の可能性が高いと認めた。サリー・クラークの有罪をくつがえし、無罪とした。この時、既に、サリー・クラークは3年余り刑務所刑を受けていた。

★2003年6月(69歳):トラップティ・パテル事件

薬剤師のトラップティ・パテル(Trupti Patel)は彼女の赤ちゃん3人を殺したことで逮捕された。 この裁判では、メドウ教授が「1人目の赤ちゃんの突然死は悲劇だが、2人目の突然死は怪しいし、3人目なら殺人だ」の意見を述べた。

しかし、裁判官は、サリー・クラーク事件で学び、メドウ教授の証言を重視しなかった。

事実を調べ、パテル夫人の母親の5人の子供は幼児期初期に死亡していた。つまり、遺伝性疾患が死亡原因であるとされ、パテルは無罪となった。

★2003年12月(70歳):アンジェラ・カンニングス事件

アンジェラ・カンニングス(Angela Cannings)は、彼女の赤ちゃん2人を殺したことで逮捕された。 この裁判では、メドウ教授が証言に立ったが、未知の遺伝的障害が死亡原因であった可能性があると遺伝学者が裁判所に訴え、殺人罪は破棄された。

【動画】
アンジェラ・カンニングスが裁判で勝訴「COT DEATHS: ANGELA CANNINGS CLEARED OF CHILDRENS MURDER ON APPEAL」(英語)41秒
ITN Sourceが2015/03/17 に公開。削除されてしまいました。スミマセン。