7-148 出版か死か(Publish or Perish)

2024年5月30日掲載 

白楽の意図:研究は本来、研究成果の「質」で評価されるべきだが、現実はインパクトファクターやH指数(h-index)と出版論文数で評価されることが多い。出版論文数という「量」的評価の標語である「出版か死か(Publish or Perish)」について、天体物理学者のポール・サッター教授(Paul M. Sutter)が論じた「2022年6月のUndark」論文を読んだので、紹介しよう。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.日本語の予備解説
2.サッターの「2022年6月のUndark」論文
7.白楽の感想
9.コメント
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【注意】

学術論文ではなくウェブ記事なども、本ブログでは統一的な名称にするために、「論文」と書いている。

「論文を読んで」は、全文翻訳ではありません。

記事では、「論文」のポイントのみを紹介し、白楽の色に染め直し、さらに、理解しやすいように白楽が写真・解説を加えるなど、色々と加工している。

研究者レベルの人が本記事に興味を持ち、研究論文で引用するなら、元論文を読んで元論文を引用した方が良いと思います。ただ、白楽が加えた部分を引用するなら、本記事を引用するしかないですね。

●1.【日本語の予備解説】

★2023年12月21日:著者名不記載(Editage Blog):Publish or Perish-アカデミアにおける学術出版の重要性を理解する

出典 → ココ、(保存版) 

ある情報源によれば、「Publish or Perish(出版するか、消滅するか)」という言葉は、1932年にCoolidgeによって作られたものとされています。一方で、1942 年に社会学者でインディアナ大学の学長を務めていたLogan Wilsonがこの用語を初めて使用したと考える人もいます。学術について研究していた彼は、研究を出版するよう学者にかかるプレッシャーを説明するために「Publish or Perish」という用語を作りました。Wilsonは、終身在職権の獲得、研究資金の確保、キャリアアップの必要性など、研究者を突き動かす「状況的要請」を挙げています。

この点に関しては何年にもわたって大きな変化はなく、現在でも研究の生産性は、出版された論文の量と質によって測定されがちです。残念なことに、論文の質よりも出版された論文の数の方が重要視されるようになっているのです。その結果、出版数や出版ジャーナルのインパクトファクターといった書誌学的パラメータが、成功を測る重要な指標となっています。

続きは、原典をお読みください。

★2020年3月25日:聞き手:佐々木 結/天野絵理子/神谷俊郎/鈴木 環/稲石奈津子(京都大学学術研究支援室):「出版か死か(Publish or Perish)」の呪縛から研究と研究者を解き放つための挑戦

出典 → ココ、(保存版) 

――出版プラットフォームF10001でローレンスさんたちが実施されている取り組みの核は、「出版か死か(Publish or Perish)」の呪縛から離れること、出版・公開と評価とを分けることだと理解していますが、これは実現可能でしょうか。イギリスおよび欧州の現状はいかがですか。

――レベッカ・ローレンス:「Publish or Perish」の呪縛は本当に重大な問題です。この呪いが研究者と研究に強く作用して、多くの問題を引き起こしています。いまだに研究者の多くが、評価や資金を得るために、ある特定の媒体で特定のタイプの論文を発表したり、出版物を刊行したりする必要があるという考えに凝り固まっていて、それが研究行動を歪めています。イギリスでもこの問題の重要性は認識されていますし、ヨーロッパ全体でもこれに代わる別の研究評価法を使い始めた機関や国は増えていると感じます。たとえばフィンランドはこの取り組みの先頭を走っていて、研究と研究者を評価する新たな試みを始めています。

続きは、原典をお読みください。

●2.【サッターの「「2022年6月のUndark」論文】

★読んだ論文

  • 論文名:Opinion: Why Won’t Academia Let Go of ‘Publish or Perish’?
    日本語訳:オピニオン:学術界はなぜ「出版か死か」を手放さないのか?
  • 著者:Paul M. Sutter
  • 掲載誌・巻・ページ:Undark
  • 発行年月日:2022年6月16日
  • ウェブサイト:https://undark.org/2022/06/16/why-wont-academia-let-go-of-publish-or-perish/
  • 著者の紹介:ポール・サッター(Paul M. Sutter、写真出典)。米国のストーニーブルック大学(Stony Brook University)の天体物理学の教授で、作家、司会者、講演者でもある(出典:原著論文)。2011年、博士号取得:物理学。Paul M. Sutter – Wikipedia

●【論文内容】

★研究者として成功する法

私が院生、そして、その後、ポスドクだった時、私は複数の大学教員に、大学教員の職を得るにはどうすればよいのかと尋ねたことがある。

彼らの答えは、ほとんど同じだった。

答えは単純で、「論文を書き続けることだ(Just keep writing papers)」った。

「出版か死か(Publish or Perish)」は、学術界の悲しい現実をからかい半分に示した学術界のスローガンで、学術界で生きていく上での残酷な警告である。

このスローガンは、できるだけ多くの論文を発表しなければならないというプレッシャーを研究者に与えていると同時に、研究者の功績を評価する中心的な尺度でもある。

出版すればするほど、昇進し、テニュア(終身在職権)が取得でき、助成金を獲得でき、称賛が得られる。

出版しなければ、院生は研究職に就けず、研究者は昇進できず、助成金を獲得できず、解雇され、研究業を続けられない。研究キャリアとしての「死」となる。

★弊害

「出版か死か(Publish or Perish)」を批判する研究者は、10年以上前から、欠点を指摘してきた。

研究者に多くの論文を出版させたいという欲求が、研究者に論文の質よりも量を重視させてきた。

それで、粗雑な論文でも、ズサンな論文でもいいから、早く、そしてたくさん出版するよう研究者に強いてきた、と彼らは指摘している。 → 2015年9月22日記事:Publish or perish culture encourages scientists to cut corners

この圧力が、「捕食学術誌」の台頭につながった。

「捕食学術誌」は著者が高額な掲載料を払うので、論文掲載は容易で、掲載に関する障壁はほとんど、あるいはまったくない。優れた研究成果を挙げられない多くの研究者にとって、これら「捕食学術誌」は自分の論文を掲載してもらえる唯一の学術誌になっている。 → 2015 年8月20日記事:Modern Science Has a Publish-or-Perish Problem | TIME

また、批評家は、研究者がH指数(h-index)などで、なるべく高い「スコア」を獲得しようとし、その過程で研究公正を度外視していると指摘している。 → 2019年12月4日記事:Games academics play and their consequences: how authorship, h-index and journal impact factors are shaping the future of academia | Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences

★幅広い研究評価

「出版か死か(Publish or Perish)」を批判する研究者の中には、研究不正を防止し、研究公正を維持する具体的な解決策と推奨事項を提案している人もいる。
 → 2011年12月2日記事:Addressing Scientific Fraud | Science
 → 2020年7月16日記事:Principles to enhance research integrity and avoid ‘publish or perish’ in academia

注目すべき提案は、「研究評価に関するサンフランシスコ宣言(San Francisco Declaration on Research Assessment)」と「香港原則(Hong Kong Principles)」である。
 → 2012年12月16日の「サンフランシスコ宣言」:研究評価に関するサンフランシスコ宣言(日本語版) | DORASan Francisco Declaration on Research Assessment | DORA
 → 2020年7月16日の「香港原則」:The Hong Kong Principles for assessing researchers: Fostering research integrity | PLOS Biology

「サンフランシスコ宣言」は、学術誌ランキングを研究評価の尺度としないとしている。
「香港原則」は、研究公正を高めるため、幅広い指標で研究評価することを奨励している。

★変化なし

しかし、それから何年も経った現在、何も変わっていない。

捕食学術誌はいまだに蔓延している。ネカトはその後も増加している。 → 2014年2月の論文:Fraud in scientific research – birth of the Concordat to uphold research integrity in the United Kingdom – PMC [白楽の感想:現状を示すべきなのに、引用論文が古すぎ!]

研究者は、同僚の研究公正に疑念を抱き続けている。 → 2009年5月29日の論文:How Many Scientists Fabricate and Falsify Research? A Systematic Review and Meta-Analysis of Survey Data | PLOS ONE [白楽の感想:現状を示すべきなのに、引用論文が古すぎ!]

大学の人事委員会は、教員の採用と昇進では総合的な研究評価をしていると主張するが、その評価の実態は開示されず、秘密は厳重に保たれたままである。

しかも、「サンフランシスコ宣言」に署名した米国の大学は1校しかない。この矛盾はどうなっているのだ。
 → [白楽の注:論文は「Signers | DORA」を引用している。そのサイトを見ると、署名した米国の大学は論文出版時には1校だけだったのだろうが、2024年5月28日時点で米国は175組織がサインしていて、サインした大学・学科(除・図書館と出版部)は7校あった。なお、日本は18組織がサインしていたが、大学は東京大学だけだった]

そして、学術出版界は、年間数百億ドル(数兆円)の収益を上げ、石油王が真っ青になるような利益率を享受している。

学術出版界が研究者に論文発表を減らすよう促すことは決してない。それは彼らの収益に直接影響するからだ。

★呪縛

研究界で論文出版システムの改革が進まないのは、大多数の研究者が現在の研究評価システムに固執し、何も変えようとしないからである。

これは「惰性の罠」である。大学院1年生から正教授まで、研究界のすべての住人は、研究思考が「出版か死か(Publish or Perish)」原理に呪縛されている。

しかし、本当のところ、彼らの大半は、より公正でまともな研究評価システムを望んでいると思われる。

ところが、研究界はすでに「出版か死か(Publish or Perish)」を基軸に、研究職採用、昇進、研究費、褒賞の装置全体が構築されている。個人で改革するには巨大すぎる。

例えば、数年前に「とにかく論文を書き続けなさい」と私にアドバイスしてくれた先輩研究者たちは、間違いなく率直なアドバイスをしてくれた、と思う。

彼らもたくさんの論文を発表するようアドバイスされ、実際にたくさんの論文を発表し、研究職を得ていた。

彼らは現在のシステムで地位を勝ち取り、現在のシステムは彼らのために機能している。従って、当然、現在のシステムを変えたいという大きな衝動を感じない。

一方、若い院生・研究者は、通常、異なるシステムを求め、新しいアイデアを試すことをいとわない。

しかし、若い院生・研究者は生き残るのに忙しすぎて、内部からシステムを変えることはできない。

彼らは仲間よりも多くの論文を出版することが、研究界ゲームのルールだと教えられている。そのルールに従ってプレイしないと決めた場合、研究界の道から外れてしまう。

それゆえ、「出版か死か(Publish or Perish)」のモデルを変えようと呼びかけても、反応は、諦め・無駄・徒労という答えになる。

研究界は論文出版を重視しているが、それは、研究職採用、昇進、研究費、褒賞をめぐる競合で、応募者を選別するために、簡単で怠惰な方法だからである。

この評価システムは院生から正教授、そして、研究助成機関、褒賞委員会など、あらゆるレベルで機能している組織上の問題で、解決するとなると、システム上の改革になる。それには、膨大な時間と強固な決意の両方が必要になる。

★ゆっくり進む

ただ、ゆっくりとではあるが、研究界が正しい方向に進んでいることを示す明るい兆しはいくつかある。

いくつかの大学・学部では、教員採用で、異分野共同研究、アウトリーチ、リーダーシップなどの経験を評価する包括的な選択基準を採用し始めている。

また、シラキュース大学(Syracuse University)やニューヨーク市立大学(City University of New York)はサンフランシスコ宣言に署名した。このことで、前進が少し期待できる。

さらに、論文、記事、エッセイ、学会セッション、オンライン議論などで、「出版か死か(Publish or Perish)」原理に問題があると指摘され、問題の認識は高まっている。

とはいえ、解決策を示すのは、簡単ではないし、実行するのも簡単ではない。

どうすればよいか?

大学は、教員採用の決定過程を公開かつ透明にし、応募者がどのようにランク付けされ、分類されるかを確認できるようにする必要がある。

もっと多くの大学・学部・学科がサンフランシスコ宣言を導入すべきである。

大学は博士号授与数を劇的に減らすことだ。そうすれば、少ない大学教員職をめぐる競争が少なくなり、人事委員会は論文数が多い人を採用するなどという単純な指標に頼る必要がなくなる。 → 2022年3月24日の本論文著者の記事:Universities Are Failing the Next Generation of Scientists

学会、研究団体から院生組合まで、研究での成功の定義を広げるよう大学に圧力をかける必要がある。

ただ、究極は、私たち研究者集団が考えを変えることだ。

研究界・学術界のほとんどの組織が「出版か死か(Publish or Perish)」原理よりも優れた評価基準を採用するまで、「出版か死か(Publish or Perish)」原理は滅びないだろう。

●7.【白楽の感想】

《1》「量」と「質」 

22歳の院生時代から65歳の定年退職まで、白楽は「出版か死か(Publish or Perish)」原理にドップリ浸かっていた。

院生として過ごした名古屋大学・理・分子生物学専攻では、博士号を取得するには学術誌に受理された論文が2報必要と言われた。

その後、講師~教授で過ごした筑波大学・お茶の水女子大学では、「博士号申請基準は受理論文が1報」だった。この基準を満たすため、白楽は研究室の院生に、博士2年修了時点で少なくとも1報の論文を第一著者で発表させていた。

それで、博士号授与基準として、論文数以外の基準で研究評価をするように言われても、ウ~ン、と悶絶してしまう。

異分野共同研究、アウトリーチ、リーダーシップなどの経験を研究評価に加えるといっても、どうなんだろう?

米国NIH・国立がんセンターに研究留学した時、来米された愛知がんセンターの松影昭夫・生物学部・部長(当時)を接待した。その時、日本帰国後、研究費が欲しければ、月刊誌・『蛋白質・核酸・酵素』(その後廃刊)に総説を書くようにとアドバイスされた。

で、日本帰国後、月刊誌・『蛋白質・核酸・酵素』に総説を書いた。研究費もいただいた。この総説でアウトリーチが評価されたとは思えない。単なる宣伝効果だった気がする。

大学教員になっても、研究費や昇格人事では、出版論文数を中心に評価されたと思うが、昇格人事では、学科内で最も多くの論文を出版していたのに、異分野共同研究とアウトリーチ活動が妬まれ、不当な扱いを受けた。

もちろん、研究成果は「量」ではなく「質」だと思っていたし、今も思っている。

《2》研究公正を評価に加える 

研究評価は、インパクトファクターやH指数(h-index)と出版論文数に、異分野共同研究、アウトリーチ、リーダーシップなどの経験を加え、総合的にすることが提唱されていることになる。

白楽は、もっと重要なことは、評価基準に研究公正に加えることだ。

ネカト、クログレイ、性不正、アカハラをクロ認定者、つまりら研究者倫理度が低い人は、他の研究成果がどんなによくても、研究界から排除する。

この基準をもっと明確に設けるべきである。

名古屋大学の伊丹健一郎が理化学研究所に招聘され新しい研究室を作るなど、トンでもないことだが、もっと批判と非難も強くなるだろう。

合成化学の権威である伊丹氏だが、名大で自身が主宰していた研究チームが2019年6月にイギリスの科学誌『ネイチャー』上で発表した炭素素材グラフェンナノリボンに関する論文で、重大な不正が発覚している。

伊丹氏は責任を問われ、国の研究費用の配分を決める科学技術振興機構(JST)や日本学術振興会(JSPS)からはペナルティとして、研究費用の交付を2025年3月末まで止められている最中。にもかかわらず、主に国からの研究費用が資金源の理研が伊丹氏を採用することは、ペナルティを途中で無意味化させかねない。(2024年1月18日の 奥田 貫記者の記事:理研「名大の不正論文」責任著者を採用の波紋 国の研究費配分機関の処分が無効化するおそれ | 若手研究者が潰される国・日本 | 東洋経済オンライン

《3》評価の3段階説 

多くの人は区別しないで議論しているが、白楽は、評価される人のキャリアに3段階あると思う。その3段階で、研究評価の方法は異なる。

  • まず、どの段階でも、研究者倫理度が低い人はその段階で研究界から排除する、排除できなければ、留め置き、格上げしない。
    研究者倫理度が基準値を越えた人を対象に以下の評価をする。
  • 初級編:院生への博士号授与、院生の研究職採用で、この場合、論文数でいいと思う。
  • 中級上級編:大半の研究者の研究評価(普通額の研究費、昇進など。教授昇進まで)で、この場合、論文数を主体に評価するが、論文の「質」も加味する。また、学術界への貢献、国民への研究広報活動も研究評価に加える。教育や大学運営や施策能力も評価対象だが、それらは研究の枠ではないのでここでは省略する。しかし、これらを評価するとき、やはり、数値化して評価する。
  • 特別上級編:特別な上級研究者の研究評価(巨額な研究費、褒賞など)で、この場合、論文数は関係なく、論文の「質」だけで評価する。この場合、評価する人の能力よりも評価される人の論文の方が高度で、正当に評価されない欠陥があるかもしれない。

従って、どの段階の人の研究を評価するかで、論文の「量」なのか「質」なのか、はたまた、論文以外の活動を総合的に判断するのか、となる。

ただ、研究の「質」を測る指標に適当なものがない。

一般的には、インパクトファクターやH指数(h-index)はあるが、白楽の場合、これらの指標は自分が下した評価と異なることがかなりあった。

白楽の場合、自分の研究分野にどれほど画期的なのか、また、科学全体にどれほど画期的だと白楽が思うか、で判定してきた。これは、客観的ではないし、数値化しにくい。

白楽は、「出版か死か(Publish or Perish)」原理が不要になるほどの優れた評価基準を思いつけない。

昭和人間のまま生きて・死ぬしかないと思っている白楽は、採用・昇進・研究費などの公的なことで、他の研究者を研究評価することはもうないので、実害はないだろう。

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日本の人口は、移民を受け入れなければ、試算では、2100年に現在の7~8割減の3000万人になるとの話だ。国・社会を動かす人間も7~8割減る。現状の日本は、科学技術が衰退し、かつ人間の質が劣化している。スポーツ、観光、娯楽を過度に追及する日本の現状は衰退を早め、ギリシャ化を促進する。今、科学技術と教育を基幹にし、人口減少に見合う堅実・健全で成熟した良質の人間社会を再構築するよう転換すべきだ。公正・誠実(integrity)・透明・説明責任も徹底する。そういう人物を昇進させ、社会のリーダーに据える。また、人類福祉の観点から、人口過多の発展途上国から、適度な人数の移民を受け入れる。
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