無罪:バーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)(米)

2020年4月12日掲載 

ワンポイント:【長文注意】。フィッシャーはピッツバーグ大学医科大学院(University of Pittsburgh School of Medicine)・特別栄誉教授で外科医で、乳癌の治療で乳房を切除しない乳房温存療法を導入した巨人だった。2019年10月16日に101歳で没。1993年(74歳)のカナダの外科医・ロジャー・ポアソン(Roger Poisson)のデータねつ造事件で、ポアソンを班員とした臨床試験の統括者だったことから、フィッシャー自身のネカトへの関与が疑われた。1997年(78歳)、研究公正局は、フィッシャーのネカト疑惑を無実と結論した。国民の損害額(推定)は100億円(大雑把)。

【追記】
・2022年4月1日記事:Cancer disruptors: When Bernie Fisher refused to grovel – The Cancer Letter

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
9.主要情報源
10.コメント
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●1.【概略】

バーナード・フィッシャー(Bernard Fisher、写真出典)は、ピッツバーグ大学医科大学院(University of Pittsburgh School of Medicine)・特別栄誉教授・医師で、専門が外科(乳癌)だった。

1958年に開始した「米国外科補助乳がん結腸直腸がんプロジェクト(National Surgical Adjuvant Breast and Bowel Project (NSABP))」・統括者を務め、1990年前後、研究成果として、乳癌の治療で乳房を切除しない乳房温存療法の導入に成功した。乳癌外科の巨人で、ネカト事件に巻き込まれなければ、ノーベル賞を受賞したと思われる。

フィッシャーはポアソン事件との絡みで登場する。白楽は、ポアソン事件の記事を書いた時(2015年3月4日)、フィッシャーの記事も直ぐに書くつもりだったが、遅れてしまった。4年後の2019年10月16日にフィッシャーは101歳で亡くなった。

本記事では、ポアソン事件の内容を前記事から大きく流用する。 → ロジャー・ポアソン(Roger Poisson)(カナダ) | 研究者倫理

150222ロジャー・ポアソン(Roger Poisson、写真出典)は、カナダのモントリオール大学・教授(外科)、モントリオールのサン=リュク病院(St. Luc Hospital in Montreal)・がん研究部長だった。

ポアソンはフィッシャーが統括した乳がん臨床試験のカナダ側代表だった。しかし、ポアソンが提出したデータにねつ造・改ざんがあったのだ。米国・研究公正局が調査に入り、1993年4月、ポアソンをクロと判定した。

乳がん患者は多く、臨床試験データにねつ造・改ざんがあったとすると、最良と告げられて手術を受けた患者は不安である。それに、著名な医師のスキャンダルだったので、ポアソン事件は大騒動に発展した。

1993年6月25日、研究公正局は、ポアソンがデータねつ造・改ざんをしていたと結論し、8年間の締め出し処分を科した。

このポアソン事件に関連して、ポアソンを班員とした臨床試験の統括者だった米国のバーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)自身にネカトの疑念がもたれた。

1997年(78歳)、3年間の調査の結果、結局、米国・研究公正局は、フィッシャーのネカトを無実と結論した。

2019年10月16日、バーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)は101歳で亡くなった。

ピッツバーグ大学医科大学院(University of Pittsburgh School of Medicine)。写真出典

  • 国:米国
  • 成長国:米国
  • 医師免許(MD)取得::ピッツバーグ大学医科大学院
  • 研究博士号(PhD)取得:なし
  • 男女:男性
  • 生年月日:1918年8月23日
  • 没年月日:2019年10月16日、享年101歳
  • 分野:乳癌外科
  • 最初の不正疑惑論文発表:1985年(67歳)
  • 不正疑惑論文発表:1985年(67歳)
  • 疑惑年:1993年(74歳)
  • 疑惑時地位:ピッツバーグ大学医科大学院・特別栄誉教授
  • ステップ1(発覚):第一次追及者は不明
  • ステップ2(メディア):米国の多数のメディア
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①ピッツバーグ大学医科大学院・調査委員会。②研究公正局
  • 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
  • 大学の透明性:機関以外が詳細をウェブ公表(⦿)
  • 不正:ねつ造・改ざん疑惑。調査の結果、無実
  • 不正論文数:なし。撤回論文なし
  • 時期:研究キャリアの後期
  • 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)を続けられなかった(Ⅹ)
  • 処分:プロジェクト統括者の解任
  • 日本人の弟子・友人:不明

【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は100億円(大雑把)。

●2.【経歴と経過】

  • 1918年8月23日:ピッツバーグに生まれる
  • 1940年(22歳):ピッツバーグ大学(University of Pittsburgh)で学士号取得
  • 1943年(25歳):ピッツバーグ大学医科大学院(University of Pittsburgh School of Medicine)で医師免許(MD)取得
  • 1950-1952年(32-34歳):ペンシルベニア大学(University of Pennsylvania)で外科医
  • 1955年(37歳):英国ロンドンのハマースミス病院(Hammersmith Hospital)で研究員
  • 1957年(39歳):ピッツバーグ大学医科大学院(University of Pittsburgh School of Medicine)・外科・教授(?)。自分の研究室主宰
  • 1958年(40歳):仕事の主軸をがん治療(乳癌・大腸など)に移す
  • 1967-1994年(49-75歳):「米国外科補助乳がん結腸直腸がんプロジェクト(National Surgical Adjuvant Breast and Bowel Project (NSABP))」・統括者
  • 1985年(67歳):後に不正疑惑を抱かれた2報の「1985年3月のN Engl J Med.」論文を発表
  • 1986年(68歳):ピッツバーグ大学医科大学院の特別栄誉教授(Distinguished Service Professor of Surgery):ディスティングイッシュトプロフェッサー – Wikipedia
  • 1990年(71歳):ポアソンの不正研究が発覚する
  • 1993年4月(74歳):米国・研究公正局は、ポアソンの臨床試験にねつ造・改ざんがあったと発表
  • 1993年(74歳):フィッシャー自身にネカト疑惑がもたれた
  • 1997年(78歳):米国・研究公正局は、フィッシャーのネカト疑惑を無実と結論
  • 2019年10月16日(101歳):死亡

【受賞】

多数の賞を受賞している。
以下はウィキペディアの英文のママ:Bernard Fisher (scientist) – Wikipedia

●3.【動画】

以下は事件の動画ではない。

【動画1】
ニュース動画:「バーナード・フィッシャー博士が101歳で死亡(Dr. Bernard Fisher Dies At Age 101) – YouTube」(英語)0分24秒。
CBS Pittsburghが2019/10/20に公開

【動画2】
フィッシャーが自分の人生を語る動画:「米国癌学会2011年:バーナード・フィッシャー博士(AACR 2011: Bernard Fisher, M.D.) – YouTube」(英語)13分53秒。
American Association for Cancer Researchが2011/04/04に公開

●4.【日本語の解説】

ポアソン事件の記事から、以下の【乳がんの治療法】の文章を流用する。 → ロジャー・ポアソン(Roger Poisson)(カナダ) | 研究者倫理

―――ここから

乳がんは、欧米先進国では、女性のがんの約25%を占めるほど多く、「3大がん」の1つである。2012年に世界で168万人が罹患し、52万人が亡くなっている。

5年生存率は80~90%と高い。適切に診断・治療をすれば完治の可能性は高い。

但し、乳がんの治療は原則的に以下の外科的切除である。外科的切除を基本にし、抗がん剤や抗エストロゲン剤など化学療法と放射線療法が併用される。

★外科的切除

乳がんの外科的切除は以下の2通りある。

  1. 乳房温存療法(lumpectomy 乳房の部分切除、脇の下のリンパ節を摘出)
  2. 乳房切除療法(mastectomy 乳房を大きく切除、あるいは完全切除)

切除部分を単純に比較すると、以下のピンクの部分を切除する手術である。左は大きく切除する乳房切除術(mastectomy)、右は部分だけを切除する乳房温存術(lumpectomy)である。図出典
150222 st_mastectomy_lumpectomy

もう少し細かく見ると乳房切除術に3段階ある。

下図の左上は乳房温存術(lumpectomy)、右上は部分的乳房切除術(partial mastectomy)、左下は全乳房切除術(total mastectomy)、右下は胸筋温存乳房切除術(modified radical mastectomy:MRM)である。
150222 AZ_d0073-3

日本では、大きく切除する乳房切除が乳がん手術の主流だったが、2003年、乳房温存が主流になった。2015年現在、乳がん手術全体の1/3が乳房切除術で、2/3が乳房温存術である。

例えば、東京女子医科大学・東医療センター外科では2005年頃から乳房温存療法に取り組み、現在では全乳がんの78%に乳房温存療法が行われている乳がんの治療法を2015年と2020年に閲覧、2020年保存版)。

以下、歴史的な経過を、2007年7月8日の渡辺医院院長・渡辺亨の講演から修正引用する(2008年1月12日記事、テープ起こし:重田洋子:【あけぼの会】講演会報告)、(保存版)。

1852年に生まれたウイリアム・ハルステッドという米国の外科医は、乳房切除術など多くの手術方法を確立した。

乳がんの術式のうち、この先生の名前をとったハルステッド手術と呼ばれる乳房切除術は、かつてはスタンダードな手術法でした。それは乳房と大胸筋、小胸筋、脇の下の軟部組織をまとめて全部一塊にして切除する方法で、20世紀前半の標準的な術式と考えられていました。

ハルステッドがこのような手術を考えた理由は、乳がんはまず局所皮膚からリンパ節に転移し、次に遠隔臓器に転移していく。つまり原発巣(最初に出来た部分)、局所(脇の下のリンパ節)、領域(そのもう少し上)、そしてさらに遠隔というように、ホップ・ステップ・ジャンプと、丁度水面に水の輪が広がって行くようにだんだん広がっていくと考えられていました。

だんだん広がっていくから、がんが小さい範囲のように見えても、なるべく広い範囲を取っておく必要があるということで、昔は筋肉も合わせてまとめて取るようなことをしていました。

ところが広い範囲の切除をしても、しなくてもあまり変わらないということが1970年代以降に分かってきました。

バーナード・フィッシャーという米国の外科医が、NSABPという臨床試験グループで、臨床試験を行ないながら数々のデータを出してきました。たとえば先程のハルステッド手術(乳房切除術)をやっても乳房温存術をやっても、ランダム化比較試験をしたら成績が変わらなかった。だから広い範囲を取る必要は無いということが分かってきました。

さらに、乳房切除療法と乳房温存療法を比較したところ、生命予後、つまり、5年・10年経った生存率、が変わらないということが分かってきたので、広く取っても意味が無いということになり、乳がんというのは、今まで考えられていたハルステッド理論ではなく、別の理論で考えないと駄目だろうということになってきました。

さらに、このバーナード・フィッシャーらのグループは、手術だけ行なった場合と、手術の後に抗がん剤治療をやった場合、抗がん剤をやったほうが再発率が低いし、生存期間も長く生存率も高い、つまり治癒率が高くなるということが分かってきました。

―――ここまで流用

●5.【不正発覚の経緯と内容】

ポアソン事件の説明をポアソン事件の記事から流用する。長文である。 → ロジャー・ポアソン(Roger Poisson)(カナダ) | 研究者倫理

―――ここから流用

★臨床試験:「米国外科補助乳がん結腸直腸がんプロジェクト(The National Surgical Adjuvant Breast and Bowel Project:NSABP)

「米国外科補助乳がん結腸直腸がんプロジェクト(The National Surgical Adjuvant Breast and Bowel Project:NSABP)」は、米国・NIH・国立がん研究所からの研究助成を受け、国を越えて、大規模に乳がん・結腸直腸がんの臨床試験を行ない、どのような治療法が優れているかのコンセンサスを、がん治療医師の間で構築している組織である。

発足は、1958年で、既に、50年以上の歴史がある。治験(臨床試験)に参加した女性患者は11万人に及び、米国、カナダ、その後、プエルトリコ、オーストラリア、アイルランドの1,000に及ぶ大学病院、がんセンター、大規模病院が参加している。

治験結果を治療方針に反映させ、目覚ましい効果をあげてきた。例えば、乳がんの化学療法の薬・タモキシフェン(tamoxifen)とラロキシフェン(raloxifene)の効果の科学的証明である(2010年4月21日の横山勇生の「がんナビ」記事、保存版)。

1967年、ピッツバーグ大学・教授のバーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)が統括者に就任し、ペンシルヴァニア州のピッツバーグに本拠を移転した。

「米国外科補助乳がん結腸直腸がんプロジェクト(The National Surgical Adjuvant Breast and Bowel Project:NSABP)」は名称が長いので、以下、「乳がん治療組合(NSABP)」と呼ぶ。

【不正発覚・調査の経緯】

★発端

1990年(57歳)、「乳がん治療組合(NSABP)」統括者でピッツバーグ大学・教授のバーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)研究室のデータ管理担当者が、モントリオールのサン=リュク病院の乳ガン患者の臨床試験報告書に異常を見つけた。

モントリオールのサン=リュク病院、14年前の1977年から「乳がん治療組合(NSABP)」に参加していた。サン=リュク病院の乳がん外科医のポアソンが、サン=リュク病院のまとめ役であり、カナダ側全体の研究代表者だった。

臨床試験報告書の異常は、2つの臨床試験が報告されているのにもかかわらず、治療の日付だけが異なっていた。1つの治療記録には、臨床試験の資格が得られる日付が書いてあり、もう1つ治療記録では、治療日から長い期間経っていて臨床試験の資格が得られない患者だった。

というのは、「乳がん治療組合(NSABP)」には22か条の治療規則がある。その1つは、臨床試験の患者として登録できるのは、患者が乳ガンと診断されてから28日以内という規則である(後に、28日の日数は56日に変更された)。

モントリオールのサン=リュク病院から治療記録を取り寄せると、他の6患者にも同様のことが見つかった。

「乳がん治療組合(NSABP)」は、サン=リュク病院の臨床試験を中断させ、サン=リュク病院の不審な状況をNIH・国立がん研究所に報告した。NIH・国立がん研究所はこの状況を研究公正局に伝えた。

Roger Poisson1

★研究公正局

研究公正局が調査に入った。

モントリオールのサン=リュク病院は、ロジャー・ポアソン(Roger Poisson)を研究代表者に、1977年から「乳がん治療組合(NSABP)」に参加しており、1990年までの14年間に、1,504人の臨床試験患者を登録していた。

研究公正局の調査官と外部の2人の専門家は、サン=リュク病院と1,504人の患者の治療記録を精査した。さらに、研究代表者、乳がん治療プロジェクトに関係した医師、データ管理者、研究看護師に治療記録について質問した。

1993年6月25日、研究公正局は、ポアソンがデータねつ造・改ざんをしていたと結論し、8年間の締め出し処分を科した。標準は3年間なので、悪質度が高いと判断されたのだ。→ NOT-93-177: FINAL FINDINGS OF SCIENTIFIC MISCONDUCTの9人目

別の記事では、「乳がん治療組合(NSABP)」の係員が、モントリオールのサン=リュク病院のポアソンに臨床試験報告書の異常を問い合わせると、驚いたことに、ポアソンが「臨床試験の資格がない患者を臨床試験にお願いしていたので、何年もの間、データを改ざんしていました」と答えた、という記載もある。

研究公正局の調査結果によると、1977年から1990年までの14年間の14回の「乳がん治療組合(NSABP)」プロジェクトで、111回のデータ改ざん、または、登録した99人の臨床試験患者に関係するデータねつ造があった。

具体例として、以前にがんにかかった女性患者をがん罹患歴なしと記載したケース、乳がんの進行段階を意図的に格下げしたケース、治療日を改ざんしたケース、適切なインフォームド・コンセントしていないケースがあった。

なぜ治療日を改ざんしたかというと、先に述べたように、「乳がん治療組合(NSABP)」には22か条の治療規則がある。その1つは、臨床試験患者に登録できるのは、患者が乳ガンと診断されてから28日以内であるという規則があった。ポアソンはこの条件に適合するように、適合しない54患者の診断日付を改ざんしたのである。

サン=リュク病院のデータ管理担当者は、これらのねつ造・改ざんは、ポアソンの指示により行なわれたと述べた。そして結局、ポアソン自身もねつ造・改ざんを認めた。

「乳がん治療組合(NSABP)」は、「乳がん治療組合(NSABP)」として推奨した乳がん治療指針が、ポアソンのデータねつ造・改ざんが発覚したことでどれほど改訂が必要か、検討し結果を発表することにもなった。

1993年4月(60(+1)歳)、研究公正局はニュースレターで、上記の調査結果を公表した。

Roger Poisson2

★ポアソンの評価

研究公正局の調査員の1人は次のようにポアソンを評価した。

ポアソンのデータ改ざんは、研究結果を特定の方向に捻じ曲げるつもりはなく、単に、できる限り多くの患者を登録しようとした改ざんである。つまり、ポアソンのデータ改ざんの動機は、「ミエ、虚栄」である。

ポアソンは、自分が優秀で、NIH・国立がん研究所から100万ドル(約1億円)も研究助成され、自分が「乳がん治療組合(NSABP)」に大きく貢献していると統括者のフィッシャーに思われたかったのだ。自分が優秀であると認めてもらい、フィッシャーの論文の共著者になりたかったのだ。

上記以外、そして、マスメディアからもいろいろ言われ、ポアソンは、憤慨して、次のコメントをした。

これは米国とカナダの医学界の政治抗争である。米国の乳がん治療では、乳房切除療法(mastectomy)よりも、外観を損なわない乳房温存療法(lumpectomy)を推奨している。ところが、カナダは乳房温存療法(lumpectomy)の手術をあまり導入してこなかった。だから、米国医学界はカナダの乳がん治療をイマイマしく思っていた。その標的が私で、私が代表して、米国医学界を敵に回した格好になったのだ。米国医学界は私をスケープゴートとしたのだ。つまり「カナダの医師にショックを与えろ」ということでしょう。

米国・国立がん研究所はポアソンに100万ドル(約1億円)の研究助成をしたが、国立がん研究所の癌治療・副ディレクターのドワイト・カウフマン(Dwight Kaufman)は、ポアソンのコメントを「茶番だ」と酷評した。

さらに、「ポアソンは、科学的方法が何たるかをわかっていないか、科学研究というものへの敬意がない。データを改ざんすることが世界中の女性の健康をそこなうのを、ポアソンは、全く、わかっていない」と指摘した。

ポアソンは、「研究報告に小さなデータの不一致があったことで、自分の乳がん治療への貢献度を判断しないで欲しい。私は、患者の幸福にとても大きく貢献しています」と抗弁した。

この事件のケジメとして、ポアソンは、米国政府の医学研究助成金を受領できなくなった。さらに、カナダのサン=リュク病院のがん研究部長を降格させられた。しかし、カナダ当局はそれ以上、ポアソンにペナルティを科していない。

Roger Poisson3

―――ここまで流用

フィッシャーのねつ造・改ざんへの関与】

バーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)。https://twitter.com/PittTweet/status/982346562150973440?s=20

★論文

「乳がん治療組合(NSABP)」が乳癌の治療で乳房を切除しない乳房温存療法を良しとした臨床試験の初期の結果は、以下の2報の「1985年3月のN Engl J Med.」論文に発表された。

  1. Ten-year results of a randomized clinical trial comparing radical mastectomy and total mastectomy with or without radiation.
    Fisher B, Redmond C, Fisher ER, Bauer M, Wolmark N, Wickerham DL, Deutsch M, Montague E, Margolese R, Foster R.
    N Engl J Med. 1985 Mar 14;312(11):674-81.
  2. Five-year results of a randomized clinical trial comparing total mastectomy and segmental mastectomy with or without radiation in the treatment of breast cancer.
    Fisher B, Bauer M, Margolese R, Poisson R, Pilch Y, Redmond C, Fisher E, Wolmark N, Deutsch M, Montague E, et al.
    N Engl J Med. 1985 Mar 14;312(11):665-73.

2報目の共著者にロジャー・ポアソン(Roger Poisson)が入っている。

1990年前後に、乳房温存療法の導入に成功したと認識されている。

1990年に発覚したポアソンのネカト事件に巻き込まれなければ、フィッシャーはノーベル賞を受賞したと言われている。

★ フィッシャーもデータねつ造・改ざんに関与?

1990年、ポアソンのデータねつ造・改ざん疑惑が勃発した。

1993年6月25日、調査を終えた研究公正局は、ポアソンがデータねつ造・改ざんをしていたと結論し、8年間の締め出し処分を科した。標準は3年間なので、悪質度が高いと判断されたのだ。→ NOT-93-177: FINAL FINDINGS OF SCIENTIFIC MISCONDUCTの9人目

そして、「班員であるポアソンが提出したデータにねつ造・改ざんあったのを、統括長の バーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)は知っていて、論文を発表したのではないか」、つまり、フィッシャーもデータねつ造・改ざんに関与していたのではないか、と指摘された。

ネカトに関与していないなら、監査システムに問題があった、とも指摘された。

連邦捜査官が捜査に入り、議会の小委員会が開催され、フィッシャー管轄下の500か所のセンターのうちの数か所でスザンな事務処理が見つかった。

フィッシャーはカリスマ的な外科医だった。天才とあがめられ、長年にわたり、独裁的に振舞ってきた。「勇敢な陸軍大将」とも称された。

だからこそ、数百人の外科医を統率し、数千人の患者から献身的な謝意を受け、歴史的大事業である「乳がん治療組合(NSABP)」臨床試験をひきいることができた。数億ドル(数百億円)の研究費を動かし、女性健康運動のヒーローだった。

それがしかし、 ポアソン事件で、臨床ネットワークが崩壊し、評判は地に落ち、憔悴し、病人のようになってしまった。

フィッシャーはネカトをしていたのだろうか?

この問いに、ニューヨークの著名ながん研究者でマウントサイナイ医科大学(Icahn School of Medicine at Mount Sinai)の ジェームズ・ホランド教授(James Holland )は、 「あなたは、ローマ法王がお賽銭箱からお金を盗むと思いますか?」と答えている。

しかし、ネカト疑惑が報じられ、フィッシャーの評判はひどく悪くなった。

フィッシャーの助言に従い、根治的乳房切除療法の代わりに乳房温存療法を選んだ多くの乳癌患者は、特に激怒した。

ダルハウジー大学(Dalhousie University)の生命倫理学のシャロン・バット教授(Sharon Batt、写真出典)は、彼女の著書『患者のノーモア:乳がんの政治(Patient No More: The Politics of Breast Cancer)』(1994年出版、表紙出典)で、信頼が裏切られショックだと、フィッシャーを非難した。

ネカト疑惑の喧騒の中で、国立がん研究所(NCI)とピッツバーグ大学は、フィッシャーが意図的にデータねつ造・改ざんをしたと公式に告発し、「乳がん治療組合(NSABP)」統括者を解任した。

一方、フィッシャーと彼の同僚は、長い時間がかかったが、ポアソンの99件の症例を詳細に調べ、また、データバンクの他の残りのデータも調べた。その結果、ポアソンのデータねつ造・改ざんは「乳がん治療組合(NSABP)」が最終的に報告した研究結果に影響していない、つまり、乳房温存療法は優れている、と確信するにいたったのである。

★ フィッシャーはシロ

1993年6月25日、研究公正局は、ポアソンがデータねつ造・改ざんをしていたと結論し、8年間の締め出し処分を科した。

そして、研究公正局は、フィッシャーのネカト調査をはじめた。

1997年1月頃?(78歳)、研究公正局は3年間の調査の後、フィッシャーのネカトは無実だと結論した。 → 2013年8月9日のバロン・ラーナー(Barron H. Lerner)記者の「Atlantic」記事:How Clinical Trials Saved Women With Breast Cancer From Disfiguring Surgery – The Atlantic

★ 名誉棄損の裁判

国立がん研究所(NCI)とピッツバーグ大学にネカト者と公式に告発され、「乳がん治療組合(NSABP)」統括者を解任されたフィッシャーは、名誉棄損を裁判所に訴えた。

被告は、ピッツバーグ大学、ピッツバーグ大学の顧問法律事務所のホーガン&ハートソン法律事務所、健康福祉省(Department of Health and Human Services)、NIH(National Institutes of Health)、国立がん研究所(NCI)、研究公正局(ORI)という、そうそうたる巨大組織・国家組織である。

フィッシャーは、「被告は正当な手続きなしに原告を解雇したのは違法である。原告が学術誌に論文を掲載する言論の自由という権利を妨害したのは違法である」と主張した。

1997年9月頃(79歳)、ところがナント、裁判が始まる6週間前、裁判は行なわれなかった。

フィッシャーは大学からの謝罪と被告からの和解を受け入れ、訴訟を取り下げることに同意した。フィッシャーは、275万ドル(約2億7,500万円)の損害賠償と、法的費用を賄うために国立がん研究所(NCI)から30万ドル(約3,000万円)を受け取った。 → ①1997年9月11日の「University Times, University of Pittsburgh」記事:University Times » Fisher drops suit in exchange for apology, $2.75 million; University administrators credited with bringing about settlement、②1997年10月1日の「Cancer Network」記事:University of Pittsburgh Apologizes to Dr. Bernard Fisher | Cancer Network

和解が発表された後、フィッシャーは、訴訟はお金のためではない、「真実と正義」のために戦ったのだと述べた。

フィッシャーは、和解が「正当な手続きと言論の自由に対するアメリカ合衆国憲法修正第1条( First Amendment right to freedom of speech.)を無視する人々に対する抑止力として作用すること」を望んだ。

「ポアソンが提出したデータにねつ造・改ざんあったのを知っていて、フィッシャーは論文を発表したのではないか」と告発されたことに対し、フィッシャーは、

データねつ造・改ざんを最初に発見したのは「乳がん治療組合(NSABP)」調査員ですし、ネカト問題​​を最初に当局に告げたのは「乳がん治療組合(NSABP)」です。

と反論した。

ピッツバーグ大学は、「フィッシャー博士は、研究上および規則上、一度も不正を犯していませんでした。フィッシャー博士に危害を与え、社会的名誉を傷つけことを心から謝罪します」と謝罪した。

★2019年10月16日 没、享年101歳

2019年10月16日、 バーナード・フィッシャー(Bernard Fisher、写真出典)は101歳で亡くなった。

●6.【論文数と撤回論文とパブピア】

★パブメド(PubMed)

2020年4月11日現在、パブメド(PubMed)で、バーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)の論文を「Bernard Fisher [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2002~2020年の19年間の68論文がヒットした。

「Fisher B[Author]」で検索すると、1947~2020年の74年間の1725論文がヒットした。

2020年4月11日現在、「Fisher B[Author] AND Retracted」でパブメドの論文撤回リストを検索すると、0論文が撤回されていた。

★撤回論文データベース

2020年4月11日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回論文データベースでバーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)を「Bernard Fisher」で検索すると、0論文がヒットし、0論文が撤回されていた。

★パブピア(PubPeer)

2020年4月11日現在、「パブピア(PubPeer)」で、バーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)の論文を「Bernard Fisher」で検索すると、5論文がヒットした。

●7.【白楽の感想】

《1》班員と統括者 

バーナード・フィッシャー(Bernard Fisher、写真出典)は、「米国外科補助乳がん結腸直腸がんプロジェクト(National Surgical Adjuvant Breast and Bowel Project (NSABP))」・統括者を務め、班員のロジャー・ポアソン(Roger Poisson)がデータねつ造をした。

研究公正局は、事件で、臨床試験の統括者だったことから、フィッシャーのネカトへの関与を疑った。

フィッシャーはカリスマ的な外科医で、長年にわたり、医学界で独裁的に振舞ってきた。このことも、フィッシャーにネカト疑惑が生じた原因だろう。日頃、強権的・高圧的な態度で物事を処理していたから、敵も多かっただろうし、内部で不正を働いていると思われたのだ。

1997年(78歳)、米国・研究公正局は、調査に3年かけ、フィッシャーのネカト疑惑を無実とした。

《2》裁判

フィッシャーは、そうそうたる巨大組織・国家組織を被告に、よくも裁判を起こしたもんだと感心する。

被告は、ピッツバーグ大学、ピッツバーグ大学の顧問法律事務所のホーガン&ハートソン法律事務所、健康福祉省(Department of Health and Human Services)、NIH(National Institutes of Health)、国立がん研究所(NCI)、研究公正局(ORI)である。

そして、和解だが、実質勝訴を勝ち取るのである。

275万ドル(約2億7,500万円)の損害賠償と、法的費用を賄うために国立がん研究所(NCI)から30万ドル(約3,000万円)を受け取ったのだ。

賠償金の額が275万ドル(約2億7,500万円)というから、そこそこの額である。

日本の大学教授が、自分の大学と文科省を相手に裁判を起こし、勝訴した例って、あるんでしょうかねえ。少なくともネカト訴訟では、白楽は知りません。

バーナード・フィッシャー(Bernard Fisher)、https://www.pittwire.pitt.edu/news/pioneering-physician-scientist-distinguished-service-professor-marks-100th-birthday

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日本がスポーツ、観光、娯楽を過度に追及する現状は日本の衰退を早め、ギリシャ化を促進する。今後、日本に飛躍的な経済の発展はない。科学技術と教育を基幹にした堅実・健全で成熟した人間社会をめざすべきだ。科学技術と教育の基本は信頼である。信頼の条件は公正・誠実(integrity)である。人はズルをする。人は過ちを犯す。人は間違える。その前提で、公正・誠実(integrity)を高め維持すべきだ。
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●9.【主要情報源】

① ウィキペディア英語版:Bernard Fisher (scientist) – Wikipedia
② 2019年11月1日の「Anatomy of a Scandal – The Cancer Letter」など、たくさんの資料がある。省略

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