「アカハラ」:ヤン・ヴァン・デュールセン(Jan van Deursen)(米)

2020年11月17日掲載 

ワンポイント:男性教授が研究室員をイジメた典型的なアカハラ事件。ヴァン・デュールセンはオランダで博士号を取得し、米国のメイヨー・クリニック(Mayo Clinic)のスター教授(男性)になったアンチエイジング(抗老化医学)の著名な研究者である。2020年(56歳)、メイヨー・クリニックは、長年に渡り、研究室の院生・ポスドクをアカハラ(怒鳴り、脅迫し、威嚇し、虐待)したとし、ヴァン・デュールセンを解雇(辞職?)した。国民の損害額(推定)は10億円(大雑把)。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】

ヤン・ヴァン・デュールセン(Jan van Deursen、写真出典保存版)は、オランダで博士号を取得し、米国のメイヨー・クリニック(Mayo Clinic)のスター教授(男性)になった。

アンチエイジング(抗加齢)の著名な研究者で、この分野では著名な学者である。専門は細胞生物学(アンチエイジング(抗老化医学))である。

1999年(36歳)、米国のメイヨー・クリニック(Mayo Clinic)・助教授相当になり、その後、準教授、正教授、学科長と順調に昇進した。

いつからか不明だが、ヴァン・デュールセンは研究室の院生・ポスドクにアカハラ(怒鳴り、脅迫し、威嚇し、虐待)をしていた。メイヨー・クリニックでは多くの人の知る状態だったが、研究成果が優れ、外部研究費をたくさん獲得していたので、メイヨー・クリニック当局はアカハラ調査をしなかった。

2007~2014年の7年3か月、ヴァン・デュールセン研究室のポスドクで、アカハラ被害を受けた女性ポスドクのロビン・リッケ(Robin Ricke)を含め、何人もの人が、何年にもわたって、メイヨー・クリニック本部にアカハラを告発していた。

2019年(56歳)、メイヨー・クリニックはようやくアカハラ調査をしはじめた。

2020年2月(56歳)、研究室の複数の院生・ポスドクを長年に渡り、アカハラ(怒鳴り、脅迫し、威嚇し、虐待)したとし、ヴァン・デュールセンを解雇(辞職?)した。

2020年11月16日(57歳)現在、メイヨー・クリニックはヴァン・デュールセンにまともなペナルティを科していない。そして、刑事事件にもなっていない。

mayo-clinic-v4米国・メイヨー・クリニック(Mayo Clinic)。写真出典

  • 国:米国
  • 成長国:オランダ
  • 研究博士号(PhD)取得:ラドバウド大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1963年4月x日。仮に1963年4月1日生まれとする。
  • 現在の年齢:57 歳
  • 分野:細胞生物学
  • アカハラ行為:2008年以前からだが、少なくとも、2008-2019 年(45-56歳)の12年間。
  • 最初に訴えられた:2019年(56歳)
  • 社会に公表年:2020年(56歳)
  • 社会に公表時地位:メイヨー・クリニック・教授
  • ステップ1(発覚):第一次追及者は被害者の女性ポスドクのロビン・リッケ(Robin Ricke)でメイヨー・クリニックに公益通報
  • ステップ2(メディア):レオニッド・シュナイダー(Leonid Schneider)のブログ
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①メイヨー・クリニック・調査委員会
  • 病院・調査報告書のウェブ上での公表:あり。加害者を匿名にしている → https://forbetterscience.files.wordpress.com/2020/07/2.18.2020-memo.pdf
  • 病院・処分のウェブ上での公表:あり
  • 病院の透明性:病院は加害者を匿名発表。つまり、隠匿の意図あり(Ⅹ)
  • 不正:アカハラ
  • 被害者数:複数人。院生・ポスドク
  • 時期:研究キャリアの中期から
  • 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)を続けられなかった(Ⅹ)
  • 処分:解雇?
  • 日本人の弟子・友人:不明

【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は10億円(大雑把)。

●2.【経歴と経過】

出典: Curriculum Vitae and Bibliography Jan M van Deursen, Ph.D.

  • 生年月日:1963年4月x日。仮に1963年4月1日生まれとする。
  • 1980 – 1984年(17-21歳):オランダのラドバウド大学(Radboud University Nijmegen)で学士号取得:生物学
  • 1984 – 1988年(21-25歳):同大学で修士号(MS)を取得:分子生物学
  • 1988 – 1994年(25-31歳):同大学で研究博士号(PhD)を取得:細胞生物学
  • 1994 – 1999年(31-36歳):米国のセント・ジュード・小児研究病院(St. Jude’s Children’s Research Hospital)・ポスドク。その後、助教授相当
  • 1999 – 2007年(36-44歳):米国のメイヨー・クリニック(Mayo Clinic)・助教授相当。その後、準教授
  • 2007 – 現(44歳):同・教授
  • 2012年2月– 現 – 2003年(49歳):同・生化学・分子生物学科・学科長(Chair – Department of Biochemistry and Molecular Biology)
  • 2019年11月下旬頃(56歳):メイヨー・クリニックはアカハラの調査開始
  • 2019年12月16日(56歳):休職処分
  • 2020年1月21日(56歳):メイヨー・クリニックを辞職
  • 2020年7月24日(57歳):メイヨー・クリニックを正式に離職(解雇?)

●3.【動画】

以下は事件の動画ではない。

【動画1】
ヤン・ヴァン・デュールセン(Jan van Deursen)が研究内容を解説している動画:「Researchers Extend Lifespan by as Much as 35 Percent in Mice – YouTube」(英語)6分24秒。
Mayo Clinicが2016/02/03に公開 → 2020年10月20日に削除された。

●4.【日本語の解説】

★2018年1月号:著者不記載:Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 1 | doi : 10.1038/ndigest.2018.180118:「ゾンビ細胞を退治して若さを保つ」

事件の記事ではない。ヴァン・デュールセンの研究成果の記事である。

出典 → ココ、(保存版) 

メイヨー・クリニック(米国ミネソタ州ロチェスター)のJan van Deursenは、2000年に、自らの手で作り出した遺伝子改変マウスを見て困惑した。老衰状態に見えるそのマウスは、当初期待したように腫瘍を発生させる代わりに、奇妙な病気を持っていた。生後3カ月という若さで毛が細くなり、両目は白内障となって生気がなかったのだ。van Deursenはその後数年かけて、マウスがこうした状態になった理由を明らかにした。このマウスは高速で老化し、その体には、分裂はしないが死のうともしない奇妙な型の細胞がいっぱい詰まっていたのである。

●5.【不正発覚の経緯と内容】

★ヤン・ヴァン・デュールセン(Jan van Deursen)の人生

ヤン・ヴァン・デュールセン(Jan van Deursen、写真出典)はオランダで博士号を取得後、渡米し、メイヨー・クリニック(Mayo Clinic)のスター教授(男性)になった。世界的に著名なアンチエイジング(抗老化医学)の研究者である。

ヴァン・デュールセンはメイヨー・クリニックで20年以上研究職についていて、メイヨー・クリニックから、殊勲研究者など(Distinguished Investigator、Investigator of the Year、Distinguished Lecturer)、多くの栄誉を授与されている。

2011年(2009年?)、ヴァン・デュールセンはユニティ・バイオテクノロジー社(Unity Biotechnology – Wikipedia)を共同設立した。ユニティ・バイオテクノロジー社は抗老化関係の医薬品を開発している。2018年の社員は80人。 → Jan van Deursen – Unity Biotechnology

ヴァン・デュールセンは2006年10月~2011年1月にポスドクだったジャニーン・ヴァン・リー(Janine van Ree、写真(左の女性)、出典)と結婚している。

妻のジャニーン・ヴァン・リーはヴァン・デュールセン研究室の研究員として働く一方、ヴァン・デュールセン研究室のマネージメントをしていた。

ただ、若い女性で同姓のウィレミン・ヴァン・デュールセン(Willemijn van Deursen、写真出典)と「2016年のScience」論文(以下)と「2020年のJ Clin Invest.」論文を共著で出版している。van Deursen WH – Search Results – PubMed

ウィレミン・ヴァン・デュールセンはイェール大学(Yale University)の分子細胞生物学出身らしいが、実娘なのだろうか? 

実娘ではないと思うが、もし、実娘だとすると、ジャニーン・ヴァン・リー(Janine van Ree)と結婚する前、別の人と結婚していて、その人との子供かもしれない。

★ヤン・ヴァン・デュールセン(Jan van Deursen)のアカハラ事件概略

オフィスで研究討論するヤン・ヴァン・デュールセン(Jan van Deursen)。写真出典

2007~2014年の7年3か月、ヴァン・デュールセン研究室のポスドクで、アカハラ被害を受けた女性ポスドクのロビン・リッケ(Robin Ricke)が、アカハラを告発した。

というか、ヴァン・デュールセンのアカハラ言動はメイヨー・クリニックでは秘密ではなかった。

ヴァン・デュールセンはメイヨー・クリニックの中で「最も悪名高い」研究者と呼ばれていた。複数の研究室員が、メイヨー・クリニック本部に対して何年にもわたって何回も告発していた。

2019年11月下旬頃(56歳)、メイヨー・クリニックは、ヴァン・デュールセンのアカハラに関する調査を開始した。

2019年12月16日(56歳)、ヴァン・デュールセンを休職処分。

2020年1月21日(56歳)、ヴァン・デュールセンはメイヨー・クリニックを辞職した。

2020年2月18日(56歳)、メイヨー・クリニックは、ヴァン・デュールセンの辞職を所員に通知した。以下は通知文。

以下は通知文の冒頭部分(出典:同)。全文(2ページ)は →https://forbetterscience.files.wordpress.com/2020/07/2.18.2020-memo.pdf

要点は以下の通り。

メイヨー・クリニックは、最近、院生やスタッフを長年、指導してきたヴァン・デュールセン教授の言動についての報告を受けました。相互尊重、嫌がらせ、容認できない行為に関するメイヨー・クリニックの規則に違反していると判断し、調査を実施しました。メイヨー・クリニックはまた、ヴァン・デュールセン教授の言動はメイヨーの模範となる専門家計画およびメイヨー・クリニックの基本価値観に違反していると結論付けました。

調査委員会は、メイヨー・クリニックとヴァン・デュールセン教授との関係を終了するよう勧告してきました。それで、ヴァン・デュールセン研究室の閉鎖を決定しました。ヴァン・デュールセン教授は引退することを選択し、勧告に異議を唱えませんでした。懸念を共有し、容認できない環境を通報してくれた人々に感謝します。

2020年7月17日(57歳)、ヴァン・デュールセンはネカトハンターのレオニッド・シュナイダー(Leonid Schneider)をドイツの裁判所に訴えた。以下はその訴状(出典:Pensioner Jan van Deursen engage Hoecker Lawyers to sue me in court – For Better Science)。

訴訟は、ヴァン・デュールセンが「アカハラをした・していない」かどうかではなかった。裁判所は、アカハラ被害者から直接得た情報を自分のブログに記載してはならない、という判決を下した。

2020年7月24日(57歳)、ヴァン・デュールセンはメイヨー・クリニックを正式に離職した。

なお、ヴァン・デュールセンは離職に伴い、テキサス大学サンアントニオ校(University of Texas San Antonio)の教授への就任を打診していた。就活では、もちろん、自分でアカハラ加害者と認定されるかもしれない騒動があることを相手に知らせていない。

アカハラ加害者という騒動が勃発していることは、それなりに調べればわかることだが、外部から把握するのは容易ではない。噂は内部情報であり、調査途中の調査は外部に発表されない。それで、レオニッド・シュナイダーが、テキサス大学サンアントニオ校に通報した。

テキサス大学サンアントニオ校は、やはり、事情を知らなかった。レオニッド・シュナイダーに感謝し、ヴァン・デュールセンを採用しなかった。

★研究費とアカハラ被災者

ヴァン・デュールセンは、1998年~2020年の23年間で87件のグラントを得ている。主にNIH・国立がん研究所からの助成金である(Grantome: Search)。

以下に最近の6件をリストした。

ヴァン・デュールセンは2020年1月21日にメイヨー・クリニックを辞職した。この時点で、5件のNIHグラントが生きていた。

この研究費はどうなるのだろう?

メイヨー・クリニックの発表では、ヴァン・デュールセン教授なしで、従来の室員が研究を遂行するとのことだ。アカハラ騒動が表面化した時、研究室には10〜15人の室員がいた。研究室主宰者の研究指導がなくても研究は遂行できるということらしい。

こうなると、研究室主宰者の機能って何だろう? 研究費さえを持ってくれば、指導はいらないということか? 「亭主元気で留守がいい」。

ただ、残された研究室には、ヴァン・デュールセン教授の妻のジャニーン・ヴァン・リーもいる。ジャニーン・ヴァン・リーが研究室をマネージするのだろう。

ネカト被災者の場合もそうだけど、ボスがアカハラで離職した時、被災する院生・ポスドクは大変である。 → 7-64 ネカト被災者 | 白楽の研究者倫理

【アカハラの具体例】

以下にロビン・リッケ(Robin Ricke)の説明を書く。

研究室の現在のスタッフと元スタッフは、報復を恐れて匿名を望んでいるが、リッケの説明は事実だと認めている。

特に海外からの留学ポスドクは、下手すると在留資格を更新してもらえないなどのアカハラを受けかねないので、ボスの欠点を指摘することは実質、ほぼ不可能である。

★ロビン・リッケ(Robin Ricke):2007~2014年、ポスドク

ロビン・リッケ(Robin Ricke、写真出典)は、2007年1月~2014年3月の7年3か月、ヴァン・デュールセン研究室のポスドクだった。

以下の内容の出典は、2020年9月2日公開のロビン・リッケ(Robin Ricke)の記事である:My Experience working at the Mayo Clinic | LinkedIn、(保存版

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私は2007年から2014年3月までヴァン・デュールセン研究室のポスドクとして研究していました。私は彼のイジメ行為を個人的に目撃し、標的にされました。研究室員を指導することとイジメるのは明らかに違います。ヴァン・デュールセンは両方をしていました。

ちなみに、私はミネソタ大学(University of Minnesota)で研究博士号(PhD)を取得した後、ヴァン・デュールセンの研究室に入りました。私は大学院生としてDNA複製を研究していたので、ヴァン・デュールセンの研究室で細胞周期の研究を続けるのに、とてもワクワクしました。

ただ、実のところ、ヴァン・デュールセンの研究室に加わると決めたのは、私の夫が転居を望まなかったことと、メイヨー・クリニック(Mayo Clinic)が地理的に通勤できる距離だったという理由もありました。

今となっては、夫のキャリアを最優先にしたことを強く後悔しています。

ヴァン・デュールセン研究室で私の研究はうまく進みました。第一著者で2報の論文を出版し、奨学金ももらえました。

2013年、とある大学からテニュアトラックのポジションを提供され、とても魅力的だったのですが、残念ながら、その小さな町には夫の雇用機会がなかったため、結局辞退しました。それは私にとって本当に悲しいことでした。

2014年、私は結局、ヴァン・デュールセンの研究室を去りましたが、直接の原因は、ヴァン・デュールセンと私の関係が悪化したことです。

私は電子メールでヴァン・デュールセンに、研究室を去るので2~4週間の猶予が欲しいと伝えた時、ボスは、2週間で十分だと答えました。ボスのメールは合理的だと思いましたが、しかし、彼は二度と私に連絡してくることはありませんでした。

彼は研究室のテクニシャン、院生、ポスドクにメールして、彼が望むことを伝えるだけでした。これがヴァン・デュールセンの典型的なコミュニケーションの仕方でした。

ラボの最後のミーティングで、私は、みんなとお別れなので、研究室でみんなにピザを振舞いました。しかし、ボスは食べることを拒否しました。彼は私を見さえしませんでした。

メイヨー・クリニックの最終日にボスに書類に署名してもらう必要がありました。私はメールでメイヨー・クリニックの人事担当者に同行してくれるよう依頼しました。

ボスのオフィスに行き、私は研究室で働く機会を与えてくれたことをボスに感謝していると伝えました。私は本当に感謝していました。ところが、ボスは私に何も話さず、人事担当者とだけ話をしたのです。それはまるで、不機嫌そうにグズる幼児を彷彿とさせる行動でした。

どうして、私はヴァン・デュールセン研究室を去ろうと思ったのか?

第一は、ヴァン・デュールセンの指導に関する問題です。

私は、何か月もの間、自分が書いた論文原稿を読んでもらおうと打診していたのですが、彼は意図的に私の論文原稿を読むのを遅らせていました。もちろん、ヴァン・デュールセンが非常に忙しいことは知っています。私の論文原稿は「Nature」や「Science」に投稿する論文原稿ではなかったけれど、中程度の学術誌に私の筆頭著者の論文が掲載されれば、私の求職にはかなり役立ちます。私のような状態のポスドクの論文原稿を、ボスがいい加減に扱うことにまったく賛同できません。

第二に、私の辞任の数週間前に機器の使用でイジワルされたことです。

生細胞イメージング顕微鏡は高価な装置ですが、その使用で大きな意見の不一致がありました。

私が装置を壊していないのですが、彼は私が誤用したと非難し、機器の使用を認めないと脅し、メイヨー・クリニックの上層部を巻き込んできました。それはヒドイ仕打ちでした。上層部とグルになって私をイジメたと、私は思っています。

第三に、これが、決定打です。

ヴァン・デュールセンは、他の2人の男性ポスドクとの研究プロジェクトに私を割り当てました。私たちは毎週会合を開き、結果を検討し、仮説/モデルを策定し、計画を立てました。論文になった時の著者は平等であると想定されている状況です。

しかし、ヴァン・デュールセンは、私にだけこの会合の記録を取ることを命じました。唯一の女性だからです。

それは性差別で、間違っていると感じ、私は会合でヴァン・デュールセンに、すべてのポスドクが会合の記録を順番に取るべきだと冷静に話しました。私は会合の前に他の2人のポスドクと話し合い、彼ら2人とも理解して同意していました。

ヴァン・デュールセンは激怒して、私に向かって、指を振って、「記録を取りたくないのなら、出ていけ! そして、もう研究プロジェクトに参加するな!」、と怒鳴ったのです。彼の激しい怒声はこの時がはじめてではなく、私は以前にそのような言動を目撃したことがありました。

この時、最後の糸がプッツンと切れました。私は何も言わずに、自分の資料をまとめ、彼の研究室を出て、辞任のメールを書きました。私の辞任は、これらすべて個人的な理由によるものでした。

ただ、私の場合、夫が支えてくれたので、私は経済的に困ることはありませんでした。海外からの留学生でも移民でもないので、収入が絶対必要だったわけでもありません。それで、研究室を辞めることができました。ただ、そういう経済的に困らない状況の人はヴァン・デュールセンの研究室では非常に少数でした。

また、次のようなこともありました。

私の長女は2008年11月に生まれました。私は彼女が生まれてからわずか6週間でラボに戻りました。ハッキリさせておきますが、ヴァン・デュールセンは私が法的に許可された12週間の産休を全部とるなとは言っていません。ただ、数回の話し合いで、産後なるべく早く研究室に戻って欲しいと強く思っているようでした。

私が研究室に戻った週、私は帯状疱疹(shingles)と診断されましたが、私は働き続けました。帯状疱疹はストレスや疲労で免疫力が低下するとかかる病気と言われています。ヴァン・デュールセンの研究室の誰もが、ある時点で帯状疱疹にかかっていました。私も例外ではなかったということです。

また、私が妊娠12週のとき、虫垂切除術を受けました。ところが、ラボのテクニシャンが私の研究プロジェクトのために、ウェスターン・ブロットのプローブを作成する必要があるという話を、友人を介して、療養中の私に連絡してきました。

それで、仕方なしに、プローブを作成するため、医師が推奨するよりも早く研究室に戻りました。ただ、その作業はテクニシャンが簡単に実行できる作業なんです。ヴァン・デュールセンはそういう姑息な手段で、なるべく早く私を研究室に引き戻そうとしたんです。

●6.【論文数と撤回論文とパブピア】

省略

●7.【白楽の感想】

《1》防ぐ手段

ヤン・ヴァン・デュールセン(Jan van Deursen)はなぜアカハラ行為をしたのだろう?

推測になるが、持って生まれた気質・性質が大きいのではないだろうか。

他の研究者のアカハラ行為でも、その人間の気質・性質が原因だろう。

となれば、アカハラ気質・性質を検出する方法があるように思える。ウソ発見器のように、アカハラ気質・性質を検出する。そしてそのタイプの人を院生・ポスドク時代に学術界から排除してしまう。

ただ、大きな問題は、アカハラ気質・性質の研究者が優れた研究成果を挙げる、と思えることだ。

《2》環境

ヤン・ヴァン・デュールセン(Jan van Deursen)の妻のジャニーン・ヴァン・リー(Janine van Ree)は、ヴァン・デュールセン研究室の研究員として働く一方、ヴァン・デュールセン研究室のマネージメントをしていた。

このように、夫婦で研究室を管理する人の中に、アカハラが発生しやすい傾向があるように思う。

また、ヤン・ヴァン・デュールセン(Jan van Deursen)という名前はオランダの名門のようだ。1300年代からの家系図がある → Jan van Deursen (1393-1424) » Babb Family Tree » Genealogie Online

こういう名門の家系で育つと、他人を奴隷のように扱う精神文化を強く受け継いでしまうのではないか。邪推ですが。

《3》日本はアカハラ天国

ヴァン・デュールセンはアカハラ行為で、結局、57歳の時、メイヨー・クリニック(Mayo Clinic)の教授を解雇されている。

日本の大学教員がアカハラで解雇されたケースはない。戒告や休職である。

日本はネカト天国と言われて久しいが、セクハラ天国でもあり、そして、アカハラ天国でもある。

どうして、こんなに日本は甘い処分をするのだろうか?

要するに、アカハラ行為はそんなに悪くない、ということか。セクハラもそんなに悪くない。ネカトもそんなに悪くない。本当に悪くない?

こういう甘い処分をする日本の将来は、暗いと、この頃、つくづく思う。要するに、問題点を改善し、より良い日本を作ろうという意思が希薄なのだ。「Make Japan Great Again」がないのだ。

菅政権による日本学術会議への人事介入で、日本の学術研究は一層低下する、日本は御用学者だらけになっていく。

「Go To トラベル」などの補助金は一時的な娯楽への補助で、こんな経費の使いかたでは日本の将来の発展に何の役にも立たない。

そして、そもそも日本語文化を積極的に破壊する言葉だらけである。いちいち指摘してもキリがないが、「Go To トラベル」(旅行促進)、「クラスター」(集団発生)、「新型コロナ」(コーヴィット19。次に新しいコロナが発生したらどう呼ぶの?)などなど、どうして日本の偉い人が日本文化を破壊するのだろう? 

そして、世の中の知識人・文化人・メディアは上記のようなことを批判しない。既に、御用知識人・御用文化人・御用メディアになってしまったらしい。

ギリシャ化していくのでしょうね。

出典:https://www.twincities.com/2020/07/30/top-mayo-clinic-researcher-leaves-in-wake-of-bullying-accusations/

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日本がスポーツ、観光、娯楽を過度に追及する現状は日本の衰退を早め、ギリシャ化を促進する。日本は、40年後に現人口の22%が減少し、今後、飛躍的な経済の発展はない。科学技術と教育を基幹にした堅実・健全で成熟した人間社会をめざすべきだ。科学技術と教育の基本は信頼である。信頼の条件は公正・誠実(integrity)である。人はズルをする。人は過ちを犯す。人は間違える。その前提で、公正・誠実(integrity)を高め維持すべきだ。
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●8.【主要情報源】

① 2020年6月22日のレオニッド・シュナイダー(Leonid Schneider)のブログ:Jan van Deursen left Mayo Clinic, accused of bullying – For Better Science
② 2020年7月17日のレオニッド・シュナイダー(Leonid Schneider)のブログ:Jan van Deursen’s bullying: lab members speak out – For Better Science
③ 2020年7月26日のレオニッド・シュナイダー(Leonid Schneider)のブログ:Pensioner Jan van Deursen engage Hoecker Lawyers to sue me in court – For Better Science
④ 2020年9月21日のレオニッド・シュナイダー(Leonid Schneider)のブログ:Jan van Deursen’s senolytics: from bench to failed clinical trial – For Better Science
⑤ 2020年7月30日のジェフ・キガー(Jeff Kiger)記者の「Twin Cities」記事:Top Mayo Clinic researcher leaves in wake of bullying accusations – Twin Cities
⑥ 2020年8月4日のモリー・ギャンブル(Molly Gamble)記者の「Becker’s Hospital Review」記事:Top Mayo researcher is out amid accusations of bullying

★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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