盗博:商学:アラン・ウィリアムズ(Alan Williams)(豪)

2017年7月23日掲載。

ワンポイント:約40年前のオーストラリアの盗博事件である。1977年、アラン・ウィリアムズ(40歳、男性)はニューカッスル大学・商学部の教授に就任した。教授選考では、1975年にウェスタン・オーストラリア大学に提出した博士論文が有力な業績だった。1978年、同僚のマイケル・スパウズ上級講師(男性)がその博士論文は盗用だと告発した。しかし、ニューカッスル大学は、全くバカなことに、盗博を調査しないで、スパウズ上級講師を糾弾し解雇するというコクハラを行なった。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】

Professor Alan Williams, the University of Newcastle, Australia http://livinghistories.newcastle.edu.au/nodes/view/51525#idx51355

アラン・ウィリアムズ(Alan John Williams、写真出典)は、1975年(38歳)、ウェスタン・オーストラリア大学(University of Western Australia)で研究博士号(PhD)取得し、1977年(40歳)オーストラリアのニューカッスル大学(University of Newcastle)の商学部・教授に就任した。専門は商学(中小企業経営)だった。

1978年(41歳)、教授就任の翌年、ニューカッスル大学・商学部の同僚のマイケル・スパウズ(Michael Spautz)上級講師が、ウィリアムズ教授の博士論文の内容を批判し、さらに盗博だと指摘した。

1979年(42歳)、1980年(43歳)、ニューカッスル大学評議会は調査委員会を2回設置したが、いずれも、ウィリアムズ教授の盗博を調査せずに、スパウズ上級講師の告発を糾弾し、コクハラ(告発のハラスメント)で、スパウズ上級講師を解雇した。

1980年、解雇されたスパウズ(元・上級講師)は、ニューカッスル大学の関係者を裁判に訴えた。

オーストラリアのニューカッスル大学(University of Newcastle)。写真出典

  • 国:オーストラリア
  • 成長国:
  • 研究博士号(PhD)取得:ウェスタン・オーストラリア大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1937年生まれ。仮に1937年1月1日とする
  • 現在の年齢:17 歳?
  • 分野:商学
  • 博士論文タイトル:A study of the characteristics and performance of small business owner/managers in Western Australia.
    (日本語訳):西オーストラリア州の中小企業経営者の特性と実績に関する研究
  • 博士論文指導教授:
  • 博士論文提出:1975年(38歳)
  • 盗博発覚年月日:1978年(41歳)
  • 盗用ページ率:? %(推定)
  • 盗用文字率:約 ? %(推定)
  • 研究博士号(PhD)はく奪状況:はく奪なし
  • 発覚時地位:ニューカッスル大学(University of Newcastle)・商学部・教授
  • ステップ1(発覚):第一次追及者はニューカッスル大学・商学部・上級講師(米国の準教授相当)のマイケル・スパウズ(Michael Spautz)で、問題点を大学に訴えた
  • ステップ2(メディア):
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①ニューカッスル大学・調査委員会(第1回)。②ニューカッスル大学・調査委員会(第2回)
  • 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
  • 不正:盗博
  • 不正論文数:1報
  • 損害額:?
  • 結末:辞職なし

●2.【経歴と経過】

  • 1937年:生まれる。仮に1937年1月1日とする
  • 19xx年(xx歳):xx大学を卒業
  • 1975年(38歳):ウェスタン・オーストラリア大学(University of Western Australia)で研究博士号(PhD)取得
  • 1977年(40歳):ニューカッスル大学(University of Newcastle)の商学部・教授に就任
  • 1978年(41歳):博士論文の盗用疑惑
  • 1994年(57歳):ニューカッスル大学を辞職

●5.【不正発覚の経緯と内容】

★教授職の公募

1974年、ニューカッスル大学(University of Newcastle)は商学部・教授を公募したが、応募者はいなかった。

1975年、ニューカッスル大学(University of Newcastle)は商学部・教授の2回目の公募したが、2回目も応募者がいなかった。

1976年、ニューカッスル大学(University of Newcastle)は3回目の公募した。アラン・ウィリアムズ(Alan Williams、写真出典)1人が応募した。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(University of California at Los Angeles)の心理学の研究博士号(PhD)を持ち、1973年にニューカッスル大学・商学部・上級講師(米国の準教授相当)に就任したマイケル・スパウズ(Michael Spautz)は応募しなかった。

★博士論文

1975年(38歳)、アラン・ウィリアムズ(Alan Williams)は、ウエスタンオーストラリア大学(University of Western Australia)で研究博士号(PhD)を取得した。

博士論文は実質700頁で、タイトルは以下の通り。
“A study of the characteristics and performance of small business owner/managers in Western Australia.”
日本語訳:「西オーストラリア州の中小企業経営者の特性と実績に関する研究」

★マイケル・スパウズ(Michael Spautz)の盗博指摘

1977年初頭(40歳)、博士論文が有力な業績になって、アラン・ウィリアムズ(Alan Williams)はニューカッスル大学(University of Newcastle)の商学部・教授に選抜された。

商学分野では、他分野に比べ、発表論文が少ない。教授選任時点で、アラン・ウィリアムズの論文は、博士論文を含め数報しかなかったので、博士論文は重要な業績だった。

また、オーストラリア政府の商務省が、教授選考で遅れが出ないよう、応募者の中から選ぶようにプレッシャーをかけていた。なお、論文数は少ないとはいえ、この時、アラン・ウィリアムズは商学(中小企業経営)分野ではオーストラリアの代表的な学者だった。

1978年(41歳)、ニューカッスル大学・商学部・上級講師(米国の準教授相当)のマイケル・スパウズ(Michael Spautz)は、ウィリアムズがウェスタン・オーストラリア大学(University of Western Australia)に提出した博士論文に疑念を抱いた。なお、それまで2人の間に確執があったわけではない。教授選でもめたわけでもない。

スパウズ上級講師は当初、博士論文の問題点を2点あげた。

第1点は、ウィリアムズの統計値のもとになるデータが証明されていないことと、統計計算が不適切だったことだ。

第2点は、ウィリアムズは因果関係を混同していると主張した。ウィリアムズは、事業の失敗は感情的ストレスの結果であると主張しているが、結果ではなく原因である、とスパウズ上級講師は指摘した。

1979年5月(42歳)、スパウズ上級講師は博士論文の別の点を批判した。

ウィリアムズの博士論文には引用せずに使用している二次資料が多量にあり、盗博だと主張したのだ。

盗博者は商学部教授にふさわしくないので、辞職しなければ、公表すると、ウィリアムズ教授に伝えた。この博士論文は、ニューカッスル大学での教授選考に重要な役割を果たしていたので、スパウズの指摘は大学にとっても非常に深刻な問題だった。

しかし、ウィリアムズ教授は辞職しなかった。

★コクハラ

1979年10月(42歳)、スパウズの指摘を受け、ニューカッスル大学評議会は 、ミック・カーター(Mick  Carter)を委員長とし、3名の委員からなる調査委員会を設置した。

しかし、カーター委員会は、ウィリアムズの博士論文に対するスパウズ上級講師の主張を真剣に検討せず、博士論文の批判を告発したスパウズ上級講師の行動を問題視したのである。

というのは、スパウズ上級講師のウィリアムズ教授への批判は激しく、例えば、ウィリアムズ教授が講義している教室の外から、「学生たちよ、教室を出なさい! 時間の無駄だから授業を聞くな!」と、学生に向かって叫んだりしたのである。

ニューカッスル大学評議会は、調査委員会の報告(機密扱い)を受け、スパウズ上級講師にウィリアムズ教授への批判をやめるよう命じた。

スパウズ上級講師は、大学評議会はネカト問題をもみ消し、口封じしようとしていると解釈した。

スパウズ上級講師は、口をつぐむ代わりに、問題点の覚え書きをドン・ジョージ学長(Vice-Chancellor Professor Don George)とジャスティス・カービー副学長(Deputy Vice-Chancellor Mr Justice Michael Kirby)に送付して、キャンペーンを拡大した。

1980年2月(43歳)、ニューカッスル大学評議会は別の委員会を立ち上げました。

今回は、ジャスティス・カービー副学長が委員長で他の3人が委員に就任した。しかし、前回と同じように、 カービー委員会もウィリアムズの博士論文ではなく、スパウズ上級講師の行動に焦点を当てたのである。

1980年5月20日(43歳)、カービー委員会は「スパウズ上級講師は大学評議会の指示に従わなかった」と大学評議会に報告し、その日、大学評議会はスパウズ上級講師を3日後に解任すると決議したのである。

スパウズ上級講師はテニュア(終身雇用資格)を持つ教員である。その教員に十分な抗告・弁明の機会を与えないで解雇したのは、とても深刻である。

★法的措置

1980年(43歳)、スパウズは解雇された後、ニューカッスル大学に対する法的措置を開始した。

スパウズは大学教員協会や他のグループからの支援なしに、自分で裁判所に訴えた。つまり、ウィリアムズ教授、ジョージ学長、カービー副学長を含むニューカッスル大学の管理者を刑事上の名誉毀損で訴えた。経費は、政府資金の支援(Legal Aid)を受けた。

裁判所の審理はとてもゆっくりだった。

1983年(46歳)、裁判所はゆっくりとしか対応しないのだが、スパウズに5000豪ドル(約50万円)のコストを要求した。スパウズは支払いを拒否したので、罰として200日の懲役刑に処せられた。

その後、裁判官は間違ってスパウズを投獄したと裁定し、56日間目に刑務所から解放した。オーストラリアでは、通常の名誉毀損訴訟では、費用を払わないと投獄される。しかし、刑事上の名誉毀損の訴訟では費用の要求は禁じられていた。そのことを、 裁判官は間違ったのだ。

スパウズは不正に投獄されたことも、訴訟にした。

1991年、ニューサウスウェールズ州最高裁判所(NSW Supreme Court)のジャスティス・ロルフェ裁判長(Justice Rolfe)、はスパウズの不当解雇・名誉棄損の訴えを退けた。スパウズは敗訴したのである。

1994年(57歳)、ウィリアムズはニューカッスル大学を辞職した。

1996年12月、スパウズが不正に投獄されたことは認められ、損害賠償として75,000豪ドル(約750万円)の損害賠償金が支払われた。

★盗用解析

博士論文は実質700頁で、タイトルは「A study of the characteristics and performance of small business owner/managers in Western Australia」
日本語訳「西オーストラリア州の中小企業経営者の特性と実績に関する研究」

盗用解析した紙の文書はあったのかもしれない。あるいは、1980年頃は、定量的な盗用解析を証拠として公表することは定番ではなかったのかもしれない。

しかし、ウェブで入手できる情報を見る限り、盗用解析はされていない。それで、白楽には、盗用ページ率も盗用文字率もわかりません。

●6.【論文数と撤回論文】

アラン・ウィリアムズ(Alan John Williams)の出版論文を検索すると、11論文がヒットした。
→ Search Results | National Library of Australia

1975年の博士論文「A study of the characteristics and performance of small business owner/managers in Western Australia」が最古の論文としてヒットしたので、ヒョットとすると、この博士論文が最初の論文で、しかもこの論文1報で、ニューカッスル大学・教授に採用されたのかもしれない。

イヤイヤ、文献を探ると、この時点で数報の論文を発表していたとある。

それにしても、数報で教授とは、ウ~ン、商学の学者はユルスギですね。

撤回論文はない。

●7.【白楽の感想】

《1》罰する相手

大学は盗用した教員を罰せず、盗用と指摘した教員を罰した。

約40年前のオーストラリアの盗博事件だが、現在の日本でも、相変わらず、大学は不正者をかばい、正しい行ないをした人にひどい仕打ちをする。

こんなことをしていたら、日本はよくなりません。

この構図はどうすると改革できるのだろう?

少なくとも、ここを読んでいる日本の大学上層部のアナタ、大学事務局のアナタ、こういう馬鹿なことを二度としないでもらいたい。

標語:「ネカト者はクビ!」

《2》絶滅危惧事件

約40年前のオーストラリアの盗博事件である。このウィリアムズ事件を最初に記述したのがウーロンゴン大学(University of Wollongong)・名誉教授のブライアン・マーチン(Brian Martin、(保存版)、写真出典同)である。

白楽は、1995年秋から翌年の春までの5か月間、オーストラリアのウーロンゴン大学(University of Wollongong)・研究政策センターに滞在した。当時、ブライアン・マーチンの研究活動を知っていた。キャンパスの職員用レストランでマーチンを見たと思うが、話はしていない。

その後も、ブライアン・マーチンの研究活動に触れる機会があった。そのブライアン・マーチンがウィリアムズ事件を記述していた。

ブライアン・マーチンが書かなければ、オーストラリアでさえも、こういう事件があったことを忘れてしまう。誰かが記録に残さないと消えてしまう。

本ブログで白楽は、「日本のネカト事件」を記録していない。日本人なら日本語で情報を得られるからだ。しかし、日本のネカト事件も誰かが記録に残さないと消えてしまう。

どなたか・・・。

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●8.【主要情報源】

①  2002年のジョン・ビッグス(John Biggs): “The University of Newcastle: prelude to Dawkins” in John Biggs and Richard Davis (eds), The Subversion of Australian Universities (Wollongong: Fund for Intellectual Dissent, 2002).
www.bmartin.cc/dissent/documents/sau/sau09rev.pdf、(保存版
② 1989年のブライアン・マーチン(Brian Martin)の論文、” Fraud and Australian academics ” Published in Thought and Action (The NEA Higher Education Journal), Vol. 5, No. 2, Fall 1989, pp. 95-102. This is the text as submitted. The published version was edited extensively.:Fraud and Australian academics、(保存版
③ 1983年7月のブライアン・マーチン(Brian Martin)の論文。論文は9回も掲載拒否され10回目で出版された。 ” Plagiarism, incompetence and responsibility: a case study in the academic ethos “:Plagiarism, incompetence and responsibility: a case study in the academic ethos、(保存版
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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