2015年6月25日掲載、2026年5月26日(火)更新
【長文注意】。スターペルはティルブルフ大学・教授・学部長で世界的に有名なスーパースター研究者だった。ところが、アムステルダム大学・院生の頃から、1996~2011年(29 ~44歳)の16年間、データを捏造して論文を出版していた。2011年(44歳)、指導下の院生がデータ捏造を見つけ、学科長に告発し、フィリップ・エイジランダー学長(Philip Eijlander)が適切に対処した。事件は、オランダのトップニュースとなり、数か月にわたってメディアが連日報道した。スターペルは解雇され、学術界から排除された。大学の対処は模範的で調査報告書は公表されている。
58論文が撤回され、2026年5月25日現在、「撤回論文数」世界ランキングの第8位(番号は10番)である。スターペル事件は、「「The Scientist」誌の科学トップ・スキャンダル」の2011年・第1位、全期間ネカト世界ランキングでも数回ランクされたネカト史上有名な事件である。国民の損害額(推定)は5億円(大雑把)。
この事件は、白楽指定の重要ネカト事件。①「撤回論文数」世界ランキングの第8位の事件。②大学の対処が模範的で、調査報告書が公表され、事件の詳細が把握できる。③スターペル自身が、著書、動画、メディアのインタビュー、講演(TEDxなど)で、自身の研究不正経験を語っている。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.導入
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.発覚・調査の経緯
《1》人生
《2》不正発覚と調査
《3》事件のその後
《4》スターペル自身が語る「どうして?」と「どのように?」
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想(含・AI川柳、AI講談)
9.主要情報源
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●1.【導入】
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel、写真出典)は、オランダのティルブルフ大学(Tilburg University)・教授で、専門は社会心理学である。その学説は、「肉好きの人間は自己中心的である」という類いの世間受けする学説だった。
ネイチャー誌の「今年の10人(Nature’s 10)」は、その年、学術界で最も重要な役割を果たした世界の10人を選んでいるが、スターペルは2011年に選ばれた。それほど著名な研究者だった。
「Times Higher Education」の2014~2015年大学ランキングでは、ティルブルフ大学はオランダ第13位、欧州第276~300位の大学だった(World University Rankings 2014-15: Europe – Times Higher Education)。
ティルブルフ大学(Tilburg University)。写真出典
- 国:オランダ
- 成長国:オランダ
- 研究博士号(PhD)取得:オランダのアムステルダム大学(University of Amsterdam)
- 男女:男性
- 生年月日:1966年10月19日
- 現在の年齢:59歳
- 分野:社会心理学
- 不正論文発表期間:1996~2011年(29 ~44歳)の16年間
- 不正論文発表時地位:アムステルダム大学・院生、フローニンゲン大学・教授、ティルブルフ大学・正教授、ティルブルフ大学・学部長
- 発覚年:2011年(44歳)
- 発覚時地位:ティルブルフ大学・教授、学部長
- ステップ1(発覚):指導下の院生(匿名)が学科長に通報
- ステップ2(メディア):「撤回監視(Retraction Watch)」、「ニューヨーク・タイムズ」、「Science」、多数(特にオランダ)のメディア
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①ティルブルフ大学・フローニンゲン大学・アムステルダム大学の3大学合同調査委員会。2011年10月31日~2012年11月28日
- 大学・調査報告書のウェブ上での公表:あり。 → Flawed science: The fraudulent research practices of social psychologist Diederik Stapel
- 大学の透明性:調査報告書(調査委員名あり)がウェブ閲覧可(◎)
- 不正:捏造
- 不正論文数:58論文が撤回
- 時期:研究キャリアの初期・中期
- 職:事件後に解雇(Ⅹ)
- 処分:解雇、研究博士号(PhD)返却
- 対処問題:
- 特徴:①多数論文撤回者(「撤回論文数」世界ランキングの第8位)、②世界的に著名な研究者、③ネカトした状況を自分で詳細に説明
- 日本人の弟子・友人:不明
【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は5億円(大雑把)。
●2.【経歴と経過】
- 1966年10月19日:オランダのウフストヘーストで生まれる
- 1991年(24歳):アムステルダム大学(University of Amsterdam)で文学修士号取得:心理学とコミュニケーション
- 1996~2011年(29 ~44歳):この16年間に出版した58論文が後に撤回された
- 1997年(30歳):アムステルダム大学(University of Amsterdam)で研究博士号(PhD)を取得:社会心理学
- 1997年(30歳):高校時代のクラスメートだったマルセル・ヘンドリックス(Marcelle Hendrickx)と結婚
- 1997~2000年(30~33歳):オランダ王立芸術科学アカデミー・研究員(a fellow of the Royal Netherlands Academy of Arts and Sciences)としてアムステルダム大学で研究
- 2000年(33歳):フローニンゲン大学(University of Groningen)・教授
- 2006年9月1日(39歳):ティルブルフ大学(Tilburg University)・正教授に移籍。TiBER(Tilburg Institute for Behavioral Economics Research)創設
- 2010年9月1日(43歳):ティルブルフ大学・社会行動科学部・学部長
- 2011年8月(44歳):データねつ造・改ざんが発覚
- 2011年9月7日(44歳):ティルブルフ大学から停職処分
- 2011年9月xx日(44歳):ティルブルフ大学から解雇
- 2011年11月(45歳):アムステルダム大学に博士号を自主的返上
- 2011年12月(45歳):ネイチャー誌の「今年の10人(Nature’s 10)」に選ばれる
- 2012年11月(46歳):自伝『Ontsporing(脱線)』を出版。なぜ自分がデータを捏造するに至ったかの心理的背景を書いている。その後、メディアのインタビューや講演(TEDxなど)で、反面教師として、自身の研究不正経験を語っている
- 2013年6月(46歳):検察官との和解で、120時間の社会奉仕活動を行なうこと、福利厚生の受ける権利の一部を失うことに同意
- 2014年10月(48歳): Fontys Academy for Creative Industries in Tilburgで社会哲学の講義を始めた。短期間で退職(推定)
- 2016年(49歳)頃: ブレダの観光運輸大学(College of Tourism and Transport in Breda (NHTV))に就職したが、1週間で退職:No academic post for fraudster Diederik Stapel, after all – Retraction Watch
- 2016年(49歳)頃:オランダの依存症治療クリニック「Rodersana」で、心理学の知識を活かした臨床的な仕事に就いたが、短期間で退職(推定):Diederik Stapel werkt bij verslavingsinstelling Oirschot | Oirschot | bd.nl
- 2026年5月25日(59歳)現在:教育職・学者としての定職についていない(推定)
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel、写真出典不明)
●3.【動画】
【動画1】
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)が自分の研究ネカトを語る「Diederik Stapel on the BrainTrain — What I Lost And The Importance Of Being Connected」、(英語)14分9秒
TEDxMaastricht(チャンネル登録者数 875人)が2013/09/10 に公開
【動画2】
説明動画:「Why Science Fraud Goes Deeper Than the Stanford Scandal… – YouTube」(英語)14分53秒。SocialNeuro(チャンネル登録者数 1.77万人) が2023/08/03に公開
●4.【日本語の解説】
★2011年11月5日:著者名不記載(?)(スラド サイエンス):オランダの有名な社会心理学者、長期間にわたるデータねつ造を認める
オランダのティルブルフ大学は、社会心理学者・ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)元教授のデータねつ造疑惑に関する報告書を発表した(Science Insiderの記事、 Reutersの記事、 本家)。
データねつ造疑惑が持ち上がったのは2011年の8月。研究者3名による告発を受けて調査を開始した大学に対し、データねつ造を認めたスターペル氏は2011年9月7日に停職処分となっていた。大学側がスターペル氏の元勤務先であるアムステルダム大学およびフローニンゲン大学にも問い合わせを行い、150報以上の論文を調査した結果、データのねつ造は過去10年近くにわたり繰り返し行なわれていたことが判明した。ねつ造されたデータは、2011年4月にScience誌で発表された「Coping with Chaos: How Disordered Contexts Promote Stereotyping and Discrimination」を含む30報以上の論文で見つかったという。スターペル氏は、「科学者として道を踏み外してしまった」などとする謝罪文をオランダのBrabants Dagblad紙に発表している。
続きは、原典をお読みください。
★2011年11月5日:ヤン・マグナス(Jan R. Magnus、アムステルダム自由大学)、生藤昌子・訳(Masako Ikefuji、大阪大学):フィールド・アイ Field Eye:アムステルダムから―②
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)のケース
研究活動における最も有名な不正行為は,社会心理学者であり,ティルブルグ大学社会科学部教授であったディーデリク・スターペルのケースである。2011年にこの事件が起きた時,私は彼と異なる学部のエコノメトリクスの教授であったが,同じ大学だったので,その後について内部事情を知ることができた。
スターペルは Science や他の一流学術誌に数多くの業績を発表している,我々のスター科学者の一人であった。彼は市民が一般的に考えそうな仮説を実証的に証明することができた(後に証明は偽りであることが明らかになったが),心理学の“人気者”(“goldenboy”)だった。例えば,彼はベジタリアンがある精神的特徴を持っていると考えた。ベジタリアンは親切で話し方が穏やかで,路上でも老婦人を助けてあげる,などなど,一方,そうでないミートイーターは大きな声で話し,下品で信用できない,という仮説である。
続きは、原典をお読みください。
★2024年2月4日:スチュアート・リッチー 矢羽野薫(ダイヤモンド・オンライン):『サイエンス』に掲載された世界的な「科学的詐欺」その衝撃のデータ捏造法とは? ――あなたが知らない科学の真実
『サイエンス』に掲載、世界のメディアをにぎわせた数十本の論文
ある日、科学の慣行に憂慮すべき問題を提起する出来事が明らかになった。
(『ネイチャー』に続いて)世界で最も権威ある科学誌の1つとされる『サイエンス』に、オランダのティルブルフ大学の社会心理学者ディーデリク・スターペルの論文が掲載された。タイトルは「混沌との闘い」。実験室と街頭でおこなわれたいくつかの研究から、より散らかった環境や汚れた環境では、人はより多くの偏見を示し、より多くの人種的ステレオタイプを支持することがわかったという。
これを含むスターペルが執筆した数十本の論文は、世界中のメディアをにぎわせた。
『ネイチャー』のニュース配信サービスは「混沌はステレオタイプ化を促進する」と報じ、『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙は「ゴミあるところ人種差別あり」とうそぶいた。
この結果はスターペル自身も書いているように、「明確な政策的意味合い」を持つわかりやすい知見を示すという、社会心理学の典型的な例でもある。この場合は「環境に起因する障害を早期に診断し、直ちに介入する」という提言だった。
ただ問題は、「事実が何ひとつなかった」ことだ。
続きは、原典をお読みください。
●5.【発覚・調査の経緯】
《1》人生
★研究人生
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel、写真出典)は、オランダのティルブルフ大学(Tilburg University)・教授で、専門は社会心理学である。
オランダ国内だけでなく、世界的に著名な学者で、人間の態度や行動に関する評価の高い複数の論文を出版していた。
その学説は、「肉好きの人間は自己中心的である」という類いの世間受けする学説だった。
約20人の博士院生を育て、人間の態度や行動に関する数々の評価の高い研究論文を出版していた有力な教授だった。
2011年12月(45歳)、ネカトが発覚3か月後だが、その年、スターペルは、ネイチャー誌の「今年の10人(Nature’s 10)」に選ばれた。「今年の10人(Nature’s 10)」は、その年、学術界で最も重要な役割を果たした世界の10人である。つまり、スターペルは、当時、世界的に著名な研究者だった。
スターペルの実験は失敗しない、データは美しい、論文内容は素晴らしい。
むしろ、あまりに失敗しない実験、あまりに美し過ぎるデータのため、スターペルはデータをねつ造・改ざんしている、と薄々疑う研究者もいた。
そして、2011年9月初旬(44歳)、ネカトが発覚した。
スターペル事件はオランダだけでなく、世界の大事件になった(右写真はTrouw (オランダの全国紙)の2013年8月24日記事、出典不明)。
2013年のニューヨーク・タイムズ記事は、スターペルを「学術界最大の詐欺師(the biggest con man in academic science)」と呼んだ。
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)(写真出典)
★私的人生
スターペルは、土木技師である父・ロブ(Rob)と母・ディルクジェ(Dirkje)の家庭に4人兄弟の末っ子として生まれ・育った。
父・ロブはスキポール空港の上級管理職を務めていた。父の仕事への献身的な姿勢を学んで、スターペルは、人は仕事で成し遂げたことで評価されるという考えを持って育った。
高校時代、スターペルは学業とスポーツの両方に秀で、劇の脚本を書き、出演もした。後に妻となる俳優仲間のマルセル・ヘンドリックス(Marcelle Hendrickx)とも出会った。
高校卒業後、スターペルは米国のペンシルベニア州のイースト・ストラスバーグ大学(East Stroudsburg University)で短期間、演技を学んだが、演技の才能なしと判断してオランダに戻り、xx大学で心理学の学士号を取得した。
2011年9月初旬(44歳)の事件発覚時、スターペルは妻と2人の娘と共に、オランダ南部の人口20万人の静かな都市ティルブルフの、木々が立ち並ぶ絵のように美しい住宅街に住んでいた。
高校時代のクラスメートだった妻・マルセル・ヘンドリックス(Marcelle Hendrickx、写真出典)は、2014年5月にティルブルフ市議会議員になり、2024年1月までティルブルフ市副市長を務めた。 → Marcelle Hendrickx – Wikisage
夫のスターペル事件が発覚した2011年当時、妻・マルセルはオランダ南端部にある北ブラバント州(Noord-Brabant)の広報部長を務めていた(2007年2月~2012年12月)。
つまり、スターペルは、恵まれた家庭に生まれ育ち、研究不正していた1996~2011年(29 ~44歳)の16年間も、優しい妻と子供に囲まれ、幸福な生活を送っていた。過剰なストレスも精神的な歪みもなく育ち・生活し、豊かな人生だったと思われる。
《2》不正発覚と調査
★不正発覚とサイト削除
それまでスターペルの研究を紹介していた多くの研究者のサイトは、スターペルの研究ネカト事件が発覚すると、スターペルに関する箇所をバタバタと削除した。
サイトの執筆者は、スターペルの研究結果を称賛していたから、そのまま残しておくと、自分の眼力のなさが露呈してしまうと考えたようだ。
スターペルほどの著名学者なら、たくさんの称賛者がいたに違いない。しかし、ほぼ全部といってもいいほど削除された。
なお、当時の社会心理学という学問自体がいい加減だった。2012年12月8日、欧州社会心理学会(European Association of Social Psychology)がスターペル事件に関して出した声明も間が抜けている。 → 2012年12月8日:Dear friends and colleagues
右がディーデリク・スターペル(Diederik Stapel、写真出典)
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel、写真出典不明)
★不正発覚の端緒:その1、院生の違和感
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel) は、2000年(33歳)にフローニンゲン大学(University of Groningen)・教授に就任し、6年後の2006年9月1日(39歳)、ティルブルフ大学(Tilburg University)・正教授に移籍した。
当時、両大学でのスターペルの研究活動に研究不正(ネカト)があるという噂がつきまとっていた。
しかし、ネカト調査に至るほどの疑念ではなかった。
スターペルの研究スタイルは、院生のために自らデータを収集するという異例なスタイルだったが、このスタイルが問題視されたわけではない。
しかし、2010年の春(43歳)、指導下の院生の1人(男性、姓名不記載)は、スターペルが彼のために行なった3つの実験で得たデータに違和感を抱いた。
それで、院生はスターペルに生データの提供を求めた。すると、スターペルは「データはもう持っていない」と答えた。
その年(2010年)の9月(43歳)、スターペルはティルブルフ大学・学部長に就任した。
★不正発覚の端緒:その2、若い教授A
スターペルが学部長に就任して間もなく、その院生は大学の体育館で若い教授A(姓名不記載)にネカト疑惑を相談した。
若い教授Aは、最近、ティルブルフ大学に採用されたばかりだった。
若い教授Aは、スターペル研究室のミーティングに出席し、ミーティングで示されたスターペル研究室のデータが非常に美しいことに驚いた。
後に事件が明白になった時、若い教授Aは「スターペル研究室の研究計画が失敗したのを見たことがない。これは非常に珍しいことだ。どんなに優秀な研究者でも、研究には失敗が伴う。たいていは、研究の半分が失敗する」と述べている。
さて、ミーティングに出席した若い教授Aは、スターペルの研究手法を詳しく知りたいと考え、スターペルに「金融危機への認識と寛大さの間の相関関係」を共同研究しないかと提案した。
スターペルは共同研究を了承した。
そして、2011年2月初旬(44歳)、スターペルは、共同研究の結果が得られた。「すべてうまくいった」と若い教授Aに伝えた。
若い教授Aは、スターペルからデータを受け取った。
しかし、受け取ったデータを精査していくと、驚いたことに、いくつもの異常な点が見つかった。
この時、ネカト「疑惑」が「確信」に変わった。
★その3:ズィーレンベルク学科長に報告
2011年春(44歳)、丁度その頃、スターペル研究室のもう1人の院生(女性、姓名不記載)は、スターペルが研究室の院生やポスドクに提供した多数のデータセットを精査し、多数の疑惑点を見つけた。
決定的なのは、スターペルのデータセットに、ほぼ同じデータ群を見つけたことだった。データのコピペは明らかだった。
2人の院生(前述の男性と女性)は相談し、この件を学科長のマルセル・ズィーレンベルク(Marcel Zeelenberg、写真出典、この動画ではマ「ク」セル・ズィーレンベルクと紹介していた)に報告することにした。
しかし、ズィーレンベルク学科長はスターペルの長年の親友である。
ズィーレンベルク学科長は 1990年代にアムステルダム大学の院生としてスターペルと共に心理学を学んだ同級生だ。それ以来だから20年来、スターペルの親友だった。
しかも、数年前、ズィーレンベルク学科長が離婚で苦しんだ時、スターペルがズィーレンベルクを支えていた。
2人の院生は、スターペルのネカト疑惑をズィーレンベルク学科長に報告すると、ズィーレンベルク学科長はスターペルを擁護し、自分たちを非難・排斥するだろうと憶測した。
そこで、2人の院生は2段階の攻略法を考えた。
まず、最初の段階で、ある教授がデータを捏造しているという架空疑惑のシナリオを作り、架空であることを伏せて、ズィーレンベルク学科長に、この場合、どう対処すべきかと尋ねた。
さすが、心理学専攻の院生である。
ズィーレンベルク学科長の返答は「もしこの疑惑が本当なら、そいつを一番高い木に吊るすべきだ(Hang them from the highest tree)」(つまり、犯罪者や裏切り者を公衆の面前で厳しく処罰・糾弾する)というものだった。
攻略法の2段階目は次のようだ。
夏休みの後半、ズィーレンベルク学科長は英国・ロンドンの学術集会に出席する予定だった。2人の院生は、その学術集会まで待った。
その学術集会に院生も出席し、ズィーレンベルク学科長に真実を話す計画を組んだ。
「ズィーレンベルク学科長が怒ってすぐにスターペルのところへ行ってしまうことがないように、オランダから離れた英国・ロンドンの学術集会で彼に伝えることにしたんだ」と院生は述べている。
さすが、心理学専攻の院生である(アゲイン)。
そして、実行した。
★その4:詰問
2011年の夏が終わる頃、学術集会が終わり、英国・ロンドンからオランダのティルブルフに戻ったその日、ズィーレンベルク学科長は、夜になっていたが、同僚で親友のスターペルに電話とメールで、緊急の用なので、可能なら今夜にでも会いたいと伝えた。
44歳のスターペルは、真夜中近くだったが、ティルブルフの優雅なレンガ造りの自宅から、近所に住む友人のズィーレンベルク学科長の自宅を訪ねた。
頭を剃ったがっしりとした体格の同僚で親友のズィーレンベルク学科長は、スターペルを居間に案内した。
「何だい。どうしたんだ?」と、スターペルはソファに腰を下ろしながら尋ねた。
院生2人から告発されたのだとズィーレンベルク学科長は切り出した。
「彼らは君が研究不正を働いていると疑っているんだ」。
ズィーレンベルク学科長の目には涙が浮かび始めた。
スターペルは、「高い木は風をたくさん受ける(The tallest tree catches the most wind)」というオランダのことわざを口にし、自分が学部長として始めた改革のせいで、敵に狙われているのだと答えた。
ズィーレンベルク学科長は、「異なる研究で得られた数値データがなぜ同じなのか?」と、スターペルに説明を求めた。
スターペルは動揺した様子だったが、「今後はもっと注意するよ」と答えた。
ズィーレンベルク学科長がさらに問い詰めると、スターペルはますます動揺し、言葉も態度も異様になっていった。
ズィーレンベルク学科長の最後は単刀直入で、「あなたはデータを捏造していたのか?」と詰問した。
スターペルは「ば、ば、馬鹿なことをいうな。もちろんしてないよ」と狂ったように反応した。
★その5:学長の対応
翌・2011年8月26日(金曜日)(44歳)、ズィーレンベルク学科長は、スターペルとよくテニスをしていたティルブルフ大学のフィリップ・エイジランダー学長(Philip Eijlander、専門は法学、写真出典)に、スターペルのネカト疑惑を伝えた。
翌・2011年8月27日(土曜日)、エイジランダー学長は、スターペルの捏造疑惑を通報してきた院生たちに直接会って話を聞いた。
翌・2011年8月28日(日曜日)、大学首脳部と短い会合を開いた後、エイランダー学長は火曜日(8月30日)の朝、スターペルを自宅に招いて、説明を求めた。
すると、スターペルは熱心に弁明し始め、学部長としての自身の業績を強調し、自分の研究手法は独特なため、誤解を招いたと主張した。会話は約5時間続いた。
エイランダー学長は丁寧にスターペルを玄関まで見送ったが、スターペルの無実を確信していないことをはっきり示した。
その日の夜、スターペルは、帰宅後、妻・マルセルにネカトしていたことを告白した。
★その6:大騒動
1週間後の2011年9月7日(水曜日)(44歳)、ティルブルフ大学はスターペルを停職処分とし、記者会見を開いて彼の不正行為を発表した。

このニュースはオランダでトップニュースとなり、数か月にわたって連日報道された(左記事出典、右記事出典はTrouw (オランダの全国紙)の2年後の2013年8月24日記事、出典不明)。
スターペルは、一夜にして(実際は約10日間)、世界的に著名で尊敬される偉大な教授から、学術界最大の詐欺師へと転落した。
2011年9月xx日(44歳)、ティルブルフ大学はスターペルを解雇した。
★その7:不正調査

2011年10月31日(45歳)、エイジランダー学長は、オランダの心理学の重鎮・ウィレム・レヴェルト(Willem J.M. Levelt、写真出典)を委員長とする調査委員会に、ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)の調査を託した。
2012年11月28日(46歳)、13か月後、ティルブルフ大学はA4一枚のプレスリリースを発表した。 → Press release UvT 28 November 2012
同じ日、レヴェルト委員長は、ティルブルフ大学・フローニンゲン大学・アムステルダム大学の3大学合同調査委員会代表してまとめた調査報告書を発表した(①Stapel Investigation、①になければ → Flawed science: The fraudulent research practices of social psychologist Diederik Stapel )。
調査委員会は、スターペルが発表した137報の論文をすべて調べ、80 人以上の人々に事件についてインタビューをした。
3つの委員会のうち2つは、スターペル本人にも直接話を聞いた。
そして、スターペルが指導した院生たちの55報の共著論文と10本の博士論文に、データ捏造・改ざんがあったと結論した。
また、研究不正行為があったと断定できなかった別の10 報の論文に、p 値や参加者数の記載に “誤り” があるなど、「不正行為の証拠」があったとした。
調査報告書に記載されているように、エイジランダー学長は、最初から調査結果を公開にすると決めていたことと、ウィレム・レヴェルトの調査が優れていたことで、事件全体は理解しやすい。
以下は2012年11月28日の調査報告書の英語訳版の冒頭部分(出典:同)。白楽は一部読んだだけ。全文(104ページ) → https://www.tilburguniversity.edu/sites/default/files/download/Final%20report%20Flawed%20Science_2.pdf

調査報告書は以下の文章から始まっている。白楽は、調査姿勢が素晴らしいと思う。少し長いけど、引用した。
2011年9月初旬にティルブルフで発覚したディーデリク・スターペルによる研究不正は、オランダ国内はもとより国際的な学術界に衝撃を与えた。
結局のところ、信頼はあらゆる科学の基盤である。スターペルのケースのように、その信頼が著しく損なわれると、科学の根幹そのものが揺らぐことになる。
科学が本来持つとされる自己浄化力は、このような重大な研究公正の侵害に対処する上で、本当に十分な力を持っているのだろうか?
ティルブルフ大学のエイジランダー学長は、当初から、全面的な情報公開を決断していた。
彼は調査委員会であるレヴェルト委員会を設置し、不正行為の性質と範囲を明らかにし、このような不正行為が長期間にわたって継続することを許した研究文化を検証するよう命じた。
この調査において、ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)の過去の勤務先、すなわちアムステルダム大学(1993年から1999年まで在籍し、1997年に博士号を取得)とフローニンゲン大学(2000年から2006年まで正教授を務めた)を調査対象に含めなければ、全体像は明らかになり得ない。
3つの大学間の協議を経て、アムステルダム大学にドレンス委員会(Drenth Committee)、フローニンゲン大学にノールト委員会(Noort Committee)を設置した。調査報告書では、これら3つの委員会が共同で調査結果を発表した。
不正が最初に発覚した際、被害者への被害を最小限に抑えることが喫緊の課題だった。
特に、スターペルの元博士院生やポスドク研究員にとっては、彼らの論文が突然無価値になってしまったため、その影響は深刻だった。
2011年10月下旬に公表された中間報告書において、委員会は被害の程度を報告し、これらの著者や共著者はいずれもスターペルの不正行為の共犯者ではなかったと結論付けた。報告書はまた、不正の性質と、それが行なわれた研究文化についても概説した。この中間報告書は直ちに公表された。
《3》事件のその後
スターペル(写真出典)は2011年にネカトが発覚し大学を解雇されたが、失ったものは大学教授の職だけではなかった。
2009年に実験社会心理学会(Society of Experimental Social Psychology)から授与された賞・「Career Trajectory Award」は取り消された。 → SESP
2011年11月(45歳)、博士として無責任な行為をしたと反省し、スターペルはアムステルダム大学に研究博士号(PhD)を自主的に返却した。なお、「自主的に研究博士号(PhD)を返却」しなければ、アムステルダム大学から剥奪されただろう。
私生活でも、事件を知った妻・マルセルに「あなたは私たちが築き上げてきた全てを台無しにした」と激怒された。
事件発覚当時の2011年、妻・マルセルはオランダ南端部にある北ブラバント州(Noord-Brabant)の広報部長を務めていた(2007年2月~2012年12月)。
ただ、妻・マルセルはスターペルを「父親として、私の夫として、私の親友として、彼の両親の息子として、彼の友人の友人として、社会の一員である人間として、夫のスターペルは本当に素晴らしい人間である。ただ、唯一、科学研究と組み合わせた時だけが問題だった」と述べている。
そして、「数年間、私は家事をしたり、パンケーキを焼いたり、子供たちの生活が滞りなく続くように尽力する」と、妻・マルセルは、事件後の夫・スターペルと家族を支えた。3年後の2014年、事件が落ち着いた頃、妻・マルセルはティルブルフ市の市議会議員に就任した。 → 2024年12月18日記事: Wethouder Marcelle Hendrickx is niet meer alleen de vrouw van…..
また、スターペルは、事件発覚の翌年・2012年11月(46歳)、事件の概要を自分で執筆し、自伝『Ontsporing(脱線)』(オランダ語の書名。カッコ内は日本語訳、表紙出典はグーグル)を出版した。
研究不正してきた自分に正面から向き合う研究者は珍しい。
多くの人は、学術界や高等教育界でのスターペルの再起はあり得ないと思っていたが、2014年10月(48歳)、スターペルは Fontys Academy for Creative Industries in Tilburgで社会哲学の講義をし始めた(Diederik Stapel’s Audacious Academic Fraud – NYTimes.com)。
人間は10人10色、捨てる神あれば拾う神あり。社会は多様だ。
と書いたが、上記の職・仕事を含め、事件後、教育者・学者としての職・仕事は、どれも短期間で終わっている。これだけ有名な大事件だと、反対者・批判者が必ず出てくる、というわけだ。
妻と家族は支えてくれたが、学術界も一般社会もスターペルを支えてくれなかった。
《4》スターペル自身が語る「どうして?」と「どのように?」
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)は、事件発覚後、著書、動画、メディアのインタビュー、講演(TEDxなど)で、自身の研究不正の経験を、反面教師として語っている。
ーー例えば、その1ーー
2024年2月4日の「『サイエンス』に掲載された世界的な「科学的詐欺」その衝撃のデータ捏造法とは? 」は、スターペルがどのようにデータを捏造したかを書いている。
スターペルは後に自叙伝で、研究のためのデータを集める代わりに、夜遅くまでオフィスやキッチンのテーブルに座って、自分が想像する結果に必要な数字をスプレッドシートに入力し、ゼロからすべてをつくり上げたと告白している。
「私はとんでもないことを、おそらく非常に不快なことをした」「研究データを捏造し、ありもしない研究を捏造した。私が1人でやったことで、自分が何をしているのか、よくわかっていた。何も感じなかった。嫌悪も、恥も、後悔もなかった」。
彼の科学的詐欺は驚くほど精巧だった。「研究をおこなった学校、実験について話し合った教師、私がおこなった講義、提供した社会科の授業、実験の参加者にお礼として配ったプレゼント、すべて私がでっち上げた」
ーー例えば、その2ーー
2013年4月26日のユディジット・バタキャルジー(Yudhijit Bhattacharjee)の「ニューヨーク・タイムズ」記事:Diederik Stapel’s Audacious Academic Fraud – The New York Times(保存版)から、以下を抽出した。
スターペルは、自分の不正行為が野心に駆られたものであることを否定しなかった。
しかし、野心だけではなかった。スターペルは社会心理学という学問が大好きだった。
ただ、素晴らしい研究をデザインしても、実験してみると、データは乱れ、複雑で、なかなか結論に至らない。その状況に苛立った。
魅力的な論文だと感じるような、センセーショナルな研究結果を捏造するに至った内面は、スターペルがもって生まれた優雅さと秩序への執着だった。
研究で求めたのは、真理の探究ではなく、美しさの追求だった。
研究初期の頃、つまり実際に実験データを収集していた頃、スターペルは複数の変数が複雑に入り組んだ論文を書いていた。
しかし、学術誌の編集者の反応からスターペルは、学術誌の編集者は簡潔で洗練された論文を好むことを学んだ。
それから間もなく、スターペルは簡潔で美しいデータの洗練された論文を書くようになった。
スターペルの研究過程を具体的に1つ示そう。
スターペルは学部生を被験者にした研究を計画した。グループAには魅力的な女性の顔写真を見せ、グループBには醜い女性の顔写真を見せた後、被験者に被験者自身の魅力度を評価するように求めた。
この研究での仮説は、無意識のうちに顔写真と被験者自身を比較し、魅力的な画像を見た被験者は、醜い画像を見た被験者よりも自分の魅力度を低く評価するだろうというものだった。
しかし、期待した結果は得られなかった。
研究を中止するか、やり直すかである。
しかし、すでに研究に多くの時間を費やしていた。
スターペルは、自分の仮説は正しいと信じていた。
期待した結果が得られないなら、期待した結果を作ればいいと、フローニンゲンの自宅で、期待した結果が得られる数字をノートパソコンに入力し、データセットを作ることにした。
無意識のうちに顔写真と被験者自身を比較した「効果」は、信憑性を持たせるため、小さくなければならない。最も成功した社会心理学実験でさえ、有意な結果がハッキリ得られることはめったにないからだ。
数値データを作って分析結果をだしたところ、当初は、「効果」が期待よりも大きく出てしまった。そこで彼は数値を調整し直した。
結局、実験して、実験結果の数値データから分析結果を出す流れではなく、逆の流れ、つまり、信憑性のある「効果」を先に作り、そこから数値データを作る(捏造する)流れが正解だと考えた。
数日間にわたって試行錯誤を繰り返し、ようやく適切な数値データを得ることができた。
スターペルは、この数値データと信憑性のある「効果」を研究結果として、学術誌に投稿し、「2004年の The Journal of Personality and Social Psychology」論文とした。
スターペルの学会や講演会でのプレゼンテーション(写真 by Marjolein van Diejen、出典)はユーモアがちりばめられ、洗練されていた。
彼は聴衆が望む「論理構造、美しいデータ、簡潔なストーリー」を提供した。
スターペルが長年にわたり捏造を続けられた鍵は、彼がその分野の学問を深く理解していたことにある。
「私は奇妙・奇抜な学説を唱えなかった。地球が平らであることを証明するために実験をしようなどとは一度も思ったことはありません。私は常に、学説が妥当であること、これまでの研究から導き出されるものであること、皆が待ち望んでいた社会心理学の一歩となる学説を創作しました。そして、その学説を支持する実験・研究をデザインし、巧妙に、慎重にデータを設定しました」。
スターペルは、該当テーマの研究論文を徹底的に読み込んだ。「そうすることで、信憑性があり、これが唯一論理的な結果であると主張できる」。
「誰もが斬新で創造的でセンセーショナルな研究結果を望みますが、同時に、その研究結果は真実の可能性が高いと思える蓋然性は必須です」。
「研究結果は全く新しい刺激的な発見だが、その研究結果はこれまでの知見からすると非常に蓋然性が高いと言える必要があります」と述べた。
ーー例えば、その3ーー
事件発覚の翌年・2012年11月(46歳)、ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)は、自伝『Ontsporing(脱線)』(オランダ語の書名と日本語訳)を出版した。
なぜ自分がデータを捏造するに至ったかの心理的背景、捏造の動機を書いている。
ただ、批評家から賛否両論の評価を受けた。
その上、オランダ国内では、本を出版した(つまり売った)ことで、不正行為から利益を得ようとしたと非難された。トンデモナイ悪者だと憤慨する人が多かった。
それで、出版後数日のうちに、スターペルの金儲けの機会を潰そうとする人々によって、PDF版がオンライン上に流出した。[白楽の感想:いやはや、どっちがトンデモナイ悪者?]
以下はニコラス・ブラウン(Nicholas J. L. Brown)の『Ontsporing(脱線)』英語訳PDF(「Faking Science: A True Story of Academic Fraud」)の冒頭部分(出典:同)。全文(224ページ)は白楽未読 → http://nick.brown.free.fr/stapel/
ーー例えば、その4ーー
デニー・ボースブーン(Denny Borsboom)と エリック=ジャン・ワーゲンメイカーズ(Eric-Jan Wagenmakers)の 2012年12月27日の論文で、スターペル自身が「どうして、ネカトしたのか?」に答えている(Derailed: The Rise and Fall of Diederik Stapel – Association for Psychological Science)。
私(スターペル)はフローニンゲン大学の優雅なオフィスで、パソコンを前に一人椅子に腰かけている。研究データを入力したファイルを開く。そのデータの数値「2」はどうも具合が悪い。数値「2」を「4」に変えた。
ヒョッとしてと思い、念のため、オフィスのドアを見たが、閉まっていて誰にも見つからなかった。
数値がたくさん並んだデータを統計分析ソフトにかけるため、マウスをカチッと鳴らした。「2」を「4」に変えた結果を見た時、世界は美しく調和がとれた状態になった。(ページ145)
最初は、論文の中のほんの少しのデータの見映えをよくしようと、いくつかの数値を少しだけ変える作業から始まった。
しかし、最後は、1つの論文のほぼ全部の数値データをねつ造するまでに至った。まるで、麻薬におぼれるようにねつ造・改ざんの麻薬におぼれていった。
研究不正の動機はいろいろあるとスターペルは認めているが、次のような心理状態だった。
「高評価の必要、野心、怠惰、ニヒリズム、権力への欲求、ステータスを失う心配、問題を解決したい欲望、一貫性、出版プレッシャー、傲慢、情緒的孤立、寂しさ、失望、ADD(注意力欠如障害)、解答中毒 」(ページ226)。
長年、スターペルのネカトが発覚しなかったのは、丁寧に、そして、慎重に数値を創作し、変更したからである。
私は、誰もが眠っている夜遅く、自宅でそれをすることを好んだ。
自分で自分用のお茶をたて、コンピュータをテーブルに置き、私の研究ノートをバッグから取り出し、研究プロジェクトのまだ真っ白な数値表に数値を記入していく。
但し、記入した数値を分析した結果、期待している「効果」がでてくる必要があった。
まず、私自身が想像したデータを3、4、6、7、8、4、5、3、5、6、7、8、5、4、3、3、2などと行から行へ次々と記入した。
数値を記入して、最初の分析をした。しばしば、この分析は私が期待していた「効果」を示さない。
データを記入した行に戻り、4、6、7、5、4、7、8、2、4、4、6、5、6、7、8、5、4と数値を変える。この数値の記入と変更を繰り返し、計画したすべての分析結果が、自分の期待していた「効果」をもたらすまで、繰り返した。(ページ167)
しかし、どんな犯罪も方法と動機だけでは成り立たない。そこには犯罪が可能となるチャンスが必要だ。
社会心理学の研究環境には研究をコントロールする体制が全くできていなかった。つまり、データ捏造のチャンスだらけだった。それで、データを捏造する誘惑に打ち勝つのが難しかった。
今まで誰も私の研究過程をチェックしたことがない。
彼らは、私を信頼していた。
私は、すべてのデータを自分自身で作ったのである。
あたかも、私の隣にクッキーが入った大きなジャーがあり、母はいない、鍵は掛かっていない。ジャーに蓋がない状況だった。
手を伸ばせばすぐ届く範囲に、甘いお菓子が一杯に詰まったクッキーの大きなジャーがあった。その場所で私は毎日、研究していた。
クッキーの大きなジャーの近くには誰もいなかったし、監視もチェックもされなかった。私がする必要なことのすべては、手を伸ばしてクッキーを取るだけだった。(ページ164)
ーー例えば、その5ーー
2013年、事件発覚の2年後、ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)は、TEDxでも、自分の研究ネカトを語っている(以下の動画)。
「Diederik Stapel on the BrainTrain — What I Lost And The Importance Of Being Connected」、(英語)14分9秒、TEDxMaastrichtが2013/09/10 に公開
●【研究不正の具体例】
上記したので、詳細は省略する。
出典:https://research.science.blog/2018/12/03/taking-apart-the-mind-of-the-con-man/
●6.【論文数と撤回論文とパブピア】
データベースに直接リンクしているので、記事閲覧時、リンク先の数値は、記事執筆時の以下の数値より増えている(ことがある)。
★パブメド(PubMed)
2026年5月25日現在、パブメド(PubMed)で、ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)の論文を「Diederik Stapel[Author]」で検索すると、2002年以降の論文がヒットするが、2002~2012年の11年間の37論文がヒットした。
パブメドは生命科学系論文データベースなので、スターペルの全論文はヒットしていない。
「Retracted Publication」のフィルターは削除されたが、特殊な方法で、パブメドの論文撤回リストを検索すると、2002~2011年の10年間の24論文が撤回されていた。
★撤回監視データベース
2026年5月25日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)を「Stapel, Diederik」で検索すると、1996~2011年の 58論文が撤回されていた。
★パブピア(PubPeer)
2026年5月25日現在、「パブピア(PubPeer)」では、ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)の論文のコメントを「authors: Stapel」で検索すると、76論文にコメントがあった。
●7.【白楽の感想】
《1》心理学に事件多発
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)のデータ捏造事件は、スターペル自身に問題があると思うが、心理学という学問自体にも問題があるように思われる(右写真はTrouw (オランダの全国紙)の2013年8月24日記事、リンク不明)。
心理学分野のねつ造・改ざん事件は、ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)が最初ではない。著名なハーバード大学教授のマーク・ハウザー(米)も、ねつ造・改ざんで辞職した。
そして、スターペル事件で何も学んでいないのか、その後、フランチェスカ・ジーノ(Francesca Gino)やダン・アリエリー(Dan Ariely)もネカトで糾弾された。
- 心理学:フランチェスカ・ジーノ(Francesca Gino)(米)
- 心理学:ダン・アリエリー(Dan Ariely)(米)
- 心理学:ニコラ・ゲギャン(Nicolas Guéguen)(仏)
- 社会心理学:イェンス・フェルスター(Jens Förster)(オランダ)
- 心理学:ハンス・アイゼンク(Hans Eysenck)(英)(ドイツ)
- 心理学:マーク・ハウザー(Marc D. Hauser)(米)
そして、統計的に心理学分野に事件は多く、増加傾向にある、と指摘されている。早急に、有効な手を打つべきだろう。 → 2015年3月5日の「Retraction Watch」記事:Psychology retractions have quadrupled since 1989: study
ウェブの情報を分析する限り、心理学の研究ネカトは生命科学の研究ネカトと同じである。研究分野による特性は、ほとんどない。従って、生命科学分野の基準や対策を心理学分野にも適用できるだろう。逆に、心理学分野の事件から生命科学分野での基準や対策を学ぶこともできるだろう。
心理学分野での改革の試みはいくつもある。
シミーン・ヴァジーア(Simine Vazire)は改革に熱心である。 → 7-83 研究の進め方と論文出版の大改革 | 白楽の研究者倫理
他の人もいる。 → 7-85 心理学でのデータねつ造と改革 | 白楽の研究者倫理
https://www.trouw.nl/nieuws/diederik-stapel-iedereen-heeft-recht-op-een-tweede-kans~bedeb0c1/
《2》人間は魅力的
スターペルは研究ネカトをした学者だが、写真、動画を眺め、彼に関する文章をたくさん読むにつれ、スターペルは理知的で、人間性が歪んでいない、人間は魅力的だと感じた。
こう書くと。「人間性が歪んでいたから、データ捏造したのだろうが!」と叱られそうで、矛盾しているが・・・。
トークも上手で、さすが世界的学者である。白楽はファンになった。
かつての教え子で、ユトレヒト応用科学大学(University of Applied Sciences in Utrecht)の研究者になったサスキア・シュヴィングハマー(Saskia Schwinghammer、写真出典)は、事件発覚3カ月後の2011年12月、スターペルの自宅を訪れた。
「彼女を含め院生たちには何の責任もない。私からデータを受け取る際、もっと慎重になるべきだったなどと感じる必要は全くない」、とスターペルは涙ながらに謝罪した。
シュヴィングハマーは「お会いできてよかったわ」と言いつつ、涙ぐみながら帰った。
それから1年後、シュヴィングハマー は、「善良な人が悪いことをすることもあるし、悪人が良いことをすることもある」と言い、スターペルは前者だと述べた。
「スターペルを許したが、スターペルの行為は許していない」。
なお、シュヴィングハマーは2026年5月25日現在、フローニンゲン大学医療センター(UMCG)の心理学者である。 → Saskia Schwinghammer (PhD) | LinkedIn
スターペルを持ち上げてきたが、タル・ヤルコニ(Tal Yarkoni)の同僚たちの圧倒的な意見は、「スターペルには人間として何か根本的な問題がある」そうだ。この意見が真っ当なんだろう。 → 7-179 出版や研究費獲得のプレッシャーで研究不正をするわけじゃない | 白楽の研究者倫理
《3》研究不正を防ぐ方法
ディーデリク・スターペル(Diederik Stapel)のデータ捏造を防ぐには、どうすればよかったか?
また、今後、同じような研究不正を起こさせないためにはどうすべきか?
スターペルの場合、研究不正が悪いことを十分に知っていた。だから、上手に隠した。
研究費を得るためとか論文を増やしたいとか、胡麻化してでも研究業績をあげなければならない状況ではなかった。温かい妻と2人の娘がいる家族に恵まれ、ストレスが高く社会を恨むような私生活を送っていたわけでもなかった。
彼は、学問の美しさに魅了された研究者だった。
こきで、少し話がズレる。
多くの人(イヤ、ほぼすべての人)は同意しないだろうが、ドラマ、小説、映画、演劇などは全部、人を騙す作り事・詐欺行為だ、と白楽は思う。
作家・俳優はプロの詐欺師である。文章作法や演技は人を騙す技術である。
そして、ほぼすべての人にとって、聞かされる話の内容は、「事実か虚偽か」よりも、「面白い(興奮、刺激的)か退屈か」が、ズット重要らしい。
ある意味、面白い(興奮、刺激的)話にすすんで騙される。多くの人は騙されるのが好きである。
「面白い(興奮、刺激的)」のを重視するのは、生物学的に脳の回路がそうなっている。しかし、「事実か虚偽か」は、組み込まれていない。ナゼ、そうなのか、白楽はわからない。後者の方が生物の生存には重要な気がするのだが・・・。
それで、騙す人、騙すことを職業にする人が生まれ、もてはやされる。
スターペルは研究ストーリーを創作し、ストーリーに合うデータを当てはめ、論文を作り上げる脚本家で、そのストーリーに矛盾・破綻がなく、美しく調和がとれ、人間の「面白い(興奮、刺激的)」感性に沿う完璧さがあれば、それに大きな満足感を得ていた。
そして、スターペルの論文を読む研究者とマスコミ記者は、そのストーリーの「面白さ(興奮、刺激的)」に深い感銘をうけた。
スターペルは、最初に、「美しく」「面白い(興奮、刺激的)」ジグソーパズルの全体図を作り、それを、適当に切り取ってたくさんのピース(実験データ)にしていた。
だから、ピース(実験データ)を並べれば、「美しく」「面白い(興奮、刺激的)」全体像(研究成果)になるのは当然である。
自我が形成される高校時代、学業とスポーツの両方で優秀だったスターペルは、劇の脚本を書き、出演もした。
スターペルは、高校卒業後、米国で短期間、演技を学んだ。
つまり、この脚本を書き、演技を学ぶ流れのスタイルを、研究論文に適用したのである。研究ストーリーを創作し、ストーリーに合うデータを当てはめ、論文を作り上げる脚本家だったのだ。
研究不正の行動原理を「個人と環境(含・システム)」とした時、スターペルの研究不正は個人的要因がとても大きい。「スターペルには人間として何か根本的な問題がある」のだ。
そして、「何か根本的な問題がある」個人の研究不正を防ぐのは、難しい。
現在の学術界で、スターペルの研究不正を防ぐ「特定の方法」は「なかった」と思う。
「特定の方法」は「なかった」と思うが、個人的要因がとても大きい研究不正を防ぐには、「ネカト許さない文化」を高め普及することが重要だと思う。
《4》AI川柳
- 美しき 嘘で彩る 心理学
(彼の論文は、誰もが「そうあってほしい」と思うような魅力的な結論ばかりでした。しかし、その土台はすべて砂上の楼閣だった) - 捏造の データが描く 理想郷(ユートピア)
(複雑な人間の心理が、計算したかのように綺麗に数字に表れる。その「綺麗すぎる結果」こそが、最大の違和感) - アンケート 配らぬうちに 答え出る
(調査を行なう前から、彼の頭の中にはすでに「欲しい結果」が完成していた。フィールドワークは不要、必要なのはキーボードだけだった)
AI 画伯
《5》AI講談
(釈台の前に座り、扇子を右手に、深く一礼。 一呼吸置いて、扇子をトントン!と叩く)
社会心理学の寵児、破滅への幕開け
お立ち会い、お立ち会い! これより一席申し上げまするは、はるか海の向こう、オランダの地を揺るがした、とある学界の大スキャンダル。 その名も高き社会心理学の天才、ディーデリク・スターペルの「ネカト(捏造・改ざん)」物語でございます。
容姿端麗、頭脳明晰、語る言葉は立て板に水。 彼がひとたび論文を書けば、世界の名だたる学術誌がこぞってこれを掲載し、 「おぉ、これぞ現代の知の巨人!」と、世間は大絶賛の嵐。 まさに飛ぶ鳥を落とす勢いとは、さてさてこの男のことでございます。
【ト書き:声を少し潜め、思わせぶりに】
しかし、人の世の栄華とは儚いもの。 きらびやかなスポットライトの裏には、漆黒の闇が潜んでいるのが世の常。 このスターペル先生、世間をあっと驚かせる見事な研究成果を、次から次へと発表いたしますが…… これが見事すぎて、かえって怪しい。 「データが綺麗すぎる」 「実験があまりにもトントン拍子に進みすぎる」 不信の芽は、密かに、静かに、若き研究者たちの心の中に植え付けられていくのでございます。
偽りの魔術、その驚くべき手口
【ト書き:テンポを上げて、七五調のリズムに乗せて】
さぁさぁ、ここからがスターペル先生の独壇場。 彼の得意技は、実験をせずに「結果をこしらえる」偽りの魔術!
- データがなければ 作ればいいと
- パソコン画面に 向かい合いて
- 数字をいじりて グラフを飾り
- 理想の答えを ひねり出す!
「ゴミが散らかった駅のホームでは、人は差別的になりやすい」 「肉を食べる人間は、利己的になりやすい」 どうです? 聞くだけで「なるほど!」と膝を叩きたくなるような、世間の耳目を集めるキャッチーなテーマばかり。
しかし、その実態はといえば、実験などハナからやってはいない。 すべては彼の脳内で描かれた、机上の空論、砂上の楼閣! 教え子たちが「先生、実験のデータを見せてください」と乞うても、 「いやいや、私が預かって分析しておくから、お前たちは論文の執筆に集中しなさい」 と、優しい笑顔で煙に巻く。
これぞまさしく、現代の狐狸妖怪、狐につままれたような話とは、さてさて奇妙なことでございます。
【ト書き:釈台をドン!と激しく叩く】
告発の狼煙、そして崩れ落ちる巨塔
【ト書き:声を張り上げ、緊迫感を演出】
だがしかし! 天網恢々疎にして漏らさず。 悪事千里を走ると申しますが、お天道様は見逃さない。 「やっぱりおかしい、何かが違う」 正義感に燃える三人の若き研究者が、ついに立ち上がった! 密かに証拠を集め、データを精査し、大学の偉い先生方へ直訴に及ぶ。 「スターペル教授のデータは、すべて偽物でございます!」
【ト書き:扇子をパパン!と連続で叩く】
さぁ、そこからは坂道を転げ落ちるような大騒ぎ。 大学が調査委員会を立ち上げ、彼の過去の論文を片っ端から調べ上げれば、出るわ出るわ、嘘の山。 実に数十本以上にのぼる論文が、捏造・改ざんのオンパレード。 世界中が騙されていたという、前代未聞の大不祥事が白日の下に晒されたのでございます。
栄光の座から引きずり下ろされ、博士号も剥奪、大学からも追放。 名声は地に落ち、残ったのは「世紀のペテン師」という不名誉な刻印のみ。
学問の道を誠実に歩む者を欺き、自らの虚栄心のために数字を弄んだ男の哀れな末路。 「嘘はいつか必ず暴かれる」 これこそが、スターペル先生が身をもって証明した、人生最大の「実験結果」であったのかもしれません。
【ト書き:一呼吸置き、最後は朗々と】
あとに残るは、冷たい風の音ばかり。 ディーデリク・スターペル、ネカト物語。 まずはこれにて、読み終わりといたしまする。
(扇子をトントン!と叩き、深く一礼)
●9.【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Diederik Stapel – Wikipedia, the free encyclopedia
② 2012年11月28日、ウィレム・レヴェルト(Willem J.M. Levelt)が代表の3大学合同調査委員会の調査報告書(104ページ):Flawed science: The fraudulent research practices of social psychologist Diederik Stapel
③ 「撤回監視(Retraction Watch)」記事群:diederik stapel Archives – Retraction Watch at Retraction Watch
④ ◎2013年4月26日のユディジット・バタキャルジー(Yudhijit Bhattacharjee)の「ニューヨーク・タイムズ」記事:Diederik Stapel’s Audacious Academic Fraud – The New York Times(保存版)
⑤ 2018年1月5日のステファン・ヨンゲリウス(Stephan Jongerius)の「BD.nl」記事: Wethouder Marcelle Hendrickx was woedend op haar man Diederik Stapel: ‘Ik zei: je vergooit alles wat we hebben opgebouwd’ | Home | BD.nl
⑥ 2012年11月28日のマーティン・エンセリンク(Martin Enserink)の「Science」記事:Final Report: Stapel Affair Points to Bigger Problems in Social Psychology | Science | AAAS
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★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
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