ワンポイント:ネカトではない。思想的理由でソフトの使用を特定国の研究者に禁止した
●【概略】
ガンゴルフ・ジョブ(Gangolf Jobb、写真出典)は、ドイツの進化生物学者で無職。医師ではない。専門は進化生物学である。
研究ネカト事件ではない。
2015年1月頃と9月(38歳?)、「2004年のBMC Evol Biol.」に論文発表したソフト・ツリーファインダー(Treefinder)の使用を、移民に寛容な国(計9か国)の科学者に認めないと宣言した。
2015年12月(38歳?)、学術誌「BMC Evolutionary Biology」は、そのことを受け、「ソフト利用に関する当学術誌の編集方針に違反した」という理由で、ツリーファインダー(Treefinder)を報告した「2004年のBMC Evol Biol.」論文を撤回した。
研究成果の利用と政治・社会思想が絡んだ事件である。
この事件は、「livescience」誌の疑念科学:2015年「論文撤回」ランキングの第4位になった(2015年ランキング)。また、「2004年のBMC Evol Biol.」論文は、「被引用度の高い論文撤回」ランキングの第6位になった。
ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology)。写真出典 by Usingmodel – Own work. Licensed under Public Domain via Commons
- 国:ドイツ
- 成長国:ドイツ
- 研究博士号(PhD)取得:なし
- 男女:男性
- 生年月日:不明。仮に1977年1月1日とする
- 現在の年齢:47 歳?
- 分野:進化生物
- 最初の問題発生:2015年(38歳?)
- 発覚年:2015年(38歳?)
- 発覚時地位:無職
- 発覚:
- 調査:①学術誌「BMC Evolutionary Biology」編集委員
- 不正:論文結果の利用制限
- 不正論文数:1報
- 時期:研究キャリアの中期
- 結末:
●【経歴と経過】
- 生年月日:不明。仮に1977年1月1日とする
- 19xx年(xx歳):xx大学を卒業
- 19xx年(xx歳):ドイツ・ライプツィッヒのマックス・プランク進化人類学研究所(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology)のアーント・フォン・ヘーゼラー(Arndt von Haeseler)研究室の博士院生だったが、中退した。
- 2004年(27歳?):英国・インペリアル・カレッジ・ロンドン(Imperial College London)のコービニアン・ストリマー(Korbinian Strimmer)研究室に1年間滞在し、今回問題となったソフトを完成し、「2004年のBMC Evol Biol.」論文として発表した
- 2015年(38歳?):移民に寛容な国の科学者に自分が2004年に作成したソフト・ツリーファインダー(Treefinder)の使用を認めないと宣言した(論文は「2004年のBMC Evol Biol.」)
●【不正発覚の経緯と内容】
2004年(27歳?)、ツリーファインダー(Treefinder)というソフトを書いて、「2004年のBMC Evol Biol.」論文として発表した。
- TREEFINDER: a powerful graphical analysis environment for molecular phylogenetics.
Jobb G, von Haeseler A, Strimmer K.
BMC Evol Biol. 2004 Jun 28;4:18.
ツリーファインダー(Treefinder)は、系統樹やいろいろな生物種の進化的関係を示すのに有益で、たくさんの研究者が利用し、数百の系統進化論文で使用されていた。
ツリーファインダー(Treefinder)を利用した研究成果例。例えば、上記は、ピロリ菌を使い、人間の定住地の移動を示した「2009年のScience誌」論文の図である。 論文:The Peopling of the Pacific from a Bacterial Perspective
2015年1月頃(38歳?)、ガンゴルフ・ジョブは自分のウェブサイトに、米国の帝国主義に反対だから、米国の科学者には、2015年2月1日からツリーファインダー(Treefinder)の使用を認めないと宣言した。
サイトに理由が書いてある。
(1) 私は、世界の諸悪(戦争、専制政治、貧乏、移住)の根源である米国の帝国主義に抗議したい。
(2) 私は、米国の帝国主義の結果である欧州の専制政治に抗議したい。
(3) 私は、科学と政治において私の主権を示したい。
私は、私自身の生活様式と矛盾する生活様式を積極的に推進する米国と欧州が大嫌いである。私は、それらがもたらした移民の洪水が嫌いである。私のような収益性の悪い欧州人は、移民に置き換えられてしまう。
長い間のハードワーク研究で、ツリーファインダー(Treefinder)を完成したのに、まだいかなる報酬も私に支払われていない。
2015年9月(38歳?)、ガンゴルフ・ジョブは、さらに、外国人移民に寛容なドイツ、オーストリア、フランス、オランダ、ベルギー。英国、スウェーデン、デンマークの8か国の科学者に、2015年10月1日からツリーファインダー(Treefinder)の使用を認めないと宣言した。
ジョブは、「移民は、私を傷つけ、私の家族を傷つけ、私の友人を傷つける。ヨーロッパとドイツに移民を招く人、または歓迎する人は私の敵です」と述べている。
進化生物学者によれば、ツリーファインダー(Treefinder)は数年間アップデートされていない。使い慣れた研究者はよく使っていたので、ソフトの使用が認められなくなると何人かの研究者は困るだろうが、すでに代替ソフトがある。例えばココにリストがある。今まで使用していた研究者は、代替ソフトに切り替えればよい。
なお、「2004年のBMC Evol Biol.」論文の共著者で英国・インペリアル・カレッジ・ロンドン・準教授(Reader)のコービニアン・ストリマー(Korbinian Strimmer、写真出典)は、ジョブとは長い間交友関係はないと述べている。また、ソフトの利用制限に反対している。
●【論文数と撤回論文】
2016年1月15日現在、パブメド(PubMed)で、ガンゴルフ・ジョブ(Gangolf Jobb)の論文を「Gangolf Jobb [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2004年の2論文、2009年の1論文の計3論文がヒットした。
2016年1月15日現在、ここで問題視している「2004年のBMC Evol Biol.」論文だけが、2015年に撤回されている。
- TREEFINDER: a powerful graphical analysis environment for molecular phylogenetics.
Jobb G, von Haeseler A, Strimmer K.
BMC Evol Biol. 2004 Jun 28;4:18.
Retraction in: BMC Evol Biol. 2015;15:243.
●【事件の深堀】
★論文撤回は妥当か?
学術誌「BMC Evolutionary Biology」は、「ソフト利用に関する当学術誌の編集方針に違反した」という理由で、ツリーファインダー(Treefinder)を報告した「2004年のBMC Evol Biol.」論文を撤回した。
「論文撤回監視(Retraction Watch)」記事のコメント「genetics November 13, 2015 at 7:30 am」に以下の指摘ある
ガンゴルフ・ジョブは、「2004年のBMC Evol Biol.」論文の初版ソフトの使用を制限していない。利用者にとって、この制限がないことは、実際はほとんど意味はないけれど、新しいバージョンの使用だけを制限したのだ。その意味では、学術誌「BMC Evolutionary Biology」が「2004年のBMC Evol Biol.」論文を撤回するのは、おかしい。
それに、論文撤回されても、移民に寛容な国(計9か国)の科学者にツリーファインダー(Treefinder)の使用を認めない現状は何も改善されない。ガンゴルフ・ジョブの行為に対して、論文撤回という処置はズレている。
●【白楽の感想】
《1》学術社会不適合者
ガンゴルフ・ジョブ(Gangolf Jobb、写真出典)は大学院中退で、現在も無職で、学術社会不適合者である。
その人が、27歳(?)で、ツリーファインダー(Treefinder)という優れたソフトを開発した。
「ウィンドウズ」のような商業ソフトを開発していたら、莫大な金持ちになっていたかもしれない。
《2》科学と政治
「科学には国境はないが科学者には国境がある」など、昔から科学は政治と切り離す価値観が強い。
白楽は、生命科学者の教育を受けてきた過程では、科学は政治と絡んではならない、と教育されてきた。研究者の世界では、現在も、実際、表向き、科学は政治と絡んではならないとする思想・風潮・価値観が主流である。
しかし、上記の裏を返せば、世界を動かしている人たちには、科学と政治が絡まないでほしい欲求があるのだろう。
①科学研究に強大な力があるのだから、科学が政治と絡むとさらに強大になるということだろう。それなら、当然ながら、政治が絡んでくるのだが、その絡み方が難しい。この場合、世界を動かしている権力者は自分に都合の良いように管理したい。
②世界的に強い国は、弱い国の科学的頭脳を搾取したい。経済小国の科学者が愛国心に燃えて、自分の科学的才能と研究成果を自国に限定されると、世界的に強い国は困る。だから、強い国が得する思想・風潮・価値観「科学は政治と絡んではならない」で世界を洗脳したい。と思えて仕方ない。
似たような構図に、特許発明しても、発明で得られた利益の大半は、発明者個人ではなく、企業が儲ける。似ていない?
●【主要情報源】
① 2015年9月29日、カイ・クッパーシュミット(Kai Kupferschmidt)の「Science」記事:Scientist says researchers in immigrant-friendly nations can’t use his software | Science/AAAS | News
② 2015年11月12日のシャノン・パラス(Shannon Palus)の「論文撤回監視(Retraction Watch)」記事:BMC retracts paper by scientist who banned use of his software by immigrant-friendly countries – Retraction Watch at Retraction Watch
③ 2015年10月2日のローズマリー・ペニントン(Rosemary Pennington)の「National Vanguard」記事:Honor, at Last: Scientist Refuses to License Bioinformatics Program on Racial Grounds « National Vanguard
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。