ワンポイント:法科学分析官が血液型鑑定結果を改ざん・ねつ造した約30年前の大事件
●【概略】
フレッド・ザイン(Fred Zain)、正式にはフレデリック・ザイン(Frederick Salem Zain、写真出典)は、米国・ウェストヴァージニア州・科学捜査実験室の法科学分析官で、専門は科学捜査(血液型鑑定)だった。
1977年(26歳)に法科学分析官として就職し、血液型鑑定を仕事としたが、1993年(42歳)に改ざん・ねつ造が発覚した。
2002年12月2日、被告として裁判中に癌で病死した。享年51歳。
なお、ザインはDNA鑑定(DNA profiling)で不正をしたとの記事もあるが、血液型鑑定の間違いだろう。DNA鑑定が米国で最初に法科学に使用されたのが1987年で、普及はザインが血液型鑑定していた後の時代である。
写真出典:血痕からの個人識別|法科学鑑定研究所
- 国:米国
- 成長国:米国
- 研究博士号(PhD)取得:なし
- 男女:男性
- 生年月日:1951年4月14日
- 没年:2002年12月2日。享年51歳
- 分野:科学捜査
- 最初の不正鑑定:1977年(26歳)?
- 発覚年:1993年(42歳)
- 発覚時地位:テキサス州・科学捜査研究所の物的証拠部門長
- 発覚:同僚の指摘
- 調査:①ウェストバージニア州最高裁判所(Supreme Court of Appeals of West Virginia)が設けた調査委員会。1993年6月~1993年11月4日。②裁判所
- 不正:ねつ造・改ざん
- 不正鑑定数:数百件
- 時期:分析官キャリアの初期から
- 結末:辞職。裁判
●【経歴と経過】
- 1951年4月14日:米国に生まれる
- 19xx年(xx歳):米国のウェストヴァージニア州立大学(West Virginia State College、現在はWest Virginia State University)・生物学専攻を卒業
- 1977年(26歳):米国・ウェストヴァージニア州の警察官(trooper)に採用された
- 1979年(28歳)?:米国・ウェストヴァージニア州・科学捜査実験室の分析官に移動した。1977年の採用の最初から分析官として勤務したのかもしれない
- 1986年(35歳):米国・ウェストヴァージニア州・公衆安全(科学捜査実験室)(West Virginia Department of Public Safety (crime laboratory))の血清学部門長
- 1989年(38歳):テキサス州サンアントニオの科学捜査研究所(Bexar County medical examiner’s office)の物的証拠部門長に移籍した
- 1993年(42歳):血液型鑑定の改ざん・ねつ造が発覚した
- 1993年6月(42歳):解雇された
- 2002年12月2日(51歳):癌で死亡
●【他の日本語解説】
日本語の解説「情報改ざん・隠ぺい・ねつ造、冤罪はこうして起きる。杜撰で悪質な10の犯罪調査 : カラパイア」から修正引用する。
2015年2月6日のグリムス(A.C. Grimes)の英文記事http://listverse.com/2015/02/06/10-heinous-cases-of-misconduct-by-crime-investigators/をkonohazukuが翻訳し2015年2月18日にアップした文章である。
フレッド・ザインの学歴を見ると、ビーカーをうまく扱う人間とはとても思えない。ましてやその彼が法医学研究所で働くなどとんでもないことのはずだ。ザインはウェストヴァージニア州立大学の卒業生だが、やっとのことで化学過程をパスしただけで、ほかの教科はことごとく落第している。
なぜ、これだけ不適性が明らかなのに、ザインがウェストバージニア州警察所属の化学者として、物的証拠チームのチーフの仕事に就くことができたのかまったくの謎だ。
だからこそ、ザインが在職していた間に常習的にラボの分析結果を改ざんして、法廷で虚偽の証言をして有罪をでっちあげていた理由の説明になるのかもしれない。
13年にも渡って、ふたつの州の検察官はえせ専門家であるザインの意見に耳を傾け、でっちあげられた証拠に疑問を抱くことはまったくなかった。これら証拠は絶対的なもので、ほかのラボも手出しができなかった。
ザインの能力を鵜呑みにしたおかげで、数えきれないくらいの無実の人間がおもに暴行殺人の罪で刑務所送りになった。何人かは容疑が晴れたが、ザインの証拠によって影響を受けた事件の正確な数はもうわからない。
わかっているだけでも、ザインの不正はとてつもない数にのぼるのは明らかだ。ウェストバージニア州だけでも、ザインの不正行為は182件になり、テキサス州の犯罪ラボに加えて、ほかの10の州でも法医学の顧問をしていたため、何百という暴行殺人の公判で虚偽の証言をしていた可能性がある。
こうした不正の一掃のための費用は天文学的な数字になる。ザインの不正によって有罪になった無実の人たちへの賠償金は、ウェストバージニアだけで650万ドル、テキサス州は85万ドルにもなった。ザイン本人は、無効審理がなくなり、初めて彼の悪行の責任をとらせようとして、再審が始まる前にガンで亡くなった。
●【不正発覚の経緯と内容】
1977年、フレッド・ザインは、米国・ウェストヴァージニア州科学捜査研究所に就職した。
科学捜査の証拠品の分析では、とても難しいと誰もが思うような分析もこなした。事件の証言と矛盾した場合、ザインは検察が望む鑑定結果を示した。さらには、有罪とする証拠が他になかった時でも、ザインは検察が望むような鑑定結果を提示したのである。それで、科学分析官としてとても評価が高く、検察官はこぞってザインに分析を依頼したがった。
ザインは、「科学鑑定のスター」だった。検察が勝訴したいと望めば、ザインの鑑定がそれを支えてくれた。だから、1989年(38歳)にテキサス州バクスター群の物的証拠部門の部門長に昇進した。そして、ウェストバージニア州で行なったのと同じことをテキサス州でも行なった。
ザインは、分析結果を改ざん・ねつ造し検察が望むような鑑定書を書いていたのである。
ザインは、結局、無実の人を刑務所に送ったのである。
彼を擁護する立場に立つと、当時、ザインが勤務していた法科学実験室にはろくでもない分析機器と設備しかなかった。それなのに、鑑定すべき証拠品がドンドン持ち込まれ、さっさと鑑定結果を出さなければならなかった。
職場は、まともに仕事をこなせる状況ではないのに仕事量が多く、矛盾する責務をこなさなければならなかった。
ザイン自身は裁判で言わなかったが、実は、彼には法科学的分析のスキル・知識・能力に欠けていた。大学時代には有機化学の単位を落としている。しかし、誰も、法科学分析の仕事に任命する前にザインの成績証明書をチェックしていなかった。
(白楽注:上記は、そのような記述があるので書いたが、大学時代の成績、つまり大学時代に教育された知識・スキルだけで、就職後に仕事をこなせることはマズない。就職後に新たな知識・スキルをドンドン習得するのが普通だ。また、大学の成績でその人のその後の職業的能力は判定できない。ここの記述はバカバカしい。いくつかの記事が彼を貶める書き方をしている)。
ザインは、10数年間、鑑定書のねつ造・改ざんに成功していたのである。
★発覚
1987年に起こったグレン・ウーダル(Glen Woodall)事件で、ザインの鑑定書ねつ造・改ざんが発覚することになる。
1987年、グレン・ウーダル(Glen Woodall、写真出典)
グレン・ウーダルは、レイプ被害者に残されていた精液をザインが血液型鑑定し、「加害者の血液型はウーダル被告と同一でした」と証言したのが有力な証拠とされ、335年の刑務所刑が宣告されていた。
しかし、ウーダルは上訴し、今度は、DNA型鑑定を要求した。すると、残されていた精液のDNA型とウーダル被告のDNA型と一致しなかったのである。また、ザインは、最初、被害者の車に残された証拠の毛の断片をウーダルの陰毛だと鑑定したが、上訴されたときは、ウーダルのひげの毛だと鑑定を変えた。
1992年、グレン・ウーダルは、刑務所ですでに5年間、刑に服していたが、有罪が取り消され、釈放された。
この事件をきっかけとして、ザインの鑑定に疑念が抱かれた。ウェストヴァージニア州裁判所の命令で、ザインのすべての鑑定が徹底的に調査された(次項で記述)。
なお、グレン・ウーダルの誤判と同様に、DNA型鑑定の結果、レイプ犯として有罪だったジム・リチャードソン(Jim Richardson)やウィリアム・ハリス(William Harris)も、ウェストヴァージニア州裁判所は無罪として釈放した。
1993年の調査報告書によると、ザインの鑑定で1986年から1989年に殺人やレイプで有罪とされた134人は有罪かどうか疑わしいとされている。9人は他の証拠が有罪とするには不十分だということで、釈放された。
なお、グレン・ウーダルは、後に、不法監禁を訴え、100万ドル(約1億円)の賠償金を勝ち取った。
★1993年の調査報告書
グレン・ウーダルの誤判を受け、ウェストヴァージニア州警察の依頼で、ウェストヴァージニア州カナー郡(Kanawha County)の検察官・ウィリアム・フォーブス(William Forbes)は証拠品鑑定書の正否調査を開始した。
フォーブスは、自分が調査した結果がとんでもないスキャンダルになりかねないと困惑し、ウェストバージニア州最高裁判所(Supreme Court of Appeals of West Virginia)に、特別な措置を依頼した。その措置とは、裁判官、弁護士、科学者の委員会を設置し、科学捜査実験室の血清学部門を調査してもらうことだった。
1993年6月3日、血清学部門調査委員会が設置され調査に入った。
1993年9月、血清学部門調査委員会はザインが不正偽造を行なったというリポートをまとめた。
1993年11月4日、巡回法廷上級裁判官ジェームズ・ホリディ(James Holliday)は、そのリポートを公表した。「In the Matter of an Investigation of the West Virginia State Police Crime Laboratory, Serology Division, (WV. 1993)」
リポートによると、ザインは、犯罪証拠について虚偽を陳述し、鑑定結果を改ざんし、科学的に信じがたい結果を鑑定結果として提出していた(以下にリストする)。そのために、ウェストヴァージニア州で有罪と宣告された134人は無罪だったかもしれない可能性が出てきた。
1. 結果の誇張
2. 証拠品が遺伝的にマッチしていると異常なほど頻繁に判定
3. 証拠品の遺伝的マッチを何度も誤報
4. 単一のアイテムだけを分析したのに複数のアイテムを分析したと報告
5. 決定的ではない結果を、決定的だと報告
6. 分析結果記録を何度も変更
7. 遺伝マーカーがすべての検体から得られたという間違った印象を与えるようにグループ化した
8. 矛盾した結果は報告しない
9. 矛盾した結果の再分析をしないし、再分析の報告もしない
10. 証拠が分析だけの時、容疑者とマッチしていることを暗示した
11. 科学的に不可能なまたはありそうにない結果の報告
ホリディ上級裁判官は、ザインの不正鑑定は言語道断なので、ザインの鑑定はすべて、明白に「無効、信頼できない、不承認」とすべきだとした。また、血清学部門の管理運営にも深刻な欠陥があったことを指摘している。例えば、以下のようだ。
1. 分析方法を記述したマニュアルがない
2. 分析結果保証プログラムを記述したマニュアルがない
3. 内部監査または外部監査手続を記述したマニュアルがない
4. 専門家によるテクニシャンの定期的熟練度テストがない
5. 分析結果への技術的チェックがない
6. 機器メンテナンスと目盛り較正(calibration)を記述したマニュアルがない
7. 一般的に受け入れられている標準的な科学分析法に従わない
8. 分析の記録が不適切
9. 担保的分析をしない
1993年11月12日、ウェストバージニア州最高裁判所はホリディ上級裁判官のリポートを満場一致で受け入れた。ザインの行動を「被告が公正な裁判を受ける権利への重大で言語道断な違反である」とした。また、「私達の法律のシステムの腐敗でもある」とも付け加えた。
このリポートに基づき、ウェストヴァージニア州はどんな裁判あるいは処分をしたのか?
1995年、偽証罪でザインを告訴したが、1997年、棄却された。・・・白楽はこれしかつかめませんでした。内容がつかめず、どうして棄却されたのかわかりません。
なお、ザインは、1997年、「自分は何も悪いことをしていません」と繰り返し主張している。「政治抗争のスケープゴートにされた」とも述べている。
★裁判:テキサス州、1998年~
1998年、ザインは、過度の偽証罪、1990年のギルバード・アレジャンドロ(Gilbert Alejandro)レイプ事件の証拠改ざん・ねつ造の罪で、テキサス州で告訴された。
しかし、なんと、無罪と言い渡されたのである。
★裁判:ウェストヴァージニア州、1998年~
テキサス州で無罪となったものの、ウェストヴァージニア州は、ダメもと精神で、証拠改ざん、偽証の間、州の給与をだまし取っていたとザインを告訴した。
1999年1月、しかし、アンドリュー・マッキーン(Andrew MacQueen)裁判長は起訴状が曖昧で法律を適用するのは不適切だと、告訴を棄却した。
しかし、ザインは、再び告訴された。・・・白楽はこの状況をつかめていません。
2003年7月に再審が予定されていた。
2002年12月2日、ところが、ザインは、「自分は何も悪いことをしていません」と主張したまま、肝臓がんのため、フロリダの自宅で亡くなった。享年51歳。
★ザインの上司たち
ザインに問題があったのは確かだが、通常の研究ネカトは上司や同僚のチェックで防止できるハズだ。上司や同僚、職場環境はどうなっていたのだろうか?
実は、ザインに問題があるという兆候は幾つもあったのだが、ウェストヴァージニア州の上司たちはそろいもそろって無視したという無能ぶりだったのである。
ウェストヴァージニア州・警察本部長のジャック・バッカリュウ(Jack Buckalew)は、「彼がなぜそんなことをしたのか全く分かりません」と述べている。
ウェストヴァージニア州・犯罪同定事務局(Criminal Identification Bureau)のケネス・ブレイク局長(Kenneth Blake)は、分析官として採用するとき、ザインの学業経歴をチェックしていない。当時の科学捜査実験室のレイ・バーバー(Ray Barber)は、ザインが化学のバックグランドがあると考え、分析の資格を調べる必要がないとした。
1985年、FBI 実験所長のジェームス・グリーア(James Greer)が、ザインは血清学と血痕テストの基礎コースに不合格だったと伝えたが、・ウェストヴァージニア州・犯罪同定事務局は、なにも対処しなかった。
1985年末、科学捜査実験室の2人の同僚は、ザインがブランク試験(試料がない対照試験)の結果に「検出あり」と記録した(明白なねつ造・改ざん)のを見つけ、事務局長に申しでたが、ケネス・ブレイク局長は何も処置しなかった。同僚とザインは仲が悪く、同僚同士の喧嘩とみなしたのである。一方、「ザインについて、検察官や弁護士から不平を述べられたことがない」ので問題はないと判断したとも述べている。ザインは検察官寄りという評判だった。
★あと始末
ウェストヴァージニア州は、ザインの不正鑑定書は数百件だった(134人分?)としているが正確な数字を発表していない(正確な数字は不明なのかもしれない)。ザインの不正鑑定書で有罪になった無実の人たちに650万ドル(約6億5千万円)の賠償金を支払った。
テキサス州は、ザインの不正鑑定書が約180件に上ったと発表した。賠償金を85万ドル(約8,500万円)支払った。
●【論文数と撤回論文】
この事件は「論文数と撤回論文」という概念に該当しないので、調べていない。
●【白楽の感想】
《1》法科学鑑定のねつ造・改ざん
法科学鑑定のねつ造・改ざんは米国では何件も事件になっている。一方、日本の法科学鑑定のねつ造・改ざん事件は2012年12月17日の1件のみしか報道されていない。
2012年12月17日「科捜研職員を書類送検 和歌山県警、鑑定データ捏造容疑:日本経済新聞」を修正引用する。
和歌山県警科学捜査研究所(和歌山市)の男性主任研究員(50)による鑑定データ捏造(ねつぞう)問題で、和歌山県警は[2012年12月]17日、証拠隠滅、有印公文書偽造・同行使の疑いで、研究員を書類送検した。
県警は17日、停職3カ月の懲戒処分にし、研究員は同日、依願退職した。
研究員は2010年5月~12年1月、交通事故や無理心中など6つの事件の捜査で、繊維や塗膜片の鑑定結果を上司に報告する際、一部に過去の鑑定データを流用し所長決裁を受けた疑いが持たれている。
県警は過去の事件についても、さかのぼって捜査。研究員が関わった約8千の事件を調べ、うち19事件にデータ流用の疑いがあったが、いずれも時効が成立していた。
しかし、実際はもっと多発しているのではないだろうか?
日本は、科学捜査の鑑定結果の真偽の担保にどんな対策がとられているのであろうか?
白楽は、絶対的信頼や強い威信・権威のある個人・組織が研究ネカトをすると考えている。その場合の社会の被害と影響は甚大である。社会システムの根幹を揺るがす事態にも発展する。
「絶対的信頼」「強い威信・権威」の個人・組織をチェックするシステムが絶対に必要である。日本にどんなシステムがあるのだろうか? それとも、まったくないのだろうか?
《2》法科学鑑定のねつ造・改ざん
ザイン事件は、約30年前の事件だが、この事件を教訓に、米国では、法科学システムのしっかりとした改善が図られなかったのだろうか?
米国では、法科学鑑定のねつ造・改ざん事件がたくさん起こった。その中でも今回のフレッド・ザイン(Fred Zain)事件は、大事件だった。しかし、この事件から米国社会はしっかり学んだようには思えない。その後も事件が多発している。
「アニー・ドゥーカン(Annie Dookhan)(米)」は、最近(2012年)の大事件である。
以下の事件も起こっている。これらは、いずれ、記事として解説する予定だ。
- ジェームス・ボールディング(James Bolding)(米)
- デイヴィッド・コオフォード(David Kofoed)(米)
- リチャード・カレリー(Richard Callery)(米)
以下のたくさんの事件も起こっている(こちらは、記事にしない予定)。
Joyce Gilchrist
Dee Wallace
Garry Veeder
Elizabeth Mansour
Anne Marie Gordon
Charles Smith
James E. Price,
Deborah Madden
上記を含めたリスト → http://www.corpus-delicti.com/forensic_fraud.html
《3》DNA鑑定で冤罪を晴らす
米国では、無実の人を330人も有罪にしてきた歴史がある。DNA鑑定で、投獄されていた人を無実だと証明し、その無実の人を救済する組織「イノセンス・プロジェクト」がある(イノセンス・プロジェクト – Wikipedia)。「イノセンス・プロジェクト」のサイト → The Cases — The Innocence Project。
1992年ニューヨークで弁護士のバリー・シックとピーター・ニューフェルドがイノセンス・プロジェクトを発足させた。このプロジェクトはアメリカとオーストラリアの40以上の法科大学と市民団体から構成する巨大プロジェクトに成長している。(DNA型鑑定 – Wikipedia)
日本でも同様な組織の設立を準備しているようだ。 →
日本版イノセンス・プロジェクト準備室 – 立命館大学・法心理・司法臨床センター
2015年7月7日、NHK「NewsWeb」が取り上げた。
2015年11月14日、朝日新聞グローブが取り上げた。 → 朝日新聞グローブ (GLOBE)|The Author―著者の窓辺 バリー・シェック
見た目は似ていてもDNAは異なる。写真出典
●【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Fred Zain – Wikipedia, the free encyclopedia
② 2001年9月5日、フランシス・クラインズ(Francis X. Clines)の「ニューヨーク・タイムズ」記事:Work by Expert Witness Is Now on Trial – NYTimes.com
③ シーラ・ベリー(Sheila Martin Berry)の記事 :When Experts Lie
④ 1993年11月12日、「ニューヨーク・タイムズ」記事:Court Invalidates a Decade of Blood Test Results in Criminal Cases – NYTimes.com
⑤ 2001年9月4日のマーサ・ホデル(Martha Bryson Hodel)の「Associated Press」記事:Crime lab chemist goes on trial in W. Va. for alleged fraud | Online Athens
⑥ The Los Angeles Times
⑦ タイトル: Fred Zain: False Expert Witness 作成者: maria chen
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。