ワンポイント:無知による「間違い」
●【概略】
パオラ・セバスチャーニ(Paola Sebastiani、写真出典)は、イタリアで生まれ育ち、米国・ボストン大学(Boston University)・準教授になった。専門は生物統計学で、査読論文は200報以上ある。
2010年(46歳)、セバスチャーニは、100歳を越える老人には19個の長寿遺伝子があると「サイエンス」誌に発表した。しかし、DNA配列決定に使用したチップの間違いだと、多くの研究者から批判され、翌年、「サイエンス誌の2010年論文」を撤回した。
「The Scientist」誌の選んだ「2011年の大事件」の第3位である(Top Science Scandals of 2011 | The Scientist MagazineR)。
パオラ・セバスチャーニ(Paola Sebastiani)。写真出典
- 国:米国
- 成長国:イタリア
- 研究博士号(PhD)取得:イタリア・ローマ大学
- 男女:女性
- 生年月日:1964年1月16日
- 現在の年齢:60歳
- 分野:生物統計学
- 最初の問題論文発表:2010年(46歳)
- 発覚年:2010年(46歳)
- 発覚時地位:ボストン大学(Boston University)・準教授
- 発覚:同じ分野の研究者
- 調査:
- 問題:間違い
- 問題論文数:1報
- 時期:研究キャリアの中期
- 結末:おとがめなし
●【経歴と経過】
主な出典:http://people.bu.edu/sebas/pdf-papers/cv.pdf
- 1964年1月16日:イタリアのブレシア(Brescia)で生まれる
- 1987年(23歳):イタリア・ペルージャ大学(University of Perugia)・数学科を卒業
- 1990年(26歳):英国・ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(University College London)で統計学の修士号(MSc)を取得した
- 1992年(28歳):イタリア・ローマ大学(University of Rome)で統計学の研究博士号(PhD)を取得した
- 1990-1995年(26-31歳):イタリア・ペルージャ大学・研究員
- 1995-1998年(31-34歳):英国・シティ大学ロンドン(City University)・統計学科、講師
- 2000年(36歳):英国・インペリアル・カレッジ・ロンドン(Imperial College London)・数学科、講師
- 2000-2003年(36-39歳)11月:米国・マサチューセッツ大学アマースト校(University of Massachusetts Amherst)・数学統計学科、助教授
- 2003-2015年現在(39-51歳現在):米国・ボストン大学(Boston University)・準教授
●【研究内容】
長生きする家系に生まれた人は長生きする。寿命は遺伝するだろう。
となると、寿命を決める遺伝子があるかもしれない。
1999年、マサチューセッツ工科大学のレオナルド・ガレンテ(Leonard Guarente)が長寿遺伝子(サーチュイン遺伝子)を発見した。ギゼム・デンメズ(Gizem Dönmez)の項で登場した教授である。
サーチュイン(sirtuin)遺伝子は、長寿遺伝子または長生き遺伝子、抗老化遺伝子とも呼ばれ、その活性化により生物の寿命が延びるとされる。
サーチュイン遺伝子による寿命延長効果は酵母、線虫、ショウジョウバエで報告されているが、これらの実験結果を否定する報告もあり、まだ確定した効果とは言えない。(サーチュイン遺伝子 – Wikipedia)
では、知能遺伝子、美人遺伝子、イケメン遺伝子、美声遺伝子、運動能力が高くなる遺伝子、モテる遺伝子、金持ちになれる遺伝子、幸福を感じる遺伝子などの遺伝子もあるだろうか?
遺伝子があったとしても、環境因子(ライフスタイル選択)がそれなりに寄与しているのは間違いないが、それにしてもソモソモそれらの遺伝子があるのか? ないのか?
あったとしたら、とても役に立ちそうである。
アナタななら、どうする・どうしたいでしょうか?
話が拡散しそうなので、セバスチャーニに戻る。
2010年(46歳)、セバスチャーニは、100歳以上の人・1,055人と普通の寿命の人・1,267人を選んで、遺伝モデルを組み立て、19個の長寿遺伝子があると「サイエンス」誌に発表した。
- Genetic signatures of exceptional longevity in humans.
Sebastiani P, Solovieff N, Puca A, Hartley SW, Melista E, Andersen S, Dworkis DA, Wilk JB, Myers RH, Steinberg MH, Montano M, Baldwin CT, Perls TT.
Science. 2010 Jul 1;2010. doi: 10.1126/science.1190532. Epub 2010 Jul 1.
画期的な発見だったので、研究界だけでなく、大衆メディアでも取り上げられた。写真は研究チームである(出典):
(上段左から) Nadia Solovieff, Daniel Dworkis, Monty Montano, Thomas Perls, Stacy Andersen, and Clinton Baldwin。 (下段左から) Stephen Hartley, Efthymia Melista, Paola Sebastiani, and Martin Steinbergである。
【動画】
「Public Health Minute: The Genetics of Exceptional Longevity」(英語)2分42秒。
BUSPHが2010/07/01 にアップロード。後半は共著者のボストン大学(Boston University)のトーマス・パール(Thomas Perls)が登場する。
●【問題発覚・調査の経緯】
「サイエンス誌の2010年論文」は画期的な発見だった。
しかし、論文が発表されるとすぐに、結論に至る方法論に重要な間違いがあると多くの研究者が指摘した。つまり、DNA配列決定に使用したチップに問題があると批判した。
セバスチャーニは、Illumina社のHuman610-QuadというDNAチップを使用したが、このチップは実験を注意深く行なわないと、偽陽性(false positive、陽性ではないのに間違えて陽性を示す)になる傾向があると指摘されたのだ。
セバスチャーニは、このことを知らなかった。それで、この偽陽性を陽性と間違え、19個の長寿遺伝子があるという結果を得たのだ。
この不始末は、大衆メディアでも取り上げられた(①2010年7月6日の「ニューズウィーク」記事 The Little Flaw in the Longevity-Gene Study That Could Be a Big Problem)
2010年7月に発表した「サイエンス誌の2010年論文」を、丁度1年後の2011年7月に撤回する羽目になった。
セバスチャーニは、間違いとの指摘に対して研究を再検討した。すると、先に長寿遺伝子と発表した遺伝子は長寿とは関係ないことがわかった。そして、同じタイトルでほぼ同じ著者の訂正論文を2012年1月に「PLoS One誌」に発表した。
- Genetic signatures of exceptional longevity in humans.
Sebastiani P, Solovieff N, Dewan AT, Walsh KM, Puca A, Hartley SW, Melista E, Andersen S, Dworkis DA, Wilk JB, Myers RH, Steinberg MH, Montano M, Baldwin CT, Hoh J, Perls TT.
PLoS One. 2012;7(1):e29848. doi: 10.1371/journal.pone.0029848. Epub 2012 Jan 18.
訂正論文は実は、最初、2010年12月に「サイエンス誌」に投稿したが不採択になったのだ。というのは、「サイエンス誌」の審査員は、「サイエンス誌」の掲載基準を満たしていないと結論したのである。砕いて言えば、さほどインパクトのある結果ではなかったので、「サイエンス誌」に掲載してもらえなかったのだ。
●【論文数と撤回論文】
パブメドhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedで、パオラ・セバスチャーニ(Paola Sebastiani)の論文を「Paola Sebastiani[Author]」で検索すると、2002年以降の論文がヒットするが、2015年までの14年間の91論文がヒットした。とても多作である。
91論文のうち29論文は、パオラ・セバスチャーニと何かと一緒に出てくるトーマス・パール(Thomas Perls、写真出典)が共著者である。
2015年6月22日現在、1論文が撤回されている。本記事で議論している「サイエンス誌の2010年論文」である。2011年7月に撤回している。
- Genetic signatures of exceptional longevity in humans.
Sebastiani P, Solovieff N, Puca A, Hartley SW, Melista E, Andersen S, Dworkis DA, Wilk JB, Myers RH, Steinberg MH, Montano M, Baldwin CT, Perls TT.
Science. 2010 Jul 1;2010. doi: 10.1126/science.1190532. Epub 2010 Jul 1.
Retraction in: Sebastiani P, Solovieff N, Puca A, Hartley SW, Melista E, Andersen S, Dworkis DA, Wilk JB, Myers RH, Steinberg MH, Montano M, Baldwin CT, Perls TT. Science. 2011 Jul 22;333(6041):404, Montano M, Baldwin CT, Perls TT. Science. 2011 Jul 22;333(6041):404.
●【白楽の感想】
《1》研究上の「間違い」は研究界内で対処せよ
人間は誰でも間違える。研究者も間違える。「サイエンス誌の2010年論文」は著者が13人もいたのに間違えた。著者が多いと、1人1人がしっかり読まない可能性が高くなるので、著者が多ければ間違いが少ないという保証はない。
2010年論文の審査では、「サイエンス誌」の論文審査員もこの間違いを見過ごした。審査員が無能だったことになる。審査段階で間違いを指摘すべきだった。同じことを指摘する人もいる(2011年7月22日のジョー・パルカ(Joe Palca) の記事: Poor Peer Review Cited In Retracted DNA Study : NPR)
それでも、審査員も人間だからミスはある。仕方ない。100歩譲って「よし」としよう。
しかし、今回、研究上の「間違い」を、研究界の外に持ち出して、スキャンダルとして騒いだ。これは、「よし」とはできない。論文の間違いは、研究界内で対処できるし、すべきでしょう。
《2》誠実な「間違い」でも処分すべきだ
2006年の文部科学省の研究不正行為の定義に「故意によるものではないことが根拠をもって明らかにされたものは不正行為には当たらない」とある。つまり「間違い」は不正ではないと。
このことは、米国でもそうなのだが、「間違い」だろうが、故意だろうが、不注意だろうが、「ねつ造:改ざん」だろうが、事実と異なる記載があれば、判断・治療・政策などを間違った方向に誘導する「ミス・コンダクト」としては同じである。その記載に基づいて医療が行なわれれば、重大な健康上の問題が発生する。
だから「故意」だろうが、「うっかり」だろうが、「不注意」だろうが、「間違い」は間違いで、厳罰化すべきだろう。
自動車を「うっかり」運転して、人をひいて殺しても、「うっかり」では済まない。 「不注意」で多量の塩を入れてしまったラーメンを、「不注意」でしたが、どうぞ召し上がってくださいってわけにはいかない。
動機がどうであれ、誠実・不誠実とも関係なく、人間社会は結果で判断され、結果に対して責任を取らなくてはならない面がある。
研究ネカトや研究クログレイでも、研究論文での「間違い」について、もっと、厳しい目を向けるべきだろう。研究倫理の大家・ニコラス・ステネックも「間違い」を処分すべきとしているが、この点、白楽はステネックと同意見だ。
●【主要情報源】
① 「論文撤回監視(Retraction Watch)」記事群:You searched for Sebastiani – Retraction Watch at Retraction Watch
② ウィキペディア英語版:Paola Sebastiani – Wikipedia, the free encyclopedia
③ 2011年7月21日、ティア・ゴース(Tia Ghose)の「The Scientist」記事:Longevity Paper Retracted | The Scientist Magazine®
④ 2011年7月22日、ハイジ・レッドフォード(Heidi Ledford)の「Nature」記事:Paper on genetics of longevity retracted : Nature News
⑤ 記事中の写真は、出典を記載していない場合もありますが、白楽に所有権はありません。