2017年7月2日掲載。
ワンポイント:【長文注意】 ロイ・メドウは、リーズ大学・名誉教授で爵位(ナイト)の称号を持ち、小児医学・小児虐待の英国の権威だった。メドウの錯誤は「1人目の赤ちゃんの突然死は悲劇だが、2人目の突然死は怪しいし、3人目なら殺人だ」である。1993年(60歳)以降、裁判の専門家証人として、突然死の子供の母親に殺人罪を主張した。1999年のサリー・クラーク事件の裁判が有名だが、少なくとも4人が冤罪で刑務所に何年も拘留された。2000年(67歳)頃、証言に間違いがあるとされ、名誉・名声・信頼は地に落ちた。2005年(72歳)に英国の医事委員会から医師免許がはく奪されたが、2006年(73歳)に高等法院が医事委員会の裁定を無効とした。損害額:総額(推定)は61億5千万円(当てずっぽう)。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】
ロイ・メドウ(ロイ・メドー、Roy Meadow、Sir Samuel Roy Meadow、写真出典)は、英国のリーズ大学(University of Leeds)・教授で聖ジェームス大学付属病院(St James’s University Hospital)の臨床医だった。専門は小児科学である。
1998年(65歳)に退職し、リーズ大学・名誉教授になり、小児の健康に貢献したことで、爵位(ナイト)の称号が授与された。著書『小児虐待のABC(ABC of Child Abuse)』もあり、小児医学・小児虐待の英国の権威だった。
1977年(34歳)、ランセット誌に代理ミュンヒハウゼン症候群(Munchausen syndrome by proxy)の論文を発表し、一躍有名になった。
メドウの錯誤は「1人目の赤ちゃんの突然死は悲劇だが、2人目の突然死は怪しいし、3人目なら殺人だ」である。
1993年(60歳)以降、上記の信念に基づいて裁判で専門家証人として証言をし、赤ん坊の突然死の母親が何人も有罪になった。有名な裁判に1999年のサリー・クラーク事件がある。
2000年(67歳)頃、証言内容に間違いがあったことがハッキリする。
2005年(72歳)、英国の医事委員会(General Medical Council)は、いい加減な医学的データでもっともらしい科学的証言をしたことで、ロイ・メドウを有罪とし、医師免許をはく奪した。
2006年10月(73歳)、ロイ・メドウは英国の高等法院 (High Court of Justice) に訴えた。高等法院は、ロイ・メドウに対する医事委員会の裁定を無効とした。
聖ジェームス大学付属病院(St James’s University Hospital)。写真出典
- 国:英国
- 成長国:英国
- 医師免許(MD)取得:ウースター大学
- 研究博士号(PhD)取得:なし
- 男女:男性
- 生年月日:1933年6月3日
- 現在の年齢:91 歳
- 分野:小児科学
- 最初の不正証言:1998年(65歳)
- 発覚年:2000年?(67歳)
- 発覚時地位:リーズ大学・名誉教授。爵位(ナイト)の称号の持ち主
- ステップ1(発覚):複数の統計学者と王立統計学会(Royal Statistical Society)がメドウの統計値がおかしいと指摘
- ステップ2(メディア): BBC、Guardianなど英国の多数のテレビ・新聞
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①英国の医事委員会(General Medical Council)。②高等法院 (High Court of Justice)
- 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
- 不正:間違った証言
- 不正証言数:少なくとも5回
- 時期:研究キャリアの後期
- 損害額:総額(推定)は51億5千万円。内訳 → ①無実なのに有罪とされ刑務所刑に処されたドナ・アンソニー、サリー・クラーク、イアン・ゲイとアンジェラ・ゲイ夫妻の4人の人生が破滅し1人10億円(当てづっぽう)=40億円。②英国の法体系の信用失墜と対策に10億円(当てづっぽう)。③裁判経費。1件を2千万円。5件=1億円。④調査経費(医事委員会と高等法院)が5千万円。
- 結末:辞職なし。処分なし
●2.【経歴と経過】
- 1933年6月3日:英国に生まれる
- 19xx年(xx歳):ウースター大学(Worcester College, Oxford)を卒業。医師免許取得
- 1961年(28歳):結婚
- 1970年(37歳):英国のリーズ大学(University of Leeds)・上級講師
- 1977年(44歳):後に彼を著名にする「1977年のLancet」論文を発表。所属はシークロフト病院(Seacroft Hospital)
- 1980年(47歳):英国のリーズ大学・教授。聖ジェームス大学付属病院(St James’s University Hospital)で臨床医
- 1993年(60歳):べヴァリー・アリット(Beverley Allitt)事件で専門家証人として証言し、アリットは終身刑の刑務所刑になる
- 1998年(65歳):英国のリーズ大学・退職。名誉教授
- 1998年(65歳):小児の健康に貢献したことで、爵位(ナイト)の称号が授与される
- 1998年(65歳):ドナ・アンソニー(Donna Anthony)事件で証言し、アンソニーは刑務所刑になる。後で証言が間違いだったとわかる
- 1999年(66歳):サリー・クラーク(Sally Clark)事件で証言し、クラークは刑務所刑になる。後で証言が間違いだったとわかる。その後、他の数人に間違った証言をする
- 2005年(72歳):英国の医事委員会(General Medical Council)はロイ・メドウを有罪とし、医師免許をはく奪した
- 2006年10月(73歳):英国の高等法院 (High Court of Justice) は、医事委員会の裁定を無効とし、ロイ・メドウの医師免許を回復した
- 2009年(76歳):メドウは医師免許を放棄した
●3.【動画】
【動画】
事件解説「統計的間違いで刑務所に送られた無実の母親(Innocent Mother Sent To Prison over Statistical Error)」(英語)7分53秒
ミースター・エドワーズ(Meester Edwards) が2012/03/18 に公開
以下のリンクが切れた時 → 保存版
この事件の日本語解説はたくさん(3つ以上)あった。著書も出版されている。
★2010年9月4日:おかだ外郎「【ただいま読書中】『子どもを病人にしたてる親たち ──代理によるミュンヒハウゼン症候群』坂井聖二 著、 明石書店、2003年、1600円(税別)」
1977年「Lancet」に、ロイ・メドウの書いた「代理によるミュンヒハウゼン症候群 ──子どもの虐待の奥地」という論文が発表されました。そこには、衝撃的な症例報告と考察が記されていました。
一例目は、生後6週間めから定期的に高ナトリウム血症の“発作”を繰り返す男児チャールズ。命にかかわるほどの異常ですが、入院して治療するとすぐに状態は改善します。ところが、外泊したり退院をするとまた同じ発作を起こします。あまりに不自然なため主治医のメドウは疑念を持ちます。発作が起きる「自宅」に何か問題があるのではないか、と。有り体に言うなら、母親が強制的に食塩を飲ませているのではないか、と。メドウはソーシャルワーカー・開業医・保健所とネットワークを作り家庭に介入しようとしましたが、その直前チャールズは死亡、母親は自殺をしました。
二例目は、生後8ヶ月から間欠的に「血尿」「膿尿」が出てくる6歳の少女ケイ。いくら精密検査をしても病気が見つかりません。さらに不思議なのは、一日のうちでも、まるっきりの正常尿の直後の尿が膿尿だったりその逆だったり、と医学的に説明がつかない現象があるのです。ケイは入院を繰り返し検査と治療を受け続けます。主治医のメドウは、ここで「チャールズ」のことを思い出します。症状はまったく違いますが、医学的に考えられない症状を呈すること、そしてその母親が「どうして病気が治らないんですか」と食ってかかったりせずに病棟できわめて幸福そうに過ごしていること、という共通点があることに気がついたのです。メドウは警察の法医学研究所の協力を仰ぎ、ついにこの「血尿」「膿尿」が母親のもの(をケイの尿に加えたもの)であることを証明します。つまり「ケイの病気」は母親によって作られたものだったのです。
興味深いのは、こういった母親は、周囲からの評価がとても高いことが多いのです(「病気の子どもを抱えているのに明るく振舞ってる。大したもんだ」)。実際に、子どもの病気は母親の人生に「満足」を与えていますし、小児科医や病棟スタッフとの関係で母親は大きな喜びと楽しみを得ています。これが一般的な子ども虐待の親との決定的な違い、とメドウは述べます。
1951年「Lancet」にR・アッシャーが「ミュンヒハウゼン症候群」という論文を発表しました。これは、患者本人が自分に注目・関心を集めるために、症状や病歴を虚偽や捏造によってでっちあげて医療関係者を振り回し、都合が悪くなるとドクターショッピングを繰り返す、というものでした。そして、メドウが見つけたのは、「自分」ではなくて「代理人(自分の子ども)」を病気に仕立てることによって自分の欲望を満たそうとする「ミュンヒハウゼン症候群」だったのです。
★2012年2月(?):愛知県青い鳥医療療育センター「作話てんかん(代理によるミュンヒハウゼン症候群)」
「母親はつねに正しい、と人には教えているし、また、そのように教えるべきだと信じている。しかし、母親が間違うときには、身の毛がよだつほどの間違いをおかすのである。そのことはきちんと認識すべきだ」
ロイ・メドー「児童虐待の奥地」
「人類は、はるか昔から嬰児殺しを繰り返してきたのである。嬰児殺しが起こりうるという冷厳な事実をわれわれは受け止める必要がある」
ロイ・メドー「作話てんかん」
サー・ロイ・メドー教授は英国における医学鑑定のスーパースターです。王立小児科医会初代会長であり、『小児虐待のABC』の著者であり、代行性ホラ吹き男爵症候群という疾患概念を初めて提唱した人物でもあります。この症候群においては、母親が自分の子どもを病気であるかのように言いつのって、危害を加え、殺してしまうことさえある、とされています。かれはあまりに傑出した医学鑑定証人であるので、医学証拠をどのように解釈すべきか判事たちに講義さえしています。
自分の赤ん坊を殺してしまう母親がいることを否定する人間はいません。
しかし、間違いを起こさない人間もいないのです。
クラーク裁判でロイ卿は、一家族で二人の赤ん坊が立て続けに突然に自然死する確率は7300万分の1にすぎないと陪審員たちに解説しました。そして、陪審員は10対2でサリーに有罪の評決を下しました。しかし、多くの統計学者は『7300万分の1』という数字を批判しています。ロイ卿も間違いを認めました。しかし、それは大きな誤りではなかったと弁解しています。『統計数字の限界に言及しなかったのは遺憾だが、裁判において決定的な問題ではなかった』というのです。
ロイ卿の方法論はメドーの法則と呼ばれるものに基づいています。それは、“1人の赤ちゃんの突然死は悲劇だが、他で証明されなければ、(同一家族内の)2人目の突然死は怪しいし、3人目なら、殺人だ”という経験則です。そして、この法則はロイ卿の著書によって医者、警官、ソーシャルワーカー、そして、判事の間にまで広まっています。
ロイ卿とメドーの法則のために刑務所に入れられ、無実を訴え続けているのはサリーだけではありません。
アンジェラ・カンニングスは今年の春、殺害容疑で終身刑を言い渡されました。法廷で3人の子どもの死が自然死ではないと証言した医学鑑定証人の1人がサー・ロイ・メドー教授です。
しかし、アンジェラ・カンニングスは無罪を訴え続けています。
なぜ、彼女が有罪となったのか理解できないという人もいます。
デービット・ドラッカー博士はマンチェスター大学の細菌学者でSIDSの遺伝子について最先端の研究をしています。かれの同僚はカニングス家の最後の子ども、マチューについて検討し、免疫機構が働いていなかった可能性があることを突きとめました。マチューは感染攻撃に無防備だったのです。
サー・ロイ・メドー教授は統計、遺伝学、中毒学、そして、かれの専門領域である小児科学においてさえ、信頼できない、ということになります。
英国の司法制度の下に起きたこのスキャンダルは、しかし、一個人にとどまる問題ではありません。わが国の司法制度は、赤ちゃんが突然死んでしまったお母さんに不利になるように作られているのです。そして、刑事裁判でも、(そして、おそらくはもっと顕著な形で)家庭裁判所という閉じられた世界でも「疑わしきは罰せず」という原則が通用しないおそれがあるのです。
★2013年11月27日:ヘナチョコ革命「続けて死んだ2人の乳幼児の死因がSIDSとされ刑務所に送られた母」
▼レナード・ムロディナウ 『たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する』 田中 三彦/翻訳、 ダイヤモンド社 、2009/9/17)
ところがその子が死んだとき、彼女は逮捕され、2人の子供を窒息死させたとして告訴された。裁判で検察側は小児専門医のロイ・メドー卿を呼び、SIDSがめったに起きない病気であることを根拠に、2人の乳幼児がSIDSで死ぬ確率は7300万分の1であることを立証した。検察側は、彼女に対してほかにこれといった重要な証拠を提示しなかった。・・・略・・・
サリー・クラークが誤って刑務所送りになったことを理解する鍵は、ふたたびあべこべの誤謬を考えることだ。われわれが求めるべき確率は、2人の乳幼児がSIDSで死ぬ確率ではなく、死んだその2人の乳幼児がSIDSで死んだ確率である。クラークが刑務所に送られてから2年後、英・王立統計学会はプレスリリースでこの問題を比較検討し、陪審員の決定が根拠にしたのは、「訴追者の誤謬として知られる深刻な論理の誤りである。陪審員団は、乳幼児の死に対する2つの競合する説明を比較して評価する必要がある。すなわち、SIDSか殺人か、を。SIDSによる2度の死であれ、2度の殺人であれ、どちらもきわめて蓋然性が低いが、この場合明らかにそのうちの1つが起きている。重要な問題はその死の相対的な蓋然性であって・・・・・・(SIDSの説明が)どれほど蓋然性がないか、ではない」と断じた。
ある数学者がその後、1つの家族がSIDSまたは殺人によって2人の乳児を失う相対的蓋然性を評価した。彼は利用可能なデータにもとづき、2人の乳児は殺人の犠牲者であるとするより、SIDSの犠牲者であるとするほうが、9倍蓋然性が高いと結論づけた。
クラーク家は上訴し、その上訴のために、専門家の証言者として独自に複数の統計学者を雇った。クラーク家は上訴審で負けたが、死に対する医学的説明を求めつづけ、その課程で、第2子は死ぬとき細菌感染にかかっていたという事実を、検事側の病理学者が抑え込んでいたことを暴いた。第2子の死はその感染によってもたらされた可能性があった。この新しい事実をもとに、裁判官が有罪判決を破棄し、サリー・クラークはほぼ3年半の刑務所暮らしから解放された。
●5.【不正発覚の経緯と内容】
★ロイ・メドウという人物
ロイ・メドウ(1933年生まれ)は、ウースター大学(Worcester College, Oxford)を卒業し、医師免許取得した。
1968年(35歳)、「子供を持つ両親」の研究で、英国小児科学会の権威あるドナルド・パターソン賞(Donald Paterson prize of the British Paediatric Association)を受賞した。
1970年(37歳)、英国のリーズ大学(University of Leeds)・上級講師になる。
1977年(44歳)、後に彼を著名にする「1977年のLancet」論文を発表した。この論文で、「代理ミュンヒハウゼン症候群(Münchausen syndrome by proxy、MSbP/MSP)(代行性ホラ吹き男爵症候群)を世界で初めて報告した。
- Munchausen syndrome by proxy. The hinterland of child abuse.
Meadow R.
Lancet. 1977 Aug 13;2(8033):343-5.
PMID:69945
1980年(47歳)、英国のリーズ大学・教授に就任し、大学付属病院である聖ジェームス大学付属病院(St James’s University Hospital)・小児科で臨床医をする。
1993年(60歳)、『小児虐待のABC(ABC of Child Abuse)』(邦訳なし)を出版する。その本に、有名なメドウの経験則、「1人目の赤ちゃんの突然死は悲劇だが、2人目の突然死は怪しいし、3人目なら殺人だ」が記述されている。
『小児虐待のABC(ABC of Child Abuse )』(ABC Series)(表紙)
Meadow, Sir Roy
Published by Wiley-Blackwell (1993)
ISBN 10: 0727907646
ISBN 13: 9780727907646
1993年(60歳)、べヴァリー・アリット(Beverley Allitt)事件で専門家証人として証言し、アリットは終身刑になる。
1998年(65歳)、リーズ大学を退職し、同時に名誉教授となる。また、「小児の健康への貢献」で、爵位(ナイト)の称号を授与される。
1998年(65歳)、ドナ・アンソニー(Donna Anthony)事件で専門家証人として証言し、アンソニーは刑務所刑になる。後で証言が間違いだったとわかる
以下、事件を1つ(サリー・クラーク事件)だけ詳しく述べる。他は時系列で示すが同類である。
その前に英国と米国にある「専門家証人(Expert witness)」制度を簡単に説明しよう。
★専門家証人(Expert witness)
参考 → Expert witness – Wikipedia
専門家証人(Expert witness)は、学識、経験、スキルが優れている専門家に、裁判官が、事件に関する専門的な意見を聞く制度での証人である。
米国、英国のイングランドとウェールズにある制度で、日本にも同じ制度がある。
裁判官は、専門家証人の専門的な意見(科学的、技術的など)を裁判で考慮することができる。 専門家証人は、専門知識の範囲内で「専門家の証拠」を提供することができる。証言は、他の専門家からの証言、証拠、事実によって反駁されることもある。
★サリー・クラーク事件
サリー・クラーク(Sally Clark)は、1964年8月、英国・イングランドの小さな町・デビズ(Devizes)に生まれた。
父は警察官で母は美容師という家庭で、その1人娘だった。サウサンプトン大学(University of Southampton)を卒業し、英国の事務弁護士(ソリシター、Solicitor)になった。
1990年、25歳で、同じ事務弁護士のスティーブ・クラーク(Steve Clark、Stephen Clark)と結婚した。
1996年9月26日、32歳で最初の子供(男児)を出産し、クリストファー(Christopher)と名付けた。クリストファーは健康な赤ん坊だった。
夫のスティーブ・クラーク(左)が最初の子供(男児)・クリストファー(Christopher)を抱く。サリー・クラーク(右、32歳)。1996年。写真出典
1996年12月13日、生後3か月のクリストファーはベッドで意識がなく、母親のサリー・クラークは、救急車を呼んだが、不幸にしてクリストファーは病院で亡くなった。
最愛の赤ん坊を亡くし、サリー・クラークは、うつ病に苦しみ、病院でカウンセリングを受けた。
1997年11月29日、うつ病が回復していたサリー・クラーク(33歳)は、2人目の子供・ハリー(Harry)を産んだ。
1998年1月26日、サリー・クラーク(33歳)の2人目の子供・ハリーが生後8週間で死亡した。
サリー・クラークは、2回とも自宅で赤ちゃんと一緒にいて、赤ちゃんを蘇生させようとしたため、赤ちゃんに外傷ができていた。
1998年2月23日、サリー・クラーク(33歳)と夫・スティーブ・クラークは、子供を殺害した容疑で逮捕された。
本記事はロイ・メドウの記事だが、事件で科学的な証言をした人はロイ・メドウだけではなかった。
夫のスティーブ・クラークの殺人罪を主張したのは小児科医のデイヴィッド・サウソール教授(David Southall、Photo: Chris Young/PA Wire、写真出典)だった。 → デイヴィッド・サウソール(David Southall)(英) | 白楽の研究者倫理
デイヴィッド・サウソール教授は、後に、間違った供述をしたことで、3年間の子供治療停止処分を受けた。しかし、サウソール教授本人は反省の色がない。
→ 2008年9月23日のジャヤ・ナレイン(Jaya Narain)記者の「MailOnline」記事: Doctor who falsely accused Sally Clark’s husband of murdering their sons cleared to work again | Daily Mail Online
話を戻す。
夫のスティーブ・クラークは釈放された。
妻のサリー・クラークは、弁護士の助言を受け、検察の質問に答えることを二度とも拒否した。しかし、2人の子供の殺人罪で起訴された。
サリー・クラークは無実を主張し続け、夫は彼女を全面的に支援した。裁判中、彼女は3人目の息子を産んだ。
1999年11月、チェスタークラウン裁判所(Chester Crown Court)でサリー・クラーク(34歳)の裁判が始まった。
ロビン・スペンサー(Robin Spencer QC)が率いる検察チームは、リーズ大学の小児科医であるロイ・メドウ名誉教授(爵位あり)を専門家証人に立たせた。
メドウ教授は、突然死の81例は、実際は殺人だったと証言した。但し、証言当時、証言を裏付けるデータは廃棄してしまっていて、持っていないと述べた。
メドウ教授の説は、「1人目の赤ちゃんの突然死は悲劇だが、2人目の突然死は怪しいし、3人目なら殺人だ」である。
サリー・クラークの2人の乳幼児が自然に死亡するのは不自然で、2人が突然死する可能性は7300万人に1人だと証言したのである。
突然死の専門家で名誉教授、しかも爵位を持つ人である。専門家証人の証言を陪審員は信じ、サリー・クラークに終身刑が宣告され、刑務所に送られた。
ところが、その後、統計の専門家が、メドウ教授の「2人が突然死する可能性は7300万人に1人」は統計的な間違いだと指摘した。メドウ教授もその間違いを認めた。
2000年10月、サリー・クラーク(35歳)の1回目の控訴審が行なわれた。3人の裁判官は、メドウ教授が証言で使用した統計値が間違っていることを認めたが、サリー・クラークの訴えを棄却した。
2003年1月、サリー・クラーク(38歳)の2回目の控訴審が行なわれた。
サリー・クラークの2人目の子供・ハリーの検視を担当したのは内務省の病理学者・アラン・ウィリアムス(Alan Williams、写真出典)だった。
ウィリアムス医師は、検視したハリーの血液に病原菌を検出していたのだが、その検査結果を秘匿していたことが、控訴審で判明した。
控訴裁判所は、ハリーの死は病原菌の感染による可能性が高く、虐待ではないと裁定した。つまり、サリー・クラークの有罪をくつがえし、無罪とした。
英国の著名なジャーナリストであるジェフリー・ワンセル(Geoffrey Wansell)は、サリー・クラーク事件を「英国の現代法律史における偉大な司法ミス」だと批判している。
彼女が冤罪が判明し、英国で同じような冤罪が多数あるのではないかと疑われ、検事総長は何百もの他の事件の再調査を命じた。また、メドウ教授の証言で有罪になった他の2人の女性の有罪判決も再審議され、無罪になった。
サリー・クラーク(中央、38歳)、夫のスティーブ・クラーク(右)。2003年1月29日、英国の高等法院 (High Court of Justice) で勝訴した時、メディアのインタビューに答えた。写真はREUTERS/Stephen Hird。出典
2003年1月、サリー・クラーク(38歳)は、3年余りの刑務所から解放された。
しかし、警察官の娘で弁護士だったサリー・クラークは、自分の子供の殺人罪で刑務所で過ごした3年余りの間、他の囚人の攻撃のマトになり、悲惨な刑務所暮らしを強いられ、精神に異常をきたしていた。
サリー・クラークは、刑務所から自宅に戻ってきたが、2度と正常な生活に戻ることはできなかったのである。
刑務所刑での精神的な傷だけでない。
サリー・クラークは逮捕される前、法体系を順守するのが仕事の事務弁護士のだった。それが、医学的にいい加減な証拠の裁判で有罪と宣告され、彼女がかつて仕事として従事していた法体系の世界に強い拒絶観を抱いた。もう、すべてを受け入れられなくなった。
これらの壊滅的な人生経験、長期間の深い悲しみのために、サリー・クラークは深刻な精神的問題を抱えてしまった。アルコール依存症によって人格も崩壊してしまった。
2007年3月15日、サリー・クラークは、夫のスティーブ・クラークが仕事で出張中に、英国のハットフィールド・ペベレル(Hatfield Peverel)の自宅で死亡した。42歳だった。死因は急性アルコール中毒と検死官は発表した。
「自殺の証拠はない」とも発表したので、へそ曲がりの白楽は、自殺したのだと思った。
【動画】
マンガで説明「Sally Clark」(英語)5分01秒
ISOM1500 4H が2016/12/01 に公開
ロイ・メドウが専門家証人をした事件がいくつもある。時系列で並べてみた。主な参考 → 2005年7月15日記事:Timeline: Sir Roy Meadow | Society | The Guardian
★1993年(60歳):べヴァリー・アリット事件
べヴァリー・アリット(Beverley Allitt、写真出典)は、英国のグランサム地区病院(Grantham and District Hospital)の看護師(女性)だった。
1991年2 ‐ 4月、22歳のアリット看護師は、入院中の7歳、11歳、生後2か月の他人の子供3人に高濃度のインシュリンを注射し3人を殺害した。他に1人殺害し、計4人を殺害した。さらに9人の殺害未遂をした。動機は不明である。
1993年(60歳)、ロイ・メドウはべヴァリー・アリット(Beverley Allitt)事件で専門家証人として証言をした。
1993年5月、裁判でアリットに終身刑が科された。
2007年12月6日、刑期30年になり、2022年に54歳で刑期を終える計算になった。2017年7月1日現在、服役中である。
★1998年11月(65歳):ドナ・アンソニー事件
ブリストル・クラウン裁判所は、ドナ・アンソニー(Donna Anthony)が11歳の娘・ヨルダンと4歳の息子・マイケルを殺害した罪で刑務所刑を科した。メドウ教授が、事故で2人の子供が死ぬ確率は100万人に1人だと証言したのである。
★1999年11月(66歳):サリー・クラーク事件(上記)
事件の状況は上記の通りである。経時的な事項を繰り返し記載すると以下の通りである。
2003年1月、検視を担当した内務省の病理学者がサリー・クラークの子供・ハリーの微生物検査を開示しなかったことが判明し、控訴裁判所は、ハリーは虐待ではなく、自然死の可能性が高いと認めた。サリー・クラークの有罪をくつがえし、無罪とした。この時、既に、サリー・クラークは3年余り刑務所刑を受けていた。
★2003年6月(69歳):トラップティ・パテル事件
薬剤師のトラップティ・パテル(Trupti Patel)は彼女の赤ちゃん3人を殺したことで逮捕された。 この裁判では、メドウ教授が「1人目の赤ちゃんの突然死は悲劇だが、2人目の突然死は怪しいし、3人目なら殺人だ」の意見を述べた。
しかし、裁判官は、サリー・クラーク事件で学び、メドウ教授の証言を重視しなかった。
事実を調べ、パテル夫人の母親の5人の子供は幼児期初期に死亡していた。つまり、遺伝性疾患が死亡原因であるとされ、パテルは無罪となった。
★2003年12月(70歳):アンジェラ・カンニングス事件
アンジェラ・カンニングス(Angela Cannings)は、彼女の赤ちゃん2人を殺したことで逮捕された。 この裁判では、メドウ教授が証言に立ったが、未知の遺伝的障害が死亡原因であった可能性があると遺伝学者が裁判所に訴え、殺人罪は破棄された。
【動画】
アンジェラ・カンニングスが裁判で勝訴「COT DEATHS: ANGELA CANNINGS CLEARED OF CHILDRENS MURDER ON APPEAL」(英語)41秒
ITN Sourceが2015/03/17 に公開。削除されてしまいました。スミマセン。
メドウの元妻・ジリアン・パターソン(Gillian Paterson)は、「メドウは、赤ん坊が死ねば、基本的に、母親を代理ミュンヒハウゼン症候群と見なす人です。実際に代理ミュンヒハウゼン症候群の事件もあるでしょうが、それはとても珍しい病気です。私は、誰かがメドウの暴走・錯誤を止めなくては、と長いこと思っていました」。
「メドウはミソジニスト(misogynist、女性を嫌悪する人)なのです。詳細には言えないけど、メドウが女性を嫌っているのは確かだわ」と述べている。
→ 2004年1月23日の「Evening Standard (London)」 記事: The Evening Standard
★2004年6月(71歳):サリー・クラーク事件の本が出版
ジョン・バット(John Batt) 著『盗まれた無実:サリー・クラーク事件の物語―正義のために戦った母(Stolen Innocence: The Sally Clark Story – A Mother’s Fight for Justice)』、2004年6月10日出版、336頁、ISBN-13: 978-0091900700。邦訳なし。
本の表紙出典。
★2004年12月(71歳):医学雑誌ランセット
医学雑誌ランセットは、同じ家族で2人目の子供が死亡するのは、虐待が原因というよりも自然死が原因である方がずっと可能性が高いと発表した。
★2005年4月(71歳):アンソニー夫人が釈放
1998年11月のドナ・アンソニー事件で6年間以上も刑務所で刑に服していたアンソニー夫人が釈放された。裁判官は、同じ家庭で幼児2人の突然死が統計的に稀であるという誤った理論に基づいて、彼女の裁判が行われたと述べている。
★2005年6月(72歳):ロイ・メドウ医師の聴聞会
英国の医事委員会(General Medical Council)は、サリー・クラーク事件に関して、深刻な専門的間違いがあった可能性の検証に、ロイ・メドウ医師の聴聞会を開いた。
★2005年7月(72歳):ロイ・メドウ医師の有罪
英国の医事委員会はロイ・メドウに深刻な専門的間違いがあったと発表し、医師免許をはく奪した。
→ 2005年7月15日の「BBC」記事:BBC NEWS | Health | Sir Roy Meadow struck off by GMC
★2005年12月(72歳):イアン・ゲイとアンジェラ・ゲイ夫妻事件
2002年、イアン・ゲイとアンジェラ・ゲイ夫妻(Ian and Angela Gay)は3歳の男児養子を殺害した容疑で逮捕された。この事件では、メドウ教授が専門家証人に立っていない。しかし、検察チームがメドウ教授の学説の信奉者だったのである。
2005年12月、イアン・ゲイとアンジェラ・ゲイ夫妻は、殺人罪は免れたが過失致死罪で15年間の刑務所刑が宣告された。
2007年3月、一転して無罪となり、1年3か月の刑務所刑から解放された。
★2006年5月(72歳):アンジェラ・カンニングス事件の本が出版
アンジェラ・カンニングス(Angela Cannings)、ミーガン・デイヴィス(Megan Lloyd Davies)著『すべての可能性をかけて:無実を証明するための母親の戦い:アンジェラ・カンニングスの物語(Against All Odds: A mother’s fight to prove her innocence: The Angela Cannings Story)』、2006年5月出版、352頁、ISBN-978-0316733045。邦訳なし。表紙出典。
★2006年10月(73歳):ロイ・メドウ医師の無罪
2006年10月(73歳):英国の高等法院 (High Court of Justice) は、 ロイ・メドウは無罪と裁定した
→ 2006年2月17日の「BBC」記事:BBC NEWS | Health | Sally Clark doctor wins GMC case
●6.【論文数と撤回論文】
2017年7月1日現在、パブメド(PubMed)で、ロイ・メドウ(Roy Meadow)の論文を「Roy Meadow [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2002~2003年の2年間の3論文がヒットした。
「Meadow R[Author]」で検索すると、1969~2017年の48年間の71論文がヒットした。
全部が本記事のロイ・メドウとは思えない。少なくとも2008年以降の6論文は別人の論文である。
所属の「St James’s University Hospital」で絞り「(Meadow R[Author]) AND St James’s University Hospital[Affiliation]」で検索すると、1989~1999年の11年間の18論文がヒットした。18論文の内、16論文が単著である。
【白楽の感想】大学の臨床教授なのに、単著が多いのは珍しい。ロイ・メドウは、考え方が独断と偏見に陥りやすい臨床・研究の環境で過ごしてきたということだろう。
2017年7月1日現在、「Meadow R AND retracted」でパブメドの論文撤回リストを検索すると、撤回論文はなかった。
●7.【白楽の感想】
《1》悲惨
子供を亡くした母親は、それだけで人生に絶望するほど悲嘆に暮れるのに、追い打ちをかけるように、殺人罪で終身刑が宣告された。
英国では児童虐待の専門家として神様のようなメドウ教授が「1人目の赤ちゃんの突然死は悲劇だが、2人目の突然死は怪しいし、3人目なら殺人だ」と裁判で証言したからである。
サリー・クラークの終身刑は数年後、一転して無罪となり、3年余りの刑務所から解放された。しかし、自宅に戻っても、精神に異常をきたし、2度と正常な生活に戻ることはできなかった。
無罪と宣告されてから4年後の2007年3月15日、サリー・クラークは、夫の出張中に、自宅で死亡した。42歳だった。死因は急性アルコール中毒だが、白楽が思うに、自殺だろう。イヤ、誤解を恐れずに言えば、メドウ教授と裁判官が殺したようなものだ。
事件は悲惨である。悲しい。
《2》裁判での学説の責任
ロイ・メドウは65歳で大学を退職後、爵位(ナイト)の称号を授与されている。英国では、小児科医のスーパースターの名声を得ていた。金銭的には十分だっただろう。
裁判所で証言に立ったのは退職後で、自分の学問的成果を実際の社会に適用することが主眼で、カネや名誉をもっと得ようという欲得ではなかったと思われる。
しかし、誰かが指摘していたが、メドウ教授の証言はあまりにも傲慢である。それに、核心部分に学問的な間違いもあった。
そして、証言の科学的根拠がいい加減だったことから、今度は一転して、自分が罪に問われ、医師免許がはく奪され、名誉・名声は地に落ちた。
白楽は充分に調査・熟考したわけではないが、サリー・クラーク事件でメドウ教授の証言を裁判官が重視した時点で、危ない印象を持った。学者の学説よりも、もっと、科学的データに基づいた物証で判断すべきだろう。
研究者が学者としての学説を展開することと、それを裁判で証人として証言することの間には、もっと検討が必要だろう。専門家証人の証言を判決に適用するための条件や基準も設けるべきだ。
なお、日本の裁判では、メドウ事件よりもはるかに非科学的な判決が下されることがある。日本の裁判官は文系人間で理系が苦手だった人が多いと思われる。だから、日本の裁判でこそ、もっともっともっと、科学知識に基づいた裁定をしてもらいたいと感じる。
→ Law & Science
→ www.law-science.org/items/handbook.pdf
ロイ・メドウについて、生命科学系の学術誌に記事がある。ナナメに読んだだけで、以下に参考に示す。
①:Roy Meadow – The Lancet
②:Roy Meadow: the GMC’s shame
③:Professor Roy Meadow struck off | The BMJ
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●8.【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Roy Meadow – Wikipedia
② サリー・クラーク(Sally Clark)のウェブサイト:Sally Clark 、(保存版)
③ ロイ・メドウ(Roy Meadow)の「Alchetron」記事:Roy Meadow – Alchetron, The Free Social Encyclopedia、(保存版)
④ 本事件に関する英語記事は多数ある。〈例1〉:Math on Trial: How Numbers Get Used and Abused in the Courtroom – Leila Schneps, Coralie Colmez – Google ブックス。〈例2〉:心理学者のリサ・ブレイクモア・ブラウン(Lisa Blakemore Brown)の記事:[2009 Dec pdf] SIR ROY MEADOW REMOVES HIMSELF FROM THE GENERAL MEDICAL COUNCIL REGISTER By Lisa Blakemore Brown
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
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