2017年2月8日掲載。
ワンポイント:1980年代に大活躍した男性心理学者。心理学の博士号を取得し、幾つかの大学の教員を務めた後、非営利の家族研究所・所長としていい加減な研究で同性愛・ゲイに反対した。約90報の論文と5冊の書籍を出版した。1983年(43歳)以降、学術界から排除されたが、同性愛反対派からは熱烈な支援を受けた。「全期間ランキング」に記載した「Listverse」誌の「フィクションを事実として発表した面汚し科学者10人」:2015年12月17日の第4位である。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文と著書
7.白楽の感想
8.主要情報源
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●1.【概略】
ポール・キャメロン(Paul D. Cameron、写真出典)は、コロラド大学で心理学の研究博士号(PhD)を取得後、米国のいくつかの大学の教員を務めたが、1982年(42歳)に家族研究所(Family Research Institute)を創設し、その所長に就任した。心理士の資格を持っている。専門は心理学で、性科学(同性愛・ゲイ反対)で世間の注目を集める発言をした。
問題となったのは、いい加減なデータにもかかわらず、家族研究所・所長として、児童性的虐待・平均余命縮小が同性愛に相関しているという多数の論文を発表したことである。
1983年(43歳)、キャメロンの論文にネカト疑惑が生じたので、米国心理学会が調査を始めたが、キャメロンが調査に非協力的だったことから、キャメロンを除名処分にした。
キャメロン事件は、「全期間ランキング」に記載した「Listverse」誌の「フィクションを事実として発表した面汚し科学者10人」:2015年12月17日の第4位である。
なお、一部の資料に、テレビドラマ「愉快なシーバー家」でシーバー家の長男マイク役を演じた俳優のカーク・キャメロン(Kirk Cameron)は、ポール・キャメロンの息子だという記述がある。しかし、この記述は間違いである。ポール・キャメロンの息子に同姓同名のカーク・キャメロン(Kirk Cameron)がいるが、俳優ではない。
家族研究所(Family Research Institute)のロゴ。写真出典
- 国:米国
- 成長国:米国
- 研究博士号(PhD)取得:コロラド大学ボルダー校(University of Colorado-Boulder)
- 男女:男性
- 生年月日:1939年11月9日
- 現在の年齢:85 歳
- 分野:心理学
- 最初の不正論文発表:1998年(40歳)
- 発覚年:2010年(36歳)
- 発覚時地位:家族研究所(Family Research Institute)・所長
- ステップ1(発覚):第一次追及者(詳細不明)の米国心理学会への公益通報
- ステップ2(メディア):
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①米国心理学会・調査委員会。②米国社会学会・調査委員会
- 不正:ズサンな解析で、一種のねつ造・改ざん
- 不正論文数:
- 時期:研究キャリアの初期から
- 結末:学会除名。心理士免許停止
●2.【経歴と経過】
主に①Paul Cameron Bio and Fact Sheet
- 1939年11月9日:米国のピッツバーグで生まれる
- 1961年(21歳):米国のロサンゼルス・パシフィック大学(Los Angeles Pacific College)を卒業。学士号
- 1962年(22歳):米国・カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(California State University, Los Angeles,)で修士号(MA)取得
- 1966年(26歳):コロラド大学ボルダー校(University of Colorado-Boulder)で研究博士号(PhD)取得。心理学専攻。論文タイトル「Age as a determinant of differences in non-intellective psychological functioning」
- 1967-68年(27-28歳):ウェイン州立大学(Wayne State University)・教員
- 1970-73年(30-33歳):ルイビル大学(University of Louisville)・教員
- 1976-79年(36-39歳):フラー神学大学(Fuller Graduate School of Psychology [part of the Fuller Theological Seminary] )・教員
- 1979-80年(39-40歳):ネブラスカ大学(University of Nebraska)・教授(?)
- 1980年(40歳):ネブラスカ州リンカーンで心理診療所を開設
- 1982年(42歳):ネブラスカ州リンカーンに性科学研究所(Institute for the Scientific Investigation of Sexuality)を開設。後に、家族研究所(Family Research Institute)に改名した
- 1995年(55歳):ネブラスカ州はキャメロンの心理士免許を凍結した
●3.【動画】
【動画1】
インタビューにキャメロンが答えている:「同性愛者は寿命が20-30年短い(Dr. Paul Cameron: homosexuality shortens longevity by 20-30 yrs)」(英語)12分53秒。
AFRTALKが2013/04/12 に公開
【動画2】
インタビューにキャメロンが答えている:「ゲイ反対者キャメロンのゲイ死刑論(Anti-Gay Dr. Paul Cameron Open to Gay Death Penalty)」(英語)10分46秒。
David Pakman Showが2014/02/25 に公開
●5.【不正発覚の経緯と内容】
★キャメロンの活躍
1980年(40歳)、ネブラスカ大学(University of Nebraska)・教員を辞めて、ネブラスカ州リンカーンで心理診療所を開設した。
1982年(42歳)、ネブラスカ州のリンカーン市が性的指向の基ずく差別を禁止する法令の住民投票を行なった。キャメロンは、同性愛の特権に反対する委員会(Committee to Oppose Special Rights for Homosexuals)の委員長として、同性愛を認めない活動を先導した。
このキャンペーンの中で、キャメロンは、ネブラスカ大学で有名なスピーチをした。その中で、4歳の少年が地元のショッピングセンターで同性愛の暴行を受けたと講演し、大きな反響を呼んだ。
警察はすぐに、この事件を承知していないと発表した。キャメロンは、噂として聞いた話であることを認めた。
1982年5月11日(42歳)、性的指向に基づく差別を禁止するリンカーン市の法令は、反対票が賛成票の4倍にも達し、否決された。キャメロンは、大勝利を収めたのである。
1982年(42歳):ネブラスカ州リンカーンに、後に、家族研究所(Family Research Institute)と改名する性科学研究所(Institute for the Scientific Investigation of Sexuality)を開設し、所長に就任した。
1983-1984年、キャメロンは、7都市(デンバー、ロサンゼルス、ルーイビル、オマハ、ニューヨーク州のロチェスター、ワシントンDC、ネブラスカ州のベネット)(5都市という記述もある)の9,129人にアンケート用紙を送付し、4,340人から回答を得た。後で、彼はダラスの824人の回答を加えた。
上記のアンケートは、心理学分野では、重要な結論を導くには少なすぎる。しかし、そのアンケート回答で多くの研究論文を発表した。貧弱なデータと解析を使って、米国のゲイ・コミュニティを批判した。
彼の結論はヒドイものだった。キャメロンは、ゲイは米国人口の2パーセントを占めるが、米国の梅毒患者の60パーセントを占めると主張した。同性愛の女性は異性愛の女性の300倍も自動車事故で死亡していると主張した。同性愛者は児童虐待する率が異性愛者より10~20パーセント高いと主張した。同性愛者の平均寿命は43歳で、異性愛者の寿命より20-30年短いと主張した(以下の表:データ出典)。
分類 | 死亡時平均年齢 | 65歳以上で死亡% |
既婚男性:異性愛者 | 75 | 80% |
既婚女性:異性愛者 | 79 | 85% |
エイズ男性:同性愛者 | 39 | 1% |
エイズではない男性:同性愛者 | 42 | 9% |
レスビアン | 44 | 20% |
1980年代中頃、米国のゲイ・コミュニティでは、キャメロンは、米国で最も危険な人物とされた。
出典:https://memegenerator.net/instance/27954526
1996年の論文では、同性愛の教師の下では、生徒が同姓愛者になるとも結論している。この論文のデータも、1983-1984年のアンケート結果に基づいている。
→ Do Homosexual Teachers Pose a Risk to Pupils?: The Journal of Psychology: Vol 130, No 6
いい加減な研究だったが、キャメロンは博士号を持ち大学教授だった信用と科学っぽいデータと分析で、同性愛に反対する個人・組織(例:Traditional Values Coalition)から強い支持を受け、その主張や論文が引用された。
キャメロンはあちこちで講演した。米国のいくつかの州議会で、同性愛に関する立法で、コンサルタントとしてアンチ同性愛立法に有利になるよう活躍した。Baker v. Wade (1985)裁判 では、証言台にも立っている。
2015年3月(75歳)、キャメロンは、ポーランドのゲイ人権組織「Pracownia Róznorodnosci」が自分のことを「同性愛嫌いの嘘つき(homophobic liar)」と呼んだことに対して裁判を起こしている。
ポール・キャメロン(Paul Cameron) (fot. Bydgoski Klub Frondy)。出典
★学会の処分
心理学の研究者は、キャメロンの研究には、結論に至る方法論に大きな問題があると指摘していた。
1983年12月2日(44歳)、米国最大の学会である米国心理学会は、キャメロンの論文にネカト疑惑があると指摘したことを受け、調査を始めた。しかし、キャメロンが調査に非協力的だったことから、キャメロンを除名処分にした。 → 除名処分の手紙。
キャメロンは自分のウェブサイトで、除名処分を受ける前に学会に退会届を提出していたと述べている。
しかし、多くの組織がそうであるように、米国心理学会も不正疑惑で調査している人物が退会届を出しても退会を受理しない。仮に、キャメロンの主張が正しいとしても、米国最大の学会である米国心理学会が除名するのはそうとうなことである。
1984年(44歳)、ネブラスカ心理学会(Nebraska Psychological Association)は、ネブラスカ心理学会はキャメロンの研究発表とは一線を画すと発表した。
1986年8月(46歳)、米国社会学会(American Sociological Association)は、キャメロンは社会学者ではありませんと発表した。
1995年(55歳)、ネブラスカ州はキャメロンの心理士免許を凍結した。
1996年8月(56歳)、カナダ心理学会(Canadian Psychological Association)は、キャメロンは性、同性愛、レスビアンに関して、間違えた解釈と間違った結果を恒常的に発表し続けているので、カナダ心理学会はキャメロンと一線を画すと発表した。
●6.【著書】
ポール・キャメロン(Paul Cameron)は、90報の論文、5冊の書籍を出版した。
ウィキペディア英語版に記されたリスト4冊の書籍は以下の通りである。
→ Paul Cameron – Wikipedia
- Paul Cameron (1977). The Life Cycle: Perspectives and Commentary. Oceanside, NY: Dabor Science Publications. ISBN 0-89561-057-4.
- Paul Cameron (1978). Sexual Gradualism: A Solution to the Sexual Dilemma of Teen-agers and Young Adults. Sun Valley, CA: HumLife Publications. OCLC 5028575.
- Paul Cameron (1988). Exposing the AIDS Scandal. Lafayette, LA: Huntington House. ISBN 0-910311-52-8.
- Paul Cameron (1993). The Gay 90s: What the Empirical Evidence Reveals about Homosexuality. Franklin, Tenn.: Adroit Press. ISBN 1-884067-01-8.
●7.【白楽の感想】
《1》いい加減な研究方法
ポール・キャメロン(Paul Cameron)は、学術界からは研究方法がズサンで、自分に都合の良い結論を述べるいい加減な研究者と扱われた。
キャメロンはかつては大学教員だったが、大学教員を辞めてからインチキ学説を発表し始めた。非営利の家族研究所を設立し、そこの所長として発表した。
国からの助成金や大学に依存していない。キャメロンの学説に賛同する人々がキャメロンを支援した。同性愛反対の金持ちはたくさんいる。人気が高かったと思われる。キャメロンが講演している写真がたくさんある。
この場合、インチキ学説の発表をどう取り締まることができるのだろうか?
国・大学・学術誌は処分する術がない。学会は除名処分にしたが、それしか対抗策がない。しかし、一般的に、学会の除名処分は、本人にとってほとんど打撃にならない。
言論の自由が保障される現代社会では、賛同者がいる限りインチキ学説はドウドウと生き残れる。
写真出典 http://wyborcza.pl/51,76842,17550983.html?i=0
写真出典 http://bydgoszcz24.pl/artykul/paul-cameron-homoseksualizm-jest-choroba/zdjecia/1
http://wiadomosci.gazeta.pl/wiadomosci/1,114873,7869689,Paul_Cameron_w_Radiu_Maryja__30_proc__ksiezy_to_geje.html
●8.【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Paul Cameron – Wikipedia
② 2006年1月31日のデイヴィッド・ホルトハウス(David Holthouse)の「Southern Poverty Law Center」記事:Paul Cameron’s Falsehoods Cited By Anti-Gay Sympathizers | Southern Poverty Law Center(保存版)
③ Alchetron(Free Social Encyclopedia for the World)のポール・キャメロン(Paul Cameron記事:Paul Cameron – Alchetron, The Free Social Encyclopedia(保存版)
④ 1996年10月3日のワード・ハーカヴィ(Ward Harkavy)の記事: Slay It With a Smile | Westword(保存版)
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。