ワンポイント:同僚の培養細胞を殺した研究妨害で、民事訴訟になり損害賠償
●【概略】
プリンス・アロラ(Prince K. Arora、顔写真未発見。写真出典)は、米国・NIH(National Institutes of Health)・国立糖尿病・消化器・腎疾病研究所 (NIDDK; National Institute of Diabetes and Digestive and Kidney Diseases)の神経科学部(Laboratory of Neuroscience)の研究員(男性)で、専門は免疫学だった。
1992年(44歳?)、同僚の培養細胞を殺した研究妨害が発覚し、解雇された。
1994年8月29日(46歳)、米国連邦地裁(U.S. District Court)の民事訴訟で約5千ドル(約50万円)の損害賠償が命じられた。
米国・NIH(National Institutes of Health)
写真 By NIH – http://www.media.nih.gov/imagebank/display.aspx?ID=392, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16235812
- 国:米国
- 成長国:インド? 名前から推察した
- 研究博士号(PhD)取得:あり
- 男女:男性
- 生年月日:不明。仮に1948年1月1日生まれとする。1994年8月30日の新聞記事に46歳とあるので
- 現在の年齢:76 歳?
- 分野:免疫学
- 最初の不正行為:1992年(44歳?)
- 発覚年:1992年(44歳?)
- 発覚時地位:NIH・国立糖尿病・消化器・腎疾病研究所の研究員
- 発覚:ボスの公益通報
- 調査:①NIH・ポリス。②研究公正局。~2013年12月23日。③裁判所
- 不正行為:研究妨害、セクハラ
- 不正数:研究妨害数回(推定)、セクハラ数回(推定)
- 時期:研究キャリアの中期
- 結末:解雇
●【経歴と経過】
ほとんど不明
- 生年月日:不明。仮に1948年1月1日生まれとする。1994年8月30日の新聞記事に46歳とあるので
- 1978年(30歳?):ミシガン州立大学(Michigan State University)で研究博士号(PhD)取得。微生物学
- 1978年(30歳?):米国・NIH・国立癌研究所・免疫診断学部(Laboratory of Immunodiagnosis)のポスドク。
- 1987年(39歳?):米国・NIH・国立糖尿病・消化器・腎疾病研究所の研究員
- 1992年(44歳?):研究妨害が発覚し、解雇された
- 1994年8月29日(46歳):米国連邦地裁の民事訴訟で約5千ドル(約50万円)の損害賠償が命じられた。
●【不正発覚の経緯と内容】
1986年、フィル・スコルニック(Phil Skolnick、写真出典)は、米国・国立糖尿病・消化器・腎疾病研究所 (NIDDK; National Institute of Diabetes and Digestive and Kidney Diseases)の神経科学部(Laboratory of Neuroscience)の部長に就任した。研究棟は8号館である。
1987年(39歳?)、スコルニックはアロラを研究員に採用した。
1989年(41歳?)、アロラは、日本人のヨシタツ・セイ(Yoshitatsu Sei、清 美達)をポスドクに採用した。
セイは、1983年に久留米大学医学部を卒業した医師で、1988年に久留米大学で研究博士号(PhD)を取得していた。セイはアロラ研究室に来る前に、米国のマウントサイナイ医科大学(Mount Sinai School of Medicine)でポスドクとして1~2年過ごしたようだ。
1989年10月、セイはアロラ研究室でアロラと最初の共著論文を出版している(下記)。
- Evaluation of the effects of erythro-9(2-hydroxy-3-nonyl) adenine (EHNA) on HIV-1 production in vitro.
Sei Y, Inoue M, Tsuboi I, Yokoyama MM, Arora PK.
Biochem Biophys Res Commun. 1989 Oct 16;164(1):345-50.
1990年12月、セイは自由に研究してよいとのことなので、自分の得意な培養細胞技術を生かして、スコルニック研究室のゲーリー・ウォン(Garry Wong)の遺伝子工学研究プロジェクトに参加した。
プロジェクトのゴールは、「アルコール乱用やアルツハイマー病の研究のために、新しい遺伝子改変細胞株」を開発することだった。
1991年秋(推定)、ゲーリー・ウォン(Garry Wong)の研究グループはアルファー1-4細胞を作成した。1992年2月に学術誌に論文発表する予定で、発表前に、世界の研究者からの要請に応じられるように、セイは多量の細胞を培養していた。
ところが、セイはエイズ研究の論文のオーサーシップ(論文の著者の順番)のことで、アロラとモメ始めた。
1991年秋(43歳?)、アロラの実験助手である若い女性・アブハ・サイニ(Abah Saini)が、アロラがセクハラするので、部署を変えてほしい、とスコルニック部長に訴えた。この事件で、アロラは研究室の信頼を失った。
スコルニック部長は、サイニ実験助手の部署をアロラ研究室からセイ研究室に変えた。とはいえ、数か月後にサイニはNIHを辞めた。
1992年2月末(44歳?)、セイとウォンは多量のアルファー1-4細胞が培養器内で死滅したことに気が付いた。いろいろ検討した結果、誰かが毒物を入れたのではないかという結論に至った。
1992年3月17日(44歳?)、フラスコの蓋にしるしをして、誰かが開ければわかるようにした。翌日、フラスコの蓋のしるしがズレていたので、誰かが蓋を開けたことが明白になった。
培養室はカードキーでしか入室できない。入退室者の記録がある。記録をみると、最も疑わし人物にアロラが浮かび上がってきた。
1992年3月27日(44歳?)、再び、多量のアルファー1-4細胞が培養器内で死滅した。スコルニック部長は、研究妨害をNIHポリスに報告した。
1992年4月1日(44歳?)、エイプリール・フールの日、NIHポリスとセイは、おとり実験をした。培養器内に12個のフラスコを入れ、1つだけアルファー1-4細胞とラベルし、他は別の細胞名をラベルした。
アロラがカードキーを使って、培養室に入室してきた。NIHポリスとセイは、培養室から出た。後で、NIHポリスとセイが戻ってくると、アルファー1-4細胞とラベルしたフラスコだけ、蓋がズレていた。フラスコについた指紋の分析をFBIに依頼した。
分析の結果、フラスコについていた指紋は、アロラの指紋と一致した。
尋問され、アロラは自分がしたと認めた。
スコルニック部長に「どうしてそんなことをしたのか?」と聞かれ、アロラは、次のように答えている。
「セイとサイニ実験助手を訓練したのです。2人は私に陰謀を企てているのです」。
1992年4月14日(44歳?)、アロラは解雇された。
1993年5月(45歳?)、政府は、研究妨害による損害賠償をアロラに求め、民事訴訟を裁判所に申し立てた。
1994年8月29日(46歳)、米国連邦地裁(U.S. District Court)の裁判官・ピーター・メシッテ(Peter Messitte)は、フラスコなどの損害として176ドル68セント(約1万7668円)、培養経費として273ドル52セント(約2万7352円)、遺伝子改変細胞の破棄に対する懲罰として5千ドル(約50万円)、そして、関係者の妥当な裁判費用をアロラが支払うよう、アロラに命じた。アロラの完全な敗訴である。
この裁判は、米国の裁判史上、遺伝子改変細胞の所有権・財産権を法的に扱った最初のケースになった。
セイが作成した遺伝子改変細胞(アルファー1-4細胞)を意図的に殺したアロラの理由を、裁判所は、「明白な嫉妬(apparent jealousy)」と判断した。
アロラは、人間関係の悪化と感情的なもつれからアタマにきて、セイの実験を妨害したのだ。
●【論文数と撤回論文】
2016年4月26日現在、パブメド(PubMed)で、プリンス・アロラ(Prince K. Arora)の論文を「Arora PK [Author]」で検索すると、1975-2016年の98論文がヒットした。
「Pankaj K. Arora」という研究者とは異なるので、その人の論文を除く「(Arora PK [Author]) NOT Pankaj K. Arora[Author]」で検索すると、1975-2016年の92論文がヒットした。
92論文の内、1994年以降-2016年の論文31報は、別人と思われる。1993年にスコルニック部長と共著で発表した論文がプリンス・アロラの最後の論文と思われる。
2016年4月26日現在、撤回論文はない。.
●【事件後の人生】
★日本人のヨシタツ・セイ(Yoshitatsu Sei、清 美達)
本記事で登場した日本人のヨシタツ・セイは、1983年に久留米大学医学部を卒業した医師である。1988年に久留米大学で研究博士号(PhD)を取得した後に、米国で研究を始めた。
2016年4月26日現在、米国・NIH(National Institutes of Health)・国立糖尿病・消化器・腎疾病研究所 (NIDDK; National Institute of Diabetes and Digestive and Kidney Diseases)のスタッフ研究員として、米国で研究を続けている(Research Summary | National Institute of Diabetes and Digestive and Kidney Diseases (NIDDK))。
セイの研究人生に、この事件がどのような影を落としているのか? わかりません。
●【白楽の感想】
《1》研究妨害
研究妨害では、「ヴィプル・ブリグ(Vipul Bhrigu)(米)」も事件を起こしている。
アロラ事件は、研究公正局が調査に関与していないが、上記のブリグ事件では、研究公正局が「改ざん」と認定した。
研究妨害が事件化されることは珍しい。しかし、実際には、多数の研究妨害事件が研究室で起こっていると思われる。ただ、証拠をつかむのが難しい。
研究公正を考えるとき、研究妨害も視野に入れるべきだろう。研究妨害は、研究遂行に必要なヒト・モノ・カネ・ジカンを大きく損う。研究ネカトとほぼ同等に研究を破壊する。
●【主要情報源】
① 1994年12月、研究公正局の報告:https://ori.hhs.gov/images/ddblock/vol3_no1.pdf(保存版)
② 1994年8月30日のデイヴィット・エチリン(David Michael Ettlin)の「Baltimore Sun」記事:Prince Kumar Arora | Damages set for loss of NIH cells – tribunedigital-baltimoresun(保存版)
③ 1994年8月31日の「NYTimes」記事:Scientist Fined for Killing Cells Created in Lab by a Colleague – NYTimes.com(保存版)
④ 1994年8月25日の米国連邦地裁(U.S. District Court)の民事訴訟記録:http://www.daviddfriedman.com/Academic/Course_Pages/21st_century_issues/21st_century_law/human_repro_tech_law_04/Arora.pdf(保存版)
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。