2020年12月14日改訂
ワンポイント:約100年前のデータねつ造事件。カンメラー(1880年8月17日~1926年9月23日)は生物学研究所(Biologische Versuchsanstalt)・教授で、世界的に著名な遺伝学者だった。1926年8月7日(46歳)、カエルの足に墨汁(固形の墨?)を入れてコブ(拇指隆起)を作ったというデータねつ造を、アメリカ自然史博物館のキングズリー・ノーブル学芸員(G. Kingsley Noble)に、ネイチャー誌で暴露され、カンメラーは、6週間後の1926年9月23日(46歳)、オーストリア山中でピストル自殺した。約100年前のデータねつ造事件だが、日本人・欧米人はカンメラーが大好きで、たくさんの記事・著書がある。国民の損害額(推定)は2億円(大雑把)。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
9.主要情報源
10.コメント
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●1.【概略】
パウル・カンメラー(Paul Kammerer、写真出典)は、ウィーンの生物学研究所(Biologische Versuchsanstalt)・教授で、世界的に著名なオーストリアの遺伝学者だった。ダーウィンの後、「獲得形質が遺伝する」ラマルク説の支持者だった。
1926年8月7日(46歳)、カエル(サンバガエルmidwife toad)の足に墨汁(固形の墨?、India ink)を入れてコブ(拇指隆起、nuptial pads)を作るというデータねつ造が、ネイチャー誌に暴露された。
ねつ造は実験助手がしたのかもしれないが、6週間後の1926年9月23日(46歳)、カンメラーはオーストリア山中でピストル自殺した。
サンバガエル(midwife toad) 写真出典
ウィーンの生物学研究所(Biologische Versuchsanstalt、写真出典)
- 国:オーストリア
- 成長国:オーストリア
- 博士号取得:ウィーン大学
- 男女:男性
- 生年月日:1880年8月17日
- 没年:1926年9月23日。オーストリア山中でピストル自殺。享年46歳
- 分野:遺伝学
- 最初の不正論文発表:
- 発覚年:1926年8月(46歳)
- 発覚時地位:生物学研究所を退職し、モスクワ大学・主任教授に赴任する途中で無職。
- ステップ1(発覚):第一次追及者はアメリカ自然史博物館・爬虫類学芸員のキングズリー・ノーブル(G. Kingsley Noble)で、「ネイチャー」誌に論文発表した
- ステップ2(メディア):「ネイチャー」など多数
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①
- 調査:
- 不正:ねつ造
- 不正論文数:撤回論文なし(出版が古いためと思われる)
- 時期:研究キャリアの中期(?)
- 職:事件後に研究職をやめた・続けられなかった(Ⅹ)。自殺
- 処分: なし
- 結末:自殺
- 日本人の弟子・友人:不明
【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は2億円(大雑把)。
●2.【経歴と経過】
経歴の主な出典(①Dr. Paul Kammerer : Abstract : Nature、②エピジェネティクス進化論)
- 1880年8月17日:オーストリアのウィーンに生まれる
- 1899‐1904年(18‐23歳):オーストリアのウィーン大学で動物学を学ぶ
- 1902年(21歳):ウィーンの生物学研究所(Biologische Versuchsanstalt)が創設され、創設時からのメンバーになる
- 1904年6月23日(23歳):研究博士号(doctor in philosophy)取得
- 1906年(25歳):実験形態学の教授資格「venia docendi」を取得する。ウィーン大学・講師になる
- 1906年(25歳):フェリシタス・マリア・テオドラ・フォン・ヴィーデルスペルクと結婚
- 1907年(26歳):娘のラツェルタが生まれた
- 1914‐1923年(33‐42歳):生物学研究所がウィーン科学アカデミー(Viennese Academy of Sciences)に吸収合併されたが、教授職を維持
- 1923年(42歳):生物学研究所を退職し、以後、欧州と北米を講演旅行
- 1926年8月7日(46歳):ネイチャー誌にデータねつ造が暴露される
- 1926年9月23日(46歳):モスクワ大学・主任教授、モスクワ科学アカデミー・生物実験室学主任に選出され、任地に赴く途中、オーストリア山中でピストル自殺
●3.【動画】
【動画1】
動画。「Paul Kammerer 1 de 2 」(2の2も公開されている)、(仏語)14分39秒
brigade du tigre が2012/04/09 に公開
【動画2】
オーストリアの生物学者、ポール・カメラーの歪んだ物語を語るソビエトのサイレント映画。「Salamandra – Película muda de 1928」、(ロシア語、と言っても無声ですが・・・)1時間26分30秒
info319が2012/07/17に公開
●4.【日本語の解説】
★xxxx年x月x日:JT生命誌研究館:岡田節人:「 異端の生物学者カンメラーの悲劇」
出典 → ココ
1920年代、オーストラリアの生物学者パウル・カンメラーはサンショウウオやサンバガエルを使用した実験で獲得形質が遺伝すると主張した。すぐさまダーウィン学派は彼の実験を偽造だと攻撃した。『真昼の暗黒』『偶然の本質』などで有名な作家ケストラーが、遺伝学論争に敗れたカンメラーの悲劇とアカデミズムの独善性を糾弾した白眉のドキュメント。(解説 岡田節人)
『サンバガエルの謎―獲得形質は遺伝するか 』岩波現代文庫 より
★出典 → ネオ・ラマルキズム – Wikipedia
ダーウィニズムが進化論において主流の地位を占めた後でも、獲得形質の遺伝を証明しようとする実験が何度か行われている。特に有名なのは、オーストリアのパウル・カンメラーによるサンバガエルの実験である。彼は両生類の飼育に天才的な才能を持っていたと伝えられ、陸で交接を行い足に卵をつけて孵化まで保護するサンバガエルを、水中で交接・産卵させることに成功した。水中で交接するカエルには雄の前足親指の瘤があって、これは水中で雌を捕まえるときに滑り止めの効果があると見られる。本来この瘤はサンバガエルには存在しないのだが、カンメラーはサンバガエルを3世代にわたって水中産卵させたところ、2代目でわずかに、3代目ではっきりとこの瘤が発現したと発表した。つまり、水中で交接することでこの形質が獲得されたというのである。ところが公表された標本を他の研究者が検証してみたところ、この瘤はインクを注入されたものであることが発覚。実験自体が悪質な捏造であると判断され、カンメラーは自殺した。その後、サンバガエルの水中飼育に成功した例は存在しない。
★2012年5月29日:下田親(大阪市立大学・名誉教授):「 パウル・カンメラーの自殺」
出典 → ココ
パウル・カンメラーがどんな研究をしたのか見ておきましょう。彼はカエル、サンショウウオ、イモリなどを、普通の生育環境とまったく異なる環境で飼育したときにどのような性質の変化が起きるかを調べていました。この事件の背景になったのはサンバガエル(写真2)の研究です。このカエルは陸上に棲息してメスが産んだひも状の卵塊を後ろ足に巻き付けて孵化するまで世話することからサンバガエルの名がついたのです。カンメラーはこのカエルを水中で飼ってみました。オスはメスと交接するときに前足でしっかりとメスの身体を掴みます。しかし、水中では滑るので上手く掴むことができないのです。ところが、こうして水中で飼い続けていると、オスの前足に角状の突起をもつ瘤が出来てきたのです。これを「婚姻瘤」と名づけました。婚姻瘤は水中での生活に適応した新しい形質と考えられます。さらにカンメラーはこの獲得形質である「婚姻瘤」が次世代に遺伝することを観察したのです。こうして、カンメラーの発見は「獲得形質の遺伝」を示すものとして一躍注目の的になりました。
獲得形質は遺伝すると主張するラマルク主義と、ランダムな自然突然変異が環境により選択されるというネオ・ダーウィン主義は激しく論争を繰り返していました。両者の対立の渦中にカンメラーのセンセーショナルな研究成果が報告されたわけですから、反対派の研究者は敵意を持って攻撃してきました。
科学研究の真偽を確かめるには、その研究を同じ条件で調べてみる“追試”が重要です。追試で結果が再現できなかったことにより、幾多の研究結果が否定されてきました。不思議なことに、カンメラーの実験は今に至るも誰も追試を行いませんでした。批判するネオ・ダーウィン主義の陣営の研究者もです。実は、こうした両生類の飼育は非常に難しく、また交配により次の世代を生み出すことはもっと難しいのです。カンメラーは両生類の飼育に神業的なテクニックを持っていました。サンバガエルの婚姻瘤の研究を追試するには、彼ほどの極めて優れた動物飼育技術と長い年数を経代飼育する根気が必要だったのです。幸か不幸かそれが可能な研究者はカンメラーを除いて皆無だったというわけです。
さて、1926年、カンメラーの残した最後のサンバガエル標本を調べた米国自然科学博物館のノーブル博士が、この標本の前足には「婚姻瘤」の特徴とされた突起は見られず、しかも前足には墨が注射されていたと報告しました。こうして、カンメラーのサンバガエルの研究は捏造であるという烙印を押されたのです。しかし、これにも疑問があります。カンメラーの標本を調べたのは、ノーブル博士だけではありません。それまで反カンメラー派の研究者ですら異常を発見したものはありませんでした。墨の注射は事実だったようですが、ノーブルの検査のすぐ前に何者かが行った可能性が高いのです。また瘤がなかったのは標本の経年劣化かもしれません。むろん、カンメラー自身は墨の注入という捏造に関わったことは強く否定しています。
カンメラーの自死は捏造が明るみに出たことが原因なのでしょうか?戦後の激しいインフレにより彼の生活基盤が破壊されたことによる絶望、女性との関係のもつれなども取りざたされています。名家ヴィーゼンタール家の5人の姉妹たちとの、とっかえひっかえの恋愛が有名です。とりわけグレーテ・ヴィーゼンタールが新しい研究所を創設するためにカンメラーがモスクワに赴任する際、彼との同行を拒絶したことが最大の原因だったとの説も有力視されました。100年の時を経た現代、もう真相は闇の中でしょう。
●5.【不正発覚の経緯と内容】
●【研究内容】
フランスの生物学者・ジャン=バティスト・ラマルク(Jean-Baptiste Lamarck、 1744年8月1日 – 1829年12月28日)が「獲得形質が遺伝する」説を提唱する。
ラマルクが説明した進化論は「用不用説」と呼ばれている。生物がよく使用する器官は発達し、使わない器官は退化するという用不用の考えと、それによって個々の個体が得た形質(獲得形質)がその子孫に遺伝するという「獲得形質の遺伝」を2本柱としている。また、彼は、生物の進化は、その生物の求める方向へ進むものと考え、生物の主体的な進化を認めた。(ネオ・ラマルキズム – Wikipedia)
チャールズ・ダーウィンが1859年11月24日に『種の起源』を出版し、進化論を打ち立て、「獲得形質が遺伝する」ラマルク説を否定する。
チャールズ・ダーウィンの自然選択説が1859年に発表されると、生物の進化と言う概念は大論争の後に広く認められた。
現代的な自然選択説では「個体変異から特定個体が選ばれる過程は機械的である」と考えられている。「突然変異は全くの偶然に左右され」、「その過程に生物の意思や主体性が発揮される必要はない」。
ダーウィニズムが進化論において主流の地位を占めた後でも、獲得形質の遺伝を証明しようとする実験が何度か行われている。特に有名なのは、オーストリアのパウル・カンメラーによるサンバガエルの実験である。(ネオ・ラマルキズム – Wikipedia)
カンメラーはラマルクの支持者だった。
写真出典
●【不正発覚・調査の経緯】
1880年8月17日、カンメラーは、オーストリア・ウィーンに生まれる。
1904年(23歳)、カンメラーは、「獲得形質が遺伝する」ことを発表する。
ウィキペディアから引用する(ネオ・ラマルキズム – Wikipedia)。
カンメラー(写真出典)は両生類の飼育に天才的な才能を持っていたと伝えられ、陸で交接を行い足に卵をつけて孵化まで保護するサンバガエルを、水中で交接・産卵させることに成功した。水中で交接するカエルには雄の前足親指の瘤があって、これは水中で雌を捕まえるときに滑り止めの効果があると見られる。
本来この瘤はサンバガエルには存在しないのだが、カンメラーはサンバガエルを3世代にわたって水中産卵させたところ、2代目でわずかに、3代目ではっきりとこの瘤が発現したと発表した。つまり、水中で交接することでこの形質が獲得されたというのである。
なお、第一次世界大戦が、1914年7月~1918年11月に起こっている。背景は省略するが、オーストリアが、1914年7月28日にセルビアに対する宣戦布告をしたことで戦争が勃発した。開戦時に33歳だったカンメラーは、激動する時代の流れに翻弄されたに違いない。
第一次世界大戦は、1918年11月11日に終結した。カンメラーは38歳で、カンメラーの国・オーストリア(オーストリア=ハンガリー帝国)は大敗北だった。
大戦前(上記地図)はドイツ帝国より広い領土だったが、敗戦後、その3/4が奪われ、1/4程度になった。また、戦後、1925年(カンメラーは44歳)ころまで、激しいインフレーションに苦しめられた。
カンメラーに戻る。
以下出典:エピジェネティクス進化論
第一次世界大戦によるインフレで、オーストリアの中流階級は崩壊し、カンメラーは財産を失った。実験生物学研究所の実験動物の大半は死に、標本のほとんどはなくなってしまった。発情期に入ったばかりのサンバガエルのオスが一匹だけ残っており、最後の標本となった(写真出典)。
カンメラーは生活のために、一般向けの記事を書くことと講演に追われるようになった。
1923年(42歳)、カンメラーは英国とアメリカ合衆国を訪問し、講演を行なった。この一般向け講演は大成功だったが、講演の後援者や新聞記者は、センセーショナルな雰囲気をかきたてたため、科学の分野でのカンメラーの評判は決定的に損なわれた。
例えば、デイリー・エクスプレスは、6段抜きの記事で、
「驚嘆すべき科学的発見」、
「盲目の動物に発生した眼ー科学者、好ましい性質伝達の法を発見す」、
「遺伝学の天才ー人類の変革」、
「スーパーマン族 科学者の偉大な発見-われわれを皆遺伝的天才に変え得る可能性 盲目の動物に眼が発生」、
などと報じた。
ニューヨーク・ワールド紙は、
「今世紀最高のウィーンの生物学者ーダーウィン理論を立証 ケンブリッジ大学科学者の賞賛を勝ち取る」、
「ダーウィンの失敗を補う科学者の成功 イモリに発生した眼は獲得形質の遺伝を示すか? オーストリアの学者に栄冠 最良の性質が遺伝されれば進化は促進される」、
などと報じた。
1924年2月(43歳)、カンメラーは再びアメリカを訪問し、そのときに、『獲得形質の遺伝(Environmental Vitalism: The Inheritance of Acquired Characteristics)』を出版した。
カンメラーは、変人で有名なアンナ・ヴォルトと恋に落ち、長年連れ添ったフェリシタシスと離婚したが、結婚はわずか数ヶ月しか続かず、カンメラーは致死量を超える睡眠薬を飲んだが吐いてしまった。
その後、抑鬱状態が続き、再びフェリシタシスと一緒に暮らすようになった。カンメラーは、それ以後、躁鬱病を患うようになった。
1926年(46歳)、『島の種の変態とその原因-ダルマチア諸島のトカゲ類の比較実験研究による確認』を出版した。
この本の中で、カンメラーは、島のトカゲには主として2種があり、住んでいる島によって、大きさや色が非常に異なることの着目し、孤立状態が新しい変種を生み出すのを助け、かつ促進したのではないかと考えた。そして、環境の性質、温度、湿度、明るさ、動物の分布状態などが個体の適応を引き起こし、ついには遺伝性となる変化と係わり合いを持つようになったのではないかという仮説を唱えた。そして、環境を変えることによってトカゲの色の変化を引き起こす実験を行い、緑を黒に、黒を緑に、その変化が遺伝性になることを示し得たと発表した。
1926年8月7日(46歳)、アメリカ自然史博物館・爬虫類学芸員のキングズリー・ノーブル(Gladwyn Kingsley Noble – Wikipedia)が「ネイチャー」誌に論文を発表した。
「ネイチャー」誌の論文で、カンメラーが彼の「獲得形質が遺伝する」理論の根拠とするカエルの足のコブ(拇指隆起、nuptial pads)は、自然発生したコブではなく、人工的に墨(India ink)が入れられていたコブだと、ノーブルは暴露した。つまり、データねつ造だと暴露したのである。ノーブルは、ウィーンのカンメラー研究室の標本を調査するために、カンメラーにウィーンの招待されていた。
カンメラーは、データねつ造は実験助手がしたと助手を非難したが、マスメディアはカンメラーを罵倒し、悪評を広めた。
1926年9月23日(46歳)、カンメラーは、ソ連のモスクワ大学・教授の職に就くため、モスクワへと旅を始めてすぐ、オーストリア山中でピストル自殺をした。
なお、ウィキペディア(ネオ・ラマルキズム – Wikipedia)には以下の記述もある。
公表された標本は実験中のものとは明らかに異なり、確かに瘤はできていたとの実験の途中経過を見た人による証言もある。或いは共同研究者によって何等かの理由ですり替えられたというのであるが、疑惑を持たれた研究者が(標本の検証以前に)既に亡くなっていたことから、真偽のほどは分からない。アーサー・ケストラーの言う様に検証した側が捏造に関わっていたという見方もある
★自殺の謎
自殺の原因に関して説がいくつかある。
①ねつ造発覚が原因という説
上述で状況は把握できたでしょう。
②うつ病が原因という説
③マーラーに失恋が原因という説
カンメラーは音楽にも関心があり、青年時代にウィーン音楽アカデミーでピアノを学んでいた。
そして、美貌で華麗な男性遍歴で知られる音楽家のアルマ・マーラー(Alma Mahler、写真出典 左、右)が、マーラーの夫の死後すぐの1911年と1912年、無給の実験助手としてカンメラーの実験室で働いていた。マーラーは33‐34歳で、カンメラーは31‐32歳である
カンメラーは、マーラーに激しく恋をした。
カンメラーは、「もし結婚してくれないなら」、グスタフ・マーラー(マーラーの亡夫)の墓の前で、ボクは自殺すると脅していた。
1926年の自殺は、マーラーへの失恋が原因とみる向きもある。そして、データねつ造した実験助手はマーラーというストーリーだ。
ただ、ねつ造発覚と自殺は1926年(46歳)で、マーラーが実験助手を辞めたのが1912年(32歳)だから、14年も経っている。ねつ造と自殺はマーラーとは関係ないだろう。
マーラーとは別の女性・グレーテ・ヴィーゼンタール(Grete Wiesenthal – Wikipedia、写真 By Grete Wiesethal – From the book Der Aufstieg, Public Domain, 出典)との色恋沙汰が原因という説もある。ヴィーゼンタールはバレーダンサーである。
女性との関係のもつれなども取りざたされています。名家ヴィーゼンタール家の5人の姉妹たちとの、とっかえひっかえの恋愛が有名です。とりわけグレーテ・ヴィーゼンタールが新しい研究所を創設するためにカンメラーがモスクワに赴任する際、彼との同行を拒絶したことが最大の原因だったとの説も有力視されました。(出典:下田 親 「第93回 パウル・カンメラーの自殺」)
④政治抗争が原因という説(はありますかね?)
カンメラーはユダヤ人とのハーフで、ウィーンにあるユダヤ系の実験生物学研究所の研究員だった。反ユダヤ運動による排斥を受けたという話もある。ただこの説を、充分、調べていない。
カンメラーと同じ頃、ソビエト連邦ではイヴァン・ミチューリン(1855年10月27日 – 1935年6月7日)によって獲得形質の遺伝が力説され、生物学界に一定の支持を得ていた。
トロフィム・ルイセンコ(1898年9月29日 – 1976年11月20日)はミチューリン理論を支持し、「獲得形質が遺伝する」理論に基づき、ソビエト連邦の農業政策を大々的に変えていった。
ルイセンコは、ソビエト連邦の最高権力者・スターリンに支持されソビエト連邦の科学界で強大な権力を握っていく。しかし、ミチューリン理論はソビエト連邦以外では支持されなかった。この政策抗争でカンメラーは排斥を受けたという話もあるが、充分、調べていない。
⑤オーストリア山中でピストル自殺
「オーストリア山中でピストル自殺」と書いたが、そう伝えられているから単純に書いた。しかし、当時、オーストリアで、一介の研究者がピストルを入手することが可能だったのだろうか? 猟銃ならまだしも、なんかヘンな気がする。
★エピジェネティックの登場とカンメラーの再登場
生物学の基本原理の1つは、子が親に似る、つまり、遺伝である。遺伝は、親の生殖細胞の遺伝子DNAが子に伝わるからである。
個体発生では、両親のDNAを受け継いだ受精卵の細胞は分裂・増殖する過程で、DNA複製→mRNA転写→タンパク質翻訳される。合成されたタンパク質が各組織・器官の分化の実態を担っていく。かつて、この時、各細胞のDNAは全く変化しないと考えられてきた。
では、各組織・器官に特徴的なタンパク質の合成はどのように選択されるのか?
DNAのどの部分(つまり、どの遺伝子)をmRNAに転写するかで決まる。だから転写が重要である。
基本はそれでいいのだが、少し特殊なケースでは、各細胞のDNAは「全く変化しない」のではなく、少し変化する。2020年現在、その概念は、1942年、コンラッド・ウォディントン(C. H. Waddington – Wikipedia)が造ったエピジェネティクス(英語: epigenetics)という用語で説明されている。
エピジェネティクスの現在の概念は、「DNAの変化は、DNA塩基配列の変化を伴わない後天的な遺伝子制御の変化」である。DNAの変化は、DNAメチル化やヒストン修飾などで引き起こされ、体細胞の細胞分化、がん化、遺伝子疾患の発生、脳機能、などにかかわっている。
もし、この変化が生殖細胞のDNAに及ぶなら、獲得形質が次世代に遺伝する可能性が起こり得る。この可能性について、現在、研究進行中である。例 ①研究内容|生殖細胞のエピゲノムダイナミクスとその制御
線虫では、獲得形質が次世代に遺伝しそうだとする2014年の論文もある(無料閲覧可)。
そして、エピジェネティク説の重要性が高まるにつて、カンメラーの実験を支持する論文や文章が、現代にも登場するのである。
2009年、チリ・サンチャゴのチリ大学・発生学者・アレキサンダー・ヴァーガス(Alexander O..Vargas)が、カンメラーを擁護する論文を発表した(以下が書誌情報)。
- Did Paul Kammerer discover epigenetic inheritance? A modern look at the controversial midwife toad experiments.
Vargas AO.
J Exp Zool B Mol Dev Evol. 2009 Nov 15;312(7):667-78. doi: 10.1002/jez.b.21319.
論文無料閲覧ココで可
ヴァーガスの論文は、カンメラーの実験はデータねつ造とされたが、エピジェネティクス的に再現可能だというのだ。つまり、実は、ねつ造ではないかもしれないと述べている。再現実験ができなかったのは、充分に実験していないからだと。
ヴァーガスの論文に対して翌2010年、米国・インディアナ大学の科学哲学者・サンダー・グリボフ(Sander Gliboff)は否定的な論文を発表した。
「ヴァーガスは、カンメラーの論文を十分読んでいない。十分読まないで、カンメラーの実験内容と結果を誤解してモデルを構築した。だから、当然ながら、ヴァーガスのモデルでは、カンメラーの結果を説明できない」、と。
- Did Paul Kammerer discover epigenetic inheritance? No and why not.
Gliboff S.
J Exp Zool B Mol Dev Evol. 2010 Dec 15;314(8):616-24. doi: 10.1002/jez.b.21374.
●6.【論文数と撤回論文とパブピア】
★パブメド(PubMed)
2020年12月13日現在、パブメド(PubMed)で、パウル・カンメラー(Paul Kammerer)の論文を「”Paul Kammerer”」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、パウル・カンメラー(Paul Kammerer)の書いた論文ではなく、 パウル・カンメラー(Paul Kammerer)について書いた論文が12論文ヒットした。
「Kammerer P[Author]」で検索すると、161論文ヒットした。 本記事で述べた研究者の1963年の論文が1報ヒットした。
1920年代の論文はパブメドのデータベースに入っていないかった。
★撤回監視データベース
2020年12月13日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでパウル・カンメラー(Paul Kammerer)を「Paul Kammerer」で検索すると、0論文が訂正、0論文が懸念表明、0論文が撤回されていた。
●7.【白楽の感想】
《1》大人気である。どうして?
パウル・カンメラー(Paul Kammerer)は、約100年前に死亡した研究者なのに、いまだに、大人気である。記事が多い。最近でも関連書が出版されている(左は2019年出版、右は2016年出版、表紙写真はアマゾン)。
本人がデータねつ造したのではないとしても、データねつ造事件の責任者である。それだけで、研究者としては「否定」されるべき人物で、「忘れ去られる」べき人物だ。生物学的重要性はゼロに等しい。
しかし、現在もウェブに名前を散見する。写真がかなりある。関係する著書がたくさんある。
そして、最近、エピジェネティクス関連の先駆的研究者と持ち上げられている。
とにかく、大人気である。どうしてなんだろう?
マスメディア受けがすこぶる良かったらしい。なるほど、有名な科学者は全部そうだ。アインシュタインもそうだし、某氏もそうだ。
白楽は、不器用だし、不都合な真実を指摘するし、へそ曲がりなので、マスメディア受けしない。したくてもムリだ(したくないけど)。無名で良しとしよう。
論文をタイプするパウル・カンメラー(Paul Kammerer)写真出典
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日本がスポーツ、観光、娯楽を過度に追及する現状は日本の衰退を早め、ギリシャ化を促進する。日本は、40年後に現人口の22%が減少し、今後、飛躍的な経済の発展はない。科学技術と教育を基幹にした堅実・健全で成熟した人間社会をめざすべきだ。科学技術と教育の基本は信頼である。信頼の条件は公正・誠実(integrity)である。人はズルをする。人は過ちを犯す。人は間違える。その前提で、公正・誠実(integrity)を高め維持すべきだ。
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●9.【主要情報源】
本文中に引用先を示した文献は再提示していない(場合がある)。
① ウィキペディア英語版:Paul Kammerer – Wikipedia, the free encyclopedia
②「カンメラー:Paul Kammerer」:カンメラー:Paul Kammerer | mixiコミュニティ
③ Paul Kammerer
④著書(未読)1971年、アーサー・ケストラー(Arthur Koestler)著、『The Case of the Midwife Toad (英語) 』、187ページ、出版社: Hutchinson; illustrated版 (1971/9/27)、ISBN-10: 0091082609、ISBN-13: 978-0091082604。日本語訳、石田 敏子・訳、『サンバガエルの謎―獲得形質は遺伝するか』 、岩波現代文庫、245ページ、出版社:岩波書店(2002/12/13)、ISBN-10: 4006030711、ISBN-13: 978-4006030711、発売日: 2002年12月13日
⑤ The Midwife Toad and Alma Mahler: Epigenetics or a Matter of Deception?
⑥ 旧記事(2015年2月2日掲載)保存(1)、(2)
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
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