2019年3月10日掲載
ワンポイント:1930年生まれの89歳で、米国のウィスコンシン大学マディソン校(University of Wisconsin–Madison)・名誉教授である。ビタミンDの研究が著名で150件以上の特許を取得し、4億2,650万ドル(約427億円)の特許使用料を得た。その特許で、ウィスコンシン大学マディソン校に数千万ドル(数十億円)の収益をもたらした。ところが、一部の特許で、他の研究者の研究アイデアを盗用していた。1972年(42歳)の盗用事件では、相手に6億円を支払った。1990年代(60歳代)、ワシントン大学の研究者・エドゥアルド・スラトポルスキイ教授(Eduardo Slatopolsky)の研究アイデアを盗用した件では、2018年11月、裁判所は、3,160万ドル(約32億円)をワシントン大学に支払うよう判決を下した。国民の損害額(推定)は5億円(大雑把)。
この事件は、白楽指定の重要ネカト事件:論文査読中に論文原稿のアイデアを盗用した珍しい事件。大学の最初の委員会がクロと判定したのを大学が不満で別の委員会にやり直させ、裁判所と議会が加担した。メディアが追及し、さらに別の裁判所が今度はクロと判定した。しかし、事件の中心人物のデルーカは無傷なままである。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】
ヘクター・デルーカ(Hector F. DeLuca、ヘクター・デルカ、写真出典)は、1930年生まれの89歳で、米国のウィスコンシン大学マディソン校(University of Wisconsin–Madison)・名誉教授である。イタリア系米国人。専門は生化学(ビタミンD)である。1979年(49歳)、米国科学アカデミー・会員に選出された。
デルーカは約160人の院生を指導し、150件以上の特許を持っている。その特許はウィスコンシン大学マディソン校の特許管理団体であるウィスコンシン大学同窓会研究財団(WARF:Wisconsin Alumni Research Foundation、以下ワーフと書く)を通して申請され、4億2,650万ドル(約427億円)の特許使用料を得た。そして、彼の特許は、ウィスコンシン大学マディソン校に数千万ドル(数十億円)もの収入をもたらした。
2014年、ウィスコンシン大学マディソン校は従来「農芸化学棟群」と呼んでいた建物群を彼の名前を冠した「ヘクター・デルーカ生化学複合施設(Hector F. DeLuca Biochemical Sciences Complex)」に変えた。
このような生化学の巨人であるデルーカのビタミンD研究には、1972年(42歳)と1990年代に取得した特許は他の研究者の研究アイデアを盗用したというネカト騒動が起こり、民事裁判になっていた。
1972年(42歳)の盗用事件は、マサチューセッツ州の医療化学研究所(Research Institute for Medicine and Chemistry)の科学者の論文原稿をチェックした時、アイデアを盗用し自分の特許に加えた。後に裁判で示談となり、約6億円を相手に支払った。
1990年代(60歳代)の盗用事件は、ワシントン大学の研究者・エドゥアルド・スラトポルスキイ教授(Eduardo Slatopolsky)の論文原稿にコメントしたデルーカは、その研究成果を盗用し、その盗用を加えて特許申請をした。
デルーカは不正を否定した。
しかし結局、2013年(83歳)、腎臓病のビタミンD医薬品の特許に関するロイヤルティ契約違反で、デルーカの特許を管理するワーフ(WARF)は、ミズーリ州のワシントン大学(Washington University in Missouri)に訴えられた。
2018年11月(88歳)、デラウェア州の連邦地方裁判所は、ワーフ(WARF)が3,160万ドル(約32億円)をワシントン大学に支払うよう判決を下した。ジョセフ・バタイヨン裁判長(Joseph Bataillon)は、「ワーフ(WARF)はワーフが提携するウィスコンシン大学および発明者(ヘクター・デルーカ)を不適切に支持し、ワシントン大学の貢献を無視し、全部の特許使用料を占有しようと重要な情報を積極的に隠蔽した」と述べた。
2014年に改名されたウィスコンシン大学マディソン校(University of Wisconsin–Madison)・ヘクター・デルーカ生化学複合施設(Hector F. DeLuca Biochemical Sciences Complex)。写真出典
- 国:米国
- 成長国:米国
- 医師免許(MD)取得:なし
- 研究博士号(PhD)取得:ウィスコンシン大学マディソン校
- 男女:男性
- 生年月日:1930年。仮に1930年1月1日生まれとする
- 現在の年齢:94 歳
- 分野:生化学
- 最初の不正:1972年(42歳)
- 発覚年:1972年(42歳)?
- 発覚時地位:ウィスコンシン大学マディソン校・教授
- ステップ1(発覚):1回目の事件の第一次追及者はマサチューセッツ州の医療化学研究所で、ワーフに通知したがラチが明かず、裁判。2回目の事件の第一次追及者はワシントン大学の研究者・エドゥアルド・スラトポルスキイ教授(Eduardo Slatopolsky)、ワーフに通知したがラチが明かず、裁判
- ステップ2(メディア): 「イスマス(Isthmus)」新聞、ケリー・メイヤーホーファー(Kelly Meyerhofer)記者の「Wisconsin State Journal」
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):(1回目)①マサチューセッツ州の医療化学研究所。②ワシントン大学・調査委員会。③マディソンの連邦裁判所。(2回目)①セントルイスのワシントン大学。②ワシントン大学・調査委員会。③ワシントン大学・調査委員会(ジョン・.レイノルズ委員会)。④NIHの詐欺防止室。⑤政府監査院(GAO)。⑥デラウェア州の連邦地方裁判所。
- 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
- 大学の透明性:隠蔽(✖)。
- 不正:研究アイデアの盗用
- 不正論文数:不明。論文というより特許申請
- 時期:研究キャリアの中期から
- 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)を続けた(〇)
- 処分:なし
- 日本人の弟子・友人:不明
【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は5億円(大雑把)。
●2.【経歴と経過】
- 生年月日:1930年。仮に1930年1月1日生まれとする
- 19xx年(xx歳):米国のウィスコンシン大学マディソン校(University of Wisconsin–Madison)で研究博士号(PhD)を取得:生化学
- 19xx年(xx歳):ウィスコンシン大学マディソン校(University of Wisconsin–Madison)・教授
- 1979年(49歳):米国科学アカデミー・会員
- 1990年代(60歳代):特許取得時の不正論争
- 2011年(83歳):ウィスコンシン大学マディソン校・名誉教授
- 2013年(85歳):デルーカの特許取得団体が民事裁判の被告
- 2018年(88歳):民事裁判が決着
●3.【動画】
以下は事件の動画ではない。
【動画1】
講演動画:「ビタミンD:新しい古くからの不思議な薬(Vitamin D: The New Old Natural Wonder Drug) – YouTube」(英語)1時間19分32秒。
ResearchChannelが2008/08/08 に公開
●4.【日本語の解説】
★2003年xx月xx日:日経サイエンス「ビタミンDとカルシウム調整との関係」
出典 → ココ
1968年から1971年にかけて,ビタミンDの代謝過程とその生理活性の理解は飛躍的に進んだ。ウィスコンシン大学のデルーカ(Hector F. DeLuca)らのチームは1968年,25-ヒドロキシビタミンD3と呼ぶ活性物質を分離し,これが肝臓で作られることを後に証明した。
●5.【不正発覚の経緯と内容】
★最近の裁判のポイント
2013年、ミズーリ州・セントルイスのワシントン大学(Washington University in Missouri)は、腎臓病のビタミンD医薬品の特許に関するロイヤルティ契約違反でデルーカの特許を管理するウィスコンシン大学同窓会研究財団(WARF、以下ワーフと書く)を訴えた。
2018年11月、デラウェア州の連邦地方裁判所は、ワーフ(WARF)が3,160万ドル(約32億円)をワシントン大学に支払うよう判決を下した。ジョセフ・バタイヨン裁判長(Joseph Bataillon)は、「ワーフ(WARF)はワーフが提携するウィスコンシン大学および発明者(ヘクター・デルーカ)を不適切に支持し、ワシントン大学の貢献を無視し、全部の特許使用料を占有しようと重要な情報を積極的に隠蔽した」と述べた。
★1972年:査読論文の成果盗用
上記の事件以前にも、デルーカは他の研究者の研究アイデアを盗用していた。裁判にもなっていた。
事件は、1972年にさかのぼる。
1972年(42歳)、デルーカは査読のために自分に送付された論文原稿から、ビタミンD誘導体の製造方法を盗用した。この論文原稿は、マサチューセッツ州に拠点を置く医療化学研究所(Research Institute for Medicine and Chemistry)の科学者が書いたものだった。 その後、論文原稿は論文として出版されたが、その時すでに、ビタミンD誘導体の製造方法はデルーカとデルーカの同僚のハインリヒ・シュノエス教授の発明ということで、ワーフは特許を取得していた。
その後、ワーフはマサチューセッツ州の医療化学研究所がビタミンD誘導体の製造方法の特許取得に強く反対した。
ところが、実は、医療化学研究所の科学者が出版した論文に重要な間違いがあった。論文に記載した方法では、ビタミンD誘導体を製造できなかったのである。デルーカはそのことを確かめもせず。特許に盗用したのだった。
つまり、デルーカが特許申請書に記載したビタミンD誘導体の合成方法は、一部分、医療化学研究所の論文に記載された内容を、査読段階で盗用したのだが、医療化学研究所の論文に記載された内容では合成できなかったのである。おかげで、皮肉なことに、デルーカの盗用がハッキリした。
後にワシントン大学はそのことを認めたのだが、しかし、デルーカは、「予想もしない事が起こって」、自分の実験室ではビタミンD誘導体が製造できたと言い張った。
1985年(55歳)、長年に渡り、医療化学研究所は特許化を否定されていた。この年、連邦裁判所にワーフを訴えた。
その裁判の中で、デルーカが医療化学研究所の科学者の論文原稿を査読のために受け取っていたことが明らかにされた。
1987年6月(57歳)、マディソンの連邦裁判所の調停で、ワーフは医療化学研究所に少なくとも600万ドル(約6億円)を支払うことで事件は和解した。なお、この特許は、ワーフに数千万ドル(数十億円)の収益をもたらしていた。
和解に達する前、デルーカはこの訴訟で重大な不正行為が申し立てられたことをウィスコンシン大学に知らせ、大学に調査を依頼した。 しかし、メディアの注目を集めていなかったためか、ウィスコンシン大学は1988年3月にイスマス(Isthmus)新聞が事件を報道するまで、何の行動も取らなかった。それで、デルーカはウィスコンシン大学の不作為を非難した。
一方、当時ウィスコンシン大学の学長だったドナ・シャララ(Donna Shalala、写真出典)は、大学がデルーカの足を引っ張ったことを否定し、「私たちはを問題を知った時、すぐに対応しました」と主張した。
1988年4月(58歳)、ウィスコンシン大学はこの問題を調査するために3人の外部科学者からなる調査委員会を設置した。
1988年9月(58歳)、調査委員会はデルーカが「査読のために彼に送られた原稿の知識を盗用した。盗用したにもかかわらず、デルーカはビタミンD誘導体の合成法を自分たちが発見したと不適切に主張した」と結論した。
デルーカはこの結論を強く否定した。デルーカに肩入れしていたウィスコンシン大学は「調査委員は、そのような判断を下す権限はない」とし、報告書から不正の結論を削除するよう調査委員会に命令した。
ここで、ウィスコンシン大学は当初の調査報告書を隠蔽するか、さらなる調査が必要だとするかの二者択一に直面し、ウィスコンシン大学は後者を選んだ。なお、イスマス(Isthmus)新聞社は情報公開制度に基づき、調査報告書の公開を要請し、最初の調査委員会の調査報告書のコピー後に入手した。
1989年2月(59歳)、ウィスコンシン大学はウィスコンシン州・元知事の連邦裁判官ジョン・レイノルズ裁判官(John W. Reynolds 、写真出典同)を任命し新しい調査を実施した。
約1年後、レイノルズはデルーカの不正行為を支持する証拠は不十分だとという結論の調査報告書を発表した。
しかし、NIHはこの調査報告書の認定に消極的だった。また、NIHは、ウィスコンシン大学に重要な文書の提供を要請したが、大学はこの要請を拒否し、大学と衝突した。 結局、NIHは重要な文書にアクセスできない内に、訴訟が終結した。
★1995年の盗用
事件は、1990年代初頭にさかのぼる。
1990年代初頭にデルーカとワーフ(WARF)の不正行為の別の訴訟が起こった。それは、ウィスコンシン大学史上最大の民事訴訟の1つで、3,160万ドル(約32億円)の和解、研究不正の調査、連邦議会の捜査、連邦政府ネカト調査官のハンガーストライキ事件まで起こったビタミンD事件だった。
デルーカは、ビタミンD訴訟では、すべてはウィスコンシン大学上層部が行なったことで、常に自分の無罪を主張してきた。そして、連邦裁判官は、デルーカとウィスコンシン大学の同僚であるハインリヒ・シュノエス教授(Heinrich Schnoes、写真出典)に対する不正調査で、上記結論を支持し、議会の調査部門も無罪を確認した。しかし、ウィスコンシン大学が任命した最初の調査委員会はデルーカに「深刻な不正行為があった」という別の結論に達していた。
ウィスコンシン大学が任命した調査委員会が不正行為だと結論した根拠は、デルーカが彼とワーフの利益のために他の科学者からの論文を秘密に“誤用”したことだった。
バタイヨン(Bataillon)裁判官の192ページの判決文によると、1995年1月、ワシントン大学の研究者・エドゥアルド・スラトポルスキイ教授(Eduardo Slatopolsky、写真出典)が「デルーカ博士に意見を求めるため論文原稿を送った」。
192ページの判決文:以下の文書をクリックすると、PDFファイル(1.24 MB、192ページ)が別窓で開く。
当時、ワーフは製薬会社・アボット社(Abbott)とビタミンD腎臓薬を製造することで合意してたが、いくつかの重要な研究が欠けていた。
デルーカは、スラトポルスキイ教授に論文原稿を若干修正することを提案したが、同時に、スラトポルスキイ教授の論文原稿の研究成果を盗用し、自分の特許に加えたのだ。
バタイヨン(Bataillon)裁判官は、特許有効期間中にワーフは4億2,650万ドル(約427億円)のロイヤルティを得た一方で、ワーフはスラトポルスキイ教授の貢献を無視し、本当は特許申請にスラトポルスキイ教授の論文原稿に記載されていた研究成果が重要だったことをワシントン大学に伝えなかったと指摘した。
★奇妙な方向
ストーリーはここから奇妙な方向に進む。
1992年初頭(62歳)、NIHの研究詐欺捜査官(investigator of scientific fraud)・ウォルター・スチュワート(Walter Stewart、写真出典)はイスマス(Isthmus)新聞の記者に、レイノルズの調査は「明らかにクロをシロと塗り替えた」と語った。スチュワート捜査官はウィスコンシン大学のビタミンD事件は「20世紀最大の研究詐欺の1つだ」と主張した。 そして彼は当時のシャララ学長が「組織的に隠蔽をしたスキャンダルだ」と非難した。
1993年4月、ウィスコンシン大学の学長だったドナ・シャララ(Donna Shalala)は、ビル・クリントン大統領によって健康福祉省・長官に任命された。NIHは健康福祉省の直系の組織である。長官任命の直後、スチュワート捜査官と彼の同僚のネッド・フェダー(Ned Feder)が所属していたNIHの詐欺防止室(fraud-fighting office)は閉鎖され、2人は配置転換させられた。
スチュワート捜査官は抗議して、33日間のハンガーストライキを開始した。48歳のスチュワート捜査官は33日間で14kgも体重が減るという過酷なストライキだった。決死の抗議だった。健康上の理由で、医師に強制的に終了させられた。
→ 1993年6月13日のニューヨークタイムズ紙:Inspector Ends A Hunger Strike Against Agency – The New York Times
アイオワ州選出の共和党の上院議員・チャック・グラスリー(Chuck Grassley、写真出典)は医療詐欺・研究不正の対処に熱心な議員である。
1995年2月22日、グラスリー上院議員とメイン州のウィリアム・S・コーエン議員(William S. Cohen)は、議会の調査部門である政府監査院(会計検査院) Government Accountability Office (GAO)に、デルーカ事件の調査とスチュワート捜査官へのコクハラは連邦政府の内部告発者保護法に違反しているかを検討するよう要求した。
1995年7月5日、政府監査院(GAO)は、スチュワートの配置転換はコクハラ(報復)人事だったという証拠はない。また調査自体が「徹底性または客観性を欠けていた」という証拠はない、と結論付けた。
以下の文書をクリックすると、PDFファイル(456 KB、8ページ)が別窓で開く。
https://www.gao.gov/assets/90/84690.pdf
★その後
ドナ・シャララ(Donna Shalala)は、健康福祉省・長官を退任した後、フロリダのマイアミ大学の学長になり、2018年11月、その州の民主党員として下院議員に選出された。
ウォルター・スチュワート(Walter Stewart)は、2003年にNIHを退職し、2019年1月現在はテキサス州オースティンに住んでいる。
スチュワートは、「ワーフは、公正を捻じ曲げて、最大の収入だけを目指して行動した。2回の事件のどちらの場合も、彼らは、製造できなかった化合物について特許を請求したことは驚くべきことです」と述べている。
ワーフの広報担当者ジャンナン・ヤシリ・モエ(Jeanan Yasiri Moe写真出典)は、次のように述べている。
「ワーフは20年以上前にワシントン大学と責任ある、生産的な関係を築きました。それは1995年に彼らと署名した我々の相互協定で文書化されました。問題の特許の存続期間の大部分に渡り不満なしに両当事者によって契約は履行されました」。
彼女は、次のように付け加えた。「ワーフは、新しい薬を患者さんに届けてきた何十年にもわたる歴史を誇りに思っています。その多くは、ヘクター・デルーカ(Hector DeLuca)教授の研究室で生まれた複数のビタミンD特許から来ています。 問題とされた特許はこれら多くの特許はうちの1つでした」。
●6.【論文数と撤回論文とパブピア】
2019年3月9日現在、パブメド(PubMed)で、ヘクター・デルーカ(Hector F. DeLuca)の論文を「Hector F. DeLuca [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2002~2018年の17年間の148論文がヒットした。
「DeLuca HF[Author]」で検索すると、1959~2018年の60年間の988論文がヒットした。
2019年3月9日現在、「DeLuca HF[Author] AND Retracted」でパブメドの論文撤回リストを検索すると、0論文が撤回されていた。
★撤回論文データベース
2019年3月9日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回論文データベースでヘクター・デルーカ(Hector F. DeLuca)を検索すると、0論文が撤回されていた。
→ Retraction Watch Databaseの上右「Nature of Notice」の右にチェックを入れ、「Retraction」にすると、撤回論文(数)が表示される。
★パブピア(PubPeer)
省略。
●7.【白楽の感想】
《1》公正な評価
砂漠で金塊を見つけたら、誰しも1人占めしたくなるだろう。
あそこらへんに金塊があるかもと知らせてくれた人の貢献に報いるべきか? その人の貢献をどの程度評価するのか? 公正と不正の間の線をどこに引くか、難しいだろう。
デルーカは、ビタミンD誘導体合成方法の特許で、4億2,650万ドル(約427億円)の特許使用料を得たのである。
デルーカ事件では、1987年6月、ワーフはマサチューセッツ州の医療化学研究所に少なくとも600万ドル(約6億円)を支払うことで和解した。さらに、2018年11月、被盗用者の所属するワシントン大学に3,160万ドル(約32億円)を支払うことになった。
示談で和解した金額が6億円とか32億円である。ハンパない額だ。
2件とも、研究者の論文原稿から研究アイデアを盗用し、自分の特許に組み込んだのだ。ウィスコンシン大学の最初の調査委員会は盗用と結論していたのだが、ウィスコンシン大学は自分に都合の悪い事実を隠蔽し(調査報告書まで隠蔽し)た。別の委員会を設け、シロと結論させた。その大学の調査を議会の調査部門は追認し無罪とした。NIHも欺き、裁判でもシロ、議会をダマしていた。
しかし、「イスマス(Isthmus)」新聞が問題を掘り起こし、結局、2件とも、最終的には、裁判所が盗用と判定した。
ウィスコンシン大学は最初の調査委員会を除いて、一貫して、事実の解明より利益の確保を優先した。大学の態度を一般論として論じにくいが、米国の一流大学でこのようなことが起こる、となると、研究ネカトの調査を大学任せにしている現状は、かなり危ない状況である。猫に魚の番をさせているようなものだ。
2重らせんでノーベル賞を受賞したワトソンもフランクリンの研究成果を不当に低く評価したと批判されている。
偉大な発見の多くの場合、周囲の研究者の研究成果の貢献を低く見ることで自分の成果を強調していると思われる。この事を調べた研究があったと思うが、ちと、思い出せない。
《2》死を賭した正義
NIHのウォルター・スチュワート(Walter Stewart)はデルーカ事件をウィスコンシン大学がもみ消したことに、毅然と抗議した。「20世紀最大の研究不正の1つ」という認識だった。
ところが、当時ウィスコンシン大学の学長だったドナ・シャララ(Donna Shalala)はビル・クリントン大統領によって健康福祉省・長官に任命された。NIHは健康福祉省の直系の組織である。長官任命の直後、スチュワート捜査官と彼の同僚のネッド・フェダー(Ned Feder)が所属していたNIHの詐欺防止室(fraud-fighting office)は閉鎖され、2人は配置転換させられた。
ドナ・シャララ長官が詐欺防止室の閉鎖とスチュワートらの配置転換を直接命じたとは思わない。日本では官僚に蔓延している「忖度」が、ここ米国でも起こったのだろう。ゴマスリ官僚が詐欺防止室の閉鎖とスチュワートらの配置転換をしたのだろう。
この時、48歳のスチュワート捜査官はハンガーストライキで抗議した。33日間で14kgも体重が減るという過酷なストライキだ。過去の例として、40日以上のハンガーストライキは死んでいる。以下に示すように30時間でアウトになった青島幸男と比べると、33日間は壮絶である。
青島幸男のハンガー・ストライキは、30時間以上が経過したところで脱水症状に陥ったために緊急入院せざるを得なくなり、中断を余儀なくされた。(ハンガー・ストライキ – Wikipedia)
ネカト調査がおかしいと抗議して、決死の行動をとった人がいたという事実は、スゴイと思う。
日本では、これほどでなくても、今まで、ネカト調査の不正に強く戦った人はいない。現実は、自分の身をを安全圏に置き、不正を指摘する。そのような行動でも勇気がいる状況である。
死を賭して正義を主張する。エライというか壮絶である。
1988年4月11日、議会の公聴会「科学ネカト、不正行為、および連邦政府の対応(Scientific Fraud, Misconduct, & the Federal Response)」で証言するNIHのウォルター・スチュワート(Walter Stewart)。動画出典。動画の1時間15分44秒頃に登場する
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日本がもっと豊かに、そして研究界はもっと公正になって欲しい(富国公正)。正直者が得する社会に!
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●8.【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Hector DeLuca – Wikipedia
② ◎2019年1月3日のビル・リューダース(Bill Lueders)記者の「Isthmus」記事:It’s déjà vu all over again – Isthmus | Madison, Wisconsin
③ 2018年12月1日のケリー・メイヤーホーファー(Kelly Meyerhofer)記者の「Wisconsin State Journal」記事:UW-Madison’s patent-licensing arm ordered to pay $31.6 million to St. Louis university | Higher education | madison.com、(保存版)
③ 2018年12月30日のケリー・メイヤーホーファー(Kelly Meyerhofer)記者の「Wisconsin State Journal」記事:UW-Madison’s patent-licensing arm ‘actively concealed’ info from research partner, judge says | Higher education | madison.com、(保存版)
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
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