2018年8月16日掲載
ワンポイント: ヴェルマは、インドで生まれ育ち、ソーク研究所の正教授になった著名な分子生物学者で、一流学術誌「PNAS」の編集長も務めていた。2018年4月(70歳)、1976-2016年(28-68歳)の41年間にわたってヴェルマがソーク研究所の8人の女性にセクハラをしていたと申立てられた。ヴェルマは「PNAS」編集長を首になり、ソーク研究所を辞職した。セクハラ調査の決着はついていない。国民の損害額(推定)は10億円(大雑把)。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】
インダー・ヴェルマ(Inder Verma、写真出典: Image Courtesy of Salk Institute for Biological Studies)は、米国のソーク研究所(Salk Institute for Biological Studies)・教授で、医師ではない。インドで生まれ育ち、23歳でイスラエルで研究博士号(PhD)を取得、37歳でソーク研究所の正教授に就任、49歳で米国科学アカデミー・会員と華々しい研究者の道を歩んできた。2011(63歳)から学術誌「PNAS」の編集長も務めていた。専門は分子生物学(遺伝子治療と癌遺伝子)である。
2018年4月21日(70歳)、サイエンス誌が1976-2016年(28-68歳)の41年間にわたってヴェルマがソーク研究所の8人の女性にセクハラをしていたと伝えた。
2018年6月6日(70歳)、ヴェルマはソーク研究所を辞職した。
2018年8月15日(70歳)現在、ソーク研究所はセクハラ調査中である。
セクハラは犯罪なので、本ブログでは「研究者の犯罪事件」で扱ったが、「生命科学(米国)」の一覧表にもリストした。
ソーク研究所(Salk Institute for Biological Studies)。写真出典http://neuroscience.onair.cc/salk-institute-for-biological-studies/
ソーク研究所(Salk Institute for Biological Studies)。© Nils Koenning 写真出典https://www.world-architects.com/en/nils-koenning-berlin/project/salk-institute-for-biological-studies-louis-kahn
- 国:米国
- 成長国:インド
- 医師免許(MD)取得:なし
- 研究博士号(PhD)取得:イスラエルのワイツマン科学研究所
- 男女:男性
- 生年月日:1947年11月28日
- 現在の年齢:76 歳
- 分野:分子生物学
- 最初の不正:1976年(28歳)
- 発覚年:2018年(70歳)
- 発覚時地位:ソーク研究所・教授
- ステップ1(発覚):第一次追及者はセクハラ被害者で、研究所に公益通報した
- ステップ2(メディア):「Science」誌のメレディス・ワドマン(Meredith Wadman)記者
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①「Science」誌。②ソーク研究所がローズ・グループ(The Rose Group)法律事務所に調査依頼
- 所属機関・調査報告書のウェブ上での公表:なし。調査が終了していない。
- 所属機関の事件への透明性:実名報道だが機関のウェブ公表なし(△)。調査が終了していない
- 不正:セクハラ
- 不正数:1976-2016年(28-68歳)の41年間に、少なくとも8人の女性がセクハラ被害
- 時期:研究キャリアの初期から
- 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)をやめた・続けられなかった(Ⅹ)。70歳という年齢もある
- 日本人の弟子・友人:不明
【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は10億円(大雑把)。内訳 ↓
- ⑦研究者の時間の無駄と意欲削減+国民の学術界への不信感の増大は1億円。
- ⑨損害額(大雑把):著名な研究者だが研究成果での損害はない。70歳なので研究者を辞めた。データねつ造・改ざんではないので、研究成果上の損害はほとんどない。ただ、研究者の権威・公正・信頼を失墜させ、学術界を腐敗させた。⑦を含め損害は10億円(大雑把)。
●2.【経歴と経過】
- 1947年11月28日:インドで生まれる
- 19xx年(xx歳):インドのラクナウ大学(University of Lucknow)で学士号取得
- 1971年(23歳):イスラエルのワイツマン科学研究所(Weizmann Institute of Science)で研究博士号(PhD)を取得
- 1971年(23歳):米国のマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)・ポスドク。ボスは1975年度ノーベル賞受賞者のデビッド・ボルティモア(David Baltimore)
- 1973年(25歳):グリージ・ファンデル・ワウド(Grietje van der Woude)と結婚。後に娘1人をもうけた
- 1974年(26歳):米国のソーク研究所(Salk Institute for Biological Studies)・助教授
- 1979年(31歳):同・準教授
- 1985年(37歳):同・正教授
- 1997年(49歳):米国科学アカデミー・会員
- 2011年(63歳):学術誌「PNAS」編集長
- 2018年1月1日(70歳):学術誌「PNAS」編集長・解任
- 2018年4月21日(70歳):サイエンス誌がヴェルマのセクハラ行為を詳細に報道
- 2018年6月6日(70歳):ソーク研究所を辞職
- 2018年8月15日(70歳)現在:セクハラ裁判の被告
●3.【動画】
以下は事件の動画ではない。
【動画1】
研究内容の動画:「An interview with Inder Verma, Ph.D, recipient of the 2008 Vilcek Prize in Biomedical Science – YouTube」(英語)11分22秒。
The Vilcek Foundationが2011/04/22 に公開
●4.【日本語の解説】
★2018年05月1日:榎木 英介:科学政策ニュースクリップ:ソーク研究所セクハラ続報
すでに何度かご紹介していますが、ソーク研究所でのセクハラ問題で、著名な生命科学者であるInder Verma氏が停職になりました。
★2018年05月22日:百醜千拙草:レベルが低すぎる
ちょっと前にスキャンダルになったソーク研究所のInder Vermaのセクハラの告発で、結局、VermaはPNASのEditor in Chiefを辞任することになったとニュース(リンクはサイエンスの記事)。 研究能力、業務遂行能力がいくらあっても、セクハラはそれらのポジションを辞任しないといけなくなるほどの問題であると認識されているということでしょう。
●5.【不正発覚の経緯と内容】
★ソーク研究所
ソーク研究所(Salk Institute for Biological Studies)は、ポリオワクチンのパイオニアであるジョナス・ソーク(Jonas Salk)によって、55年前の1963年、カリフォルニアのビーチ沿いに設立された生命科学研究所である。
600以上の科学者を擁し、11人のノーベル賞受賞者を輩出・雇用し、老化、がん、脳科学などの研究で世界超一流の研究成果を挙げてきた。2015年の予算は1億1,700万ドル(約117億円)だった。2016年1月からノーベル賞受賞者であるエリザベス・ブラックバーン(Elizabeth Blackburn)が所長に就任している。
ソーク研究所には、33人の正教授がいるが、28人は男性で女性はブラックバーン所長を含め5人しかいない。
インダー・ヴェルマ(Inder Verma)は1974年に26歳でソーク研究所の助教授に就任した。2015年の年俸は40万ドル(約4,000万円)でソーク研究所で最高額だった。2018年に70歳だが、44年間もソーク研究所で研究を続け、所内の昇進員会の委員長で人事を握り、研究委員会の委員長で研究費配分を握っていた。一部の研究者は、ソーク・インダー研究所(Salk ‘Inder’s institute)と呼んでいた。つまり、インダー・ヴェルマは、ソーク研究所の主(ヌシ)のような存在だったのである。
●【女性差別】
★女性差別
2017年7月、セクハラ事件が表沙汰になる9か月前、ソーク研究所の女性差別が裁判沙汰になった。
→ 2017年7月19日のメレディス・ワドマン(Meredith Wadman)記者の「Science」記事:Salk Institute under fire for ‘smear’ on women suing it for discrimination | Science | AAAS
→ 2017年12月28日のゲイリー・ロビンズ(Gary Robbins)記者の「ロサンゼルス・タイムズ」記事:Renowned Salk Institute scientist loses a top post due to gender discrimination claims
2017年7月11日、ソーク研究所のヴィッキー・ルンドブラド教授(Vicky Lundblad)、キャサリン・ジョーンズ教授(Katherine Jones)、ビバリー・エマーソン教授(Beverly Emerson)の3人の女性教授が、別々に、サンディエゴ市裁判所(California Superior Court in San Diego)に訴訟を起こした。
ソーク研究所は、賃金、昇進、助成金、援助機関へのアクセスで、女性を差別していると、その損害賠償を求めて、訴訟を起こしたのである。
キャサリン・ジョーンズ教授(Katherine Jones、左)とヴィッキー・ルンドブラド教授(Vicky Lundblad、右)。© Alejandro Tamayo/San Diego Union-Tribune via ZUMA Wire 出典:http://www.sciencemag.org/news/2017/07/salk-institute-under-fire-smear-women-suing-it-discrimination
ルンドブラド教授(64歳、写真右)は細胞生物学者であり、テロメア、すなわち染色体を覆う構造の研究で著名である。彼女は2003年からソーク研究所で研究し、2015年に、米国科学アカデミー・会員に選出された。
ジョーンズ教授(62歳、写真左)は、1986年以来、ソーク研究所で研究し、エイズウイルス感染および癌に関連した転写伸長の著名な研究者ある。
エリザベス・ブラックバーン所長(Elizabeth Blackburn、女性)は、「女性を差別しているという疑念は真実ではありません」と反論した。しかし、所長になってまだ約2年半しか経過していないのに、この訴訟の勃発で、来年の夏に所長を退任すると発表した。[白楽注:ノーベル賞受賞者だからとブラックバーンを所長にしたが、ブラックバーンには管理能力はないという噂である。当然だ。日本でもノーベル賞受賞者を万能者扱いする勘違者が多い]
それ以前に、理事会のテッド・ウェイト理事長(Ted Waitt)も、突然、理事長を辞任すると発表していた。
ルンドブラド教授は訴訟で、インダー・ヴェルマがソーク研究所で女性研究者を不当に低く扱った最悪の人であると述べている。
女性差別者の筆頭として挙げられたインダー・ヴェルマ(Inder Verma)は2018年1月1日をもって、一時的に学術誌「PNAS」編集長を休職するよう米国科学アカデミー・評議会から通告された。
2017年12月(あるいは2018年8月?)、エリザベス・ブラックバーン(Elizabeth Blackburn、女性)はソーク研究所・所長を辞任し、後任にフレッド・ゲージ(Fred “Rusty” Gage、写真)が所長に就任した。
2018年8月7日、ジョーンズ教授(63歳)とルンドブラド教授(65歳)の2人の原告は被告のソーク研究所と和解した。示談内容は公表されていないが、2人の教授はソーク研究所に残ることになった。
3人目の原告・ビバリー・エマーソン・元教授(Beverly Emerson、2017年12月に辞職)は最後まで裁判をするとのことで和解していない。2018年8月17日、判決がでる予定になっている。
●【セクハラ】
セクハラの詳細を書いていこう。
1つは、日本人男性研究者が米国で研究する時、このようなことをしたらセクハラとみなされる例として参考にしてほしい。米国で研究するときの注意点である。
もう1つは、日本人女性研究者が米国で研究する時、男性にこのようなことをされる可能性があり、その時は、セクハラと訴える。記録もする。日本人女性研究者の米国で研究するときの注意点である。
セクハラとセクハラでない行為の線引きは日本と米国で少し異なる。
★セクハラ被害者:8人
上記の女性差別問題が勃発した9か月後、セクハラ問題が勃発した。
2018年4月21日、サイエンス誌は妻帯者のインダー・ヴェルマ(Inder Verma)が1976-2016年(28-68歳)の41年間にわたって8人の女性にセクハラをしていたと伝えた。
セクハラの具体的行為は以下のようである。
- 女性の乳房をつかんだ。
- 女性のお尻をつねった(米国では、女性に関心があることを伝えるために男性がする行為)。
- 女性に無理やりキスした。
- 女性を性的に誘った。
- 女性の身体的特徴を繰り返し口にした。
被害者は、ソーク研究所の研究室のテクニシャン、ポスドク、職員、教員、そしてソーク研究所外の女性たちに及んだ。
8人の被害女性がソーク研究所に訴えた。8人の内3人の若い女性研究者は匿名を要求した。5人の女性研究者は50代と60代で、安定した学術職があるので顕名を承認した。
インダー・ヴェルマ(Inder Verma)、1986年(38歳)。写真:Cold Spring Harbor Laboratory。出典:http://www.sciencemag.org/news/2018/04/famed-cancer-biologist-allegedly-sexually-harassed-women-decades
インダー・ヴェルマはソーク研究所で権力を持ち、また、ノーベル賞受賞者、NIH研究費審査員、学術誌編集委員など学術界を牛耳るたくさんの友人がいる。それで、女性研究者はヴェルマのコクハラ(告発に対するハラスメント)を恐れた。
ソーク研究所の女性研究者の間では、何十年もの間、「ヴェルマと2人きりなるな」という警告があった。
★セクハラ被害者:ポスドク
イタリアのピサにある臨床生理学研究所(Institute of Clinical Physiology)の分子生物学者であるモニカ・ズーペ(Monica Zoppè、写真出典)は、「ソーク研究所では、皆、ヴェルマはセクハラをすると話していた」と述べている。
1992年(44歳)、モニカ・ズーペ(当時31歳)は、イタリアの大学院で研究博士号(PhD)を取得したすぐ後に、ソーク研究所のヴェルマ研究室でポスドクを始めた。
イタリアから到着して数週間後、ヴェルマはズーペを彼女の自宅(2人のルームメイトとのシェアハウス)に車で送ってあげると言った。ズーペはまだ車を持っておらず、感謝し、お願いした。
ドライブ中、アパートに帰っても誰も待っているわけでもなく、することはないという話をした。では、研究について少し話し合おうとヴェルマが提案したので、彼女は喜んで、彼を紅茶に招待した。
シェアハウスの2人のルームメイトはどちらも家にいなかった。そして、家に入った途端、ヴェルマは突然、ズーペにキスしようとした。
ズーペはショックを受けた。怒って、彼を押しのけた。
突然のことで、適切な英語が出てこず、最初は「行こうよ!(Let’s go!)」と言ってしまった。ヴェルマの顔が明るくなった。ズーペは、慌てて、「出て行け!(You go!)」と言い直した。そしたら、彼は出て行った。
翌日、ズーペはヴェルマに会った。その時、「ヴェルマは今までセクハラ行為をしたことがない、と私は感じた。そして、ヴェルマはこの事件について他人に話さないでくれと頼んできたのです」と、3年後、ズーペは報告書に書いている。
というのは、事件から3年後、ズーペはソーク研究所のセクハラ研修を受けた。その研修で、そのようなセクハラ事件はすぐに報告するようにと促されたのである。
それで、研修の数日後、ソーク研究所の人事部にセクハラ事件を報告した(ソーク研究所の元・事務員が報告書の存在を確認している)。その時、ズーペはソーク研究所やヴェルマに対して法的措置を講じることを暫定的に考え、上記のことも書いたそうだ。
ズーペの報告を受け、ソーク研究所・人事部はカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)で研究することをズーペに打診した。ズーペはその提案を断った。というのは、原理的に考えて、ソーク研究所から出ていくのはズーペではなくてヴェルマだと思ったからである。
数日後、人事部長がズーペの自宅に電話してきた。ヴェルマが怒っているので、もう一度電話するまで自宅で待機するようと連絡してきたのだ。
さらに数日後、ズーペがソーク研究所に出勤すると、ヴェルマはズーペに、非常に冷静に謝罪した。そして、彼はズーペに対して怒っていないと言った。しかし、ズーペは、それは明らかに嘘だと確信した。
なお、モニカ・ズーペは、ヴェルマに強制的にキスをされた時、まだ、「ヴェルマと2人きりなるな」というソーク研究所の掟を聞いていなかった。
★セクハラ被害者:助教授
セクハラを受けた女性たちは、事件の後、ヴェルマの影響力、あるいは少なくとも彼の存在が脅威にならないキャリアの選択をしたと言われている。
例えば、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の神経科学者パメラ・メロン(Pamela Mellon、写真出典)である。メロンは、1980年代半ばソーク研究所の助教授だった。
ある日、メロンはヴェルマの自宅のパーティーに呼ばれた。ところが、人のいないところで、ヴェルマはメロンの乳房を触ったのだ。メロンはその時、30代半ばだった。
彼女はすぐにパーティー会場を後にした。その後、彼女は事件について誰にも言わなかった。幸い、メロンはヴェルマの部門に所属しておらず、ヴェルマは彼女に対する直接の権限を持っていなかった。それで、メロンはヴェルマを避けることで被害を処理してきた。それ以来、「私は彼を30年間避けてきました」とパメラ・メロンは述べている。
しかし、そう簡単ではないこともあった。セクハラ事件の1-2年後、メロンが助教授から準教授への昇進を決める委員会の委員長にヴェルマが任命されたのである。
メロンは、ヴェルマが昇進委員会の委員長を務めることに悩み、人事部長に状況を説明した。すると、驚いたことに、人事部長はメロンにカウンセリングが必要だと言い、ヴェルマのセクハラ事件に対処することを拒否したのである。
それでメロンは、人事部長があてにならないと察し、研究上の知人でソーク研究所・有力教授のトニー・ハンター(Tony Hunter)に相談した。メロンは、昇進委員会からヴェルマを除いてほしいとハンター教授に訴えた。ハンター教授は理由を聞かずに、昇進委員会の委員長になってくれた。
「ハンター教授は私の要望を真剣に聞いて、事態を修正してくれました」とメロンは感謝した。
メロンは昇進した。
1992年(44歳)、メロンはソーク研究所からカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)に移籍した。現在、その大学で脳の研究をしている。
なお、当時、ソーク研究所で働いていた女性(匿名希望)は、メロンがソーク研究所を去ったことをヴェルマが話した日を思い出した。
ヴェルマ:「パメラ・メロンがソーク研究所を辞めたよ」
私:「メロン?」
ヴェルマ:「パメラ・メロンだよ。スイカ(ワーターメロン)のような巨乳のメロンだよ」と言った。
このセクハラ発言に、「私は、ただただ、ショックだった」と彼女は語った。「怖くて、何も言えなかったのです」と付け加えた。
★セクハラ被害者:教授
2001年9月(53歳)のある晩、1986年からソーク研究所で研究し、1999年に正教授に昇進した分子生物学者、ビバリー・エマーソン教授(Beverly Emerson、写真)(当時49歳)は、ソーク研究所の図書室のコピー機でコピーしていた。
図書室には他に誰もいなかった。エマーソン教授はヴェルマが近づいて来る足音を聞いていなかった。突然、ヴェルマはエマーソン教授の横にいて、エマーソン教授を抱き寄せ、口にキスをした。
「いい?」と彼は尋ねた。
「ダメ!」。エマーソン教授はショックを受けて拒絶した。
ヴェルマは後退し、図書室を出て行った。
エマーソン教授は、ヴェルマが強大な権力と影響力を持っているので、ヴェルマを告発すると、実験条件が落とされ、場合によるとソーク研究所での研究職を失う危険があり、自分が脆弱だと感じた。
なお、エマーソン教授は、上記のセクハラ事件をソーク研究所に報告しなかった。というのは、ヴェルマのコクハラを恐れたからだが、ヴェルマが2度目のセクハラ行為をしなかったからでもある。
エマーソン教授は、「もし、2度目のセクハラ行為をしたのなら、ソーク研究所の人事部だけでなく所長にも訴えるつもりでした。ただ、私は、人事部がヴェルマを懲戒処分する力を持っていなかったと感じていました」と述べている。
エマーソン教授は、現在は66歳で上記の女性差別訴訟の原告の1人である。
2017年12月、エマーソン教授が女性差別問題を裁判所に訴えた5か月後、ソーク研究所は給与の50%を外部研究費で補えていないという理由で、エマーソン教授との雇用契約を停止した。つまり、エマーソン教授はソーク研究所を解雇された(辞職した)。
★セクハラ被害者:テクニシャン
レスリー・ジェロミンスキー(Leslie Jerominski)は、現在はユタ大学病院の上級実験スペシャリストだが、1976年5月、24歳の時、ヴェルマの研究室のテクニシャンに就職した。
レスリー・ジェロミンスキー(Leslie Jerominski)(1992年)。Copyright© Peter Menzel www.menzelphoto.com
出典:http://menzelphoto.photoshelter.com/image/I0000lJqbPEOhUS0
就職して数か月後、ヴェルマ(28歳、既婚)に近くの大学でテニスをしないかと誘われた。テニスをした後、ジェロミンスキーは、ソーク研究所の更衣室で服を着替えていたら、ヴェルマに抱き締められ、キスされそうになった。「やめて」と叫んで、なんとか顔をよじって逃れた。
ジェロミンスキーは、恐怖と怒りで一杯になった。ヴェルマに失望した。
ただ、ジェロミンスキーは事件を報告しなかった。また、幸い、ヴェルマはセクハラ行為を繰り返さなかった。
「私はまだ若く、ソーク研究所で働くことに栄誉を感じていました。だから私はヴェルマの不快な行為を忘れることにしたのです」。とはいえ、勤務中は常に警戒し続けていた。「私はヴェルマと2人きりに決してならないようにしました。私は常に警戒しなければならないという状況がイヤでした」。
そして、ジェロミンスキーは1年5か月後の1977年10月にソーク研究所を辞めた。
★セクハラ被害者:外部の研究者
1988年、ヴェルマは41歳だった。
NIH・国立がん研究所に、東海岸・ボストンのダナ・ファーバー癌研究所(Dana-Farber Cancer Institute)の研究費審査で、現地調査をしてもらえないかと依頼された。ヴェルマは引き受け、現地審査委員会の委員長になった。
同行の現地審査員は、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)・助教授で癌生物学を研究しているジーン・ワン(Jean Wang、女性、36歳、https://ucsdnews.ucsd.edu/archive/newsrel/health/jwang.htm)だった。
ジーン・ワンは現地審査員に選ばれたことに感激して、「タルボット(TALBOTS)」ブランドの彼女のお気に入りの服、プロフェッショナルな印象を与える服を着て出発した。
ダナ・ファーバー癌研究所での激しい評価をした日の夜、ボストンのエンバシー・スイーツ・ホテル(Embassy Suites hotel)の部屋に戻ってくると、ヴェルマ委員長から、現地審査で重要な問題について議論するから部屋に来てほしいと電話がかかってきた。
ヴェルマがドアを開けたとき、ジーン・ワンは部屋のテーブルに氷で冷えているシャンパンが見えた。ヴェルマが彼女の後ろのドアを閉め、スイート・ルームのソファーに座って、彼女に膝の上に乗るようにと言った。
唖然とした。しかし、彼を怒らせることを恐れて、彼女はヴェルマの要求に応じた。
すると、ヴェルマはジーン・ワンに元カレやセックスライフについて尋ね始めた。
ジーン・ワンはなんとか話題をそらそうと、ヴェルマの妻や娘のことを尋ね、状況をかわしつつ、部屋に帰りたいと繰り返し抗議し、約5分後、やっとヴェルマから離れ自室に戻った。
自分の部屋に戻って、ジーン・ワンは長い時間、シャワーを浴びた。 「私は屈辱を洗い流したいと思った」。彼女のお気に入りだった「タルボット(TALBOTS)」ブランドの服は思い出すのも汚らわしいと、ゴミ箱に投げ捨てた。
ジーン・ワンは、サンディエゴに戻った時、ヴェルマのコクハラ(告発の報復)を恐れ、ヴェルマのセクハラを告発しなかった。そして、ホテルでヴェルマの部屋に行った自分を責めた。
ヴェルマのセクハラを他人にしゃべったら、ヴェルマはジーン・ワンにダメージを与えるだろう。ジーン・ワンは「私は助成金が必要だったのです」。
ジーン・ワンは現在、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の殊勲名誉教授(distinguished professor emeritus)である。
★セクハラ被害者:その他
ソーク研究所は2000-2003年に14人の助教授を公募して、5人の女性が応募した。
その採用人事で、ヴェルマは1人の女性(匿名、当時独身)候補者を面接室に案内した。その時、ヴェルマは彼女のお尻をつねったのである(米国では、女性に関心があることを伝えるために男性がする行為)。
彼女は、そのセクハラで非常に混乱し、ソーク研究所の職を断った。
他にも、セクハラ被害を受けた女性がいる。
最近の10年間のある夜、ヴェルマ教授の研究助手の女性は、ヴェルマと製薬会社幹部とサンディエゴのレストランで夕食を共にした。研究助手は唯一の女性だった。夕食会の終わり近くに、ヴェルマ教授は研究助手の腰に腕を回し、「あなたはいつもとても美しいです。 あなたは美しい星のようです」とささやいた。
研究助手はすぐにヴェルマ教授の腕をほどき、離れた。ところが、ヴェルマ教授はソーク研究所でも彼女に対して性的な発言を続けたのである。
また、2016年にソーク研究所で働いていた別の若い女性は、会議の後、握手しようと彼女が手を伸ばしたら、ヴェルマ教授はその手を引っ張って、彼女を抱き寄せた。
ヴェルマ教授は抱き寄せた彼女の頬を手でなで、「おそらくこれを言ってはいけないが、あなたはとてもきれいだ」と言った。
この女性は、当時所長だったエリザベス・ブラックバーンに事件を伝えた。ブラックバーン所長は人事部に伝えている。
★セクハラはなかった:15人
一方、サイエンス誌が把握した範囲で、ヴェルマと一緒に働いた女性の内の15人はヴェルマのセクハラを経験していないと述べている。
例えば、1980年代後半にヴェルマの研究室でポスドクとして働いたジェーン・ビジヴァーダー(Jane Visvader、写真出典)は、「ヴェルマは敬意をもって私を扱ってくれました。私にはヴェルマは高潔で非常に支えになる上司でした」と述べている。
ジェーン・ビジヴァーダーは現在、オーストラリアのウォルター・アンド・エリザホール研究所(Walter and Eliza Hall Institute of Medical Research)の乳癌研究者である。
★セクハラ無回答:12人
また、サイエンス誌が繰り返しインタビューを依頼したが、ヴェルマと一緒に働いた女性の内の12人は、依頼を無視または拒否した。
★インダー・ヴェルマは否定
インダー・ヴェルマは、サイエンス誌が送付した質問リストに答えなかったが、声明を発表した。
「私はソーク研究所で自分の地位を悪用したことは一度もありません。私はまた、ソーク研究所の関係者と親密な関係(性的関係を含めたお付き合い)を持ったことはありません。 私はソーク研究所に所属する人に、不適切に触れたり、性的なコメントをしたことは一切ありません。 私はソーク研究所で、攻撃的あるいは性的に不適切な会話、ジョーク、物品などを一切許可していません」。
つまり、全否定である。
★ソーク研究所
ソーク研究所の管理者は、1970年代後半から少なくとも2件の正式な苦情と3件のヴェルマへの苦情の報告を受けていた。そして、2018年4月にようやく、ヴェルマについて苦情を調査するために外部調査員を雇った。
ソーク研究所の管理者は、正式に苦情を申し立てた女性や、研究所の行動を知っている人たちに「事件について誰にも話すな」と、繰り返しインダー・ヴェルマを守ってきた。
例えば、モニカ・ズーペが、インダー・ヴェルマのセクハラ行為をソーク研究所に正式に訴えた時、ソーク研究所の管理者は、「事件について誰にも話すな」とモニカ・ズーペに強要したのである。
ニューヨーク州サラトガスプリングスのマカリスター・オリバリウス弁護士事務所(Maryllister Olivarius)でセクシュアルハラスメント事件を専門とするアン・オリバリウス弁護士(Ann Olivarius、写真出典)は、何十年ものセクハラ行為が真実であれば、「インダー・ヴェルマの行為は教科書的なセクハラ行為」だと述べている。
サイエンス誌が8人の女性の主張の検討をオリバリウスに依頼すると、「これらの例のように女性に触れているなら、その行為は法的には暴行・脅迫・強姦(assault.)と呼ばれます」と彼女は述べた。
2018年3月、ソーク研究所はサンディエゴの雇用法律事務所であるローズ・グループ(The Rose Group)を雇い、ヴェルマのセクハラ申し立ての調査を依頼した。
●6.【論文数と撤回論文とパブピア】
セクハラ事件なので、この章は省略。
●7.【白楽の感想】
《1》長い
1976 – 2016年(28 – 68歳)の41年間もセクハラしていたとは、その長さに驚いた。
「#MeToo」運動でようやく世間が注目して、権力者のセクハラが糾弾されるようになったということだろう。
インダー・ヴェルマのセクハラ行為は、ヴェルマに染み付いた女性観であり性行なのだろう。
白楽は、1995年にNIHに短期滞在した時、ボスが具体的なセクハラ教育をしてくれた。
「秘書を食事に誘って2度断られたら、3度目に誘ったらセクハラになる」
「秘書の胸をジーと見つめたらセクハラになる」
その頃だったとと思うが、セクハラのウェブ上での研修もあって、最後に試験もあった。NIH着任後1か月以内に試験の解答をNIH本部に送付(電子メールで可)しないと、NIHで研究できないと言われた。100点満点の80点以上を取らないと再研修との話だったが、確か、85点を取ったと思う。
後日談。
NIHで研究を始めて1か月を過ぎた頃、ボスが怖い顔で駆け足でやってきた。セクハラの研修を受けていないと本部から注意されたとのことだった。「イヤ、確かに、試験の解答を送付しました」とボスに伝えた。数日後、ボスは今度は穏やかな顔でゆっくり歩いてきて、「NIH本部から、ゴメン、受け取っていた」と連絡があった、とのことだった。
お陰で、このシステム、動いていることを実感した。
で、1995年頃、全米の大学・研究所でセクハラ対策をしたはずだ。ソーク研究所も例外ではないハズだ。
だから、この時、インダー・ヴェルマのセクハラ行為をストップできてれば、被害者はもう少し少なかっただろうに。
ソーク研究所は、そもそも、1970年代後半から少なくとも2件の正式な苦情と3件のヴェルマへの苦情の報告を受けていた、というのだから、もっと早くなんとかすべき状況だったハズだ。なお、苦情に対処すべき責任者の人事部長が無能だったという記述もある。
《2》「セクハラ」日米差
日本と比べると、米国のセクハラ事件は、事件を本気で解決しようとする気合が感じられる。
日本の大学では、セクハラ加害者が匿名である。被害者を守るためという口実で加害者を匿名にする。そのことで、実際は、加害者を守り、セクハラ者を支援し、再犯を促進しているかのようである。セクハラ事件を本気で解決し、再犯を防ごうとしているようには思えない。
→ 日本のネカト・クログレイ事件一覧 | 研究倫理(ネカト)の【日本の研究者のセクハラ・アカハラ・パワハラ事件一覧】
数か月の停職期間が済むと、セクハラ教授は復職し、同じ大学で再びセクハラをする可能性がある。
一方、大学は学生・院生に誰がセクハラ教授だと教えずにいる。つまり、学生・院生(とその親)はどの教授がセクハラ傾向があるのかわからないので、注意のしようがない。性犯罪は再犯率が高いという話である。この場合、大学が危険人物を解雇せずに抱えているとも解釈できる。2回目の被害者が生じたら、大学はどう弁明するのだろう?
米国では、基本的に加害者は実名である。日本よりも人権を尊重する米国が実名なのに、どうして日本は匿名なのだろう。
セクハラ加害者が実名だから、学生・院生はセクハラ教授だと知らず近づくことはない。
セクハラ被害者は本人が希望すれば匿名だが、本記事で解説したように、顕名の人もそれなりにいる。そのことで、セクハラ行為の実態が詳しくわかる。またメディアも詳しく報道する。だから、学生・院生・ポスドク・教職員・同僚は、どのような状況でどのような判断・行動をすればよいのか、具体的に学ぶことができる。
米国でセクハラ被害者が匿名なのは、セクハラの2次被害ではなく、コクハラを警戒しているのだ。この点も日本は、ズレている感がある。
日本の大学もセクハラ加害者を実名で報道すべきだだろう。そして、セクハラ教員を解雇すべきだろう。あるいは、無防備な学生・院生と接触できないよう、少なくとも、配置換えは必要だろう。
《3》「セクハラ」は研究者特有
白楽は、明治7年(1874年)~平成21年(2009年)の136年間の日本の研究者の事件を調べ、時代に伴う事件種の変遷、事件種の特性(研究分野、所属機関、役職、年齢、性別、匿名・実名報道など)、処分(免職や裁判)、事件の大きさなどを総合的に分析し、以下の書籍として出版した。
白楽ロックビル(2011):『科学研究者の事件と倫理』、講談社、東京: ISBN 9784061531413
その中で、ネカトと共に「セクハラ」も研究者特有の事件だと指摘したが、日本では誰も、注目しなかったようだ。
なんか、残念である。
《4》隠れた被害者
ヴェルマは、ソーク研究所の8人の女性に、1976-2016年(28-68歳)の41年間にわたってセクハラをしたと告発された。
この裏に、サイエンス誌にも新聞にも書いてない、イヤ、書けない(多分)忌まわしい事実があると思われる。つまり、ヴェルマの性的欲求に屈した被害女性がかなりいると思えることだ。
セクハラ行為をうまく拒絶できた女性は今回告発できただろうが、拒絶できなかった女性は表に立ちたくないだろう。そういう女性が何十人もいるに違いない。
ヴェルマが41年間にわたってセクハラをし続けたということは、その間、失敗よりも成功する回数が多かったからに違いない。ある程度成功したからヴェルマはセクハラをし続けたのだろう。ことごとく失敗すれば、途中でやめたに違いない。
ということは、メディアが公表している事態よりも現実は深刻だと思われる。ソーク研究所でセクハラ被害者の自殺者がいたのだろうか? 自殺しなくても、ヴェルマのセクハラで研究者をやめたとか、ウツになった学生・院生・ポスドク・教職員・同僚が、いなかっただろうか?
2009年、韓国人女優のチャン・ジャヨンが自殺。その後、「31人に100回以上性的接待を強要された」と書かれた手紙が発見された。(セクシャルハラスメント – Wikipedia)
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●8.【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Inder Verma – Wikipedia
② 2018年4月21日のメレディス・ワドマン(Meredith Wadman)記者の「Science」記事:Salk puts cancer scientist Inder Verma on leave after harassment allegations, announces investigation | Science | AAAS
③ ◎2018年4月26日のメレディス・ワドマン(Meredith Wadman)記者の「Science」記事:Famed cancer biologist allegedly sexually harassed women for decades | Science | AAAS、(保存版)
④ 2018年6月11日のメレディス・ワドマン(Meredith Wadman)記者の「Science」記事:Leading Salk scientist resigns after allegations of harassment | Science | AAAS、(保存版)
⑤ 2018年4月23日の「Fox 5」記事:Prominent Salk Institute researcher suspended amid sexual misconduct allegations | fox5sandiego.com、(保存版)
⑥ 2017年12月28日のゲイリー・ロビンズ(Gary Robbins)記者の「ロサンゼルス・タイムズ」記事:Renowned Salk Institute scientist loses a top post due to gender discrimination claims
⑦ 2017年7月19日のメレディス・ワドマン(Meredith Wadman)記者の「Science」記事:Salk Institute under fire for ‘smear’ on women suing it for discrimination | Science | AAAS
⑦ 2018年8月7日のメレディス・ワドマン(Meredith Wadman)記者の「Science」記事:Salk Institute settles two of three gender discrimination lawsuits | Science | AAAS
⑦ 2017年8月23日のメレディス・ワドマン(Meredith Wadman)記者の「Science」記事:Leaked documents expose long-standing gender tensions at Salk Institute | Science | AAAS
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
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