カールトン・ガジュセック(Carleton Gajdusek)(米)


【概略】
141228 Daniel_Carleton_Gajdusek_(1997)[1]カールトン・ガジュセック(Daniel Carleton Gajdusek、73歳の写真出典)は、米国・NIHの研究者で医師。1976年(53歳)、クールー病の研究で、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。ガジュセックはガイジュセク、ガイジュセックとも表記される。

1996年4月(72歳)、児童性的虐待(child molestation)の罪で起訴された。
1997年(73歳)、有罪判決で、懲役1年7か月の実刑判決が言い渡された。
1998年(74歳)、釈放された。
2008年12月11日、ノルウェーで没。享年85歳。死因不明。

141228 Kuru-A-Doenca-dos-Canibais-Carleton-Gajdusek-recebendo-o-premio-Nobel[1]
1976年(53歳):ガジュセック(左)は、クールー病の研究で、ノーベル生理学・医学賞を受賞。写真出典

  • 国:米国
  • 成長国:米国
  • 博士号取得:米国・カリフォルニア工科大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1923年9月9日
  • 死亡:2008年12月11日、享年85歳
  • 分野:ウイルス学
  • 犯罪:1996年4月(72歳)、児童性的虐待で起訴される
  • 被害者:1人? 訴えた人は1人でも実際は多数?
  • 判決:1997年(73歳)年、懲役1年7か月の実刑
  • 釈放: 1998年(74歳)
  • 発覚:
  • 調査:FBI。期間不明
  • 時期:
  • 結末:懲役1年7か月の実刑判決

★主要情報源:
①  141228 bosselindquist_2002009年6月1日のBBC4のテレビ番組:スウェーデン人のボス・リンドクイスト(Bosse Lindquist、1954生まれ、写真出典)執筆・プロデュース. “The Genius and the Boys”. Storyville. BBC Four.
★動画「Storyville The Genius And The Boys」、(英語)1時間18分31秒、Charles Walshが2014/03/19にアップロード

②ノーベル財団のサイト:D. Carleton Gajdusek – Biographical
③ ウィキペディア: Daniel Carleton Gajdusek – Wikipedia, the free encyclopedia
④ 2009年2月25日のキャロライン・リッチモンド(Caroline Richmond)の「The Guardian」記事: Obituary: Carleton Gajdusek | Science | The Guardian
⑤ David M. Asher with Michael B. A. Oldstone 「Daniel Carleton Gajdusek
⑥ 1996年8月5日の「The Independent」記事:The fall of a family man – News – The Independent
⑦ 1996年11月8日の「Times Higher Education」記事:A laureate accused | General | Times Higher Education
⑧ 未読(有料):2007年、Ceridwen Spark「Family Man: The Papua New Guinean Children of D. Carleton Gajdusek」、Oceania Vol. 77, No. 3 (Nov., 2007), pp. 355-369

【経歴】

  • 1923年9月9日:米国・ニューヨーク州のヨンカーズ(Yonkers)の肉屋の長男として生まれる。父はスロバキアから、母はハンガリーからの移民である。次男のロビン・ガジュセック(Robin Gajdusek:1925-2003)はサンフランシスコ州立大学・教授(英文学)になった。
  • 1940 – 1943年(16 – 19歳):ロチェスター大学(University of Rochester)、卒業
  • 1943 – 1946年(19 – 22歳):米国・ハーバード大学・医学部(Harvard Medical School)、医師免許取得
  • 1949 – 1950年(25 – 26歳):米国・カリフォルニア工科大学(Caltech)で博士号取得
  • 1957年(34歳):オーストリア・メルボルンのウォルター・アンド・エリザ・ホール医学研究所(Walter and Eliza Hall Institute of Medical Research)のバーネット研究室(ノーベル賞受賞者)に行き、そこから、ニューギニアに派遣され、クールー病患者に初めて接した。
  • 1958 -1997年2月(35 – 73歳):米国・NIH・国立神経疾患・盲目研究所の研究部長(National Institute of Neurological Diseases and Blindness、現・国立神経疾患・脳卒中研究所:NINDS; National Institute of Neurological Disorders and Stroke)
  • 1963年(40歳):56人の養子の最初の少年(12歳)をアメリカに連れてきた。
  • 1976年(53歳):クールー病の研究で、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
  • 1996年4月(72歳):児童性的虐待(child molestation)の罪で起訴された
  • 1997年(73歳):有罪判決で、懲役19月の実刑判決が言い渡された
  • 1998年(74歳):釈放
  • 2008年12月11日(85歳):死亡

【研究内容】

クールー病は、南太平洋のパプアニューギニア(Papua New Guinea)のフォレ(Fore)族に見られた神経疾患で発症すると1年以内に死ぬ病気である。女性と子供に発症した。ガジュセックは、1950年代・60年代に現地に赴き、研究した。

1965年(42歳)、クールー病の原因をスローウイルスだと突き止めた。その業績で、1976年(53歳)、ガジュセックはノーベル生理学・医学賞を受賞した。

志知 均(しち ひとし)の2013年12月11日の記事「JA Circle: 奇妙な病原体プリオン」を改変引用し、研究内容を説明しよう。

人食い人種として知られるパプア・ニューギニア(Papua New Guinea)のフォア族(Fore)の部落民、特に女、子供が一年間に200人以上も原因不明の脳疾患クールー病(kuru disease)で死亡していることが報告された。病原性バクテリアやビールスによる感染の痕跡はなかった。フォア族には病気で死んだ親族の脳組織を食べる習慣があることが人類学者の調査でわかっていたため、脳の中に未知の病原体が存在するだろうと推測された。

ガジュセックはインディアナ・ジョーンズのような研究者でニューギニアのジャングルの奥にあるフォア族部落を訪れ,クールー病で死亡した患者の脳組織をNIHへ持ち帰った。彼はその組織の抽出液をチンパンジーの脳に注射してクールー病が発病することを示した。抽出液中の病原体は確認できなかったが、脳組織の病理所見が、病原体不明のもうひとつの脳疾患であるクロイツフェルド・ジャコブ病(Creutzfeldt-Jakob disease, CJD)にきわめて類似していることを指摘した。

それは脳組織がスイス・チーズやスポンジのようになる病変で、これらの病気はスポンジ型脳障害(spongiform encephalopathies)と総称されている。ガジュセックはクールー病その他の研究で1976年にノーベル賞を受賞した。

141228 ガイダ11957年、ガジュセック(左)と地元の医師・ビンセント・ジーガス(Vincent Zigas)(右)がクールー病の少年を調べている。写真出典:主要情報源⑤

【事件の経緯】

事件は、クールー病研究に関連深いが、研究そのものとは別である。

★56人の子供(主に男児)を養子

1963年(40歳)、南太平洋の現地研究で、ガジュセックは多くの悲惨な人々の生活をまのあたりにし、貧しい子供たちに米国の教育を受けさせようと、最初にアンガ(Anga)族の少年(12歳)をアメリカに連れてきた。ワシントン空港に降り立ったとき、少年はガリガリに痩せていて、裸足だった。

ガジュセックは、その後も南太平洋のパプアニューギニアやミクロネシアの貧しい子供(主に男児)を、両親の承諾を受け、養子として引き取り、米国に連れてきた。住む場所、食糧をあたえ、高校教育と大学教育(医学部も多し)を受けさせた。結局、養子とした子供の総数は56人にのぼった。彼らの数人は米国で学者になり、数人は母国に帰り成功した。

141228 ガイダ3米国に連れてきた養子たちと食事をするガジュセック 写真出典

彼の動機は、南太平洋の貧しい子供たちを養育するという利他的な慈善だったが、彼自身がたくさんの子供たちに囲まれて暮らすのが好きだったこともある。養子たちは彼を頼りにし彼を慕った。ガジュセックは、彼を称賛してくれる優しい取り巻きがいることで心が満たされたのだ。

ガジュセックは、楽しいことを求めて快楽的な生き方をする性格でもあった。

★1986年(62歳)に児童性的虐待の容疑

1986年(62歳)、1977年(53歳)の時にミクロネシアのポンペイ島から連れてきた14歳の少年が、9年後、23歳の大学生になり、かつて、ガジュセックに性的虐待をされたとFBIに訴えた。米国に到着後すぐの14歳の時、ガジュセックに性的なこと(具体的行為は不明)をされたと訴えたのである。

この時、ガジュセックに養育され成人になったほとんどすべての人が、「父」として「友人」としてのガジュセックを擁護する行動にでた。「ガジュセックは、自分たちの人生を変えてくれ、米国の家に住まわせてくれた恩人であり、この時代の最も立派な精神の持ち主だ」と証言したのである。他の誰も性的虐待をされたとは証言しなかった。

それで、地元警察はガジュセックを起訴しなかった。

★1996年(72歳)に児童性的虐待で逮捕

199x年(7x歳)、ガジュセック研究室の1人が、「なにか変なことが起こっている。手掛かりはガジュセックの学術論文や日記にあるかもしれない」とFBIに連絡した。

FBIは、日記を調べたが、T.S.エリオットの「プルーフロックの恋歌」のような抑圧された記述以外、犯罪と思えるものは何も記述されていなかった。

FBIは、次いで、ガジュセックの養子たちに聞き込みを行なった。証言してくれる養子(大人になっている男性)と電話で会話したのをテープに録音した。その養子は、「養子の子供たち(男性)がお互いに自慰をしていた時、ガジュセックが子供たちに触れた」と述べた(子供たちの性器に触れたということ?)。この人は、1986年に告発した人と同じかどうかわからない。他のすべての養子は、ガジュセックが自分たちに触れたとは言わなかった。その内の数人は自分たちに触れていないことを喜んで証言する述べた。

1996年4月(72歳)、ガジュセックが欧州旅行から帰り、米国・メリーランド州の自宅につくと、待機していた警察官に児童性的虐待の罪で逮捕された。

56人の養子の内の1人が、児童性的虐待で告発したのだ。

事件の最も意外な点はガジュセックの学術論文にあった。学術論文には、血液サンプルなど生物医学的な研究記録とともに、南太平洋の部族の性風俗・文化・習慣についての記述もあった。

学術論文は、つまり、原住民の少年は大人の男性の性的欲望を満たすことが伝統的だという同性愛の傾向を詳しく解説していたのである。

学術論文は1960年代の記録で、法廷事件以前に記述されたものであるが、ガジュセックと養子の米国での共同生活を推察するのに利用されたのである。

学術論文は、ニューギニアで行われる同性愛の儀式を、科学的な客観性と個人的な魅惑で文書化していた。文脈から、エキゾチックな国の性的な自由さを称賛していることがうかがわれた。

ガジュセックは、彼自身がいかなる性的行為にも参加していないし、参加を望んだと片鱗も書いていない。しかし、ガジュセックに性的な欲望があったことが読みとれた。

例えば、1969年のクリスマスの朝、前夜に若いアシスタントのグループと夜をともにした下りを次のように記述している。

私は再びよく眠った。まるで、6匹の子犬が、お互いの上に横たわり、はいずったかのように眠った。そして、パプアニューギニアのドラマチックな朝の空気の中で目覚めた。

 また、1961年10月2日から1962年8月4日のニューギニア・ジャーナルのガジュセックの論文に次の記述がある。(New Guinea journals October 2, 1961 to August 4, 1962)

 若い少年はいつも同性愛者である。同性愛者であることは秘密ではない。短時間でも私が1人でいると、少年は、いちゃついて私のポケットに手を入れてくる。私のペニスを触ると、すぐに、それを愛撫しようとする。

同性愛的にふざけるという性風俗・文化・慣習に私はある程度ついていけるようになったが、すべての大人の男性は、性的な目的のために若い少年を欲しがる。7~8歳の少年は全員、5~6歳の少年の何人かは、フェラチオを知っている。この事実はこの地域の性風俗・文化・慣習として最も意外だった。少年たちは、半分冗談、半分まじめに、口と指で吸う仕草をする。従って、同性愛はニューギニアのどこでも珍しくないと思われる。

1969年のニューギニア旅行の日記が1971年に出版された。一部抜粋する。

11月3日、Wabiri Haus Kiapにて。「少年たちは精液に興味があり、友好的になると、親しげに座り、大人の男性の性器を手に持ち、マスターベートし、フェラチオをする…」

11月5日、Sedado村にて。「Tiduaは、少年たちがが若い少年を警察官にプレゼントする言葉として使われている。・・・、彼らは、全然恥ずかしがらずに、少年と大人がいる前で公然と誘う。その誘い方は、舌を口から少しカールさせて突き出し、フェラチオをする身振りで、公然と誘っている。これは、私には初めての経験だった。

南太平洋の原住民が性に寛大だという性風俗・文化・習慣を、ガジュセックが、1960代の実験的な時代の学術論文として記述した。それを、1990年代の児童性的虐待に敏感な文化・価値基準で執拗に調査し、30年前の行為を糾弾した。

メディアと一般大衆は、重大な児童性的虐待だと糾弾し、ノーベル賞受賞者という雲上の人を、邪悪な感情・愉快・嫉妬で地に引きずり落とした。セイラム魔女裁判のように理性を欠いていた、と見る人もいた。

彼の実弟でサンフランシスコ州立大学名誉教授(英文学)だったロビン・ガジュセックは、「告発は節度を欠いている」と述べた。

★1997年4月(73歳)に有罪判決

1997年4月(73歳)、多くの著名な科学者がガジュセックを擁護したが、有罪判決で、懲役1年7か月の実刑判決が言い渡された。

141228 careltonobit_wideweb__470x356,0刑務所に向かうガジュセック 写真出典

1998年4月29日(74歳)、減刑され、1年間の投獄後、釈放された。

ガジュセックは米国の扱いを強く憎んでいたのだろう、釈放されたその日、監獄から直接、ダレス・ワシントン空港に行き、エールフランスでパリに飛んだ。米国の航空機も使わなかった。その後、二度と米国に戻らず、ヨーロッパで暮らした。

★2008年(85歳)、死亡

2008年12月11日(85歳)、ノルウェー北部の街・トロムソで没。死因は不明。

★2009年、ドキュメンタリー放映

2009年6月1日、放送のドキュメンタリー・テレビ番組・BBC4「天才と少年」が放映された。

★動画再掲
「Storyville The Genius And The Boys」、(英語)1時間18分31秒、Charles Walshが2014/03/19にアップロード

ガジュセックと性行為があった7人が証言した。4人は「問題ありませんでした」と答え、3人は「恥、侮辱だった」と答えている。

それまで、裁判に訴えた少年は養子として育てられた56人の内の1人だと、記述されていた(FBIの捜査で裁判なので、事実は正確だと思える)

しかし、テレビ番組では、3人が「恥、侮辱だった」と答えている。ガジュセックが亡くなって、自由に証言できるようになったから増えたのだろうか? 事件をインパクトがあるようにテレビ局が脚色したのだろうか? わからない。

【論文数と撤回論文】
論文と事件は無縁なので、撤回論文は調べていない。

【事件の深堀】

★56人の子供(主に男児)の養子

ガジュセックが、56人の子供(主に男児)を養子にすることが、とても非現実的で異常に思える。

  • 56人の養子を米国の管轄官庁はどうして許可したのだろう?  → 正式には養子としていない。ガジュセックが面倒を見るということで、留学ビザで入国している。高校・大学と進学すれば、滞在期間は更新できる。
  • ガジュセックは、56人と一緒に生活していたのだろうか?  → 一度に56人つれてきたのではないが、数十人と一緒に住んでいたことがあるそうだ。
  • ガジュセックは結婚し家族はいなかったのか?  → 未婚で家族はいない。いわば、養子が家族で、何人かをノーベル生理学・医学賞の受賞式に連れて行っている。
  • 1976年(53歳)にノーベル生理学・医学賞を受賞したところで、56人の生活費だけでなく、高校・大学への教育費を賄うほどに経済的に豊かとは思えない。どうしたんだろう? → ノーベル賞受賞後はあちこちで講演し、かなりの収入があった。裕福なサポーターもいたようだ。何年に何人の子供を連れてきという人数は不明。任意の年の面倒みていた子供の人数も不明。財政的収支も不明。1963年(40歳)に最初に1人を養子にし、初期は少人数で、経済的に豊かになってから、増やしたのではないだろうか?

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南太平洋で、子供たちに囲まれるガジュセック 写真出典

★人間は嫉妬する

人間は嫉妬する。1億円の遺産をもらっても、あいつの方がもっともらったと言って、怒る人が多い。

告発した養子は、他の仲間に比べ、自分が充分に扱われなかったと嫉妬して、ガジュセックを告発したということはないのだろうか? 有名人を告発するとカネになると親・知人・弁護士にそそのかされたことはないのだろうか? 歌手のマイケル・ジャクソンは、1993年に13歳の少年に児童性的虐待をした疑惑で騒がれた。少年の父親がカネに目がくらんだのと同じように。

【白楽の感想】

《1》 快楽主義と戒律

人間は、
空腹を満たせば、食べるのを適当にやめる。
充分寝れば、寝るのを適当にやめる。
このように、本能や生理肉体が抑止する行為は、社会的・法的に抑止しなくても問題ない。

しかし、本能や生理肉体が抑止できない行為の中に集団的秩序が乱れる行為がある。それを、宗教では戒律で線引した。例えば、「仏教の五戒(ごかい)」がある。

  1. 殺すな。
  2. 盗むな。
  3. 淫らな事をするな。
  4. 嘘をつくな。
  5. 酒を飲むな。

現代では、5は完全に崩れたが、「酒を飲むな」ではなく、「麻薬をするな」なら、充分生きている。

とにかく、欲望のままに生きると集団的秩序が乱れる行為を戒律としたのだ。

集団的秩序が乱れる行為を、現代社会は法律で禁じ、法律になじまない部分をモラルで禁じている。それらは、特定の国・民族・地域の文化・習慣に立脚している。だから、南太平洋で小児性愛が許容されていても、米国で許容されていなければ、米国ではしてはいけない。

《2》 小児性愛

ガジュセックは、ペドフィリア、小児性愛(しょうにせいあい)という特殊な性欲の持ち主だった。つまり、成人の異性に性的関心はなく、子供に性欲を感じるのである。

個人の性的嗜好が特殊であっても、それ自体は犯罪ではない。それが大人に実行されても相手が合意の上なら問題ないが、合意であるかどうかを問わず、小児に実行すると、米国・日本では社会的・法的に許容されず、強制わいせつ罪や強姦罪などの犯罪となる。

小児性愛を特殊な性欲と書いたが、それは日本的な感覚・統計値であって、米国では、特殊ではない。米国成人男性の約25%は小児に対し性的魅力を感じている(1975年のキンゼイ報告、2002年のリチャード・グリーン)。日本は数%である。

なお、当時、ガジュセックが養子として連れてきたパプアニューギニアの部族では、大人の男性と子供の性的関係は性風俗・文化・習慣となっていて、社会に許容されていた。

ガジュセックは、社会的地位が高く欲望のままに生きる快楽主義的な性格の人だった。ノーベル賞受賞後は、供応を堪能し、贅沢な食事に明け暮れたとある。

それで、社会的に許容されない行為(児童性的虐待)を実行してしまったのだろう。

ただ、具体的にどのような児童性的虐待がなされたのか、情報をさぐっても、ハッキリしない。あからさまに書きにくい事だからか?

《3》 性的記述とクールー病

欧米の文化・価値観で考えていたら、クールー病の原因を突き止められなかっただろう。クールー病はフォア族で発症したが、近隣の部族では発症しない部族もあった。フォア族でも女性と子供に発症したが大人の男性に発症しなかった。従来の病原性バクテリアやウイルスによる感染では説明しにくい。なにか特殊な文化・習慣とカップルしているのだろう。

パプアニューギニアの部族の文化人類学的解析がなければ、クールー病の原因はつかめなかっただろう。

欧米の文化・習慣では考えられないが、フォア族の女性と子供は病気で死んだ親族の脳組織を食べる習慣があった。だから、「脳組織を食べる」行為が感染源、つまり「脳組織」に原因があると推定できた。わかってしまえば、そうかと納得するが、わかる前は、マサカと思う文化・習慣と関連していたのである。

ガジュセックの学術論文での性的な描写も、好意的に解釈すれば、パプアニューギニアの部族のそういう文化・習慣を理解する一環だったのではないだろうか。単純な性病も性的な文化・習慣に影響を受けるだろうが、エイズ・ウイルスのような同性愛がらみの疾患は文化・習慣に大きく関連する。クールー病は結局、性的な文化・習慣とは無縁だったが、可能性のある文化・習慣は、トコトン理解する方針でなければ、クールー病の原因はつかめなかっただろう。

《4》 研究者として偉大だったことは文句ない

事件で悪者にされたが、研究者として偉大だったことは否定できない。

彼の名言。(出典:3分で人生を変える言葉(科学者編) カールトン・ガジュセック

    緩衝液を準備したり、顕微鏡を覗いたり、卵にウィルスや細菌を接種したり、孵化前のヒヨコの肺を摘出したりといった、退屈なお決まりの手順のいったい、どこに、知的な努力という、やりがいのある仕事が見つかるというのか。

141228 ガイダ2出典:主要情報源⑤