2020年11月5日改訂
ワンポイント:【長文注意】。ヘルマンはウルム大学(University of Ulm)・教授、ブラッハは、リューベック大学(University of Lubeck)・教授で、ヘルマンの内縁の妻だった。1988年以来、血液学、がん学、遺伝子治療の分野で、ヘルマンは臨床研究、ブラッハは基礎研究を担当する共同研究で、約550報の論文を出版した。ドイツ生物医学界のスター科学者だった。1997年春(ヘルマン48歳、ブラッハ37歳)、研究室のポスドクのエバーハルト・ヒルト(Eberhard Hildt)が、データねつ造・改ざんを見つけ通報した。2000年、調査委員会は、明白なネカトが94論文、ネカト疑惑は121論文と結論し、ヘルマンとブラッハを有罪とした。37歳のブラッハは、ねつ造・改ざんを認め、リューベック大学を辞職し、米・ニューヨークに移住した。他方、49歳のヘルマンはネカトを認めなかったが、ウルム大学を辞職し、研究をやめ、街の臨床医になった。しかし、2004年、ドイツ政府はヘルマンを無罪とした。2020年11月4日現在、ヘルマンの撤回論文は21報である。かつて、ヘルマンは、「撤回論文数」世界ランキング の世界30位以内にリストされていた。なお、2000年の調査委員会が結論した94ネカト論文が撤回されれば、撤回論文数ランキングは世界第4位である。ネカト疑惑の121論文も撤回されれば、世界第1位である。国民の損害額(推定)は50億円(大雑把)。
この事件は、白楽指定の重要ネカト事件である:ドイツ科学界を震撼させたネカト史上の大事件だが、ドイツ政府の情けない対処で、ドイツの研究公正のいい加減さが表面化した事件。この事件を契機にドイツ政府はネカト対策に本格的に乗り出したと言われている。ただ、ドイツ政府はいまだにいい加減だ、と白楽は思う。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
9.主要情報源
10.コメント
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●1.【概略】
フリートヘルム・ヘルマン(フリードヘルム・ヘルマン、Friedhelm Herrmann、写真)は、ウルム大学(University of Ulm)・教授、上級医師だった。ドイツ研究振興協会(DFG、German Research Foundation)を含め、ドイツ政府のいくつもの審議会の委員、研究費配分の審査員、を務め、ドイツ生物医学界のリーダーで、スター科学者だった。専門は血液学である。
マリオン・ブラッハ(Marion Brach、写真)は、ドイツのリューベック大学(University of Lubeck)・教授で、ヘルマンの内縁の妻だった。
本記事では、主にヘルマンの方に焦点を合わせて執筆した。
1988年以来、血液学、がん学、遺伝子治療の分野で、ヘルマンは臨床研究、ブラッハは基礎研究を担当する共同研究を行ない、たくさんの論文を出版した。
1997年春、ヘルマン研究室のポスドクのエバーハルト・ヒルト(Eberhard Hildt)が、彼らのデータねつ造・改ざんを見つけ、院生時代の恩師・ピーター・ハンス・ホフシュナイダー教授(Peter Hans Hofschneider)に相談した。ホフシュナイダー教授がウルム大学とドイツ研究振興協会(DFG)に公益通報した。
1997年6月、告発されてすぐに、37歳のブラッハは、ねつ造・改ざんを認め、リューベック大学を辞職した。米・ニューヨークに移住し、研究とは異なる仕事(金融界)をはじめた。2020年11月4日現在、ブラッハは60歳で、消息は不明である。
1998年、他方、49歳のヘルマンはネカトを認めなかった。しかし、ウルム大学を辞職し、研究をやめた。私立ミュンヘンがん病院を設立し、2020年11月4日(71歳)現在、医療をしている( Onkologikum Munchen)。
2000年、調査委員会は、ヘルマンの550報以上の論文を精査し、1988~1992の5年間の「94論文は明白な不正であり、121論文は不正がないとは言えない、132論文は不正がない」、と結論した。ヘルマンとブラッハを有罪とした。
2004年、ドイツ政府はヘルマンと和解し、ヘルマンを無罪とした。
ダン・アギン(Dan Agin)は、「約100報もネカト論文を発表したヘルマンをドイツ政府が擁護し、ロクに調査もせず、無罪とし、国民は大きく失望した」、と述べている。
2020年11月4日現在、ヘルマンの撤回論文は21報である。かつて、ヘルマンは、「撤回論文数」世界ランキング | 白楽の研究者倫理の世界30位以内にリストされていた。
なお、2000年の調査委員会が結論した94ネカト論文が撤回されれば、撤回論文数ランキングは世界第4位である。ネカト疑惑の121論文も撤回されれば、世界第1位である。撤回論文ランキング:The Retraction Watch Leaderboard – Retraction Watch
ブラッハの撤回論文は14報である。その差の7報の撤回論文はブラッハが共著者になっていない。この7報のネカトは誰が犯人か? ヘルマンではないのか?
ウルム大学(University of Ulm)。写真出典
ウルム大学病院(Ulm University Hospital)写真(c Mediglobus.com)出典
【以下はフリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)を中心に記載した】
- 国:ドイツ
- 成長国:ドイツ
- 分野:血液学
- 最初の不正論文発表:1988年(39歳)
- 不正論文発表:1988~1996 年(39 ~47歳)の8年間
- 発覚年:1997年(48歳)
- 発覚時地位:ウルム大学・教授、上級医師
- ステップ1(発覚):第一次追及者はポスドクのエバーハルト・ヒルト(Eberhard Hildt)で、ピーター・ハンス・ホフシュナイダー教授(Peter Hans Hofschneider)に相談した。ホフシュナイダー教授がウルム大学とドイツ研究振興協会(DFG)に公益通報した
- ステップ2(メディア):「Times Higher Education」、「Guardian」、「Nature」など多数
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①ドイツ研究振興協会(DFG、German Research Foundation)とがん財団クレブスヒルフェの共同調査委員会。調査委員長は、ヴュルツブルク大学・細胞生物学教授・ウルフ・ラップ(Ulf Rapp)。期間は1999年1月~2000年6月の1年6か月。②ドイツ研究振興協会(DFG、German Research Foundation)のエーザー調査委員会。委員長はマックス・プランク外国・国際刑法研究所・所長のアルビン・エーザー(Albin Eser)
- 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
- 大学の透明性:実名報道だが大学のウェブ公表なし(△)
- 不正:ねつ造・改ざん
- 不正論文数:撤回論文数は21報。明白なネカトが94報。ネカト疑惑は121報
- 時期:研究キャリアの中期から
- 職:事件後に研究職をやめた・続けられなかった(Ⅹ)
- 処分: 大学を辞職。公式には、不正研究では無罪とされた。医師免許は取り消されていない
- 日本人の弟子・友人:平野俊夫(大阪大学大学院教授・大阪大学第17代総長)と岸本忠三 (大阪大学大学院教授・大阪大学第14代総長)は共著論文があり、撤回されている
【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は50億円(大雑把)。
●2.【経歴と経過】
★フリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)
- 1949年x月x日:ドイツ(推定)に生まれる
- 1975年(26歳):ベルリン自由大学・医学部・卒業。医師免許
- 1976年(27歳):ベルリン自由大学で研究博士号(PhD)取得
- 1976-1982年(27-33歳):ベルリン自由大学の内科研修医
- 1982-1985年(33-36歳):ハーバード大学医学部ポスドク。血液学、腫瘍学、輸血医学を学ぶ
- 1985年(36歳):マインツ大学の教授資格論文(Habilitation)提出。マインツ大学・内科学・教授
- 1985 -1997年(36-48歳):マインツ大学(Johannes-Gutenberg-Universität Mainz)のC2教授・上級医師
- 1989年(40歳):フライブルク大学のC3教授・上級医師、
- 1989年(40歳):マリオン・ブラッハ (Marion Brach)との最初の共著論文を発表。文献では1988年に共著論文があるとされているが、パブメド(PubMed)では検出できない
- 1992年(43歳):ドイツの科学賞であるポール=マルティーニ賞(Paul-Martini-Preis)を受賞
- 1992~1997年(43~48歳):ベルリンフンボルト大学(Humboldt Universität Berlin)のマックス・デルブリック分子医学研究所(Max Delbruck Center for Molecular Medicine)・C4教授
- 1992~1997年(43~48歳):ベルリン自由大学(Freien Universität Berlin)・C4教授
- 1997~1998年(48~49歳):ウルム大学(University of Ulm)・教授、上級医師
- 1997年春(48歳):不正研究と内部告発される
- 1998年(49歳):ウルム大学を辞職し、私設のミュンヘンがん病院を設立
- 1999 ~2019年3月(50 ~70の歳):ミュンヘン市内の数か所で診療クリニックの責任者
- 2000年(51歳):調査委員会はクロと結論した
- 2004年(55歳):ドイツ政府が実質的に不正研究を無罪とした
- 2019年4月(70歳):ミュンヘンがん病院(Onkologikum Munchen)でウテ・センドラー(Ute Sendler)と共同診療
★マリオン・ブラッハ (Marion Brach、Marion A. Brach)
不明点が多い。
- 1960年x月x日:ドイツ(推定)に生まれる
- 19xx年(xx歳):xx大学を卒業
- 19xx年(xx歳):xx大学で博士号取得
- 19xx年(xx歳):ドイツのフライブルグ大学(University of Freiburg)・教授(?)
- 1989年(29歳):フリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)との最初の共著論文を発表。文献では1988年に共著論文があるとされているが、パブメド(PubMed)では検出できない
- 1992年(32歳):ドイツの科学賞であるポール=マルティーニ賞(Paul-Martini-Preis)を受賞
- 1994~1996年(32 ~34歳):ドイツのマックス・デルブリック分子医学研究所(Max Delbruck Center for Molecular Medicine)・ヘルマン研究室
- 19xx年(xx歳):ドイツのリューベック大学(University of Lubeck)・教授
- 1997年春(37歳):不正研究と内部告発される
- 1997年6月(37歳):不正を認め、リューベック大学を辞職
- 1998年(38歳):米・ニューヨークに移住し、研究とは異なる仕事(金融界?)をはじめた
- 2020年11月4日現在(60歳):消息不明?
●4.【日本語の解説】
★2002年3月1日:山崎茂明の著書:「 科学者の不正行為―捏造・偽造・盗用」のページ90
- 表紙画像出典:アマゾン
- 単行本 :195ページ
- ISBN-10 :4621070215
- ISBN-13 :978-4621070215
- 出版社 :丸善 (2002/3/1)
★2009年7月3日の日本学術会議会長・金澤一郎の講演
出典 → ココ
男性のヘルマンは基礎医学研究者です。彼は、助手のマリオン・ブラッハ女史という人と、共同で血液細胞の成長と細胞周期調節という分野で仕事をしていて、大変高い評価を得てきたといいます。ところが、ブラッハのデジタル画像に「改ざん」の疑惑を受けます。ブラッハはヘルマン先生から圧力があったからやったと告白しました。
けれども、二人の意見が食い違って、ドイツでの最大の不正行為として衝撃を与えたということです。こういうことに基づいて、ドイツでは研究者のためのガイドラインがつくられることになったそうです。つまり、不正行為に相当するような出来事が起こって初めて、そういうものが、「これは大事だ。きちんとしなくてはいけない」ということで、ガイドラインがつくられ、あるいは行動規範がつくられることになっていくわけです。(2009年7月3日講演)
★2014年03月xx日:藤井 基貴, 山本 隆太 (静岡大学教育学部):静岡大学教育学部研究報告. 人文・社会・自然科学篇:「 ドイツにおける研究倫理への取り組み(1) : 「DFG提言」(1998)および「補遺」(2013)の検討を中心に」
出典 → ココ
ドイツにおいて研究不正に対する取り組みが本格化したきっかけにはドイツ最大の研究不正事件が関わっている。1997年、細胞成長に関する基礎医学の研究者ヘルマン(Friedhelm Herrmann)とその助手ブラッハ(Marion Brach)による共同研究において実験事実の不正が明らかとなった。二人は1988年から1996年の間に37の論文を発表し、それらすべてにおいてデータの捏造、操作および偽造を繰り返していたのである。「ヘルマン・ブラッハ事件」として知られる同事件はドイツの研究界を大きく揺るがすこととなった。
ただちにドイツ最大の研究助成機関であるドイツ研究振興協会(Deutsche Forschung Gemeinschaft , DFG)は、先行するアメリカやデンマークなどの取り組みを参考にしながら、同年「学術研究におけるセルフ・コントロール委員会」を設置し、翌1998年には「学術研究の善き実践の確保」(Empfehlungen zur Sicherung guter wissenschaftlicher Praxis, 以下DFG提言) と題する16の提言を発表する。
同提言をうけて、ドイツ大学長会議(Hochschulrektorenkonferenz, HRK)はモデル・ガイドラインを策定し、各大学および研究機関においてもルールづくりが進められてきた。同提言が示されて15年が経過した2013年7月、DFGは部分改訂版である「補遺」を発表した。
★2019年03月xx日:PwC コンサルティング合同会社:平成 30 年度 文部科学省 委託事業:「 諸外国の研究公正の推進に関する調査・分析業務 成果報告書」のページ59
出典 → ココ
<ドイツにおける研究公正システム整備の経緯>
1997 年に発覚した、ウルム大学のヘルマン教授、リューベック大学のブラッハ教授による研究不正事案をきっかけに、国内の事実上の基準文書となる「DFG 提言」の策定やドイツ研究オンブズマン174および研究機関におけるローカル・オンブズマンの設置等、研究公正システムの整備が進められた。
ヘルマン、プラッハ両氏によるこの不正事案では、発覚した当初の調査対象は 1988 年から 1996 年にかけて発表した 36 の論文であったが、最終的には出版した 347 の論文全てが調査対象となり、調査期間も 2 年に及ぶなど多大な影響を与えた。
当事案を受け、DFG は、1998 年に「学術研究の善き実践の確保への提言(Safeguarding Good Scientific Practice, DFG 提言)」を発表した。DFG 提言は、「学術研究の善き実践」の確保に向けて、研究機関や研究者に準拠を勧める「提言」であり、拘束力は持たない。しかし、DFG は研究機関に対してDFG 提言への準拠を資金提供の条件として求めており、国内の大半の研究機関が DFG から資金提供を受けていることを踏まえると、DFG 提言は研究機関が不正対応プロセスを整備するうえでの事実上の基本文書となっていると考えられる。
●5.【不正発覚の経緯と内容】
★米国の若い研究者
1994~5年、米国の若い研究者がドイツ・ベルリンのマックス・デルブリック分子医学研究所(Max Delbruck Center for Molecular Medicine)のフリートヘルム・ヘルマン研究室に加わった。
彼は、研究を始めてしばらくすると、ヘルマン研究室のデータに不審な点があることに気がついた。不正研究をしているのではないかと疑念を抱いて、同じ研究室の若い同僚たちに相談した。
同僚たちは彼の推測は当たっていると認めたけど、ことを荒立てると地位が危なくなるので、ゲームだと思って適当に見過ごすように勧めた。
研究所の4人の教授にも相談したが、教授らは、その程度のことは科学研究の許容範囲だというだけだった。さらに、もし彼が不正研究だと公然と騒ぐと、キミの研究キャリアに害となるよと教授に警告された。
それで、米国の若い研究者はことを荒立てずに、米国に帰った。
★ エバーハルト・ヒルト(Eberhard Hildt)
1996年、米国の若い研究者が米国に帰った時を同じくして、別の若い分子生物学者・エバーハルト・ヒルト(Eberhard Hildt)がマリオン・ブラッハ (Marion Brach)の紹介で、フリートヘルム・ヘルマン研究室に入った。
エバーハルト・ヒルト(Eberhard Hildt)は、ドイツ・チュービンゲン大学で生化学を学び、1992-1995年、ドイツ・マーチンスリードにあるマックス・プランク生化学研究所(Max Planck Institute of Biochemistry in Martinsried)のピーター・ハンス・ホフシュナイダー教授(Professor Hofschneider)のもとで大学院を過ごし、博士号を取得した。
エバーハルト・ヒルトの左の写真(出典)は、2014年の写真である。青年だった当時の約20年後の写真です。
当時、ヘルマンはブラッハと仲が悪かった。ヘルマンが若い青年・ヒルトをチームに組み入れる時、ヘルマンは、マリオンの論文に「ふしだらな行為」があるんだよと言った。
ヒルトは、結果として、一流誌・「Journal of Experimental Medicine」に出版されたマリオンの最新論文を丁寧に読んだ。すると、重要な図が実験結果と矛盾していることに気がついた。
しかし、一流誌に出版された論文に、そんなハズはない。なにかの間違いだろう。そう思いつつも、ヒルトは、「図が実験結果と矛盾しているように思えるんだけど」と、マリオンに尋ねた。すると、マリオンは何も否定せずに、論文を撤回すると約束した。
ところが、マリオンは約束を守る代わりに、マリオンと彼女のボーイフレンド・兼・ボスのヘルマンとともに、ヒルトを威嚇した。論文を不正だと中傷するなら裁判で訴えるとおどかしてきた。
しかし、ヒルトは、調査を続けた。
ヒルトは、以前、ヘルマン研究室で研究していた人から当時のオリジナルな実験記録を入手した。その実験記録と論文を見比べ、論文に「データねつ造」があると確信するに至った。そして、また、ヘルマンの他のいくつかの論文にも「データねつ造」の証拠を見つけた。
ヒルトはそのことをヘルマンに伝えた。すると、ヘルマンは、「もし公開したら人生をメチャクチャにするゾ」とヒルトを再び脅した。
しかし、若い分子生物学者・ヒルトは屈しなかった。科学に不正があってはならないと考えたのである。
1997年春、ヒルトは、彼の「ドクター・ファーザー(博士号論文指導者)」だったマックス・プランク生化学研究所のピーター・ハンス・ホフシュナイダー教授(Peter Hans Hofschneider、写真出典)に相談した。
★ 告発
マックス・プランク生化学研究所(Max Planck Institute of Biochemistry in Martinsried)のホフシュナイダー教授は、問題を直ちに理解し、別の専門家に相談した。
そして、科学者仲間とともに、①ヘルマンとマリオンが所属する大学、②ドイツ研究振興協会(DFG、German Research Foundation)に、フリートヘルム・ヘルマンと共同研究者のマリオン・ブラッハ、マイケル・キーントプフ(Michael Kiehntopf)、その他数人(実際は実名がリストされているが、本記事では省略)が、データをねつ造・改ざんしていたと公益通報した。
マイケル・キーントプフ(Michael Kiehntopf)写真出典(リンク切れ)
当時、ヘルマンはサイトカインの遺伝子療法で注目を集めていた世界的に著名な研究者だった。
ドイツ研究振興協会(DFG、German Research Foundation)を含め、政府のいくつもの審議会の委員、研究費配分の審査員、遺伝子治療研究のリーダーだった。ドイツの血液学(白血病)のスター研究者だったのである。
ウルム大学・教授として、年俸278,000 USドル(約2,780万円)を得ていた。
事件報道を受けて、ドイツがん財団(German Cancer Research Fund)は、51万5千マルク(約2,900万円)の研究費、ドイツ研究振興協会(DFG、German Research Foundation)は、30万マルク(約1,700万円)の研究費をヘルマン・チームに支給していたが、調査終了まで助成金を凍結すると発表した。
★ 調査
最初、ヘルマンとブラッハの両者とも、ねつ造・改ざんをしていないと主張した。
間もなく、ブラッハはねつ造・改ざんを認めたが、ボスのヘルマンに指示され、仕方なくやったと主張した。つまり、ヘルマンが主犯で、自分は従犯だと主張した。
マイケル・キーントプフ(Michael Kiehntopf)も、ねつ造・改ざんを認めたと報道されたが、その後、キーントプフに不正の罪が課された記録はない。無罪とされたと思うが、白楽はその記事を見つけられなかった。
その後、キーントプフは研究者のキャリアを積んで、フリードリヒ・シラー大学イェーナ(Jena University)の教授になった。
一方、ヘルマンは不正をしていないと主張し続けた。自分は基本的に臨床に忙しく、基礎研究は、他の人が中心に進めていたので、不正があったことさえ知らなかったと主張した。
ヘルマンは、不正をしていないのに、マスメディアや調査委員会から不正の犯人のような扱いを受け、自分のキャリアに大きな損害を被ったとして、調査委員を訴える裁判を起こした。1千万マルク(560万USドル:約5億6千万円)の賠償を要求した。
1998年、ヘルマンとブラッハは、長年、男女の関係にあったという記事が世間に公表された。
つまり、マスメディアは、「ヘルマンは、米国・ハーバード大学、フライブルグ大学、ベルリン大学と移籍し、ブラッハと共同研究をしていたその期間、2人は同棲していた。1996年までの9年間に37論文を発表したが、その間、2人は恋人どうしだった」と報道した。
マスメディアは、1945年以来のドイツ最大のスキャンダルだとも報道した。「著名な科学者・大学教授が、色恋沙汰でカネがらみで悪事を働いた」醜聞に、ドイツの大衆は興味深々だった。
ドイツでは、2人とも著名な学者だったので、そういう学者がねつ造・改ざんしていたなら、どの研究者を信じればいいんだと、マスメディアは嘆いた。
1980年代、1990年代に米国ではネカト事件が多発していたが、ドイツは、その頃、ネカト事件の報道は全くなかった。それで、ドイツ科学者の規範・人格は優れていると、ドイツ科学界は自慢していたフシがあった。
そのこともあって、ドイツ科学界は驚き、戸惑い、錯綜した。世界中の科学者も驚いた。しかし、先進国の研究規範学者はドイツにネカトがあって当然と受け止めた。
★ ブラッハの対応
1998年、マリオン・ブラッハ(Marion Brach)はドイツを去りニュヨークに移住した。ドイツでの研究ネカトは犯罪ではないし、研究ネカトの不正者を引き渡す協定は、米国とドイツの間にはなかった。
1998年4月2日、ブラッハは 移住した米国・ニューヨークから、ネイチャー誌に「ドイツのネカト事件でスケープゴートにされた?(Scapegoat for fraud in Germany?)」(PDF版)と題する文章を発表した。
昨年、私は科学的データの改ざんに関与したとして非難されました。 私はすぐに詳細な説明を述べ、告白し、リューベック大学の辞任を申し出ました。 辞任は1997年6月に受け入れられました。私がそれ以上の犠牲を負うのは適切だとは思いません。
私は科学的データの改ざんに関与したことを認めました。 しかし、調査の早い段階で私だけがネカトを認めたため、公的機関は私が主要な、またはおそらく唯一の、ネカト犯だとするのが適切であると判断しました。私は、そのことに憤慨しています。 多数の論文にネカトデータが掲載されており、そのうちの数報は私は共著者でありません。
箇条書きする。
- 自分(ブラッハ)は改ざんを認めた
- 大学の教授職を辞職した
- 改ざんを認め、大学を辞職したので、これ以上、私(ブラッハ)への攻撃をやめてほしい
- 調査委員会は、不正を明白にすることより、ドイツ学術界へのダメージを少なくすることに汲々としている
- ドイツ政府は、自分(ブラッハ)が初期に不正を認め辞職する代わりに、退職金を支払うと約束(法的契約)したのに履行してくれない
- ドイツの公的機関は、自分(ブラッハ)を主犯とし、他の研究者を救う、つまり、自分(ブラッハ)をスケープゴートにしようとしている
大学を辞任すれば、ネカトの罪は帳消しというブラッハの主張はとんでもなく身勝手である。しかし、ネカト調査はヘルマンに肩入れし、公正に調査されなかったと指摘している。この点、ブラッハの主張は正当だと思われる。
★ ヘルマンの対応
フリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)は、その後、ネカト行為への関与を否定し続けた。
1998年、ネカト告発を受けた翌年、ヘルマンはウルム大学を辞職し、ドイツのミュンヘンに私設の病院(ミュンヘンがん病院:Munchner Onkologie)を開設し、臨床医として働き始めた(保存版)。
●【ネカト調査と結末】
★ラップ調査委員会(1998-2000年、期間1年半)
1998年、ドイツ研究振興協会(DFG、German Research Foundation)とがん財団・クレブスヒルフェ(Krebshilfe)の共同調査委員会が設置された。
委員長は、ヴュルツブルク大学・細胞生物学教授のウルフ・ラップ(Ulf Rapp、写真)である。ラップ教授は、米国で25年間研究していたので、ドイツの研究組織・研究者とのしがらみ・利害関係が薄く、専門がヘルマンとブラッハの研究領域である白血病とサイトカインの研究に近いので、委員長に選任された。
2000年6月19日、ラップ調査委員会は、1年6か月かけて、ヘルマンとブラッハの 550報以上の論文をチェックし、調査結果を公表した。(①Panel Finds Scores of Suspect Papers in German Fraud Probe | Science、②DFG – Pressemitteilung Nr. 26, 2000 – Task Force legt Abschlusbericht vor)
- ヘルマンは、1985~1996年の12年間に347報の論文を出版した。1988~1992の5年間の94論文は不正が明白であり、121論文は不正がないとは言えない、132論文は不正がない、と結論した。
- 元データと実験プロトコールはほとんど入手できなかった。しかし、オートラジオグラフの画像操作は明白で、古い画像を使いまわす「自己盗用」が見つかった。
- ヘルマンの臨床研究でのネカトは見つからなかった。
- ヘルマンはブラッハとの共著論文でのネカトが多いが、ブラッハが共著者になっていないヘルマンの論文にもデータ改ざんと画像改ざんがあった。
- フライブルグ大学付属病院長・ローランド・メルテルスマン(Roland Mertelsmann)は、ヘルマンとの共著論文が100報以上あるので、メルテルスマンについても調査した。調査の結果、メルテルスマンに不正はなかった。
ドイツの月刊誌「研究と教育(Forschung und Lehre)」誌の2000年8月号421-422頁の記事「”Ein Gefuhl der Desillusionierung” – Innenansichten der Forschungsgruppe Herrmann/Brach, deutsche」に、オートラジオグラフの画像を使いまわしたデータねつ造像が示されている。線で結んであるのが同じ画像の使い回しである。
1つの図内で、バンドを使いまわしていたのである。かなり軽率な使い回しである。同じ図を使うとは、査読者も読者も舐めている。同じ論文なら、別の図で使い回しても気がつく確率は高いけど、同じ図で使い回すとは、呆れるほどズサンだ。
もっとも、査読者は、不正に気がつかずに査読をパスさせたのだから、査読者のレベルも、なんてコッた。
★エーザー調査委員会とその後
その後、ドイツ研究振興協会(DFG、German Research Foundation)は、別の調査委員会を設置した。委員長はマックス・プランク外国・国際刑法研究所・所長のアルビン・エーザー(Albin Eser 写真左)が務めた。
エーザー委員会は、ラップ調査委員会がシロと結論したローランド・メルテルスマン(Roland Mertelsmann、写真右 出典)の疑惑も調査した。
メルテルスマンは、ドイツの血液学・がん学の重鎮で、1989 – 2012年はフライブルグ大学・教授だった。
調査の結果、メルテルスマンの「1994年9月のBlood」論文と「1995年8月のNew England Journal of Medicine」論文は、ヘルマンとの共著論文ではないが、「重大なごまかし(serious irregularities)」があるとした。
ところが、調査委員会はメルテルスマンにアンフェアーとなじられ、反撃の用意があるとおどかされた。それで、エーザー委員長は腰砕けになった。
2002年、エーザー委員会は、ドイツ研究振興協会(DFG、German Research Foundation)が事件の調査を骨抜きにしようとしていると非難した。
しかし、その後、メルテルスマンがネカトで有罪となった記録がない。
2004年春、ドイツ政府はヘルマンのウルム大学・教授職への復権を認めた。同時に、エーザー委員会は、方針を大きく転換し、事件終結の方向へと動いた。
2004年、ベルリン地方検事とヘルマンの弁護士は、ヘルマンが1万USドル(約100万円)を払うことで、事件の終止符を打つ示談を成立させた。そして、今後、マスメディアにヘルマンを「偽造者」と呼ばせないという和解も成立させた。
その後、大衆の関心は低くなり(つまり、マスメディアが記事にしなくなり)、事件は終わった。
なお、ヘルマンらは自分たちの実験データをねつ造・改ざんしただけでなく、他の研究者から大量のアイデアや結果を盗んだと言われている。
●【関係者のその後】
★フリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)
1998年、フリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)はウルム大学を辞職し、ドイツのミュンヘンに私設の病院(ミュンヘンがん病院:Munchner Onkologie)を開設し、臨床医として働き始めた(保存版)。
2020年11月4日現在、ミュンヘンがん病院(Onkologikum Munchen、保存版)でウテ・センドラー医師(Ute Sendler)と共同診療している。
1998年、ネカト発覚後、38歳だったマリオン・ブラッハ(Marion Brach)はドイツを去りニュヨークに移住した。
2020年11月4日現在(60歳)、ブラッハの消息はよくわからない。
30代で大学教授となり、多数の論文(含・ネカト論文)を出版したブラッハなので、頭脳明晰なのは間違いない。ニュヨークでは金融界の仕事をし、それなりの活躍をしたと思える。
2002年11月8日出版のマリオン・ブラッハ(Marion A. Brach)著『Real Options in Practice』(表紙出典はアマゾン) は、金融関係の本である。著者は医師免許を持ち、長年医学研究をしていたとあるので、多分、同一人物だと思う。
もう1人、マリオン・ブラッハ(Marion Brach)の検索でヒットする人がいる(写真出典)。
このブラッハはラジオのプレゼンターで作家なので、別人である。
★エバーハルト・ヒルト(Eberhard Hildt)
公益通報したエバーハルト・ヒルト(Eberhard Hildt)は、その後はどうなったか? (Prof. Dr. Eberhard Hildt (Curriculum Vitae))
- 1997年、公益通報して間もなく、マックス・デルブリック分子医学研究所のフリートヘルム・ヘルマン研究室を辞めた。
- 1997 – 1999年、ミュンヘン工科大学で研究グループリーダー
- 1999 – 2004年、ベルリンのロベルト・コッホ研究所の分子ウイルス・グループ長
- 2005 – 2007年、フライブルグ大学・内科学第二講座・グループ長
- 2006 – 2007年、実験医学でフライブルグ大学に教授資格論文(Habilitation)提出し合格
- 2007 – 2011年、ドイツのキール大学・分子医学ウイルス学・教授
- 2011年 -現在、ドイツ・ランゲンのポール・エールリッヒ研究所(Paul-Ehrlich-Institut in Langen)・教授・ウイルス部門長
研究キャリアを順調に積み、エバーハルト・ヒルト(Eberhard Hildt、写真出典、(保存版))は、ハッピーそうである。
●6.【論文数と撤回論文とパブピア】
【フリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)】
★パブメド(PubMed)
2020年11月4日現在、パブメド(PubMed)で、フリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)の論文を「Friedhelm Herrmann[Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、0論文がヒットした。
「Herrmann F[Author]」で検索すると、1939~2020年の82年間の1053論文がヒットした。本記事で問題にしている研究者以外の論文が多数含まれていると思われる。
所属をウルム大学(University of Ulm)と限定し「Herrmann F[Author] AND (University of Ulm[Affiliation])」で検索すると、1991~1997年の8年間の16論文と2018年の1論文がヒットした。
1049論文の内、69報がマリオン・ブラッハ(Marion Brach)と共著だった。
2020年11月4日現在、1939~2020年の82年間の1053論文に対して「Retracted Publication」のフィルターでパブメドの論文撤回リストを検索すると、21論文が撤回されていた。
21報の撤回論文の内、14報がマリオン・ブラッハ(Marion Brach)と共著だった。
★撤回監視データベース
2020年11月4日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでフリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)を「Friedhelm Herrmann」で検索すると、0論文が訂正、0論文が懸念表明、22論文が撤回されていた。
1988~1996 年に出版された論文が主として1997~1999年に撤回されていた。
22報の撤回論文の内、14報がマリオン・ブラッハ(Marion Brach)と共著だった。
★パブピア(PubPeer)
2020年11月4日現在、「パブピア(PubPeer)」では、フリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)の論文のコメントを「Friedhelm Herrmann」で検索すると、0論文にコメントがあった。
★撤回論文を例示
以下に新しい撤回論文を5報+最も古い撤回論文を1報リストする。マリオン・ブラッハ (Marion Brach)と共著ではない論文も撤回されている。
- Tumor necrosis factor receptor-associated factor (TRAF)-1, TRAF-2, and TRAF-3 interact in vivo with the CD30 cytoplasmic domain; TRAF-2 mediates CD30-induced nuclear factor kappa B activation. Ansieau S, Scheffrahn I, Mosialos G, Brand H, Duyster J, Kaye K, Harada J, Dougall B, Hubinger G, Kieff E, Herrmann F, Leutz A, Gruss HJ. Proc Natl Acad Sci U S A. 1996 Nov 26;93(24):14053-8.
Retraction in: Kieff E. Proc Natl Acad Sci U S A. 1997 Nov 11;94(23):12732. - Activation of Hodgkin cells via the CD30 receptor induces autocrine secretion of interleukin-6 engaging the NF-kappabeta transcription factor. Gruss HJ, Ulrich D, Dower SK, Herrmann F, Brach MA. Blood. 1996 Mar 15;87(6):2443-9. Retraction in: Blood. 1999 May 15;93(10):3573.
- Functional NF-IL6/CCAAT enhancer-binding protein is required for tumor necrosis factor alpha-inducible expression of the granulocyte colony-stimulating factor (CSF), but not the granulocyte/macrophage CSF or interleukin 6 gene in human fibroblasts. Kiehntopf M, Herrmann F, Brach MA. J Exp Med. 1995 Feb 1;181(2):793-8.
Retraction in: Adler G. J Exp Med. 1997 Jul 7;186(1):171. - Interleukin 5 expressing allergen-specific T-lymphocytes in patients with house dust mite sensitization: analysis at a clonal level.
Bonifer R, Neumann C, Meuer S, Schulze G, Herrmann F. J Mol Med (Berl). 1995 Feb;73(2):79-83.
Retraction in: J Mol Med (Berl). 1997 Oct;75(10):765. - Ribozyme-mediated cleavage of the MDR-1 transcript restores chemosensitivity in previously resistant cancer cells. Kiehntopf M, Brach MA, Licht T, Petschauer S, Karawajew L, Kirschning C, Herrmann F. EMBO J. 1994 Oct 3;13(19):4645-52.
Retraction in: EMBO J. 1997 Jul 1;16(13):4153.
最も古い撤回論文
- Interleukin 1 stimulates T lymphocytes to produce granulocyte-monocyte colony-stimulating factor. Herrmann F, Oster W, Meuer SC, Lindemann A, Mertelsmann RH. J Clin Invest. 1988 May;81(5):1415-8.
Retraction in: J Clin Invest. 2003 Oct;112(8):1265.
【マリオン・ブラッハ(Marion Brach)】
★パブメド(PubMed)
2020年11月4日現在、パブメド( PubMed )で、マリオン・ブラッハ(Marion Brach)の論文を「Marion Brach[Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、0論文がヒットした。
「Brach MA[Author]」で検索すると、1990~1998年の9年間の64論文がヒットした。?
「Brach M[Author]」で検索すると、1989~2020年の32年間の126論文がヒットした。
126報の論文の内、少なくとも、2002年以降の51論文は、本記事で論じているマリオン・ブラッハとは別人の論文である。
126報から明らかに別人と思われる51論文を除いた75報の論文の内、69報がフリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)と共著だった。
126報の論文の内、「Retracted Publication」のフィルターでパブメドの論文撤回リストを検索すると、14論文が撤回されていた。全14報はフリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)と共著だった。
★撤回監視データベース
2020年11月4日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでマリオン・ブラッハ(Marion Brach)を「Brach, Marion A」で検索すると、 0論文が訂正、0論文が懸念表明、14論文が撤回されていた。全14報はフリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)と共著だった。
★パブピア(PubPeer)
2020年11月4日現在、「パブピア(PubPeer)」では、マリオン・ブラッハ(Marion Brach)の論文のコメントを「Marion Brach」で検索すると、0論文にコメントがあった。
★撤回論文を例示
以下に新しい撤回論文を2報+最も古い撤回論文を1報リストする。
- Activation of Hodgkin cells via the CD30 receptor induces autocrine secretion of interleukin-6 engaging the NF-kappabeta transcription factor. Gruss HJ, Ulrich D, Dower SK, Herrmann F, Brach MA. Blood. 1996 Mar 15;87(6):2443-9. Retraction in: Blood. 1999 May 15;93(10):3573.
- Functional NF-IL6/CCAAT enhancer-binding protein is required for tumor necrosis factor alpha-inducible expression of the granulocyte colony-stimulating factor (CSF), but not the granulocyte/macrophage CSF or interleukin 6 gene in human fibroblasts. Kiehntopf M, Herrmann F, Brach MA. J Exp Med. 1995 Feb 1;181(2):793-8.
Retraction in: Adler G. J Exp Med. 1997 Jul 7;186(1):171.
最も古い撤回論文
- Mechanisms of differential regulation of interleukin-6 mRNA accumulation by tumor necrosis factor alpha and lymphotoxin during monocytic differentiation.
Brach MA, Cicco NA, Riedel D, Hirano T, Kishimoto T, Mertelsmann RH, Herrmann F. FEBS Lett. 1990 Apr 24;263(2):349-54.
Retraction in: Mertelsmann R. FEBS Lett. 1998 Jun 16;429(3):426.
オヤ? 上記の論文の「Hirano T」と「 Kishimoto T」は、日本人名だ。
調べると、平野俊夫(大阪大学大学院教授・大阪大学第17代総長)と岸本忠三 (大阪大学大学院教授・大阪大学第14代総長)だった。
●7.【白楽の感想】
《1》人間関係が崩れていた
ヘルマン(写真出典)はブラッハと長い間、実質的な夫婦で、一緒に住んでいた。
公益通報された1997年、ヘルマンは48歳で、フラッハは37歳だった。この頃、2人の男女関係に亀裂が生じ、それまでの良好な人間関係が崩れていた。
そのために、研究室員の人間関係もギスギスし、不正が外部に出る状況になっていた。
前にも書いたが、「研究上の不正行為」が明るみに出るには、研究室の人間関係が崩れた時だと言ってよい。
《2》ドイツ政府の処置の悪さ
ダン・アギン(Dan Agin)は、2007年の著書『Junk Science: How Politicians, Corporations, and Other Hucksters Betray Us』で、この事件に対するドイツ政府の処置を批判している。
この事件はなんだったのだろうか?
データをねつ造・改ざんし、多数の論文を書いたので、研究者は出世が早く、著名になった。その多数のネカト論文が、高い年収と名声をもたらす教授職への就任、そしてさらに多くの富と名声をもたらす研究費の獲得へとつながった。
しかし、ドイツ政府は、結局、ヘルマンを無罪にしたので、多くのドイツ国民は、ドイツ政府の処理に憤慨し、失望した。
ドイツ政府は、科学界が大きなダメージを受けるのを避けるために、ヘルマンを擁護し、事件の収束に腐心し、うわべを取り繕った。
ヘルマンが率いた1つの研究グループで、国際一流誌にねつ造・改ざん論文を100報近くも発表した。それらは、世界中の誰も追試できなかった。それなのに、処分はこれだけである。
もし、エバーハルト・ヒルト(Eberhard Hildt)が、公益通報しなかったら、いまだに、ねつ造・改ざんは発覚せず、糾弾されていなかったのだろう。
ヴュルツブルク大学のウルフ・ラップ(Ulf Rapp)が1年6か月かけて550報以上の論文を調査し、明白なネカトが94論文、ネカト疑惑は121論文と結論し、ヘルマンとブラッハを有罪とした。
それなのに、その後、ドイツ政府と研究所上層部はヘルマンに甘い処置をした。処置が甘いから、ネカト改革が進まない。日本もそうだけど。
どうして甘い処置をしたのか?
ドイツ研究振興協会(DFG、German Research Foundation)、大学教授、科学界上層部は、ネカト改革よりも、そのことで自分たちが傷つくことを恐れた。将来よりも今を取り繕う方を選んだ。
なぜか?
仲間を守るというより、実は、自分たちが「研究上の不正行為」に対して適正な対処をしてこなかった。たいていの人・組織は「叩けばホコリがでる」。ヘルマンの不正を洗いざらい表に出して糾弾すると、ドイツの一般社会(やメディア)からの「お前たちは何をしていたんだ!」と非難・追及が強まり、自分たちの無策・無能が明白になる。それを恐れた。
自分たちの無策・無能が明るみに出ない内に、「研究上の不正行為」追及を適当なところで鎮静化したい。それで、臭いものにフタをしたのだ。自分たちの保身だったのだ。
日本でも、同じだろう。
白楽が研究不正に取り組んだ初期、政府機関で調査委員の公募があった。白楽は研究費問題やネカト問題を調査したいと書いて、応募した。その時、白楽の昔の先生筋の人が面接官の1人だった(某国立大学の元学長)。
3人の面接官の面接が終わると、その先生筋の人が白楽のそばに来て、「そういう不正行為まがいのことは、昔は必要悪だったんだよ。その問題は、危険だから触れないように」と白楽を諭した。そして、「生命科学の動向を調査する気はないか?」と聞いてきた。白楽は「生命科学の動向調査は他の人でもできます。研究費問題やネカト問題を調査させてください」と頼んだ。
そして、そう、白楽は調査委員に不採用になった。
《3》撤回論文
2020年11月4日現在、ヘルマンの撤回論文は21報である。かつて、ヘルマンは、「撤回論文数」世界ランキング | 白楽の研究者倫理の世界30位以内にリストされていた。
なお、2000年のラップ調査委員会は94論文はネカトが明白だと結論している。この94論文が撤回されない理由がわからない。
この94論文が撤回されれば、ヘルマンは撤回論文ランキング世界第4位である。ネカト疑惑の121論文も撤回されれば、世界第1位である。 → 撤回論文ランキング:The Retraction Watch Leaderboard – Retraction Watch
ブラッハの撤回論文は14報である。その差の7報の撤回論文はブラッハは共著者ではない。この7報のネカトは誰が犯人か? ヘルマンではないのか?
《4》公益通報者の組織(この節、2014年版のママです。リンクをチェックしていません)
世界各国に公益通報者の組織があることは知らなかった。日本にもありました。
公益通報支援センター(Public Interest Speak-up Advisers :PISA)(日本)がある。「研究上の不正行為」に特化してはいませんが。
- Whistleblower-Netzwerk in English | Whistleblower-Netzwerk 上のサイトに下のリストあり
- Public Concern at Work?(UK)
- US Government Accountability Project (GAP)?(USA)
- National Whistleblower Center und Fairness for Whistleblowers?(USA)
- FAIR?(Canada)
- Whistleblowers Denmark
- Open Democracy Advice Centre (ODAC)?(South Africa)
- Whistleblowing-Research at Griffith University (Australia)
- Whistleblowers Australia
- Transparency International
- Whistleblower – Wikipedia, the free encyclopedia
《5》学長と撤回論文
ヘルマンとブラッハとの共著論文がある日本人研究者がいた。しかも撤回された論文である。日本人研究者は、平野俊夫(大阪大学大学院教授・大阪大学第17代総長)と岸本忠三 (大阪大学大学院教授・大阪大学第14代総長)である。
調べると、2人共、ヘルマンとの共著論文の2報が撤回されている。大阪大学総長になった平野俊夫と岸本忠三は2報の論文が撤回されていた。
大阪大学総長の2論文が撤回されていたことを、世間にはほとんど知られていない。かなりの専門家でないと知らないと思う。マー、いいけど。
ただ、2020年10月に問題勃発した東京大学総長選。第一次では最有力候補だった宮園浩平は、1論文が撤回されたことで、第二次候補者になれなかった。 → 2020年10月8日の伊藤博敏の記事 :東大劣化の象徴…総長選「消された音声データ」の中身が示す「ヤバい実態」(伊藤 博敏) | 現代ビジネス | 講談社(4/6)
フリートヘルム・ヘルマン(Friedhelm Herrmann)写真出典、別の出典の4枚目
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日本がスポーツ、観光、娯楽を過度に追及する現状は日本の衰退を早め、ギリシャ化を促進する。日本は、40年後に現人口の22%が減少し、今後、飛躍的な経済の発展はない。科学技術と教育を基幹にした堅実・健全で成熟した人間社会をめざすべきだ。科学技術と教育の基本は信頼である。信頼の条件は公正・誠実(integrity)である。人はズルをする。人は過ちを犯す。人は間違える。その前提で、公正・誠実(integrity)を高め維持すべきだ。
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●9.【主要情報源】
① ウィキペディア・ドイツ語版:Friedhelm Herrmann ? Wikipedia
② 1997年6月9日の「Times Higher Education」記事:German fraud shock | General | Times Higher Education
③1998年4月2日、本記事の第2主役のマリオン・ブラッハ (Marion Brach) の「Nature」記事:Scapegoat for fraud in Germany? | Nature
④1999年11月8日のトニー・パターソン(Tony Paterson)記者の「Guardian」記事:German scientist ‘faked cancer research’ | World news | The Guardian
⑤2000年6月19日のドイツ研究振興協会(DFG)の「プレスリリース」記事:DFG – Deutsche Forschungsgemeinschaft – Task Force legt Abschlusbericht vor
⑥2000年7月8日の「BMJ」記事:BMJ. Jul 8, 2000; 321(7253): 72. Fraud investigation concludes that self regulation has failed?
⑦2002年1月3日のキィリン・シーアマイアー(Quirin Schiermeier)記者の「Nature」記事:German task force outraged by changes to science fraud report | Nature
⑧ 2007年11月27日出版のダン・アギン(Dan Agin)の著書:『Junk Science: How Politicians, Corporations, and Other Hucksters Betray Us』、Macmillan社、336 ページ:一部無料閲覧可能。その章のpdf
⑨ Ausstellung: Eberhard Hildt (EN) | Whistleblower-Netzwerk
⑩有料記事、白楽未読。2000年6月23日のM Hagmannの「Science」論文:Panel Finds Scores of Suspect Papers in German Fraud Probe | Science
⑪ 旧記事(2014年12月15日掲載)保存(1)、(2)
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