パウル・カンメラー(Paul Kammerer)(オーストリア)

【概略】
150122 sci_FRAUD_pic_04[1]パウル・カンメラー(Paul Kammerer、写真出典)は、世界的に著名なオーストリアの遺伝学者だった。ダーウィンの後、「獲得形質が遺伝する」ラマルク説の支持者だった。

1926年(46歳)、カエル(サンバガエルmidwife toad)の足に墨汁(固形の墨?、India ink)を入れてコブ(拇指隆起、nuptial pads)を作るというデータねつ造が発覚した。

ねつ造は実験助手がしたのかもしれないが、6週間後の1926年9月23日、オーストリア山中でピストル自殺した。

150122 AlytesObstet[1]サンバガエル(midwife toad) 写真出典

  • 国:オーストリア
  • 成長国:オーストリア
  • 博士号取得:ウィーン大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1880年8月17日
  • 没年:1926年9月23日。オーストリア山中でピストル自殺。享年46歳
  • 分野:遺伝学
  • 最初の不正論文発表:
  • 発覚年:1926年8月(46歳)
  • 発覚時地位:生物学研究所を退職し、モスクワ大学・主任教授に赴任する途中で無職。
  • 発覚:同分野の研究者の暴露論文
  • 調査:
  • 不正:ねつ造
  • 不正論文数:
  • 時期:研究キャリアの中期(?)
  • 結末:自殺

【経歴と経過】
経歴の主な出典(①Dr. Paul Kammerer : Abstract : Nature、②エピジェネティクス進化論

  • 1880年8月17日:オーストリアのウィーンに生まれる
  • 1899‐1904年(18‐23歳):オーストリアのウィーン大学で動物学を学ぶ
  • 150122 vivarium_prater[1]1902年(21歳):ウィーンの生物学研究所(Biologische Versuchsanstalt、写真出典)が創設され、創設時からのメンバーになる
  • 1904年6月23日(23歳):研究博士号(doctor in philosophy)取得
  • 1906年(25歳):実験形態学の教授資格「venia docendi」を取得する。ウィーン大学・講師になる
  • 1906年(25歳):フェリシタス・マリア・テオドラ・フォン・ヴィーデルスペルクと結婚
  • 1907年(26歳):娘のラツェルタが生まれた
  • 1914‐1923年(33‐42歳):生物学研究所がウィーン科学アカデミー(Viennese Academy of Sciences)に吸収合併されたが、教授職を維持
  • 1923年(42歳):生物学研究所を退職し、以後、欧州と北米を講演旅行
  • 1926年8月7日(46歳):ネイチャー誌にデータねつ造が暴露される
  • 1926年9月23日(46歳):モスクワ大学・主任教授、モスクワ科学アカデミー・生物実験室学主任に選出され、任地に赴く途中、オーストリア山中でピストル自殺

【研究内容】

フランスの生物学者・ジャン=バティスト・ラマルク(Jean-Baptiste Lamarck、 1744年8月1日 – 1829年12月28日)が「獲得形質が遺伝する」説を提唱する。

ラマルクが説明した進化論は「用不用説」と呼ばれている。生物がよく使用する器官は発達し、使わない器官は退化するという用不用の考えと、それによって個々の個体が得た形質(獲得形質)がその子孫に遺伝するという「獲得形質の遺伝」を2本柱としている。また、彼は、生物の進化は、その生物の求める方向へ進むものと考え、生物の主体的な進化を認めた。(ネオ・ラマルキズム – Wikipedia

チャールズ・ダーウィンが1859年11月24日に『種の起源』を出版し、進化論を打ち立て、「獲得形質が遺伝する」ラマルク説を否定する。

チャールズ・ダーウィンの自然選択説が1859年に発表されると、生物の進化と言う概念は大論争の後に広く認められた。

現代的な自然選択説では「個体変異から特定個体が選ばれる過程は機械的である」と考えられている。「突然変異は全くの偶然に左右され」、「その過程に生物の意思や主体性が発揮される必要はない」。

ダーウィニズムが進化論において主流の地位を占めた後でも、獲得形質の遺伝を証明しようとする実験が何度か行われている。特に有名なのは、オーストリアのパウル・カンメラーによるサンバガエルの実験である。(ネオ・ラマルキズム – Wikipedia

カンメラーはラマルクの支持者だった。

150122 37807r[1]写真出典

【不正発覚・調査の経緯】

1880年8月17日、カンメラーは、オーストリア・ウィーンに生まれる。

1904年(23歳)、カンメラーは、「獲得形質が遺伝する」ことを発表する。

ウィキペディアから引用する(ネオ・ラマルキズム – Wikipedia)。

150122 4435068_93カンメラー(写真出典)は両生類の飼育に天才的な才能を持っていたと伝えられ、陸で交接を行い足に卵をつけて孵化まで保護するサンバガエルを、水中で交接・産卵させることに成功した。水中で交接するカエルには雄の前足親指の瘤があって、これは水中で雌を捕まえるときに滑り止めの効果があると見られる。

本来この瘤はサンバガエルには存在しないのだが、カンメラーはサンバガエルを3世代にわたって水中産卵させたところ、2代目でわずかに、3代目ではっきりとこの瘤が発現したと発表した。つまり、水中で交接することでこの形質が獲得されたというのである。

なお、第一次世界大戦が、1914年7月‐1918年11月に起こっている。背景は省略するが、オーストリアが、1914年7月28日にセルビアに対する宣戦布告をしたことで戦争は勃発した。開戦時に33歳だったカンメラーは、激動する時代の流れに翻弄されたに違いない。

150122 Europe1914-jp[1]第一次世界大戦は、1918年11月11日に終結した。カンメラーは38歳で、カンメラーの国・オーストリア(オーストリア=ハンガリー帝国)は大敗北だった。大戦前(上記地図)はドイツ帝国より広い領土だったが、敗戦後、その3/4が奪われ、1/4程度になった。また、戦後、1925年(カンメラーは44歳)ころまで、激しいインフレーションに苦しめられた。

カンメラーに戻る。

以下出典:エピジェネティクス進化論

150122 kammerer_kroete第一次世界大戦によるインフレで、オーストリアの中流階級は崩壊し、カンメラーは財産を失った。実験生物学研究所の実験動物の大半は死に、標本のほとんどはなくなってしまった。発情期に入ったばかりのサンバガエルのオスが一匹だけ残っており、最後の標本となった(写真出典)。

カンメラーは生活のために、一般向けの記事を書くことと講演に追われるようになった。

1923年(42歳)、カンメラーは英国とアメリカ合衆国を訪問し、講演を行なった。この一般向け講演は大成功だったが、講演の後援者や新聞記者は、センセーショナルな雰囲気をかきたてたため、科学の分野でのカンメラーの評判は決定的に損なわれた。

例えば、デイリー・エクスプレスは、6段抜きの記事で、
「驚嘆すべき科学的発見」、
「盲目の動物に発生した眼ー科学者、好ましい性質伝達の法を発見す」、
「遺伝学の天才ー人類の変革」、
「スーパーマン族  科学者の偉大な発見-われわれを皆遺伝的天才に変え得る可能性  盲目の動物に眼が発生」、
などと報じた。

ニューヨーク・ワールド紙は、
「今世紀最高のウィーンの生物学者ーダーウィン理論を立証 ケンブリッジ大学科学者の賞賛を勝ち取る」、
「ダーウィンの失敗を補う科学者の成功 イモリに発生した眼は獲得形質の遺伝を示すか? オーストリアの学者に栄冠  最良の性質が遺伝されれば進化は促進される」、
などと報じた。

150122 51M1TN2S9VL[1]1924年2月(43歳)、カンメラーは再びアメリカを訪問し、そのときに、『獲得形質の遺伝(Environmental Vitalism: The Inheritance of Acquired Characteristics)』を出版した。

カンメラーは、変人で有名なアンナ・ヴォルトと恋に落ち、長年連れ添ったフェリシタシスと離婚したが、結婚はわずか数ヶ月しか続かず、カンメラーは致死量を超える睡眠薬を飲んだが吐いてしまった。

その後、抑鬱状態が続き、再びフェリシタシスと一緒に暮らすようになった。カンメラーは、それ以後、躁鬱病を患うようになった。

1926年(46歳)、『島の種の変態とその原因-ダルマチア諸島のトカゲ類の比較実験研究による確認』を出版した。

この本の中で、カンメラーは、島のトカゲには主として2種があり、住んでいる島によって、大きさや色が非常に異なることの着目し、孤立状態が新しい変種を生み出すのを助け、かつ促進したのではないかと考えた。そして、環境の性質、温度、湿度、明るさ、動物の分布状態などが個体の適応を引き起こし、ついには遺伝性となる変化と係わり合いを持つようになったのではないかという仮説を唱えた。そして、環境を変えることによってトカゲの色の変化を引き起こす実験を行い、緑を黒に、黒を緑に、その変化が遺伝性になることを示し得たと発表した。

1926年8月7日(46歳)、アメリカ自然史博物館・爬虫類学芸員のG.・キングズリー・ノーブル(G. Kingsley Noble)が「ネイチャー」誌に論文を発表した。

「ネイチャー」誌の論文で、カンメラーが彼の「獲得形質が遺伝する」理論の根拠とするカエルの足のコブ(拇指隆起、nuptial pads)は、自然発生したコブではなく、人工的に墨(India ink)が入れられていたコブだと、ノーブルは暴露した。つまり、データねつ造だと暴露したのである。ノーブルは、ウィーンのカンメラー研究室の標本を調査するために、カンメラーにウィーンの招待されていた。

カンメラーは、データねつ造は実験助手がしたと助手を非難したが、マスメディアはカンメラーを罵倒し、悪評を広めた。

1926年9月23日(46歳)、カンメラーは、ソ連のモスクワ大学・教授の職に就くため、モスクワへと旅を始めてすぐ、オーストリア山中でピストル自殺をした。

なお、ウィキペディア(ネオ・ラマルキズム – Wikipedia)には以下の記述もある。

公表された標本は実験中のものとは明らかに異なり、確かに瘤はできていたとの実験の途中経過を見た人による証言もある。或いは共同研究者によって何等かの理由ですり替えられたというのであるが、疑惑を持たれた研究者が(標本の検証以前に)既に亡くなっていたことから、真偽のほどは分からない。アーサー・ケストラーの言う様に検証した側が捏造に関わっていたという見方もある

【論文数と撤回論文】

パブメドhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmedで、パウル・カンメラー(Paul Kammerer)の論文を「Kammerer P[Author]」で検索すると、1963年以前の論文のヒット数はゼロである。

1920年代の論文はパブメドのデータベースに入っていない。
2015年1月20日現在、撤回論文はない(と思う)。

【事件の深堀】

★自殺の謎

①ねつ造発覚が原因説

②うつ病が原因説

③マーラーに失恋が原因(はどうでしょう?)

カンメラーは音楽にも関心があり、青年時代にウィーン音楽アカデミーでピアノを学んでいる。

150122 c02[1]150122 Alma[1]そして、美貌で華麗な男性遍歴で知られる音楽家のアルマ・マーラー(Alma Mahler、写真出典 )が、マーラーの夫の死後すぐの1911年と1912年、無給の実験助手としてカンメラーの実験室で働いている。マーラーは33‐34歳で、カンメラーは31‐32歳である

カンメラーは、マーラーに激しく恋をした。

カンメラーは、「もし結婚してくれないなら」、グスタフ・マーラー(マーラーの亡夫)の墓の前で、ボクは自殺すると脅している。

1926年の自殺は、マーラーへの失恋が原因とみる向きもある。そして、データねつ造した実験助手はマーラーというはストーリーだ。ただ、ねつ造の発覚と自殺は1926年で、マーラーが実験助手を辞めたのが1912年だから、14年も経っている。ねつ造と自殺はマーラーとは関係ないだろう。

マーラーとは別の女性・グレーテ・ヴィーゼンタールとの色恋沙汰が原因という説もある。

女性との関係のもつれなども取りざたされています。名家ヴィーゼンタール家の5人の姉妹たちとの、とっかえひっかえの恋愛が有名です。とりわけグレーテ・ヴィーゼンタールが新しい研究所を創設するためにカンメラーがモスクワに赴任する際、彼との同行を拒絶したことが最大の原因だったとの説も有力視されました。(出典:下田 親 「第93回 パウル・カンメラーの自殺」

④政治抗争が原因(はありますかね?)

カンメラーはユダヤ人ハーフで、ウィーンにあるユダヤ系の実験生物学研究所の研究員だった。反ユダヤ運動による排斥を受けたという話もあるが、充分、調べていない。

カンメラーと同じ頃、ソビエト連邦ではイヴァン・ミチューリンによって獲得形質の遺伝が力説され、生物学界に一定の支持を得ていた。トロフィム・ルイセンコ(1898年9月29日 – 1976年11月20日)はミチューリン理論を支持し、「獲得形質が遺伝する」理論に基づき、ソビエト連邦の農業政策を大々的に変えていった。

ルイセンコは、ソビエト連邦の最高権力者・スターリンに支持されソビエト連邦の科学界でも強大な権力を握っていく。しかし、ミチューリン理論はソビエト連邦以外では支持されていない。この政策抗争でカンメラーは排斥を受けたという話もあるが、充分、調べていない。

⑤オーストリア山中でピストル自殺

「オーストリア山中でピストル自殺」と書いたが、そう伝えられているから単純に書いた。しかし、当時、オーストリアで、ピストルは入手可能だったのだろうか? 猟銃ならまだしも、なんかヘンな気がする。

★エピジェネティックの登場でカンメラーが再登場

生物学の基本原理の1つは、子が親に似る、つまり、遺伝である。遺伝は、親の生殖細胞の遺伝子DNAが子に伝わるからである。

個体発生では、両親のDNAを受け継いだ受精卵の細胞は分裂・増殖する過程で、DNA複製→mRNA転写→タンパク質翻訳される。合成されたタンパク質が各組織・器官の分化の実態を担っていく。かつて、この時、各細胞のDNAは全く変化しないと考えられてきた。

では、各組織・器官に特徴的なタンパク質の合成はどのように選択されるのか?

DNAのどの部分(つまり、どの遺伝子)をmRNAに転写するかで決まる。だから転写が重要である。

基本はそれでいいのだが、少し特殊なケースでは、各細胞のDNA「全く変化しない」のではなく、DNAに少し変化がある。その概念を、1942年、ウォディントン(C. H. Waddington)が造ったエピジェネティクス(英語: epigenetics)という用語で説明されている。

エピジェネティクスの現在の概念は、「DNAの変化は、DNA塩基配列の変化を伴わない後天的な遺伝子制御の変化」である。DNAの変化は、DNAメチル化やヒストン修飾などで引き起こされ、体細胞の細胞分化、がん化、遺伝子疾患の発生、脳機能、などにかかわっている。

もし、この変化が生殖細胞のDNAに及ぶなら、獲得形質が次世代に遺伝する可能性が起こり得る。この可能性について、現在、研究進行中である。例 ①研究内容|生殖細胞のエピゲノムダイナミクスとその制御

線虫では、獲得形質が次世代に遺伝しそうだとする2014年の論文もある(無料閲覧可)。

そして、エピジェネティク説の重要性が高まるにつて、カンメラーの実験を支持する論文や文章が、現代にも登場するのである。

2009年、チリ・サンチャゴのチリ大学・発生学者・アレキサンダー・ヴァーガス(Alexander O..Vargas)が、カンメラーを擁護する論文を発表した(以下が書誌情報)。

ヴァーガスの論文は、カンメラーの実験はデータねつ造とされたが、エピジェネティクス的に再現可能だというのだ。つまり、実は、ねつ造ではないかもしれないと。再現実験ができなかったのは、充分に実験していないからだと。

ヴァーガスの論文に対して翌2010年、米国・インディアナ大学の科学哲学者・サンダー・グリボフ(Sander Gliboff)は否定的な論文を発表した。

「ヴァーガスは、カンメラーの論文を十分読んでいない。十分読まないで、カンメラーの実験内容と結果を誤解してモデルを構築した。だから、当然ながら、ヴァーガスのモデルでは、カンメラーの結果を説明できない」、と。

【白楽の感想】

《1》 大人気である。どうして?

パウル・カンメラー(Paul Kammerer)は、約90年前に死亡した研究者なのに、いまだに、大人気である。記事が多い。

本人がデータねつ造したのではないかもしれないが、データねつ造事件の責任者である。それだけで、研究者としては「否定」されるべき人物で、「忘れ去られる」べき人物だ。生物学的重要性はゼロに等しいと思える。

しかし、現在もウェブに名前を散見する。写真がかなりある。著書もある。そして、最近、エピジェネティクス関連の先駆的研究者と持ち上げられている。

とにかく、大人気である。どうしてなんだろう?

マスメディア受けがすこぶる良かったらしい。なるほど、有名な科学者は全部そうだ。アインシュタインもそうだし、某氏もそうだ。

白楽は、不器用だし、不都合な真実を指摘するし、へそ曲がりなので、マスメディアに受けるのはとてもムリだ。無名で良しとしよう。

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論文をタイプするパウル・カンメラー(Paul Kammerer)写真出典

【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Paul Kammerer – Wikipedia, the free encyclopedia
②「カンメラー:Paul Kammerer」:カンメラー:Paul Kammerer | mixiコミュニティ
Paul Kammerer
④著書(未読)1971年、アーサー・ケストラー(Arthur Koestler)著、『The Case of the Midwife Toad (英語) 』、187ページ、出版社: Hutchinson; illustrated版 (1971/9/27)、ISBN-10: 0091082609、ISBN-13: 978-0091082604。日本語訳、石田 敏子・訳、『サンバガエルの謎―獲得形質は遺伝するか』 、岩波現代文庫、245ページ、出版社:岩波書店(2002/12/13)、ISBN-10: 4006030711、ISBN-13: 978-4006030711、発売日: 2002年12月13日
⑤ The Midwife Toad and Alma Mahler: Epigenetics or a Matter of Deception?
⑥★動画。「Paul Kammerer 1 de 2 」、(仏語)14分39秒、brigade du tigre が2012/04/09 に公開