7-67 ネカト予備調査記録の欠落

2020年12月7日掲載

白楽の意図:ネカトが申し立てられると、米国の生命科学系では大学が直接調査する。研究公正局(ORI)は「直接」調査ができないので、第三者「調査」機関ではない。ネカト申し立ての約90%は本調査されないが、驚いたことに、本調査を脚下した予備調査の記録が保存されていない。これらの問題点を指摘したロバート・バウフヴィッツ(Robert Bauchwitz)の「2016年6月のSci Eng Ethics」論文を読んだので、紹介しよう。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.論文概要
2.書誌情報と著者
3.日本語の予備解説
4.論文内容
5.関連情報
6.白楽の感想
8.コメント
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【注意】「論文を読んで」は、全文翻訳ではありません。ポイントのみの紹介で、白楽の色に染め直してあります。

●1.【論文概要】

本論文では、ネカト調査を監督する連邦機関の法律・実態・問題点を分析した。NIHが資金提供した生命科学者のネカト調査は、健康福祉省(HHS)内の研究公正局(ORI)が主体だが、研究公正局(ORI)と監査総監室(OIG)の両方が管轄する。しかし、研究公正局(ORI)は直接調査する権限がない。この研究公正局(ORI)でのネカト処理権限を改善する必要がある。さらに、米国・生命科学研究のネカト行為の申し立てのほぼ90%は、当該の大学・研究機関が予備調査段階で却下し本調査をしていない。その予備調査記録が監査可能な状態で保持されていない。ネカト申し立ての処理の深刻な欠陥である。

●2.【書誌情報と著者】

★書誌情報

★著者

  • 責任著者:ロバート・バウフヴィッツ(Robert Bauchwitz)
  • 紹介: PeerJ – Profile – Robert Bauchwitz
  • 写真: 同上
  • ORCID iD:
  • 履歴:Robert Bauchwitz | LinkedIn
  • 国:米国
  • 生年月日:米国。現在の年齢:59 歳?
  • 学歴:米国のハーバード大学(Harvard University)で学士号(生化学・分子生物学)。コーネル大学(Cornell University)で医師免許取得、及び、研究博士号(PhD)取得(分子遺伝学)。ワイドナー大学法科大学院(Widener University School of Law)で学位LEI certificate
  • 分野:研究開発
  • 論文出版時の所属・地位:2008年以降、アメランダス研究社・研究開発部長(Amerandus Research、Director of Research and Development)

アメランダス研究社(Amerandus Research)。所在地:1735 Market St Suite 3750 Philadelphia PA 19103。グーグルマップで白楽が作成

●3.【日本語の予備解説】

日本の場合、ネカトが告発されると、大学は、予備調査を行ない、疑惑が濃厚なら本調査に入る。以下は、文部科学省のガイドライン(下線は白楽)。 → 「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン(平成26年8月26日文部科学大臣決定)」の14~15ページ

(1)予備調査

① 「4-1 調査を行う機関」により調査を行う機関(以下「調査機関」という。)は、告発を受け付けた後速やかに、告発された特定不正行為が行われた可能性、告発の際示された科学的な合理性のある理由の論理性、告発された事案に係る研究活動の公表から告発までの期間が、生データ、実験・観察ノート、実験試料・試薬など研究成果の事後の検証を可能とするものについての各研究分野の特性に応じた合理的な保存期間、又は被告発者が所属する研究機関が定める保存期間を超えるか否かなど告発内容の合理性、調査可能性等について予備調査を行う。調査機関は、下記(2)②の調査委員会を設置して予備調査に当たらせることができる。

② 告発がなされる前に取り下げられた論文等に対する告発に係る予備調査を行う場合は、取下げに至った経緯・事情を含め、特定不正行為の問題として調査すべきものか否か調査し、判断するものとする

③ 調査機関は、予備調査の結果、告発がなされた事案が本格的な調査をすべきものと判断した場合、本調査を行う。調査機関は、告発を受け付けた後、本調査を行うか否か決定するまでの期間の目安(例えば、目安として30日以内)を当該調査機関の規程にあらかじめ定めておく。

④ 本調査を行わないことを決定した場合、その旨を理由とともに告発者に通知するものとする。この場合、調査機関は予備調査に係る資料等を保存し、その事案に係る配分機関等及び告発者の求めに応じ開示するものとする。

●4.【論文内容】

《1》序論 

2014年6月、アイオワ州立大学の研究者(ドンピョウ・ハン)はデータ改ざんで逮捕され、起訴された。 → ドンピョウ・ハン(Dong-Pyou Han)(米)改訂 | 白楽の研究者倫理

その事件を報じた「撤回監視(Retraction Watch)」は、「研究ネカト行為は珍しくないが、研究者をこれほど厳しく処罰したことは非常に珍しい」、と述べている。

これほど厳しく処罰したのは、「撤回監視(Retraction Watch)」が指摘したように、マスメディアの注目を浴びたこととアイオワ州選出のグラスリー上院議員の言動の結果だろう。

「撤回監視(Retraction Watch)」は、「上院議員の発言がなければ、ドンピョウ・ハンは軽く処罰された数百人のネカト研究者の1人だったでしょう」と述べている。

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アイオワ州選出のチャールズ・グラスリー上院議員(Charles Grassley、チャック・グラスリー、Chuck Grassley、写真出典)は、研究公正局(ORI)が示した3年間の締め出し処分では、臨床試験結果を故意に改ざんし、数百万ドル(数億円)の税金を無駄にした研究者への処分としては全く軽すぎると激怒した。

ニューヨークタイムズ紙の記者は、「研究公正局(ORI)は、厳しい罰則を科すことも、研究資金を回収することもできませんでした。研究公正局(ORI)には牙が必要です。議会は研究公正局(ORI)に必要な権限を与えるべきでだと提案しました。まず、行政召喚状を発行する権限を研究公正局(ORI)に与えることです。召喚状を発行する権限がなければ、大学にとって都合が良い情報しか、研究公正局(ORI)は得ることはできません」と書いた。

研究公正局(ORI)には、①ネカト者を処罰する権限があり、また、②ネカト防止教育をする義務がある。

この①と②は相反する役割である。ネカト防止教育が十分にできていれば、ネカトが起こることはなくネカト者を処罰する必要がない。その相反する役割のために上院議員が激怒するような不当に甘い処罰を科し続けている。

現在の法律は研究公正局(ORI)が「直接」ネカト調査を行なうことを禁じている。研究公正局(ORI)のネカト処理は、大学が所属研究者のネカト調査を直接行ない、その調査報告書を査察するのが基本になっている。(大学:研究者は大学以外の研究機関、企業、他組織にも所属するが、本記事では代表して大学と記す)

グラスリー上院議員は、研究公正局(ORI)にさらに権限を与えるのではなく、すでにその法執行権限を持つ健康福祉省(HHS)・監査総監室(OIG)にネカト調査を集結させるよう提案した。

本論文では、最初に、ネカトの調査と罰則の適用に関して、研究公正局(ORI)と監査総監室(OIG)の権限を規定した法律について説明する。[白楽注:白楽の本記事は法律部分を端折っている]

次に、既存の連邦政府の監査基準を適用して、米国でのネカトの申し立ての処理を大幅に改善する方法について説明する。

なお、特に注意すべき問題点は次のようだ。

生命科学系のネカト申し立ての約90%が本調査されずに予備調査で脚下されている。大学はネカト疑惑の予備調査記録を監査可能な状況で保存していない。却下したネカト申し立ての内容を政府に報告する義務もない。

《2》健康福祉省の行政措置 

米国・連邦法42USC§289b(c)(4)で、健康福祉省(HHS)の長官は、ネカト行為に関して研究公正局(ORI)が従うべき規則を制定している。規則は、連邦官報(Federal Register)に公開されている。

研究公正局(ORI)を含め、健康福祉省(HHS)がネカト行為へ対処できる範囲は米国・連邦法42CFR§93.407で定められている。

以下は、「平成26年度調査研究報告書(研究不正に対する諸外国の体制等に関する調査研究)[pp.1-151]」の61ページ目に翻訳があったので、修正引用した。

――――引用ここから
健康福祉省(HHS)の行政措置
「(a) ネカト行為の際への対応で、健康福祉省(HHS)は次の行政措置を講じることが出来る。措置は以下を含むがこれらに限定はされない。
(1) 研究記録(論文)の明確化(clarification)、訂正(correction)、撤回(retraction)
(2) 処分
(3)公衆衛生局(PHS) 助成金、契約、協力協定について適用される規則や条件の順守を確かにするた
め、特別の認証(certification)や保証(assurance)の要求
(4)公衆衛生局(PHS)の助成金、契約、協力契約の一時停止または終了
(5)現在受けている公衆衛生局(PHS)助成金、契約、協力協定の活動または支出の制限
(6)公衆衛生局(PHS)資金のすべての申請の特別レビューの実施
(7)公衆衛生局(PHS)の助成金、契約、協力協定に監督条件を付すこと
(8)公衆衛生局(PHS)への支援の要求や報告の全てにおいて、帰属(attribution)と真正性(authenticity)の証明(certification)を求めること
(9)公衆衛生局(PHS)への助言活動への参加の禁止
(10) 被通報者が連邦政府職員だった場合、連邦政府の人事政策や法律に則り、人事上の
措置
(11) 45 CFR Part 76 と 48 CFR Subparts 9.4 と 309.4、あるいはその両方のもとでの、参加資格停止

(b) ネカトと認定した場合、健康福祉省(HHS)は、また、ネカトに関係した研究に使われた公衆衛生局(PHS)の資金の返還を求めることができる。

(c)健康福祉省(HHS)内の認可された部署は、研究公正局(ORI)、監査総監室(OIG:Office of Inspector General)、公衆衛生局(PHS)資金調達部・禁止担当部と連携して、あるいは個別に、ネカトに対し実施・管理・強制することができる。」
――――引用ここまで

さらに、研究公正局(ORI)は、現行法の下で大学からネカトの記録を取得することができる。42 CFR Part 93のセクション93.317は、次のように述べている。

「(c)健康福祉省(HHS)の要求に応じて、大学は、科学捜査またはその他の分析をするのに必要な研究記録および証拠を含め、ネカト申し立てに関連した大学の管理記録を健康福祉省(HHS)に提出する義務がある。」

したがって、召喚状の権限により、研究公正局(ORI)は公衆衛生局(PHS)資金を回収し、大学からネカト関連文書を入手できる。研究公正局(ORI)は実際、すでにその権限を持っている。ただし、違法行為の発見と行政処分に関しては、研究公正局(ORI)に制限が課され、研究公正局(ORI)は健康福祉省(HHS)・次官補(OASH:Office of the Assistant Secretary of Health)に勧告すること以上の権限はない。

《3》研究公正局の任務 

2000年5月から、次の法律により、研究公正局(ORI)は局独自のネカト調査を「直接」行なうことができなくなった。

Federal Register. (2000). Notices, Statement of Organization, Functions, and Delegations of Authority, Office of the Secretary, Office of Public Health and Science, Department of Health and Human Services, vol. 65, pp. 30600–30601.

代わりに、大学のネカト調査を監督するか、健康福祉省(HHS)・監査総監室が「直接」調査を行なう。

以前、研究公正局(ORI)が行なっていた直接調査は、研究所内の場合は公衆衛生局(PHS)の各部署が実施し、研究所外の場合は監査総監室が実施する。

研究公正局(ORI)の役割と構造は、ネカト行為の防止と教育プログラムによる研究公正の促進に重点を置くように変更する。

以下略

《4》監査総監室(OIG)と研究公正局(ORI)の調査の比較 

監査総監室(OIG)によるネカト調査と、研究公正局(ORI)によるネカト調査はどこがどう違うのだろうか?

健康福祉省・監査総監室(HHS・OIG)に直接、次の質問をした。

(1)健康福祉省・監査総監室(HHS・OIG)には、処理したネカト事件のリストがありますか? もしあるなら、リストはどこにありますか? 入手できますか?
(2)健康福祉省・監査総監室(HHS・OIG)は、そのようなネカト事件をどのような基準で調査しますか?
(3)連邦政府はネカト申し立てをどのように監査しますか?

受け取った返信は次のとおりだった。

「oig.hhs.gov にアクセスして、監査総監室(OIG)の作業に関するすべての公開情報を確認してください。
私たちの「作業計画」は特に興味深いかもしれません。http://oig.hhs.gov/reports-and-publications/workplan/index.aspで入手できます(「作業計画」は数週間以内に更新されます)。
監査総監室(OIG)の仕事に興味を持っていただきありがとうございます。
監査総監室(OIG)広報」

白楽注:白楽自身がネカト事件のリストを探ろうと、<oig.hhs.gov>と<http://oig.hhs.gov/reports-and-publications/workplan/index.asp>に何度もアクセスしたが、サイトは削除されているのか、日本からアクセスできないのか、閲覧できなかった。後者は、2020年12月6日現在、保存版で閲覧できる → Work Plan | Office of Inspector General | U.S. Department of Health and Human Services

ところが(白楽も同じだったが)、回答にあった健康福祉省・監査総監室(HHS・OIG)のウェブサイトに関連情報が見つからない。

仕方なしに、健康福祉省・監査総監室(HHS・OIG)の代わりに、科学庁(NSF)の監査総監室(OIG)と比較した。

科学庁(NSF)の監査総監室(OIG)の実態は、科学庁(NSF)・監査総監室(OIG)・「研究公正と行政調査課」(Research Integrity and Administrative Investigations)のジム・クロール課長(Jim Kroll、研究博士、写真出典)の2014年の講演と、私たちの質問への回答(2014年10月20日の回答)を参照にした。

科学庁(NSF)・監査総監室(OIG)は科学庁(NSF)が資金提供したすべての研究プログラムでのネカト申し立てを調査する権限がある。

  1. 科学庁(NSF)・監査総監室(OIG)は「独立して調査する」が、研究公正局(ORI)は「研究助成した大学のネカト調査を監督するだけ」である。つまり、研究公正局(ORI)はネカトの直接調査をしない。
  2. 科学庁(NSF)・監査総監室(OIG)は法執行機関(law enforcement (LE) agency)であり、研究公正局(ORI)は法執行機関ではない。ただ、研究公正局(ORI)には「召喚権限と捜査令状機能」は持っている。
  3. 科学庁(NSF)・監査総監室(OIG)には「調査スタッフによる限定的なアウトリーチ機能」が認められている。他方、研究公正局(ORI)には公式な組織としての「公正教育部(Division of Education & Integrity)」がある。前述のように、本来的に分離が必要なコンサルティングと監査業務が共存する構造上の欠陥が、研究公正局(ORI)にはある。

なお、クロールは、健康福祉省・監査総監室(HHS・OIG)による生物医学研究ネカトの調査または監査については、十分な知識を持っていないと答えた。

《5》ネカトと詐欺 

省略

《6》ネカト申し立ての処理過程 

米国の大学がネカト申し立て受けた時、通常、最初に行なわれることは、その大学の研究公正官(RIO:Research Integrity Officer)によるネカト申し立ての予備調査である。

研究公正官(RIO)は、申し立てを調査し、決定権を持つ学部長と連携してネカト本調査に進むべきかどうかを判断する。

例えば、米国の大学が公開しているネカト申し立ての処理過程は次のようだ。

以下省略。

《7》生物医学研究のネカト申し立てのほとんどは却下されている 

生物医学分野の教職員、学生、スタッフは、1992年に研究公正局(ORI)が設立される前から、研究不正(ネカト)行為の定義とその対処方法に関するトレーニングを受けている(ORI 2011b)。

その結果、ネカトと申し立てる時、根拠のない申し立てが多いとは思えない(例:Wilmhurst 2007 ; Martin 2013 ; Sullivan 2012 ; McMillan 2012 ; O’Rourke 2012 ; Rothschild and Miethe 1999)。

ところが、研究公正局(ORI)のデータは、驚くべき事実を示している。

ネカト申し立てのほぼ90%は本調査がされていなかったのだ。最初の段階、つまり、申し立ての予備調査でほとんどを却下し続けてきた。

言い換えると、研究公正局(ORI)はネカト申し立てのほぼ90%をまともに調査せず、詳細な報告書を作成していなかった。

ここで、「研究公正局(ORI)は」と書いたが、実際は、「大学は」である。ネカトの予備調査を実際にするのは当該大学だからだ。ネカト申し立ての最初の調査段階である予備調査で、大学は却下し、そのほぼ90%をまともに調査(本調査)してこなかったのである。

研究公正局(ORI)のデータを見ていこう。

米国の大学は、1994~2011年の間、3,561件のネカト申し立てを受けた。そのうち、12.6%(449件)だけが本調査され、残りの87.4%は最初の申し立て段階(予備調査)で却下されていた(データは、研究公正局(ORI)の年次報告書から取得)。(表 1)。大学がネカト申し立ての最初の段階で却下した理由は、公衆衛生局(PHS)が資金を提供していない、またはネカト違犯の基準を満たしていないとされている。しかし、実態は公表されていない。米国の大学が予備調査でネカト申し立て約90%を却下した理由を知る方法は、一般の人々にはない。科学庁などの監査総監室(OIG:Office of Inspector General)でさえ知る方法がない。

《8》ネカト申し立てのデータを集計し保持せよ 

ネカト申し立てに関して、健康福祉省・監査総監室(HHS・OIG)は、1989年の報告書で、次のように推奨している(「科学研究における不正行為」HHS OIG. (1989). Misconduct in Scientific Research. Accessed Dec 9, 2015,  http://oig.hhs.gov/oei/reports/oai-07-88-00420.p)(2020年12月6日現在、リンク切れ)。

「健康福祉省から助成を受けた大学は、ネカト申し立てがあった時、いつでも、直ちに健康福祉省に通知する義務がある」(HHS OIG 1989)。

上記の推奨事項は米国連邦法と同じである。

それにもかかわらず、研究公正局(ORI)に報告された実際のネカト申し立て情報は、「いつでも、直ちに」ではなく、「1年間まとめて」という形式の情報だけである。

「各大学は、「ネカト年次報告書(Annual Report on Possible Research Misconduct:PHS Form 6349)」を研究公正局(ORI)に提出しなければならない。公衆衛生局(PHS)に規則で定められたネカトに関する申し立て、問い合わせ、調査、およびその他の活動に関する集計情報は、ネカト年次報告書で報告する」(ORI Annual Reports 2011)。

「各大学が本調査をしないと決定した文書化」に関する連邦法42 CFR 93.309(c)は、各大学が十分に詳細な文書を保持しなければならないと定めている。大学が本調査しないと決めた理由を、後で、研究公正局(ORI)が審査できるようするためである。

同じように、連邦法42 CFR 93.317は、ネカト調査の進行記録の保持と保管について、本調査に関連する記録の保持のみを指定している。研究公正局(ORI)の「ネカト申し立てに対応するポリシーと手順のサンプル(Sample Policies and Procedures for Responding to Allegations of Research Misconduct)」では、申し立てを文書化するための手順が指定されていない(研究公正局(ORI) 2012)。

驚いたことに、ネカト申し立ての記録を保持するという要件が欠如しているのだ。この欠如は、研究公正局(ORI)が管轄する生命科学系に固有の問題ではなかった。

科学庁(NSF)・監査総監室(OIG)に、ネカト申し立ての監査を行なうことは可能かどうか尋ねた。

すると、大学・研究機関および民間企業は、すべてのネカト申し立てを科学庁(NSF)・監査総監室(OIG)に報告する必要はなく、実際していないので、監査はできない、と回答された。

最も重要なことは、ネカト本調査の前段階、つまり予備調査で、申し立てられたネカトを、大学・研究機関および民間企業がどのように処理しているか、科学庁(NSF)・監査総監室(OIG)は、何も知らず、誰も監査していなかったことだ。

したがって、研究公正局(ORI)または科学庁(NSF)の監督下にある大学・研究機関および民間企業がネカト申し立てを却下した場合の記録は保持されていない。

その結果、米国の生物医学研究の申し立ての90%近くが予備調査で却下され、その記録はほぼ完全に残っていない。科学庁(NSF)の管轄する工学、自然科学、人文社会学のネカトは、申し立て数が公表されていないので、本調査されずに予備調査で却下された件数は不明だが、同程度だろう。

したがって、米国のネカト申し立てのほとんどは、適切に処理されたかどうか監査不能になっている。

しかし、今後もこの状況が続いてはならない。次章で述べるように、米国には監査のための連邦基準があり、これにより、ネカト申し立ての監査を可能にすべきである。

《9》ネカト処理の改善に関連する監査基準 

以下では、研究公正局(ORI)(または監査総監室(OIG))の監視下で行なわれる大学のネカト対応のパフォーマンスの評価およびそのプロセスの連邦政府の監査基準を検証する。

主な注目すべき点は、政府説明責任局(Government Accountability Office:GAO)の「一般に認められている政府監査基準(GAGAS)」(GAO 2011)である。イエローブックとも呼ばれるこの基準は、シルバーブック(CIGIE 2012)として知られる「政府監査総監室の品質基準(Quality Standards for Federal Offices of Inspector General)」より調査に特化した基準が根底にある。

以下省略。

ただし、この章では、フェルドハイム事件(以下)を例に調査に伴う問題点を指摘している。

ワンポイント:ノースカロライナ州立大学(North Carolina State University)・化学科の院生のググリオッティが第一著者で、「2004年のScience」論文を出版した。論文出版後、同学科に赴任したステファン・フランゼン教授(Stefan Franzen)が研究プロジェクトに参加し、「2004年のScience」論文のデータねつ造・改ざんに気がつき、大学に通知した。2008年、共著者だったフェルドハイムとイートンの2人はコロラド大学ボルダー校に移籍した。それで、ノースカロライナ州立大学とコロラド大学ボルダー校がネカト調査し、また、科学庁(NSF)からグラントを得ていたので、科学庁(NSF)が管轄した。しかし、2016年1月、ジョセフ・ネフ(Joseph Neff)記者が記事にするまでの12年間、事件は公表されなかった。「2004年のScience」論文は2016年2月5日に撤回された。また、ノースカロライナ州立大学とコロラド大学ボルダー校の調査はひどくズサン、科学庁(NSF)の対処もヘンだった。なお、ネカト処理のズサンさをチェックするシステムは現在の米国にはない。国民の損害額(推定)は10億円(大雑把)。 出典:化学:ダニエル・フェルドハイム(Daniel Feldheim)、ブルース・イートン(Bruce Eaton)、リナ・ググリオッティ(Lina Gugliotti)(米)

《10》結論 

本論文で検討したように、研究公正局(ORI)は、法律によってネカトの直接調査が制限されている。研究公正局(ORI)は、教育と調査監視にその業務が限定されている。

これでは、ネカト事件を追求する意欲が高まるはずがない。

理由の1つは、健康福祉省(HHS)・監査総監室(OIG)がすでに法執行権限を持っていたために、研究公正局(ORI)に法執行権限が付与されなかった。また、上院議員の提言で、法執行権限を持つ健康福祉省(HHS)・監査総監室(OIG)がネカト事件により深く関与するようになったこともある。

これらの問題のいくつかを解決する1つの手段は、研究公正局(ORI)の調査監査部(DIO: Division of Investigative Oversight)を健康福祉省(HHS)・監査総監室(OIG)に移すことだ。

このことで、生命科学系のネカト調査・対処は、連邦政府の監査総監基準に従うことになり、法執行権限が強化される。研究公正局(ORI)の教育部門との潜在的な利益相反は減り、議会へのアクセスも可能になる。

そうなれば、生命科学系のネカト調査・対処は、健康福祉省(HHS)・監査総監室(OIG)が対応し、科学庁(NSF)を含めた他省庁の監査総監室(OIG)が該当領域のネカト調査・対処をするのと同じ構造になる。

重要なのは、研究公正局(ORI)に調査監査部(DIO)が保持されてるかどうかの省内縄張り闘争ではなく、独立した第三者機関による監視システムが実際に適切に機能するかどうかなのだ。

なお、さらに大きな問題として、現時点では、米国のほとんどのネカト申し立て予備調査記録が保持されていないことだ。

生命科学系のネカト申し立ての約90%は本調査されずに脚下され、大学はネカト疑惑の申し立て記録を監査可能な状況で保存していない。予備調査で却下したネカト申し立ての内容を政府に報告する義務もない。

ネカト問題を適切に理解しその予防施策を設計するのに、工学、自然科学、人文社会学のネカトを含め、生命科学のネカトに関する申し立てに関するすべてのデータが保持されている必要がある。

しかし、現実は、その最初の段階でのデータが大きく欠けていた。ネカト申し立ての予備調査記録、つまり、ネカト申し立てがどのように処理され、申し立てが却下されたのかのデータの保持・監査を、直ちに実行すべきである。

ネカト調査の取り扱いを適切に行なう米国連邦監査基準は、このようなデータをもとに立案検討すべきだからである。

●5.【関連情報】

省略

●6.【白楽の感想】

《1》研究公正局は第三者調査機関ではない 

日本では、研究ネカトは米国の研究公正局のような第三者機関が調査すべきだという議論がある。

つまり、ネカト疑惑者の所属する大学が調査したら、自分の身内の調査なので、調査も処分も甘くなり、調査結果を公表しないことが多く、調査に不正が横行しているという議論だ。だから、第三者機関が調査すべきだという論旨だ。

論旨は間違っていない。ただ、本論文でも指摘しているが、米国の研究公正局は第三者調査機関ではない。

かつては白楽も、研究公正局の日本版導入を提案したが、現在は警察が調査すべきだと主張している。 → 1‐3‐2.研究ネカトは警察が捜査せよ! | 白楽の研究者倫理

米国のほとんどのネカト調査は研究者の所属する大学が行なっている。

研究公正局は大学が行なった調査を確認し、追認しているだけで、自分たちで「直接」調査をしていない。NIH所内のネカトは当該研究機関なので、NIH各研究所の担当者と協力して研究公正局が調査していると推測するが、全ネカトの1%以下という少数だろう。

《2》ネカト申し立ての却下率 

本論文の著者・ロバート・バウフヴィッツ(Robert Bauchwitz、写真出典)は、「米国の生命科学系のネカト申し立ての約90%は本調査されず、その本調査を却下した予備調査記録が保存されていない」ことを問題視している。

工学、自然科学、人文社会学のネカト申し立ても生命科学系と同じだろう。

それにしても、約90%とはとても多い。この約90%の分析、つまり、予備調査の実態分析はネカト防止策に役立つ可能性は高い(イヤ、分析してみないと、高いかどうかわからないが・・・)。

そして、日本はどうだろう。ネカト申し立ての却下率どころか、ネカト申し立ての件数さえも把握していないと思うが、どうなんでしょう、文部科学省さん?

把握しているなら、ネカトに関する、問い合わせ数、申し立て数、予備調査数、本調査数、本調査の結果のシロ・クロ・保留数を、毎年、公表してください。

規則では、「調査機関は予備調査に係る資料等を保存し、」(研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン(平成26年8月26日文部科学大臣決定))、となっているので、文部科学省は調査機関(つまり大学)に上記の件数を報告させれば、集計し公表できると思います。

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日本がスポーツ、観光、娯楽を過度に追及する現状は日本の衰退を早め、ギリシャ化を促進する。日本は、40年後に現人口の22%が減少し、今後、飛躍的な経済の発展はない。科学技術と教育を基幹にした堅実・健全で成熟した人間社会をめざすべきだ。科学技術と教育の基本は信頼である。信頼の条件は公正・誠実(integrity)である。人はズルをする。人は過ちを犯す。人は間違える。その前提で、公正・誠実(integrity)を高め維持すべきだ。
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★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

●8.【コメント】

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