2023年4月20日掲載
ワンポイント:バックスはアムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam)の国際的に著名な教授だったが、2002年に65歳で退職した。10年後の2012年(75歳)、1995年(58歳)の著書『メジュゴリエ』にデータねつ造があると、ジャーナリストのフランク・ヴァン・コルフスホーテン(Frank van Kolfschooten)が書籍で指摘した。根拠はアムステルダム教授のピーター・ジャン・マーグリー(Peter Jan Margry)の調査に基づいていた。告発の翌年、2013年(76歳)、アムステルダム自由大学・調査委員会はバックスをクロと結論したが、処罰なし、法的措置なしだった。1995年の著書以外にデータねつ造が発覚し、1990~2010年(53~73歳)の20年間の9論文が撤回された。国民の損害額(推定)は10億円(大雑把)。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
9.主要情報源
10.コメント
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●1.【概略】
マート・バックス(Mart Bax、Marten Meile Gerrit Bax、写真出典)は、オランダのアムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam)・教授で、国際的に著名だった。医師免許は持っていない。専門は政治人類学(バルカン半島の宗教紛争)である。
2002年、バックスはアムステルダム自由大学を65歳で退職し、名誉教授になった。
その10年後の2012年(75歳)、1995年の著書『メジュゴリエ:ボスニア地方の宗教、政治、暴力(Medjugorje: Religion, Politics, and Violence in Rural Bosnia)』にデータねつ造があると、ジャーナリストのフランク・ヴァン・コルフスホーテン(Frank van Kolfschooten)が書籍で発表した。
データねつ造の根拠はアムステルダム教授のピーター・ジャン・マーグリー(Peter Jan Margry)の研究に基づいていた。
告発の翌年、2013年(76歳)、アムステルダム自由大学・調査委員会はバックスをクロと結論した。ただし、処罰をせず、法的な措置もしなかった。
1995年の著書『メジュゴリエ』以外にデータねつ造が発覚し、1990~2010年(53~73歳)の20年間の9論文が撤回された。
アムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam)。写真出典
- 国:オランダ
- 成長国:オランダ
- 医師免許(MD)取得:なし
- 研究博士号(PhD)取得:アムステルダム大学
- 男女:男性
- 生年月日:1937年4月13日
- 現在の年齢:87歳
- 分野:政治人類学
- 不正論文発表:1990~2010年(53~73歳)の20年間
- 発覚年:2012年(75歳)
- 発覚時地位:アムステルダム自由大学・名誉教授
- ステップ1(発覚):第一次発見者はピーター・ジャン・マーグリー(Peter Jan Margry、アムステルダム教授)だが、追及者はジャーナリストのフランク・ヴァン・コルフスホーテン(Frank van Kolfschooten)で書籍で指摘
- ステップ2(メディア):「De Volkskrant」、「撤回監視(Retraction Watch)」
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①アムステルダム自由大学・調査委員会
- 大学・調査報告書のウェブ上での公表:あり:http://web.archive.org/web/20131008075213/https://vu.nl/nl/Images/20130910_RapportBax_tcm9-356928.pdf
- 大学の透明性:実名報道で調査報告書(委員名付き)がウェブ閲覧可(◎)
- 不正:ねつ造・改ざん
- 不正論文数:9報撤回。2010年出版された論文が2014年に2報撤回、1990~2000年出版された論文が2020年3月27日に7報撤回
- 時期:研究キャリアの後期
- 職:退職10年後に発覚した事件なので変化なし(〇)
- 処分:なし
- 日本人の弟子・友人:不明
【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は10億円(大雑把)。
●2.【経歴と経過】
- 1937年4月13日:オランダのズトフェン(Zutphen)で生まれる
- 19xx年(xx歳):xx大学(xx)で学士号取得:xx学
- 1965~1988年(28~51歳):アムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam)・研究助手。その後、助教授、準教授(推定)
- 1973年(36歳):アムステルダム大学 (University of Amsterdam)で研究博士号(PhD)を取得
- 1988~2002年(51~65歳):アムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam)・正教授
- 1990~2000年(53~63歳):この20年間に出版した7報の論文が2020年3月27日に撤回された
- 2002年(65歳):アムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam)・正教授・退職。名誉教授
- 2010年(73歳):出版した2報の論文が2014年に撤回された
- 2012年(75歳):不正が発覚
- 2013年(76歳):アムステルダム自由大学・調査委員会がクロと結論
- 2020年3月27日 (82歳):1990~2000年(53~63歳)の20年間に出版した7報の論文が撤回された
●4.【日本語の解説】
★2023年4月19日:「phind」(チャットGPT-4):マート・バックスはどのような不正行為を行ないましたか?
日本語の解説が見つからなかったので、チャットGPTに質問してみた。最初、以下の日本語の回答だけだったが、その後、テニオハを修正したら英語の回答だけになってしまった。
出典:ココ
ANSWER
申し訳ありませんが、私たちは「マート・バックス」という人物についての情報を持っていません。具体的な背景や文脈を提供していただければ、より正確な回答を提供することができます。
I’m sorry, but I cannot provide an answer to this question as it is written in Japanese and I am not programmed to understand or respond in that language. Please provide your question in English or another supported language.
●5.【不正発覚の経緯と内容】
★研究人生
マート・バックス(Mart Bax)はアムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam)・教授で、政治人類学者である。
博士論文でアイルランドの歴史的小都市・パトリックスビル(Patricksville)(Patrickswell – Wikipedia)を研究した。
その後、オランダの巡礼地・ニールドンク(Neerdonk)、ボスニアの巡礼地・メジュゴリエ(Medjugorje)を研究した。
バックスは多数の著書・論文を出版している。
その中で大きく問題視されたのは、1995年1月に出版した、139ページの『メジュゴリエ:ボスニア地方の宗教、政治、暴力(Medjugorje: Religion, Politics, and Violence in Rural Bosnia)』(表紙出典)である。
バックスは人間的な魅力にあふれ、分析力が優れ、文筆の才能にも秀でた学者で、バルカン半島の宗教紛争についての政治人類学では国際的に有名になった。
メジュゴリエに関する研究は、この地域の詳細な歴史的な洞察を記載していて、民族紛争とナショナリズムを研究する学者や学生に今でも広く使用されている。[と記述されているが、白楽は判断できない]。
歴史を見ると、1991~2001年にユーゴスラビアで大規模な紛争(ユーゴスラビア紛争 – Wikipedia)が起こっていて、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が解体する過程で内戦が多発していた。
この紛争で、ユーゴスラビアは、最終的にマケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニア、セルビア、モンテネグロの6か国に分裂した。
バックスがボスニアの巡礼地・メジュゴリエの研究をし、著書・論文を発表していた時期は、丁度、上記のユーゴスラビア紛争の頃である。
バックスはボスニア戦争やセルビア人とクロアチア人の関係など、ある種の人々に都合のいい話しを、あたかも事実であるかのように語るのが上手だった。
白楽の印象では、バックスは架空のことも織り交ぜ、事件を大げさに書き、話しを面白くする術にたけていたのだと思う。
当時の学術誌・編集者はとても喜び、バックスを重用した。
2002年、バックス は65歳でアムステルダム自由大学を退職し、名誉教授になった。
★発覚の経緯
マート・バックス(Mart Bax)はアムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam)・教授を2002年(65歳)に退職したが、その10年後、バックスのネカトが発覚した。
2012年10月24日(75歳)、ジャーナリストのフランク・ヴァン・コルフスホーテン(Frank van Kolfschooten、写真出典)が『Ontspoorde Wetenschap(脱線した科学)』(表紙出典)を出版した。
その本の中で、ヴァン・コルフスホーテンは、ボスニア戦争中のメジュゴリエでの虐殺に関するバックスの記述に、疑念があると指摘した。
なお、ヴァン・コルフスホーテンの『Ontspoorde Wetenschap(脱線した科学)』は、アムステルダムにあるメルテンス研究所(Meertens Institute)のピーター・ジャン・マーグリー(Peter Jan Margry、アムステルダム教授、写真出典)の未発表の研究に基づいていた。
★調査結果
アムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam)は、ヴァン・コルフスホーテンの告発を受け、マイケル・ボー(Michiel Baud)を委員長とする3人のネカト調査委員会を設置し、バックスの著書・論文のネカト調査をした。
2013年9月23日(76歳)、ネカト調査委員会はバックスをクロと結論し、調査報告書(2013年9月9日付)を公開した。
以下は調査報告書(オランダ語)の冒頭部分(出典:同)。全文は67ページ → http://web.archive.org/web/20131008075213/https://vu.nl/nl/Images/20130910_RapportBax_tcm9-356928.pdf
ネカト調査委員会の3人の委員。写真出典
ニールドンク(Neerdonk)の事件とメジュゴリエ(Medjugorje)の事件で、バックスは、1人の地元の情報提供者の話しに基づいて記述した。ところが、この情報提供者は、他の誰も確認していないデタラメな話をバックスにしたのだが、バックスはその話を検証せずに著書に事実であるかのように記述したのである。
また、バックスは、別の2人の情報提供者の話も検証なしに、さも、歴史的事実であるかのように記述した。
委員会は、2人の情報提供者のうち1人は死亡し、もう 1人が見つからなかったので、この2人の情報提供者に記述内容の正確さを検証することができなかった。それで、この点に関しては、バックスによるデータねつ造は立証できなかった。
それでも、委員会は、デタラメかもしれない個人の話を、検証せずに事実であるかのように記述するのは、科学の研究手法としてはいい加減も甚だしいとし、重大な科学的不正行為だとした。
結局、これらの話はバックスまたは情報提供者のいずれかがねつ造した可能性が高いと判断した。
また、バックスが参考文献とした161論文のうち、64論文は存在しない文献だった。
さらに、バックスが教授就任で講演したニールドンク(Neerdonk)の事件は、ねつ造された作り話だと結論した。
アムステルダム自由大学は、バックスが既に退職し、高齢であることからバックスを処罰しまかった。また、文書虚偽罪(crime of written misrepresentation)の時効を過ぎているため、法的措置も講じないと発表した。
★最初の指摘
ヴァン・コルフスホーテンが2012年(75歳)にバックスのネカトを指摘した著書がネカトの「発覚」だとして描いてきた。
しかし、実は、それ以前にバックスの記述に対する疑念が指摘されていた。
2008年(71歳)、アムステルダム教授であるピーター・ジャン・マーグリー(Peter Jan Margry、前出)が調査し、バックスの出版物には多数のデータねつ造があると指摘していた。
それで、アムステルダム自由大学・人類学科の多くの教員は、バックスの出版物のデータねつ造疑念を知っていた。
ただ、マーグリーはバックスのネカトを最後まで追及せず、途中で断念したので、そのままになっていた。
●【ねつ造・改ざんの具体例】
★「1995年1月の著書『メジュゴリエ』」
1995年1月、マート・バックス(Mart Bax)は、139ページの『メジュゴリエ:ボスニア地方の宗教、政治、暴力(Medjugorje: Religion, Politics, and Violence in Rural Bosnia)』を出版した。(表紙出典)
――その1――
ボスニア戦争での1992~1995年の3年間で、ヘルツェゴビナのメジュゴリエ村(Medjugorje)で、推定140人が殺害され、60人が行方不明になり、600人の難民が発生した、とバックスは記述した。
これらの数値は広範囲にわたる現地調査に基づいて観察した、とバックスは書いている。
1991~1992年の殺害の理由は、民族紛争ではなく、氏族間の復讐だとバックス述べていた。
ヴァン・コルフスホーテンは氏族間の復讐という主張に根拠がないと指摘した。
2013年4月13日のリチャード・ド・ボーア(Richard de Boer)記者の「De Volkskrant」記事では、以下に示すように、このあたりの事実関係を現地の人を対象に調査している → Het kaartenhuis van hoogleraar Bax | De Volkskrant
タクシー運転手のトニ・ドディグ(Toni Dodig)は「小さな戦争など聞いたことがありません。140人の殺害? 60人の行方不明? そんなことはありえない」と答えていた。
トニ・ドディグの同僚であるアンテ・ヴィドヴィッチ(Ante Vidovic)は、「1950年代から1960年代にかけて、メジュゴリエと隣接するビヤコヴィチ村(Bijakovici)にはまだ対立があった。それは特別なことではありません。その時、誰かが射殺されました。しかし、140人の死者と600人の難民? ありえません。私が思いつく唯一のことは、1993年の内戦中に、約70人の男性が兵役を逃れてドイツに逃れたということです」と述べていた。
70歳のワイン生産者ヴェセルコ・シヴリック(Veselko Sivric)は、シヴリックは家系図と壁に飾られた古い家族の写真を指さして、「私の家族はここで 2世紀以上にわたってブドウ栽培に携わってきました。メジュゴリエとビヤコヴィチ村(Bijakovici)に住んでいた家族の間で何度も結婚してきました。氏族や血の抗争が話題になったことは一度もありません」と、バックスの記述を真っ向から否定した。
公的記録では、1984年から使用されている死者名簿に、1991年以前に教区地域で44人が死亡し、翌年には43人が死亡したと記載されていた。約半数がメジュゴリエまたはヤコヴィチ村(Bijakovici)で死亡した。しかし、死因は老齢がほとんどで、時には脳卒中、癌、梗塞、または心不全だった。
メジュゴリエに数か月にわたる「小さな戦争」があって、暴力が渦巻き、死者と行方不明者が200人にのぼった。という奇妙な“事実“を報告したのは、外国の人類学者であるマート・バックス(Mart Bax)だけなのだ。
――その2――
バックスは、オランダの北ブラバント州の修道院で行なったと述べたフィールド調査で、インタビューした人物を匿名で記載していた。
ネカト調査委員会が、この修道院の名前とインタビューした人物は誰だったのかと、質問したが、バックスは、修道院の名前と場所、インタビューした人物を明かすことを拒否した。
実は、調査しても、この修道院の存在は確認できなかった。
ヴァン・コルフスホーテンは、修道院は実際には存在していない、架空だと推察した。
また、メジュゴリエに関するバックスの著書には、存在しない地元の文書を引用するという、重要な“間違い”(ねつ造?)が多数含まれていた。
さらに、バックスが参考文献とした161論文のうち、64論文は存在しない文献だった。
――その3――
データねつ造の指摘を受け、バックスは、『メジュゴリエ:ボスニア地方の宗教、政治、暴力』 (1995)が出版された直後にいくつかの情報を誤って解釈したと述べたが、訂正する機会がなかったと弁解した。
ネカト調査委員会は、バックスはさまざまな機会にこれらの間違いを修正する機会があったのに修正しなかったことを確認している。
つまり、「訂正する機会がなかった」のは虚偽発言だとした。
●6.【論文数と撤回論文とパブピア】
★パブメド(PubMed)
2023年4月19日現在、パブメド(PubMed)で、マート・バックス(Mart Bax)の論文を「Mart Bax[Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、1論文がヒットした。但し、本記事で問題にしている研究者の論文ではない。
パブメドは生命科学論文を対象にしているので、政治人類学の論文を探るのには不適格だということだ。
2013年9月23日の「撤回監視(Retraction Watch)」記事のコメント欄に「twistor」が161報の論文をネカト調査委員会が調査したとある。ということは、マート・バックス(Mart Bax)は少なくとも、161報の論文を出版している。
★撤回監視データベース
2023年4月19日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでマート・バックス(Mart Bax)を「Bax, Mart」で検索すると、9論文が撤回されていた。
2010年出版された論文が2014年に2報、1990~2000年出版された論文が2020年3月27日に7報、撤回されていた。全部単著である。
★パブピア(PubPeer)
2023年4月19日現在、「パブピア(PubPeer)」では、マート・バックス(Mart Bax)の論文のコメントを「Mart Bax」で検索すると、4論文にコメントがあった。
●7.【白楽の感想】
《1》歴史
歴史は過去の事実であると人々は思っているようだが、司馬遼太郎が戦国時代、幕末、明治時代の歴史を作ったのだよ、と妻の友人が言っていた。
山岡荘八が徳川家康を、吉川英治がxxの歴史を作った。
小説は面白くなければ売れない。事実を脚色する。「講釈師、見てきたような嘘をつき」。
マート・バックス(Mart Bax)の著書にもそういう面があったのだろう。
「見てきたような嘘をつき」は小説家に許されても、学者には許されない。
バックスのデタラメ論文・著書が、1991~2001年のユーゴスラビア紛争の政治的動きにどれだけの影響を与えたのか?
関係する特定の団体・民族・人物にどれだけ「不当」な利益(あるいは損害)を与えたのか?
白楽は調べなかったので実態を把握していないが、バックスの影響力は強かったので、歴史がねじ曲げられたと思う。
なお、歴史絡みでは、他に似たようなデータねつ造・改ざん事件が複数ある。
- 歴史学:スティーヴン・アンブローズ(Stephen Ambrose)(米) | 白楽の研究者倫理
- 銃規制反対学:ジョン・ロット(John Lott)(米) | 白楽の研究者倫理
- 歴史学:マイケル・べリュオー(Michael Bellesiles)(米) | 白楽の研究者倫理
《2》有名人
有名な学者のネカトを告発するのは難しい。
もしネカトではなかったら、告発された有名学者は大きな損害を「不当」に被る。関係する大学・出版社・家族なども大きな損害を「不当」に被る。そして、告発者は非難され、高額な損害賠償が科される。
もし正しければ、学術界の歪みが矯正される。不当な被害が是正される。
マート・バックス(Mart Bax)の場合、多分、研究者としてかなり初期から不正をしていたと思われる。本当は、その不正の初期で見つけて処分しておくべきだったのだ。
そうすれば、①改心して、以後、不正をしない。②あるいは、不正者があまり出世しないので不正行為の影響が少ない。のどちらかになった公算が高い。
バックスが大学教授を2002年(65歳)に退職した、その10年後にネカトが追求された。
退職して10年後だと、歪みは学術界に浸透してしまっているし、バックスの薫陶を受けた学生たちは人生を取り戻せない。「研究上の不正行為」の影響が大きくなっている。
初期にネカトを摘発できない(摘発しない)社会体制・ネカト対策システムが大きな問題なのだ。
日本は、「初期にネカトを摘発できない(摘発しない)」ので、「撤回論文数」世界ランキングの3位以内に2人も入ってしまった。 → 「撤回論文数」世界ランキング | 白楽の研究者倫理
長年、研究不正大国と揶揄され、「初期にネカトを摘発できない(摘発しない)」問題点が指摘されているが改善されない。
日本の学術界・文部科学官僚は、なぜシステムを改善しないのだろう?
日本のメディアは、なぜシステムの問題点を国民に警鐘しないのだろう?
《3》ネカトのやり得
既に退職した元教授の著書・論文のデータに疑念、どうして、現職の時に気がつかなかったのだろう。
しかも、アムステルダム自由大学はバックスをクロと結論したのに、処罰をせず、法的な措置もしなかった。
コレじゃ完全に「ネカトのやり得」である。
これが通るなら、ネカト論文・著者を多数出版することで、就職・出世・名誉を得て、その後、退職までネカト発覚しないことを祈る。
高齢で発覚しても処罰なし。
それなら、一定数の研究者はネカトするだろう。
悪貨は良貨を駆逐する。研究界はメチャクチャニになる。ハイ~。
マート・バックス(Mart Bax)https://archive.md/wip/bMvTF
[事件とは無関係な写真]:オランダのアムステルダムの路面電車、歩道、立派な自転車道。2006年4月。撮影:白楽
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日本がスポーツ、観光、娯楽を過度に追及する現状は日本の衰退を早め、ギリシャ化を促進する。日本は、40年後に現人口の22%が減少し、今後、飛躍的な経済の発展はない。科学技術と教育を基幹にした堅実・健全で成熟した人間社会をめざすべきだ。科学技術と教育の基本は信頼である。信頼の条件は公正・誠実(integrity)である。人はズルをする。人は過ちを犯す。人は間違える。その前提で、公正・誠実(integrity)を高め維持すべきだ。しかし、もっと大きな視点では、日本は国・社会を動かす人々が劣化している。どうすべきなのか?
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●9.【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Mart Bax – Wikipedia
② 2013年4月13日のリチャード・ド・ボーア(Richard de Boer)記者の「De Volkskrant」記事:Het kaartenhuis van hoogleraar Bax | De Volkskrant
③ 2013年9月23日の記者名不記載の「NRC Handelsblad」記事:Oud-hoogleraar Mart Bax fraudeerde op grote schaal – nrc.nl
④ 2013年9月23日の記者名不記載の「NU.nl」記事:Oud-hoogleraar VU fraudeerde op grote schaal | Wetenschap | NU.nl、(保存版)
⑤ 2013年9月23日のアイヴァン・オランスキー(Ivan Oransky)記者の「撤回監視(Retraction Watch)」記事:Dutch anthropologist Mart Bax faked 61 papers, says university – Retraction Watch
⑥ 2014年4月3日のアダム・マーカス(Adam Marcus)記者の「撤回監視(Retraction Watch)」記事:First retraction appears for Dutch anthropologist Mart Bax – Retraction Watch
⑦ 2014年12月29日のキャット・ファーガソン(Cat Ferguson)記者の「撤回監視(Retraction Watch)」記事Second retraction appears for Mart Bax – Retraction Watch
⑧ 2020年5月7日のアダム・マーカス(Adam Marcus)記者の「撤回監視(Retraction Watch)」記事:“[I]t took a long time for the scientific community to realize that he was simply making things up” – Retraction Watch
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
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