2019年4月15日掲載。
ワンポイント:トロント大学(University of Toronto)・動物学科の教授。32年前の1987年(46歳?)、元・院生のマイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)に研究成果の盗用を訴えられた。大学は盗用なしと結論した。1994年、ピシュノフは裁判所にも訴えたがその時、日本人の増井禎夫・教授(Yoshio Masui)も被告とした。2019年現在も、ピシュノフはラーセン教授(78歳?)の盗用を訴え、トロント大学とカナダ政府の不当な扱いを糾弾している。国民の損害額(推定)は5億円(大雑把)。
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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
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●1.【概略】
エレン・ラーセン(Ellen Larsen、旧Ellen Rapport、写真出典)は、カナダのトロント大学(University of Toronto)・細胞システム生物学科(Department of Cell & Systems Biology)・名誉教授で医師ではない。現在は院生・ポスドクを受け入れていない。事件当時、細胞システム生物学科は動物学科(Department of Zoology)だった。専門は発生遺伝学(ショウジョウバエの形態形成)だった。
ラーセン事件は、ある意味特殊な事件である。被盗用を訴えたのはラーセン研究室の院生だったマイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)で、現在入手できる事件記録のほとんどは、ピシュノフが書いたものに基づいている。従って、どこまで事実なのか、疑わしい面がある。つまり、当時の新聞記事や大学の文書は、当時もなかったのかどうか不明だが、2019年4月14日現在、ほとんどない。
それで、本記事もピシュノフが書いたものに基づいて進めるが、ピシュノフの文章にはラーセン教授やトロント大学への強い恨みや怨念が感じられる。記述の一部は過大だろうと思われる。
1987年(46歳?)、ラーセン研究室の院生だったマイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)が、「ラーセン教授が彼の研究成果を盗用した。また、博士号取得を妨害し、大学から追いだした」、とラーセン教授の不正を大学に訴えた。
トロント大学は2つの調査委員会を設置した。
1994年頃(53歳?)、トロント大学の2つの調査委員会は、ラーセン教授は「盗用していなかった。データを復旧しただけだ」、と結論した。
1994年(53歳?)、ピシュノフは、トロント大学の調査委員会の結論に不満で、オンタリオ州裁判所に訴えた。
なお、ラーセン教授の同僚に京都大学理学部生物学科を卒業した日本人の増井禎夫 (Yoshio Masui)(1931年1月1日生まれ、1969 -1997年、トロント大学・動物学科の準教授・教授)がいた。1997年に名誉教授になり、現在、88歳である。ピシュノフは、増井禎夫もラーセン教授と一緒に訴えた。
1995年6月29日(54歳?)、しかし、オンタリオ州裁判所はトロント大学の調査委員会の結論で十分と考え、ピシュノフの訴えを却下した。
2018年2月22日(77歳?)、ピシュノフは、カナダの科学スポーツ省のカースティ・ダンカン大臣(Kirsty Duncan)に、30年前の盗用事件の解明を訴えた。
2019年4月14日現在(78歳?)、ピシュノフは、ラーセン教授の盗用を訴え、トロント大学とカナダ政府の不当な扱いを糾弾している。
トロント大学(University of Toronto)・細胞システム生物学(Department of Cell & Systems Biology)。25 Willcocks St. Toronto, On, Canada M5S 3B2。写真出典
- 国:米国
- 成長国:カナダ
- 医師免許(MD)取得:なし
- 研究博士号(PhD)取得:米国のミシガン大学
- 男女:女性
- 生年月日:不明。仮に1941年1月1日生まれとする。1963年にミシガン大学を卒業した時を22歳とした
- 現在の年齢:83 歳?
- 分野:発生遺伝学
- 最初の不正論文発表:1987年(46歳?)
- 不正論文発表:1987年(46歳?)
- 発覚年:1987年(46歳?)
- 発覚時地位:トロント大学・教授
- ステップ1(発覚):第一次追及者は元・院生のマイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)
- ステップ2(メディア):
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①トロント大学・調査委員会。2つ。②オンタリオ州裁判所。③カナダ自然科学・工学研究機構(NSERC:Natural Sciences and Engineering Research Council of Canada)
- 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
- 大学の透明性:発表なし(✖)
- 不正:盗用、無罪
- 不正論文数:3報
- 時期:研究キャリアの中期
- 職:事件後に研究職(または発覚時の地位)を続けた(〇)
- 日本人の友人:増井禎夫(Yoshio Masui)(トロント大学・動物学科・名誉教授)
【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は5億円(大雑把)。
●2.【経歴と経過】
- 生年月日:不明。仮に1941年1月1日生まれとする。1963年にミシガン大学を卒業した時を22歳とした
- 1963年(22歳?):米国のミシガン大学(University of Michigan)で学士号取得
- 1969年(28歳?):同大学で研究博士号(PhD)を取得
- 19xx年(xx歳):カナダのトロント大学(University of Toronto)・教授
- 1987年(46歳?):元・院生のマイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)に研究成果の盗用を訴えられた
- xxxx年(xx歳):トロント大学(University of Toronto)・名誉教授
●5.【不正発覚の経緯と内容】
★マイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)
マイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov、写真出典)はロシア人で、ロシア(当時、ソ連)からイスラエルに移住し、イスラエルの大学を卒業後、カナダのトロント大学の大学院に入学した。
1981年(40歳?)、ピシュノフはトロント大学・動物学科(Department of Zoology)の大学院に入学し、エレン・ラーセン教授(Ellen Larsen)の研究室で博士課程の研究を始めた。研究テーマはショウジョウバエの器官形成の発生遺伝学だった。
1985年10月18日(44歳?)、トロント大学はピシュノフに1986年に博士論文を仕上げるようにと警告した。同時に、ラーセン教授は、ピシュノフが博士号授与レベルの研究成果を挙げられないのではないかと心配しているとトロント大学に伝えていた。
1986年1月(45歳?)、大学から警告を受けた3か月後、ピシュノフは依然として博士号授与レベルの研究成果を挙げていなかった。大学院教育アドバイス委員会は、ピシュノフの奨学金が切れる1986年4月まで待つので、それまでに博士号授与レベルの研究成果を挙げるように再度、警告した。
1986年4月(45歳?)、奨学金が切れ、ピシュノフは秋学期の登録をせず、トロント大学・大学院を退学した。
1986年(45歳?)、しかし、ピシュノフの記述によると、十分優れた研究成果を挙げたのだが、ピシュノフが5年間大学院で研究したその成果をラーセン教授と他の3人に盗まれ、博士号を取得できずに大学を去る羽目なった、とある。
そして、ピシュノフの記述によると、ピシュノフが研究室を去った後、ラーセン教授はピシュノフを著者に加えずピシュノフの研究成果を3報の論文に発表した。
ピシュノフが証拠として挙げている一例は、以下の盗用だ。左がラーセン教授と共著の1987年の学会要旨(後でラーセン教授が撤回)で、右はラーセン教授とAaron Zornの学会要旨である。よく似たタイトルと内容である。右ではピシュノフの名前は著者欄にはなく、謝辞欄に記入されている。
1987年(46歳?)、ピシュノフは、トロント大学・動物学科にラーセン教授の盗用を訴えた。
ピシュノフは、ロバート・プリチャード学長(Robert Prichard、在位1990- 2000年)にも訴えた。
それで、1993年12月9日、ラーセン教授はシャーウィン・デッサー学科長(Sherwin S. Desser)に手紙を書いて、1)盗用、2)著作権、3)ピシュノフの大学院修了、の3点を説明している。白楽は情報が少なすぎるので曖昧にしか理解できないが、なんとなく、ラーセン教授の説明が正しいように思える。以下の手紙の出典。
トロント大学は2つの調査委員会を設置した。
2つの調査委員会とも、ラーセン教授は「盗用していなかった。データを復旧しただけだ」、と結論した。
★1994年:裁判
1994年(53歳?)、ピシュノフは、トロント大学の調査委員会の結論に不満で、オンタリオ州裁判所に訴えた。
被告はラーセン教授だけでなく、ジョアン・ライ=フック教授(Joan Lai-Fook)、日本人の増井禎夫・教授(Yoshio Masui)、それにトロント大学執行部である。なんで増井禎夫・教授が訴えられたのか分からないが、当時、学科長だったのかもしれない。
1995年6月29日(54歳?)、しかし、オンタリオ州裁判所はトロント大学の調査委員会の結論で十分と考え、ピシュノフの訴えを却下した。
以下の文書をクリックすると、htmファイル(7ページ)が別窓で開く。
★2019年現在
1987年の学会要旨(後でラーセン教授が撤回)の盗用で、トロント大学・調査委員会は盗用を否定し、オンタリオ州裁判所も同調した。
ピシュノフは、その事件を、現在も引きずっている。ラーセン教授やトロント大学への強い恨みや怨念が感じられる。
2019年4月14日現在も閲覧できる複数のブログにラーセン教授の盗用を訴え、トロント大学とカナダ政府の不当な扱いを糾弾している。
→ Scientist in Canada
→ University of Toronto Fraud
→ Main | University of Toronto Fraud
そこにピシュノフは、「その後22年間、私は無職だった。家族は悲惨な状況になり、破壊されてしまった」と書いている。
2018年2月22日、ピシュノフは、カナダの科学スポーツ省のカースティ・ダンカン大臣(Kirsty Duncan)にも30年前の盗用事件の解明を訴えている。
→ キャンペーン · The Honourable Kirsty Duncan, Minister of Science: Fraud in Canadian Science Administration · Change.org
白楽が思うに、ピシュノフの著作権は侵害された可能性はあるが、30年以上も経った現在、実証するのは非常に困難である。
●6.【論文数と撤回論文とパブピア】
2019年4月14日現在、パブメド(PubMed)で、エレン・ラーセン(Ellen Larsen)の論文を「Ellen Larsen [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、2002~2018年の17年間の11論文がヒットした。
「Larsen E[Author]」で検索すると、1916~2019年の104年間の777論文がヒットした。本記事で問題にしている研究者の論文ではない論文が多いと思われる。
所属をトロント大学に絞った「(Larsen E[Author]) AND University of Toronto[Affiliation] 」で検索すると、1988~2019年の32年間の26論文がヒットした。マイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)との共著論文はなかった。
2019年4月14日現在、「Larsen E[Author] AND Retracted」でパブメドの論文撤回リストを検索すると、1論文が撤回されていた。但し、所属がウィスコンシン大学なので、別人と思われる。
- CDP-choline significantly restores phosphatidylcholine levels by differentially affecting phospholipase A2 and CTP: phosphocholine cytidylyltransferase after stroke.
Adibhatla RM, Hatcher JF, Larsen EC, Chen X, Sun D, Tsao FH.
J Biol Chem. 2006 Mar 10;281(10):6718-25. Epub 2005 Dec 27. Retraction in: J Biol Chem. 2013 Mar 15;288(11):7549.
また、マイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)の論文を「Michael Pyshnov [Author]」で検索した。この検索方法だと、2002年以降の論文がヒットするが、0論文がヒットした。
「Pyshnov M[Author]」で検索すると、1977~1980年の4年間の3論文がヒットした。3論文の内2論文の所属はイスラエルの大学だった。1論文はカナダのトロントである。
★撤回論文データベース
省略。
★パブピア(PubPeer)
省略。
●7.【白楽の感想】
《1》コミュニケーションが破綻
研究成果の盗用だとマイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)が主張しているラーセン教授の盗用は、盗用したとするラーセン教授の学会要旨は完全論文として出版されていない。学会要旨のレベルで、盗用と騒ぐのは、どうなんだろう? 大げさすぎる気がする。
ラーセン教授の説明ではピシュノフと共著の学会要旨は内容に不備があり撤回した。そして、再び実験をしなおして、Aaron Zornと共著で学会要旨として出版した。実験をしなおしたので、タイトルも内容もよく似てしまった。
一般論を言えば、ラーセン教授はピシュノフに学会要旨の不備な点、別の院生と実験をし直すことを説明すべきだった。実は、説明したのかもしれないが記述にない。
ただ、白楽の経験では、教員と院生のコミュニケーションが破綻すると、院生はデータを持ってこないどころか、不登校になり、共同研究は破綻する。院生は反抗的になり、破滅的な行動をとることが多い。ラーセン教授とピシュノフの関係もそうなったに違いない。となると、学会要旨の締切日があるので、十分説明できずにAaron Zornとの共著の学会要旨をラーセン教授は提出したのだろう。
《2》解明
指導教員に研究成果が盗まれたと訴える院生の事件は珍しくない。
しかし、この時、盗用かどうかの解明は難しい。事実よりも、《1》で述べた人間関係が根本にあり、誠実な調査が難しい。
なお、32年前の1987年のラーセン事件のウェブ上の情報のほとんどは、マイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)が書いたものに基づいている。当時の新聞記事は見つからず、大学の文書は公表されたのかどうか不明だが、2019年4月14日現在、ほとんど見当たらない。
事実を伝えるには、新聞記事や大学の文書をウェブ上にズット保存しておくことがとても重要に思える。
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●8.【主要情報源】
① 「Famous Plagiarists.com」の「エレン・ラーセン(Ellen Larsen)」記事:Famous Plagiarists.com © WarOnPlagiarism.org– Science and Medicine Profiles
② 2017年(?)のマイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)のブログ記事:University of Toronto Fraud、(保存版)
③ 2008年(?)のマイケル・ピシュノフ(Michael Pyshnov)の論文撤回要請記事: Correspondence with Dr. Patrick D. Reynolds 、(保存版)
④ 2007年7月19日のブログ記事:Bullying of Academics in Higher Education: Professor Ellen Larsen…、(保存版)
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
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