2021年10月7日掲載
10月初旬はノーベル賞発表の季節です。ノーベル賞受賞者(含・予想)事件シリーズの3件目です。本日、ノーベル文学賞の発表です。
ワンポイント:ウォルコットはボストン大学・教授で、1992年(62歳)、ノーベル文学賞を受賞した。1981年(51歳)、客員教授を勤めていたハーバード大学で、学部1年生の女性(匿名)にセクハラをした。また、ノーベル賞を受賞4年後の1996年(66歳)、ボストン大学の女性学部生にもセクハラと性的暴行をした。2回とも、解雇レベルの処分はなかった。2017年3月17日、87歳で没。国民の損害額(推定)は20億円(大雑把)。
ーーーーーーー
目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
8.主要情報源
9.コメント
ーーーーーーー
●1.【概略】
デレック・ウォルコット(デレク・ウォルコット、Derek Walcott、写真 By Bert Nienhuis – File of the Werkgroep Caraibische Letteren, The Netherlands, CC BY-SA 3.0, 出典)は、カリブ海のセントルシア(Saint Lucia)で生まれ育ち、18歳で詩作を始め、米国のボストン大学(Boston University)・教授となった。2017年3月17日、87歳で没。専門は文学(詩や戯曲)だった。
ウォルコットは、1992年(62歳)、ノーベル文学賞を受賞した。受賞理由は「偉大なる明るさ、歴史的な視野に支えられた、多文化融合の産物たる詩的創作に対して」(デレック・ウォルコット – Wikipedia)である。
ノーベル賞受賞者なので、書籍、詩や戯曲、写真、動画はたくさんある。本記事では性不正問題に焦点を絞って記述する。
1981年(51歳)、ウォルコットはボストン大学・教授だったが、客員教授としてハーバード大学で授業を受け持っていた。そこで、学部1年生の女性(匿名)にセックスを誘ったが断られた。その腹いせに、その学生に落第点をつけた。
1982年(52歳)、学生はセクハラを受けたとハーバード大学に告発した。
ハーバード大学は調査し、事実を認め、ウォルコットを叱責(懲戒処分)した。また、ボストン大学(彼の常勤の雇用主)にセクハラの事実を知らせた。そして、被害学生に謝罪の手紙を書くことを要求した。
それから14年後の1996年(66歳)、ウォルコットは、今度は、ボストン大学の女性学部生のニコール・ニエミ(Nicole Niemi)にセクハラと「不快な性的身体的接触」(つまり、性的暴行)を受けたと大学に訴えられた。
白楽は、この時のボストン大学の対処はよくわからない。ただ、ウォルコットを解雇していない。
2007年(77歳)、ウォルコットは、ボストン大学を退職した。
2017年3月17日、ウォルコットは 87歳で没。
ボストン大学(Boston University)。写真出典
- 国:米国
- 成長国:ジャマイカ、トリニダード・トバゴ
- 研究博士号(PhD)取得:なし
- 男女:男性
- 生年月日:1930年1月23日。英連邦王国のカリブ海のセントルシア(Saint Lucia)で生まれた
- 現在の年齢:94歳
- 分野:文学
- セクハラ行為:1981年(51歳)と1996年(66歳)の2回
- 最初に訴えられた:1982年(52歳)
- 社会に公表年:1982年(52歳)
- 社会に公表時地位:ボストン大学・教授
- ステップ1(発覚):第一次追及者は被害者のハーバード大学の学部2年生(女性、匿名)でハーバード大学に公益通報
- ステップ2(メディア):「Harvard Crimson」。多数の追従メディア
- ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①ハーバード大学・調査委員会、②ボストン大学は調査したのかどうか不明
- 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし
- 大学・処分のウェブ上での公表:なし
- 大学の透明性:大学はウェブ公表なし(含・調査時点で削除されている)(✖)。
- 不正:セクハラ、性的暴行
- 被害者数:2人の女性学部生
- 時期:研究キャリアの後期
- 職:研究職(または発覚時の地位)を続けた(〇)
- 処分:叱責(懲戒処分)。加害学生に謝罪の手紙
- 日本人の弟子・友人:不明
【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は20億円(大雑把)。
●2.【経歴と経過】
- 生年月日:1930年1月23日。英連邦王国のカリブ海のセントルシア(Saint Lucia)で生まれた
- 1953年(23歳):ジャマイカの西インド諸島大学(University of the West Indies)で学士号取得:化学
- xxxx年(xx歳):詩作。演劇
- 1981年(51歳):ボストン大学(Boston University)・教授
- 1982年(52歳):ハーバード大学の学部生にセクハラと訴えられた
- 1992年(62歳):ノーベル文学賞・受賞
- 1996年(66歳):ボストン大学の学部生にセクハラ・性的暴行と訴えられた
- 2007年(77歳):ボストン大学・退職
- 2017年3月17日(87歳):死亡
●3.【動画】
【動画1】
セクハラ事件の動画ではない。2010年11月23日の対談動画:「Nobel Laureate Derek Walcott on his life and work – YouTube」(英語)50分04秒。
TVO Docsが2011/01/29に公開
●4.【日本語の解説】
★2017年3月18日:朝日新聞デジタル:デレク・ウォルコットさん死去 詩人・ノーベル文学賞
デレク・ウォルコットさん(詩人、劇作家)が17日、カリブ海のセントルシアの自宅で死去、87歳。1992年にノーベル文学賞を受賞した。
★2019年07月17日:Dea-rimas <デア・リマス>:デレック・ウォルコット
大学講師時代に学生から2度セクハラで訴えられておりまして、それによりオックスフォード大学詩学教授の立候補を取り下げたことがあるようです。
●5.【性不正発覚の経緯と内容】
★デレック・ウォルコット(Derek Walcott)の人生
デレック・ウォルコット(Derek Walcott、写真出典)は1992年(62歳)にノーベル文学賞を受賞した。
主な活動は詩や戯曲の創作である。
受賞理由は「偉大なる明るさ、歴史的な視野に支えられた、多文化融合の産物たる詩的創作に対して」(デレック・ウォルコット – Wikipedia)である。
カリブ海のセントルシア(Saint Lucia)で生まれ育ち、18歳で詩作を始めた。
研究博士号(PhD)は取得していないし、研究者ではないが、米国のボストン大学(Boston University)・教授となった。
私生活では以下のように、3度結婚し、3度離婚した。
1954年(24歳)、ウォルコットは秘書のフェイ・モストン(Fay Moston)と結婚した。息子は、後に、画家になった。結婚から5年後の1959年(29歳)に離婚した。
1962年(32歳)、マーガレット・メイラード(Margaret Maillard)と2度目の結婚をした。2人の娘が生まれ、1人は作家で大学教授になった。結婚から14年後の 1976年(46歳)に離婚した。
1976年(46歳)、ウォルコットは女優のノーライン・メティビエ(Norline Metivier)と3度目の結婚をした。結婚から17年後の 1993年(63歳)に離婚した。
その後、元アートギャラリーの所有者であるシグリッド・ナマ(Sigrid Nama)と一緒に暮らした。
性不正行為と家庭生活(社会に認められた性的パートナーがいる)の関係は、白楽は、把握できていないが、1981年の性不正事件を起こした時、3度目の結婚をした5年後で性的パートナーはいた。
ウォルコットは、世界中の国々に旅行した。住所は、ニューヨーク、ボストン、セントルシアを行ったり来たりした。
★セクハラ事件概略
1982年(52歳)、ハーバード大学の文理学部2年生の女性(匿名)がボストン大学・教授のウォルコットからトセクハラを受けたとハーバード大学に告発した。
ウォルコットはハーバード大学の客員教授として、その学生の詩学を指導していたが、学生にセックスしようと何度も誘った。学生はその性的誘いを何度も断った。
その結果、仕返しに、学生は、ウォルコットから、成績Cを付けられた。成績Cを付けられたのはクラスで彼女1人だけだった。
成績Cは日本の「不可」に相当し、単位が取れない。
学生は、ハーバード大学の学部長補佐に相談した。
ハーバード大学は調査し、セクハラの事実を確認し、ウォルコットを懲戒処分(reprimand)し、彼女の成績を「合格」に変えた。
この事件を契機に、ハーバード大学は性不正規則を初めて制定した。
このセクハラ事件は、当時、「被害者なき犯罪」と言われたが、「被害者なき犯罪」ではない。ハーバード大学で詩の勉強をしようと入学した若い女性を苦しめ混乱させた罪は大きい。
そして、その14年後、ウォルコットはセクハラ事件を再度起こしている。
1996年(66歳)、ボストン大学の女性学部生のニコール・ニエミ(Nicole Niemi)は、ウォルコットからセクハラと「不快な性的身体的接触」(つまり、性的暴行)を受けたと大学に訴えた。
セクハラの具体的言動は、ウォルコット教授が、「一緒に寝ない限り、彼女の演劇の制作をやめる」とニエミを脅したのだ。
この事件は、ウォルコットのノーベル文学賞受賞の4年後のセクハラ行為である。
この時のボストン大学の対応を白楽は把握できなかった。
しかし、ウォルコットはボストン大学を解雇されていないし、辞職もしていない。
ウォルコットはセクハラ被害学生と和解したので、ボストン大学は何も調査・処分しなかったようだ。
★後日談
2009年(77歳)、ウォルコットは英国のオックスフォード大学の詩学教授の有力候補者になった。
ところが、1981年と1996年のセクハラ行為があったと、匿名のメールが、多くのオックスフォード大学・教授とジャーナリストに送られた。
ウォルコットは立候補を取り下げた。
そして、同じく有力候補だったルース・パデル(Ruth Padel、写真出典)がオックスフォード大学の詩学教授に選出された。
パデルはオックスフォードの詩学教授に選出された最初の女性だった。
その数日後、英国の新聞・デイリー・テレグラフは、パデルが匿名の通報者だったと暴露した。
メディアはパデルを厳しく批判した。学術界もパデルを厳しく批判した。パデルは就任9日後に辞任した。
このパデル事件では、ジェンダーの議論、メディアへの批判も起こった。パデル非難は不当だと批判し、パデルの辞任を残念だと表明した人たちも多くいた。
●【セクハラの具体例】
★ハーバード大学の学部1年生女性:1981年(51歳)
1981年9月、ハーバード大学の文理学部1年生(匿名、女性)は、ハーバード大学・客員教授のデレック・ウォルコット(Derek Walcott)の指導を受けていた。
詩の議論をしていた時、ウォルコットが突然、詩の議論をしたくないと言い、セックスについての話を始めた。そして、「私とセックスしませんか(”Would you make love with me if I asked you? “)」とセックスを誘った。
彼女はその誘いを「いいえ、とんでもありません(“No. No way”)」と断った。
「あなたは結婚しています。 あなたはあなたの妻を愛していないのですか?(“You’re married. Don’t you love your wife?”)」と学生は非難した。
3回目の結婚をしていたウォルコットは、「愛と欲望は何の関係もない」と答え、学生に「その気になりました?」と尋ねたが、彼女は重ねて「ノー」と答えた。
学生はアドバイザーに相談した。
すると、アドバイザーは「2度と性的誘惑をしないでください」というメモを書いてウォルコットに渡すよう学生に指示した。 学生はアドバイザーの指示通りに行動した。
その後、ウォルコットのその学生への言動を変えた。
被害学生は、ハーバード大学の学部長補佐であるマーリン・ルイス(Marlyn Lewis)への手紙で、これらの出来事について書いている。
なお、ルイスは、性的な魅力のある女性はそれなりの振る舞いをする責任があると、学生に優しく説教した。
ウォルコットは、学生に詩や戯曲を指導する議論の中で、「性的関係の出来事」について頻繁にその女性学生と話し合っていた。「性的関係の出来事」を話題にした最初の兆候で、そのような話を「歓迎」しなことを伝えるべきだったと、ルイスは、女性学生に注意した。
つまり、当時の重要な教訓の1つは、教授によるセクハラはしばしば女性側の落ち度のせいにされたということだ。
もう1つの教訓は、教授はわずかなペナルティでセクハラ行為の告発を回避できたということだ。
ウォルコットはハーバード大学から正式な叱責(懲戒処分)を受け、ボストン大学(彼の常勤の雇用主)にセクハラの事実を知らされた。そして、被害学生に謝罪の手紙を書くことを要求された。
しかし、ペナルティはそれでおしまいだった。
当時は、停職にもならないし、辞職や、解雇を迫られなかった。
★ニコール・ニエミ(Nicole Niemi):1996年(66歳)
1996年(66歳)、ボストン大学の文章創作学のクラスを受講していた女性学部生のニコール・ニエミ(Nicole Niemi)は、ウォルコットからセクハラと「不快な性的身体的接触」(つまり、性的暴行)を受けたと大学に訴えた。
ウォルコットは「一緒に寝ない限り、彼女の演劇の制作をやめる」とニエミを脅したのだ。
なお、この時のボストン大学の対応を白楽は把握できなかった。
●6.【論文数と撤回論文とパブピア】
省略
●7.【白楽の感想】
《1》不可解
デレック・ウォルコット(Derek Walcott、絵出典)の性不正行為は、1982年(52歳)と1996年(66歳)の2件しか事件として扱われていない。そして、大学からは処罰らしい処罰を受けていない。
その14年間、そして、その前後、もっと、たくさんの性不正行為をしていたと思える。
処罰らしい処罰を受けていないので、性不正行為を止めたハズがない。
1996年(66歳)のセクハラ・性的暴行は、ノーベル賞を受賞してから4年後である。ノーベル賞受賞者のセクハラ・性的暴行である。
メディアはそれなりに報道している。でも、大きなスキャンダルになっていない。どうしてなんだろう?
ノーベル賞受賞者は上級国民で別格なんだろうか?
気に入りません。
なお、この事件を以下に加えた。
「●白楽の卓見・浅見3【ノーベル賞受賞者の不祥事は多いと思うべし】」にまとめている。
ーーーーーーー
日本がスポーツ、観光、娯楽を過度に追及する現状は日本の衰退を早め、ギリシャ化を促進する。日本は、40年後に現人口の22%が減少し、今後、飛躍的な経済の発展はない。科学技術と教育を基幹にした堅実・健全で成熟した人間社会をめざすべきだ。科学技術と教育の基本は信頼である。信頼の条件は公正・誠実(integrity)である。人はズルをする。人は過ちを犯す。人は間違える。その前提で、公正・誠実(integrity)を高め維持すべきだ。
ーーーーーー
ブログランキング参加しています。
1日1回、押してネ。↓
ーーーーーー
●8.【主要情報源】
① ウィキペディア英語版:Derek Walcott – Wikipedia
② 1982年6月8日のアダム・コーエン(Adam Cohen)記者の「Harvard Crimson」記事:Professor ‘Admonished’ For Harassment Incident | News | The Harvard Crimson
③ 2007年6月4日のアンジェラ・サン(Angela A. Sun)記者の「Harvard Crimson」記事:Poet Accused of Harassment | News | The Harvard Crimson
④ 2017年3月21日のアダム・コーエン(Adam Cohen)記者の「New York Times」記事:Opinion | Derek Walcott’s Acts of Sexual Harassment – The New York Times
⑤ 2018年3月15日のアリエル・サラマンディ(Ariel Saramandi)記者の「Electric Literature」記事:We Need to Talk About Derek Walcott’s Sexual Harassment Scandal – Electric Literature
⑥ 〇2017年3月23日のジョナサン・ジマーマン(Jonathan Zimmerman)記者の「WHYY」記事:Derek Walcott’s sexual harassment problem, and ours – WHYY
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。
●コメント
注意:お名前は記載されたまま表示されます。誹謗中傷的なコメントは削除します