1‐2‐1.なぜいけないのか? 研究ネカト

2018年9月16日改訂

ワンポイント:【長文注意】。研究ネカトは「なぜいけないのか?」「何がいけないか?」「何をどうすべきか?」は3点セットなのだが、「なぜいけないのか?」を噛み砕いて説明している論文・文書はとても少ない。勿論、「倫理に反し、不道徳だから」ではない。「研究者養成費・研究費・評価の無駄」「研究者がヤル気をなくす」「生命・生活に危険」「信頼を損ねる」「国・企業・社会が損をし、衰退する」からである。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.序論
2.日本政府の見解
3.米国政府や研究者の見解
4.困ること一覧
5.「ねつ造・改ざん」:なぜいけないのか?
6.「盗用」:なぜいけないのか?
7.白楽の感想
8.備考
9.コメント
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●1.【序論】

研究ネカトは「何故いけないのか?」「何がいけないか?」

人間としての道にハズれ、倫理に反し、不道徳だから?

イヤイヤ、研究倫理の「倫理」は、英語の「モラル(moral)」の意味の「道徳」「善悪」「良心」ではない。研究倫理の「倫理」は、英語の「エシッス(ethics)」で、「エシッス(ethics)」は特定の組織の規範という意味だ。

「Reserach ethics」を日本語で「研究倫理」と訳したから混同する人がいるのだが、「研究規範」と訳した方が実態に近い。つまり、研究倫理は、研究者が研究業界で研究するときのルール・規則・掟・精神だ。

人間社会はルールを守ることで成り立っている。研究者社会も同じようにルールを守ることで成り立つ。その守るべきルールとして研究者社会が議論・検討し、研究倫理(reserach ethics)としてまとめたものだ。

ルールの歴史は浅く、しっかり確立したとはいいがたいが、そのルールを守らない研究者は組織から糾弾され、ペナルティが科され、場合によると研究者社会から追放される。

研究倫理(reserach ethics)は研究者が研究を推進する上で、①「困ることが生じないため」、②「研究界がさらに大きく発展するため」、③社会一般のルールとの整合性を保つため、のルールである。

①②③は切り離せない部分もあるが、ここでは、①「困ることが生じないため」、で話を進めよう。

では、研究倫理に違反すると、どういう「困ること」が生じるのだろうか? 「困る」から「いけない」のだが、このあたりをしっかり答えている論文・文書は、不思議なことに、とても少ない。

多くの論文・文書は、「当然、いけない」と決めつけていて、正面から理由を示さない。「いけない」から「不正」なのに、「不正」だから「いけない」というおかしな論理を展開する論文・文書が多い。日本人の好きな(統治者に都合の良い)、「規則だから守らなくていはいけない」論理である。

実のところ、「何故いけないのか?」をしっかり考えないために、「何がいけないか?」「何をどうすべきか?」の具体策が的ハズレになっているケースも多々見られる。

「何故いけないのか?」「何がいけないか?」「何をどうすべきか?」は3点セットなのである。

●2.【日本政府の見解】

2006年は、日本の政府系「研究規範(倫理)」ルール制定の元年である。

2006年8月8日、文部科学省が基本となる指針「研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて」をまとめた。このガイドラインが日本の根幹になっている。

2014年に上記ガイドラインを改訂し、2014年8月26日「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」として発表した。

文部科学省の2014年版ガイドラインで、「何故いけないのか?」に該当するのは、3頁の「 はじめに(本ガイドラインの目的と策定の背景)」の第2節にある。下線は白楽。

科学研究における不正行為は、真実の探求を積み重ね、新たな知を創造してい
く営みである科学の本質に反するものであり、人々の科学への信頼を揺るがし科学の発展を妨げ、冒涜するものであって、許すことのできないものである。このような科学に対する背信行為は、研究者の存在意義を自ら否定することを意味し、科学コミュニティとしての信頼を失わせるものである。

不正行為は、「科学の本質に反する」とか、「発展を妨げ、冒涜する」など、否定的な語句が表面を滑って、どうも、白楽には腑に落ちてこない。

「科学の本質」とは何なのか? どの点が、どのように「科学の本質に反する」のか? どの点が、どう「冒涜」しているのか? 腑に落ちてこない。唯一、「科学への信頼を揺るがす」が腑に落ちた。

4頁の「第1節 研究活動の不正行為に関する基本的考え方」の「3 研究活動における不正行為」には、以下の文章がある。

研究活動における不正行為とは、研究者倫理に背馳し、記1及び2において、その本質ないし本来の趣旨を歪め、科学コミュニティの正常な科学的コミュニケーションを妨げる行為にほかならない。

「上記1、2」の部分は長いので省略するが、ここでは、「正常な科学的コミュニケーションを妨げる」から悪い。つまり、「正常」を妨げるから悪いという論理展開である。何が「正常な科学的コミュニケーション」なのかの記載はない。

日本の政府系「研究倫理」のルールは、文部科学省のガイドラインが基本なので、他の府省の記述は、当然ながら、文部科学省のガイドラインと同じである。

例えば、政府系の研究助成機関の科学技術振興機構は、「近年の相次ぐ研究不正行為や不誠実な研究活動は、科学と社会の信頼関係を揺るがし、科学技術の健全な発展を阻害するといった憂慮すべき事態を生み出しています。」(JST 科学技術振興機構 http://www.jst.go.jp/researchintegrity/)、とある。つまり、文部科学省のガイドラインにあるように、「信頼」が損なわれることを問題視している。

2017年10月の「研究者のみなさまへ~責任ある研究活動を目指して~」(JST 科学技術振興機構)も上記と同様で、「信頼」が損なわれることを問題視している。

まとめると、日本政府の見解は、ネカトが「人々の科学への信頼を揺るがす」のがいけない、と結論した。

では、どの程度のネカト行為があれば、どの程度の信頼が揺らぐ(揺らいだ)のだろうか?

実測値あるいはシミュレ-ション値は示されていない。

さらに、ネカトで科学への信頼が揺らいだ結果、「科学の発展」はどの程度妨げられる(られた)のだろう?

実測値あるいはシミュレ-ション値は示されていない。

文部科学省は2006年8月8日にガイドラインを制定し、その8年後に2014年改訂版を発表した。その2014年改訂版に「研究活動における不正行為の事案が後を絶たず、昨今、これらの不正行為が社会的に大きく取り上げられる事態となっている」とある。

2006年の初版ガイドラインから8年経過して、改訂版を出したが、どれだけ「信頼の揺らぎ」を防止したのか、「科学の発展」にどのように役立ったのか、実測値が示されていない。むしろ「不正行為の事案が後を絶たず」と、初版ガイドラインは効力がなかった、さらには、ネカトの増加を招いた、という印象さえ与えている。

どうやら、「信頼が揺らぐ」からネカトはいけないという理由は、実証がない。単なる憶測のようだ。

★日本学術会議

日本学術会議「声明 科学者の行動規範」(2006年10月3日)

なぜなら、たとえ一人の不正行為であっても、科学者コミュニティ全体、さらには科学という知的営為そのものに対する信頼を大きく損なう恐れがあるからである。

「何がいけないか?」の記述はたくさんあるが、「なぜいけないのか?」「どのくらいの悪影響があるのか?」の記述はこれだけである。「信頼を大きく損なう恐れがある」のがいけない。なお、「恐れがある」程度なら、そんなにキリキリしなくてもいいようにも思える。

改訂版「声明 科学者の行動規範-改定版-」(2013年1月15日改定)では、「なぜいけないのか?」「どのくらいの悪影響があるのか?」の記述はない。

●3.【米国政府や研究者の見解】

https://www.slideshare.net/patrick89/15091の3枚目のスライド

★米国政府の見解

米国政府の健康福祉省・国民健康庁(United States Public Health Service)の連邦規則「Research Misconduct, 42 CFR Part 93」を読んでも、「研究ネカトはなぜ悪いのか?」は記載されていない。「ネカトは悪い」という前提で、対処ルールが記載されている。
→ eCFR ? Code of Federal Regulations

米国の生命科学系のネカト対策・調査本部の研究公正局(Office of Research Integrity)も、「研究ネカトはなぜ悪いのか?」を説明していない。なお、資料が膨大なので、細かく読めば書いてあるかもしれないが・・・。
→ ORI – The Office of Research Integrity | ORI – The Office of Research Integrity

米国政府の科学庁の連邦規則「45 CFR 689」も同様で、「研究ネカトはなぜ悪いのか?」は記載されていない。「ネカトは悪い」という前提で、対処ルールが記載されている。

米国政府の科学庁・監査総監室(Office of Inspector General )のサイトにも記載されていない。

★スコット・フレーザー教授(Scott Fraser)

学術誌「Int J Gen Med」の編集長で南カリフォルニア大学( University of Southern California)教授のスコット・フレーザー(Scott Fraser、写真出典)が、「2013年のInt J Gen Med」論文「 Why is research fraud wrong?」で、「研究ネカトはなぜ悪いのか?」を、次のよう答えている。

研究は、真実(それが何であれ)を発見する行為である。 ねつ造・改ざんデータでも何かを発見したと発表すれば、その発見は虚偽なのに真実と思われてしまう。研究結果は 理想的には、すべて再現できなければならないが、虚偽の研究結果は再現できない。

虚偽の 研究結果のためにその後の研究は間違った方向に向かってしまう。研究結果が数年後に虚偽だと判明したとても、膨大な時間と費用が無駄になってしまう。

臨床研究のデータねつ造・改ざんは、効果のない治療、さらには、有害な治療を患者に施すことになり、人々に健康被害をもたらす可能性がある。大規模な国際的臨床試験(治験)でデータねつ造・改ざんがあった場合、その臨床試験を繰り返す資金がないことが多い。そして、小数点の移動やグラフのねつ造・改ざんで、人々の生命が危険にさらされる。

ネカト行為は、社会や人々に深刻な悪影響を与えるので、ネカト者個人の正体は社会に公知される。また、地位、収入、評判を奪うという高い代償をネカトに払わせる。 さらには、刑事訴訟にすることも少数例だがある。これらのペナルティは、他の研究者のネカト行為を防ぐために必要な措置である。

研究ネカトは、国民、研究助成機関、ジャーナリスト、政治家の学術研究への信頼を損ねる。研究者の大多数の研究は公正に行われているのに、ネカトで生じた不信感は連鎖反応を引き起こし、将来、結果的に学術研究への支援が不足することになるだろう。研究内容に対する 健全な疑念がなければ研究は進歩しないが、研究ネカトではないかという疑念が広がると、すべての研究成果が無視される危険性がある。

それなのにネカトをする研究者が後を絶たない。どうしてか?

  • キャリア構築
    論文出版は、研究活動の最も重要な指標の1つある。学術誌が「より良い」ほど(つまり、インパクトファクターが高いほど)、論文の評価が高まる。一般的に言えば、学術誌は、興味深い論文、すなわち注目を集め多く引用される論文を出版したがる。そして、本当に重要な論文を1報出版するだけで、研究者のキャリア全体を強化できる。そのために、統計的に有意ではない結果を有意だと改ざんしたがる誘惑は大きいだろう。
  • 研究助成金
    多くの場合、研究者が既に発表した論文が、これから研究を進める研究計画の質とみなされ、研究助成金の採否が決定される。研究成果を挙げていると思われる研究者の研究費申請は採択されやすい。研究者及び研究室員の給与は助成金の獲得に依存している。そのために、研究の重要性を確実にしようとする気持ちが高じて、研究データをねつ造・改ざんしてしまう。
  • ねつ造・改ざんの簡単さ
    研究結果をねつ造・改ざんするのは非常に簡単である。 1人の研究者が、実際の実験作業をし、すべてのデータを収集する。データをチェックする人はいない。共同研究者は、研究で“発見”したデータの重要性に興奮するだけで、データに疑念を抱く状況ではない。統計学者は自分に都合のよい統計手法を使用し、不都合なデータを無視できる。それに、最終的な論文の著者は、数値やデータを “間違って” 転記することも容易である。
  • 研究する前に研究結果を知っている
    かなりの割合の研究者は、研究する前に研究結果がどのようなものかを知っている。結果が期待どおりに出てこない場合、結果を「正しい」ものに変更する。そして、期待に沿わないデータを隠すことは道徳的に正しいと感じている。

フレーザー教授の「研究ネカトはなぜ悪いのか?」の答えは、「時間と費用の無駄」「健康被害」「信頼を損ねる」の3点になる。

●4.【困ること一覧】

「研究ネカトはなぜ悪いのか?」の答えは、繰り返すが、勿論、「倫理に反し、不道徳だから」という答えではない。

ネカトで「困ること」が起こるからだ。

では、どんな「困ること」が起こるのか?

「2章.日本政府の見解」は「信頼を損ねる」、「3章」のフレーザー教授は、「時間と費用の無駄」「健康被害」「信頼を損ねる」という「困ること」が起こるとした。

上記を参考に、ネカトで「困ること」を、「研究者養成費・研究費・評価の無駄」「研究者がヤル気をなくす」「生命・生活の危険」「信頼を損ねる」「国・企業・社会が損をし、衰退する」とした。各項目は独立していない。そして、「悪貨が良貨を駆逐する」。

  1. 研究者養成費・研究費・評価の無駄
  2. 研究者がヤル気をなくす
  3. 生命・生活の危険
  4. 信頼を損ねる
  5. 国・企業・社会が損をし、衰退する

なお、研究ネカトの金銭的コストは以下にまとめた。
→ 1‐2‐2.研究ネカトの経費・損得 | 研究倫理(ネカト)

上記5点のうち、「3.生命・生活の危険」は「ねつ造・改ざん」の結果であって、「盗用」には当てはまらない。

それで、次章では、「ねつ造・改ざん」と「盗用」を分けて考える。

●5.【「ねつ造・改ざん」:なぜいけないのか?】

★5-1. 研究者養成費・研究費・評価の無駄:研究者がヤル気をなくす:「ねつ造・改ざん」で、ネカト者・ネカト組織はズルして偉くなる。ズルして得をする

ネカト者・ネカト組織はズルして偉くなる。ズルして得をする。

日本のいたるところで「ズルイ奴が得」をしている。それが良いとは思わないし、改善したいが、漫画家の東海林さだおによると、「すべての人はズルをしたがっている」。ズルすることは人間の本能だそうだ(『誰だってズルしたい!』2007年刊行、表紙出典)。

人類社会の長い歴史の中で、「ズルイ奴が得」をしてきた。例えば、試験でのカンニングは昔からあったそうだ。見つからなければ得である。そして、人類社会は、ズルを防ぐルール・制度を制定し、防止に努めてきた。それでも、イタチごっこで、現在でも、カンニング(ズル)を十分には防げない。ズルを防ぐルール・制度・方策はほぼ出尽くしている。

ズルは、現代でもあちこちに見られる。並んでいる列の横入や拾い物の私物化などささいな行為から、日本を代表するような大企業(神戸製鋼、自動車会社など)が何十年にも渡って検査データを改ざんしていた組織的・大規模なズルまである。それも1社ではなく、業界を越えて多数の大企業が行なっていた。

そして、ナント、多数の官庁は、何十年にも渡って書類(障害者雇用者数)の改ざんをしていた。森友文書の改ざん、イラク日報の隠蔽もある。つまり、日本の根幹の国家組織が長年にわたりズルをしていた。そして、ロクに処罰されないから、現在もズルしているだろうし、今後も依然としてズルをするだろう。

だから、研究者もズル(ネカト)をする、そして、ズルイ奴(=悪い奴)ほど得をし、偉くなる。

研究者は、ネカトというズルイ行為で、個人的収入(含・奨学金)・称号(博士号、ドイツの教授資格)・研究費・職(就職・昇進・地位・権力)・受賞・結婚相手・快楽(名声・名誉・称賛・供応)など研究に関連することから私生活まで、不当に得をする。

ネカトをしたことによるマイナス面は、不正発覚の恐怖と、実際に発覚したとき、叱責され、ペナルティを科され、面目がつぶれることだ。しかし、発覚で何かを失なっても、ネカトをしなかった場合に比べれば、まだ、得している可能性がかなり高い。

しかし、ネカト者がズルして得た個人的収入・研究費・職・受賞・結婚相手・快楽は、本来、他の人に回るハズのものだった。この場合、本来得られたハズの研究者を特定しにくい。そのために、損害賠償を求める裁判がされたことはない。マスメディアで騒がれない。世間に周知されない。

ただ、研究ネカト者が得をし、偉くなっている現実を知ると、まじめな研究者はヤル気をなくす。「日本は研究不正大国」と日本と世界で伝えられた日本の学術界で胸を張って研究する気分にはなりにくい。

学部生、院生は学問のあり方を、研究室の教員から学ぶ。指導教員がネカトをすると、学部生・院生は影響を受ける。場合によると、ズルして博士号・就職・昇進・地位・権力を得られる生き方を取り入れてしまう。取り入れない院生でも、腐敗した学術界を目の当たりにし、誠実さや努力という価値観を低く見るだろう。

一方、正義感の強い学部生、院生は、研究者になろうと思わなくなるだろう。学術界を適正な人材登用ができない腐敗した組織と学部生、院生が認識する。

ただ、これらの被害を金銭に換算するのは難しい。

★ネカト者がズルして偉くなる、ズルして得をするプロセス

研究者の世界をご存じない方もいるだろうから、ネカト者がズルして偉くなるプロセスをもう少し具体的に書いてみよう。

研究者の研究での実力が全く同じ2人(マジメ氏とハイイロ氏)がいたとしよう。この2人(マジメ氏とハイイロ氏)は、研究規範(倫理)の行動だけが異なり、他は同じとしよう。まあ、こういう仮定は現実世界では成り立たないけど、仮定の話なので、「あり」としよう。

するとどうなるか?

ハイイロ氏は、論文出版を研究人生の最優先事項と考えた。ここまでは良し。人間の研究能力はドングリの背比べだから、ズルさこそ人生で成功するコツと考えた。「ねつ造」「改ざん」「盗用」「二重投稿」などのネカト基準が曖昧なことをいいことに、不正ギリギリ、あるいは発覚しないようにネカトをし、院生の時から一流学術誌にたくさんの論文を発表した。

一方、マジメ氏は、研究規範(倫理)では、いつも、誠実な行動を取っていた。

研究規範(倫理)の行動は違っても、研究の実力が全く同じ2人なので、マジメ氏も、院生の時から一流学術誌にたくさんの論文を発表してきただろうか?

マジメ氏はネカトをしないので、平均的、あるいは、平均より少し多い程度の論文しか発表できなかった。

論文を多く発表すればするほど、博士号を取得しやすくなり、奨学金ももらえ、有利な研究職に採用される。採用後も早く昇進し、研究費がより多額にもらえ、賞をよりたくさん受賞し、院生もたくさん集まる。つまり、ハイイロ氏は学術界では異例のスピードで出世し、偉くなる。一方、マジメ氏は平均的である。

もちろん、「たくさんの論文を発表している」人は、皆、ネカトをしているというわけではない。しかし、研究の実力が同じなら、ネカト者ほど「たくさんの論文を発表する」ことは確実だ。ただ、このことをハッキリ指摘する人はあまりいない。

実証的データとして、拙著『科学研究者の事件と倫理』でも、菊地重秋の分析松澤孝明の分析でも、日本は、「教授など地位が高い人が研究ネカトをする」ことが示されている。一方、米国の研究公正局のデータでは、日本と対照的に、「米国では院生・ポスドクなど地位が低い人が研究ネカトをする」。

なぜなのだろうか?

現実の日本はネカト者ほど偉くなっているからである。その上、日本は「研究ネカト者の処分が甘い」ので、ネカト者が学術界から排除されない。

「教授など地位が高い人が研究ネカトをする」のは、実は、程度の差こそあれ、若い時から研究ネカトをして偉くなったためである。長年、ネカトというズルのスキルを磨き、関門を潜り抜け、昇進し、そのまま早く偉くなったからである。もちろん、[偉い人が全員そうだというわけではありません]。

ネカト常習者が強い立場の著名教授になり、それに見合った権勢を実行する。教授になったから“悪いこと”(ネカト)をするのではなく、“悪いこと”(ネカト)をしたから教授になったのである。

若いときからネカトで出世してきた成功経験のまま、研究規範(倫理観)で“悪いこと”(ネカト)をする。そして、著名教授となり影響力が大きくなった分、人々から注目を浴びるので、同じネカトをしていたのに、ネカトが発覚しやすくなるのである。

もう一度書くが、つまり、教授になったからネカトをするのではなく、ネカトをしてきた“悪い奴”だから偉くなったのだ。米国では、研究規範のチェックが日本より優れているので、ネカト者は研究キャリアの初期段階で排除される(例外もあるが一般論的にはそう言える)。それで、「日本は教授など地位が高い人が研究ネカトをし、対照的に、米国では院生・ポスドクなど地位が低い人が研究ネカトをする」ことの説明がつく。

だから、日本では、著名教授のネカトが発覚し、学長のネカトが発覚し、政府委員のネカトが発覚するのである。米国でもそのようなネカト事件はあるが、とても少ない。

もちろん、偉い人は、皆、ネカトをしてきた研究者というわけではない。

なお、「“悪い奴”(ネカト者)ほど偉くなる」のは学術界の特徴ではなく、日本の人間社会の特徴である。

とはいえ、“悪いこと”をして偉くなれる度合が大きいと、優れた研究成果をあげる意欲が減退し、院生・研究者個人は真面目に学業・研究に取り組まない。学術界は腐敗し、学術研究は衰退する。研究規範(倫理観)が低いために研究は発展しない。

★5-2.「ねつ造・改ざん」で「3.生命・生活の危険」

臨床研究データに「ねつ造・改ざん」があると、健康被害が生じる。

例えば、医薬品・治療方法(手術)でデータ「ねつ造・改ざん」があったとする。

(1)治療効果がないのに「ある」と「ねつ造・改ざん」されると、あるいは、その逆に、治療効果があるのに、「ない」と「ねつ造・改ざん」されると、治療された患者に健康被害が起こる。場合によると死に至る。一方、関連企業は不当に儲かる、あるいは、その逆に、損をする。というか、関連企業は不当に儲ける目的で、御用学者に「ねつ造・改ざん」をさせるので、発覚しないかぎり、損をすることはない。

(2)治療に医薬品1mgが適量のところ10mgが適量と「ねつ造・改ざん」されたとすると、服薬した患者の死亡率や副作用が上昇する(健康被害)。適量が10倍多くなっても、医薬品の値段が10倍になるとは思えないが、仮に5倍としても、患者には不必要な出費が起こる。逆に0.1mgが適量と「ねつ造・改ざん」されると、治療効果がなく、病気が治らないという健康被害が出る。患者には無駄な出費になる。そして、いずれにせよ、使用医薬品を販売する製薬会社は不当に儲かる。というか、(1)と同じで、関連企業は不当に儲ける目的で、御用学者に「ねつ造・改ざん」をさせるので、発覚しないかぎり、損をすることはない。

健康被害の一例をあげる。

英国の医師・ウェイクフィールド(Wakefield)が1998年「予防接種で自閉症になる」というとんでもない「ねつ造」論文を発表したことで、人々は予防接種を避けた。その為、2011年までに数万人の欧米人が麻疹(ましん、はしか)に感染した。例えば、フランスでは、2007年まで麻疹はほぼ根絶状態だったが、2008年から2011年の間に2万人が罹患した。
→ 2011年7月4日の李啓充(り・けいじゅう)の「週刊医学界新聞 第201回
→ アンドリュー・ウェイクフィールド (Andrew Wakefield)(英)改訂 | 研究倫理(ネカト)

何故、ウェイクフィールド医師はとんでもない「ねつ造」論文を発表したか?

答えは以下のようだ。

ウェイクフィールドは,論文発表前年の1997年6月,単独型麻疹ワクチンの特許を申請,その使用が普及すれば莫大な財政的利得を得る立場にあったのである。(出典:李啓充(り・けいじゅう)、2011年7月4日の「週刊医学界新聞 第201回」)

危険なのは、健康に限らない。

国防に関するデータに「ねつ造・改ざん」があれば、国の安全保障に影響する。

例えば、日本及び外国(特に仮想敵国)の兵力データ、ミサイルの飛行距離、戦闘機の性能などなど、攻撃・防衛力のデータに「ねつ造・改ざん」があれば、イザとなった場合、悲惨な結果になるだろう。

日本の原子力発電所の安全データに「ねつ造・改ざん」はなかったのだろうか?

建築学のデータに「ねつ造・改ざん」があれば、高層マンションが倒壊する。

土木工学のデータに「ねつ造・改ざん」があれば、橋が崩落する。ダムが決壊する。

研究分野を問わず、データに「ねつ造・改ざん」があれば、「3.生命・生活の危険」がになる(可能性が高い)のである。

★5-3.「ねつ造・改ざん」で国・企業・社会が損をし、衰退する

データを「ねつ造・改ざん」すると、研究結果を再現できない。研究は基本的に、過去の知の上に次の研究を積み上げ、新たな知を獲得する。だから、データが「ねつ造・改ざん」されていると、新たな知を獲得できない。研究結果を再現できないことから、研究者・研究論文の信頼性が下がる。

研究者・研究論文の信頼性が下がると、積み上げ式の研究システムが無効あるいは非効率になる。ヒト・カネ・努力の無駄が増える。

その結果、知の蓄積速度が減速する。研究開発が減速し、関連産業が減速し、経済が減速する。つまり、国・企業・社会が損をし、衰退する。

研究者・企業・国民が研究者・研究論文を信頼しなくなり、国・企業は研究への投資を減額する。研究者になろうとする若者も減る。高等教育界での研究者育成も縮小される。

このような事象の負の相互作用で、国・企業・社会は衰退していく。

この場合、どのくらい「ねつ造・改ざん」があると、どのくらい国・企業・社会が衰退していくのだろうか?

仮に「日本の国の経済が減速する」だけに絞ろう。「日本の国の経済が減速する」実測値あるいはシミュレ-ション値はあるのか? ウ~ン?

例えば、現在、深刻な「ねつ造・改ざん」が研究論文の1%あったとしよう。これがさらに1%増えて、2%になったら、どのくらい「日本の国の経済が減速する」のだろうか?

年間1兆円? それなら、1兆円未満の経費を投入して、2%まで増やさないようにしよう、という計画(動機、正当性)が成り立つ。

上記で、論文数の1%に深刻な「ねつ造・改ざん」があるとしたが、論文の70%が再現不能だったという報告がある(原典:M. Wadman(2013年7月31日):「NIH mulls rules for validating key results」 : Nature News & Comment、Nature 500, 14?16, 2013 doi:10.1038/500014a)。最大値として、論文数の70%に深刻な「ねつ造・改ざん」があると考えるのが現実的かもしれない。

仮に、論文数の70%に深刻な「ねつ造・改ざん」があったとして、これが10%増えて80%、あるいは10%減って60%に減ったら、どのくらい「日本の国の経済が減速(加速)する」のだろう?

白楽は答えを知らない。どなたかご存知でしょうか?

少し視点を変えて、「ねつ造・改ざん」データを経済分野で論文発表したら、国・企業・社会は大きく損をする可能性がある。投資家も損をする。

「ねつ造・改ざん」ではなく「間違い」とされたが、経済分野でそういう事態が実際に起こっていた。
→ 経済学:「間違い」:カーメン・ラインハート(Carmen Reinhardt)、ケネス・ロゴフ(Kenneth Rogoff)(米) | 研究倫理(ネカト)

●6.【「盗用」:なぜいけないのか?】

★「ねつ造・改ざん」と「盗用」の「困ること」の違い

「ねつ造・改ざん」はデータや結果の信頼性を著しく損なうが、「盗用」は、データや結果の信頼性を損なわない。もともとどこかの研究論文(文書)に記載された文章・アイデア・データ・図表・結果を盗用してくるので、内容の信頼性はもともとの研究論文(文書)のレベルと同じである。

「盗用」は、知的所有権の問題で、他人の文章・アイデア・データ・図表・結果を自分のものとして使用し、本来所有者が得られる利益を横取りするという問題だ。

所有者に対価を払わずに他人の文章・アイデア・データ・図表・結果を使用する。つまり、盗む。この場合、自分の研究論文(文書)を再発表する「自己盗用(self-plagiarism)」は、自分のモノを自分が使う行為なので、論理上、自分のモノは本人が使っても盗みとは言わないので、「盗用」に該当しない。

しかし、「自己盗用(self-plagiarism)」も「盗用」の1つのタイプと分類される場合が多い。とはいえ、「自己盗用(self-plagiarism)」は、「盗用」と分けて議論すべきだろう。

★6-1.研究者養成費・研究費・評価の無駄:研究者がヤル気をなくす:「盗用」で、ネカト者・ネカト組織はズルして偉くなる。ズルして得をする

「盗用」で、ネカト者・ネカト組織はズルして偉くなる。ズルして得をする。その内容は、「5-1.」の「ねつ造・改ざん」で記述した内容と同じである。「5-1.」で「ねつ造・改ざん」を「盗用」と置き換え可能である。そちらを参照してください。

★6-2.「盗用」は 特許法違反、著作権法違反

「盗用」は知的財産システムを損なう。

研究成果を特許申請すれば、発明者は特許法で保護され、盗用者は、裁判の結果、特許権法違反で懲役や罰金を科される。

特許法 第一条 この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。(特許法

研究文書(論文)での盗用者は、他人の文章・アイデア・データ・図表・結果を自分のものとして自分の研究文書(論文)に使用し、本来所有者が得られる利益を横取りすることになる。厳格には、著作権法に違反する。

ただし、著作権法では、「引用すれば研究で利用できる」とされている。

第三二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

研究論文で引用しないと「盗用」になる。しかし、著作権法違反で論文盗用者に懲役や罰金を科された事件はほとんどない。なお、学術書で「盗用」した場合は著作権法違反で裁判になる。

論文盗用者は一般的に、「ねつ造・改ざん」と同様のペナルティが科され、米国では大学を解雇される。日本での処分はずっと甘い。

では、「盗用」で「困ること」は何か?

出版社は、同じ内容の書籍を別の書籍として販売しない・できない。読者が買ってくれないからだ。これが基本である。だから、「自己盗用(self-plagiarism)」されたは書籍や論文(二重出版)も出版社は「盗用」とみなす傾向が強い。

一方、研究者は、研究論文の文章の一部を他人が引用ナシで使用しても、実害がないので、「盗用」と騒ぐことはないと感じる。ましてや、自分の文章・アイデア・データ・図表・結果を自分が再使用して「何が悪い!」と、「自己盗用(self-plagiarism)」を許容する傾向が強い。

ただし、研究者は、研究費申請書や投稿論文中の新規な研究アイデアを審査員に不当に使用されることに強い怒りを覚える。研究アイデアは、研究者のイノチとも言うべき根幹で、その盗用が防げないと、優れた創意工夫をする意欲が低下し、研究界全体が衰退する。

★6-3.「盗用」で、ヒト・カネ・努力が無駄になる

研究論文の大部分が「盗用」された場合、研究論文を審査する査読者及び出版された論文を読む研究者のカネ、時間(エネルギー、手間)が無駄になる。

研究論文の一部分の「盗用」でも、ポイント部分が「盗用」されれば同じである。

「大部分」とか「ポイント部分」と書いたが、どのくらいの量と質の「盗用」があると「大部分」や「ポイント部分」と判断できるのだろうか?

1980年に発覚した有名な盗用者のエリアス・アルサブティは、50~60論文をまるまる盗用したとされている。学術誌が論文1報を出版する経費は50万円と言われている。アルサブティの「盗用」で、50万円×50~60論文=2,500~3,000万円、つまり2,500~3,000万円が無駄になった。ただし、大部分を盗用したネカト論文はマレである。
→ エリアス・アルサブティ (Elias Alsabti)(米) | 研究倫理(ネカト)

一方、研究論文の一部分が「盗用」された場合、研究のポイント部分でなければ、カネ、モノ、エネルギー、手間はほとんど無駄にならない。元の論文が売れなくなる被害もない。被害額はほぼゼロである。

●7.【白楽の感想】

《1》根本はなにか

ネカトは「なぜいけないのか?」「何がいけないか?」「何をどうすべきか?」は3点セットなのだが、「なぜいけないのか?」を噛み砕いて説明している論文・文書はとても少ない。

論文・文書は、「研究ネカトは悪い」のを自明のように処理している。根本の議論をしない。どうして、根本の議論をしないのだろう?

《2》「間違い」でも「困ること」はネカトと同じ

ネカトは研究不正で単純に「悪」とされている。ネカト者本人が不正と知りつつ、意図的にネカトをしたと認めた場合、判断は容易で、ネカト研究者はペナルティを科される。

しかし、ネカトではなく「間違い」と本人が主張し、調査委員会が「間違い」と判定した場合、研究者はペナルティを科されない。

実際は、ネカト者が「間違い」と主張し続けた時、「ねつ造・改ざん」なのか「間違い」なのか、第三者が的確にシロクロの線引きをするのは難しい。「盗用」の場合は意図的に盗用したのか、ウッカリ、引用し忘れたのか、これも、第三者が的確にシロクロの線引きをするのは難しい。

しかし、自動車で意図的に人をひき殺しても、「間違って」ひき殺した事故でも、殺された人と家族にとっては死亡で、結果としての被害は同じある。つまり、「間違い」と判定された研究論文でも「困ること」が起こる。その「困る」程度はネカト論文と同等である。

例えば、治療に医薬品1mgが適量のところ10mgが適量と「ねつ造・改ざん」した場合でも、1mgをタイプミスや誤植で「間違って」10mgと発表した場合でも、服薬した患者の死亡率や副作用の上昇という健康被害の程度は同じである。

「困ること」の視点で見ると、「間違い」だったで済ませられない。

研究ネカトが「なぜいけないのか?」を明確に理解していれば、軽々と「間違い」だからお咎(とが)めなし、で済ませてはならない「間違い」もあるということだ。

《3》 研究文書・発表で、「序論」、「材料と方法」は、他人の文章の多量コピペで良し。「盗用」の基準を変える

「盗用」は「盗む」とあり、いかにも「悪い」イメージを与える。小説、短歌などの文学では、表現や文章そのものが命なので、他人の文章を自分の作品のように発表・提出するのはマズイ。創造的価値を「盗む」行為で、小説、短歌など創作活動を破壊し、知的所有権を侵害している。

しかし、研究文書・発表は文学などの芸術とは異なる。他人の文章や表現を盗用しても、アイデア・データ・結果を盗用しなければ、深刻な問題ではない。これは程度問題なのだが、基準を設けて認めるべきだ。

生命科学論文を例に具体的に考えよう。論文は、①論文タイトル、著者名、所属、②要約、③序論、④材料と方法、⑤結果、⑥考察、⑦参考文献、⑧図・表からなるのが一般的である。

このうち、「①論文タイトル、著者名、所属」は当然ながら、「③序論」「④材料と方法」「⑦参考文献」に、表現としての創造的価値はどれほどあるだろうか?

生命科学の例を挙げれば、ウシの血液タンパク質Aの構造を世界で初めて決定し、論文を書いたとしよう。次に、マウスの同じ血液タンパク質Aの構造を決めて論文を書く時、「①論文タイトル、著者名、所属」「③序論」「④材料と方法」「⑥考察」「⑦参考文献」はほぼ同じだ。「②要約」「⑤結果」もほぼ同じ文脈でデータだけが少し違うことになる。

ウシ、マウスの次にヒトを材料に、別の研究者がヒト・血液タンパク質Aの構造を決定しても、「③序論」「④材料と方法」「⑥考察」「⑦参考文献」はほぼ同じで、「②要約」「⑤結果」もほぼ同じ文脈でデータだけが少し違う。こうやって人類社会の知が蓄積されるが、研究のアイデアも手法も同じで、文章も基本的に同じだ。そこには個性を反映した表現は、むしろ、ないことが科学論文としては推奨されている。研究者ごとに表現を変えなさいとするのには無理がある。

生命科学と限らず、科学・技術・学術の全分野でもいい。科学・技術・学術の研究発表(論文、特許、口頭発表など)では、大事なのは発見・発明であって、「新しい」「重要な」「役立つ」発見・発明が1、2、3であり、その他は4、5である。だから、研究発表では、「新しい」「重要な」「役立つ」かどうかで勝負してもらう。文章の類似性はどうでもいい。

「新しい」「重要な」「役立つ」発見・発明はどこに記述するか? 「⑤結果」「⑥考察」である。だから、ここに、「新しい」「重要な」「役立つ」発見・発明の記述がされる。「新しい」部分は、他人の文章の多量コピペでは書けない。その他の部分は、極端なハナシ、「新しい」「重要な」「役立つ」発見・発明の記述とさほど関係ない。だから、「③序論」、「④材料と方法」は、他人の文章を多量コピペ(100%近く利用)しても良いと考える。

例えば、「タンパク質の定量はローリー法で行ないました」という「④方法」の記載は、数パターンの書き方があるだけで、自分の言葉で書こうが、他人の文章を100%利用しようが、利用された先行論文には何も損害はない。その文章には、もともと創造的価値や生産的価値がないからだ。「盗られて」も損害がないので、問題視する方が異常である。

なお、多量コピペ(100%近く利用)してもいいと書いたが、引用はする。行為は「盗用」行為でも、現在のルールでは、引用すれば「盗用」に該当しない。だから、引用すればよい。

「①論文タイトル」は看板なので、全く同じタイトルだと識別できないので、全く同じにしてはいけない。短いので、盗用でなくても、たまたま偶然一致する可能性はある。しかし、過去に例があれば、避けるべきだ。査読者がわかれば注意すべきだ。「①論文タイトル」、全く同じでなければ、「盗用」でもかまわない。

《4》研究での「自己盗用(self-plagiarism)」は、基準を設けて認める

研究成果は、研究者個人の財産というより、発表した時点で、人類共通の財産になる。個人の権利を確保しておきたい場合は特許を申請する。特許を申請する・しないのいずれにしろ、研究者は、なるべく多くの機会を作り、新しい有益な知である自分の研究成果を多くの人々に活用してもらいたい。

だから、同じ研究成果をいろいろな学術誌。学会・研究会で発表する。また、研究の1次情報(原著論文)を、2次情報(研究者向け解説記事)、3次情報(一般人向け啓蒙記事)に利用する。自分の研究文書・発表を同じ言語および異なる言語で「自己盗用(self-plagiarism)」であっても、再発表する。

研究文書・発表を読む・聞く側の人間は、これら「自己盗用(self-plagiarism)」された文書でも、インターネット普及前はほとんど重複して読むことはなかった。特に、英語発表と日本語発表では重複はとても少なかった。インターネットが普及した現在、情報があふれていて、検索することができるので、同じ内容の文書を2度読んでしまうことがある。それでも、メディアを変えることで自分の研究成果が多くの人々に伝わりやすい。

出版業界は、二重出版で損害が少しでる。でも「自己盗用(self-plagiarism)」ではほとんど損害はないだろう。

だから、研究ネカトが「なぜいけないのか?」の視点に立てば、研究での「自己盗用(self-plagiarism)」は「困ること」が少ない。基準を設けて、「自己盗用(self-plagiarism)」をもっと認めよう。

《5》教育での「盗用的行為」は、基準を設けて認める

学部生・院生の実習レポート・授業レポート・卒業論文・修士論文はおおむね学内文書・発表である。これらの文書は通常、非営利であるし、学外で発表する学術出版物とは異質である。博士論文は基本的に学外に出るので、学術出版物と同等とみなすべきだろう。

教育で何かを学ぶ過程は以下の面がある。

「学ぶ=真似ぶ」であり、「習う=倣う」である。師は弟子にいちいち教えることをしていない。弟子は、師の考え・技・スタイルを “盗ん” で育つのだ。“盗用的行為(つまり、「真似る」行為)” は、学習上の必要なスキルだと考えられる。(白楽ロックビル(2011):『科学研究者の事件と倫理』、講談社)

学部生・院生の実習レポート・授業レポート・卒業論文・修士論文は習作である。現状の規則よりも緩やかにし、引用スキルを学習させる過程と考え、実質的に、“盗用的行為(つまり、「真似る」行為)”を認めてよいと考えている。その理由は、学ぶ過程であることと、これらの行為が、知的財産システムを破壊するとは思えないからだ。

それに、研究ネカトが「なぜいけないのか?」の視点に立てば、教育での、“盗用的行為(つまり、「真似る」行為)”は「困ること」が少ない。

これら、学内文書・発表での「盗用」は、基準を設けて認めるべきだろう。基準は、

  1. 上記《3》の適用。主要な部分が盗用されなければ良しとする。判断はカンニングと同じ。
  2. 引用は必須とする。なお、引用すれば盗用ではないので、引用スキルを、卒業までに身につけさせる。
  3. 引用をし忘れたり、間違えても、数回(3回?)までは許容する。これは、物事をすぐには習得できない学部生・院生が多いからだ。

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●8.【備考】

① 旧版A:2014年8月9日記事を2018年9月2日保存:https://web.archive.org/web/20180902054018/https://haklak.com/page_why2.html
② 旧版B:2014年8月9日記事を2018年9月2日保存:https://web.archive.org/web/20180902054531/https://haklak.com/page_why_FFP.html
★記事中の画像は、出典を記載していない場合も白楽の作品ではありません。

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