心理学:デイヴィッド・ローゼンハン(David Rosenhan)(米)

2023年8月15日掲載 

ワンポイント:1973年(43歳)、今から50年前、スタンフォード大学・法科大学院(Stanford Law School)・教授だったローゼンハンは有名な「1973年1月のScience」論文を出版し、精神科医は正常な人と精神障害を持つ人を見分けられないと結論した。この「ローゼンハン実験」は精神医学に多大な影響を及ぼし、精神医学の信頼は地に落ち、多数の精神病院が閉鎖した。ところが、2019年、ローゼンハンの没7年後、ジャーナリストのスザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)が、「1973年1月のScience」論文のデータねつ造を著書・『なりすまし(The Great Pretender)』で指摘した。国民の損害額(推定)は100億円(大雑把)。

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目次(クリックすると内部リンク先に飛びます)
1.概略
2.経歴と経過
3.動画
4.日本語の解説
5.不正発覚の経緯と内容
6.論文数と撤回論文とパブピア
7.白楽の感想
9.主要情報源
10.コメント
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●1.【概略】

デイヴィッド・ローゼンハン(デイビッド・ローゼンハン、David Rosenhan、写真出典)は、米国のスタンフォード大学・法科大学院(Stanford Law School)・教授で、専門は心理学だった。

1973年(43歳)、今から50年前、有名な「1973年1月のScience」論文を出版し、精神科医は正常な人と精神障害を持つ人を見分けられないと結論した。

この結論は、現在まで、医療界と社会に大きな影響を与えてきた。精神医学への信頼は落ち、患者は減り、大きな精神病院がつぶれ、精神障害を持つ人々が社会で問題を起すことが多くなった。

2012年2月6日、ローゼンハンは82歳で亡くなった。

2019年、ローゼンハンの没7年後、若いジャーナリストのスザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)は、調査に6年かけ、著書・『なりすまし(The Great Pretender)』を出版し、ローゼンハンの「1973年1月のScience」論文のデータねつ造を指摘した(下の記事の写真出典)。

2023年8月14日(没11年後)現在、スタンフォード大学はローゼンハンのネカト疑惑を調査していない。研究公正局はなにも発表していない。

スタンフォード大学・法科大学院(Stanford Law School)。写真出典

  • 国:米国
  • 成長国:米国
  • 医師免許(MD)取得:なし
  • 研究博士号(PhD)取得:コロンビア大学
  • 男女:男性
  • 生年月日:1929年11月22日
  • 没年月日:2012年2月6日(82歳)
  • 現在の没年数:12年
  • 分野:心理学
  • 不正論文発表:1973年(43歳)
  • ネカト行為時の地位:スタンフォード大学・法科大学院・教授
  • 発覚年:2019年(没7年後)
  • 発覚時地位:故人だが、スタンフォード大学・法科大学院・名誉教授
  • ステップ1(発覚):第一次追及者はジャーナリストのスザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)で、著書で指摘
  • ステップ2(メディア):著書・『なりすまし(The Great Pretender)』
  • ステップ3(調査・処分、当局:オーソリティ):①
  • 大学・調査報告書のウェブ上での公表:なし。調査していない
  • 大学の透明性:調査していない(✖)
  • 不正:ねつ造・改ざん
  • 不正論文数:1報
  • 時期:研究キャリアの中期
  • 職:没後なので該当せず(ー)
  • 処分:なし
  • 日本人の弟子・友人:不明

【国民の損害額】
国民の損害額:総額(推定)は100億円(大雑把)。

●2.【経歴と経過】

  • 1929年11月22日:米国で生まれる
  • 1951年(21歳):イェシーバー大学(Yeshiva University)で学士号取得:数学
  • 1953年(23歳):コロンビア大学(Columbia University)で修士号取得:経済学
  • 1958年(28歳):同大学で研究博士号(PhD)を取得:心理学
  • 1958~1971年(28~41歳):スワースモア大学、プリンストン大学、ハバフォード大学など・教員
  • 1971~1998年(41~68歳):スタンフォード大学・法科大学院(Stanford Law School)・教授
  • 1973年(43歳):ローゼンハン実験(Rosenhan experiment)を記載した「1973年1月のScience」論文を出版
  • 1998年(68歳):スタンフォード大学・法科大学院・名誉教授
  • 2012年2月6日(82歳):没
  • 2019年(没7年後):スザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)からデータねつ造を指摘された

●3.【動画】

【動画1】
デイヴィッド・ローゼンハン(David Rosenhan)が自分の研究成果を主張している動画。クリアーな話し方で説得力がある:「David Rosenhan: Being Sane in Insane Places – YouTube」(英語)2分21秒。
TheBrookfieldPsychos(チャンネル登録者数 640人)が2011/06/12 に公開

【動画2】
インタビュー動画:「Q&A interview with Susannah Cahalan on The Great Pretender Bangkok Barbarians – , November 10, 2019, C-SPAN」(英語)57分12秒。
2019年11月7日 にC-SPANで公開

【動画3】
2019年11月13日の議論動画:「On Being Sane in Insane Places: An Investigation and Insider’s View into the Rosenhan Experiment – YouTube」(英語)1時間00分33秒。
University of Minnesota School of Public Health(チャンネル登録者数 2110人)が2019/11/20 に公開

【動画4】
スザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)の講演動画:「Susannah Cahalan at TEDxAmsterdamWomen 2013 – YouTube」(英語)12分55秒。
TEDx Talks (チャンネル登録者数 3850万人)が2013/12/07に公開

【動画5】
事件そのものではないが、「精神科医は正常な人と精神障害を持つ人を見分けられないか?」問題の2008年作成の動画の予告編:「How ‘Mad’ Are You? TRAILER – YouTube」(英語)2分38秒。
SBS Australia(チャンネル登録者数 6.24万人)が2018/09/17 に公開
 → 完全版:How Mad Are You?: Part 1 – Alexander Street, a ProQuest Company
 → 日本の販売サイト:BBC 精神医学診断実験 / HOW MAD ARE YOU? – 日本外語協会

●4.【日本語の解説】

ローゼンハン実験 – Wikipedia

1973年雑誌サイエンスに『狂気の場所の正気の存在(”On being sane in insane places”)』の題名で掲載[1]。この実験は、精神障害の診断について重要な研究と見做されている[2]。

「精神科医が、正常な人と精神障害を持つ人を見分けられない」という実験である。

続きは、原典をお読みください。

★2023年5月24日:鹿冶梟介(かやほうすけ):「詐病と精神医学: 精神科医は詐病を見抜けるか?〜古典的研究「ローゼンハン実験」の批判的再考〜」

出典 → ココ、(保存版) 

そもそも精神科で「詐病」を見分けることは可能なのでしょうか?

実はこの素朴な疑問に対する”回答”となる有名かつ古典的な実験があります。

それは権威ある学術雑誌サイエンスに掲載された「ローゼンハン実験」という”禁忌研究”とも言える臨床実験です。

研究手続き上、大きな倫理的問題があるこの実験は、当時の医学会・心理学会から批判を受けるとともに、世間からは精神医療のあり方が問われました。

続きは、原典をお読みください。

●5.【不正発覚の経緯と内容】

★「1973年1月のScience」論文

デイヴィッド・ローゼンハン(David Rosenhan)は米国の著名な心理学者で、1971~1998年(41~68歳)、スタンフォード大学・法科大学院(Stanford Law School)・教授だった。

1973年(43歳)、有名な「1973年1月のScience」論文を単著で出版した。

論文題名の「狂気の場所に正気の存在(On being sane in insane places)」が示すように、精神病院に正常な人がいても、精神科医は正常な人と診断できなかった、と論文は結論している。

端的に言えば、「精神科医は正常な人と精神障害を持つ人を見分けられない」という結論である。

この「1973年1月のScience」論文が記載した実験は、「ローゼンハン実験 – Wikipedia」と呼ばれ、その後の精神病関連の医学と医療に多大な影響を及ぼした。

★ローゼンハン実験

1973年に発表したローゼンハンの「1973年1月のScience」論文は、下記の実験を発表した論文である。

1969年2月6日、コピーライターである39歳のデイヴィッド・ルーリー(David Lurie)はヘンな音が聞こえるという症状を訴え、精神病院の診察を受けた。精神科医に、どんな音が聞こえるのかと尋ねられた時、はっきりしないのだが、「空虚な声(“empty”)」「うつろに響く(“hollow” )」「ドタン・バタン・ズシン(“thud ”)」という音が聞こえるようになったと精神科医に訴えた(原文では英語の単語で、日本語訳は白楽が適当に当てはめた)。

ルーリーが述べた唯一の異常は、そういう声が聞こえるという症状だけだった。精神科医は統合失調症と診断した。ルーリーは、ペンシルベニア州ハバフォード州立病院(Haverford State Hospital)に入院することになった。

実は、デイヴィッド・ルーリーはスタンフォード大学の心理学者・デイヴィッド・ローゼンハンの別名で、彼は精神科医が正気と狂気を区別できるかどうかをテストするために他の7人と一緒に精神疾患者の「ふりをする人」として潜入したのだった。

ローゼンハン自身を含め、精神病の病歴や症状のない8人の男女が全米の12の精神病院を受診し、「空虚な声(“empty”)」「うつろに響く(“hollow” )」「ドタン・バタン・ズシン(“thud ”)」という音が聞こえるようになったとだけ訴える、という実験を行なったのだ。

すると、7人が統合失調症、1人が双極性障害と診断された。参加者全員が精神病の病歴や症状がなかった人たちだったのに、「空虚な声(“empty”)」「うつろに響く(“hollow” )」「ドタン・バタン・ズシン(“thud ”)」という音が聞こえるようになったと訴えただけで、参加者全員が精神疾患を患っていると診断された。

病院に入院すると、彼らは「空虚な声(“empty”)」「うつろに響く(“hollow” )」「ドタン・バタン・ズシン(“thud ”)」の訴えをやめ、通常の話しをし、通常の行動、または入院患者に許されている行動をした。

しかし、いずれの場合も、精神科医は彼らの行動を、精神疾患の患者に特有な症状だという色眼鏡を通して観察した。

例えば、病棟の活動に関する研究上のメモを取ると、看護師らは「珍しいことだが、患者が文章を書いている」と報告した。

つまり、精神病院の外では「正気」とみなされる同じ言動が、病院の中では「狂気」の言動とみなされたのである。

7日から52日間続いた8人の入院中に、約2,100種類の向精神薬が参加者に投与された。

最終的には全員が病院から退院したが、ローゼンハンは「精神科医は正常な人と精神障害を持つ人を見分けられない」と結論した。

★スザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)

スザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan、写真出典)は、若い記者である。

キャハランは、 24 歳だった 2009 年に精神疾患を発症した。

不運なことに、精神科医が何回も誤診し、最初はアルコール離脱症候群、その後、統合失調症と双極性障害I型障害と誤診された。

退院した後、2度目、3度目の大発作を起こし、ニューヨーク大学医療センターで、結局、原因不明の抗NMDA脳炎(anti-NMDA encephalitis)と診断された。この疾患はまれな病気で、キャハランは、217人目の患者だった。

そして、その後、何の損傷もなく完治した。

この自分の経験から精神病の問題に強く関心を抱くようになった。

スザンナ・キャハランは、ローゼンハンの「1973年1月のScience」論文を6年間、調査した。

その結果、「1973年1月のScience」論文のデータはねつ造・改ざんされていた可能性が高いと指摘した。

キャハランは2019年に著書『The Great Pretender』で、ローゼンハンの「1973年1月のScience」論文のデータねつ造を指摘した(英語原著の表紙出典はアマゾン)。

2021年4月、『The Great Pretender』を宮﨑真紀が日本語に訳し、『なりすまし(The Great Pretender)』として出版した。日本語版の表紙出典はアマゾン)。

ローゼンハンのデータねつ造・改ざんは次章で詳しく述べる。

簡単に書くと、「論文結果とストーリーがねつ造」ということだ。

  • ローゼンハンは「1973年1月のScience」論文の実験データに関して、その後、さらなる研究論文を出版していない。 → データねつ造論文だったので、話を拡散・上積みしたくなかったのではないか?
  • ローゼンハンの実験に参加したとされる8人(9人?)のうち2人しか確認できない。 → 6人は架空の人物ではないか?

スタンフォード大学の同僚・ケネス・ガーゲン(Kenneth J. Gergen – Wikipedia)は「学科内の何人かは、ローゼンハンをネカト者だと呼んでいた」と述べている。

出典:https://www.science.org/doi/abs/10.1126/science.aay9557

★尻馬

このローゼンハン実験は、反精神医学運動(反精神医学 – Wikipedia)の最盛期に発表された。

当時の反精神医学運動を数例あげると以下のようだ。

米国の精神医学の大御所で精神科医のトーマス・ザス(Thomas Szasz – Wikipedia)は、精神疾患は悪魔に取り憑かれているのと同じような「神話」だとした。

精神疾患は人間の生活の問題の比喩であり、精神疾患は身体疾患のような「病気」ではなく、特定可能な少数の例外を除いて「生物学的な病気または疾患」であると述べてきた。脳の障害。脳疾患など存在しない」と彼は言った。(2023年8月13日アクセス:トーマス・ザス Thomas Szasz: 最新の百科事典

精神科医のロナルド・レイン R. D. Laing – Wikipedia)は統合失調症の人は狂気の世界では正気だと主張した。

社会学者のアーヴィング・ゴッフマン Erving Goffman – Wikipedia)は、ポップカルチャーが恐怖と不信を広める一方で、精神病院がいかに刑務所に似ているかを著書『避難所(Asylums)』(邦訳なし)で暴露した。

ローゼンハン実験は、このような反精神医学運動の尻馬に乗った論文である。

尻馬に乗った論文だから、1980年代後半までに、心理学の教科書のほぼ80%に掲載されるようになった。 → Coverage of Rosenhan’s “On Being Sane in Insane Places” in Abnormal Psychology Textbooks – Jared M. Bartels, Daniel Peters, 2017

一方、ローゼンハン実験は非科学的で、誤解を招くと、一部の精神科医は激しく批判した。しかし、今日でも多くの教科書が無批判に紹介している。

冷静に、そして、単純に考えて、ローゼンハン実験で、「精神科医は正常な人と精神障害を持つ人を見分けられない」と結論するのは、オカシイ、と白楽は思う。

この実験の結論は「精神科医は仮病患者のウソを見破れなかった(ふりをした?)」だけだ。

医者をダマそうとして、精神疾患症状があるかのように受診者が振舞えば、医者はダマされた、あるいは、ダマされたふりをするだろう。これは、問診を主体に診断するケースでは、ごく普通のことだ。異常でも、精神医学の非科学性でも、医者の能力不足でもない。

精神科医でなくても、どんな職業でも、どんな人でも、ダマす意図のある人が上手に演技すれば、ダマされる可能性は高い。2020年、日本の詐欺事件は3万件も起こっている。

だから、ローゼンハン実験は結論を捻じ曲げている。

★影響

1973年に発表したローゼンハンの「1973年1月のScience」論文の結論は「精神科医は正常な人と精神障害を持つ人を見分けられない」というものだった。

ローゼンハンの論文の影響を受け、精神医学の信頼は大きく低下した。

精神科医は信頼できない時代遅れのインチキ医者に成り下がった。

大規模な精神病院は閉鎖に追い込まれ、小規模な地域密着型の精神保健センターに置き換わった。

カリフォルニア大学サンディエゴ校(University of California, San Diego)の社会学者で歴史家のアンドリュー・スカル(Andrew Scull – Wikipedia、写真出典)は、ローゼンハンのこの論文は「20世紀に発表された社会科学の中で最も影響力のある論文の1つだった」、と述べている。

しかし、問題は国民の精神医学に対する信頼を大きく低下させただけではなかった。

多くの精神病院は無視され、場合によると、有害な場所とみなされた。

精神疾患は身体疾患に比べて同情や支援に値しないという見方、精神医学は科学としての正当性が欠けているなどとの見方を、ローゼンハンの論文は助長した。

ローゼンハンが研究を行なった当時、米国の囚人の5パーセントが重度の精神疾患だったが、 現在、その割合は少なくとも 20パーセントになっている。精神病患者をまともに治療しなくなったからである。 → 2016年9月の記事:Serious Mental Illness Prevalence in Jails and Prisons – Treatment Advocacy Center

また、ハーバード大学医学部の報告書によると、米国では深刻な精神健康上の問題を抱える10万人以上がホームレスとなっている。これも、精神病患者をまともに治療しなくなったからである。 → 2014年の記事:The homeless mentally ill – Harvard Health

繰り返すと、現在、精神疾患なのにまともに治療されない多くの人々が、路上で生活したり、刑務所に入れられたりしている。

精神疾患を持つ人々は依然として偏見を持たれ、不十分な扱いを受けている。

世界のほとんどの国々は、精神疾患を持つ人々に対するベッド不足、不十分な研究資金、精神医療専門家の不足と闘っている。 2025年に、米国では、精神科医が1万5,000人以上不足すると言われている。 → WHOの2017年報告書:Mental health atlas 2017

ローゼンハンにすべての責任を負わせられないが、ローゼンハンはこれら諸問題の元凶の一端を担っている。

当時流行していた反精神医学運動に乗り、真実を暴くふりをして、自分の仮説に都合のよいデータをねつ造し、「精神科医は正常な人と精神障害を持つ人を見分けられない」と結論した。

結果として、最も困っている人々に害を及ぼす文化に貢献した。

★ローゼンハン自身が精神病者

ここまで、「1973年1月のScience」論文の問題点を書いてきたが、実は、別の側面というか、裏話がある。

キャハランの調査で、ローゼンハンのファイルの中に、彼のハヴァフォード病院での医療記録が見つかった。

その医療記録には、彼は精神病者だという人物像が記載されていたのである。

ローゼンハン実験の基本原則の1つは、すべての疑似患者がただ1つの症状、つまり「空虚な声(“empty”)」「うつろに響く(“hollow” )」「ドタン・バタン・ズシン(“thud ”)」という音が聞こえるようになったという症状、だけを伝えることになっていた。

ところが、ローゼンハン自身は自分が定めたこの基本原則を守っていなかった。というか、精神的に不安定で守れなかったようだ。

デイヴィッド・ルーリー(つまり、ローゼンハン)が「空虚な声(“empty”)」「うつろに響く(“hollow” )」「ドタン・バタン・ズシン(“thud ”)」という音が聞こえるという症状を言う時の声は非常に動揺していたと、当時の精神科医・フランク・“ルイス”・バートレット(Frank “Lewis” Bartlett)(1914-1989) は述べている。

ルーリー(つまり、ローゼンハン)に幻覚や思考パターンの乱れがあり、「無線信号に敏感で、人々が考えていることが聞こえる」という幻覚症状を示していた。

「人々が考えていることが聞こえる」と信じているのは、統合失調症の典型的な症状である。

ルーリー自身(つまり、ローゼンハン自身)が深刻な精神病者だったと、バートレット精神科医は診断していた。

つまり、ローゼンハン本人は疑似患者ではなく、本当の精神病患者だったのだ。

【ねつ造・改ざんの具体例】

以下は、キャハランの記事から取捨選択した。 → 2020年2月5日のスザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)記者の「New Scientist」記事:The flawed experiment that destroyed the world’s faith in psychiatry | New Scientist

★ねつ造

ローゼンハンの「1973年1月のScience」論文は、狂気と正気を区別することは不可能だと結論づけた。

スザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)の調査で、「1973年1月のScience」論文と異なるいくつかの事実が明らかになった。

ローゼンハン実験に参加した8人は正体を明かさず、ローゼンハンは2012年に亡くなるまで、「1973年1月のScience」論文以上のことを何も書いていない。

キャハランは、ローゼンハンの数十年間の書簡、日記、実験に関する未出版の文書を6年間調べた。ローゼンハンの家族、数百人の友人と同僚にインタビューした。

ローゼンハンの未出版の本の概要にアンダーウッド(Underwood)という姓が記載された手書きのメモが見つかった。

そしてキャハランは、テキサス州オースティン在住の元ソフトウェアエンジニア、ビル・アンダーウッド(Bill Underwood)を探し出した。

彼はスタンフォード大学・院生の時、ローゼンハンの精神病理学セミナーを受講し、疑似患者になることを志願した。

アンダーウッドは、カリフォルニア州サンタクララにあるアグニュース州立精神病院(Agnews State Mental Hospital)で疑似患者として入院した。その病院で過ごした7日間は、投薬、誤診、虐待など悲惨なものだった、と語った。

ただ、ローゼンハンはデータ収集の方法、他の患者や病院スタッフとの接し方について何も教えてくれなかった。

それで、アンダーウッドの疑似患者としての潜入体験は、ほとんど事前の準備なしに始まった。

アンダーウッドは、データ収集をした記憶がない。

しかし、ローゼンハンの「1973年1月のScience」論文には、精神科医が病棟に費やした時間を分のレベルまで記載していた。ローゼンハンは分のレベルまでの正確な数値をどのようにして得たのだろうか?

アンダーウッドは、ローゼンハンの教え子で疑似患者になったハリー・ランド(Harry Lando、写真出典)をキャハランに教えてくれた。ランドは、現在、ミネソタ大学・名誉教授である。

ランドは統合失調症と誤診され、19日間、入院した。この記述はローゼンハンの論文の記述と一致している。

しかし、他に一致する点がない。

ランドは 「1976年のProfessional Psychology」論文(閲覧有料、白楽は要旨だけ読んだ)で、この時の入院について書いている。

ランドは、この論文に、大規模な公立病院の精神科病棟に 19日間入院した疑似患者としての経験を書いていた。

治療は広範囲にわたる傾向があったが、患者と病院スタッフとの間には丁寧で親密な接触があった。ランドの行動は「慢性未分化統合失調症」と診断された。この誤診はあったが、しかし、精神科病棟の診療には多くの肯定的な側面があった。

ランドは入院中に作成したさらなる手書きのメモの中で、思いやりの感動的な瞬間についても記述していた。

自分がいた病棟は癒しと安らぎがあり、病院スタッフは患者を気遣い、患者は回復していったと述べていた。ランドは、精神病院で精神科医がまともな医療をしているという経験をしたのである。

しかし、ローゼンハンの「1973年1月のScience」論文には、これらのことは記載されていない。

代わりにローゼンハンは、ランドを研究から外し、論文の脚注に「9人目の疑似患者のデータはこの報告書には組み込まれていない。なぜなら、彼が正気だと発覚しなかったものの、彼が婚姻状況や親子関係などの個人史の一部を改ざんしたからである」と記していた。

なお、ローゼンハンのファイルに見つかった論文の初期の草稿には、9人の疑似患者が登場していた。その草稿には脚注がなく、ランドのデータは削除されていなかった。

草稿には、出版論文と同じ服用数、同じ平均在院日数、精神科医が病棟で過ごした時間数が記載されていた。ところが、ランドを記載から除いた後も、数字を1つも変えずに、そのまま出版論文で使用されていた。

ランドは、「ローゼンハンは、明らかに、自分の仮説があり、その仮説を確認しようとしていたのです」と指摘した。

そして、他の6人の参加者はどうだったのか?

ランドとアンダーウッドはお互いのことしか知らなかったし、ローゼンハンの長年の研究助手でさえ二人の名前しか思い出せなかった。

キャハランは、参加者を見つけるために何年も費やし、私立探偵も雇ったが、結局、他の6人の疑似患者が存在していたという証拠を得られなかった。

つまり、6人の疑似患者は架空人物だった。ローゼンハンが6人の疑似患者をねつ造した公算が大きいのである。

なお、一般に、「ない」ことを証明するのは非常に難しいので、「6人の疑似患者はいなかった」ことを証明するのは非常に難しい。

●6.【論文数と撤回論文とパブピア】

★パブメド(PubMed)

2023年8月14日現在、パブメド(PubMed)で、デイヴィッド・ローゼンハン(David Rosenhan)の論文を「Rosenhan D」で検索した。1962~1993年の32年間の17論文がヒットした。

2023年8月14日現在、「Retracted Publication」のフィルターでパブメドの論文撤回リストを検索すると、0論文が撤回されていた。

★撤回監視データベース

2023年8月14日現在、「撤回監視(Retraction Watch)」の撤回監視データベースでデイヴィッド・ローゼンハン(David Rosenhan)を「David Rosenhan」で検索すると、0論文が撤回されていた。

★パブピア(PubPeer)

2023年8月14日現在、「パブピア(PubPeer)」では、デイヴィッド・ローゼンハン(David Rosenhan)の論文のコメントを「David Rosenhan」で検索すると、2論文にコメントがあった。

●7.【白楽の感想】

《1》キャハランがスゴい

ジャーナリストのスザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan、写真出典)が、スタンフォード大学・法科大学院(Stanford Law School)・教授の論文のデータねつ造を指摘した。

ナンカ、すごくない。

それも、46年前に出版した「Science」論文である。

キャハランは、医学の専門家でも心理学の専門家でもない若いジャーナリストである。

その素人が、超一流のスタンフォード大学の、学術的にとても高い地位にある教授の、超一流の学術誌の有名な論文にケチをつけた。

日本で、こういうジャーナリストいましたっけ? 

これから出てくる可能性あります?

《2》恐怖 

以下の動画は映画「アンセイン ~狂気の真実~」の予告編だが、正常な人が精神病棟に収容され、いくら正常と叫んでも、抵抗しても、力で抑え込まれるストーリーである。(UNSANE | 2018(20th Century Studios UK))。

個人が精神障害者として扱われる話だが、一度、精神障害者として扱われた個人が、正気だと証明するのは、とても難しい。

そして、狂気の持ち主が権力者だと、それを正すのはとても難しい。

現時点から見ると、ナチス時代のドイツのように、社会全体が狂気状態になるケースは頻繁にある。

イヤイヤ、「頻繁にある」というより、現在の米国、そして現在の日本も、社会の主要部分を“ある種の狂気”が支配している。そして、大多数の国民はその狂気を狂気だと思わず、同調し、強く支持している。

例えば、小さなことでは、日本の学術界と社会は研究ネカトを許容している。世界の中で日本の状況は異常だと白楽は何度も訴えているが、日本の学術界と社会は馬耳東風である。大多数の研究者と国民はこの狂気を狂気だと思っていない。

大きなことでは、人々が殺し合う戦争である。ロシア・ウクライナで、アフリカ西部のニジェールで殺し合いが起こっている。この殺し合いという狂気を修正する方法がない。

もちろん、狂気を修正できた話はある。

修正できなかった話もある。

語られない狂気もある。

そして、語っても多くの人が信じない狂気が、たくさんある。

ネカトブログを書いていると、学術界だけでなく、国家、産業界にねつ造・改ざんが根深く浸透している現実に迷子になる。

学術界、国家、産業界は形だけの修正で済まし、大多数の国民はそれを許容している、ように白楽には見える。大多数の国民は少しの不満を吐き出す程度で満足し、根っこの部分では、現状を望み、不正防止・改善を望んでいないのだろうか?

「事実ってなに? 正常って? 健全って? それらを、どう証明できるの?」

「人はウソをどうして信じるの? 不正をどう改善するの・できるの? 目指す学術界・日本社会の方向は?」と、白楽は悩む。

《3》時効と処罰

スザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)がデータねつ造を指摘したのは2019年、つまり、ローゼンハンの没7年後である。

疑念論文は「1973年1月のScience」論文、つまり、その時点で、46年前に出版された論文である。

多くのメディアがローゼンハン事件を取り上げたが、ローゼンハンは亡くなっている。

スタンフォード大学・法科大学院(Stanford Law School)はネカト調査をしていない。それで、ローゼンハンがデータをねつ造したのか、していないのか、権威筋の結論はない。

ローゼンハンは何も処罰されていない。というか、亡くなった研究者に対するネカト調査や処罰は、どうあるべきなのだろうか?

研究者が亡くなった時点で時効とし、調査せず、処罰せず、で良いか?

ただ、亡くなった研究者とはいえ、論文は生きている。

論文の結論は現在にも影響を与えている。

「1973年1月のScience」論文への疑念がこれだけ指摘されているのだから、少なくとも、懸念表明は付けるべきだ。となると、調査も必要だ。ウ~ム!

デイヴィッド・ローゼンハン(David Rosenhan)、出典:https://www.youtube.com/watch?v=j6bmZ8cVB4o

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日本の人口は、試算では、2100年に現在の7~8割減の3000万人になるとの話だ。国・社会を動かす人間も7~8割減る。現状の日本は、科学技術が衰退し、かつ人間の質が劣化している。日本がスポーツ、観光、娯楽を過度に追及する現状は日本の衰退を早め、ギリシャ化を促進する。今後、科学技術と教育を基幹にし、人口減少に見合う堅実・健全で成熟した良質の人間社会を再構築すべきだ。公正・誠実(integrity)・透明・説明責任も徹底する。そういう人物を昇進させ、社会のリーダーに据える。
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●9.【主要情報源】

① ウィキペディア日本語版: デイビッド・ローゼンハン – Wikipediaローゼンハン実験 – Wikipedia
② ウィキペディア英語版:David Rosenhan – Wikipedia
③ ウィキペディア英語版:Susannah Cahalan – Wikipedia
④ アンドリュー・スカル(Andrew Scull )の2023年論文:閲覧有料・白楽未読:Rosenhan revisited: successful scientific fraud – Andrew Scull, 2023
⑤◎ 2020年2月5日のスザンナ・キャハラン(Susannah Cahalan)記者の「New Scientist」記事:The flawed experiment that destroyed the world’s faith in psychiatry | New Scientist

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